1. デジタル時代の国語教育を語ろう
  2. #067 ポッドキャストを続ける..
2025-11-03 17:20

#067 ポッドキャストを続ける理由はどこにあるのか

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第67回配信!
「なぜ自分は配信を続けるのか?」今回は自問自答の回。
ポッドキャストを続けることの難しさや、国語教育・ICT教育への活用の可能性、そして何より自分自身の動機について、あれこれ考えていきます。
教育の未来を見据え、ストック型のコンテンツとして配信を続ける意味とは? ぜひ、お聞きください!

【参考】
ポッドキャストの平均寿命は「6ヶ月」。半数が3話で終わる世界で、あなたが継続するために必要な"設計図"
https://note.com/konsan10/n/n5c9c5ad3c50b

『プロ目線のPodcastのつくり方』
https://www.amazon.co.jp/dp/4295411485

【Voicyのアフタートークはこちらから】
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サマリー

ポッドキャストの配信を続ける理由について、教育現場や国語教育に関連するさまざまな視点から考察しています。特に、ポッドキャストのメディア特性や教育的な価値を深く掘り下げ、お互いの連帯意識を育む機会としての可能性を探ります。このエピソードでは、リスナーとの関係や新しい技術の影響についても触れています。制作過程の苦労や楽しさを共有し、番組の目的を見失いながらも発信を続ける意義を語ります。

ポッドキャスト配信の背景
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティのKasaharaです。
この番組では、Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ、私、Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
11月に入りましたね。 先週の配信やボイシーの方では話していますが、
11月は自分にとってはかなり厳しい1ヶ月になりそうなんですよ。 既にその兆候が見え始めていて、この配信は11月3日文化の日、お休みの日の配信なのですが、
おそらく自分は授業準備と期末講座の作文で大変なことになっている未来が見えます。 ちょうど今週の金曜日に11月7日に
京都の堀川高校の研究大会に参加する予定なのですが、 泊りがけの出張になることもあって、ちょっと予定が苦しいんですよね。
毎日必死に仕事をしているつもりなのですが、全然日々の仕事すら回っていかないで苦しんでいる感じがあります。
結局盛大に自分が疲れているなぁなんてことを感じますね。 時間がないのがシンプルにきついです。
そんな中ではありますが、毎週1回のポッドキャスト配信はこうして続けていますし、
ボイシーの毎日配信も3分でいいから続けようなんてことを思っています。 ふと我に変えると、そこまでして何か発信活動をしなくてもいいじゃないかという気もするのですが、
今週もこうしていつも通りポッドキャストを収録して、 話し終わったら編集作業もしますし、配信を続けているわけです。
しかし、なぜ自分はこうも配信を続けるのでしょうか。 今回の配信ではそんな自問自答をしていこうというふうに思います。
ポッドキャストの必要性と実践
先週に引き続き雑談会というか自分語り会の配信となります。 ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。
さてここからが本題です。 そもそもポッドキャストを続けることが難しいということは、
ポッドキャストの学校のコンさんがノートの記事の中で紹介しています。 その記事によるとポッドキャストの9割が1年以内に配信が止まるというふうに言われているわけです。
幸いにして自分のこのポッドキャストは去年の7月から始めているので、すでに1年間の配信というものに関しては達成することができています。
そしてちょっと予定は苦しいところはあるんですが、自分としては辞めるつもりはなく、ずっと毎週1回配信というのをしばらくは続けていこうというふうに思っています。
もしかすると風邪だとか引いてしまうと、以前どっかでやったようにAIに台読させるみたいなことが起こるかもしれませんが、基本的には毎週配信というのを続けていきたいなというふうに思っています。
このポッドキャストは自分としては国語化教育のことやICT教育の実践のことを中心に、まさに今高校教育の現場で起きていることだとか、今どんなことを問題意識として現場が抱えているのかみたいなことをアウトビジネス活動というとちょっと大げさですけれども、少しでも学校の外の人に伝えていきたいなという気持ちはあったりします。
もちろん学校現場の方にも聞いていただいて、お互いそれぞれの現場で頑張っているんだみたいな連帯意識を作って、この苦しい教育を取り巻く厳しい状況に対して何か勇気づけることができたらいいなあなんてことは思っているところです。
あとはこうして話しているイメージとしては、自分の職場の後輩だとか、今後自分の仕事を引き継いでくれる人に対してこういうことを考えているんだみたいな、そういう微暴力的な引き継ぎ資料的なところは実はあったりもします。
まあ職場で自分のポッドキャストを聞いてくれなんて絶対言わないですけどね。
そもそも自分がこうしてポッドキャストを配信しようと決断した一番大きな理由としては、授業でポッドキャストを生徒と作ったという経験が大きいわけです。
この話はいろいろなところで繰り返しお話ししているかなっていう気がします。
論議国語の授業の中で生徒と一緒にポッドキャストを作るみたいな実践をやったんですね。
その実践の詳しい内容は明治図書さんの「高校国語と探究のデザイン」という本に実践報告の原稿を書いているので、そちらをお読みいただければというふうに思うのですが、
生徒とポッドキャストを作ってみて非常に強く感じたこととして、やはり身体性を伴うメディアだからこそ今の時代に取り立てて授業で扱う必要があるんだろうなと、
国語の授業で声を扱うということを取り戻していく、見直していくということに意味があるんだろうなというふうに思って、
ポッドキャストをなんとか国語の中でもっと中心的に扱えないかなというふうに考えるようになったんです。
だから、そういうふうに国語の中でポッドキャストを題材として扱ってもらうためには、自分自身がポッドキャストについて詳しくならなかったらどうにもならないというのが一番最初にあるので、
自分でもポッドキャストの配信をとにかくまずはたくさん量をこなして、ポッドキャストってこういうものなんだっていうのを掴んでみようと思ってポッドキャストを話しているわけです。
ポッドキャストという素材について、やっぱりこうやって毎週配信を続けてみたり、他の人のポッドキャストを聞いたりしてみたりして感じることとしては、
やっぱり本当に今の時代だからこそ注目されるべきものなんだなと思うんですね。
ちょうど先週発売になったばかりのポッドキャストスタジオクロニクルの野村孝文さんが、プロメセンのポッドキャストの作り方の中で同じような話を実は言及しているんですよ。
アテンションエコノミーの中だからこそ持つ価値がポッドキャストにはあるんだというようなそういう問題意識に対して、もう読みながら本当首がもげそうになるくらい同意していました。
長くて遅いメディアとしてのポッドキャストの魅力が、そして先ほども言いましたが声という進退性を伴ったメディアとしてのポッドキャストの魅力は絶対に国語化教育の中で注目されるべきだなというふうに思っているわけです。
ただ実際問題として教育が変わるまでっていうのは非常に時間がかかるわけですよね。今も学習指導要領の改訂に向けて中央教育審議会がそれぞれの部会に分かれて学習指導要領の内容について議論していますが、もちろんポッドキャストのこの字も出てくるわけがないので、
今後学習剤としてポッドキャストが国語化の中で扱われるようになるためにはまだまだ時間がかかるなというふうには個人的に思うわけです。
そしてもちろんポッドキャストというものに注目が集まるためには誰かが実践を続けていなければポッドキャストの価値なんて見つけてもらうことはできないわけです。
だから自分としてはもうポッドキャストをこうやって配信を続けることによってポッドキャストというものの魅力をどこかに伝えられたらいいなぁみたいなことはすごい思うわけです。
メディアとしてのポッドキャストの価値
ポッドキャストの良さとして先ほどの本で野村さんも説明されていましたが、情報がストックされていくっていうことにはやっぱり魅力があるわけです。
だからこそ授業実践としてポッドキャストを広めていくためには自分がポッドキャストと教育の可能性について情報をストックしておくっていうことはいろいろな意味でつかみつになるんだろうなぁと思うわけです。
ちなみに国語化の中で音声メディアについては結構今いろんな実践が出始めてるなっていう印象がありますね。
5年前からギガスクール構想という政策によって児童生徒が一人一台端末を持つようになったので音声録音のハードルってすごい下がってるんですよ。
だからその結果結構ラジオを作ろうみたいな実践というのは見聞きする機会が増えている気がします。
ただまぁポッドキャストとは言わないでラジオというような言い方をしているところに微妙に実践としてのニュアンスの違いは個人的には感じています。
ラジオとポッドキャストの違いというのはなかなか明確にあるわけではないですけれども、ただやっぱりポッドキャストはポッドキャストなんだよなぁみたいなことは個人的には思うわけです。
どうしても授業の中でラジオを作ろうみたいな形になると一方的な配信みたいな形のイメージにはありがちなんですよね。
ポッドキャストの持っている情報のストック性みたいなところだとか何度も聞き返すみたいなところのニュアンスとラジオを作ろうという実践のニュアンスだとちょっと違う気はします。
個人的にはこのあたりの違いについてもどこかでまたまとめてみたいなというふうには思っているところです。
こうやっていろいろと話してきましたけれども、今話してきた内容に関しては割と外的な要因、社会の状況だとか国語を取り巻く様子だとかそういうような話であって、実は自分の内的な動機とはちょっと違うところがある気もするんですね。
じゃあ内的な動機としてなんでこうやってポッドキャストを続けているのかということについて考えてみると非常に難しいところがあります。
今となっては惰性になってしまっているかもしれないですね。 一度をやめたらなんか再開できない気がすごいするんですよ。
でもポッドキャストは今後にこそ非常に意味を持ってくるメディアだろう、学習剤になるだろうというふうな気がしているので、まあじゃあ今はとりあえず続けること自体に価値があるんじゃないかなってことをすごい考えて、こうやって毎週ポッドキャストを録音しているわけです。
本当はポッドキャストを始めた当初だと、学校の現場のことだとかについて話したいこといっぱいあったんですよ。
ただ実際に台本を書いてみると、これがもうすごい大変なことがあって、何が大変かというと、手筆義務みたいなところがあって、
そう簡単にやっぱり話せないことって学校現場っていっぱいあるんだなっていうのを思いますね。
授業の実践一つとっても詳しく話そうとしたら、生徒の実態だとか生徒の感想だとかも本当は紹介したいんですが、
でも自分がこうやってプライベートでやっているポッドキャストに仕事で取り扱った生徒の情報を乗っけるというのは職業倫理としてダメじゃないですか。
ポッドキャストの意義
なので本当に話したいことはあるんだけれども、なかなか話せないで、その分何か話題が散逸になってしまってなんかグダグダして惰性で続けるようになっているみたいなところはどうしてもあるんですよね。
だから全然授業とは関係なくて、生徒の個人情報なんかにも触れる必要のない、この前まで配信を行っていた大学ニュースシリーズみたいなものに関してはすごい楽に話せるんですよ。
個人的には大学ニュースの話は趣味ではないんですけれども、再生推奨とか見ると世の中はそういうところに興味あるんだなっていうのはちょっと感じるところではあります。
アナリティクスを見ると、高校現場の深い話、例えば探究学習の現在地みたいなところだとか、意外と知られていない話だとかを話す会というのはすごいよく聞かれてるんですよ。
逆に言うと今回みたいな雑談会というのはさっぱり聞かれないですね。
生成AIなんかも出始めていて、いろいろな面で混乱している今だからこそ、今の現場の空気をちゃんと記録して話すということにはかなり意味があるんだろうなっていう気がしますし、
再生推奨だとかそういうところを見ると、今の学校の空気感というものを聞きたい人ってすごい多いんだなっていうのは思うところです。
思えばコロナの時期にこういうふうにポッドキャストを始めて、それこそ家から出られなかったんですから、
ポッドキャストでコロナの今の学校ってこうなんですよって話を記録しとければよかったなみたいなことは今になって思うわけです。
だからこそ、今こうやって生成AIだとか新しいテクノロジーが出始めて、学校現場ってかなりいろいろな面で振り回されてるんですね。
AIを使うのか、それともAIを使わない方がいいのかみたいなところも、もう学校現場の中で完全に割れちゃってるところもありますし、
もしかするとそういうような話に関しても10年ぐらい経ったら、あの時はこんな意見対立あったけれども、今思えばあの意見対立ってバカバカしかったよねみたいな話が出てくるかもしれないじゃないですか。
なのでそういう段階になった時に、今の学校のあり方ってどうだったんだろうみたいなことを思い出して聞き直すことができるような、
そういうような情報をこの番組はストックできたらいいのかななんてこともちょっと思ったりはしますね。
10年後にAIに振り回されていた今の時代を聞き直した時に何が見えるかを楽しみにやっていこうかななんてことを思ったりもします。
まあこの番組があと何年続くかというところに関しては全然わからないですけどね。
まあそういうわけで、自分がこうやってポッドキャストを配信を続けている理由はどこにあるのかというようなことなんですが、もう結論から言ってしまうと自分でもよくわかんなくなってます。
もうマイクが目の前にあったらとりあえず話し続けよう、今あることを話し続けることで何か見えてくることもあるだろうというようなそういう気持ちだけで話してますね。
いろいろとかっこいい理由をつけることはできるんですけれども、もう当初の目的なんかに関しても割と見失っちゃってるところがあるので、
自分としてはこうやって毎週話し続けることに意味があるんだろうというふうに思ってます。
ただまあ企画の内容だとかをもうちょっと考えていくことによってリスナーの方にたくさん聞いていただけるようなコンテンツも作りたいなぁとは思っているところです。
ぜひこの番組で聞いてみたい内容だとかに関して何かご意見がある人はいろいろなお便りもお待ちしています。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
ポッドキャストをなんとか国語化の一つの素材にしていきたいなぁとは思っているのですが、まだまだ道のりは長いなぁと感じています。
その道のりの一歩一歩として自分はポッドキャスト配信を続けるしかないんじゃないかなって思ってます。
制作の苦労と楽しみ
以前に教育系ポッドキャストの日をやりたいと言っていたんですが、自分の生活が全然回っていないのでさっぱりめどがつきません。
めどがつかないのであればとりあえず自分のポッドキャストの配信を続けてチャンスをうかがうしかないかなぁなんてことを思っています。
ポッドキャストを続けるのが難しいという話はもう最近SNSでよく見るんですが、
自分のような一人語りのポッドキャストは自分が続けると決心すればいくらでも続けられるわけなんです。
本編でも話した通り自分には自分にとっての意味があるので続けなければいけないなって思ってます。
ただ実際は機材を準備して編集作業をしてとなると結構手間がかかるのでエネルギーはかかるなぁと思ってます。
じわじわと再生数は増えていますがあんまりコメントもらえないので時々心が折れそうにはなります。
まあそれでも楽しくやってますけどね。
多分今月は今日みたいに軽い話題を続けていくのでぜひリスナーのあなたからも気軽なリアクションをお待ちしています。
本日のポッドキャストの裏話は私のボイシーで6時半から配信されています。
今日の配信を聞いてくださった方は概要欄のリンクからぜひお聞きください。
ここまで聞いてくださりありがとうございました。
今回の配信を聞いて何か参考になったことがあればいいねをもらえると番組作成の励みになります。
またアウトプットの一環としてぜひお気軽にコメント欄やSNSでハッシュタグデジコクとつけてコメントをよろしくお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleホームに直接コメントをいただいても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。
ではまた。
17:20

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