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#098 アウトプットを前提とした学びと、授業における「宛先」の問題
2026-06-08 23:49

#098 アウトプットを前提とした学びと、授業における「宛先」の問題

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第98回配信!
アウトプットを前提にしたインプットは質が上がる──ポッドキャストを続ける中で感じたことから、授業における「宛先」の不在という問題を考えました。
現場の制約と向き合いながら、読む量を増やし、複数テクストを組み合わせる授業の可能性についても話しています。


▼教育系ポッドキャストの日
・開催期間:2026年6月15日(月)〜6月21日(日)
・共通テーマ:「はじめての学び」
・参加方法:ハッシュタグ #教育系ポッドキャストの日 をつけてエピソードを配信するだけ
・詳細・参加表明はこちら→ https://felo.ai/page/preview/niQTkAt6fWKsJ5XwXno5mX?business_type=AGENT_THREAD
・【参加番組リスト】
https://app.notion.com/p/365cba284e988051b618fc7470dacea6?v=365cba284e988084a403000cd632bbc6&source=copy_link

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サマリー

本エピソードでは、アウトプットを前提としたインプットが学習の質を高めるという経験から、授業における「宛先」の不在という問題について考察します。ポッドキャストやボイシーの配信を続ける中で、話すためのインプットが理解を深めることを実感。しかし、授業ではアウトプットの宛先が意識されにくく、子供たちがSNSで不特定多数に発信する現代とのギャップが生じていると指摘します。現実的な制約の中で、複数テクストの組み合わせなど、読む量を増やし質を高める授業の可能性についても議論しています。

教育系ポッドキャストの日とアウトプットの重要性
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティのKasaharaです。 この番組では、Google for Education認定イノベーター、コーチ、トレーナーの資格を持つ、私、Kasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
さて、いよいよ来週ですね。 6月15日から1週間、教育系ポッドキャストの日が開催されます。
今日のこの配信と同時に、参加される方のリストをノーソンでまとめたページを共有しようと思ってるんですけど、間に合わなかったらすみません。
明日以降に概要欄やSNSに貼って紹介しますので、すばらくお待ちください。 で、参加者の数なんですが、
正直言うと、当初は3、4番組ぐらい集まればありがたいなと思ってたんですよ。
ところが実際は、かなり多くの方に参加していただけることになって、リスナーとしても聞き応えのある企画になっています。
参加してくださる方には感謝しかないです。 まだ参加表明されていないけど興味あるよという方は、ぜひお気軽にお声掛けください。
教育系と言ってますけど、学校の先生に限った話ではありません。 今回のテーマについては、初めての学びというふわっとしたテーマですし、教育というのは社会のあらゆるところで行われていて、
それは教育基本法にも書かれてますし、自分は日常の生活の中で生きるものすべてが学びだと思っています。
最近何か学んだこと、自分が学んでいること、そういうことをお気軽に配信していただければというふうに思います。
今回の本編なんですが、教育系ポッドキャストの日をやるにあたって改めて考えたんですけど、世の中全体見たときにアウトプットにチャレンジできてる人ってそんなに多くないんですよね。
だからアウトプットってなんだろうということをちょっと今日は雑多に話してみようと思います。
さてここからが本編です。まずは自分自身の話からしてみようかなと思います。
話したいことがあって始めたこのポッドキャストではあるんですけど、1年2年と毎週続けて、さらに昨年からはボイシーも毎日配信してるじゃないですか。
さすがにですね、話すことなくなってくるんですよ。誰かに強制されているわけじゃないんだから、やめればいいじゃんという意見はあるとは思いますよ。
まあそれはそうなんですけど、じゃあなんで続けているかというと、毎日何か考えて話す。
週に一度まとまった考えを整理して話すということを、そういうこと自体が自分にとっては話すことの修行になっているからなんですよね。
この話はボイシーだとかポッドキャストでも何回か話しているところなんです。授業のネタを深めるきっかけにもなりますし、自分自身の理解を掘り下げるトレーニングとしても機能しているわけです。
ここでやっぱり大事だなって配信しながら思うこととしては、アウトプットを前提としたインプットはインプットの質がやっぱり全然変わるっていうことなんですね。
もう多くのアウトプットしている人が言っているクリスみたいなことを繰り返しここで言うのもどうかと思うんですけど、本当だからもうこれしょうがないですね。
だから何でしょうね、例えば何か本を読んだり映画を見たりしているときに、これをポッドキャストで感想を話すならばどういうふうに話すかなという切り口がいつも自分の中に生まれる感じなんです。
だからそうすると作品一つ一つの理解の速度がやっぱり変わってきますね。
自分ならこう話すという視点が入ることで、ただ受け取るだけでは気づかないことに気づけるようになりますし、
じゃあ授業で伝えるんだったらどういう伝え方するだろうかみたいなそういうことも同時に考えるようになって、かなりやっぱり影響を出てるなっていう感じがしますね。
ポッドキャストを作るにあたってはやっぱりいろんなした調べすることになるので、
タイタな自分がいろんなことに対してちゃんとアンテナを持つっていう意味でも重要なきっかけになってるなっていうところはかなり感じるところですね。
まあ基本的に自分飽きそうなんですよ。
本を読んでいても映画を見ていても10分ぐらい見てるともう気がつっちゃってダメなんですね。
でもアウトプットを前提にして何か伝えようと思ってインプットしていると、
10分で飽きちゃうところがいやーこれどうしようかなみたいなことで思考が回るので、
そのおかげかわかりませんけれども2時間とか3時間とかまとめて集中することができるようになるんですよね。
まあ考えてみれば大学院時代はそれなりのまとまった時間論文だとか読んでいられたことがあるんで、
それって結局最後自分の終始論文に書かなければいけないというゴールがあって、
自分との関係性で常にコンテンツに関して、まあ論文ですけど、
論文だとかのコンテンツに関して読んでいたっていうことがあって、
それってすごい能動的な取り組みだったんだなっていうのを今になって改めて感じるところです。
授業における「宛先」の不在という問題
で、ここからが今日の本題なんですけれども、
このアウトプットの前提があるかどうかということを授業に引きつけて考えてみると、
一つ大きな問題にぶつかるんですよね。
それが何かっていうと授業の中で読んだり書いたりするときに、
そのインプットやアウトプットの宛先が意識されないことが非常に多いっていうことなんですね。
宛先を意識した課題を設定するのが大事だというのは、
まあ自分は基本的にそうやって思ってるんですよ。
でも実際にそれをやろうと思うと相当に難しいですね。
おそらく相手意識を持ってインプット、アウトプットを考えるというのがやりやすい科目は、
国語だとか言語系の科目だと思うんですけど、
その国語の授業であっても相当難しいなみたいなことを感じているわけです。
例えば1回限りのイベント的な単元、
探求の成果をブログにまとめて発信するだとか、
地域の課題についてSNSで意見表明をするだとか、
そういうプロジェクト型の単元なら宛先を設定することは別に難しくないかなと思うんですけど、
ただ年間通じてカリキュラムとして誰かにメッセージを送り続ける授業を組むというのは、
まあかなり無理がありますね。
全ての授業でアウトプットを前提とした授業を作るという話です。
まあ厳しそうですね。
単元ごとに異なるメッセージの受け取り手を想定して準備するとなると、
その度に外部の協力者を見つけてきたり交渉したり、
相手のスケジュールに合わせたりしなければいけないわけで、
現状の学校のシステムでそれを安定的に学校のカリキュラムに組み込んでやるのは、
まあ厳しいだろうなっていうふうに思いますね。
一方で子供たちは授業の外ではもう不特定多数に向けてSNSで日常的に発信しちゃってるわけなんですよ。
子供たちの意識だとBDRは仲間のうちだけでやってるような感覚は強いみたいですけど、
でも実際には全世界という宛先に向けての発信活動をやっちゃってるんですよ。
宛先があるどころか、誰が読むかわからない状態で言葉を発しているってわけですね。
デジタルスティジョンシップの観点からすると、自分の言葉が誰に届くのか、
届いた先でどう受け取られるのかというのを考えて表現する力って、
もう待ったなしで必要になっているはずなんですよ。
ところが授業の中では、宛先のない課題を粛々とこなしているみたいなことが多くないですか。
教室の外では不特定多数に向けて発信をしているのに、
教室の中では誰にも届かない文章を書いている。
このギャップがやっぱり問題なんだろうなって思うわけです。
デジタル空間で責任ある発信をするために必要な力を、
授業で鍛えられるチャンスがないわけです。
まあ結局のところ、宛先がその授業をやっている教員だけでいいのかっていう問いが残ってるってわけなんです。
「要約」の課題と本来の目的
例えばそうですね、ちょっとここで要約という具体的な例で考えてみましょうか。
国語の授業では、要約を書く課題って定番だと思うんですよ。
多分このポップキャストを聞いている方の多くも、
学校で要約の課題をやらされたっていう経験あると思います。
で、本来一般的な意味での要約って何かっていうと、
自分が何かの目的を持っていたり、誰かに伝える必要があったりして、
情報をかいつまんで整理し直すみたいな営みじゃないですか。
つまり本当は宛先が先に来るはずのものなんですよ。
ところが国語の授業での要約って、要約のための要約になりがちじゃないですか。
まあ人によってはこれを純粋な要約みたいな呼び方する場合もあるみたいなんですけど、
本来の意図を損なわない形で、言葉だけを縮める作業みたいなことを指すわけです。
でもそもそも論として、本来の趣旨を損なわずに要約をするということは本当にできるのかなっていうこともやっぱり問い直されていいかなと。
筆者はその表現表記でなければ書けないと考えて文章を遂行して成り立たせているわけなんですよ。
それが第三者である読者が勝手に縮めてこれが正しい要約ですとするのはまあなんだか違和感あるわけです。
本来の要約というのは他者に対して私はこの文章をこう読みましたと自分の責任で伝える営みとして行われるものじゃないかなと思ってるんです。
私の解釈としてはこうだと引き受けるからこそ要約に意味があると思うんです。
だから目的も宛先もなく意味がこれで正しいだろうという純粋な要約のための要約って本来はおかしいんじゃないかなって思ったりもしますね。
だからこそ授業の中でも学校の外側にいる他者を意識した言語活動をやらなきゃいけないという気持ちはちょっとやっぱり思いますね。
授業における現実的な制約と基礎基本の重要性
子どもたちがすでにデジタル空間で発信しているならなおさらそういうようなことをやらなければいけないかなと、
学校の特殊な文脈の中での言語行為だけでは足りないかなという気がします。
ただそれを年間のカリキュラムを通して安定的に実現できるかといったらまあ難しいよねって思います。
伝えたいという必然性のある単元を作ろうとすると伝えなければいけない必然性のある他者を見つけてくるという
そういうちょっと偶然性に頼る部分がどうしても大きくなってしまうわけです。
日常で必然性が生まれた瞬間に単元が生まれるというのは語りとしては理想的だと思いますよ。
こういうナラティビュー多分好きな先生多いと思いますから、こういうことが起きたから今週はこのテーマでやろうみたいな授業は
まあきっと豊かなものになるんだなっていうふうに自分も共感はできます。
でもそれを年間のカリキュラムとして計画的に配置し続けるのはまあなかなか厳しいなって思いますね。
少し現実的な話をするならば、毎日コツコツ授業をしている教員にとっては
言語表現の手前にある基礎基本のトレーニングという領域は確実にあるわけです。
もちろんデジタルの力によって昔よりもその領域というのは小さくなっている可能性はあるとは思いますが、
ただ実際やっぱり漢字の読み書きであるとか音読の仕方であるとか評価の対象に入れるかどうかも怪しい
そういうもっともっと基本的なところに色々な課題があって、そういうことに毎日向き合っているのはやっぱり教室の先生たちなんですよ。
それに自分の勤務校のような学校だと、大学入試に向けて知識を積み上げていかなければいけない場面がどうしてもあります。
それは子供や保護者のニーズだったりするので、それを無視して自分の理想で語ることはできないからです。
全部の授業を短久的にやりたいなんて思ったら、生徒も教員も疲弊しますし、学校としてやりきらなければいけないことをやりきれなくもなってしまうわけです。
毎回毎回意味のある他者に向けた言語活動をなんて思っていたら、多分教員の体も生徒の予定、精神的な余裕も全然持たなくなりますね。
だから授業については、割り切ってちゃんとこういうところは基礎基本なんだというところは教え込んだり反復練習させてもいいのかなとは思いますね。
もちろん、ならぬものはならぬものですというスタイルで、何でもかんでもやれやれ言ってると面白くなくなっちゃうので、
基礎基本をどこまでどう徹底させるかっていうところは問題だと思うんですけどね。
アウトプットへの見通しと授業設計
アウトプット、他者を意識したアウトプットができる機会というのは、年間通してそんなに多くはなかったとしても、
例えばこの先にこういうアウトプットの機会があるから今はこういう練習をしようねというような授業で一言させてみたり、
以前に大きなアウトプットをした際に、あの時にこういうスキルを使ったよね、だから今回はこうだよみたいなことを伝えて、
過去の自分たちの授業で習ったことや、これからの授業で身につけたい力と結びつけて、今のスキルってどうしたらいいんだろうということを学んでいく、
そういう見通しを振り返りと合わせて、事業者が促せるようになることが大切なんじゃないかななんてことを考えています。
まあそのためには、事業者がかなり見立てをちゃんと持っておかなければいけないのは間違いないです。
国語の力ってなんだろう、自分の考えることを伝えるってどういうことなんだろう、そういうことに対する事業者の見立て、見識が問われるわけです。
こういうことを言うと難しすぎると思われるかもしれないんですけれども、別に見立てが失敗してもいいんですよ。
試しにこういう狙いでやってみて、生徒に取り組んでもらったんだけどうまくいかなかったみたいなことがあっても全然構わないと思うんですね。
国語の授業というのは、1回の単発の授業で全てが決まるわけではなくて、年間トータルでどのような力をつけたかっていうことで決まっていくわけなので、
1回の授業でチャレンジしてみて失敗してみたとしても、そこから得た情報を次の授業の組み立てに生かしていけば、年間トータルでちゃんと調子に合うんじゃないですか、そういうところは自分は言っておきたいなと思います。
アイデア創出と複数テクストによる読書体験
そういうアウトプットだとか授業の組み立てに関してなんですけれども、実際にやっぱりやってるとアイデアが出ないことが多いですよね。
そういうアイデアが出ないときに自分はどうしているかというと、まずは色をつけずにその単元で扱いたい素材というのを丁寧に読んでみたり、味わってみたりというところからしていますね。
自分の先入観を入れずにまず読んだり聞いたりする。
その上で子どもたちのリアクションが何があるかなみたいなことから考えていくわけです。
子どもたちがどう反応するかというものを観察してみるっていうこともいいかもしれないですね。
だからまずはとりあえず授業でそのまま素材を子どもたちに渡してしまうみたいなことをやる場合もありますね。
実際の子どもたちのリアクションを見てそこから授業を組み立てるみたいなことも多いんですよね。
順の国語に対する根本的な問題意識は、読んだり書いたりする時間の量が圧倒的に少ないということにあります。
授業時間の中で子どもたちが実際に読んで実際に書くということの代わりに、先生が解説してその解説を書き写すみたいな時間があまりにも多すぎやしませんかみたいなところが自分の問題意識です。
とはいえ、読んでみようという時に具体的にどうしたらちゃんと意味のある読みになるのかみたいなことは問題ですよね。
自分がやって考えていることとしては、1回の単元で複数の文章を用意して読んでもらうみたいなことはよくやりますね。
しかもその複数の文章に関して、好きな順番で読んでいいよという渡し方をして、組み合わせて読んで何か思いつくことがあるみたいな促しをしたりもしますね。
あとさらに言えば、じゃあなんでこの文章の組み合わせで選んだか、その意図ってわかるかなみたいなことを問いかけてみるみたいなこともやったりします。
なぜこの文章とこの文章を一緒に渡したのか、そこに気づけたら面白いことあるんだよみたいな、そんなことを話したりもしますね。
まあこれは教材研究としては結構手間のかかることで、どの文章とどの文章を組み合わせたら子どもたちの中で良い反応が起こるのかみたいなことを結構教員側が考え抜かなければいけない話ではあります。
一つの文章について深く読むのと複数の文章を行き来しながら自分の考えを作り上げていくのでは、子どもたちの使う力って全然違いますからね。見立てがかなり重要です。
読む量を増やすことと読む質を上げることの両方を狙えるような仕掛けとしては、やっぱり複数テキストの授業というのは可能性はあるなというふうに思ってますね。
それこそ主体的にどのテキストをメインにしてどのテキストをサブにするかみたいなことも、実は子どもたちが選べるような簡厳の立て付けにしたらいいんだろうななんてことは考えていつも授業は作るようにしています。
アウトプットのハードルと人間らしさ
ここまでアウトプットの宛先だとか、必然性だとかそういう話をしてきたんですけど、もう一つだけ話をしておきたいと思うのが、人ってそんなにアウトプットすることって自然にはできないっていうことです。
自分もこうやってボイスで毎日ポッドキャストを配信してたりしますけど、実際のところいきなり一発撮りで100%やってるわけではないんですよね。
やってる場合はありますけど、でも基本的には録音は1回しかやらないとしても、厳密な原稿を作るわけではないとしても、
例えばFacebookに思いついたことを日常的に書いておいたりして、Xでこういうことを考えてますみたいなことを書いておいたりしておいて、
そのどこかで書いたアウトプットを下書きにしてボイスで話すことを決めて、1回話すみたいな形でやってるんですよ。
だから要するにそうやって散らばったものを音声にするときに、もう1回語り直すみたいなことをやってるわけなんです。
だから完成形だけを見ると、ものすごくなんだかまとまったハードルの高いことをやってるように見えるかもしれないんですけど、
でも完成するアウトプットの手前には、無像無像のアウトプットが散在してるんです、実は。
寝言は寝ていいえ、みたいなそういうような荒削りでどうでもいいようなことがいっぱい実はつらばっていて、
そういうものをまとめ直して人に届けようみたいなところで改めて形にしているっていうそんな感じなんですよ。
だから結構アウトプットの量が出てくるまでには右を曲折してるんだよなぁなんてことを思います。
そういうような視点で授業を考えていくと、子どもたちがアウトプットに対してハードルを高くしすぎてしまって、
手が動かない、声が出ないみたいなことが起こってしまいがちなんだなっていうふうに思うんですよ。
結果的にアウトプットのハードルが上がってるからこそ、アウトプットに必然性がなくインプットするということ、
いろんな資料を読んでいく、いろんなものを試しに書いてみるみたいなことができなくなってるんじゃないかなーなんてことは思ったりもします。
アウトプットのハードルが上がってしまって、何も話せない、何も書けないみたいなことになってしまうと、もう面白くないですよね。
それに実際にアウトプットをしてみないと、自分のアウトプットを磨き上げていくみたいなチャレンジができなくなってしまうわけなので、
全然いいことはないなーなんてことは思うわけです。
アウトプットのことを考えると、どうしても最後はアウトプットってなんだかハードルが高いっていうイメージが持たれがちなんだなーっていうことに行き着いてしまいますね。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
アウトプットって本来は誰にとっても喜びだと思うんですよ。
自分がやったことが世界に現れて、そこにリアクションがある。
それって人間らしさの確かめみたいなところがあるんじゃないかなと思うわけです。
ここで言うリアクションって別に人間からの反応に限った話ではなくて、音が出たとか何かが動いたとか、そういう自然の物理現象でもいいんですよ。
自分が何かしたことによって世界がちょっと変わるみたいな、その手応えが返ってくることが人間にとってとっても大切なんだろうなーと感じています。
でもアウトプットをすることがいろいろな条件によってはばかられるものになっているとしたら、それは良くないなーと。
失敗したらどうしようとか、間違っていたらどうしようとか、誰かに否定されたらどうしようとか、そういう不安がアウトプットの手前に壁を作ってしまっているように感じます。
そしてもしその壁を作っているのが教育だとしたら、これほど悲しいことはないわけですよ。
特に国語教育は生徒に音読させたり作文で文章を書かせたりするわけなので、よりアウトプットの機会が多いです。
そんな国語教育が生徒のアウトプットへのハードルを高くしてしまっていたら非常に残念だなと思うわけです。
授業でアウトプットを扱うことには非常にハードルの高さを感じるわけです。
そのハードルゆえにアウトプットをしない、読むことばかりに偏ってもよくないんだよなーなんてジレンマを感じます。
アウトプットを気楽にするための取り組み
だからもっとアウトプットが気楽なものになるようにしたいですね、事業者としては。
教育系ポッドキャストの日もその意味で、誰でも気軽に参加できるようなイベントであってほしいです。
ぜひ来週を皆様お楽しみにお待ちください。
本日のポッドキャストの裏話は私のボイシーで朝6時半に配信しています。
ボイシーでは毎日の教育実践の話やちょっとした雑談もしていますので、ぜひそちらもお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
何か参考になったことがあればいいねをしてもらえると番組作成の励みになります。
またアウトプットの一環として、ぜひお気軽にコメントやSNSでハッシュタグデジコクトをつけてシェアをよろしくお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleホームに直接コメントをいただけても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。
ではまた。
23:49

コメント

ふと思い出したのは兵庫県三田市のハニーFMでちょくちょくやっている学生がインタビューを受ける回(ほとんど小中学生で高校生回はほとんどないですが)と、J-WAVE WACCOESという大学生のポッドキャスト番組ですね。

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