指導案の重要性
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、ICTを活用した国語の授業実践に関する話題を中心に、Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ、私Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
職員室のスタッフ同士で行われる教育談義のようなものだと思って、ゆるっと聞いてください。 先週は入学式があり、勤務校でもいよいよ新しい1年が本格的に始まりました。
私は1年生の担当になったので、また3年間気持ちを新たにやっていくことになります。 これで担任としては4週目、都合10年連続で担任となりますね。
気づけば随分長いこと担任業務をやってるなぁというふうに思います。 先週はオリエンテーション期間ということもあって、授業はなかったのですが、今週からいよいよ授業が始まります。
昨年度は高校3年生を教えていたこともあって、1月以降はほとんど国語の授業がなくて、 国語らしいことができていなかったのですが、3ヶ月ぶりぐらいにやっと授業ができるなーっていう感じです。
授業をやっていないと50分間ずっと声を出しているのが案外きつくなりませんか? 自分はこの結構春休み明けのターンって授業中に息切れ起こしやすいんですよね。
授業の構成についても新入生に対しては結構気を使います。 どういうことを言えば授業に関心を持ってもらえるのかということが、教えたことがない生徒に対しては全くイメージが当然ながらできないんですよね。
だからどうしたものかなーって悩むんですよ。 高校くらいまで来ると国語って結構な頻度で嫌われている科目なので、
どうしても負担感の大きい多教科に押されがちになる科目なので、どうやって興味を引こうかなーなんてことを悩む、そういうスタートになっていきます。
さて、今回の本題は授業準備として指導案を書くか書かないかということについてお話ししてみようかと思います。
1年の初めなので授業作りをどう考えようかという話も込みで話していければというふうに思っています。
今回この話について話してみようかなというふうに思った一つの理由は、今月の明治図書さんの教育科学国語教育ではマネしたくなる指導案というテーマの特集を組んでいたからですね。
その特集記事を読んでいると、やっぱり指導案のあり方っていろいろ考えなきゃいけないんだなというふうに刺激を受けたんですね。
まずやっぱり大きな刺激を受けることとしては、指導案について読んでいくと、小学校と中学校を比べると書き方がやっぱり大きく違うなーっていうふうに感じるんですよ。
特に小学校に関して言うと、本当に児童感から細かく細かく丁寧に先生がいろんなことを考えて書いてるんだなーっていうのが見てて思います。
中学校の指導案もやはり見ていると、こういう雑誌に載ってくるからということは当然ありますけれども、一つ一つの学習活動の意味であるとか、生徒の反応であるとか評価計画だとか、相当細かく書いてるなーというような印象があります。
自分は普段高校で授業を受け持っているということもあるので、高校の指導案に関して研究授業なんかがあればできるだけ読むようにしてるんですが、
そういう研究授業だとかの機会を除くと、高校でちゃんと指導案書いてる人って本当にそれほど多くないですよね。
自分の職場なんかだと指導案を目にする機会というのは年に数回あるかないかなーっていうぐらいな感じがします。
また書き方に関しても、高校まで来ると小学校と比較して明らかに生徒のリアクションであるとか手立てに関する書き方というところが、雑と言うと失礼なんですけれども、細かいところまでは書いてないなーというような気がします。
これは単純に講習の問題なのか、それとも指導案という文化のあり方の違いなのかというのは、高校しか経験したことのない自分にはちょっとわからないところではあります。
ただ自分の勤務校に関して言うと、もう少し生徒館であるとか指導館のところは詳しく書いた方がいいんじゃないかなって思ってたりもします。
あんまり職場の悪口言うのは良くないのでこの辺にしておきますが、小学校の先生がどうしても児童館であるとか授業中の手立てというところを詳しく書いていくというのは
発達段階の問題もあるので、詳しく一度頭の中にあることを出しておくという作業自体が授業準備として大切になるからだとは思うんですよね。
だから高校生になってくるとおそらく授業の展開に関しても自由に展開できる部分もかなり多いんじゃないかと思うので、
実際自分が指導案を書くときなんかに関しても細かい生徒の活動の予測だとかは書いたりはしないですね。
指導案を書く意義
まあこういうふうにかばってみましたけれども、実際は指導案に関しては高校になってくると一方的に教える育成型の授業が多いから指導案を必要としてないっていうのが現実としては大きいんじゃないかなっていう気はしますね。
なのでそれを改善していくためにも一旦指導案を書いてみて、グループワークなんかでどういう反応を生徒がしていくのかみたいなことを言語化してみるっていうようなそういう勉強として
指導案はやってもいいかなという気はしていますね。
そもそも指導案を書くか書かないかという問題は結構これ根深いところがありますね。
指導案を書いたからといってどのように教育効果が上がるのかみたいなことがよく議論になってきます。
おそらく指導案を書こうか書く前が授業に関して言うと予想している通りの展開になんてなかなかならないんですよね。
特にアクティブラーニング型の生徒主体の自由な授業なんかになってくると時間のコントロールも難しいですし内容としてもどっちに転がっていくかというのは
おおよその方向は予想できたとしても詳細のところまではやっぱりわからないっていうのは実際の問題あるんじゃないかなというふうに思います。
だから本来多分指導案って大人同士が議論するときにその指導案を見て授業のもともとの狙いってどうだったその狙いに向けてどういう手立てを取っていたか
そしてその手立てって子供たちにとってどういう反応につながったのかみたいなことを検証するための道具なんだろうなっていう気はするんですね。
だからそういうような使い方をしていることに対して批判的な意見みたいなのはどうしても出てきますよね。
子供の力を伸ばすことに本当につながっているのみたいなことを言われちゃうとうーんというふうになっちゃうわけですね。
指導案に割く時間があるんだったらもっと子供の提出物を見た方がいいだとかもっと先生の働き方を軽くして余裕を持って授業望んだ方がいいみたいなそういう意見も出てきちゃうわけなんですよね。
まあこの手の議論に関しては結構論点が拡散していくこともあるのでここで整理してみたいなことはやらないんですけれども
その意味だと今回の特集号だと曽我部先生が指導案に関して2種類の考え方があるっていう整理をして示されていたんですが
その考え方は結構いいなというふうに思いましたね。
詳細は商業誌なのでここで自分が語ってしまうのはちょっと良くないなという気がするので語らないので
ぜひお手元に買っていただいて内容を見ていただければというふうに思うんですが
普段の授業を作るために書く指導案の案みたいなものっていうのはこれはちゃんとやっぱり習慣化した方がいいんだろうなっていうふうに思いますね。
個人的な立場としては指導案をしっかりと緻密に書くということ自体は修行として結構大切なんじゃないかと思っています。
特に若い新人の先生ほど指導案を書くということの経験は現場に立って忙しい中だからこそやった方がいいんじゃないのかなというふうに思います。
結局指導案に書くべきこととはその教科の目指す学力ってどういうことなのかどういう力を身につけたいのかっていうことなんだと思うんですよね。
そういうことを自分の中でちゃんと整理できているかどうかっていうことも指導案には出てくると思いますし
また目指すべき力というものが自分なりに整理できるのであればじゃあその観点に従って
教科についての子どもたちの現状の様子実力というものを正しく見立てることができているかみたいなところは指導案に現れてきますし
じゃあその見立てを立てるためには何が必要になるかといったら
普段の授業でどれだけ生徒の見取りをしようとしているのかみたいなところが実力として出てくるんだろうなというふうに思うので
そういう自分の実力を総合的に点検するという意味で指導案を書くというようなことは
指導案の重要性
修行としてちょうどいいんじゃなかろうかというふうに思いますね。
ある意味で自分がやっていることを説明できないまま教員として何年もキャリアを積んでしまうことっていうのはあんまり良くないなっていうふうに思います。
なので大学付属の学校の公開研究会で出されるような
分厚い指導案みたいなものを書く必要は厳しいだろうなというふうに思うので
ないというふうにあえて言ってしまいますけれども
ペダ一A4一枚でいいので目標、子どもの実態、授業のための手段を説明するようなことは言語化する訓練を続けたほうがいいだろうなというふうに思っています。
もちろん新規性のある提案をどこかでちゃんと発表したいというのであれば
いろいろな資料を勉強する必要はあると思います。
日国の単元学習研究発表だとかで発表しないみたいなことであれば
それなりの準備は必要だろうなというふうには思います。
逆にそこまでやろうというふうに思うのであれば
自分の時間をかけて勉強することも苦痛ではないだろうなというふうに思うので
ぜひ頑張ってほしいなというふうに思います。
ある意味で指導案をどのように書こうかみたいなところは
自分がどのような教員を目指すのかということにつながっているんだろうというふうに思います。
指導案を緻密に書くことによって
自分の中でいろんな形で授業を検証するということを大切にしたいのであれば
指導案に時間を割くということも大切になってくるでしょうし
逆に自分は教員として
まずは子どもたちとの関係だとか学級経営というところに時間を割いて
そこで結果を残したいんだと思うのであれば
指導案に関しては一通りの見取りができるようになるのであれば
深入れしなくてもいいのかなという気もします。
なので自分のなりたい教員像に合わせて書き方を選べてくるといいんじゃなかろうかというふうに思っています。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
AIと指導案の未来
指導案ってそれこそ本気を出せば生成AIに書かせることが難しくなくなってきてるんですよね今。
だから自分の興味がなかったり知識が足りなかったりする分野の指導案であれば
生成AIの方がよほど生徒のためになる指導計画を提案しかねない時代になってるなと思います。
またそもそも文章を書くことは手間のかかることであるので
授業者は箇条書きぐらいで把握して人に説明するのであれば
その隙間を生成AIに埋めさせて指導案を作るというやり方もありえるかもしれないですね。
パトレットTA試したことありますか?あれすごいですよね。
びっくりするぐらい的確なレッスンプランがすぐに出てきてしまうんですよね。
おそらく時間が経つほどにAIの性能は上がっていくことでしょうから
AI指導案のクオリティも他の例に漏れず
人間を凌駕していくことも時間の問題なんだろうなというふうに思います。
そうなってくると指導案の意味ってレッスンプランとして台本としての意味としてしか考えられないのであれば
AIで十分だよねっていうふうになるわけです。
でも指導案を書くという作業を通じて自分自身が授業を知的に生産していく
授業を点検していくという営みになるのであれば
それはAIに委ねない方がいいと思うんです。
AIに任せてしまうことができる世代の先生たちは
もしかしたら指導案を書くということをしなくなるかもしれないです。
でもそうなると指導案を書くということを通して
いろいろと試行錯誤をして下積みしてきたことを
どこで学ぶようになるのかなっていうのは不思議に思います。
教員要請のあり方自体も変わらざるを得ないんだろうなと思います。
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この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。
ではまた。