探究的な学びの意義
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、ICTを活用した国語の授業実践にまつわる話を中心に、
Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ私、Kasaharaが、
教育にまつわる様々な話を配信していきます。
職員室のスタッフ同士で行われる教育談義のようなものだと思って、ゆるっと聞いてください。
今回の配信は記念すべき第10回目となりました。
しっかりと定着できるか継続できるかの一つの山が10回だと思っていたので、
こうして達成できたのは良かったです。
これからも、とにかくまずは継続ということを目指してやっていきますので、
ぜひリスナーの皆様はお付き合いください。
さて、第10回の放送テーマですが、
探究的な学びとは何だろうということについて少し話していきたいと思います。
探究とは、最近はいろいろなところで聞くようになっていますが、
その定義については共通理解があまりされていないような感じがします。
もちろん、探究の歴史的な経緯というものはあるのですが、
ただそういうことを並べても現場の納得感にはなかなか直結していないなあっていう感じがします。
一般的にはリューイやキルパトリックなどを引いて説明するのが良いのだと思いますが、
その説明を聞いてどれだけ納得しますかというところに難しさがあるなあと感じています。
今回のテーマについて簡単に言えば、
現場で教えているときに何を大切にするのかということを話してみたいと思います。
探求の実践の課題
まあ、本当は学習指導要領の内容に基づいて話すのが正しいのでしょうけど、
あまり面白くはないので、そういうのを理解した上で、
自分の実感として何を語ろうか、そういう試みを今回はやってみようと思います。
一応、学習指導要領の探求の説明についてざっと触れておくと、
目標には事故のあり方、生き方を考えながら、
より良く課題発見をしていくための資質能力を育てるということがあって、
各学校が探求を考えるときには、
地域や社会との関わりを大切にしなさいよみたいなことが書かれています。
また、今回の学習指導要領から各教科にも探求的な要素が入ってきているのですが、
それらとの違いについても、
例えば教科横断的であるということや、
社会との関わりや解決の道筋がすぐにわからないようなもの、
というようなことが一応述べられています。
ついでに言うと、指導要領には探求向きの課題として、
国際情報環境福祉健康などの現代の諸問題や、
地域の課題や、職業や自己の将来についてなど3つの切り口が示されています。
まあ、ふわっとしているので、やろうと思えば何でもできるんですけどね。
ただまあ、最近企業が販売している探求の教材に、
やたらとこういう話題が多いなと思っている人多いとは思うんですが、
学習指導要領に書かれているからなんでしょうね、多分。
学習指導要領の説明をしていても、
あまり面白い話にはならないと思うので、そろそろやめておきますが、
学習指導要領の総合的な探求の時間編を読んでみると、
結構面白いことになってますね。
割とあれもこれもやれと無茶振りの塊みたいになっているので、
愚直に全部やろうとしたら確実に詰みますね。
そんなわけで、学習指導要領がこうして何でも書いてくれているので、
逆に言えば現場は何を選んでやってもいいよというように考えることもできますね。
一方で主体性なく書いてあること全部とりあえずやろうかなみたいな考え方をしてしまうと、
おそらく窒息しますね。
多すぎるんです、やることが。
だから一体何を探求の授業でやろうかを本気で考えてみないといけないと思うんですよね。
何でもできるから誰かに与えられているのを待っている状態になってしまったら本当に面白くない。
でも、じゃあどうしたら生徒が本気で面白がるような探求になるのだろうということは、
やっぱり考えてみても難しいんですよね。
難しさの一つは生徒が必ず全員やらなければいけないということにあります。
だから生徒自身のタイミングでやりたいこととはなかなか出会えないんですよね。
無理やり学校のカリキュラムの都合の図鑑塾でやりたいことを見つけていかなければならないということに、
探求を運営している立場としてもジレンマを感じるところですね。
またやりたいことをやると言っても、情報を永遠と浪費するだけの、つまり極端な例を出すならば、
探求の成果と時間
ひたすらスマホでゲームをしているだけみたいなことは探求になるのかというとかなり厳しいだろうと思うわけです。
ただ難しいのがそういうことを一概にダメだというのも難しくて、
飽きるまでそれをよっぽどやり込んで、例えばゲームのバグの起こる仕組みに興味を向いたりだとか、
RTAなんてまさにそんな感じですよね。
例えばシナリオの良さってどういうところにあるんだろうというような形で、物語の面白さを知りたいというふうに興味が向いていって、
そういうことをちゃんと自分の言葉で説明できるように探求していくようになっていくのであれば、
もうそれは立派な探求だと思うんですよね。
ただそういうレベルに行くためには多分びっくりするぐらい無駄な時間を浪費していかないと難しいと思うんですよね。
でも学校のカリキュラムはそういう時間をとっていくのは難しいだろうなぁと思うのです。
話は変わりますが、生徒の主体性ということも大事な要素なんですが、
それと同じぐらい探求では学校の外側、地域や社会との関わりも大切にしなければならないというふうに言われています。
嫌な話をしますが、かつて部活動は生徒が自分でやるんだから探求だろうと、
探求の時間で部活をやってもいいじゃんというふうに言われたことがあるのですが、そういう意識も困っちゃいますよね。
割と悪意なく本気で言っている人もいたりするので、悪意ないだけに困っちゃうんですよね。
ただ、探求は社会や地域との関わりは外せない観点であるので、
基本的に学校の中で学校の仲間とという方向にベクトルが向いている部活動は、
スタートから走り出している方向がやっぱり違うんじゃないかなーって思いますね。
PDCA的な何かを回していたとしても、外部の例えばコーチなんかと接触があったとしても、
部活動のゴールは学校という枠組みの中で収まってしまうんじゃないかと思います。
だから、それはそのまま部活動イコール探求というふうに呼ぶのはちょっと無理があるんじゃないかなというふうに思ってます。
もちろん、部活で取り組んだ特定の何かについて、その社会での生かし方をどうするのかみたいなことを考えたり、
例えば自分の好きなスポーツを生涯にわたって楽しむためにはどういうことが必要なんだろうと考えたり、
学校という枠組みをはみ出てくるようなことが見えてくると、おそらく探求になるんだろうなーって思いますね。
だから、探求の種自体は子どもたちの日常生活のどこにでもあるんですよ。
ただ、それをじっくりと我慢強く時間をかけて見つけてくるのを待つということが非常に難しいのが探求というような仕組みシステムなんですよね。
なかなか成果の出ないことに時間を大量に使うことは、先生方の精神的な負荷としてもかなり難しいところがあります。
探求の学びの重要性
また、成果が出ないんだから探求じゃなくて、教科のことをしっかりやらせればいいじゃんと本気で善意で言う人もいたりします。
善意ならまだいいんですが、スタートから探求をもう軽く見ている方も残念ながらいっぱいいるんですよね。
自分は大学の時にエドビジョン型と呼ばれるプロジェクトベース学習に出会って以来、ずっと探求的な学びや生徒主体の学びについては気にしていました。
だから国語の授業でも以前第5回放送でもお話しした通り、生徒が自分で考えて自分でどうにかするという授業を常にやっていますし、
もちろん探求についてもとにかく生徒が動き出すまで待つということを粘り強くやりたい、そういう仕掛けを作っていこうというふうに思っています。
最近はPBLという言葉が自分が大学生の時に比べてはるかに広まっているなぁと感じますが、
ただ何かを活動すればPBLだ、探求だと言われるような傾向が出てきているのもちょっと気になっていて、
やっぱり這いずり回る経験主義に陥ったら、それは同じ歴史の繰り返しで良くないだろうなぁというふうに思っています。
先に紹介したエドビジョン型のPBLやハイテックハイのPBLはアメリカのチャータースクールでの取り組みですから、
ちゃんと定量的な結果を残さなければアウトな環境での取り組みなんですよね。
だからちゃんとシビアな評価、学力の評価ですね、そういうものにも耐え得るようなPBL、探求の設計がされているので、
しっかりとした子供の成長があるからこそ、そういう学び方に魅力があるなぁって自分は思ったんですよね。
だから探求を今後考えていくときには、ペーパーの点数で測る必要はないとは思うんですが、
ちゃんと子供の成長の評価をしっかりと説明責任を果たせるような形で評価を考えていかないといけないなと思っています。
探求の実践と評価
まあ今はその前段階の、とにかく生徒に伴奏して探求を駆け抜けていくというコンセンサスを得るのにも苦労している状態なので、
まあ目指すいただきというものは遠いですね。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
今回はなんだかネガティブな話題ばかりになってしまったという反省があるのですが、
今の等身大の自分の立ち位置がこんな感じですね。
自分が好きなことを調べたり書いたりしているうちに色々なことができるようになったという気持ちがあるからこそ、
授業という一番生徒にとって大きな時間をできるだけ生徒自身が使えるようになったらいいなというふうに思っています。
また、探求に対してはもっと先生方が気軽に考えてもいいのかなというふうにも思っています。
もちろん理論的な背景は大切なんですけど、
研究者でもない普通の先生たちが例えばOECDが言っているエージェンシーが何たらというふうに細かいこと、
小難しいことを言って周りを威圧してもそれで探求学習をやりたくなるのかなというと、
やっぱりちょっと疑問なので自分も言い方気をつけなければいけないなというふうに思っています。
もっとこうしたいということを先生方が気軽に語れないと探求が始まらないんじゃないかなというふうに思っています。
今、自分が探求をするとしたら何をするかな。
ポッドキャスターはもうしつこいので置いておくとしますが、やっぱりやるならラーメンですかね。
美味しいラーメンのマニアックなトッピングのアイディアでも考えますか。
何が何だかわからなくなる前に、今回はこれで終わりにしましょう。
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この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。ではまた。