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2024-10-07 11:27

#011 探究における大人の関わり方について思うこと

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今回は毒舌回です。探究に対する大人の関わり方について話をしています。

探究を行っていく上で大人がどのように探究的な学びと関わっていけば良いのだろうかと話しているうちに、普段、見聞きする現場の温度差に対してイライラが…つい(笑)。

探究的な学びを教える人間として納得して取り組むためのハードルはまだまだ高いと感じています。

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サマリー

今回のエピソードでは、探究における大人の関わり方について考察されています。探究的な学びの中で、子どもたちをどのようにサポートするか、また大人自身も学びを深めることが重要であると強調されています。

探究の意義と大人の役割
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、ICTを活用した国語の授業実践に関する話題を中心に、
Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ私、Kasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
職員室のスタッフ同士で行われる教育談義のようなものだと思って、ゆるっと聞いてください。
第11回目の配信となる今回の配信もまた、探究の話を続けていこうと思います。
今回は、探究に対する大人の関わり方ということについて考えてみたいと思います。
この放送が配信されるのは10月の上旬頃だと思いますが、探究を回しているとこのくらいの時期が一番長たるみしやすいかもしれないですね。
2学期の大きな行事が終わって、なんとなく気持ちも緩みやすい時期なので、
自分で進めていかなければいけない探究という学び方は結構パワー不足に陥る感じがします。
そういう時に、個人的にはなんとなく管を巻くようなことがあってもいいとは思っています。
1回1回の授業で何か成果を必ず出さなければいけないというものではないですし、
むしろそういうなんとなく管を巻いてしまう遊びを子どもたちが上手に使っていくことを学ぶのも探究だと思っています。
毎回の授業で生徒がきちんとしていないと不安になってしまうのは、一種の教員の業みたいなものだとも思います。
今まで授業という時間軸で考えることが多かったからこそ、そのように感じるのでしょうから、
授業という時間軸のほかにもう少し長い子どもの成長を捉える時間軸を持てるといいんじゃないかなとも思っています。
さて、今回お話ししてみたいのが探究的な学びに対する大人の関わり方ということです。
探究の学びはもちろん理想を言えば学習者中心で行われるものですから、大人が介入しないで済むのであればそれは一つの理想です。
ですが、理想は理想であって、やっぱり現実は簡単にいかないのですよね。
さあ、今から好きなことをやって、プロセスはこう、自分たちで問いを考えて、何て投げ方をしてもそんな無茶振りは当然うまくいかないのです。
大人だって、ろくに指示を受けないで、なんかうまくやっといてと言われて仕事を振られたら困っちゃいますよね。
それでいて評価をつけたり後から条件をつけられたりしたら腹立って立ちます。
探究的な学習についても子どもたちにいきなり丸投げでさあやってと言っても、一般的な学校ではそもそもどうやって動いたらいいのか、そういう手順を教えられていないですし、
じゃあ好きにやろうとしたら結構先生たちが後からそれはと言っちゃったりしますよね。
先生たちにとって探究が不安な授業になってしまう一つの理由が、やっぱりゴールまでの道筋がはっきりしないことにもあります。
個人的には子どもにどのような力をつけたいのかというイメージが共有できていれば、それほどカリキラムというか道筋については、
その場その場の自由度を確保するためにもガチガチにあれやってこれやってって決める必要はないかなと思っているのですが、
そういう考え方は普段から慣れていないと難しいみたいですね。
自分はそもそも普段の国語の授業から番書計画を決めたり、どの時間に何をやったりということを厳密にやってないので、反省した方がいいですかね。
子どもたちがどのように学びたいのか、どのように学んでいくのかを見て、
そこから一つ一つどのように対応していこうかを都度都度考えていくという、そういうことが探求には必要なんじゃないかなと思いますね。
大人の学びとその影響
ただこれは口で言うのは簡単だけれど、じゃあベテランから若手までがみんな質に差がなく取り組めるかと言われると結構難しい。
もちろんベテランが必ずしもすごいことができるわけでもないのですが、
これはなんか怒られそうですね。
普通の教科の授業であれば、ここはちょっと良くないぞということは、教科を教えてきた経験でピンとくるものなんですが、
探求となると何をしたらいいかわからないってなっちゃう人多いんですよね。
これは単純に経験値の差もあるから簡単には解決できない課題だなとは思っています。
教科の授業でも自由に考えさせることにハードルを感じる人は多いのですから、
教科横断、社会との接続というたてつけになっている探求は、なおさら何をしたらいいかわからなくなりがちなのだろうと思います。
だから割と探求教室の様子を見ていると放置しすぎか干渉しすぎかの両極に触れがちですね。
自分の経験から来るイメージは前者が6割で後者が4割ぐらいでしょうかね。
ひどいケースだと生徒を放っておいて自分の仕事をしているっていう人もいるそうですからね。
探求は生徒がやるものだから自分は知らなくても良いという態度を平気でとる人がいるというか、
自分が見聞きしてきた中でもとっても残念な事例の一つですね。
子供が考え出す前にこうだと思うよーとか、俺ならこうするねーとか言っちゃう人も結構残念です。
探求面白がって色々と面白いことをやろうという気持ちがある先生なのに、事業者の自分が主語になっちゃうっていうケースです。
結構厳しいことを言えば、本人の人よりもある意味で子供たちには良い影響を与えないし、子供たちもしらけがちなんですよね。
気持ちがあるだけにとても残念なんです、そういうケース。
こういうアンバランスさをどうやって解決していけば良いかということについては、やっぱり経験値は必要だと思います。
しかもそれはちょっぴり痛みが伴うような、苦い思いをするようなタイプの経験になる可能性は高い気がします。
大人の学びには痛みが伴うってことは、確か社会医学者のジャック・メジローでしたっけ?
そのようなことを言っていたと思いますが、まさにそういうことですよね。
自分が学び手としてやってきたこと、教えてとしてやってきたことを失敗しながら、ちょうどよく手放していく、そういうことが必要になるから、探求ってやっぱり一筋縄では行かないのです。
子供の学び、探求に関わろうと思うのであれば、大人自身も自分の学びを見つめる探求を始めることになるのだろうと思います。
子供たちに探求をやれと言って、自分が何もしないよとなって、子供の探求に対して割と尊大な言葉遣いになりやすいんですよね。
とても辛口な毒を吐きますけど、探求探求と言っているのに、子供の行為や言葉に対してすぐ上から目線なものを言い寄せる人って結構いるんですよね。
人は自分がどれだけ自分が探求的なのかと正しく認識するのには、やっぱりいろんなチャレンジがあるのだろうと思います。
そういうような状況の解決のためには、子供が取り組むことに心から面白いと思っていくことが一番の解決策なのだろうと思います。
子供がその場でやっていることをどれだけありのまま見られるか、歪んだ先入観で判断しないで付き合えるか、
そういう練習を意識的にやらないと、探求での子供との関わり方って身体的な振る舞いとして覚えられないのだろうと思っています。
そして、子供のやっていることに対して余裕を持ってありのままを見るために必要なのは、実は理論の勉強だと自分は思っています。
学校の構造と探究の未来
いろいろな先行研究や実際の事例などを知っていれば知っているほど、今の子供の事象だけに短期を起こさずに、
どういう成長を期待できるのかを想像して、子供たちの今の姿を寛容に受け止められるようになるのだろうと思っています。
いずれにしても、教えるという仕事をする人の自己計算、勉強というのはいつまでも続いていくのだろうなぁ、なんてそんなことを考えます。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
自分が普段からフラストレーションが溜まっている話題のせいか、どうもこの話は辛辣になりがちですね。
もう少し明るい話題になるように気をつけていきます。
でも、ちゃんと勉強するってことについては、質や量は別としても、同じ方向で職員同士歩いていきたいものですよね。
子供たちが学ぶことを支えるのが仕事なのですから、自分たちが学びのメンターとして学ぶ姿に自信がある教員でありたいものです。
ただ、もっと根本的なところの問題として、探求を勉強するだけの余裕がないという学校の構造にもやはり問題はあるとは思っています。
とはいえ、これもやっぱり教えすぎてしまうことを手放せない問題と同じで、今の学校の仕事で学校がやらなければいけないことの妨げになっているものは、ちゃんと整理して手放すという決断もしなければいけないと思いますね。
学校は手放すという学びと探求を始めなければいけない時期に来ているのかもしれませんね。
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この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。
では、また。
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