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2025-07-09 30:49

#98-1 九州最年少市長の右腕!サラリーマン辞めて半官半民Iターン転職【日南発!役所と民間のあいだ ゲスト:株式会社ことろど代表 田鹿倫基さん】

▼番組のnote:
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▼内容:
元日南市マーケティング専門官/リクルート×中国×WEBマーケ/33歳新市長から声をかけられて/二足の草鞋を履くかっこいい大人たち/宮崎出身若手経営者たちとのネットワーク/ギリギリ当選だからこそ攻めるしかない/歴史はあるが停滞感のあるまち/「負担がなくて思い通りの活性化」がほしい/約束したから行くしかない!東京から日南へ

▼出演:
ゲスト
田鹿倫基さん(株式会社ことろど代表、元日南市マーケティング専門官、3児の父)
株式会社ことろど

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)


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#53-3 遠慮をしない、対立を生まない、冷静と情熱のリーダーシップ
#73 夫に家事をやらせる女は離婚される?年末年始、地方の実家で感じたこと

サマリー

このエピソードでは、田鹿倫基さんが日南市の市長との友人関係を背景に、公務員としての経験やキャリアの転機について語っています。彼は民間企業での経験を生かして地方自治体のマーケティング専門家として働いた経緯を紹介し、自治体と民間の連携の重要性についても考察しています。また、日南市の若手リーダーとしての挑戦が描かれており、特に33歳の市長が28歳の友人と共に進める施策や、東京で培ったネットワークの活用が重要な要素となっています。田鹿倫基さんは飲み友達が市長に就任した経緯や、サラリーマンを辞めて宮崎の日南に移住する決断についても話しています。さらに、半官半民の立場での新たなチャレンジに向けた思いや体験を共有しています。

田鹿倫基さんとの再会
スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今日もゲストをお招きしてお話をお伺いしたいんですけど、久々のオンライン収録です。
田鹿倫基さんです。よろしくお願いします。
田鹿さんはですね、私がクラウドワークスで働いていた頃に、
宮崎県の日南市と一緒に取り組みをやるっていう機会があって、その時に知り合ったっていう。
10年、あれ2015年、4年とか5年ぐらいですよね。
なのでもう10年前ぐらいなんですけど、私もクラウドワークス辞めましたし、田鹿さんも当時は日南市の一応職員だったわけですよね。
という感じなんですが、今も日南市にお住まいですが、もう行政の人ではないんですよね。
スピーカー 1
そうですね。行政の人ではなくなりました。
スピーカー 2
っていうのもあって、結構久しぶりですよね。
スピーカー 1
ですよね。
10年ぶりぐらいですか?近く?
4年ぶりぐらいですかね。
ここで一回オフィスにお邪魔して雑談をさせていただいたことが。
スピーカー 2
確かに。
田鹿さんは結構、今は減っちゃったかもしれないんですけど、以前は日南と東京を結構行ったり来たりしてましたよね。
スピーカー 1
ですね。
スピーカー 2
スタートアップ界隈では、いろいろとネットワークが広く、
クラウドワークだけじゃなくて、いろんな企業と連携して、めちゃめちゃ積極的な自治体っていう感じで、
その顔として、田鹿さんがハブになってらっしゃったというか、そういう感じの方なので。
もともと田鹿さんを紹介してくれたのは、私今スペースマーケットの社外取りもやってるんですけど、
スペースマーケットの社長のしげまつさんが、
私がクラウドワークスに入って、まだ上場前でPRをクラウドソーシングっていう世の中に広げるために、
自治体とやりたいなと思ってるんだけど、どうしたらいいのかなって。
スペースマーケットが結構自治体と一緒にPRをやってたので、それで相談したんですよ。
そしたら、あ、じゃあ日ランとやるといいよって。日ランは何でもやってくれるって。
スピーカー 1
何でもやります。
スピーカー 2
そうなの?って。そんな自治体フットワークの軽い自治体あるんだと思って。
それ以前、私全然自治体の方とのネットワークはなかったんで、
しげまつさんに紹介してもらって、たじかさんにお会いしたら、
お、やります、やります、みたいな感じで、めっちゃ軽い感じで、
一緒にやりましょうって言ってくださったんで、
クラウドワークスのPRに関わるというか、クラウドソーシングを活用して地方で働くっていう、
そういう取り組み事例を自治体と一緒にやるっていう、
そういうのをトライアルというか、一番最初のパイロット版みたいな感じでやらせてもらったっていうのが、
それが10年前のことですね。
民間キャリアから公務員へ
スピーカー 1
ですね。懐かしい。
スピーカー 2
懐かしいです。本当にたじかさんにそこで突破口を開いていただいたことによって、
その後、ガイアの夜明けも日蘭市との取り組みっていうので扱っていただきましたし、
そこから、日蘭とこんなんやってるんですっていろんな自治体に話をしに行って、
結果同じようなパターンで、それがさらに進化したようなものを全国ずつ裏裏やるようになったんで、
本当に最初の事例を作っていただくところに一緒にやれたのはすごい嬉しかったです。
スピーカー 1
こちらこそありがとうございます。
でもあれからクラウドソーシングと自治体がクラウドソーシングに積極的に関わり出したのは、
たぶん我々の取り組みからですよね。
そうですね。
行政は基本横並び主義なので、他のところがやってるってなると倫理も通りやすくなるし、
それでどんどん他がいっぱいやってくると、
スピーカー 2
大きいですよね。
スピーカー 1
そうなんですよね。
だからその突破口を田中さんと二人で作れてよかったなと、今10年前を思い出しました。
スピーカー 2
思い出しました。
スピーカー 1
いやーよかった、よかった。
スピーカー 2
よかった、そうなんですよ。
田塚さんは日蘭市の職員だったという話をしたんですけれども、
ちょっと独特のキャリアと言いますか、
普通の公務員として日蘭市に就職したとかっていうのでは元々なくて、
ずっと民間のキャリアを歩んでこられて、
マーケティング専門家というポジションで、
日蘭市にジョブチェンジしたっていう経緯があるんですけど、
その辺のキャリアの話を今回は聞いていきたいなと思っております。
スピーカー 1
もともとはリクルートに就職をして、
その後は中国のベンチャー企業に転職をしてきてまして、
業務の領域としてはインターネット広告をずっとやってきたんですけど、
そこまでいくと、当時イケイケの中国でウェブマーケットっていうと、
すごいウェイウェイ系な感じだと思うんですけど、
でも大学が宮崎だったということもあり、
将来は宮崎の街づくりに携わってみたいなっていうのはずっと思っていて、
大学時代からボランティアという形で、
商店街の発生家のチームでやったりとか、
そういう取り組みをしてたんですけど、
やっぱりもうちょっとパワーアップしてからじゃないとダメだなっていうふうに思って、
一番パワーアップできて、かついつでも辞めれるっていうところはどこだろうと、
考えたときにリクルートだったりとか、
これから中国との関係、特に九州は強くなるということで、
中国での経験も積んでおこうということで、
中国のベンチャーに転職をしたりとか、
そんなキャリアを歩んでました。
その後、日南市マーケティング専門館ということで、
人口5万人の小さな市役所に働くことになったんですけど、
そのきっかけは、前日南市長の佐久田強平さんという方がいらっしゃって、
彼とは飲み友達だったんですね。大学時代から飲み友達で。
ある日佐久田さんから連絡があって、
日南市での取り組み
スピーカー 1
お前ちょっと中国でバブルを謳歌して遊んでんじゃねえと。
そんなことしてるんじゃなくて、いい加減宮崎のために働けとお叱りをいただきまして、
どうやったらいいんすかって言ってると、
俺が市長選挙に出るから、通ったらお前日南市役所で働けって言われまして、
民間の感覚だと、社長が来いって言ってるから普通に採用されるもんだと思っていたら、
行政はそれを誤発答なんですね。
市長と仲がいいから市の直委になるとかはそういう話じゃないので、
で、なぜか議会も通りまして。
スピーカー 2
議会?
スピーカー 1
議会でひともんちゃくあったんですよ。
市長の友達だからこいつを入れるってどういうことだみたいな。
ちゃんと書類を整え、入ったというような。そんな感じですね。
スピーカー 2
佐久田さんってもともと宮崎の人じゃないんですか。
スピーカー 1
もともとは京都生まれ滋賀育ちなので、全然宮崎じゃない。
スピーカー 2
あ、じゃあ宮崎じゃないんですね。
スピーカー 1
はい、そうなんです。
スピーカー 2
大学は宮崎?
スピーカー 1
はい、宮崎大学だったんで。
スピーカー 2
たまたまなんですか?大学を選ばれたのは。
スピーカー 1
両親が宮崎出身だったので、お盆とか正月の帰省では帰ってたっていうぐらいですかね。
スピーカー 2
ここにちょっと馴染みというか、子どものころからの欠点はあったんですね。
スピーカー 1
はい、それはありましたね。
スピーカー 2
いずれ宮崎で働きたいって気持ちは、大学時代からあったんですね。
スピーカー 1
大学のときに地域の活動をやっていく中で、普通にかっこいいなと思って。
自分の仕事もやりつつ、町の仕事もやる。
っていう二足のわらじをやってらっしゃる大人の人たちはかっこいいなと思って、
スピーカー 2
自分も将来そこに肩を並べてやりたいなと思ってましたね。
町のことをやるっていうのは、それは仕事としてやってらっしゃる方ってことですか?
そうじゃなくてボランティアが?
スピーカー 1
そうそう、ボランティアでみなさんやってて。
スピーカー 2
その時代からそういう方たちが結構いらっしゃったってことなんですか?
スピーカー 1
そうですね、いらっしゃって。
宮崎に限らず、わりとどこでもいらっしゃるんですよね。
ただそういうのは地元じゃないとそういう人たちと出会わないんで、
なかなか現地に行ってボランティア活動とかやってないと出会わないですね。
スピーカー 2
そうですよね。
じゃあそこに、大学時代からそういう地域の活動に支援するようなことをやってらっしゃったんですか?
スピーカー 1
ですです。
スピーカー 2
具体的にどんなことを大学にしてらっしゃったんですか?
スピーカー 1
普通にイベントをやるとか。
スピーカー 2
地域のイベント。
スピーカー 1
そうですね。商店街の活性化イベントとか、年間のスケジュールみたいなのがあるんですよね。
そういったのって基本ボランティアでやってらっしゃるんで、みなさん。
そこに何かの拍子で関わることになって、
街の人たちも変な大学生が来たなと。
おもろいからって受け入れてくれてやってました。
スピーカー 2
そのまま宮崎で就職しようとは思わなかったんですか?
スピーカー 1
そうですね。そこは思わなくて、できることがなかったっていうか、
何かしらのスキルとかがないとだめだなと。
それを得るためには一回外に出たほうがいいだろうなと。
やっぱり10年ぐらい、30年働いて35歳ぐらいのときにまた帰ってこようというような計画でしたね。
スピーカー 2
計画どおりじゃないですか。
スピーカー 1
でも思ったより早く28歳のときに宮崎に帰ってきたので。
ちょっと早かったんですけど。
スピーカー 2
28歳のときだったんですね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
さきたさんと知り合ったのはいつなんですか?
スピーカー 1
大学のときですね。大学生時代。
そうなんですね。
スピーカー 2
じゃあもう大学時代から一緒にいろんな活動をされてたんですね。
スピーカー 1
そうですね。さきたさんも地域活動とかよくやってらっしゃったんで。
当時は県庁職員で、県庁で働きながら地域のボランティアとかイベントのお手伝いとかやってて。
そこで繋がってました。
若き市長の誕生
スピーカー 2
じゃあさきたさんのほうが結構年上なんですか?
スピーカー 1
5歳上。
スピーカー 2
あ、5歳上なんだ。
スピーカー 1
そうなんですよ。あの人若いっすよね。
今でもそう若い感じなんで。
スピーカー 2
若いですよね。市長になったときって35くらいじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね、33ですね。
スピーカー 2
それで田塚さん28だったんだ、あのとき。
スピーカー 1
そうですそうです。
スピーカー 2
若かったんですね、田塚さんも。
スピーカー 1
そうなんですよ。
スピーカー 2
そうか。さきたさんって同い年ぐらいで学生時代からの友達とかそういう感じなのかなと思ったら、
スピーカー 1
一応ちょっと先輩だったんですね。
スピーカー 2
なるほど。初めて出会ったときはね。
社会人と学生だったんですね。
スピーカー 1
そうそうそうなんですよね。
スピーカー 2
でもなんか5歳って、大学生から見たら5歳上って遠からず、でもちょっとお兄さんっていうか。
スピーカー 1
そんな感じですね。
スピーカー 2
年齢差ですよね。
33歳の新市長が28歳の自分の知り合いを連れてきたら、ちょっと揉めるのはなかなかわかります。
そうですよね。
さきたさんはいつか、市長になりたいんだみたいなことはおっしゃってたんですか。
スピーカー 1
ずっと言ってましたね、県庁時代から。
そうなんですね。
県庁の中ではあいつはやばいって。普通こういうのって言わないもんなんですね。特に行政の職員。
確かに。
やっぱり警戒されるんです。知事からしてこいつすぐに出て、将来俺と戦うかもしれないとか思うとやりにくいし。
スピーカー 2
さきたさんはあんまそういうの気にしないんですよね。
さきたさんが県庁で働いてたときって、東さんがやってたときですか。
スピーカー 1
宮崎県が土原化せんといかんって言ってたときですよね。
スピーカー 2
ちょっと宮崎が注目を集めてたときに県庁の職員だったと。
さきたさんって日南出身なんですか。
スピーカー 1
日南出身です。
スピーカー 2
出馬するなら日南氏っていうのもあったんですかね。
スピーカー 1
それはずっと言ってましたね。
スピーカー 2
なるほど。でもそんなさきたさんと田塚さんが一緒に働くっていうことは、前々からイメージがあったんですか。
スピーカー 1
いやー全然全然。僕もさきたさんが、俺選挙に出て通ったらお前日南で働けって言われたときも、
33歳ですからね。33歳の県庁職員と、対抗馬が現職と、県議会議員のトップ当選とかなんですよ。
地方の政治の常識からすると、どっちかだよねっていう感じなんで。
スピーカー 2
現職が強いんですよね、地方選って。
東京とのつながり
スピーカー 1
そうですね。特に2期目の現職はやっぱり最強で。
ちょうどそこだったんですよ、2期目の現職。特に支店もないみたいな。
とトップ当選の県議なんで、どっちかだよなーって思ってた。
スピーカー 2
みんな思ってたと思うんですけど、さきたさん以外は全員そう思ってたと思います。
スピーカー 1
田塚さんも出るって言ってるけど、本当にそんな上手くいくの?ぐらいの最初はテンションが。
スピーカー 2
いやもうずっと、いきますけど変わらないですよね、とかいう感じでした。
さきたさんって一時期東京に出向されてたんですよね、中央環境に。
東京にその頃住んでらっしゃったんで、東京での宮崎出身者のネットワークというか若手の人たちのつながりがあって、
そこから、日南、宮崎どうしていこうみたいな気分が、東京で培われたみたいな話も聞いたことがあるんですけど。
スピーカー 1
そうですね、それもありましたね。
厚生労働省、超忙しいところで出向してた合間でも、休みの時間とかを使って、
特に経営者、宮崎出身の会社を東京でやってる人たちとのつながりをたくさん作ってましたね。
選挙の前にはそこから寄附もちゃんといただいてらっしゃったんで、いや上手だなって思いながら。
スピーカー 2
すごいですよね。
意図してたかどうかわかんないですけどね。
意外と宮崎出身の経営者の方って、今も活躍してらっしゃる若手の方が結構いらっしゃって、
実際に日南市長になられてからも、サテライトオフィスを日南に作ってもらったりみたいなので、
東京で出来上がった、スタートアップとの関係性みたいなのが、日南を一位自治体から新しい取り組みがどんどんできて、
注目を集めるところには、結構その時作ってた東京だったり、宮崎出身者の同世代の人たちのネットワークっていうのが、
結構活かされてたんじゃないかなっていう気がしますけどね。
地域の変革への挑戦
スピーカー 1
それはあったと思います。
東京の若い世代の経営者のネットワークって、ほとんど首長、市長さんとかって持ってないんで、
スピーカー 2
なのでそこと一緒に制作をできたっていうのは、他の自治体との違ったポイントかなと思いますね。
とはいえ、それこそ自治体ってさっきの話じゃないですけど、前例がないとなかなか不安になるというか、みたいな性質もやっぱりあるじゃないですか。
あとはスタートアップ側もどこまでできるのかとか、何をやりたいのかみたいなところも実績もないから、
未実数×未実数みたいな感じのところもあると思うんですけど、
そこに対して、いやいやでもなんかやってみようみたいな感じになったんでしょうか。
それともいろいろ葛藤があったりとか、反発があったりとか、どんな形で組んでいくのか。
スタートアップ側の葛藤は後で田中ゆう子さんに伺えればなと。
スピーカー 1
日南市側の葛藤は全然なくて、
っていうのも、先ほど現職とトップ統制の県議に、ボットでの無名な県庁職員が挑むみたいな構図になってたと伝えてましたけど、
結果ですね、選挙をやると、だいたい割合的には、現職さん、県議さん、佐伯さん4、
スピーカー 2
佐伯さんが一番多く取ったんだけれども過半数は取れてないっていう構図になるんですね。
スピーカー 1
この構図になると何が起こるかっていうと、守るものがなくて攻めるしかないっていう状況になると。
例えば、支持団体とかをつけて7割ぐらい取ってやると、そこに絵の配慮みたいなのがあるんで、
やるときにすごい慎重になるんですけど、何もやらなかったら次再選できないし、
やるしかないと。気にするものもないってことでやるしかない。
スピーカー 2
新しい前例のないことをむしろやりやすかったっていう、そういう政治的な構図はありましたね。
スピーカー 1
これ結構歴史的にもたびたび起こってて、リンカーンが奴隷を解放したとかありますけど、
当時のアメリカ大統領選挙も何人か候補が出れる仕組みだったらしくて、
リンカーンは確かに過半数取れなかったんですね。
特定の大きな支持母体がない中で政治をやっていたので、
ドラスティックな、もちろんいくつかの理由もあると思うんですけど、
その一つとして奴隷を解放しようぜみたいな大きな決断ができたんじゃないか、
みたいなことがあったりするみたいですね。
スピーカー 2
なるほどね。
過半数ではなかったってことですけど、非常に厳しい選挙戦だったと思うんですけど、最初の条件としては。
でもそれでも佐伯さんが、そんな若い方が地方の自治体で一応当選されたっていうのは、
勝因って何だったんですか。
スピーカー 1
勝因はやっぱり、票を分け合ったっていうのが大きいですね。
既得権益側の人たちがちょうど割れちゃったんで。
これ1対1だとたぶん勝てなかったと思うんですよね。
スピーカー 2
6対5で。
相手方が割れたっていうのが一つ大きい。
スピーカー 1
そのときの日南市ってどういう状態だったんですか。佐伯さんが就任する前っていうのは。
一番大きかったのは、佐伯さんが就任する3、4年前に平成の大合併があって、
旧日南市とあとは2つの町が合併して、新しい日南市になったっていう。
もちろん行政的な話でいくと、合併するとすごく有利な条件で借金ができるとか、
補助金がいっぱいもらえるとかそういうのはあるんですけど、
市民からすると、市役所が遠くなって不便だとか。
あとは、一番大きいのは、町の職員が遠くに行っちゃうとにぎわいがなくなるんですよね。
旧役所周辺のお店たちが、ランチとかの需要がなくなっちゃうんで、
そういうので合併はやるべきじゃなかったんじゃないか、みたいな声がいっぱいありましたね。
そういった、ちょっと世論がまだザワザワしている、ちょうどそういう状態での選挙だったかなと思います。
スピーカー 2
日南って、あれなんですよね、何だっけ、スズメノトシマリ、映画。
あの主人公が住んでる場所が、一応モデル、日南市がモデルになってると言われてるんですよね。
そういう、ちょっと風情のある、歴史のある港みたいなのが少しあったりとか、
思う気はあるんだけれども、ただ全体としては、ちょっと人口も減少してて、消滅可能性とし、
そういう感じの、当時は特に、町としての勢いはあんまりないっていう、
スピーカー 1
そういう状態だったかなっていう記憶があるんですけど、
スピーカー 2
なんか停滞感があるというか。
スピーカー 1
そうですね、停滞感はありましたね、やっぱり。
スピーカー 2
市民の方からしたときには、そこって田舎だからしょうがないみたいな感じなのか、
何とかしたいみたいな記憶があったのか。
なんかわかんないけど、自治体が抱えてるムードって、
スピーカー 1
地方としてどういう感じなのかなって思ったりするんですけど、
スピーカー 2
若い人は仕事ないって言って外へ出て行ったりするかもしれないんだけど、
スピーカー 1
昔からずっと暮らしてる方っていうのは、町に対してどんなテンションなのかな。
やっぱり、大多数の人にとっては、今まででいいよって思っている。
生活は全然困らないですね。
もちろん、もっと活性化してほしいし、にぎわいはほしいけど、
私が望むものじゃなければ嫌だ、みたいな感じですね。
例えば、商店街の再生事業をやってる中で、
にぎわいが少ないからにぎわいを作ってほしいとかいう応募が上がってくるんですね。
それで、例えば宿ができたり、IT級のオフィスができたりすると、
多少なりに人の流れが生まれてくると。
市長選挙と支持基盤
スピーカー 1
そうすると今度は、自分が知らない人が歩いているのが怖い、みたいな。
そういう声が役所に来たりするんですよね。
なので、一応、活性化してほしい、にぎわってほしいとは言うものの、
スピーカー 2
活性化してにぎわったりすれば、それはそれで新たな不満も出てくるみたいな。
スピーカー 1
そんな感じですね。
大前提として、自分が負担するのは嫌だよって。
誰かにやってくれるスーパーマンが来て、自分の思い通りの活性化になれば、それはいいなって思って。
スピーカー 2
なるほどね。
今の大多数の人は、そんなに困ってない、みたいなのって、すごくついてるなっていう感じがあって。
もちろんものすごく過疎な場所だとか、交通機関がものすごく不便とか、エリアはあるかもしれないですけど、
多くの人は、「減ってるよね」、「寂しくなってきたよね」って思いつつ、
自分の生活が立ち行かなくなるぐらいすごく困ってるかって言ったら、そうでもない。
スピーカー 1
そうでもないです。
スピーカー 2
そういうのは確かに、すごくいろんな地域であるあるな。
そういう中で佐紀田さんの公約ってなんだったんですか。どういうふうにしますっていう方針は。
スピーカー 1
やっぱり前例のないことをやっていくとか。
全体の方針としては、新しい道などを作るってことで、
これまでの貴重路線ではない街づくりをやっていくっていうところでしたね。
それは支持する人もいたけど、そうじゃない人もいたという状態だったと思うんですよね。
利害関係的に支持しないって分けると、ほとんどの人は支持しないですよね。
今までの特権益の中で生活してる人たちなんで、新しいことをあんまりやらなくていいよっていう感じで。
その中で佐紀田さんが当選したのは、いわゆる草の根票というか、
一人一人の市民の人との握手を通してとか、
小さな公民館でも先生の説明会を目直にやっていくとか、
そういったところでひっくり返したんじゃないかなと思います。
日南への移住と新たな挑戦
スピーカー 2
その選挙活動も田島さんはご協力されたんですか。
スピーカー 1
いえいえ、僕は選挙は全然。
スピーカー 2
あ、そうなんですね。
じゃあ決まってから、市長になるからよろしくみたいな。
スピーカー 1
いつやったら会社辞めるの?みたいな。
スピーカー 2
なるほど。それはなかなか決断は…そうは言われても、確かに前言ってたけどさ、みたいな。
マジで?みたいな感じでしょうか。
スピーカー 1
そう、マジでっていう感じでしたね。
しかも言われたのも飲み会の席とかだったんですよね。
ワイン4杯ぐらい飲んだとに言われて、「あ、行きます行きますよー!」そんな感じだったんでね。
スピーカー 2
実際に当選されて、うまい言ったよなってなって、
スピーカー 1
実際に日南に戻るのにどれくらいの期間だったんですか。
いや、もう2ヶ月とか3ヶ月とか。
一応、議会…当時は全然わからなかったんですけど、議会っていうものがあって、
その議会で最後承認取ってからだから、もうちょっと待っといてって言ってましたね。
そうですね、物議をかましたんでね。
スピーカー 2
友達連れてくるってどういうことだよ、みたいな。
なるほど。
あのとき田塚さんは、もうご結婚はされてました?
スピーカー 1
結婚はされてました。
じゃあ、奥さんも一緒に宮崎に行くっていう話ですよね。
スピーカー 2
それはオッケーって感じだったんですか。
スピーカー 1
それは、妻は北京駐在が良かったとか言ってましたけど。
そうか、中国にも一緒に行ってらっしゃったから。
スピーカー 2
中途半端になりたかったわって言ってましたね。
なるほど、そうなんですね。
でももう佐久田さんに言われて、約束しちゃったし行くしかない、みたいな。
スピーカー 1
そんな感じだったんですね。
スピーカー 2
それはサラリーマン辞めるのは怖くなかったですか?
スピーカー 1
言ってましたからね。
スピーカー 2
ギリがない。
記憶がありますしね。
残念ながらあったんですよね。
でも元々ね、宮崎のために働きたいなって気持ちは元々あったから、
これはチャンスだっていう気持ちもあったってことなんですね。
もちろんそっちがメイン。
じゃあちょっとね、そんな勢いもありつつ、でもチャンスだと思って、
日南に移住することにしたと。
日南に住むのは初めてですよね、そのときね。
そうです。
っていう、日南での新しいチャレンジが始まるわけですけど、
結構民間から行政の中に入ってっていう話なので、
またいろんなチャレンジがあったんじゃないかなと思うので、
スピーカー 1
2本目はその話を掘り下げたいなと思います。
30:49

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