宮崎についてのリノベーション
はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
今晩は、宮崎市の隣、日南の方からですね、宮崎を語りにやってきてもらったんで、
宮崎のことをいろいろ話してきたらなというふうに思っております。
というところで、タイトルコールいきたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、建築土木学生向け就活総合サービス、コンキャリート、スタイリッシュなキッチンや、
専念のウェブ販売といえば、ミラタップの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪と宮崎でリノベーションをやっています。美想空間鯛島です。
こんばんは。アシスタントの三浦です。よろしくお願いします。
危ない。
何と言おうとしてますか?
いやいや、大阪で普通にサラサラとってまいっちゃったんでね。
今日は特に僕、宮崎人としてね、話をしたかったんですけど。
今日、宮崎について話をするんですけど、
宮崎、いわゆる市、地方都市でね。
でも僕がするとめちゃくちゃ面白くて、それがなんでなんかなっていうのをね、
それこそ地方都市にちなんでね、やってる世塚くんと話できたらなっていう風に思っている。
プラス三浦さんも先月、先々月かな?
そうですね。
会社のメンバーで宮崎遠足に行かせてもらったんでね、語るとこいっぱいあるかと思うんで、
やっていきたいと思います。
鬼塚純三の経歴
この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍するサタイナクリエーターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションをお送りします。
じゃあ早速、先生をお呼びしましょう。
本日のゲストをご紹介いたします。
パークデザイン株式会社代表取締役、鬼塚純三さんです。
こんばんは。
こんばんは。
よろしくお願いします。
お願いします。
今日ね、待ち合わせを若干ミスって、僕らより先に来てて。
巨匠感がね、なかなか、背大きいでしょ。
はい、185あるんで。
で、色黒でしょ。で、今日全身真っ黒でしょ。巨匠感なかなか。
確かに、諸道家みたいな。
そうそう、諸道家とか。
でも実際、日南の鬼塚くんやってるやつ全部、ほんまに、なんだろうな。
あれは、なんて表現したらいいんかな。安っぽい単語になりそうやから。
あれやけど、かっこいいって言いそうだったよな。かっこいいは良くないなと思って。
デザイン性が高くて、僕らがあんまりチョイスしないようなことをね、やってるんで。
多分感性はすごいんだろうな。
ずっとね、僕は世界に羽ばたく鬼塚くんだと思っているので、まだね、我々なかなか評価を受けないとかね。
聞いてもらった通りで、宮崎で鬼塚くんとはいろいろプロジェクトやったりだとか、やってるんで。
ざっくばらんにね、今日は宮崎についてだったりだとか。
ただ、うち美装空間もだし、パークデザインも新規事業を宮崎でやるんで、
それの話を切り口に、なんで地方がおもろいんかなみたいな話をできたらなと思うんですが、
一旦ちょっとね、鬼塚氏、今に至るまでを話しできたらなと思うので、まずは紹介をお願いします。
1983年、宮崎県日南市生まれ。大学進学とともに東京に移住し、大学院設計事務所を経て独立した後、Uターンで故郷に帰る。
商店街活性化のための取り組みをしていた油津応援団を経て、
2017年、日南市の尾尾城下町にある建築デザイン事務所、パークデザインを設立。
地域資源を生かした循環型の仕組みを作ることを常日頃考えている。自転車いじりと甲羅作りが趣味。
二拠点での活動
ちょっと初めて聞いた趣味が入ってきたけど。
それちょっと前のやつですね。
常日頃考えてるんですね。
結構会うから、本当に深くいろんなことを聞いてて。
ただちょっと知らんかったなと思ったのが、Uターンで故郷に帰って、まずは町づくり会社の油津応援団にジョインしている。
それは僕知らんかったですね。
地元の市内、同じ市内の中にある港の方、今いるのが山側なんですけど、
その港の方の商店街のところでまずはUターンして、そこをきっかけでUターンしましたね。
東京行って、もちろん東京行く前は高校生だったはずなんですが、高校の時から建築を目指していたきっかけは何なんですか。
父ですね。父が役所の職員なんですけど、建築指導家とかそういったところに従事してて、建築技術者として従事してて、
家だったりあったりするときに建築の話とか。
必然的なものならそんな話が。
多かったんですよ。車運転してて信号止まって、横を見たらこれはいい絵だとか。
小さいながらにもいい絵なんだみたいな感じで思ったのがきっかけで、そういうのを長年すり込みに近い形で聞いてて。
気づいたらもうけいに作りに行くんかなみたいな。
うんですね。あんまり迷いもせず、他を見ることもなく。
お父さん会いました?
お休みでしたよね。コーヒー屋さんね。
ちょうど。
それこそ多分5,6回事務所行ってて、1回だけ会ったことがあるんです。めっちゃそっくり。
ほんとですか?
しゃべったら、言語のリズムも顔もサイズ感とかももうだいたい一緒。
ちょうどパークデザインの事務所が2階で、1階がコーヒー。お父さんが今やってらっしゃるコーヒースタンド。
コーヒー屋さん?
コーヒースタンドに近いで、焙煎場もやってます。
全部ね、やってるところで。
なんで、鬼塚純三高校生の時はもうすでに建築家になるみたいなイメージ?
なんか漠然と建築家みたいな像は描いてましたけど、でもまだよくわかってないじゃないですか。
実際大学行ってから、いろんな分野というかカテゴリーがあるんだっていうのを知って。
大学は東京に行くは確定?
あとはどこに行くかっていうのも学力の話みたいな。
その時の担任の先生が東京の大学に行ってて、割と理系の数学科とかっていうところに行ってたんですけど、建築をその先生も目指してたみたいで。数学科に行くか建築に行くかみたいな。
でも物理が苦手だったから、物理が出てくるじゃないですか、建築って。構造力学とかで。
多分それが苦手だったから数学科の方に行ったっていうので、建築に行くなら東京だっていうふうに背中を押してくれたんですよ。
なんで東京にはなったみたいな。
一択になりましたね。
物理をね、物理が僕も苦手だったから科学に行ったんですよ。化学の方ね。物理は高3の時に辞めたんですよね。
だけど多分実際建築行くのに、物理は後からでも全然よかったよね。あれちょっといらん壁よね。
多分潜入感もあるんだと思いますけど、僕も実は物理あんま得意ではないんですよ。数学の方は得意なんですけど。
先生があんまり教え方が上手じゃなかったのもあって、高校の時の。
物理が得意じゃなくても建築は行けるよねみたいな。
全然ですね。必修科目で物理の授業が3つあるんですけど、それをなんとかパスすればいいので、それはなんとかなります。
東京の建築の大学に行って、大学院まで行ったよね。
行きました。
結構専門的に建築を学んだ領域は何をやってたんですか。
衣装設計ですね。
今のは。
大学院の3年後半から4年生ぐらいになった時に、研究室を選ぶんですけど、その時に衣装系の先生のところに入ったっていう形で、その後もそのまんま大学院まで行ってる。
設計事務所はアトリエ系?
いわゆるアトリエ系の小さい個人事業主みたいな形の設計事務所に進卒で行って。
何をやってるような会社ですか。
その時の担当させてもらったのは、新築の住宅、小規模商業ビルも1軒やって、あとは意外に内装工事とか、まだ若手の頃だった事務所でもあって、年間10軒から20軒ぐらいアパレル系のSC系のショップの設計を結構やってました。
小遣い稼ぎ的な感じで。
で、独立したのは東京でよね。
1回東京で独立しました。
全然食えるイメージが持てなかったみたいな話を聞いたような記憶があるけど。
1年ぐらいやってたんです。1年半ぐらい。
東京でね。
ちなみにどこ住みやったんですか。
その時住んでたところ。
笹塚っていう駅の近くで、杉並区ですね。
笹塚は渋谷区と中野区と杉並区の境らへんなんで、住所がいっぱいあるんですけど、杉並ゾーンにいましたね。
で、やったが、なかなか設計事務所で。
最後の方は割と大きい会社の業務委託みたいな形を受けつつ、自分の仕事もしつつみたいな感じで後半はやってて、食えてはできたんですよ。
食えることはできて。
で、最後やってたのが銀座のちっちゃい9席ぐらいのお寿司屋さんを、その時前の会社先輩と一緒にやってて。
割と自由にやらせてもらってたような形なんで、自分の物件みたいな感じでやってたんですけど、やっとできるようになったなと思いながら、
ちょうど、そんなに言っても忙しくないので、宮崎の故郷に2,3年に1回しか帰らないような生活をしてたんで、
おばあちゃんとかおじいちゃんそろそろみたいな感じもあるかもなと思って、顔見とかないかと思って帰るようになったんですよ。
半年に1回とか4ヶ月に1回とか。
それ何歳ぐらいの時?
28とか9とかじゃないですか。
それそもそも論だけど、宮崎で日南で生まれ育って高校生まで行って、大学は東京に行くわ決まっていた。
東京に行った時に戻ってくるイメージとかって持っていた。
もともと戻るつもりだったのか、そのまま巨匠館で行くイメージだったのか。
いや全然後者で、もう戻る、Uターンする直前の1ヶ月2ヶ月前まで、全然戻る気なかったんですよ。
戻ってもしょうがないやろなぐらいの感じで。
ということは就職して、でっちぼうこうしていて、独立して、下請けではあるが食えなくはない。
お寿司屋さんを銀座の店舗を先輩と一緒にやったりして、なんか俺やれるぞとタイミングで、たまたまちょっとおばあちゃんの顔も見とかなあかんよね。
帰るようになったのが戻るきっかけになったみたいな。
そうですね、最初のきっかけはそれだと思いますね。
てことは今日三浦さんとね、なんか宮崎のことをお話ししたいよねっていう話をしてたときに、
自分の住んでる街をリノベーション的な感じで盛り上げようっていう活動をする人と、たぶん鬼塚くんもそうだと思うんです。
で、僕住んでるところでやろうってなったことが一回もなくて、気持ちにもなったことがなくて、
これの差はなんなんやろうなみたいな話をしてて、なんかその辺の話につながったらなって思うんだけど、
元々で言うと、だから戻る気がなかったのね。
1、2ヶ月前まで戻る気なくて。
てことは戻ってまさかそんな帯の城下町やるぞーなんて言ってるなんて思っていなかった。
全く。
ちょっとそこがどうなったらそっちに向かっていくのかをちょっと掘り下げて聞きたいなぁなんですけど、
2、3年に一回戻るやったのが半年に一回戻るになった。
そうですね。2、3ヶ月に一回とか頻度高いときは戻ってましたね。
それは何しに?
東京にいながら日南でも仕事ができないかなと思って、
二拠点的な活動ができないかなと思ったんですよ。
それできっかけ探しみたいなので、2、3ヶ月に一回帰るようになって。
それって周りでそういうことをしてる人がいてた?とか。
いや、いないですね。
30歳ぐらいのときをね。
そうですね。29とかだと思います。
13年、4年前。だから2010年ぐらい。
たまたま自分のタイミングはそういうタイミングだったし、
今までずっと東京行ってから13、14年の間に宮崎帰ったのがたぶん3、4回ぐらいしかなくて。
ちょっと帰っておこうかなみたいな。自由になったし。
学生の後半からも帰らなくなったんですよ、あんまり。
忙しくて。
ちょっと課題が忙しいとか。
設計事務所に入ったらかなり忙しいじゃないですか。もう一段階。
全然帰らなくなって。お金もないし、大学院時代からずっとバイトしてなかったんで、お金がなく。
帰るためにも何万もいるじゃないですか。だから帰れなかったみたいな結果。
ちょいちょい帰るようになったら、なんか二拠点でできひんかなって思うようになり、
それはさらに仕事につながっていくきっかけみたいなのはあった?
一個宮崎でその時、仕事になるのかなどうかなみたいなプロジェクトがあったんですよ。
日南で?宮崎市で?
地域活性化のプロジェクト
日南で。
日南で。
それが先ほど読んでくれた、商店街活性化に取り組む油津応援団という会社に従事したのがきっかけで、
結局ガッツリ戻ってきたような形なんですけど。
油津応援団の取り組みは、当時のむちゃくちゃ若い市長が、油津の商店街をリノベーションまちづくりみたいな定義付けをして、
結構声あげて、国の予算とか市の予算とかを取って、物件をリノベーションしてっていうので結構ワッて、
何年前?10年?13年前?
10年前ぐらいじゃないですか。
すごいフューチャーされてたよね、日南の油津商店街。
そこのプロジェクトにちょっと関わって。
最初ですね。
その時はそれの設計として。
設計として関わりたいなと思って、ちょこちょこ打ち合わせに参加したりとか、
何かお仕事ないですか?的な顔をしながら、いろんなイベントに参加してたりとか、きっかけを。
若彼氏、鬼塚。
どんなやつだろうね。
ひと夏っ子イメージは多分、
ないですよね。
僕は年上でちょっと上なのよね。
で、ほら、僕体育会系の人間なんで、1個下はね、
いや、それこそ絶対だろうみたいな感じのスタンスなので、こうなんだけど、
多分、28,9の鬼塚、やばいぐらい尖ったと思う。
なんかね、
やったってもいいけど、みたいな。
2列ぐらい向こうの方から、って感じで見てそうな感じがありますよね。
それはそうかもしれない。
で、またサイズもでかいし、
なんかこう、東京行って鬼塚くんみたいな感じが当時ね。
あったと思いますね。
で、ちょこちょこプロジェクトに触る程度の関わり方をしてたんですけど、
設計はしてたわけではなく。
ポッドでのペーペーに、今思うとわかるんですけど、
ポッドでのペーペーにそういうのを、わりとこう、
街の維新をかけたプロジェクトの部分的だとしても任せられないなとは、
今思うとわかるんですけど。
当時はわかんなくて。
なんでだよとか思ってましたけど。
で、それが関わるきっかけには。
実際、ちょこちょこ最初、わりと商店街事業ってソフト事業とかイベントとかやったり、
マーキュア対策の内見会とかをやったりとか内覧会とか。
ソフト重視でやっていた?
わりと1、2年はやってて、そのうち国の補助事業が決定して、
中核施設みたいなリノベーションをして、
ちょっと大きめの千平米ぐらいの建物のリノベーションを。
スーパーマーケット、カープ博物館がある建物。
ちょうどこの間入った施設です。
あれをがっそりリノベーションする?
リノベーションするっていうのは決まって。
予算が取れて。
取れましたってなった時に、設計やりたいなと思ったんですけど、設計はコンペするって言われて。
それ日南市で?
全国で。
その時結構盛り上がって、100社ぐらいの提案書がバッて届いて、A1パネルみたいな。
それって予算はどれくらいの?
市も関わりながらだから、建物の工事予算は1.5億ぐらいです。
1.5億の設計コンペ。
で、まちづくりも関わってて、集まるか。
で、オープンコンペで資格とか実績とかをなるべくほぼなくて、誰でも出していいよみたいな感じにしたんで、
で、広報も結構、事務局僕がやったんですよ、それ。
なので、若手設計事務所がどこのサイトを見てるかは知ってたんで、そこにアプローチしたら結果的にバンといっぱい集まって。
それ自分でも出した?
いや、もう事務局にやってって言われたんで、諦めたんですよ。
まあ、そっそいね。それは鬼使うとなりにくいよね。
そこで1回ちょっとコンペするよってなった時に、それって出せるんですかね?みたいな議論を内部でしたんですけど、事務局やってほしいから、やらない方がいいんじゃない?みたいな話。
大人の需要でそこには関われず。
で、ただ事務局をしたことによって、プロジェクトとしてはうまいこと成功して、で、ちょっと認められたみたいな。
いや、そのプロジェクトでは特に。
ただの事務局。
事務局やって。
まだ来ない。
コンペ要項とか、目的とかいろいろね、ああいうのを作って、広報かけていって、あと受付とかやったりしてたんですけど、そのプロジェクトでは結局建設に入るじゃないですか。
で、設計事務所、通った設計事務所と、僕が窓口になって、発注者窓口みたいな。
なるほどね。
建設担当みたいなので、2人、設計者と両者で、2社でいいもの作っていこうみたいな感じで、いい感じで物はできたんですけど、別に設計の評価が上がったとかはなくて。
で、その後に中核施設ができたら、その中にテナントを入れていくみたいなのが決まってたんで、そういうちっちゃい仕事から始められそうかなみたいなのはありましたけど。
設計哲学の形成
で、きっかけがあって、アブラッツの方で帰ってくるきっかけになった。でもその時って、もう拠点は2拠点?
一時2拠点でした。半年ぐらい。8ヶ月ぐらいは。
本当はもう引き払って帰ったんだ。
そうですね。
そのあのコンペをやってる時はもう帰っていた?2拠点。
途中ぐらいだと思います。
で、終わって帰ろう。それは帰ろうはどっち?日南の方をやっぱり盛り上げたいなのか、東京はもうちょっときついなのか、それはマインドでどっち?
全社ではありますね。それを2つあって、2拠点生活が結構両方から収入はあったんですけど、東京の固定費ががっつり10万。
高いよね。
多分普通に家賃とか水耕熱、ネット代とかかかる。で、移動費かかる。15万から20万ぐらいポンと出ていく。
でもそんなまだまだ若手の時なんで、20後半ぐらいは油津の方からもらってたりとか、こっちの収入であったりしたんですけど、
手取りというか、実際に箇所分所得みたいなやつが超少なくて、これ無理ゲーじゃないかなって思い始めた。どんどん減っていったんですよ。
なのでちょっと無理ゲーだったなぁと思ったのが一つと、あとはさっき言われたように、こっちの方が地方の方が面白いんじゃないかなって思ったのがきっかけ。
そこです。やっとたどり着きました。
捕まえた。
地方の方が面白いんじゃないのかなって思ったのは。
ちょうどさっき言ってた銀座の寿司屋さんと、地方に戻るタイミングがちょうど同じぐらいのタイミングであってて、
ちょっと前に寿司屋さんオープンしました。きれいにできました。お客さん入りました。っていう状況があって。
ほぼ並行して、商店街内に第1号店となるカフェができました。2号店でイートインがある豆腐屋さんができます。
それの設計を僕がやってたんですよ。
斜め向かいぐらいの。
あそこの設計をやってて、寿司屋さんのちょっと後にオープンしたんですけど、豆腐屋さんのオープンの時って、町の人、行政の人集まり、テープカットみたいな。
そんなまだ300万ぐらいしかかかってないような、頑張って頑張ってなんとか作り込んだ豆腐屋さんのオープンに、町の人100人ぐらい総勢集まってテープカット。
できたーみたいな。
みたいな感じの状況と、銀座の寿司屋さんは淡々とタベログに載ったりとか評価されたりとか雑誌に載ったりとかはありましたけど、銀座ってああいう7丁目の雑居ビル街なんで、飲み屋街。
何にも町への、誰も喜んでないわけですよね。
一テナントを作ったよね。
銀座っていう町ではありますけど、町への影響力って考えると、同じような小さな店舗が町を変えることができる方と、別に影響力特にない、ただの資本主義でできたテナントとって考えた時に、
僕は地方の小さい影響力のあるテナントとかの仕事に携わる方が、性に合ってたり好きだなと思った。
それってね、これ最近言語化できてきている言葉で、まだシンクって話せないんだけど、僕、1対Xみたいな言い方をしてるんだけど、
1対1のクライアントがいてて、このお客さんが困っていることを解決することにしかあんまり興味がないのね。全く。
で、その結果、町に波及しているのは結果論であって、
でも本来は、例えばそこの豆腐屋さんのオープンの時って、豆腐屋さんの建物のオーナーさんがまずいてるよね。
で、このオーナーさんがこの建物どうしようかなって困っている。
で、じゃあ何がいいですかね。で、一回なんかいい感じのやつリーシングしてみましょうか。で、募集をした結果、豆腐屋さんが来た。
じゃあテナントとして決まる。このオーナーさん嬉しい。で、次ターゲットが豆腐屋さんに変わって、いいお店作りましょうねに変わるわけですよ。
なので常に1対1で、で多分大石川君に言ってた、町の人がいっぱい来てっていう、そこに対してはあんまり、結果的にはそうなって良くなっていったらいいなと思ってるんだけど、
あんまりそこに、もともと僕はモチベーションがないんやけど、大石川君は結構そこにモチベーションがあるってことかな。
それもあると思います。設計する途中も行き来してますね。クライアントさんが喜ぶことは割とすぐ分かるんですよ。
多分まあそれは訓練だと思いますけど、でもその先に社会だったり町がこれを作ることでいいことあるのかなっていうのを考えたり、
それが逆にクライアントさんが喜ぶのかなとか、社会に寄りすぎるとクライアントを無限にする場合があるから、でもクライアントさんの方が絶対なのでそこは満足しつつ、
延長線上で町にもいいことする、環境にもいいことする、みたいなことを行き来しますね。
もちろんそれは僕も同じで、もちろん考えるんだけど、結果そうなったらいいし、その結果がエリアが良くなって、
だったらオーナーさんが結果的に路線価が上がれば家賃に還元できるし、売却する時には売却費に乗るよねっていう考え方で、
あくまでもスタートはこのオーナーさんが良くなることにしかあんまりモチベーションがない。
なので広くふわっと帯の町良くなったらいいよねっていうところの発信のモチベーションがあんまり僕にはないよね。
で、三浦さんと話をしたのが、その話になって、ってことはオーナー近くは一体Xできるタイプだよね、そうだよね、みたいな話をしてて、やっぱりそういうことだよね。
そうですね。どっちかっていうと多分クライアントさんよりは、もちろんクライアントさんに話す時はクライアントさん100%ですよとは言いますけど、
どちらかというとその奥に見えてる景色の方を優先してるかもしれないですね。
だからその次今やろうとしている、洋館を使った梅村亭っていうプロジェクト、ちょうどクラウドファンディングが終わって、
社会への影響力
おめでとうございます。
ありがとうございます。
我々も頑張りましたんで。
あのプロジェクトみたいなことが多分できて、多分応援が入るんじゃないかな、仕組みとしては。
多分その本当に純粋無垢に街のために行って思うようになったが、今ないと思うんだけど、でもベースは別にそうじゃなかったわけじゃない。
東京行って、俺は一股ぶち上げるぞって、たまたまでも2拠点もできんかなと思ってやってるし、無理ゲーじゃねえってなって、
東京を切り捨てて地元に帰った。ただ僕らと違うのは、地元に帰ってるんですよね。
地方都市にちなんに、東京行っていろいろ修行した結果、いろんなものを吸収して持って帰ってやっている、これがあるんやけど。
ベースとしたら、だから街のためにみたいな発想を持ってるってことだよね。
ですね。多分あると思います。
なので、後半に梅村邸のプロジェクトが今後動いていくので、それがどんなプロジェクトなのかと、
さっきの街のためにどう波及するねみたいなところを、僕らが宮崎市内でやるボリュームっていう新しい施設と、多分これ結構対比になるんですよ。
僕は1対1発信でメンになったらいいなって思ってるけど、結果は一緒やねんけどね。思いのところとか。
ただアプローチが違うなと思って、そこに後で掘り下げれたらなと思うので、とりあえずコーナーの方に行きましょうか。
学生のうちにこれやっとけということで、
学生…はい、どうですか?
前、「やっとけー!」やったのに、最近なんか静かやなって思って。
リアルタイムじゃないっていうだけで、なんかすごい調整…
学生へのアドバイス: 海外旅行
ここ最近静かに、「やっとけー!」
ちょっともう一回行きますね、じゃあ。
学生のうちにこれ!
コーナーはこうやるべきなの。
ということで、こちらのコーナーは建築土木の就活サービスコンキャリを利用されている建築土木学生さんに向けて、業界の大先輩からアドバイスをいただこうというコーナーでして。
バリバリね、建築学生だった鬼塚さんが。
学生の時にやっとけーはありますよ。
これやっとったらよかったのに。
ありますか、はい。欲しいです。
僕もやったから結果的に良かったのと今思えることでもあるんですけど、
長期海外旅行に行っとけーですね。
結構言う人多いですね。
結構多いね、海外行っとけー。
本物見とけーみたいな。
どこに何しに行ったんですか?
結構色々行きましたけど、アメリカも行きましたし、ヨーロッパは長期で2回行って、
似たような北欧からドイツ付近まで、イタリアまで下に降りて、みたいなこともやりましたし。
それは別に何か目的とかじゃなくて。
建築を見るですけどね。建築を通した場所場所の文化が違うじゃないですか。
それを感じるためにですね。長期旅行っていうのがポイントかもしれないですね。
コロナの時はちょっと行けなさそうで、かわいそうだなと思ってたんですよ。
そういうことも学生にアドバイスできない時期だし、3、4年は。
ですけど、もう行けるので、もうぜひ行ってほしいなと思いますけどね。
だからあんなデザインの感じになってるかもね。
なるほど。
色々要素を自分の中に入れるっていう意味合いですかね。
経験をしろと。
それで言うたら三浦さんもね。
何ですか?
海外バックパック。
そうです。出ちゃいますけど。
でも私も学生の時にアメリカ行ってますから。
モノ本を見るっていうのは円溜めのモノ本を。
あ、円溜め。
ニューヨークの方。
ラスベガスとロサンゼルスに行って、すごいなってなる。
海外行っておくっていうのは大きいかもですね。
でもこれ対比になるかもですが、僕初海外が20、すっげえ後なんですよ。
学生の時に一回も行ってないな。
海外って、日本の経緯全部言った?全部言った?
言ってんやろ。
嫌ですね。
意味分かる?
色々言いますよね。
よりももっとやるべきことはいっぱいあるやんか。
ありますよ。もちろん。
俺は言っちゃってたけど、あの時の俺に言いたい。
絶対行ってけ。間違いないですよね。
ポイントは長期じゃないですか。
今、社会人だって思うんですけど、一週間以上あんまり空いたことがなくて、何もしてない時がなくて。
目的を持って行くんだったらいけますけど、何も目的もなく行くっていうことがもうできない。
ソワソワもするし。
ずっと携帯見ながらクライアントさん来ないかなとかなりますもんね。
何もない状態で長期行くっていうのは、もう学生の時にしか行けないと思うので。
この間ね、沖縄行ってね、一回座間見に行ってて。
そこの雨降ってて、低気圧着てて、大会とかも全部中止になったんよ。
雨降ってるけど、山登ろうか。山登って行ったんよ。
上にピークのところに小屋があって、そこに黒人の人がいてて、一人で。
タイのサッカーのユニフォーム着て。
カオス。
そうそうそう。どういうことかなと思って。
そんな場所やし、どこから来たんですかみたいな感じの会話になるでしょ。
そしたら、タイから来たみたいな。国はイギリスみたいな。
今3ヶ月目ぐらいで、フラッと世界中旅しててみたいな。
じゃあ明日からどうするの?決めてないけど、どっかいいとこある?みたいな。
僕ら大阪行ったら、大阪行ってたこ焼き食べといてみたいな話をしたんだけど。
そういう目的があんまりない旅って、たぶん大人になってからやるって。
本当にその人は仕事を金融マンやって、辞めたタイミングで。
お金持ってて、33ぐらいかな、3,4,5ぐらいで。
うわ、ええな。
いいっすよね。
こういう旅べき日だって思ったんで。
学生のうちは、買いに行っとけ。これも一択やね。
ちなみに資金はどうやって集めてたんですか?
仕送りもらいながら、超バイトですね。
たぶん、普通のフリーター並みに働いてましたね。
でも、あれ誰だったっけ、前回か前々回か前々前回ぐらいでも、全く同じこと言ってて。
もう学校行かずにバイトずっとやって。
誰の会だったかな。
ナヤ先生だった。
ナヤ先生だ。
先生だけど、みたいな感じで。
授業でんでいいからバイトしろ、みたいな。
で、海外に行け。一番結局いいんやろうね。
その時で、今の方がまだ時給高いですけど、20万近く稼いでましたから。
でもそれを全部海外旅行に。
とか、遊びにも使いつつ、でもまだ残るんで、そんぐらいあると。
まあ、仕送りもあるから。
なるほど。
まあ、結論は海外に行けってことで。
そうですね、学生の皆さん。
どんどん海外に行こう。バイトしていこう。
建築はね、仕事してから嫌でも学べるんで。
建築デザインのアプローチ
いや、そやね。ほんまそうだわ。今、エコと言うたね。
ほんまですか。
建築って、ほんまにそうやわ。
だって学生のうちって、たぶんほんとに制限なく、何でも言いたい放題ではあるが、その枠を取り外すのってたぶんどんだけインプットしてるかやから。
勉強はほんまに嫌顔でも、働きだしたらやらなあかんしね。
そうですね。
今、エコと言うたね。
ほんまですか。
もう一回言いますね。建築は、社会人なんてからでもね、いくらでも勉強できるんで、今海外旅行に行きましょう。
行きましょう。
ということで、後半に戻します。
なんで、海外に行って、地方もね、いいよねってなり、地方に戻ってきました。
僕は一人の顔から始めて、そのエリア、そこに関わる人の顔が見えてくるみたいな感じなんですが、
オニスカックの場合は、顔が見えないが、ここの街に関わっている人のため、みたいなスタンスで、物事が切り取れる。
たぶんね、これだから真逆のスタンスなんですよ。
どっちが言い悪いはたぶんなくて、ただ、どのように仕事にアプローチしてるのかっていうだけの話で。
なんで、たぶんむっちゃそぎ落とすと、僕からのアプローチは、一つは終始なんですよ。
絶対的に、まず終始成立があって、そのクライアントさんのために、彼らが見銭を切っているのはやっぱりおかしいっていうスタンスになるので、
絶対的に収益が一番最初に来るのかなみたいな。
結果、社会的環境、社会的意義になったらよりいいよねの考え方なんですよね。
ここがたぶん。
順番違うような気がしますね。
そうなんですよ。
社会的意義、それが言い悪いは、たぶん経済的に言ったら正解ではないと思ってはいるんですよ。
いるんですけど、信念とか社会的意義の方を優先して、これを成立させるためにどうするか。
で、終始を合わせにいく、みたいなロジックの順番ですね。
この間、梅村邸の説明をギュッと簡単に。地区何年の物件で何年くらい?
地区100年の大正時代の建物。
洋館ね。
洋館を和洋施設の建物なんですけど、それを再生して商業施設、観光施設にしていくっていうプロジェクトをやってます。
敷地は結構大きいよねあれ。
そうですね。650坪ぐらいあります。
650坪の帯の城下町にある洋館。それを大きい駐車場を通った、結構街の観光の旗印になるような建物に作り替えようというプロジェクトを立ち上げている。
で、これたぶんアプローチが、じゃああの建物だったらこんだけ予算回収いるからって考え出すのが僕のスタートだが、
この近くの場合は、これ作ったから街へのパフォーマンスをやるぞーって。
そっちが先ですね。
ですよね。ほんで進んでいったから、あれちょっと待って、金結構つつねみたいな話で、でもなんとかついつまを合わせていく。
そっちです。今もまさに資金調達、やっとなんとなく目処が立って、まだ仮決まりぐらいの状態なんですけど、本決まりじゃないんですけど、合わせにいってる感じですね、長尻も。
僕ね、一番最初にまだ改装に着手する前にその物件見てんすよ。これ買うんですよか、今契約実行前なんですぐらいのタイミングで見てて、いやいやいやデカすぎん?ってまず思ったわけ。
で、大概僕もその値打ち外れてるけど、これ再生するイメージはどんな資金のイメージがあるのかなって正直思ったよね。
まずスタートはそこ。もちろん口にはしてない。
で、次行った時はそれが取得されていて、中入ってみると、うん、やっぱりかかるな。
で、次行った時はもう外壁の改装が始まってたのよ。
で、その次行った時に驚きあったのが、建物の伝統建築物をちゃんと保存しましょうっていう地区だから、外観は元に戻していってくださいねが大前提なんですよね。
復元修理が大前提ですね。
だから、同じものを使う必要性までは問われない。
なんで、窓枠とかの水切りとかが、全部銅で巻き直せたよね。
この間行った時、ちょうど僕ら遠足に身に着かせたタイミング、銅で巻いてて、ちょっと待ってこれむちゃくちゃ金かかるんじゃねえの?って思って、
僕なら即多分、風に戻すところではあるが、多分そういうことちゃうねと。
そこは絶対的に必要な、これは社会的激怒かっていうよりも建築的こだわりのところよね。
職人的こだわりの部分だと思いますね。
これ全部銅でやってるわーって思って。
実際既存の建物も銅が使われてる部分もあり、年代的な補修とかを繰り返していく中で、トタンだったりガルバリウムだったりっていうところがちょこちょこあったんですよ。
それを全部一回取って、一番最初にやられてたであろう銅版でやり直しっていう。
それよく見てましたね。何もちゃんと言わなかったんで、説明はしなかったんで。
心の中で、僕はもうすぐ電卓を弾くので、パチパチパチパチですよ。
そうですかーって思いながら、だからアプローチが違うから、これね、すごくいいサンプルなんですよ。
確かに。
こっちとこっちで。なんで、どうぞ。
いやいや、だからぽいって言われちゃうんかなーみたいな思ったんですよね。
見た目のところでしか、やっぱりね、第三者が見た時に、物体しか見ないじゃないですか。その過程は見ないじゃないですか、あんまり。
この物体を見た時に、やっぱり鬼塚さんの全神経尖らせたこだわりの建物を見たら、やっぱり建築家さんが作るものは違うなーってなるのが。
でも社長が作るものは、ちゃんと過程を鑑みて、できる範囲で、今はこれがベストだを作ったけども、それを見る人にとっては、なんかぽいことやってるなーに見えちゃうんかなーみたいな。
ぽいことやってるっていうより、目的が全然違うのかなーと。
目的が。
クライアントがいる場合は、そのお客さんの収支のために、もちろん成立させるために、これ集客的にピークを復元っていうところで持ってきたら、絶対多分それをすると思うけど、じゃなくて、結局リーシングって何ともなって収支が立つなら、
じゃあこの場合は別にどうじゃなくてもいいよねみたいな選択肢を取るような感じ。
だから、すごいほんまにアプローチが全然違うんだね。
結構僕もいろんな人に話したり相談したりする中で、だいたいちゃんとしたビジネスマンとか事業やってる方はこちら側ですよ。
皆さんそちら側の人からだいたい怒られます。こんなのかけちゃダメだよって。
だいたい怒られて、でも分かるからしょうがないんだよねみたいな。
鬼塚くんはそんなのがしたいんでしょうみたいな。
諦めてくれて、ちょっと支援いただいたりとか、バックアップとかアドバイスいただいたりとか、そういうふうにしてくれたりもしてますね。
建築とアートとデザインと、これは何ていう単語?建築、デザイン、アート。
デザインとアートの違い
多分これって切り方取り方で人によっても違うだろうし、こだわりの部分って結構デザインって呼んだりするし、アートって呼ぶかもしれないみたいな。
自分の表現なわけで、多分僕側のスタンスにアートっていう概念はほぼ多分ゼロだと思うんですよ。
デザインの概念はもちろん持ってはやっているが、アートっていう概念はなくて、アートを否定したいとかじゃなくて、
自分の表現をやりたいからの前に、なんでやんねやろう、意味みたいなのを考えちゃうんやろうね。
アプローチがちょっと違うんやろうな。
の結果、今プロジェクト自体は、なんとなく資金のところは目処が立ってきてる。
あんなもんが日南でできたらえらいなと思うけどね。
僕らも見たら、メンバーもできるタイミングで絶対に行くってみんな言ってた。
まあまあ、ビフォーを見てて、ちょうどビフォーを見てて、アフター見たくなりますよね。
まあそれもあるか。
まあ想像しちゃうじゃないですか。ビフォーを見て、こんな感じになったらいい感じやろうなとか、こんな感じだったら多分自分の価値観的に個人個人ですよ。
まあダメやろうなっていうのを皆さん見てらっしゃると思うんですよ。
で、どれを行くんかなとかっていうのが楽しみじゃないですか。
実際、街歩きとかしたときに、SNSではすげえキラキラしてんじゃんみたいな感じで、実際行ったら全然なんもないやんのときって、今からこれすんねんってよく言われるよ。
いやもうそんなどうでもいいわって思っちゃうわけ。やってへんのに今からこれすんねん、いやなんとでもいいやんって思って、それ見に行きたいってあんま思わないよね。
だけど小西君のやつは、見たいって思ってんの、メンバーが。
多分あんまり見たことないからじゃないですか。ああいう建物を再生してっていうのが少ないからとか、身近にないとか。
洋館、和洋設置は確かに少ないかもね。あれは、今だから日南の街って結構、帯の城下町だけで10個ぐらいのコンテンツ見れるでしょ。
リノベーションしたカフェ、リノベーションした宿、リノベーションした宿とか、いろんな建物があって、一つ隣の車で15分20分ぐらい移動したアウラツにも見るコンテンツがたくさんあるから、今多分リノベーション、街作りとかって言われる領域で、
どんだけ固まっていい感じに見れるところって、何個か僕イメージパッパッパって出るけど、そのうちの一つだと思う。
日南市の街作り
この間行った柳崎市のめっちゃアメリカやな、あの街も超面白いし、同じぐらい帯の街も超面白いし、今それこそ、おにちか君がやってる日南市の一つ隣の宮崎市で、それを作れたらなっていうのを今一緒に、おにちか君とはちょっとずつ動いていってて、
これ僕らがやる街中エリアで、いわゆる錆びれていく商店街問題って全国どこでも一緒のようにあるやつを、じゃあどんな感じで切り取ったら面白いかな、とりあえず一階テナントはほぼ埋まっている。
空中がほぼ空いているんで、たぶん30万人都市って、これが10から15万人都市くらいだと一階もポチポチ開くんよね。だけど30万人以上、宮崎は40万人弱だから、になると一階は埋まるんすよ。
都会から出店して、いわゆる大手資本、チェーン店で賄えるだけの購買力があるから、一階埋まるんすよね。だから空中が余ってるからすげえ面白くないよね。
で、それを活用していくモデルっていうのを、僕ら美想空間宮崎の拠点を設けるためのボリュームっていう施設を今作ってて、これをいい感じに宮崎と西南でいろいろできたらなとは思っている。
面白いですよね、あれ。
どんなふうに見えてますか。
二階が空いてるっていう課題を、僕隣の町に住んでいながら、あんまり分かってなかったんですよね。知らなかった。
ポツポツ空き家が出てきたっていう情報は、宮崎市とかが騒いでるんで、なんかそうなんだろうなと思ってたんですけど、リアル課題って多分一階の床は埋まってる。
でも二、三階が余ってるだったわけじゃないですか。それにちゃんと着目して、解決策を提示して、実際動こうとされてるっていうのが、まず素晴らしいなっていうのと。
ありがとうございます。
すごいなって。行動力、実行力というのが。
ありがとうございます。
そこが空いてる事実が分かったので、そこが埋まる可能性があるコンテンツを、こんな感じでやったらいいんじゃないっていうのを一個やるわけじゃないですか。
だから今後それを真似して、いろんな人がやってくれるといいなと思うので、可能性をすごく感じてるんですよね。
あれ、あんま時間ないんで、簡単になぜああなってるのかっていうのまで結構言語化できて、本来建物って5階建てのビルだったら、100を5分割して、家賃回収をして、ビル経済を成り立たさないといけない。
下に比重が寄り過ぎてて、1階が100のうちの60とか65ぐらいを家賃で稼がないと、上が空いてるからみたいな話で、チェーン店しか入れない家賃になってて、地元の面白いコンテンツが入らない。
コンビニ、チェーン店の居酒屋、チェーン店の居酒屋、外資系の居酒屋、カフェみたいな、宮崎っぽくないよねってなると、あの家が面白くないよねっていう悪循環が始まる。
でもビルのオーナーさんからすると、上入れへんから60まで家賃取らなあかんみたいな話で、これをどっかで巻き戻すことをしてあげないといけない。
多分、全国のいろんな地方都市の商店街の課題みたいな。
なってると思いますね。
いっとわいてるのもあるけどね。
しかも3、40万人ぐらいの人口規模の、割と都会と言われてる都市で起きてるので、面白い。表面化してない課題だと思うんですよね。
でも僕それに気づいてから、いろんな地方行くじゃないですか。でも見てたら、ここもこれに当てはまるわっていうのがだいたいそう。
中核都市はだいたいそんぐらいなんじゃないですか。50万人前後が多いじゃないですか。
モデルとしたら、2階以上でできるモデルにしている。むちゃくちゃ削ぎ落としているとシェアオフィスみたいな形ではなるが、そこに会員制のコミュニティ施設みたいな拠点ですよね。
僕ら一人でできることって知れているし、そこにいろんな人が集まってくる。それは建築の人もいれば、グラフィックやってるデザイン系の人もいれば、映画撮ってる子もいれば、本書いてる人もいれば、いろんな人がそこに集まって、みんなでここで何かをやりたいと思ってる人の後押しサポートをやっていくような拠点を作った。
ここから向こう5年ぐらいあったら、なんとなく明らかに景色変わってきたよねっていうイメージは持ってて、宮崎でいうとね。それが5年でできたら、1回の家賃落とせるんですよね。
ってなったら、ほんまに宮崎って面白いコンテンツいっぱいあるでしょ。あの人たちに、一番商店街のいいところで張ってもらって、旅行者さんが来たときに、やっぱり宮崎面白いねってなった方がええんちゃうかなっていう感じ。日南は日南で、またちょっと経路が違うじゃない。
また全然違いますね。油津の商店街でも1棟空いてるケースが多いね。多分10万人以下の商店街は1棟空くんですよ。なのでこの場合は1棟をかけてやらないといけないか、僕最近思ってるのは、もう来たらええねんと思ってるんですけどね。
宮崎市の商店街の課題
あとは最近、何個かの事例では、もう1棟分の家賃も取らずに、1回分の家賃だけしか取らないとかっていうのをやってる人もいます。諦めて。もう切ったようなもんですよね。事実上。でももう10人3回も使ってるみたいな1回の値段で。
それって多分地区50年くらい前後ですね。だいたいもう支払いは終えてるんですよ。地面代の価値は持っていて、でもだいたいそういうオーナーさんってお金にあんまり困ってなくて、別に貸したら貸したで、それお金入ってくるのは嬉しいけどなんかめんどくさいなとか嫌やねんとか。
だいたいそう言いますね。このパターン。なのである程度の人間関係とちゃんとそのコミュニケーションができたらそこを借りれて、そういう使い方ができるが、多分1個じゃ難しくて、それがある程度点が線になって面になってっていう局地線を設けていくと、多分商店街はやれんちゃうかなっていう。
だから多分10万人以下、5万人くらいがやりやすくて。30万人、40万人って、言葉は悪いけど中途半端に経済回ってるから、育て方も緩やかなのよね。気づいていないっていうか、ちょっとどこって言えないけど、これ三浦さんだと見に行って、ニラサキで、ほんまに街の人がイキイキしてて。
だから2万人ちょいって言ってたよね、ニラサキが。でもそのエリアの人たち、会う人は会う人よ。別にその街づくりとかじゃなくて、本当にただ地元なんやろうなっていう人、みんなキラッキラしてて。その帰りにちょっとね、とある30万人都市の街が、もう加工がえぐいな商店街を歩いたりして、全く関係ないけど、これほんま大丈夫?って思うような感じだったよね。
郊外のでかいイオンボールみたいなのに、消費が取られてるとかっていうことなんですかね。街中がそんなに廃れてる風に見えるっていうのは。
近くに結構大きな都市があるから、みんなそっちには行っちゃってるみたいな感じ。
30分圏内に大都市がある、元大都市みたいなところで、ほんまに、うどん屋の店員さんもどんどん来たよね。本当に。
僕が何が言いたいかっていうと、ああいう街にも我々みたいな思いを持ってるメンバーっていてるんですよ。
なんで彼らがやっぱり全力で立ち上がらないと、あのネジ巻き戻すって相当ハードル高いし、広く行くとやっぱりしんどいから、絶対局地線で交差点ぐらいから始めるべきだなって、あそこの街では感じたなっていう。なんとなくね。
それを宮崎で、宮崎市内の街中のビルとかを使って、まずは1点を1個ですけど、そういうのをやり始めようかな。
5年後、一旦見て、その次の一手が自分で打つのか、周りが打つのか、行政が打つのか、そういった様子を今見たいなみたいな状況ですよね。
それで言ったら、絶賛巻き込まれてもらわんと、うちに来てもらわんとですよ。
そうですね。空いてるフロアありましたよね。
ありました。ただね、あそこの2階の活用は、もうちょっとこっちで行こうかなって思ってて、もう2択なんですよ。
1択は、オーナーさん側が、これこそ鬼塚くんのアイデアベースの、女子専用ではないがカプセルホテルを作るプロジェクトで、今資金調達をしに行っているっていうこのプロジェクトが行くんだったら、僕はそっちでいいかなと思ってて。
もしそれが無理だったら、僕たちが下でちゃんとしたシェアオフィスをするかなと思ってて。
上の4階がね、結局シェアのオフィスが2部屋しか取れてなくて、あとは個室になっちゃったから、そんな感じで宮崎は盛り上げていけたらなと思っているような感じですね。
ぜひ一緒にやっていければと思いますけど。
笑顔があんまり見えないですけど。巻き込まれてるなーみたいな。
心は踊ってますんで、大丈夫ですよ。
宮崎のリノベーション競技会も立ち上がってね。
宮崎支部が今年度から立ち上がりました。
イベントが6本ぐらい走り出したんで。
会長なんですか?
はい、支部長さんですね。
僕は準局させてもらってますんで。関西とね。
楽しくなりそうですね。
宮崎の方が怒られるかな?
はい、怒られますよ。それはちゃんと怒られますよ。
本社はね、大阪で。
関西も盛り上げつつ、宮崎でも頑張りたいなと思っております。
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これまでのゲストの方のアーカイブも残ってるので、ぜひぜひお聴きください。
新しい宮崎の施設には、ポッドキャストのゲストが来てくれましたら、
今度はListenさんと協力して、ポッドキャストの配信できる場所を作ったりだとか、
新しいね、ちょっとまちづくり的な要素も含めたことをやっていけたらなと思ってるんで、
大呼び越しにならない程度に、笑顔満開で巻き込まれるような感じでどんどんいきたいなと思いますので、よろしくお願いします。
ということで、終わりかなと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。