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スピーカー 2
Dialogue cafe 筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
佐藤明さんをお招きしての代理会ですが、前回、明さんが野村証券に入って、アナリストになって世界中を飛び回って、めちゃくちゃ楽しそうに仕事をしたという話を聞いて、いいなって思ったんだけど、
スピーカー 1
それを11年で辞めたと。それは何か、計画的にそれぐらいで辞めようと思ってた?それとも…
計画的じゃなかった。
計画的じゃなかった?
スピーカー 2
何で?
スピーカー 1
何かきつかったんだけど、一個は調査部長をやりたかったんだよ。
自分個人とかチームが6人、7人のチームで、このチームは多分世界一の資本財?キャピタルグッズっていう。
これは日本が世界一の分野が多いから、あと日本とアジアで世界一になれば、トップになれば世界一だなと。
そういうさっきのランキングとか、あと自己評価。でも自分たちは自分たちでいけとるよねっていう。
例えば造船だと日本が4割、韓国が3割、中国が1割だから、それは8割なんで、そこでダントツのレポート書いてれば。
それのいけたなみたいなのがあったんで、それはそれでいいんだけど、これを全部で、この調査部全部でやったら、もっといけんじゃんっていう野望?
っていうか、特に業種って全部繋がってるから、縦も横も。だから分かれてんのっておかしくない?みたいな。
あなたは自動車とか、あなたは小売とか、繋がってんのに。それぞれがあってもいいけど、横軸をすごい入れたいみたいなのもあったし、
企画していろんな、とにかく投資家に届けてみたいのはすごいやりたかったから、ちょっと調査部長がいいなっていうのはあったんだけど、
スピーカー 2
当時34歳頃だからまだ慣れない。
スピーカー 1
僕のチームにいた人がその後調査部長になったのはたぶん50何歳?だから、それはちょっとダメだなということと、
あとインターネットの波に飛び込みたくなった。
2000年だったね。
99年に、まだ覚えてる?11月3日に三木谷さんの話を聞く機会があって、上場前だったんだけど、あそこ国立で、
大学の学園祭に彼が来て話して、こういうキャリアあんのね、みたいな。
彼はIBJというか、日本工業銀行でバリバリの投資銀行かな、だったけど、ハーバードビジネススクールに行って、
でもスパッと辞めてゼロからスタート。当時はあんまなかったんだよね。
なんかね、ベンチャーというよりは、どっちかというとその社会にあんまりなじまなかった人とか、コンプレックスをバネにとか、
全員がそういう意味ではないけど、比較的そういう企業の人が多かったから、
でもそうじゃないパターンというか、そういうのありなんだなっていうのは、すげえ面白いなっていうのはすごい刺激だったね。
あと多様性はもう一個大きくて、みんな例えば外資系に行って調査部長をやるみたいな声はかけてくれる人はいたんだけど、
それあんまり多様性には貢献できないというか、当時野村、日本の大きな証券会社でやってたことを外資系に行ってやるだけだから、
それはあんまり多様性には貢献できなくて。あともう一つだから、証券市場というか、金融市場がすごく多様性がないっていう課題感もすごくあったので、
その3つが割と大きなドライバーで。
スピーカー 1
例えばダイアメラベンツの本社に行くと、
あ、ここに何人しかいないのね、本社は300人しかいないの、みたいな話とか。
GEもボストンもちょっとさらに行くと、
あ、ここなのね、みたいな。
だから多分世界中いろんなとこ行けたんで、
意外といろいろあるねっていうか、
全然違うよねっていうのはなんか体験できたっていうのはあるかな。
それに対して日本はみんな似てるなっていう。
あと、そういえば本を紹介してくれた人がいて、
例えばDLJっていう証券会社や資産業会社になった会社は、
1960年代に3人のアナリストが作った会社なんだけど、
あ、そういう会社あるんだ、みたいなやつとか。
キャピタルっていう世界的な機関投資家も1929年にある人が作ったんだけど、
これもアナリスト的な人が作ったのかな。
まあそういうアプローチで作ったんだけど、
それもやっぱり独立系のやり方でやってきましたみたいな。
なんかこういういくつかの事例も探していくとどんどん出てきて、
みんな歴史があって哲学があって、哲学がすごいあるかな。
スピーカー 2
組織に。
スピーカー 1
組織に。組織にあるし、投資哲学みたいなやつとか。
どういう哲学で投資するみたいな。
スピーカー 2
それが一般的なじゃなくて、自分たちの投資哲学があるっていう。
スピーカー 1
面白いね。
スピーカー 2
なんか製造業とかだと日本でもね、結構それぞれの会社の個性ってあるよね。
むしろ結構濃い歴史のある会社とかはそういう感じがあるけど、
やっぱり日本は金融の歴史が浅いってことなのかな。
スピーカー 1
金融の歴史は、いや金融の歴史結構あるよね。
だって米相場とか。
スピーカー 2
確かにそこから戻ると。
スピーカー 1
先もの取引だったり、両外商だったり。
だから金融の歴史自体は結構あると思うんだけど、
戦後のある時から多分同じスタイルに固まって。
スピーカー 2
なんかそっちに、欧米的な資本主義の株式市場みたいなものに
グーッと自分たちでめちゃくちゃ寄せちゃったっていうこと?
スピーカー 1
欧米的なよりも日本的な。
スピーカー 2
日本的なの?
スピーカー 1
特に関節金融というか、銀行を中心とした国の発展の仕方。
関節金融で産業資本を提供するっていう
そのスタイルが銀行の直接金融という証券市場じゃなくて
株式市場じゃなくて銀行を通じてみたいなところで
そこに監督官庁の力が強かったっていうのがすごくある気がする。
その時代が長かった。
株式市場なんかはアメリカでも
90年代ぐらいまではあんまり質が良い市場じゃなくて
ちょっと賭博的なのに近い。
日本の昔もそうだったけど、切った貼ったみたいな。
なのか、大手の証券会社が個人投資家を食い物にというか
スピーカー 2
確かにバブルの頃とかは怪しいっていうか
個人投資家を相手にした詐欺まがいに近いような
そういう事件とかもちょいちょいあったりした気がします。
スピーカー 1
そういうのあったんだよね。
さっき言ったDJを3人のアナリストが
すごいファンダメンタルだから
すごい調べて分厚いレポートを書いたんだ。
それは時価総額も小さい。
けどすごい成長する良い会社。
でもそんなのって今までの人たちはやってなくて
やる必要なかったから。
それがやっぱりすごく成長していったっていう。
そういうベンチャースピリットのある人たちが
60年代ぐらいから出てきて
というのが日本ではなかなか規制があったりすると
そういうことができなかったり
規制だけじゃないと思うけど
スピーカー 2
今はどうですか?
2020年代の日本の投資会社って
2000年ぐらいの頃からだと
だいぶ多様性って出てきたんですか?
スピーカー 1
少し出てきたというか
僕はその後バリークレートと今の会社を立ち上げて
同じようにあるいはバリークレートとして
結構そういう会社を応援してきたので
レオスキャピタルワークスとかの
最初に応援して社外役員をやって
あとコモンズ投資っていう
これも30年後も輝いている会社
30歳に投資するって今までなかったよね。
そういうのをどんどん応援するっていう
独立系の
結果も出てきてるっていうのが
でもマジョリティはやっぱり
大手の金融機関系のグループ会社
こっちで頑張ってるから
昔とは随分変わってきたとは思う
スピーカー 2
日本のスタートアップとかで上場したけど
なかなか株価がつかなくて
自家総額があんまり
人投資家がほとんどで
100億前後くらいっていう会社って
すごいいっぱいあって
どうしたら株価上がるんだろうみたいなことを
ファンダメンタルって言ったら
授業を大きくするっていう話になっちゃうんだけど
IRどうしたらいいんだろうみたいな話とか話題に出ると
でも所詮自家総額500億にならないと
機関投資家は話を聞いてくれないから
結局そこまでは打つてなしみたいな
割と諦めてる会社がすごい多い感じがして
クラウドワークスも割とそういう悩みを持ってた時期もあって
もちろん授業をしっかり伸ばすっていうのはもちろんなんだけど
海外の機関投資家はやっぱり
ちょっと違う考え方でやっているところがあるから
そういうところにしっかり中長期の自分たちのビジョンを
きちんとご説明すれば
理解してくれて投資してくれるところもあるっていうので
結構海外のIRにあるところからは
軸足を重みをつけていった
全然規模小さいのに
この規模で海外IRなんてみたいに
いう方とかもいたんだけど
でも日本の投資家だと500億になってから来いって
500億になるのが難しいんだよみたいな感じだから
だからそれは日本にもそういう中ではね
レオスさんとかね
買っていただいたりしましたけど