1. Dialogue cafe
  2. #105-2 価値あるものを見つけ..
2025-09-10 38:33

#105-2 価値あるものを見つけ出す、価値あるものを創り出す【個性をもって街に出よう ゲスト:バリュークリエイト パートナー 佐藤明さん】

▼番組のnote:
Dialogue cafe | note

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▼内容:
調査部長とインターネット/世界で目にした投資哲学の多様性/なぜ日本の金融には多様性が少ないのか/スモールキャップ企業のIR戦略/バブル真っ只中のネット業界/転職したけど1年でドロップ/私のファンダメンタルは?/仲間と起業、社名だけが決まっていた/わくわくすること×できること/セルフプロデュースは自分でできない/夢と現実の期待値マネジメント

▼出演:
ゲスト
佐藤明さん(株式会社バリュークリエイト パートナー)
株式会社バリュークリエイト

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)


▼関連エピソード:
#46-1 それは新しい資本主義?ファイナンスの力で社会を変えよう
#57-1 確信犯的に煙に巻く⁉分かりやすさを追求しないCOTENの資金調達
#58-1 サトマキ登場!時は2000年代、踊るビットバレー
#76-1 今どき言えない社長の本音?!ベンチャーで出世する人・しない人
#82-1 就活敗者がIT長者に⁉ミラクルサクセスストーリーは突然に

サマリー

このエピソードでは、価値あるものを見つけて創出することの重要性が語られています。ゲストの佐藤明さんは、金融市場における多様性の欠如や、投資家の期待に応えるための戦略について詳しく述べています。また、バリュー・クリエイトに関する話を通じて、価値創造や個性の発揮の重要性が掘り下げられています。佐藤明さんは、インターネット業界の変遷と、それに伴う職業の選択や資金調達の経験を共有し、経営者と投資家との関係の在り方について考えています。さらに、起業家にとって重要な期待値のマネジメントやコミュニケーションの重要性についても触れています。

野村証券での経験
スピーカー 2
Dialogue cafe 筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
佐藤明さんをお招きしての代理会ですが、前回、明さんが野村証券に入って、アナリストになって世界中を飛び回って、めちゃくちゃ楽しそうに仕事をしたという話を聞いて、いいなって思ったんだけど、
スピーカー 1
それを11年で辞めたと。それは何か、計画的にそれぐらいで辞めようと思ってた?それとも…
計画的じゃなかった。
計画的じゃなかった?
スピーカー 2
何で?
スピーカー 1
何かきつかったんだけど、一個は調査部長をやりたかったんだよ。
自分個人とかチームが6人、7人のチームで、このチームは多分世界一の資本財?キャピタルグッズっていう。
これは日本が世界一の分野が多いから、あと日本とアジアで世界一になれば、トップになれば世界一だなと。
そういうさっきのランキングとか、あと自己評価。でも自分たちは自分たちでいけとるよねっていう。
例えば造船だと日本が4割、韓国が3割、中国が1割だから、それは8割なんで、そこでダントツのレポート書いてれば。
それのいけたなみたいなのがあったんで、それはそれでいいんだけど、これを全部で、この調査部全部でやったら、もっといけんじゃんっていう野望?
っていうか、特に業種って全部繋がってるから、縦も横も。だから分かれてんのっておかしくない?みたいな。
あなたは自動車とか、あなたは小売とか、繋がってんのに。それぞれがあってもいいけど、横軸をすごい入れたいみたいなのもあったし、
企画していろんな、とにかく投資家に届けてみたいのはすごいやりたかったから、ちょっと調査部長がいいなっていうのはあったんだけど、
スピーカー 2
当時34歳頃だからまだ慣れない。
スピーカー 1
僕のチームにいた人がその後調査部長になったのはたぶん50何歳?だから、それはちょっとダメだなということと、
あとインターネットの波に飛び込みたくなった。
2000年だったね。
99年に、まだ覚えてる?11月3日に三木谷さんの話を聞く機会があって、上場前だったんだけど、あそこ国立で、
大学の学園祭に彼が来て話して、こういうキャリアあんのね、みたいな。
彼はIBJというか、日本工業銀行でバリバリの投資銀行かな、だったけど、ハーバードビジネススクールに行って、
でもスパッと辞めてゼロからスタート。当時はあんまなかったんだよね。
なんかね、ベンチャーというよりは、どっちかというとその社会にあんまりなじまなかった人とか、コンプレックスをバネにとか、
全員がそういう意味ではないけど、比較的そういう企業の人が多かったから、
でもそうじゃないパターンというか、そういうのありなんだなっていうのは、すげえ面白いなっていうのはすごい刺激だったね。
あと多様性はもう一個大きくて、みんな例えば外資系に行って調査部長をやるみたいな声はかけてくれる人はいたんだけど、
それあんまり多様性には貢献できないというか、当時野村、日本の大きな証券会社でやってたことを外資系に行ってやるだけだから、
それはあんまり多様性には貢献できなくて。あともう一つだから、証券市場というか、金融市場がすごく多様性がないっていう課題感もすごくあったので、
その3つが割と大きなドライバーで。
多様性の重要性
スピーカー 2
そこでおっしゃってる、そこで言ってる多様性って、どういう多様性なんですか?
スピーカー 1
例えばね、時価総額が大きい500社を徹底的にリサーチするとか、でもいい会社ってもっと時価総額が小さいところに埋もれて、
これから出てきたりするんだけど、そういう会社はなかなかビジネスにならないからやらないとか、
あと6ヶ月後の株価が市場平均より何%上回るみたいな、それがKPIというか、成功の定義だったりとか、
あと業種ごとに分かれてやるとか、例えばそういう評価の仕方とか、ビジネスモデルそのものとか、
もう一個言えば、今みたいなやり方なんで、
投資銀行も結構強かったので、やっぱり投資銀行で儲けるみたいな、利益を上げる。
投資家に対してももちろんやっていくんだけど、どっちかというと投資銀行に対して証券会社として評価されるようにするみたいな。
そうすると悪いレポートとか書けない。売りとか、本当に今一番ダメなんだよねって時に、
ストレートに売りみたいなレポートは書けないとか。
そうすると、それがビジネスモデルみたいにもなってたんで、
そうじゃない証券会社とか調査のあり方みたいなやつがあってもいいんじゃないかなっていう、
そんな感じのことを思ってたところを。
スピーカー 2
すごい面白いので。
それはなんでそういう今のこの基準じゃないものがあってもいいんじゃないかなっていう思いが出てきたのかなっていうのがすごく不思議で。
スピーカー 1
多様性があっても?
そうそう。
そっちの方が面白いし、そっちの方が価値を出せると思ったし、
だけど、この日本では、
もう一つあるの、例えば、
投資家も大きな銀行とか保険会社の子会社ばっかりが多かった。
当時独立系の運用会社ってほとんどなかったのね。
で、自分が海外に行って、
いろんな会社をまず見て、
そうするとお客さんもビーチの近くにあるとか、
いろんな、あとなんかすごいプライベートバンカーみたいなところで、
すごく、
なんていうの、
邸宅っていうか迷路みたいなところでお客さんとお客さんすれ違わないようになってるとか、
いろんなスタイルのオフィスがあって、
いろんな運用の邸宅があったりするんだよね。
それから独立系の調査会社も、世界を見ると結構出始めてて、みたいな。
特に日本は資産運用会社の多様性がほんといなかった。
スピーカー 2
あんまり個性がないっていう。
スピーカー 1
個性がない。
スピーカー 2
それぞれ、みんな同じことやってるみたいな。
スピーカー 1
みんな同じことやってる。
みんな東京に本社があって、
大きなところで一社だけ大阪にあったけど、それも東京に来て、
ほぼほぼ大手町にあり、で、同じような感じで。
スピーカー 2
見てる指標も同じで。
スピーカー 1
机の並び方とかも、いわゆる昔の島タイプとか、
スピーカー 2
長屋敷に課長席みたいな。
トヨタもそうでした。
スピーカー 1
あんな感じで、オフィス家具っていうかな、
あれもみんな似てる、スティールのあの感じ。
スピーカー 2
無機質な感じの。
スピーカー 1
無機質な感じで、会議室もそんな感じで、みたいな。
それがすごいあれ。
それと世界で起きてることってだいぶ違うなっていう感じは感じてた。
これは企業についてもそう。
今のは投資家とか金融の方だけど、訪問する企業も全然。
日本の投資市場の変化
スピーカー 1
例えばダイアメラベンツの本社に行くと、
あ、ここに何人しかいないのね、本社は300人しかいないの、みたいな話とか。
GEもボストンもちょっとさらに行くと、
あ、ここなのね、みたいな。
だから多分世界中いろんなとこ行けたんで、
意外といろいろあるねっていうか、
全然違うよねっていうのはなんか体験できたっていうのはあるかな。
それに対して日本はみんな似てるなっていう。
あと、そういえば本を紹介してくれた人がいて、
例えばDLJっていう証券会社や資産業会社になった会社は、
1960年代に3人のアナリストが作った会社なんだけど、
あ、そういう会社あるんだ、みたいなやつとか。
キャピタルっていう世界的な機関投資家も1929年にある人が作ったんだけど、
これもアナリスト的な人が作ったのかな。
まあそういうアプローチで作ったんだけど、
それもやっぱり独立系のやり方でやってきましたみたいな。
なんかこういういくつかの事例も探していくとどんどん出てきて、
みんな歴史があって哲学があって、哲学がすごいあるかな。
スピーカー 2
組織に。
スピーカー 1
組織に。組織にあるし、投資哲学みたいなやつとか。
どういう哲学で投資するみたいな。
スピーカー 2
それが一般的なじゃなくて、自分たちの投資哲学があるっていう。
スピーカー 1
面白いね。
スピーカー 2
なんか製造業とかだと日本でもね、結構それぞれの会社の個性ってあるよね。
むしろ結構濃い歴史のある会社とかはそういう感じがあるけど、
やっぱり日本は金融の歴史が浅いってことなのかな。
スピーカー 1
金融の歴史は、いや金融の歴史結構あるよね。
だって米相場とか。
スピーカー 2
確かにそこから戻ると。
スピーカー 1
先もの取引だったり、両外商だったり。
だから金融の歴史自体は結構あると思うんだけど、
戦後のある時から多分同じスタイルに固まって。
スピーカー 2
なんかそっちに、欧米的な資本主義の株式市場みたいなものに
グーッと自分たちでめちゃくちゃ寄せちゃったっていうこと?
スピーカー 1
欧米的なよりも日本的な。
スピーカー 2
日本的なの?
スピーカー 1
特に関節金融というか、銀行を中心とした国の発展の仕方。
関節金融で産業資本を提供するっていう
そのスタイルが銀行の直接金融という証券市場じゃなくて
株式市場じゃなくて銀行を通じてみたいなところで
そこに監督官庁の力が強かったっていうのがすごくある気がする。
その時代が長かった。
株式市場なんかはアメリカでも
90年代ぐらいまではあんまり質が良い市場じゃなくて
ちょっと賭博的なのに近い。
日本の昔もそうだったけど、切った貼ったみたいな。
なのか、大手の証券会社が個人投資家を食い物にというか
スピーカー 2
確かにバブルの頃とかは怪しいっていうか
個人投資家を相手にした詐欺まがいに近いような
そういう事件とかもちょいちょいあったりした気がします。
スピーカー 1
そういうのあったんだよね。
さっき言ったDJを3人のアナリストが
すごいファンダメンタルだから
すごい調べて分厚いレポートを書いたんだ。
それは時価総額も小さい。
けどすごい成長する良い会社。
でもそんなのって今までの人たちはやってなくて
やる必要なかったから。
それがやっぱりすごく成長していったっていう。
そういうベンチャースピリットのある人たちが
60年代ぐらいから出てきて
というのが日本ではなかなか規制があったりすると
そういうことができなかったり
規制だけじゃないと思うけど
スピーカー 2
今はどうですか?
2020年代の日本の投資会社って
2000年ぐらいの頃からだと
だいぶ多様性って出てきたんですか?
スピーカー 1
少し出てきたというか
僕はその後バリークレートと今の会社を立ち上げて
同じようにあるいはバリークレートとして
結構そういう会社を応援してきたので
レオスキャピタルワークスとかの
最初に応援して社外役員をやって
あとコモンズ投資っていう
これも30年後も輝いている会社
30歳に投資するって今までなかったよね。
そういうのをどんどん応援するっていう
独立系の
結果も出てきてるっていうのが
でもマジョリティはやっぱり
大手の金融機関系のグループ会社
こっちで頑張ってるから
昔とは随分変わってきたとは思う
スピーカー 2
日本のスタートアップとかで上場したけど
なかなか株価がつかなくて
自家総額があんまり
人投資家がほとんどで
100億前後くらいっていう会社って
すごいいっぱいあって
どうしたら株価上がるんだろうみたいなことを
ファンダメンタルって言ったら
授業を大きくするっていう話になっちゃうんだけど
IRどうしたらいいんだろうみたいな話とか話題に出ると
でも所詮自家総額500億にならないと
機関投資家は話を聞いてくれないから
結局そこまでは打つてなしみたいな
割と諦めてる会社がすごい多い感じがして
クラウドワークスも割とそういう悩みを持ってた時期もあって
もちろん授業をしっかり伸ばすっていうのはもちろんなんだけど
海外の機関投資家はやっぱり
ちょっと違う考え方でやっているところがあるから
そういうところにしっかり中長期の自分たちのビジョンを
きちんとご説明すれば
理解してくれて投資してくれるところもあるっていうので
結構海外のIRにあるところからは
軸足を重みをつけていった
全然規模小さいのに
この規模で海外IRなんてみたいに
いう方とかもいたんだけど
でも日本の投資家だと500億になってから来いって
500億になるのが難しいんだよみたいな感じだから
だからそれは日本にもそういう中ではね
レオスさんとかね
買っていただいたりしましたけど
投資家選びと労働市場の変化
スピーカー 2
結構そういう分かってくださる投資家を
どう選ぶかみたいなコミュニケーション
企業側も500億にならないとダメなんだよって終わっちゃうと
動けなくなっちゃうから
スピーカー 1
理解してくれる人を探しに行くみたいな
やっぱり海外から見た時に
日本の例えば働く人
労働市場の構造的な変化とか
すごい多分注目してて
そこに対する解決策とか
例えばっていうのは
頭の中にものすごくある人たちは
いるだろうなっていう感じはするしね
インターネット業界の開拓
スピーカー 2
なるほど
いろいろ野村証券で働いてる中で
やっぱりちょっと違う世界の
自分の価値の出し方があるんじゃないかっていうので
そこからいきなり企業になった
スピーカー 1
先輩がインターネット業界のアナリストが独立して
チームを作ると
独立系の調査会社
インターネットに特化した
そこで調査部長をやってっていう
スピーカー 2
新しくできた会社?
スピーカー 1
彼が作って
スピーカー 2
僕がナンバー2
面白そうだ
スピーカー 1
多様性がないし
海外に会ったんだけど
日本で初めて会ったし
インターネット業界のアナリストにも
なれるし
なおかつ調査部長にも
だからちょうどピタッと
たまったっていうのが
スピーカー 2
2000年の頭ぐらい
新しく作った会社でしょ
スピーカー 1
どれぐらいのスタッフとか
一番いたときに30人ぐらい
そこそこベンチャーキャピタルから
資金調達して
これは僕の判断では失敗して
1年で辞めた
スピーカー 2
調査レポートを
企業とか投資家に買ってもらう?
スピーカー 1
調査レポートを
さっきのDLJ証券とかって
調査部がないんだよね
インターネット証券で
新しくできあがったところとか
あと中堅の証券会社とかも
当時ネットバブルの
ピーク直前ぐらいだったから
そういうレポートが
欲しいみたいなのがあって
中堅の調査会社に行ったりとか
あと上場前の会社
経営者600人ぐらいにあって
ベンチャーキャピタルにそのデータを
そういう感じを
アナリスト10人ぐらいで
小売出身の人とか
ネットセキュリティの出身の人とか
通信出身の人とか
いろんな人を集めてやるっていう
スピーカー 2
当時2000年ちょいぐらいの
インターネット業界とかも
それこそ本当に
いろんな経営者の方も
情報もそんなに
確かにあんまりないというか
そこを分析してる人も少なかっただろうし
一般の人もちょっと怪しいな
みたいなぐらいに思ってた時期
実際怪しい会社も多かったと思うけど
バリュー・クリエイトのビジョン
スピーカー 2
出たばかりっていうか
だって2000年で
サイバーエージェント上場した
2003年とかでしょ
スピーカー 1
2000年上場か
楽天もサイバーエージェントも
ライブドアも
当時とかも2000年
そっかそっかそっか
本当にネットバブルな
スピーカー 2
ネットバブルのところ
だからみんなちょっと興味はあるけど
怪しくてどうしたらいいんだろうみたいな
実態っていうか
まだビジネスめっちゃちっちゃいのに
すごい時間が付いちゃったりとかしてたから
手を出したくても出せないみたいな
感じだったのかな
その時って
スピーカー 1
もうマザーズ市場ですか
マザーズ
スピーカー 2
マザーズか
マザーズ自体がもう
ちょっとできたばっかりで
みんななんかちょっと怖いな
なんだろう
スピーカー 1
怖いなっていうのと
本当に質の良くない会社も
スピーカー 2
あっちで
そういう意味ではちゃんと
レポートをしてくれるのはすごい大事だった
スピーカー 1
そうそうそうそう
スピーカー 2
そういう中で
クラウドワークスのお手伝いを
バリュー・クレートさんにお願いしたのは
サイバーエージェントの藤田さんの
ご紹介だったんですよね
その頃に藤田さんとは
スピーカー 1
そうだね
藤田さん27歳
当時は最年少くらいの上場で
700億くらいで
時価総額上昇して
70億くらいまで下がった時
スピーカー 2
でも実際
重工業から
インターネット業界って
スピーカー 1
全然違った
どうでした?
藤田さん面白かったよね
どっちかっていうと
そっちの方が多分
向いてるというか
インターネットの方は
やっぱりネクタイ締めて
大手町に通うみたいな
みんな一歩通行の
なんかあれ
よりはいろんな場所で
渋谷とか恵比寿とか
いろんな場所でやってる方が
自分の方が向いてるかもしれないなと
どっちもできる
どっちもありだけど
どっちかっていうと
スピーカー 2
インターネットの調査部長をやられて
でも1年後にバリュー・クレート
スピーカー 1
そう
なかなかその時は
ネットバブルは弾けて
だからアメリカでは雨が降ってる
日本も小雨が降ってる
だけど資金調達
意外とできちゃった時に
ガソリン満タンで
アクセル踏みまくるみたいな
でも雨降ってるらしいみたいな
スピンするみたいな
経営的な失敗もあったし
自分で言うと
インターネットのアレストっていう
初めてのことと
調査部長全体の
これも初めてってことと
スタートアップの
ナンバー2って初めて
3つ初めてのことをやったのは
ちょっとトゥーマッチだったかな
2つくらいにしておけばなんとか
っていうのもあるかもしれないけど
でもそのトライはうまくはいかず
僕が辞めて
会社はその後しばらく
あったのと
っていうのが1年間
スピーカー 2
でも次は自分でやるぞって
スピーカー 1
次はいろいろ迷ったんだけどね
迷ったっていうか
戻ってこいよとか
呼んでくれる人もいたりとか
結構いろいろ行ったんだよね
それこそニューヨーク行って
シンガポール行って
いろんな面白そうだなと思って
ありがたいことに
いろんなオファーもあって
めちゃめちゃこんな出すのか
みたいな話で
こんなになっちゃうの?
みたいな話で
金額の幅が
スピーカー 2
何倍なのか
スピーカー 1
すごい
十何倍とかぐらい
下が低ければ本当に
何倍にもなるから
それは面白かったかな
片方はすごいスタートアップ系の
成功したらいいけど
ダメだったらほとんど無しで
みたいな話だから
片方は外資系の調査部長だったら
結構払う
でもそれが自分の中で
狭い幅が
ガッと広がったみたいなのは
意外と良かったなと思った
なるほどね
それを見ると
市場価値って
スピーカー 2
私のファンダメンタルは
フェアバリュー
意外と落ち着いて考えると
それなりに理由はあって
スピーカー 1
高い方は
外資系の証券会社が
撤退前最後の勝負
みたいな
そうすると1年2年はいいけど
そうすると分かんない
それは取りに行く人もいるし
でもちょっとな
こっちはスタートアップだし
そうすると
こっちはスタートアップだし
成功したらうまくいくみたいな
その幅
ただ従来の日系の証券会社だと
ある一定の幅が
広がり広がり
みたいなところは
結構面白かった
スピーカー 2
もう一回
業界に戻るみたいなことは
ちょっと考えたりは
スピーカー 1
考えたけど
やっぱり
ちょうど企業とか
経営者と投資家の真ん中にいる仕事
セルサイドアナウンスという
証券会社のアナウンスなんだけど
やっぱり経営者と話している方が
自分は面白いというか
ワクワクするなというのを
当時アメリカにいた
友人に
言われて
やっぱりそうかなと思い
やっぱり経営者側に
寄りたくなったというか
投資家も素晴らしい人は
たくさんいるんだけど
どっちかなといったらこっちの方かなと
それで経営者寄りに
行こうかなということで
スピーカー 2
バリュークリエイトは
調査会社として
立ち上がった
スピーカー 1
わけではない
バリュークリエイトは
スピーカー 2
じゃない
IRのコンサル
でもない
スピーカー 1
バリュークリエイトってやつだけ
スピーカー 2
決めてたから
社名?
スピーカー 1
自分たちのバリューとか
ミッションとか決めたけど
何やるかはとりあえず
やってみよう
スピーカー 2
企業、経営者のサポートをするんだ
スピーカー 1
っていうことだけ
相棒が
アメリカでずっと会計士を
公認会計士だったので
その辺りで
スピーカー 2
みたいな
割と見切り発車な感じで
スピーカー 1
全然見切り発車
スピーカー 2
経営が最初だったから
一緒に会社立ち上げた
三富さんは
スピーカー 1
古いお友達?
その前のベンチャーで
その前のベンチャーを
アメリカで上場させようっていう
絵に描いた文字だったんだけど
割と真面目にはそこは考えてて
友人の友人で
アメリカで活躍してた
会計士だったから
そろそろ日本が面白い
彼は行ってたんで
じゃあ日本に帰ってきたら
一緒にやろうよって言って
一緒にやって
これはやっぱダメだねって
スピーカー 2
一緒に辞めて
じゃあ割と
同じ環境の中で働いたから
理想とするものは
近いものがあったってことなんですか
スピーカー 1
ここじゃなくて新しくやる
そこじゃなくてっていうのは
スピーカー 2
結構一緒だったと思うけどね
でも中で一緒にやろうっていうのは
とりあえず二人でやろうよっていうのは
これなんか
スピーカー 1
よほど気があったんですか
なんだろうね
そうかな
なんか四人ぐらいで
一緒に辞めた人
何人かいたんだけど
そのうち四人ぐらいで
ああでもないこうでもないって話をしてて
ある人はなんか
気を勝ち評価をやろうみたいな
ことを
そういう人もいて
でもそれは明らかに違うなみたいな
勝ち想像したいから
評価したいわけじゃないんだよねみたいな
そういう意味では
一緒だったってことね
あと個人の価値とか
会社あるいはチームの価値とか
社会の価値を高めたいみたいなところは
すごい一緒だったし
それまで一年間
彼は半年だったんだけど
一緒にいた会社と違う
やっぱり日本の社会のOSが
すげえ変わってくる
中で
変えてこいよみたいな
感じは
あったかな
スピーカー 2
じゃあもうその
勝ち想像をするんだ
ってところは結構
初期の段階から
スピーカー 1
そこは決まってた?
もう社名なんで
最初から
縦軸にワクワクすることで横軸にできること
縦軸大事だよね
大事だよねっていう
それは
最初からワクワクすることをやろう
っていうのは決まってた
スピーカー 2
今でも
バリークリエイターさんの中でやられてますよね
社員の方にワクワクすること
できることって
スピーカー 1
セッションクルーの中で
スピーカー 2
紹介されてて
みんなで笑いきって面白いなと
本当初日
スピーカー 1
最初から
やってた
スピーカー 2
その時
スピーカー 1
お二人でやったんですか
最初は
スターバックスかな
スピーカー 2
自分たちのワクワクすることと
できること
どれくらい幅がそこにはあった
スピーカー 1
やりたいことだと
結構あったけど
やっぱり今思い返すと
自分たちがやってきたことが
多かった
経験してきたことが
結構書いてあった
今と比べると
スピーカー 2
そういう中には
価値の創造
スピーカー 2
調査みたいなのもあった
会計系もあった
スピーカー 1
会計系はあんまりなかった
マッサって呼んでるんだけど
マッサは会計してたけど
あんまり会計は
好きじゃない
スピーカー 2
そういうアイデアを
いろいろ出していく中で
最初にまずやろうか
スピーカー 1
ってなったのは何だった
最初は2社ぐらいで
1社は
700億円で上場して
70億円になってた
アドバイザー
明らかに価値があると思ってたから
その価値を伝える
し応援したいっていう
特に若い企業家
僕からすると当時
僕よりは分かったので
応援したいっていうのは
普通にそう思って
これだとやっぱりうまくいかないな
っていうのも分かったし
それが一つと
もう一社は全く別の
これは
なんだろう
IRということを
事業にしたいと思っている
会社に研修みたいな
ことをやっていく
そんなに自分の中では
めちゃめちゃいつまでもやりたい
っていう話ではなかったので
みんながそういう
いわゆるナレージとか知識を
共有するのはいいことだと思ったから
それをやっていって
っていう感じのうちの
経営者の伴奏しながら
価値を高めていく方というのは
結構フィットした感じ
スピーカー 2
具体的に
伴奏しながら価値を高めていく
っていうのは
スピーカー 1
具体的にどういうことを
大体でも自分のことって分からないじゃないですか
セルフプロデューサー
スピーカー 2
自分でできないというか
スピーカー 1
だからそれを
情報保護の受け手
受け手としてずっとやってたから
ないですので
だとすると
こう知りたいっていう
のをストレートに
やっていって
それを形に
例えば説明するんだったら
グラフにしていくとか
数字を
組み合わせていくとか
よく使ってたのは
ジグゾーパズルみたいな
ピースの数は
30個あって
バラバラになってるみたいな
割とそんな感じだったので
ちゃんとピースをはめてあげると
こう
いいねみたいな
それが自分ではなかなか
できないし
見る人がどう見るかっていうのが
分からなかったりとか
そんな感じだった
その時は
とにかくインターネットが出始めて
インターネット広告が
伸び始めたけど
まだ赤字で
でもどんどん投資してるみたいな
感じだったんだけど
1人当たりの広告費が
1,700円くらいだったんだよね
インターネットの
テレビとか新聞とかラジオが
1人当たり2万円くらいだった
こっちは1億とか
5千万とかの人が見てて
インターネットは数百万
やっと1千万になるくらい
だからこれが
5千万とかになったら
今の1,700円が
2万円になるよねっていう
仮説を立てて
そこで
そうすると
インターネット広告の市場が
1兆円くらい
になり
今2兆5千億とか
もうちょっとかな
その中で
インターネット広告のトップの会社
トップだったから
だったら自家総額が
70億ってありえないよね
という話を
ロジックも
ロジックを作って
ロジックで伝えていく
っていうことと
あと
期待値のコントロールみたいな
特に経営者の方は
多分田中さんすごい経験したと思うけど
やっぱりやりたいこととか
でっかい
未来像があるから
これすごいいいんだけど
ただ
業績とか決算は
3ヶ月ごとに出てくるんで
そこのギャップが
常にこう
みんなががっかりするような
繰り返しになると
ボールが弾まなくなるみたいな話で
何を言っても反応しなくなる
信頼関係
だからでっかい夢と
現実は両方うまく
コミュニケーションしないと
いけないよね
っていうあたりが
特に企業家の人とは
両方必要だから
確かに
スピーカー 2
現実的なことばっかりでも
いけないし
ちっちまとまとまっちゃうし
また企業家は
上場前はVCとコミュニケーションしてて
VCってそんなに数字的なことに
うるさくなくて
夢だけ語って市場がでかいよみたいな
で割とパーソナリティで
この人はグリート力ありそうだ
つったら出してくれるみたいな
傾向があるんで
そういう意味ではVC向けのコミュニケーションで
昔は今はだいぶVCも変わってきた
スピーカー 2
結構おっきい話をして
なんぼだよみたいな
そこから上場すると
いやいや冷静に
それで御社の足元の
KPIが
なんだよ俺が夢語ってんのにさ
あいつら全然わかってねえ
みたいになりがち
っていうか
そこの考え方を
切り替えるのに
非常に苦労する
企業家の方も
まあまあいるのかな
スピーカー 1
っていう
夢はほんと欲しいし
確かに
両方なんだよね
期待値のマネジメントは
かなり大事な
要素だった
当時のネットベンチャーにとってはすごく
大事な要素だったし
どんな会社になりたい
ってなったら
影響利益率になるみたいな
福井さんは当時リクルートみたいになりたいって
リクルート上手してなかったから
利益率わかんなかったんだけど
30%くらいの影響利益率があったんですよ
そうするとインターネット広告と
こっちで合わせてこんな風になるよ
みたいな
話した人だったらそういう風に考えるんだけど
そういう説明は全然してなかったんで
何人採用して
これが何ヶ月で
この人が育つみたいな
これはこれですごい大事な
一方でそれが業績どうなるか
みたいなところを
スピーカー 2
弾まなくなると
スピーカー 1
社員も
スピーカー 2
同じように
弾まなくなりそうな感じが
しますよね
空気というか
社長すごく大きな夢語ってるんだけど
なかなか足元苦しくなってくると
社員たちも
どう動けばいいのか
みたいな
ちょっと停滞してくる
スピーカー 1
空気みたいなのもありそうですよね
それもあるかも
社員はもうちょい社長のことを
理解しつつ
こういう人らがこういう風に言ってんのね
みたいなこととかも
あるから
当社の場合は4000社の中の1社
だから
そこまで見てくれない人も
多分それの違いは
あるかも
でも社員の人も多分期待を
外され続けると
業績っていうよりは
スピーカー 2
不安感
スピーカー 1
これやるって言ったのにやんないとか
フォローされてないとかね
そうなるかも
期待値のマネジメント
スピーカー 2
組織作り会社作りみたいな話になったので
次回は
バリュークリエイトを
2人で始めたし
何やるかも最初は曖昧な状態から
今の形にスタッフも増えて
非常にユニークな
スタイルで
経営してらっしゃるっていう印象があるので
そこのバリュークリエイトっていう会社について
もう少し聞きたいなと思います
スピーカー 1
ありがとうございます
38:33

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