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#131-1 内定式で赤シャツ⁈願望を夢で終わらせない逸脱の流儀【踏み外す勇気 ゲスト:武蔵野大学教授 杉野幹人さん】
2026-04-25 48:15

#131-1 内定式で赤シャツ⁈願望を夢で終わらせない逸脱の流儀【踏み外す勇気 ゲスト:武蔵野大学教授 杉野幹人さん】

▼番組のnote:
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▼内容:
サラリーマンがいつかやってみたいこと3選/なにがなんでも海外に行くための戦略的人生選択/新卒3年目のシリコンバレー駐在/夢が叶って夢を失った/技術で勝って経営で負ける日本企業/INSEADはキャリアの分岐点/体罰反対!とんでもなかった昔の学校/教務スタッフから名前を呼ばれた衝撃/敷かれたレールを踏み外したい/予定調和を崩すための赤シャツ/怖さを踏み越えようとする自分が好き

▼出演:
ゲスト
杉野幹人さん(武蔵野大学大学院言語文化研究科教授、ユーザーベース News Picks専門役員 CEO特別補佐、A.T.カーニーCMTアドバイザー、2児の父)
1メッセージ 究極にシンプルな伝え方(Amazon)
超・箇条書き 「10倍速く、魅力的に」伝える技術(Amazon)

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、アントレプレナーシップ推進大使、1児の母)
岡澤陽子(ブランディングコンサルタント、組織支援アドバイザー、ビジネスメンター、戦略インサイトリサーチャー、2児の母)


▼関連エピソード:
#2-1 トヨタで学び、戦コンで修行
#31-3 挑戦とライフ、パッションを探して
#48-1 あなたのキャリア資産、捨てたもんじゃない!全世代必聴の人生再生戦略
#66-1 なぜ企業は変われないのか?あらゆる組織が陥る慢性疾患「構造的無能化」
#80-2 グローバルトップエリートが見る世界!私利も国益も超える世界銀行の使命

感想

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00:11
スピーカー 2
今日もゲストの方に来ていただいておりまして、
ポッドキャスト初めて3年になるんですが、
最初の頃からゲストに呼びたい人リストに、
実はずっと入ってたんだけど、
いつ呼ぼうかなって思って、
ようやく来ていただきました、杉野幹人さんです。
スピーカー 1
ありがとうございます、杉野です。よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
杉野さんは、私のエティカニー時代の
同僚、同僚です。
同じ時期に在籍してたっていうことなんですが、
スピーカー 1
今は大学で教えられています。
基本的に大学教授です。
スピーカー 2
大学の研究やら、教えるお仕事みたいなところのお話もあれば、
あとニューズフィックスの
スピーカー 1
非常勤、CEO補佐っていうのがあります。
CEO補佐っていうスタートアップというか、
スピーカー 2
ニューズフィックス結構大きくなりましたけれども、
ベンチャー企業でのお仕事っていうところもありますし、
あとカーニーのアドバイザーもされてますよね。
杉野さんって結構前からですね、
いろんなことを並行していらっしゃって、
カーニーもフルタイムは離れられてからも、
なんか自分なりのスタイルで
関わり続けてらっしゃるっていう印象があって、
なんかそういう、
結構私前から杉野さん、
いいなって、そういうスタイルいいなって、
どうやったらなれるのかなってずっと思ってた。
でもなんかきっとそれは疑問に思う人たくさんいるよね。
でも私もフリーになって、
世の中には意外と肩書きを複数持ってる人って、
スピーカー 1
結構増えましたよね。
スピーカー 2
自治体的にも増えたと思うし、
結構いらっしゃるんだなと思いつつ、
でもやっぱりまだまだ、
会社に所属して、そこが基本でっていう方の方が多い中で、
そういう複数のお仕事をやるに至ったのは、
どうやったらそうなれるのっていうのは、
やっぱりすごい関心を持つ人がとても多いと思います。
そんな話をずっと聞きたい。
さらには結構本をね、
たくさんビジネス賞を出してらっしゃったりして、
その辺の本を出すっていうのもね、
一ビジネスマンの憧れの一つだと思うんだけど。
そうだよ、何だっけ、
サラリーマンとかビジネスマンの憧れの、
3つぐらいあるうちの一つが、
大学で教える。
一つが本を出版する。
両方。
そうらしいですよ。
やってみたいことっていう。
会社員とかね、そのビジネスを何年かやった先に、
いずれやってみたい。
そうそうそうそう。
だからそれを結構早い、
03:01
スピーカー 2
もう10年前ぐらいからそういうスタイルになってらっしゃって、
だからそれを実現するのって、
なんか羨ましいなって実は、
私は以前から思ってたところがあって、
そのお話を今日は聞きたいなっていうこと。
ちなみに、
初対面ですね、
同世代ぐらいですかね、だいたい。
スピーカー 1
たぶん、
お二人同学年ですか?
スピーカー 2
ざっくりこっち。
スピーカー 1
ほぼざっくり同学年で、
1、2歳上です。
スピーカー 2
ざっくり同世代ですね。
スピーカー 1
今年52になる世代です。
スピーカー 2
なるほど、なるほど。
じゃあもうざっくり。
同世代です。
そうです、同世代です。
なので就職氷河期に、
バーブル弾けてから就職をして、
水野さんは最初はNTTドコモ。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
当時はNTTドコモってない会社?
スピーカー 1
いや、ドコモあって、
会社名がNTT移動通信網株式会社っていう。
スピーカー 2
社名が違った。
スピーカー 1
で、まだ上司もしてなかったんで。
そうか。
スピーカー 2
携帯電話をさ、まだみんなが持ってるってわけじゃなかったでしょ、97年。
スピーカー 1
僕が入ったとき97年は、
携帯電話、ポケベルの方がまだ加入したすごい時代です。
スピーカー 2
私たちが就職活動する直前ぐらいに、
もう携帯をみんな持つみたいな感じになってたので、
社会人になってすぐぐらいのときには、
だいぶ携帯が来始めてる感じですか?
スピーカー 1
僕の学生時代は、
ポケベルすら最初はなくて、
大学時代にポケベルが流行り始めて、
就職するタイミングでPHS。
が出てきて、
ポケベルが残るのか、携帯が出てくるのか、
はたまたPHSが全部ばっちゃうのか、
っていうのが議論になってる時代でしたね。
スピーカー 2
すごいですね、なんかね、
今から考えたのね。
すいのさんってもともと理系ですか?
スピーカー 1
もともと理系で、
大学は東京工業大学って理系の大学で、
電気系ですね。
4年間いて、
園芸系とかも入ったわけです。
スピーカー 2
その技術者として入ったんですか?
スピーカー 1
技術者です。
就職活動を話すと、
僕ったぶん就職活動は結構頑張ったんですよ。
頑張ったっていうのは、
いっぱい工夫したとかそういうのじゃなくて、
すごい世間知らずだと思ってたので、
就職活動のタイミングで、
いろんな業界見てみたいと思って、
就職活動はひたすら金融の、銀行以外かな。
06:00
スピーカー 1
銀行とコテコテの製造業以外は、
ほぼすべてのもの叩いていきました。
スピーカー 2
逆に銀行とコテコテ製造業を外したのは、
コテコテ製造業の我々かもしれない。
スピーカー 1
コテコテ製造業を外した理由は、
僕は生まれは東京で、
育ちが小学校上がるタイミングから
神奈川県の相模原に引っ越したんですけど、
相模原の橋本ってところで工場だらけなんですよ。
小学校に行くにしても中学校に行くにしても、
工場を抜けていくんですけど、
本当に僕の偏見なんですけど、
そこの工場の雰囲気がすごい好きじゃなかった。
当時はまだバブル。
中学校はバブルだったと思うんですけど、
でも日本の製造業すごいって言われて
テレビでいっぱい出てくるじゃないですか。
なんですけど、
そのすごい製造業の会社の工場で、
そこでみんな退屈そうなことやってるし、
タバコ吸ってタムロテててつまんなそうだし、
あの日本ですごいって言われてる製造業も、
結局現場はこうなんだなって思って、
俺はこっちは嫌だなって思いながらいつも工場の横通って
中学校に通うっていうのを3年間やってたので、
製造業は嫌だっていうのが当時のイメージでした、僕は。
ただ海外に行きたかったので、
海外行くんなら製造業も仕方ないのかなと思って、
なんでコテコテっていうのは
ドメスティックにやってる製造業は嫌だなと思って、
海外に行けるんだったらありかなって感じぐらいでしょうね。
基本はサービス業のほうがいいなと思ってました。
スピーカー 2
なるほどね。
でもその2つの業界を除いたとしても結構な数ですね。
スピーカー 1
プライオリティは海外に行けることに結構置いてたので、
最初の就職数は当時1990年だから
就職数をしたのは5年6年ですか、とかだと
海外に行けるのはグローバルに展開する製造業もちろんと、
そもそも外資系っていうのがあって、
金融は興味なかったんで金融は外したつもりだったんですけど、
とりあえず外資系のカタカナと英語っぽいやつには
とりあえず応募してたんですよ。
そしたら、そこにゴールドマンサックスがあったんですよ、当時。
ゴールドマンサックスは当時の、
全然当時は有名じゃないですね、ゴールドマンサックス。
今のような感じではない。
全然じゃなくて、本当に誰も知らないような、
スピーカー 1
誰も知らないのかな、でも少なくとも僕は知らなかったし。
それはゴールドマンサックスはわかってるんで、
ゴールドマンのパンフレットはあんまり金融を打ち出してなかった。
それよりも最初の1ページ目とかで、
入社したら半年間シカゴに行けるって書いてあった。
09:00
スピーカー 1
ここ入ったら半年間シカゴ。
僕はついに念願の海外なんだって思って、
ゴールドマンひたすら受けて、
ゴールドマンはすごい早かったんで、
3年生のこの夏、秋かな、ぐらいにも連れて泣いてもらって、
で、これはいけるわって思って、
ゴールドマン以外の海外行けそうなところをひたすら受けて、
その中でドコモは、
まだ当時ドメスティックだったんですけど、
これから、当時まだ2Gって言われてる世界だったんですよ。
3Gって世界になったら、
ドコモの携帯電話は海外に持っていける。
で、なんで海外に行きたかったらうちだよって言ってくれた人がいて、
これ迷うなって思いながら、
あと当時の携帯電話って、
なんかすごいミーハーだったんですよ。
ミーハーってのも変だけど、なんて言うんだろう。
役者と芸能人が持てるの。
そんな感じで、そこに対してなんかかっこいいなっていうか、
先進感をすごい感じたんで、
でも、だったらこっちかなって思って、最後はドコモ。
スピーカー 2
へー、だいぶ違う人生ですよ、ゴールドマン・ザ・キスリングロと。
スピーカー 1
それ以外もいろいろ見て、
GRとかも見たりとか、NHK見たりとか、
いろんなところ行ったりしましたけど、
あとは社風とかですかね。
名前はちょっと言わないですけど、ある会社、泣いてもらった時に、
泣い泣いてっていうのかな、もらった後に、
今度はそこの会社のOBかOGの人に最後一流をしなさいと。
なんか古いなと思って、
かつ、そこの重鎮の大学のOBかOGの人に、
挨拶に行く時のスクリプトというか、
言ってほしいことみたいな。
どういうこと?
大学の先輩方が皆さんご活躍されたので、
私は無事入社、泣いていただくことができましたみたいなことを、
リクルーターの人から言ってくれと。
そうしたらうまくいくからみたいなこと言われて、
絶対この会社だなと思って。
っていうのが当時はまだ結構あって、
そういうのをいろいろ確かめながら、
社風と海外に行けるとかサービス業とかっていうのを、
バーって本当にゼロベースで選んでいって。
スピーカー 2
すごいですね、でも。
就職活動、真面目にすごいちゃんとやってますね。
私全然今聞きながらやってないって思った。
スピーカー 1
就職活動めちゃくちゃやった自信ありますね。
スピーカー 2
すごい。
でも最初にご自分が世間知らずだと思ったんでって、
おっしゃったメタ認知が大学生の時にあることが素晴らしいなって。
知らないのにそんな努力もしなかった。
そう、何も考えてなかったし。
しかも理系とかだと周りの研究室の推薦で入るみたいな方が大変でしょ。
ほとんど就職活動しない人が多いじゃないですか。
12:02
スピーカー 1
僕の同期も多分8割9割大学に行ったと思います。
ただ僕自身は入る時から大学に行くつもりがなかった。
スピーカー 2
すぐに。
スピーカー 1
高校時代に、たまたま当時、
そこそこ時代が皆さんに似てるようになるかもしれないけど、
電子立国っていうNHKスペシャルやってたんですよ。
半導体とかそういうので、
バブルが終わってちょっとぐらいのかな、
これからは半導体で日本は世界で成功するんだみたいなやつで、
それで海外に行きまくってたんですね。
それ見てて、
僕もこうやって海外に電気電子で行くんだみたいな感じを持っていたんで、
それでだけど、
そのためには日本の大学行けばいいのか、
それも文系で行くのか理系で行くのかもよく分からないし、
そもそも海外の大学行った方がいいのかもよく分からなかったから、
でも多分直接的に海外の大学かなと思ったので、
当時高校1校公認の時ぐらいに当フル受けてますよ。
当フル受けて、海外の大学に行こうと思って、
ただ調べていくと、
ちゃんと調べ方があったのかもしれませんけど、
当時はアルクっていう留学の方とか呼んで、
普通の大学なかなか入れないから、
まずはコミュニティカレッジで短大に入って、
そこからトランスファーを考えた方がいいっていうので、
でもよく分からないから、
当時インターネットもないですから、
アルクのやつで申し込みを出しながら、
ワシントン州かなんかにあるコミュニティカレッジのパンフレットをもらったりして、
ここだったら入れるかなとか思いながらやってたんだけれども、
でもそこからトランスファーしなきゃいけないとか、
リスクあるし、先読めないし、
これだったら国内の大学入ってから海外行くのがいいのかなと思って、
理系か文系かなと思ってた時に、
理系行ってた方が、
それこそ潰し学じゃないですけど、
後から何でもできるかなと思って、
じゃあまず一旦理系行って、
そこから海外に行くビジネスの方でいければいいなと思って、
理系を選んでたんですよね。
もはや高校生でそんなことを考えられることがすごい。
スピーカー 2
本当になかなかいないと思いました。
私も地元脱出しか考えてなかったです。
スピーカー 1
でもそれ近くて、僕も職業はそんな考えてなくて、
僕も海外に行きたいって。
スピーカー 2
海外でも大きかったんですね。
スピーカー 1
でも当時って日本の中で海外への憧れがあったから、
持ってたら何て言うんだろうな。
日本が劣っているとは言わないですけど、
何かのコンプレックスがあったんだと思うんですけど。
なるほどザワールドとか、
世界のまるほどハーモニチとか。
スピーカー 2
昔は僕にそうだった気がしますよ。
15:00
スピーカー 1
あれはどこからあの意識はつけられたんですかね。
分かんないですよね。
スピーカー 2
アメリカ様が作ったのか。
戦後教育で。
戦後教育なのかな。
なんとなく、
どこからそれが醸成されたか分からないけど、
確かに日本は劣っているとか、
アメリカはすごいみたいなのはありました。
スピーカー 1
あったし、
僕はそうでしたけど、
中学校とかも聞いてる音楽で洋楽。
海外の方がすごいんじゃないかって。
映画も洋楽だったんで、
ストレートにそこに考えていくと、
海外に行きたい、アメリカに行きたい。
が、とにかくすごい強かった。
それで、ドコモに入って海外に行けたんですか。
行けたんですよ。
ドコモに入った時に、
最初から海外に行きたいです、
なんでも書くわけですよね。
ちゃんと強く書いておこうと思って、
もう目的海外に行くことなので、
20代で海外に行けなかったら、
ドコモ辞めますからねってのを、
研修の時とかに書いてて、
当然書くと人事部から送られるんですけど、
でももう全部それ書いてたら、
言い続けてると、誰かしら聞いてくるじゃないですか。
そうすると、3年目かな、
ドコモが海外のオフィス作るってなった時に、
声かけてもらって、
行かせてもらえて、
シリコンバレーに。
そこで3年間ぐらい、
向こうで駐在して、
最初はもう社員として、
3番目から社員だったので、
オフィスを作るところから始めるんで、
陶器とか、
それこそオフィスレントしたり、
絨毯の色決めたりとか、
備品決めたりとか、
文房具買ったりとか、
っていったところから、
総務的なところから始めてって、
3年間、向こうの原子工事に作っていくってなってましたね。
スピーカー 2
当時のシリコンバレーって、
どういう状態だったんですか?
スピーカー 1
当時のシリコンバレーは、
2000年から2003年にいたんですけど、
ちょうど2000年の時に、
スピーカー 1
インターネットバブルが弾けてるんですよ。
シリコンバレーは。
ドットコンバブルって言ったのかな?
が弾けてて、
スピーカー 1
なんですけど、
ドコモにはすごいプラスで、
なんでかっていうと、
ドットコンバブルが弾けたので、
スピーカー 1
ベンチャーキャピタルのお金とか、
みんなどこに行ったかって言って、
モバイルに行ったんですよ。
なんですけど、2000年から2003年って、
スピーカー 1
日本だとiモードが2000年、
1998年くらいに出てるんで、
日本はモバイルインターネットが出始めたんですけど、
世界中に無かったんですね。
なんで、
シリコンバレーに出てきた
ドットコンバブルの会社がモバイルに行って、
モバイルの行き先が、市場が日本しかなかったので、
みんな日本を見てくれた。
なので、
当時の世界的なスタートアップとかが、
僕らがオフィスを作ると、
みんな向こうから来てくれたんですよ。
めちゃくちゃ恵まれたタイミングで、
18:00
スピーカー 1
だから3年間で、
数えたら500社くらいとあったんですけど、
もう本当に、
他の日系の会社とか、
日系のベンチャーキャピタルとかが、
羨ましいっていうくらいのところに会える。
例えば本当に、
出来立てのGoogleとか、
例えば、
3マイクロシステム、
絶対通っちゃったんですけど、
の、
COクラスと普通にご飯食べれるんですよ。
それくらい、
3マイクロシステムで、
Javaっていうのをやってて、
それを、
ドコモのiモードの携帯電話に入れたんで、
コクラス、
世界中で最大のお客様というか、
パターンになるくらい。
なので、
全部来てくれる。
それくらいのタイミングで行けたから、
もう本当に、
もう最高。
スピーカー 2
最高ですね。
スピーカー 1
3年間。
なんですけど、
さっきの話で、
いろいろ考えてるって話でしたけど、
僕は海外に行きたいと思ってたんですけど、
海外に行って、
何やりたい?
なかったんですよ。
なので、
シリコンバリー行ってみて、
面白かったんですけど、
もうびっくりするくらいに、
スピーカー 2
なんか、
スピーカー 1
なんて言うんだろう。
先がないっていうか、
夢を失っちゃってる感じ?
スピーカー 2
海外行くっていう目的が一旦果たされて、
スピーカー 1
果たされちゃった。
スピーカー 2
じゃあ何したいんだっけ?って。
スピーカー 1
だからよく、
あの、
みんなで、
自分探しとかってよく言うじゃないですか。
で、僕は多分、
海外に行きたくてシリコンバリー行ったので、
自分探ししてないように見えるのかもしれないんですけど、
僕はシリコンバリー行ってみたら目的が達成されちゃったんで、
今度は次の目的がないので、
そこで自分探しが始まったって感じ。
なるほど。
3年間は楽しかったですけど、
すごいフワフワしてる3年間。
スピーカー 2
そこからどうされたんですか?
スピーカー 1
で、そこで、
なんでも素直に、
自分には目標や目的がない。
で、
海外に行きたいっていう風に目的とか目標を持ってる時に、
すごい自分が強かったっていうか、
さっきの通りで行動力もあったし、
なんか何でも好奇心湧いたし、
っていう自分が分かってたので、
目標や目的があると、
すごく楽しいし、
充実するタイプだって自分でまず思ったんですよね。
なんですけど、全然見つからなくて。
3年間見つからなかったんですけど、
なんとなくこれだなって当時思ったのが、
向こうのスタートアップ企業と会ったりして、
あと日本からもいっぱい、
そこでトヨタもいたと思いますけど、
いろんな会社がシリコンバリーに来てて、
分かったのは、
なんかシリコンバリーってそんなに技術すごくなかったんですよ、当時。
ですから僕が見てたモバイルのエリアでは、
全然日本の企業の方がすごくて、
日本のほうの企業の方がすごかったんだけども、
ことごとくビジネスでは、
シリコンバリーの話負けていくんですよ。
21:01
スピーカー 1
何が違うんだろうなって思ったときに、
圧倒的に経営。
圧倒的に経営だなって思って、
それをまざまざと理解した3年間だったんで、
2年目のときに、
やっぱり自分は経営をやりたいなと、
というふうに思ったんですよね。
なんで経営ってキーワードがあって、
でもまだ完全目的としてセットで仕切れなかったんで、
とりあえず行動だなと思って、
現地の夜間のMBAに、
自分のお金出して申し込んでみたんですよ。
そしたら受かって、
働きながら2年目の終わりくらいに夜間のMBAに行ってみたら、
めちゃくちゃ面白かったです。
この道で何かあるかもしれないなというふうに思ってて、
たまたまそのときに、
ドコモの方のMBA派遣の方に応募してたのを受かって、
もしどこか海外のいとこのビジネスクールに向かったら、
会社がサポートしてくれるというプログラムに入れたので、
そこで、ちゃんと経営やってみようかなと思って、
本格的にMBA受験をもう一回してみて、
アメリカじゃなくていいなと思っていたので、
インシアドに出したらよかったので、
インシアドに行ったという感じです。
- じゃあ秀賀県で行かれて、
スピーカー 2
シリコンバレーから直接もう次は、
コンテンプロの方に?
スピーカー 1
僕は結局シンガポールの方に行ったんですけど、
アメリカはもう3年間行って、
ちょっともう飽きてきてたかな、正直。
子供がちょうど生まれるかな、
生まれたかのタイミングだったので、
とはいえ、英語圏がやっぱり、
病院とか考えると思うので絞っていて、
イギリスか、
インシアドかシンガポールのどちらかというので、
基本はイギリスとシンガポール中心に受けていて、
その中でシンガポール、
インシアドはすごく好きだったというのもあるんですけど、
シンガポールには妻の兄がいたので、
子育ての面でもいいかなというので、
シンガポールの方のインシアドに行ったんですよね。
なるほど。
スピーカー 2
私もインシアドのシンガポールキャンパス。
スピーカー 1
そうなんですか?
そうなんですよ。
スピーカー 2
私は本当最近というか、
3、4年くらい前。
スピーカー 1
そうなんですか?
スピーカー 2
MBAではない?
MCAではなくて、
社会人大学院みたいな、
2ヶ月に1回行くみたいな感じのマスターの。
プログラムに行ったんですけど、
いいですよね、インシアドね。
スピーカー 1
僕はインシアドに行っていなかったら、
今の自分は本当にないというのは思っています。
スピーカー 2
何が?
スピーカー 1
いっぱいありますけど、
そもそもインシアドに入っていなかったら、
多分エティ管理にも入れていなかったと思います。
間違いなく。
MBAの学歴というのは、
一つのパスポートになっていたものです。
なので入れているというのと、
24:03
スピーカー 1
インシアドで、
本当に経営の知識をちゃんと身につけられたので、
エティ管理とか、
僕が入った時とかは、
本当に何て言うんですかね、
結構の割合で、
もうすぐ、
1年で多分3割くらい辞めてましたよね。
スピーカー 2
そうですね。
そんなに厳しいことを入ってから知りました。
気がつくと、
3ヶ月くらいでいなくなる人がこんなにいるんだっていうのを、
知らずに入っちゃった。
スピーカー 1
僕も本当に、
一緒に入った2005年の4月に入った同期が、
5、6人いて中学3人だったのかな。
3人のうちの1人が僕で、
もう1人が、
2005年4月に入った同期が、
確か誕生日まで一緒なんですよ。
年齢も一緒で。
運命の出会いだなと思って、
こいつと一緒にこの会社でしばらくやろうと思ってたら、
1ヶ月くらいに疲れて辞めちゃうんですよ。
それくらいみんな厳しかったんですけど、
多分僕MBA行って経営の最低限の知識があったんで、
何とかサバイブできただろうなっていう感覚はやっぱりあります。
あれ行ってなかったら、
多分いけてないって感じはありますね。
ていうので、
多分入れたのとサバイブできたのにはすごく強かった、
ともう1個は、
今の大学教授に関係ありますけど、
それまで僕教育全然興味なかったです。
ですけど、
インシアル行ってみて、
教育のパワーってすごいなって思ったというか、
僕多分本当に、
当時の先生たちにはあんまりポジティブに言えないですけど、
小学校とか中学校が僕はあんまり良くなかったんだと思うんですよ。
なので、
分かんないですね。
お二人の地元の時どうだったか分かんないですけど、
僕は小売中学校、小売中学校なんですけど、
なんて言うんだろう、
いや本当適当、正直。
例えば小学校の先生とか、
これ妻も同級生というか同じ学年なんですけど、
妻のところだとなかったらしいので、
僕の知識は良くなかったんだと思うんですけど、
普通に小学校の担任の先生とか、
普通にクラスでタバコ捨てたし、
スピーカー 2
自分もありました。
スピーカー 1
ありました。
だから、小学校で掃除の時間とか、
先生の吸い殻を片付けたりとかしてて、
という印象を。
スピーカー 2
分かりました。
でもなんか時代的に、
左系のところがすごく強くて、
地区によっては、
私の行ってた小売中小学校もそうだったんですけど、
そういう先生が集まっちゃう学校みたいなのがあって、
27:01
スピーカー 2
結構ひどかったんですよね。
スピーカー 1
僕のところも感じてたと思うんですけど。
スピーカー 2
同じような感じだと思います。
スピーカー 1
それで、
いわゆる大罰じゃないですけど、
ひたすらぶん殴る。
スピーカー 2
そうでした。
大罰は起こせましたよ。
スピーカー 1
ですよね。
スピーカー 2
これ刑事事件だろっていう。
今だって本当そうだよ。
本当に。
小学校3,4年くらいの時に、
女の先生だったけど、
年齢私たちくらいか40,50代くらい。
その男の子に、
殴って蹴ってる場面があって、
その時、
理由があるけど、
そんな殴ったり蹴ったりするのは理由じゃないですよ。
でもその時の男の子の目、
今でも覚えてます。
理不尽に対しての怒りみたいなところを、
すごく覚えてるし、
結局その子とかは、
小5、小6くらいから、
授業出なくて、
ベランダでずっといて、
みたいな感じになっていっちゃったんですけど、
時代的にそういう学校は、
スピーカー 1
法律小学校全国的にあったと思います。
僕のところもそんな感じだったんですよ。
なので、
先生たちを別にリスペクトする対象でもないし、
学校は友達と会えるんで楽しかったですけど、
何か学びがあったわけじゃ正直ない。
あと、公立の小学校とか中学校とかだと、
ある程度、
勉強ができる子とかだと、
授業は正直面白くない。
全然、知的好奇心が満たされないし。
なので、
友達に会えるのは楽しいけど、
それ以外は特に学校に思い出もないというか、
中学校に行くと、今度は、
僕の時は最後の時代の残りがで、
超荒れてたんですよ。
7割がヤンキーみたいな。
中学校の入学式に、
先輩たちが来て窓ガラスがチャリチャリしてあげるとか、
そういう時代。
で、
余計、今度は先生たちの大罰がすごいですよね。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
すごくて、
僕も、
ヤンキーではなかったですけど、
普通に、
やんちゃするグループにいたので、
そうすると、
授業とかの最中とか遊んでたりとか、
自習とかっていうと、
遊んで、教室で野球とかやっちゃうじゃないですか。
教室で自習の時に、野球やってたんですよ。
たまたま、僕がキャッチャーで、
誰か投げてきて、
誰か打ってってのを教室の後ろでやってたんですけど、
そしたら、なんか、
後ろからトントンってやられて、
なんだと思って、
僕はキャッチャーで一番後ろのはずなのに、
後ろ見たら、
30:02
スピーカー 1
他の先生が来てて、
で、僕をむっきしゅんガーンって取れてあげられて、
人生であんなに飛ぶんだってぐらい。
飛ぶんで殴られて。
だけど、
悪いかもしれない、自習で遊んでるのが。
他の学生にも、生徒にメイドワークだったかもしれないけど、
でも、殴るって考えられないですよね。
っていうのが、当時はいっぱいあった。
スピーカー 2
ありましたね。
スピーカー 1
そういうのも、全然楽しくなかったし、
スピーカー 2
あと、
スピーカー 1
二人もそうかもしれませんけど、
人口が多かったっていうか、
同級生多くなかったですか?
スピーカー 2
多かったですね。
ジュニアですよね。
段階ジュニアの最後の方ですよね。
スピーカー 1
多かったんで、
僕のところも神奈川県の相模原のベッドタウンなので、
子供がいっぱいいるんですよ。
で、そうなってきて義務教育なので、
学位置教育で全部、
押し込もう押し込もうの方向じゃないですか。
なんですけど、押し込もう押し込もうがほんと嫌いで。
なので、
なんていうんだろうな。
でも今に至るんですけど、
道を外れたくなってくるんですよ。
どんどんどんどん。
で、小学校の方が結構、
頭があると良かったです。成績良かったので。
っていうのと、
なんていうんですかね、
喋ったり前に出すのも嫌いじゃなかったので、
小学校の方とかほとんどずっと学級委員長を出す。
で、中学校入って、
同じような感じで中1、中2ぐらいは多分学級委員やってたんですけど、
中2の時かなんかに、
それで、
先生から政府会長になりてくれた。
それが、なんでお前が決めんだよって言って、
それがなんか自分の中の、
今にしても良かったんですけど、
ほんとこいつら嫌いっていう風に思って、
そこでも反抗期的に、
そういうのを一切やらないって決めて、
クラス委員とかも全部辞めて、
とにかくなんか、
外れた道を行きたくなってきた。
で、
そうすると今度高校受験も、
本当だったら公立の新学校に行けばいいんですけど、
なんかね、行きたくなくなっちゃうんですよ。
なんか、引かれたレールっぽくないですか、
公立の新学校で。
先生が内進点で決めて、
行く。
高校受験で公立に行くっていうのは、
先生の文房に配ったような感じになっちゃって、
嫌だなって思って、
近くにできた私立の高校で、
当時まだ卒業生も達してないようなところがあって、
なんで募集してて、
かつほとんど単眼推薦で取ってくれてたところがあったから、
そっち行って、
今度はここだったらなんとか、
一旦自分の先生たちとか、
学校とか、
みんな従いみたいな方から抜け出るかな、
みたいな感じで、
行ってみたんですけど、
33:00
スピーカー 1
でも高校は高校で、
今度はまた別の問題で、
当時って、
教育者が、
同じ問題なのかな、
あんまりサービス業じゃないっていうか、
やっぱり先生は偉い、
ホワイトボードとか黒板を向きながら、
教科書に書いてあることを、
ひたすら、
あれ、つまんなくないですか。
つまんないですよね。
でもそれでも効かなくなっちゃって、
ラグビーやってたんで、
ラグビーが全然楽しかったんですよ。
でもラグビーやってればいいやと、
やっぱり高校は面白くないと思って、
授業もサボりがちで、
朝連行って早退するみたいなのも、
繰り返してたりしてて、
面白くないなと思ってて、
ずっと高校時代も先生たちには、
結構反抗期というか、
で、
何の良い思い出も先生たちにないんですよね。
で、高校時代もだから、
学校ってあんまり価値ないなと思いながら、
それだけどさっきの通りで、
海外に行きたいなとかっていうので、
海外に行きたい大学に行って。
で、大学行ったら大学行ったで、
僕の大学、最初は一般教養なんですよ。
で、地学とか生物とか、
スピーカー 1
何にも興味がないけど、
それをやるっていう授業を、
さらに、今まで以上に、
今でも動いてますけど、
スピーカー 1
200人ぐらいの大教室で、
しかも黒板見ながら先生がくださってて、
スピーカー 1
これ、高校よりも悪化したわと思って、
もう大学1年でほとんど大学行かないで、
もうこれどうでもいいわと思って。
スピーカー 2
そうですよね。
教科書読み上げてるだけの先生とか、
結構いたから、
スピーカー 1
もう教科書買えばいいじゃんみたいな感じでしたね。
本当に買えばいいですよね。
なので、全然大学って、
ダメだわっていうふうなまま、
もう学位、学位というか、
スピーカー 1
卒業証書だけもらえばいいわって感じで、
スピーカー 2
出てったって感じでしたね。
なるほどね。
それがインシュアルだと、
スピーカー 1
でも何がまず驚いたかって、
入学して、
最初、
ジムの方行くと、
ジムの人が、
まだ、
学校初めて来たって言ったんですよ。
僕のことを、
ハイ、ミキトって言うんですよ。
何がすごいって、
ジムの人が、
初めて来た僕の顔を、
写真と名簿で見てて、
話しかけようとしてる。
で、それが覚えてるのが、
その場で調べたのかわからないですけど、
ちゃんとそういった相手の顔を理解して、
話しかけるっていう、
そのサービス精神でまず驚いた。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
これはジムのスタッフだけなのかなと思って、
今度授業に臨むと、
授業もちゃんとそこのとこで、
一人一人プラカードがあって、
ミキト次のとかって書いてあるんですけど、
一人一人ちゃんと名前で呼んでって、
で、ハイ、ミキト次どうするんだって聞くし、
なんなら僕がカード忘れてたとしても、
36:01
スピーカー 1
先生たちもちゃんと名簿とかで理解してるので、
ハイ、ミキト何とかだって当ててくるんですよね。
っていうので、
完全にサービス業として、
会った人だったら、
ちゃんと名前を覚えるって当たり前じゃないですか。
でも例えば、大学とかって、
僕がいた大学とかって、
先生が学生の名前を覚えるって、
ゼミはあったかもしれませんけど、
ゼミ以外って多分ないんですね。
という世界と、
もうこの授業が始まる前に、
ジムの人、授業が始まったら先生が一人一人を
名前を覚えてやっていくっていう、
ビジネスだったらある意味当たり前なんですけど、
そこを教育にちゃんと取り入れてて、
やっている。
そこで結構感動してしまって、
で、さらに、
今教員やってるんで、
もうちょっとテクニカルに言うと、
授業の成績の付け方も、
コンプリビューションっていう、
クラスコンプリビューションかなっていう
名前でしたけど、
大抵が2割か3割は、
授業中にどんな発言をしたかで、
成績評価をつけるんですよ。
でも一方で、
日本の僕がいた当時の大学とかって、
授業は基本試験とレポートであって、
授業中の質問とかって、
全然そんなの入ってなかったじゃないですか。
なんだけども、
インシアトの場合は、
2、3割のディスカッションを成績評価するというので、
とにかくみんな質問と意見をバーッとしあって、
盛り上がっていく。
すごい楽しくて。
人の意見を聞くのも楽しいし、
自分で発言するのも楽しいし。
スピーカー 2
それに対しての反応がね、
これが面白いですよね。
スピーカー 1
それがすごい面白くて、
これが教育だったら、
僕の最初の小学校から大学までの間って、
また全然違う人生になったんじゃないかな、
というふうに思って。
でも、
まだ当時28か何かだったんで、
若いし、
いつかこういう教育を、
日本にないはずだから、
こういう教育を日本でやってみたいな、
というふうに思ったというので、
それがだから、
スピーカー 2
その後に繋がるんですね。
スピーカー 1
教育をやりたいなと思った最初のきっかけは、
完全にインシアです。
どうしてかというと、
日本のそれまでの教育は、
僕にとってはアンチテーゼル。
スピーカー 2
なるほど。
時代はあるんだと思うんですけど、
今はだいぶ変わってきていると思うんですけど、
私たちの時代の小学校とか中学校とか、
そういう学校って本当に一方的だったし、
やっぱり先生という存在が、
学校の中での絶対価値観みたいな、
なので、
言う通りにすべきである、
みたいな、
生徒はそれに従わなければいけない、
みたいな、
そういう固定した関係性とか、
すごく狭い中で、
というのが、
すごく強かったですよね。
スピーカー 1
うん。
めちゃくちゃ強かったと思いますね。
あと本当に、
人数も多かったので、
先生の立場からすると、
大変だったのが分かるんですよ。
39:01
スピーカー 2
高校を見ていられないぐらいの人数だったというのがありますよね。
スピーカー 1
特に、やっぱり教育で分けた方がいいと思っていたのは、
義務教育とそうじゃないのを分けた方がいいと思っていて、
義務教育じゃない教育で、
あくまでも相手があって、
相手が学習したい、
そのための手段として、
教育を誰かがしてもいいし、
自分で学習してもいいという、
どちらかというと、
オプションというかじゃないですか。
主役はあくまでも学習者ですよね。
でも義務教育は、
相手の学習のためもあるけれども、
基本は国が国民国家を作るためにやっている、
という方説をしたかったものなので、
先生たちが主役でも確かにあるんですよね。
かつ、それでいて、
全員に対してやらなきゃいけない。
僕も今教育をしちゃっていると、
やっぱり、
公立小学校や中学校の先生は、
大変だなとは思うんですよ。
何でかというと、
いろんな人がいるから、
そこに対してやろうと思った時に、
多様性とか言っていられない部分は、
絶対ありますよね。
なので、そこに確実的な教育を入れたい、
というのが、
当時すごく強かったんじゃないかな、
という気がしますよね。
スピーカー 2
なるほどね。
確かにね。
時代が同世代だと、
今だいぶ変わってきたものも、
あるのかもしれないけれども。
大変そうそう。
子供とかが見ていると、
だいぶ変わってきているのかな、
という感じもするし、
だから、より一層、
先生たち大変だな、
そうですよね。
一クラスの人数は、
それなりにそこそこあるのに、
結構、一人一人見て、
本当に大変だな、
と思うんですけど、
でも、
本当に、
本当した世代から比べると、
すごい恵まれているな、
そうですね。
スピーカー 1
でも、
僕が中学校の時とかに、
ヤンキーとかすごく多かったじゃないですか、
でも、
彼ら、彼女らの気持ち、
すごい分かるんですよね。
すごいよく分かる。
スピーカー 2
生き苦しかったんだと思います、
時代的にも。
し、
スピーカー 1
あと、
やらせたなって思えているのは、
あそこで、
特にその中二の時に、
生徒会長断ってから、
どちらかというと、
先ほどの話で、
先生の描いたここに行かないとか、
どちらかというと、
何て言うんだろうな、
レールが見えた瞬間、
踏み外したくなるんですよ、
性格的に。
で、
多分、
無理してでも、
踏み外す方に行くという修正がついているんですね。
なので、
例えば、さっき就職活動頑張ったんですけど、
42:00
スピーカー 1
ドコモの内定式、
内定式かな、
4月1日だったと思うんですけど、
とかに、やっぱり就職活動できて、
みんなで、
白とか水色のスーツ、
男が着るのがやっぱり嫌じゃないですか。
で、やっぱりこれ踏み外したくなくなるわけですよね。
でも、
面接の時に踏み外したら、
合格もらえないのも分かって、
泣いてもらえないのも分かっているので、
そこは合理的にやるんですけど、
内定式はそのリスクないじゃないですか。
でも踏み外したいんで、
200人くらい同期いたんですけど、
もう一気に踏み外そうと思って、
僕、真っ赤なシャツ着て行ったんですよ。
真っ赤なシャツで真っ赤なネクタイ着て。
で、多分誰もいないと思って。
で、行って、
そうすると、
僕は初めて会社の人に怒られたんですけど、
ドコモの人事部から、
呼び出されて、
ドコモの人事部に呼ばれて、
次の年の、
今度ドコモの新入社員の、
内定式とか研修の時には、
通達で、
白と水色以外のシャツは禁止というか、
それぐらい踏み外して行ってたと思うんですけど、
でも、
結局僕、
その後ドコモから、
海外に向かってもらえたし、
MEB留学向かってもらえたし、
別に踏み外したところで、
誰か怒るかもしれないけど、
何も失わない。
スピーカー 2
確かにね。
スピーカー 1
むしろ、
僕、それから、
踏み外したくなる時って、
予定調和的なものを壊したい時って、
しばらく赤いシャツ着ることをしてたんです。
例えば、
ドコモ入って、
社長との対話会、
社長とかって言うと、
たまに現場降りてきて対話するの好きじゃないですか。
そこもまた、
人事部とか何とかが、
ドコモのトイレ行っとけ、
そういう緊張する場なので、
踏み外そうと思って赤いシャツ着てくるわけですよ。
そうすると、
社長はその後の懇親会のところとかに、
わざわざ指名して、
赤いシャツって言って、
お前名前何て言うんだって言って、
覚えてくれたりするわけですよ。
そういうのもあって、
踏み外すことが、
決して踏み外しちゃダメだっていう、
同時発表があるんですけど、
踏み外すことはマイナスあんまない、
っていう経験をだいぶしてて、
それはすごい僕の人生にとって、
大きなプラスだったと思います。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
さっきの、何で副業とかするんだとかも、
全部そこ繋がってて、
踏み外すことの勇気は、
たぶんすごいあるんです。
スピーカー 2
なるほどね。踏み外す勇気。
踏み外し。
スピーカー 1
全然踏み外したところで、
誰か何か言うかもしれないけど、
そんな失わないっていう。
スピーカー 2
そうですよね。
それを理解できれば、
本当恐れることはたぶんなくて、
それを積み重ねてらしたんですね。
相模原での経験も、
どこも出る経験もね。
スピーカー 1
僕、エティカーに入ったのは2005年に入って、
田中さんはその時に、
まだ在籍されたと思うんですけど、
45:01
スピーカー 1
4月に入って、4月の末か何かに、
スタッフミーティングっていう、
全社員集めたのが、
あのホテルであったんですね。
そこも、僕の中で予定調和を感じたんですよ。
新入社員は謙虚でなきゃいけない。
で、なんかシニアなコンサルタントが、
上からは物申すみたいな感覚を持ってたので、
踏み外したくなるじゃないですか。
なんでその日に、
数年ぶりに、僕赤いシャツ着てたんです。
スピーカー 2
えー。
スピーカー 1
そしたらそれも面白くて、
コンサルタントは真面目な人がいいし、
育ちがいい人が多いので、
赤いシャツはみんな着てこないわけですよね、当然。
なんで、着ていったら目立つんですよ。
目立って、やっぱり変な人って思った人も
いるかもしれないんですけど、
その後に、当時の、
当時か。
一個前の日本代表の人とか、
要はまだ入って1ヶ月の僕を、
当時のシニアのパートナー3人ぐらいが、
僕を誘ってくれて、4人で飲み行ってますよ。
それって、その後も、
僕未だにアドバイザーって27年くらいいますけど、
パートナー3人と新入社員1人って組み合わせで
飲み行くことは多分ないですよ。
でも、多分赤いシャツ着てて、
こいつ面白そうだって言って誘ってくる。
っていうのがあって、
なんで、ああいうのから踏み外しても大丈夫だし、
踏み外した時に、
むしろ良いことの方が多いっていうのが、
どんどん強化されていって。
成功体験とかね。
スピーカー 2
そういうことか。
でも確かに最初やって、
最初絶対怖いじゃないですか。
普通人は怖いじゃないですか。
どうなっちゃうんだろうか。
スピーカー 1
今でも怖さありますよ。
0じゃないですか。
スピーカー 2
そうなんですね。
でもそれはやっぱり、
経験を積み重ねることによって、
あれ、意外と大丈夫じゃん。
意外と大丈夫じゃん、みたいなので、
やっぱり不安っていうか怖さみたいなのは、
かなり軽減されていくんですか。
スピーカー 1
そうですね。多分、
怖さは常にあるんですけど、
あるけれども、
その怖さを超えようとしている時、
踏み外そうとしている時の、
自分が、
好き?
自分っぽくて好き。
なので、
ドキドキワクワクするっていう感じ。
スピーカー 2
なるほどね。なんかアドレナリンが出るんでしょうね。
スピーカー 1
だと思います。なので、
そういう時の自分が、
あと振り返ってみても、
そういった時に結構、
自分のいいことが起きている。
なので、後から振り返れば多分いいはずだから、
迷ったら踏み外そうと思っています。
スピーカー 2
なるほどね。迷ったら踏み外そう。
すごいかっこいい。
ちょっと、
一本目はここまでにして、
ドコモを辞めて、
イーシャーと行ったんだけど、
その後、お世話になったドコモを辞めて、
転職をして、
そこまで、
そして今に至る色々な、
広げていった、
勇気をどう踏み外すかっていうところは、
話を聞いていたんですけど、
48:00
スピーカー 2
ちょっと具体的に、
何を実際に今に繋がるかみたいな話を、
次回に行きたいなと思います。
48:15

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