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スピーカー 2
杉野幹人さんをお招きしての二本目でございます。 一本もかなり濃かったんですけど、杉野さんが就職して海外に行きたいみたいな、そういうお話をしたかと思いきや、
幼少期の頃にまで戻って、教育についていろいろ疑問を持っていた者が、インシアブに留学をしたことで、かなり考え方を変える、自分自身も教育に関わってみたい、みたいなところにつながるようなお話を聞いてまいりました。
ただ、ドコモで通算何年いらっしゃったんですか?
スピーカー 1
ドコモは8年ですね。
スピーカー 2
8年、そのうち留学していた時期もあるし、という感じですかね。
スピーカー 1
日本でエンジニア3年、アメリカ3年、留学1年、日本に戻って、新規事業とまわって1年ですね。
スピーカー 2
留学して帰って、日本で働いた時期もあるということですね。
スピーカー 1
はい、1年働いて。
スピーカー 2
でも、転職をされるわけなんですけど、それは、もうMBA行っている間に転職をいずれしたいな、みたいな気持ちが湧いてきていたんですか。
スピーカー 1
もともとMBA行く前は、全然転職したいわけでもなく、ずっとドコモに。
未だにドコモ大好きなんですけど、ドコモに行きたいなと思っていたんですよ。
ただ、転職というか、きっかけなのかな、伏線なんですかね。
インシアドに受かって、子供もできて、アメリカに行った時に。
その直後に、2003年の1月ぐらいにインシアドに受かったのかな、12月か1月にインシアドに受かって、7月から入ったんですけど、
その半年の間に、僕昔ラグビーやってて、高校もラグビー部で、ドコモ自体は実業団でラグビーをやってたんですよ。
ずっとやってたんですけど、プルキッドを抱えてて、背中にヘルニアがあったんですよね。
それがどんどん悪化していって、2003年の1月か2月か3月かに、
ある日、ヘルニアって背中の軟骨みたいなのがピュッと飛び出して、神経をつついて痛いんですけど、
我慢しまくってたら、その軟骨みたいなのが飛び出すだけじゃなくて、飛び出し切って有利してて、
身体の中をさまよい始めてたんです。
で、僕はさまよっているうちは痛くないので、「ああ、治ったんだ。」ぐらい思ってたんですけど、
それがどんどん月日を重ねて有利しているのが少しずれていくじゃないですか。
で、ある日突然、視覚神経というよりも運動神経みたいなのがブツッて詰まり始めて、
その、インシュアルも受かってて、これは留学だと思って生きようとしているときに、
ある日突然、もう身体が下半身が動かなくなっちゃったんですよ。
で、初めは身体がなんていうんですかね。
アメリカにいたので、日本でなんて言葉を使うのかわからないんですけど、
身体がこうやって湾曲、こういうふうにして、戻らないですね。動かなくなっちゃった。
で、それを数日続いて、今度は最後はもう立てないみたいになっちゃう。
なんでだろう、悲しくて麻痺しているような感じですかね。
になってしまって、もう会社も行けないし、当然留学も多分できないし、で、どうしようって感じですね。
結構絶望。で、子供が生まれて、まだ子供生まれる1ヶ月か2ヶ月かも。
だから、子供も食わしていけないし、これ本当どうするんだって感じで。
で、妻は励ましてくれてますけど、多分妻もショックを受けているのは間違いないだろうし。
で、まだ28で、どうやって俺これから生きていくんだろうみたいな感じだったんですよね。
で、いろいろと調べて、あとたまたまなんですけど、同じ当時住んでいたアメリカのアパートメントに、
大学時代からの知り合いの先輩がいて、その人が仲良くて、助けてくれるというか色々相談を持ってくれて、
その人がアメリカの病院を調べてくれたりして、神経をやっちゃっているので、
普通の芸科じゃなくて神経芸科っていうところのいい先生がいるみたいだぞっていうことで、
そこの先生のところにほとんど歩けないんですけど、行ってみて、
そしたら英語も一応3年住んでましたけど、医療の専門英語とかわかんないですよ正直。
で、何言ってるかあんまりよくわかんないけど、とりあえず分かったことは50-50って言われたことだけは分かった。
で、50%でまた歩ける。50%でも歩けないっていう風に言われた。むしろ悪化するかもしれないって言われて、そこは分かった。
で、手術するかしないかは気にしないでよって話をされて、
もうだけどこのままで未来がないのは分かってたので、手術受けるという風にして手術を受けて、
結果的にはその手術が成功して、今こうやって歩けてます。
ただ、今でもまだ右足の親指があんまり神経が戻ってなくて、
僕はスポーツ、ラグビーとかやってたんでスポーツ好きなんですけど、
未だに全力ダッシュできないんですよ。右足の親指に力が入らなくて。
スピーカー 1
そしたらもうたぶん戻らなくて。というのを経験して、
それは3週間くらいそういう時期があったんだと思うんですよ、手術まで。
本当に何が起こるか分かんないし、いつ自分の未来が全ての可能性が消えるか本当に分かんないなって。
まずはまずだと思って、これ本当に何かいつかやろうじゃなくて、
やりたいことは今やるしかないなって感覚をその時にすごい思ったんですよ。
これはだけど留学もできるし、経営の勉強したかったのを今できるって本当になんて幸せなんだと思って、
院舎で行って、それで人生のたぶん僕にとっては未だに僕の人生の底は底なんですけど、
人生の底を得てからMBA楽しくて本当にもう幸せ。
あそこで手術失敗してたらここにも来れてないし、歩けてるし。
経営はやっぱり素晴らしいってことをすごく理解し、
しり込まれた時に本当に日本の技術のある会社が全然経営で負けていってるのをまざまざと見てきたので、
これは経営をなんとかやって、僕が日本を救ったくらいの感覚で日本に戻った。
なんですけどドコモに戻ってやってたことってそういうことじゃなかったですよね。
待ってたのはもうちょっと簡単に言うと雑用というか。
で、それがやっぱり自分の中ではさっき言ってた、
もう本当に明日またもう一度、特に当時なんでまだ手術失敗1年も経ってないので、
再発するかもしれないって言われてたので怖いじゃないですか。
その中でこの雑用しながらもう一回来て人生終わるの嫌だなっていうふうにやっぱり、
スピーカー 2
なるほどな。
スピーカー 1
すげえ思った。なので会社には申し訳ないけど辞めて、やっぱり経営やりたかったから経営をやる。
でも僕別にシリコンマライで企業が得意だとも思ってないんですよ。
企業がいっぱい見たから。
だけど経営は好き。
だったらインシャルドにいっぱい傾向されたんだよね。面白い奴いっぱいいたので、
傾向されてやろうと思って、傾向された後になったって感じですかね。
でドコモには会社のお金で行かせてもらってたので、返納しますっていうのをお伝えして、
そしたら当時のドコモは担当していた副社長がいるんですけど、
だからお金返さなくていいと。
その代わりNTTグループっていうかドコモはまだできて若い会社だったので、
あとNTTグループがぬるい会社だと周りから思われていて、
NTTとかドコモ出身で世の中で活躍しているビジネスパーソンが少ないと。
スピーカー 1
なのでドコモやNTTも人材をちゃんと配出できるんだというので、
何か君が活躍することがなったらNTTドコモ出身だってことを話したり書いてくれって言われて。
スピーカー 2
かっこいい。
スピーカー 1
石川さんと副社長から言われて、僕は未だに本とかでも、
例えば超過剰化期って本にしても、この間のワンメッセージって本にしても、
伝え方の本なんで、どこも関係ないんですけど、
必ず略歴にはNTTドコモから始まるように書いてる。
そういう観点からドコモを辞めて経営で勝負しようと思って、
経営コンサルティング会社に入ったのが2005年4月。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
日本企業ってすごくちゃんとした方もいらっしゃるし、
良心があるというか、私はトヨタに対してもそう思うし、
きっとドコモもそうだったんだなって今のエピソードを聞いてもすごく思うんだけど、
一方ですごくもったいないことをするなって、
スイノさんのような志もあり、会社の金でね、
インシアドで学び、非常に高い能力も志もある方を
MBA戻った後、雑用させちゃって、ある意味スポイルしちゃうっていうか、
そういう気持ちにさせちゃうのって、
ルールが会社の中にあって、
何年目の人はこれ、何年目の人はこれ、
あなたはまだこの役割をするのは早いのよって、
ある意味の親心が会社にはあって、
そこからはみ出すことを決してできないっていう、
そこってすごいもったいないなっていうのは感じますよね。
スピーカー 1
それと、さっきの話の、
僕自身がそういったところからはみ出るのができるので、
はみ出しちゃったって感じだったと思いますね。
でも田中さんおっしゃったけど、僕どこも大好きです、今なりに。
その後に外資系行ったりスタートアップ行くと、
みんな頑張ってるし、みんな本当に優秀だなっていつも思うんですよ。
でも優秀なのにはちゃんとインセンティブがあって、
お金ももらえますし、活躍したら本当にいいこともいっぱい待ってるんで、
すごい合理的なんですよね。
なんですけど、僕日本の大企業のすごいなって思うのは、
日本の大企業の、言い方はいいかわからないですけど、
8割とかはそんな働いてないと思うんですよ。
なんですけど、頑張ったところでそんなにインセンティブがないのに、
頑張る1割くらい、2割くらいの人たちはすごいなって思うんですよ。
本当にノーブレス・オブ・リージュというか。
競争してたりとかそういったところって、
働いてない人の底辺が高いというか、
本当にレベルが、下が高いんですよ。
でも日本の大企業とかで緩いところって、下は相当低い。
本当は働かない。なんですけど、
じゃあそこが平均値はみんな働いてないんですけど、
上は外資系とかスタートアップのすげえ働いてたりとか、
頑張ってる人と変わんないか、もっとすごかったりする。
スピーカー 2
もっとすごいと思います。
なぜなら、その下の人たちも含めて、
使うって言葉が正しいかはわかりますけれども、
そこをうまく回しながらやっていかないといけないので、
切り捨てられないもんね。
難易度は遥かに高いと思います。
精神的なもの、時間的なものを含めて。
スピーカー 1
特に日本の大企業のトップクラスで出世した人たちは、
遠いまだ報われてると思うんですよ。
でも日本の大企業の1割2割の中の、さらにその、
わかんない。
その1割、ひょっとしたら1%かもしれない。
出世してないんだけど、
ノブレス・オブ・リジュで働いている頑張り屋がいるんですよ。
スピーカー 2
いますよね。
そこで持ってると思います。
スピーカー 1
僕は、あの人たちが、
僕のロールモデルですね。
僕は、
カーニーに入ったし、
ニュースフィックス大学とか、
いろいろ働きましたけど、
いろんな人、すごい人がいて、
真似したいとか、盗もうっていうのがいっぱいいるんですよ、スキルとか。
だけど、全人格的にロールモデルっていう人は、
僕が20代にあったドコモの時の、
当時の、
次長さん、2人。
その2人は、
やっぱ、すげえなって思って、
未だに憧れてて、
1人は、もう亡くなっちゃったんですよ。
残念ながら。
最後、ちゃんとお礼言えなかったなって思ったんで、
もう1人まだご存命なので、
この間、定年退職するっていうので、
ここでいかないと後悔するなって思って、
20年ぶりくらいにコンタクトして、
あなたが憧れでしたって伝えに行きました。
それぐらい、やっぱり、
大企業の凄さが、
ドコモで感じましたね。
スピーカー 2
めちゃめちゃ、めちゃめちゃ分かります。
スピーカー 1
なんか、
スピーカー 2
もっと報われてほしいなとか、
あとは、
そういう人たちが、
仕方なくいるんじゃなくて、
楽しく、
自分の意思を持って、
選択としてそこにいるんだっていう風に、
なんかこう、
いて欲しいなっていう気持ちも、
凄く思います。
本当になんか、
あの層で大企業は持ってると思うので、
私、あとその話聞いてって思ったのが、
すっごい、すっごいこう、
原始的な質問なんですけど、
経営が上手くいってない、
もったいないと思った、
経営がしたかったって言った時の、
杉野さんの経営っていうのは、
何を見て、
経営って言って、
経営っていうことを、
言ってらっしゃるんですか?
経営って言っても、
言葉広いので、
ここが上手く、
経営が上手くいってない、
スピーカー 1
何を見てらっしゃると思ったんでしょうか?
例えば、分かんないですけど、
経営の定義を目的に対して、
リソース、
人、物、金を、
最大限有効活用、
して結果、目的を達成すること、
だとした時に、
日本の大企業、
リソースいっぱいあるんですよ。
お金もあるし、
本当に人材も優秀、正直、
らしいものもあるんだけど、
この人、物、金があって、
あの結果か?
っていう感じですね。
何でそのあの結果なんだろう?
って言った時に、
当時の日本の大企業の、
それはドコモもそうだったんですけど、
他の会社でもそうなんですけど、
今だいぶそこに関しては、
アレルギーとは言わないですけど、
あんまり良いものだと思ってないのは、
当時の日本の大企業の経営メンバーっていうのは、
経営をやるならこのメンバーっていうのが、
役員になっているわけではなくて、
営業で一番出世した人が役員。
技術で一番出世した人が役員。
っていうので、
どちらかというと論考法書に近かった。
そうなんですよね。
経営のプロじゃない。
なので、そうなると、
まず経営を組織全体で
リソースを有効活用しようと思った時に、
少なくとも営業のプロの一番トップの人は、
営業のことしか分からないので、
だとしたら経営化はさっきの話で、
全体のリソースの活用を使うことだとしたら、
営業のところのリソースしか活用できないので、
あんまりできない。
かつ、どうしてもそこを守ろうとするので、
むしろ全体の経営的には、
その人が入っていることのほうがマイナスだったりする。
というのが、
日本の当時の代行でいっぱいあったと思うんです。
なので、結果的に、
今あるリソースを最大限、
そのまま頑張ってくれっていう風に
チェアアップするんだとしたら、
いい経営メンバーだと思うんですけど、
何か大きく転換しようと思った時には、
スピーカー 1
むしろその経営メンバーがいないほうがいいという
経営メンバーが多かったと思うんですよね。
というのと、
そういった経営の人たちは、
スピーカー 1
よくも悪くも現場に全く忖度しない。
会社の目的のために
必要なリソースは一体何なのか。
必要であれば、
その人たちが必要なリソースじゃなければ
リストラもするし、
リストラしていると横で
新しい人を雇うし、
本当にお金が必要だったら、
ちゃんとお金が必要だっていう風にして、
マーケットからもらってくるし、
そういったことを
全てやっている。
他で言うと、
トップダウンでやっている感じですかね。
それを見ていて、
これ以上絶対に負けるなというのは
めちゃくちゃ感じました。
スピーカー 2
ある意味では、
経営という職種というか機能が、
当時の日本企業には
あまり認知されていないというか、
必要性というか、
それが何なのかをあまり深く、
とにかくみんな頑張っていれば、
そうね。
一応、
今もあるんだと思うんだけど、
経営企画部とか、
経営戦略部みたいなのが、
大企業だと部署としてあるじゃないですか。
その営業からとか、
いろんな各部の人からも、
そこそこそれなりに入手な方たちが来て、
あるんですけど、
本当にそこにいる人たちが、
今、杉野さんがおっしゃったような、
経営という観点で、
資産を部門とか事業とかから超えて、
その巨大な組織とか企業とか、
さらにはもっと引いたところで、
見たところで考えるか、
考えるような業務をしているかっていったら、
やっぱりそこまでいかなくて、
その役員がいろいろ決めていくので、
その役員会議隊の、
結構、もろもろ、
事務局みたいな感じの仕事をされてたりとか、
そういう人たちもいっぱいいたりするんですよね。
だから、部署としては、
だいたい持っているんだけれども、
経営という名前がついているところ、
そこが経営を、
営業のプロですって育つみたいに、
経営のプロですって育つような部署には、
確かになっている感じは全然しないなっていう。
営業とか技術とかのと、
並列に経営が存在している時点で、
そういうもんじゃないっていうふうに思う。
でも全然、
だいたいのところは並列じゃないと思う。
役員直下みたいな感じの、
組織体制として作るところで、
やっぱり機能には入らない、
直轄のところで持っているところが、
ほとんどだと思っていると思う。
ただ、役割としてなっていないというか。
やっぱり役員そのものの仕事のはずなんだけど、
誰かが挙げてきて、
役員が何かしますっていう、
そういうやり方で、
全部こう、何ていうかな、
役員が自分が経営をやっているっていう感覚が、
もしかしたら、
私は営業の専門家です、
技術の専門家です、
上がってきたものに対して、
私の観点からこのように言います、
みたいなことはやるんだけど、
全部ひっくるめて、
今いる営業部員、
必要ないです、みたいなジャッジは、
営業部のトップからは、
絶対出てこないよねっていう、
やっぱり切り離すっていうのは、
そういう、
だいぶ変わってくる会社も多いと思うんだけど、
執行役員的なところと、
経営がごちゃっとなってくる。
そうですね。
っていうのが、
問題を生んでいる一つにも、
あったかもしれないですね。
特に当時とかは、
そこ役員も多くて、
担当本部とかがあって、
スピーカー 1
当時社長以外は、
全員執行なんだと思うんですよ。
みんな社長になって、
経営をやらなきゃいけないって言って困る、
っていうのが、
当時の日本の大企業だし、
僕がコンサルタントになった時の、
社長さんたちが、
社長まではみんな、
スピーカー 2
これまでの、
スピーカー 1
なんですけど、
社長になってみんな焦るって、
そんな感じでしたよね。
スピーカー 2
そういうのがクライアントでしたよね。
そういう意味ではその時代、
今はだいぶ日本企業が変わってきたかもしれないけど、
当時は、
食いぶちだったんですよね。
求められてた。
だって急に俺社長やらなきゃいけなくてって、
経営やらなくなったけど、
どうしたらいいのって、
相談する相手みたいなね。
スピーカー 1
そんな感じで、
なんで、
経営を、
やりたい。
で、経営コンサルタントに、
なって、
スピーカー 1
結局何年いたんだっけ、
今、アドバイザーまでやってますけど、
普通にコンサルタントやってたのは、
2018年の末までなので、
13年ですかね。
スピーカー 2
連続してですか?
スピーカー 1
ただ、最初の2005年に入って、
2009年か10年、
10年までは普通に働いてたんですけど、
10年からは、
博士課程に行こうと思って、
博士課程に行くので、
最初は50%の兼業、
博士課程、兼業って言うのかな、
50%の稼働で、
50%を大学の博士課程に行ってるってのを、
2010年とかやってて、
その後は、
完全に一旦休職して、
博士課程に行ってました。
スピーカー 2
経営学をやるっていうことですよね。
博士課程に行こうっていうのは、
リズムでやってるところから、
アカデミズム的なアプローチでも、
経営学をもっと深めたいって思われたってことなのか。
スピーカー 1
そうですね。
いろいろな理由があるんですけど、
1個は、
まずはピュアに、
知的好奇心ですね。
経営ってなんだっていうふうに、
経営がすごいキーワードだったんですよね。
で、経営学も学んでみて、
で、経営コンサルタントにもなってみて、
でも、いまだにやっぱり経営って
なんかよく分かんない部分もあるし、
そこに対して知的好奇心が常にあるので、
もっと満たしてみたいっていうので、
研究してみたいってのがまず大事ですよね。
で、第2が、
さっきの話で、
教育をやってみたいと思ったんですよ。
で、教育をやろうと思ったときに、
博士号を持っているか持っていないかは、
結構パスポートだと思っているんですよ。
2005年に、
ATカーに入ったときに、
これ田中さんも聞いたことあるかもしれないけど、
僕は、
さっきの話、目的とか目標で
駆動していくタイプなんですね。
で、アメリカに行きたい。
で、行ってみて、
目標が叶っちゃったから、
自分探しに始まった。
で、自分探ししてるフェーズと、
目的追いかけてるフェーズがあるんですけど、
ATカーに入ったときは、
目標を3つって決めてて、
1個は、
一応30歳で入ったので、
30代の、
10年間で、
1個は、
経営に携わることを10年間やり続ける。
コンサルでもいいし、
経学学ぶでもいいし、
経営者になるでもいいですけど経営。
で、2つ目が、
本を3冊書く。
で、これは、
僕ずっと本を読むのが大好きで、
小学校から趣味が、
本読むことなんですよ。
なんで、
親が図書館の師匠だったっていうのもあって、
家に必ず本がある家だったんですね。
なんで、小学生くらいから、
赤川二郎のミキネ猫本物が大好きで、
ああいうのもずっと読んでたんで、
で、かつ、
さっきの話で、
アメリカで、
立てなくなっちゃったじゃないですか。
でも、稼げないとまずいから、
28でこれから上がるとしたら、
もう書くしかない。
手を動いたので。
なので、別にライターでもいいし、
小説でもなんでもいいし、
とにかく書いてくるしかねえなって、
その3つしか思ってた部分があるので、
その時に本を書こうと思ってたので、
立ち直りましたけど、
本を書くはやっぱ好きだし、
読むのも好きだから本だなって思って、
30代は本を3冊書く。
何かした教育に携わる。
小学校でも中学校でも高校でもなんでもいい。
仕事としてお金をもらえるぐらいまでの
プレッシャーのレベルで教育に携わる。
なんですけど、
経営はなんかいけそうな気がしたんですよ。
で、本もいろいろ宿泊あったんですけど、
いけそうになった。
なので教育がなかなか進まない。
で、たまたま、
田中さんが、
エディカに離れてる時かもしれませんけど、
神戸大学の非常勤講師の
やつをオムニバスと言って、
コンサルタントを
2人で受けるってのがあって、
昔カーニーにいた方が準教授。
今は国会議員かなってやってて、
その方が窓口でやってみて楽しかったんですけど、
所詮オムニバスというか、
何人かで分担してる部分。
で、かつ、
どうしても教育に携わってるんだけど、
なんかアウトサイダー感が、
やっぱ大学からするとあって、
僕自身は教育を自分でもやりたいし、
教育自体を変えていきたいっていうのも
すごい強かったですね。
あんまり日本語教育が良くなくて、
インシュアルのほうがいいと思ってたので。
なので、インサイダーになるためには
何だろうと思った時に、
博士号がパスポートだなというふうに思ったんで、
博士号は結果というよりも目的として取りに行こうと。
というふうに思って、
博士課程に行ったっていうのはあります。
で、
ちょうど2010年のタイミングで、
ちょうどコンサルタントに油が乗ってて、
コンサルティングって毎回
プロジェクトに成績表が出るんですよ。
でも、その1年間全部良くて。
育成ゾールってありまして、
全部プロジェクトで育成ゾールだったんですよ。
基本、2個か3個最高成績取れると、
月にプロモーションしてくるんですよ。
僕も多分2010年プロモーション、
多分というかプロモーションの
エントリーになったんですけど、
さっきの話で、
なんか、
ハズレたくなった。
スピーカー 2
それプリンシパルになるか?
スピーカー 1
プリンシパルです。
プリンシパルのノミネーションされたんですけど、
でもコンサルタントって、
なんとなくですけど、
プロモーションするのかっこよくて、
給料ももちろん上がりますけど、
なんかエリート感が出てるんですよ。
でも、それは最初に
アソーシエイトっていうのが
マネージャーになった時にすごく感じたんです。
なんかすごく
認められた感、
あったし、
周りの見る目も変わるんですよ。
で、引かれると
どんどんそこからプリンシパルというか
パートナーになっていくんですけど、
で、成績が、
プロジェクトの成績がいいと
パートナーになるもんだって言って
ノミネーションするぞって言われて、
でもこれも僕が決めてないじゃないですか。
し、なんか未来が見えちゃうじゃないですか。
すごい嫌だったんですよね。
なんだけど、
他に何かやりたいことがあるわけで
見つかったわけでもないし、
何だろうなって思った時に、
でもその評価会議、ノミネーションの日に
当日か前日なんですけど、
やっぱ嫌だなっていう風に思って、
で、
ノミネーションエントリー取り下げてくださいって頼んで、
で、もうすぐ怒られるわけですよ。
お前何考えてんだみたいなのがあって、
で、何やりたいか言えって言われて、
で、頭整理して、1日2日整理して、
博士課程行こうかなと思いますって言って、
なるほど。
で、それで、たまたまそれが何月だったかな。
ノミネーションエントリー取り下げたのが6月か5月だと思うんですけど、
で、そこで博士課程見たら、
秋の9月か何かで、
早稲田の計画の博士課程の秋入学の募集があったので、
そこに応募してみて、
で、すぐ受験で受かって、
あそこに行くっていう感じでいきました。
スピーカー 2
それはでも、50%でっていう、
フルで行こうっていうんじゃなくて、
やっぱりコンサルタントとしての実務をやりつつ、
博士課程に行くっていう、
そういうバランスが良いっていう判断だったんですか?
スピーカー 1
えっとですね、迷ったんですけど、
そこも、最後結局フルで行ったんですけど、
50%で行ったのは、
えっとですね、
さっきの質問、踏み外すじゃないんですけど、
当時のATカーにいて、
50%で働いてる人一人もいなかったんですよ。
で、それを何でしてたかっていうと、
ちょっと田中さんは戻ってくる前後かもしれないんですけど、
僕のマレージャーになってた時に、
メンティー、
ATコンサルティング会社っていう、
メンタインメンティー制度っていうので、
誰か、ジュニアなコンサルタントを
シニアなコンサルタントが面倒見るっていうのがあるんですけど、
僕のメンティーの一人が、
時短勤務をしたいということで、
いいんじゃないと思って、
AT管理の方に僕が話をしようと思ったら、
AT管理の時、時短勤務がなかったです。
今だったらあるんですけど、
当時のコンサルティング会社って、
時短って多分概念はない。
そもそも長いし、
スピーカー 2
24時間働いてないのが時短って。
スピーカー 1
そうなんです。
なので、時短って時に何が何か設定ができないんですよね。
なので、なかった。
でもそういうのを、さっきの話で、
踏み出して、新しく変えていくとか、
みんながみんな同じっていうのは本当に嫌いなので、
とはいえ、ルールを破るのもそんな好きじゃないので、
ルールを変えたくなるんですね。
なので、ルールを変えようと思って、
時短勤務制度を当時のJPMG、
AT管理の日本の経営会議に賭けに行って、
それで時短制度を導入したんですよ。
その時に、導入する時に調べなきゃいけないと思って、
うちで50%勤務とかそういうのってあるのかって調べたら、
ないってことが分かって、
じゃあないんだなと思って、
じゃあ、僕が50%の第1号、
第1号かっこいいなと思ったし、
第1号で踏み外しておくと、
今度続く人たちも出てくるかもしれない。
スピーカー 2
いや、本当ですよ。スーナさんが最初だったんですね。
今結構多いですよね。
スピーカー 1
AT管理は今多いと思います。
踏み外してみようと思って、
踏み外して50%をやる。
かつ、最初の1年間で僕が実現したかったことは、
50%がその代わりに僕が結果を出さないと、
やっぱり50%は成立しないみたいになっちゃうじゃないですか。
なので、その1年間のプロジェクトも、
それまで成績良かったので、
絶対全部最高成績取るって決めて、
そこの1年間をやっぱり全部最高成績取って、
で、なんとかやり切ったって感じですかね。
それで今度博士論文をちゃんと書かなきゃいけなくなってきたので、
後半の2年間ちょっとを給食して博士論文を書いてた。
で、これも博士課程のために完全に会社を休んだって人も
AT管理の歴史にいないんですよ。
そこを調べて。
これも第一号でいいなと思って。
大学に戻りたい時に戻って、会社に戻る。
しかも、もちろん辞めるって選択もあるんですけど、
でもコンサルタントって他の会社にいくらでも連れちゃうので、
会社としても席だけ残しておいて、
また戻ってきた時にリグレッティング費用かからずに戻ったら
プラスな話だし、
で、僕はAT管理大好きなので、
愛車精神がある人がその帰属意識を持って
勉強できるのも悪くないし、
っていうのを当時パートナーに説得して、
で、交渉して。
で、OKを得られたので、行ったってことですね。
スピーカー 2
なるほどね。
でも、そういう事例があるって、
採用とか人取る時にも魅力の一つになりますよね。
そういう柔軟な制度があって、
実際それを実行している人もいるよっていう。
スピーカー 1
はい。なので、カーニーもたぶん気づいたんだと思うんですけど、
それ以降、新卒採用とかのイベントにすごい呼ばれました。
なので、例えばカーニー入ってから、
スピーカー 1
特に異形の修士家庭の人たちが
ドクターに行くか、カーニーに入るか迷っていると。
で、カーニー働きながら
ドクターとかって取れたりしますかって言った時に、
来た!みたいな感じで、僕に声がかかって、
スピーカー 2
僕が行くっていうのが、めちゃくちゃそのパターンだった。
そうそうそうそう。
だって、制度があっても、
スピーカー 2
実際忙しいっていうのがみんなわかっているし、
とはいっても、実際本当にそれって
スピーカー 2
やってる人いるんですか?とか、できるんですか?みたいな時の
実例としてあるっていうのは、やっぱりめちゃくちゃ大きいですよね。
スピーカー 1
その時に、僕が一番意識しているのは、
絶対に言い訳にしない。
だから、必ず結果を出す。
なので、兼業とかパートタイムで分けていく時の
一番のモチベーションは、
結果を出すことで、それによって
両立するんだとか、成立するんだという前例を作るってことに、
自分合理的なこと以外の責任感を感じます。
それはすごいありがい。
スピーカー 2
なるほどね。
お話が変わっていると、
でも、外す、外す、出るのも好きですけど、