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2025-03-22 47:09

#82-1 就活敗者がIT長者に⁉ミラクルサクセスストーリーは突然に【資本主義の最果てを耕す ゲスト:クラウドワークス創業CTO 野村真一さん】

▼番組のnote:
Dialogue cafe | note

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▼内容:
twitterで出会って共同創業/元コピーライター志望⁈自意識過剰の落ちこぼれ就活生/起業家と付き合い続けるアビリティ/事業は何でもよかった/いきなりPMF?!逆風なき事業成長/急拡大する組織で大混乱/エンジニアからマネージャー、経営者へ/完全門外漢の管理部門管掌/雑にいい判断/組織における創業メンバーの存在意義/やっぱりものづくりがしたい

▼出演:
ゲスト
野村真一さん(クラウドワークス創業CTO、農業準備中、2児の父)

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)


▼関連エピソード:
#2-4 ポストIPO、第二の死の谷を乗り越えろ
#24-3 恐れず進めよ!ITエンジニアは世界の働き方強者
#27-1 成田修造、クラウドワークス卒業後の今とこれから
#30-2 必要なものはインストールすればいい!完コピの連続が成長の継続をつくる
#75-1 実家はサンバが聴こえるシェアハウス!石山アンジュは「シェア」の申し子

サマリー

クラウドワークスの創業メンバーである野村真一さんのインタビューでは、就職活動での苦労やフリーランスからの転身、成功へのプロセスが語られています。彼の多様な経歴と吉田さんとの出会いが、クラウドワークスを立ち上げる重要な要素として強調されています。野村真一さんは、創業メンバーとしての経験や当初の事業計画について語ります。また、吉田さんとの関係性やプロダクトの開発過程についても率直な意見を述べています。このエピソードでは、クラウドワークスのCTOである野村真一さんが、自身の就職活動での失敗からIT企業で成功を遂げるまでの過程を説明します。彼はPMF(プロダクト・マーケット・フィット)の重要性や、組織の成長に伴うマネジメントの課題についても触れています。クラウドワークスの創業CTOである野村真一さんが、就活の失敗からIT業界で成功を収める物語を語り、彼のキャリアを通じて経営と製品開発に対する思いを深く掘り下げています。

クラウドワークスの創業
スピーカー 1
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
スピーカー 2
今回、私はすごく楽しみなゲストが来ていただいておりまして、クラウドワークス創業者で、創業メンバーです。
創業者は一応名乗っておりません。
スピーカー 1
名乗ってない。
意図的に名乗っておりません。
スピーカー 2
そうなんですか。
スピーカー 1
創業メンバーで、創業エンジニアで、元CTOで取締役を昨年末までやっていらっしゃった野村真一さんです。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
お願いします。
野村さんとは、私がクラウドワークスに所属していた間はずっと、もちろん同じ期間以上に野村さんは創業時からいらっしゃるので、本当に長くクラウドワークスに、結局何年いたんですか?
スピーカー 2
13年?
2011年11月創業で、2014年12月解任だから、丸13年。
スピーカー 1
13年。そこをね、卒業して、今は農業をやるって聞いて、ちょっと農業の詳しい話は2本目で聞こうとは思ってるんですけど。
就職活動の苦労
スピーカー 2
2本目。
スピーカー 1
そうなんです。もう2本3本やりますよ。
ちょっとね、野村さんっていうのはどういう人なのかっていう話を1本目はやりたいなと思っていて、野村さんが13年いたクラウドワークスでの経験っていうのは、もちろん切っても切れないというか、最も重要なところかなと思うので、そこの話が今回は中心になるかなと思っております。
野村さん、クラウドワークスに入ったのって、最初、創業者の吉田さんから突然、もともと知り合いじゃなかったんでしょ?
スピーカー 2
もともと知り合いじゃないです。
知り合いの知り合いですらないし、ほぼかぶりのないコミュニティなんじゃないですかね、お互い。
そこまで全く人生かぶらずに来て、何がしてたのか。
クラウドワークス前なんですよね、厳密には。
知り合ったのか。
ことの起こりは、僕も新卒から10年ぐらい勤めた会社辞めてプリミスやってました。
吉田さんも前職辞めて起業したりとかして、多分1回目の起業の後ですよね。
1回目の起業の後で、1回目の起業は本人もよく話してますけどうまくいかなくて、その後は業務委託、ほぼフリーランスみたいな感じで案件を受けていて、
吉田さんが当時入ってた案件が、ポンパルとかグループの競合のクーポンサイトで、そこでエンジニアを募集したんですよ、吉田さんが。
業務委託だけど。
そういうこと?
業務委託だけど事業責任者っていう、謎っちゃ謎なポジションにいて。
当時から吉田さんはツイッター結構使ってたんでしょうね。
スピーカー 1
エンジニアを募集していて、吉田さんの上手なトークで、素晴らしいプロジェクトに素晴らしい仲間たちが集ってるぞと。
スピーカー 2
っていうのを見て。
スピーカー 1
ツイッターで吉田さんが投稿してたんですよ。
スピーカー 2
たまたまそれを、今だから思えば別にフォローもしてないから、リツイートとかなんでしょうね。
見て、僕フリーランス1年くらいやってたんですけど、アプリとか売ってたんです、自分で作って。
生活していくくらいの売上があったんですけど、パッとしないじゃないですか、そのレベルで。
思ったよりフリーランスってエキサイティングじゃないなと思って、
スピーカー 1
なんとなくモヤモヤしてたところに、面白そうなプロジェクトの宣伝が流れてきたから、ちょっと話聞かせてくださいって言ったのが始まった。
野村さんの方から吉田さんに、もう少し詳しく話を聞かせてくださいっていうコンタクトされたんですね。
ツイッターで。
ツイッターで。
それが2000…
スピーカー 2
2000何年だったかな、1個前の現場だから2009年とか10年じゃないですか。
スピーカー 1
はいはいはいはい。
野村さん10年間は普通にサラリーマンしてたんですね。
スピーカー 2
サラリーマンっちゃサラリーマンですけど、社長と2人みたいな冷裁企業なんで。
スピーカー 1
はいはいはい。
スピーカー 2
なんか、ただ決してベンチャーとかスタートアップではなかったから。
そうなんだ。
冷裁企業のサラリーマンみたいな。
スピーカー 1
開発会社。
スピーカー 2
開発会社でもあり、ただどっちかっていうと当時iモード、今はだけiモードの公式コンテンツを。
猫の尺尺も作ってた、月300円でね。
スピーカー 1
えー、はいはいはい。
分かります分かります。
スピーカー 2
いろいろコンテンツがあったんで、その中で一応自社で配信してたっていう感じですけど、
コンテンツは自社で持ってたわけじゃないんで、出版社とかで組んで、
IP借りて、システムとサービスを作って、収益はレビューシェアみたいな。
そういうのを一番よくやってましたかね。
5,300円くらいだったかな。
スピーカー 1
新卒でそういう会社に入るっていうのも、普通の就職活動じゃなさそうですけど。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
それはなんですか?
スピーカー 2
就職活動はマジでダメでした。落ちこぼれでした。
スピーカー 1
それは普通の就職活動をしたんですか?
スピーカー 2
しましたしました。
十何社受けたんじゃないかな、多分。
へー。
十何社受けて、一番入りたかったのは広告代理店だったんですよ。
スピーカー 1
そうなんですか?
スピーカー 2
そう、僕コピーライターになりたかった、当時。
スピーカー 1
今はクラウドワークスの時はエンジニアですよね?
スピーカー 2
エンジニア。大学で一番よくやってたのは情報処理で、
そういう意味ではアルバイトでプログラムとか書いてたんです。
その流れで入った会社だったんですけど、
僕は別にシステムのことをやりたかったわけじゃないんです、その就職した後。
IBMとかも一応受けましたけどね。
一番やりたかったのはコピーライターで、
今からすると若気のいたりっちゃ若気のいたりだったんですけど、
宣伝会議所とかコピーのコンベンターに一応二次予選通過して
締めに名前が出るぐらいがあった。
スピーカー 1
おー、すごい。
スピーカー 2
宣伝会議所?宣伝会議所?じゃない、広告費用か。
広告費用の行政講座みたいなのがあるんですよね。
そういうところにちょっとお金払って行って、
結構、会によっては講師の先生からこの人のほうが一番よかったという好評をもらったりもして、
若いなりに一定才能がないわけじゃねえなと個人的には思ってた。
ただ、今にして思えばわかるんだけど、
広告代理店で採用される人ってこういう人って僕みたいな人じゃないじゃないですか。
いろんな人いますけどね、やっぱりクリーミーという人はやっぱり
今思えばやっぱりそこに対するちょっとなんていうんだろう、
執着心が違う人とかがやっぱり
まあそういうプロの世界もそういう世界なのかなって思いますけどね。
今から振り返れば、でもそれ以上になんかね、
就職活動の時の僕はなんかね、やっぱりイケてなかったですよ。
スピーカー 1
イケてなかったと。
スピーカー 2
なんか、自意識過剰だったし、自信過剰だったし、
一方でなんか、小見性だったし、小見性って極めて内向的で、
面接とかはもうなんか、基本日合わせ書いてますみたいな。
でもなんか隣にいる人に対しては妙に優越感を持ってたりして、
吉田さんとの出会い
スピーカー 2
企業の人事ってやっぱりよく見てるなと思いました、後から。
当時はなんかね、ほぼね、僕面接通ったことない、
1回くらいしか面接通ったことないんですよ。
筆記はまあ得意なんで通るじゃないですか。
面接はほぼ通らなくて、なんかね、それでちょっともうやさぐれてしまって、
もう嫌だ。
スピーカー 1
もう嫌だって思ったの?
スピーカー 2
そう。
スピーカー 1
それどういう経緯で、社長2人の会社さんに?
スピーカー 2
そこはバイトしてた会社。
スピーカー 1
学生時代からやってたとこに、
まあじゃあもういいよ、うちに来なよみたいな。
で、そこでまあそういうiモードのコンテンツ作ってみたいなことをやってた。
スピーカー 2
そこでなんか、最初はね、ただiモードの時代まだ来てなくて、
なんかとりあえず入ったはいいものの、
さあ何にしようみたいな、何したらいいですかみたいな感じで、
なんかね、謎に化粧品会社のPRの手伝いとかしてたんですよ、その会社。
まあ謎にというか当時はそれが本業だったんです、むしろ。
ウェブサイトを作ってたけど。
ウェブサイトを作ってる会社だなって僕思ってたんだけど、
入ってみたらそれはメインじゃなくて、
どちらかというとPR会社の手伝いみたいなのがあって、
僕なんか動画作ったりとか、新製品発表会で流す動画作ったりとか、
その新製品発表会の記録ムービーを撮って、
なんかこの人の笑顔いいな、ここ使おうみたいな感じで、
プレミアとか使って編集してたんです。
スピーカー 1
そうだったんですね。
スピーカー 2
結構これこれ楽しいなみたいな感じで。
スピーカー 1
あ、そうなんですね。
でも10年やって、ちょっともうフリーランスになろうかなってなったんですか?
スピーカー 2
そうね、10年ぐらいだと飽きますよ。
スピーカー 1
まあね。
何事も。
スピーカー 2
まあね。
あとなんとなくね、たぶん当時iモードとかスマホに移り変わる時期で、
iモードがもうちょっと陰りがきていて、
なんか業績的にも、業績っていうほど大したもんじゃないですけど、
会員数とかもちょっとなんか伸び悩んで、
むしろ減ってきてるみたいな感じで、
なんか仕事期かなみたいな。
スピーカー 1
それはでも、そこからの会社作るぞっていう時には、
吉田さんはもう一緒にやろうよってなったんですか?
スピーカー 2
一緒にやろうよってなったんです。
それがだから吉田さんのヤバさで、
当時からさ、とはいえ僕も一生懸命仕事しましたよ、業務委員会の現場では。
とはいえその現場6ヶ月とかなんですよね。
なんかもうちょっと他に相当人いないのかなって。
スピーカー 1
エンジニアで色々付き合いはあったんだろうね。
スピーカー 2
思いながら、ただなんか僕から見ると、
なんかやっぱり僕にはない面ですごく突き抜けてるスキルはある人だなと思って。
なんか面白いなと思って。
僕は2つ返事でしたけど。
スピーカー 1
えー、吉田さんと話をされた機会があったかどうか分からないですけど、
吉田さんから見ての、一緒にやりたい、一緒にやろうよっていうのは、
どんなところが刺さったんだと思われますか?
スピーカー 2
なんかやっぱりあれじゃないですか、
普通に自分に付き合ってくれるみたいなところじゃないですか。
スピーカー 1
私もそうかなって思って。
スピーカー 2
高望みはそんなされてない気がする。
スピーカー 1
そこはゆう子ちゃんの時にも分かる感じがある。
いや、だからやっぱり野村さんがすごいのは、
やっぱり13年間吉田さんに付き合い続けたっていうことが、
やっぱり最もすごいところだと思うんですよ。
やっぱり創業者、企業家なんで、
癖はあるんですよ。
思いもあるし。
で、全然テクノロジー系の方じゃないから、
エンジニアの方からするとやっぱり、
自分たちとはだいぶ違う人種だなって思うタイプですよね、きっとね。
全然違いますね。
だから相性みたいなのはあるかなと思うし、
そういう吉田さんの情熱とかやりたいことを、
一定の尊敬の下、一緒にやりましょうって言って、
吉田さんの情緒も含めて、
情緒も含めたテンションの上下みたいなものに、
ずっと淡々と付き合い続けるっていうのは、
それは一つのアビリティ。
アビリティ。
なんかスキルっていう言い方。
英語でごまかしたみたいなね。
スキルっていうと、ちょっと手に入る感じがするけど、
スピーカー 2
もうちょっと氷山の下の方に。
スピーカー 1
もうちょっとベースになる、ベース能力な感じがして。
アティテュードでしょ。
そういう、ちょっと日本語では表せない感じの曖昧な。
相性ね。
相性。
でもない。
でもないんですね。
合わなくても。
スピーカー 2
相性よくないね、全然。
スピーカー 1
逆に一時的にめっちゃ相性がいいように見えても、
変化と波の中で、
やっぱり合う時合わない時が出てくるじゃないですか。
そういう相手のブレに動じない感じっていうか、
そういうのが大事な感じ。
それはやっぱりより本質的なところを見てるっていうことなのかもしれないし、
スピーカー 2
鈍感力みたいな感じかな。
スピーカー 1
鈍感力ですよ、鈍感力。
ノレンに腕押しですね。
スピーカー 2
ノレンに腕押し。
スピーカー 1
そういう、だから後田さんもそういう、
この人は自分に付き合ってくれそうだって思ったってことですかね。
創業メンバーの経験
スピーカー 2
半年間やって、で声をかけたと。
スピーカー 1
付き合ってくれそうだって、半年付き合ってくれたっていう実績じゃない。
スピーカー 2
半年。
短いけど。
業務委託同士なのにその機会に2回くらい詰められた気がする。
頑張って詰められても同じテンション。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
詰められてもさ、やっぱり当時からこの人なんか、
詰め方は結構激しいけど、言ってることはその通りだなと思ってたから。
そうですね。
押すみたいな感じで反応してた。
スピーカー 1
下さんはね、野村さんもたびたび言ってましたけど、
こっちがちょっとどうかなって思うものを出すと、
確実にそれを持ち込んでくる人なんですよね。
そうですよねっていう。
だからやり過ごせない人なんですよ。
割と毎回ちゃんとやらないとダメっていう感じなんで。
言い方がね、やや激しい時があるんだけど、
言ってることはそうですねっていうことが多いかなとは思うんですね。
だからそれを受け止められるというか、流せるというかいうのは、
吉田さんと長くやっていくには結構大事な。
吉田さんに限らず企業家はね、多かれ少なかれそういうのはあると思うんだけど、
っていうのは思うんですけど、
でもその創業メンバーっていうのはまあまあ重い感じもしますよね。
だって出資もしたわけでしょ、その段階で。
そういう意味でね、
スピーカー 2
吉田さんとのお金借りて。
スピーカー 1
吉田さんにお金借りて。
それでじゃあもう野村が出したっていうことで、
後で給料と総裁みたいな。
スピーカー 2
そう、そういう感じ。
なんかね、ノートにも書いたけど、
僕当時なんかね、
よくわかってなかったから、本当にバカで。
なんかそうか、僕もお金出すのか、
ちょっとなんか騙されてる気持ちがするなって思いながら出したんだけど、
まあ本当に感謝してますよ。
事業計画の進展
スピーカー 1
なかなかそんな創業メンバーになれないですからね、最初の。
スピーカー 2
なれないし、僕当時だから、
まあ数パーセントもたしてもらいましたけど、
スピーカー 1
多いよね、なんか。
相場から、やっぱり持ってない人がほとんどだし。
ほぼ創業時から入っていても、
スピーカー 2
やっぱり持ってない人も会社によっては全然。
全然ザラですよね。
スピーカー 1
まあ持っててもストックオプションとか。
最初の段階で野村さんと、
数パーセント。
佐々木さんも最初の創業メンバーですよね。
CFO、初代CFOの佐々木さんという3人で一応作った会社なんですよね。
スピーカー 2
伝説の2011年11月11日、11時11分の陶器。
みんなね、ホーム局にその時間狙って、
列を出してるだろうと思って行ったら誰もいなかった。
スピーカー 1
誰もいなかったっていう、
そのタイミングに言い合わせたってことですね。
クラウドワークスが産声を上げた時から。
陶器の前からサービスの準備はもうしたんですか?
スピーカー 2
そうですね、3ヶ月くらいから作ったんじゃないかな。
スピーカー 1
4ヶ月くらいかな。
どういう事業をやりたいとか、
サービスをやりたいって話が最初にあったんですか?
スピーカー 2
それは後から?
どの時点を基準にするかですけど、
陶器した名前は最初から、
微妙に違いは株式会社クラウドワークだったんですよ。
陶器した時点では事業は決まってた。
ただ吉田さんに声をかけられた時点では決まってなかった。
何かやりたいっていうくらいだったのか。
やっぱゲームかなとか、
そういう会話をした記憶がある。
いいんじゃないですかって言ってあげた。
スピーカー 1
他は何でもよかった。
スピーカー 2
じゃあ吉田小一郎についてこうだったんですね。
組み合わせは悪くないなと思ってたっていうのが大きいから。
スピーカー 1
そうなんだ。
でもクラウドソーシングっていうやつをやるって
吉田さんが言ったと。
スピーカー 2
その時どう思いました?
その時、別に何かいいじゃないですかと。
スピーカー 1
ゲームと同じ感想でいいじゃないですかって。
スピーカー 2
悪くないなっていう。
何もかも分かってなかったから。
何もかも?
スピーカー 1
何も分かってなかったですよ。
でも逆に分かったのはこの組み合わせ悪くないなっていうところだけ。
スピーカー 2
この組み合わせは結構いい気がする。
スピーカー 1
どういいと思ったんですか?
スピーカー 2
どういいと思った?
やっぱ違いすぎる。
お互い何を言ってるのか分からないし。
スピーカー 1
お互い何を言ってるか分からない。
それがいい?
スピーカー 2
今でこそダイバーシティとか言葉で表現されてますけど、
当時そんなゴミも持ってないから。
何かいいなと。
2人でカバーできる範囲が広いなと思った。
それがダイバーシティそのもので。
結構当時の僕はそういう意味では
自分はいい直感を持っていたなと思ってます。
いい判断だったなと思って。
スピーカー 1
最初の段階で、もちろんエンジニアだから行動書いてよっていうのはあると思うんですけど、
サービスこういうことをやろう、事業こういうことをやろうまではあったとしても、
役割分担とかサービスをどういう風にしたいみたいなのは一緒に考えたんですか?
それとも基本は吉田さんが考えていったんですか?
スピーカー 2
どっちかというと当時ランサーズがありました。
あと大デスク。
今が大デスクでしたっけ?
今はアップワーク。
サービスの成長と上場
スピーカー 2
当時は大デスクがあったんで、
こういうのを作るのに後よろしくみたいな。
スピーカー 1
アメリカのクラウドソーシングの会社ですね。
スピーカー 2
もともとクラウドソーシングを日本でやろうっていう話も、
ベンチ屋けみたいな人が、
やっぱり海外では大デスクっていうのは結構伸びるらしいみたいな話が発端にあるんで、
これを日本でやろうっていうだけの話なんです。
スピーカー 1
雑に言っちゃうと。
スピーカー 2
なので、それをそのままなぞって、
大デスクを見ながら、
ちょっと違う部分をカスタマイズして、
僕が勝手に作ったっていう。
勝手に作ったんだ。
途中1,2回吉田さんに見せて、
何かによって結構激しいフィードバックをもらって、
ちょっと言い過ぎちゃったかなみたいな感じで、
どんな飯でも食いに行こうかみたいな。
スピーカー 1
なるほど、そんな感じ。
スピーカー 2
そういうことを知りながら、ほぼ勝手に作ったって感じですね。
スピーカー 1
そうなんだ。
コンセプトだけを吉田さん言って。
スピーカー 2
そうね、コンセプト。
スピーカー 1
コンセプトとこれみたいなフローみたいな。
スピーカー 2
そう、あとそのやっぱり海外版と日本版で違いを作る部分は、
こういう風にしたいんだみたいなのは吉田さんが、
やっぱりイメージとかビジョンがあったみたいなので、
スピーカー 1
それを活かして作った。
なるほどね。
本当に好きに作ったわけですね。
スピーカー 2
そうね。
やっぱり今からすればプロダクトマネージャーは吉田さんだったと思いますけど、
そんなにこまごまやっぱり決める人じゃないので。
スピーカー 1
吉田さんその間に人を集めたり資金調達したり、
そんなことを中心にやってたってことですよね。
なるほど。
で、それが11月同期で、
その3ヶ月前くらいから何となく始めて。
スピーカー 2
11月同期で、11月から作り始めて3月くらいにリリースした。
スピーカー 1
そうなんですね。
じゃあ4ヶ月くらい。
その間に成田さんが入ってきたりみたいな。
スピーカー 2
成田さんはリリース後じゃなかったかな。
スピーカー 1
リリース後ですか。
スピーカー 2
リリースした時は確かね、成田さんいなかった。
佐々木さんはいた気がするけど。
スピーカー 1
リリースしたタイミングはまだ3人だった。
スピーカー 2
3人と業務委託の人。
何人か業務委託の人がちょっと出たり入ったりしてた感じですかね。
スピーカー 1
はいはいはい。そういう感じだったんですね。
じゃあわちゃわちゃ作っていったと。
実際リリースしたら、どんな手応えだったんですか。
スピーカー 2
リリースしたら、もともとあれですよね、
吉田さんがすごく仕込みをしていたんで、
初速は行って、今のサービス立ち上がるものに比べたら
全然ビビったるものだと思うんですけど、
当時からすると、行って最初から風は吹いてたみたいな感じで。
途中なんかね、1ヶ月だけ前月割れみたいなこととかもあったんですけど、
でもほぼなんか順風でしたよね。
神風みたいなのは多分田根さんもご存知でしょう。
神風みたいなのが吹いたタイミングは基本的にはないですけど、
まあなんか順風。
結構なんか事業計画通り来てるなみたいな。
思ったより事業計画通り来ちゃってんねこれみたいな。
スピーカー 1
私が入ったの2014年の4月なんですよ。
2013年の11月か12月ぐらいに吉田さんに声かけてもらったんですけど、
そのタイミングで、私がジョインしたタイミングが
サービスリリースから2年前後ぐらいのタイミングだったんですけど、
その1年以内には上場しちゃったんですけど、
私が入った2014年の初めぐらいっていうのは、
小村さんからはどういうふうに事業とかサービスって来てたっていう印象だったんですか?
スピーカー 2
2014年の上場前ぐらいですよね。
スピーカー 1
上場から9ヶ月とか10ヶ月とか前ぐらいですよね。
まだね、社員、私20番目のメンバーなんです。
だからまだ業務委託の方とかはいましたけど、ごちゃごちゃしてて、
小田ビルにいて、わちゃわちゃしてましたよ、私が行った時は。
でも私は吉田さんからはもう1年以内に上場するからって言われて入ったから、
それなりにそれが見えてる会社なんだろうって、
私も何にもよくわからずに、そう言うからそうなのかなと思って入ったんだけど、
まだ本当にわちゃわちゃした印象だったんですけど、
私入ってね、最初の1週間、2週間ぐらいで、全メンバーとワンワンでヒアリングしたんですよ。
吉田さんがとりあえず全員と話してみてよって言うから、一応一人一人話して、
その時私、小村さんに、全員に聞いた。
この会社、クラウドワークスは将来どのぐらいの大きさになると思いますかっていうのを全員に聞いた。
そしたら、当時のCTOの方は100万人、ユーザー100万人には対応できるぐらいを想定してますみたいにおっしゃった。
多分当時30万人ぐらいかな、10何万人ぐらいのユーザー数だった時に100万人ぐらいには。
成田さんは自家総額1000億ぐらいですかね、自家総額単位はそう言ったんですけど、
小村さんなんて言ったか覚えてないんですけど、覚えてないんだけど、覚えてないんだけど、
私はクラウドワークスはめっちゃ大きくなると思って入ってきたわけですよ。
吉田さんにそう言われたし、そのつもりで自分は入ってきたんだけど、
小村さんは、この会社ってそんなイケてますかね?ぐらいな、そういう感じ。
みんな上場するとか言ってるけど、するんですかね?みたいな。
いけませんか?みたいな。いけると思いますよ?みたいに、私のテンションで言ったら、
小村さんはそうなんすかね?って、そう言ってる人もいますし、吉田さんもそう言ってるけど、
そうなんですかね?みたいな、あんまりリアリティのない感じっていうか、
まだその段階だと小村さんの中では、2年やってきたけど、まだどうなるか分からないな、
みたいな感じの感触だったってことですか。
スピーカー 2
そうですね、今思えば、クラウドワークスのサービスは最初からPMFしてて、
すごいサービスだったっていうのが、今だと分かるんだけど、
当時は、まだやっぱり言うてもみんなが知ってるみたいな規模じゃないし、
PMFしない事例を知らないんで、日々はあれやこれや一生懸命やってるわけじゃないですか。
でも、とはいえ赤焦らしみたいな。
もっと言ったら、手数料ってやっぱ15%だから、売り上げなんてビビったりするから、
全然イメージ湧いてなかったっすね。
スピーカー 1
まあね、その時の売り上げは4000万円くらいでした。私が入った時ね。
4000万円とか5000万円とかそんなもんだった。
スピーカー 2
そんなもんじゃなかった。
スピーカー 1
そんなもん、売り上げで。
野村さんの就活の失敗
スピーカー 1
売り上げというか、あらりイコール売り上げだったんだけど、ぐらいだった気がしますね。
ちょうど3ヶ月、手数料無料とかやってたから、キャンペーン的にやってて、
それで売り上げも少なかったのかもしれないけど、すごいそのくらいの規模だったんで、
まあ確かにね、冷静に考えたら。
でもPMF最初からしてたっていうのは、確かにその通りかもしれないですね。
プロダクトとして比較的順調に毎月毎月伸びていったって、
でも確かにそんなサービスあんまりないですね。
スピーカー 2
あんまないっすよ。
スピーカー 1
あんまない。
私も一時期クラウドワークスの中でベンチャー投資とかMAとかそういうのやってた時期があって、
いろんな会社の事業計画とかを見てても、なかなかサクッとPMFするサービスってあんまりなくて、
やっぱ試行錯誤したりうまくいかないものがずっと続いてピボットを繰り返すみたいな、
永遠にピボットし続けて資金が尽きるみたいな会社がたくさんある中で、
確かにサービスリリースしてから3年せず上場できたっていうのは、
おっしゃる通り最初からPMFしてたっていうことなんでしょうね。
失敗事例を知らないから、いけてるのかどうかもよく分からなかったってことですか。
スピーカー 2
僕はどっちかっていうと、現場を見てたから、
エッチなオッチでやるじゃないですか、現場。
そっちの印象はどうしても強かった。
先のこととか大きく考える余裕がないというか、そういう思考回路の持ち主でもあるし。
スピーカー 1
組織的にも少しずつ人も増えてくるときて、
野村さんってサラリーマンやってた時期も2人会社だったし、
そこそこ組織にサラリーマン的な動きだったり、
サラリーマンじゃないんだけど、役員だから。
組織の成長とマネジメントの課題
スピーカー 1
組織が大きくなってくるとか、そういうのって初めての経験?
スピーカー 2
初めて。初めてもいいとこですよ。
スピーカー 1
初めてもいいとこですよね。
スピーカー 2
初めてもいいとこです。そこが一番やばかった。
スピーカー 1
当時30ぐらい?
スピーカー 2
上場の時に30ぐらいですよね。
スピーカー 1
そうですよ。
それってどうでした?
戸惑いとか。
そこが一番やばかった。
スピーカー 2
戸惑いとかじゃもうなんかね、
なんてこれ伝わるかな。
やっぱり組織とかマネジメントの概念がないから、
まず問題に気づけないですね。
スピーカー 1
起きてる問題に。
スピーカー 2
なんかもちろんいろいろうまくいかねえなっていう感覚はあるんだけど、
それをまず言語化する術も持たないじゃん。
それ以上に概念がないから、
何も解像度がないんです。そこに対して。
スピーカー 1
恐ろしいですよ。今からすれば。
人が辞めちゃったりとかそういうことですか?
スピーカー 2
あとは開発が進まないとか。
やっぱり一番顕在化されたのは開発が進まないですかね。
スピーカー 1
進まないってどういうことですか?
スピーカー 2
進まないって結局リリース遅延みたいなことです。
スピーカー 1
計画通り。別に計画もないんだけど。
スピーカー 2
計画もないんだけど。
企業に間に合わない。
のとか、やっぱり自分がボトルネックになる現象。
組織化されてないから。
鍋豚型の組織っていうかさ。
全部自分に問題とか相談とか、
仕事が、意思決定とか判断とか集まってきちゃって、
自分がボトルネック。
スピーカー 1
回らないってことですか?
スピーカー 2
回らないってことですね。
スピーカー 1
結構クラウドワークスの開発って、
エンジニアは上場したぐらいのタイミングだと、
かなり少数性だったのではないかという印象があるんですけど。
スピーカー 2
上場前後で増やしたんですよ。
10人とか10数人ぐらい。
一気に増やした時期があって、
その前は3人ぐらい。
その時は快適だったんですよ。
マネジメントとか必要ないし。
ツワモノのツワツモになって。
スピーカー 1
そうですよね。ツワモノがいた感じ。
スピーカー 2
いい感じだったんですけど。
10人とか15人になってくると、
マネジメントが必要になるっていう発想がないんで。
なんか別に僕今はどおりやってるんだけど、
全然うまくいかないんですけど。
スピーカー 1
なるほどね。
それはその状況をどうやって打開してたっていうか。
スピーカー 2
結局ね、僕は打開できなかった。
その時に採用した安西さんっていう人が、
マネジメントのプロみたいな感じだったんですよ。
で、いろいろやってるんだろう。
状況もなんとなく改善する部分が多いのを横で眺めながら
なるほどみたいな。
これかみたいな。
スピーカー 1
これかみたいな。
エンジニア組織のマネジメントってどこの会社も苦労するポイントだとは思いますけど。
スピーカー 2
エンジニア組織とか以前ですよね。
それ以前ですよ。
スピーカー 1
人が本当に一気に増えたからね。
ミドルマネジメントいない問題とか、
エンジニアと営業っていうか事業系の人たちとがだいぶ違うカルチャーの人がわーって増えて、
お互い言葉が通じないみたいな感じとかありがちじゃないですか。
経営的視点の獲得
スピーカー 1
そういう大体の組織で起きるような問題が一気にプラットワークスに起きて、
混沌としてましたよね。
上場してしばらくぐらいはね。
15とか16年とかはなかなか辛い時期でしたよね。
スピーカー 2
僕もそうだしさ、やっぱり吉田さんから佐々木さん。
正直僕よりはマシだったと思うよ、その二人は。
多かれ少なかれやっぱりマネジメントそんなに経験値ないから。
僕が詰められる人も合理的に詰められるわけじゃなくて、やれみたいな話だったりするわけですよ、お互いで。
そうですよね。
意味です。混沌としては一言つきます。
スピーカー 1
だから野村さんも最初はサービス作るエンジニアでかなり一手に引き受けてた感じだけれども、
だんだん人が増えてきたら、マネジメント的なものだったり、
あるいは経営者的なプレーが求められるようになってくるじゃないですか。
そこの変化みたいな、それは野村さんの中ではいろいろ戸惑いもあったと思うんですけど、
経営者みたいな観点からいくと、自分の中に変化していった感じっていうのはあるんですか?
スピーカー 2
ないんじゃない?その時点では。
スピーカー 1
その時点ではね。
スピーカー 2
それはやっぱりすごいクラウドワークスやってて思いましたけど、
現場にいながらして経営的な視点を持つのは、少なくとも僕にはちょっと難しかったですね。
いろいろあってさ、プロダクトの部門離れて、コーポレートにサインサーと一緒に行ったじゃないですか。
コーポレートに行って、行って、経営ってこういうことなのかなみたいなのはようやく少し理解できた気持ちになって、
コーポレートの現場が戦闘だったからさ、結構そっちも見ながらだったから、
コーポレートも手放して、いろいろやって、徐々に僕もと早い現場仕事を離れてきて、
それでようやく僕に求められたこういうことかいらない気持ちが徐々にできてきたっていう、
スピーカー 1
そういうふうに僕は振り返ってますけどね。
なるほどね。野村さんは元々エンジニアで、最初の5、6年はエンジニアをやってたんですが、
途中でいろいろ社内のシャッフルがあってですね、コーポレート部門に全くそういうバックグラウンドは当然ないんだけれども、
野村さんがコーポレートの干渉役員になるっていうことが起きたんです。
そのタイミングで私も計画だったんだけれども、もうちょっと管理部門的なところに一緒に移動になって、
一緒にコーポレート部門を立て直していくというか、そういうことを一緒にやってた時期があって、
全く門外感じゃないですか。まだ私はミドルオフィス的なところにいたから、
スクジとかも扱うし、まだ分かんないではないんだけど、野村さんからしたらもう全然何が起きてるか実務は分かんないっていう感じですよね。
だからあくまでもマネジメントをするために行ったっていう。
スピーカー 2
それは希望されたんですか?
でも一応、結構マニアックな話になってくるんだけど、一応僕がやらせてくださいって言ってやったんだけど、
その一番の目的は当時一番やばかった、あずかり金みたいな話あったじゃないですか。
スピーカー 1
マニアックすぎて、この話はあれですけど。
ちょっとシステム的な部分に起因する会計上の処理が難しいトピックがあったんですよ。
スピーカー 2
それが問題の確信の一角を占めているようだったんで、自分はそこは分かるかなと思って。
あと思い出したのが、安西さんのマネジメントを横で見てて、なるほどこれかと思って。
僕も割れながら結構頭がいいなと思って、結構理解したつもりになったりしたらその理解はその理解、その時点では結構クオリティが低くなかったと思って。
そういう目で当時のコープレートを見ると、マネジメントは全然されてないなみたいな感じだったんですよ。
今よりはマシにできるだろうと思って行ったっていうのもある。
現場の課題も解決できると思ってたし、マネジメントとしても今よりはマシにできるだろうと思って。
僕はコープレートやらせてくださいって言ったらいいものの、とはいえやっぱりよく分かってないからさあ困ったなって思ってたところに田中さんの名前が出て、
これはいいぞと思って、田中さんくださいって言ったんですよ。
それはね、正解だった。
スピーカー 1
大正解。
スピーカー 2
見なかったらやばかった。
スピーカー 1
でもその時、ある意味ね、野村さんがそこやるって言ったのはすごかったんですよ。
コープレートが結構当時なかなか厳しい状態にあって、誰がマネジメントするんだみたいな感じだったから、
そのカチューの栗を拾った決断は創業メンバーである野村さんしかできなかった決断だと思うんですけど、
でも野村さん当然そこは未経験だから、やっぱりそこに私もそうだし、
その時全然別な形で採用したエンジニア側のマネージャー候補の方がいて、
その方をコープレートの部長にしてみたいな感じ。
スピーカー 2
吉田さんがじゃあお前もやれって言って、結構いろんな人が雑にいい判断をしていた。
スピーカー 1
雑にいい判断。
でも毎日その時、全然コープレートと元々関係なかった上の方の人が、野村さんと私含め4人そこにやってきて、
毎朝ミーティングしてましたよね。
スピーカー 2
契約の雰囲気ってなったりして。
スピーカー 1
なんか私ベンチャー経験がないからちょっとよくわかんないんだけど、やっぱりこの創業メンバーっていうのが特別なの。
創業メンバーが上にいるっていうのは、組織の中での意思決定であったりとか、動く速さとかわかんないけど、何か特別感はある?
吉田さんはもちろん明確にあるけど、野村さんはやっぱり、吉田さんとは全然違うんだけど、
でも野村さんは多分吉田さんもクラウドワークスも裏切らない人っていう感じは認識してたかな。
他の人は、状況が悪くなれば自分にとって不利だとか、ストレスを感じるとかになれば辞めるとかっていう可能性もあるけど、
野村さんは辞めないだろうっていうか、一種の吉田さんと同じものを背負ってる人なのではないかっていう認識は多分みんな思ってたと思うし、
社内でクラウドワークスらしい人は誰ですかみたいなアンケートを、カルチャーについて自分たちのカルチャーをみんな見つめ直すみたいなのをやったときにアンケートをしたんですけど、
野村さんって答えた人がすごく多かった。
面白いね。でもそういう方が一人いると、安心感というか、腹くくれる感というか、ある気がするね。
野村さん以外の誰かが、全然未経験だけどコーポレートに行きます、監修役員やりますって言ったら、
その人でできるの?みたいな、できるできない、能力あるないみたいなことが問われちゃう気がするんだけど、野村さんが行くってことは全然違う畑から来てるけど、野村さんが行くってことは野村さんはやるんだろうっていうか、
存在のパワーみたいな感じ。
それはあるんじゃないですか?やっぱり人格として会社と一種同一化されるものが、創業メンバーにはあるかなっていう気がするんで、
そういう存在として、野村さんが行くんだってサプライズではあるけど納得はするっていうか、誰も拾わないくりだから拾いに行ったんだなっていう感じがするかなと思いますけどね。
そういう意味で吉田さんも野村さんを信頼してたと思うし、
他の人だったらやれるかやれないかみたいな観点になったと思う。
野村真一のキャリアの始まり
スピーカー 1
それは何年くらいポジションでやってられたんですか?
スピーカー 2
2018年に移動して、たぶん1年やって2年やって2年くらいじゃないですかね、せいぜい。
スピーカー 1
そんなもんですかね。
コロナ前、コロナ直後。
スピーカー 2
コロナ前くらい。
スピーカー 1
そこから野村さんは新規事業っていうか、そっち会に行ったんですよね。
スピーカー 2
元々は新規事業じゃなくて社長室っていう組織で、新規事業はその後なんですよ。
カルチャー浸透とか広報とか、そういうコミュニケーション的なものを司る吉田さんの直轄の機能がいくつかあったんで。
なんとなく僕コピーライターを志していたりとか、コミュニケーションは得意じゃないけど、言葉を扱うのはそんなに抵抗なかった。
新井さんとは結構仲良くしてて。
スピーカー 1
新井さんはコピーライターね、社内コピーライターみたいな。
スピーカー 2
なんとなくこの2人ちょっと近しい人間なんじゃないかなって、たぶん空気もあって。
僕コーポレート辞めて次何するのって別にどっか空いてる椅子もなかったんで、自然に行こうかなみたいな感じで。
社長室って組織名でしたけど、中身は広報、カルチャー浸透でしたよね。
スピーカー 1
カルチャーを体現する人である。
スピーカー 2
謎のアンケート結果とかもあって。
スピーカー 1
野村さんならっていう感じでカルチャー推進みたいな。
そこから吉田さんが新しいサービスとしてこの領域をやりたいんだみたいな。
でもちょっとすぐに収益を上げるようなサービスかどうかわからないというか、結構長い目でやっていきたいみたいなサービスを。
それを普通にロジカルに経営会議とかにかけちゃうと、
これは儲かるのか、マーケットはあるのかっていったら優先順位がなかなか上がらないかもしれない。
でも会社としてやったほうがいいとか、やりたいみたいなことを、
俺はやりたいんだ、じゃあ創業時と同じメンバーでやったらどうでしょうみたいな感じの、
吉田さんがもう一回野村とやるかみたいな感じで、
吉田さんが作りたいサービスをエンジニアとしてやるっていうのをやってたんですよね。
スピーカー 2
2回ぐらい似たようなくだりをやりましたけど、じゃあ野村とやるかみたいな感じで、
3期で終わったプロジェクト。たびたびそういうのがあるって。
スピーカー 1
たびたびあるんですよ。
もはやエンジニア社内にいっぱいいますけど、社長がそれこそやりたいっていう思いを汲んで、
なかなか社長の下でやるって大変じゃないですか。
でも野村さんならやるんでっていう感じで、
そういうのを最後は結構やってらっしゃったってことですよね。
スピーカー 2
最後はほぼそれだけやってました。
でもそんな野村さんが、もう辞めないかなと思ってた野村さんが13年でクラウドワークスを卒業したと。
スピーカー 1
辞めますよ、いつかは。
でもそう考え始めたきっかけは何かあったんですか?
スピーカー 2
きっかけはいろいろあるんですけど、やっぱりなんか、
会社が大きくなって、自分のやること、貢献度合いが減ってきたとか、
なんか僕はちょっとつまんなくなっちゃったんです。
それが仕方ないように見えて仕方なくないと思っていて、
要は経営をやりたければ、経営をやるチャンスはいくらでもあったと思うんですよ。
自分の貢献を大きくすることってできたと思うんですけど、
スピーカー 1
今振り返ると僕は別に経営をやりたくなかった。
スピーカー 2
周りに経営をやりたい人が一生懸命経営をやっている中で、
なんとなく取り締めをいく立場があるから、立場としては一生懸命やってましたよ。
立場として一生懸命やることと、やりたくて一生懸命やっていることって、
僕はすごく差があるなと思っちゃったんですよ。
僕が一生懸命やれることは、やりたくてやれることは、
プロダクトを作ることとか、ものづくりだったんですよ。
っていうことになんとなくふと気づいてしまって、
これはお互い良くないなみたいな。
お互い良くないってちょっとエゴイスティックな言い方なんですけど、
そう思っちゃった。
スピーカー 1
なるほどね。そういうことか。
それで次に何をするかっていう話は、
次回聞きたいなと思うんですけど、
結構ね、私も初めて聞く話もたくさんあって、
知らなかったです。
クラウドワークスや、うっすらは知ってましたよ。
うっすらは知ってましたけど、結構今回初めて聞く話もあったんで、
非常に新鮮な刺激がございました。
2本目はさらに今の野村さんについて聞きたいと思います。
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