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2021-08-24 27:36

双子起業家あるあるとCTOの職務経歴書と - ゲスト: 堀井雄太(@yutadayo)

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スマートバンクCTOの堀井雄太氏(@yutadayo)にCTOになるまでと、なってからどういう仕事をしてきたのかを聞いてみました。

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こんにちは、takejuneです。
この番組は、デジタルプロダクトの作り手をゲストに迎え、
いろんなことをお聞きして、フムフムと知識を増やしていく
ポッドキャスト番組です。
2回目の今回は、スマートバンクCTOの
堀井優太さんを招きして、CTOになればれと
CTOになってからの仕事についてお聞きしました。
よろしくお願いします。
じゃあ早速なんですけど、
自己紹介をお願いしてもいいでしょうか。
スマートバンクという会社でCTOしています堀井優太といいます。
基本的にはエンジニアリングの全般担当していて、
今は開発もやったり、組織のマネジメントしたりと
幅広く仕事をしています。
このポッドキャストの一個前に出ていた
代表の堀井とは兄弟なので、
それも話していけたらいいかなと思っています。
よろしくお願いします。
前回は弟の翔太くんに来てもらって、
僕ら3人は10年以上一緒にプロダクトを作ったりして、
一緒に会社をやったりしてきたんですけど、
やっぱりポッドキャストに慣れていないから、
前回はシュッとした感じでパーソナリティみたいな感じで
喋ろうかなとして、
なんかちょっと他人行儀な感じになっちゃったんで、
いわゆる普段の感じじゃなくて、
ちょっとよそ行きの感じで喋っちゃったんで、
なるべく今回は普段の感じで喋れたらいいなと
思っているんですけど、
もともと僕らの関係性と一緒にプロダクト会社やってきたり
っていうのはあるんですけど、
もともとは新卒の同期で3人で会いましてと、
ECナビっていう会社の新卒、
2007年の新卒として入ったんですけど、
入社の前の内定者研修みたいな時に
初めて話したりしたんですけど、
山奥ですね、静岡で内定者研修みたいなのがあって、
バスで行くんですね、駅からバスで行ったりするんですけど、
1人、翔太かゆいとかどっちか忘れてるんですけど、
乗ってきて、僕が座って、
その場にもう1人同じ顔のやつが乗ってきて、
あれ、ちょっと疲れてるのかな、同じに見えるなみたいな、
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思ったら双子だったみたいな、
そこからスタートでまさかね、
その並びで15年くらいして、
一緒にずっと仕事してるとは思わなかったですけどね、
そうですね、新卒の時からの付き合いになるし、
15年くらい、弟と似たって、
俺なんかもう30数年一緒にいるわけだけど、
こんなに一緒に仕事するとも思ってなかったかな、
新卒で同じ会社に入ること自体が結構双子で珍しいかなと思うけど、
起業して一緒に会社もやるみたいな文明って、
なかなかないかなと思って、
結構驚かれますよね、普通に。
そうね、ストライプの兄弟か、
ウィンクルボス兄弟か、コリー兄弟か、
コリソン兄弟か、
そうね、兄弟でやるってパターンは結構あるかもしれないけど、
双子でっていうのはあんまりないかもね、確かに。
なかなかね、
でもね、よくでもあれですよね、仲いいねとか言われるでしょ。
あーでも言われるね、確かに。
そんなに一緒にやってて。
普通に身内と起業するなとか、
なんかアンチパターンとしてもあったりするしね、普通に。
まあまあでも、そうですね、仲いい。
まあまあでも一緒に起業して会社やるぐらいなんで、仲はいいですかね、確かにそう言ってみると。
そうだよね。
普通にご飯食べに行ったりとか、一緒にゲームやったりとかもしてるからね。
僕から言ったら相当仲いいなと思うけどね。
なんかこれもよく聞かれそうな、双子あるあるかもしれないけど、
どういう風に時にやっぱり双子だなって思ったりするんですか?
そういう瞬間とかあったりするんですか?
はいはいはい、よく聞かれます、やっぱりそういう質問は。
なんかね、まあ仕事してる時はロールが全然違うから、
まあまあ考えてることとか、手動かしてやるとことは全然違うと思うんだけど、
やっぱり興味関心事とかはやっぱり似てきますよね。
お互いなんかインターネット好きだし、起業してサービス作りも好きだし、
なんか趣味ももうやっぱり結構もろかぶりしてるから、
結構まあ本読んだりボードゲームしたりとかってやっぱりもろかぶりしてるから、
やっぱりそういう座ってきて環境が一緒だからか似てるところはありません?
趣味とか、そういうのあるかな。
あとやっぱり性格も結構似てるところもあると思う。
なんかこう、マイペースの部分がありつつ、
結構執着するというか、仕事とか行ってることで執着しがちとか、
なんかそういうのあるかもしれない。
結構なんか翔太くんは社長だし、ビジネススタイルの人なんで、
結構その一見してニューアルな感じもあるんだけど、
手強さというかビジネスの人っぽい空気感があって、
優太くんは結構翔太と比べるとオンワに見られることが多いかなと思うんだけど。
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そうね、確かに。
結構ね、喋ってる感じそんな印象を受ける人も多いかなと思うんだけど、
やっぱりよく知ってくるとこの二人似てるなっていうのは、
本質はインターフェイスがちょっと違うけど、
本質の部分、OSの部分は変わんないなっていうのはちょっと感じるね、確かに。
若干出力が調整されてるだけで。
結構ね、一緒の服着てきたりとかね。
それあるね。
時間差で同じこと言ったりとかね。
あるわ。これ翔太も言ってたよみたいな、たまにあるもんね。
よくあるね。
リモートで同じTシャツ着てたときビビったもん。
お前もこれ着てるの?みたいな。
そういうのあるかも、確かに。
こんな感じで双子で一緒にやってて、
結構ポジションが違うんで、
やっぱり翔太くんの方にスポットライトが当たって、
メディアでも取り上げられたりとかっていうのはあって、
昔はフロントマンなんで、それが非常に正しい姿かなって思うんだけど、
逆に翔太の方が取り下げられることってそんなになかったりするんで、
せっかくいい機会なんで、
これまでやってきた仕事だったりとか、
今どういうことやってるかみたいなことを改めて聞いていけたらなと思ってるんですけど、
これまでのキャリアで、
社会人経験の中で何をしてきたのかみたいなことを、
ちょっとかいつまんでお話ししてもらってもいいですか?
はいはい、分かりました。
そうですね、さっき話した通り新卒で、
ぼうやじグループに入って、
最初の1年ぐらいは、
いわゆる当時はエンジニア採用とかしてなかったから、
総合職で入って、
確かにそうでしたね、総合職。
全員総合職スタートでしたよね。
僕もデザイナー採用なかったから、
総合職で入ったけど、
デザインやるっていう感じでしたもんね。
2007年当時とか、
そんなにエンジニアシステムを取るみたいな感じでもなかったし、
入った時はみんな一緒で研修受けてみたいな感じですね。
1年も当時そんな感じで、
いきなりだから配属されたのが、
新規事業の部署に配属されて、
そこでアフィリエットサイトの運営みたいな感じだったんだけど、
そこのサイト運営に関して何でもやるっていうのが1年目ぐらいで、
前ゴリゴリの営業みたいなのもしたし、
サイトの案件の管理とか、
管理画面とかもあったんで、
仕様書書いたりとか、
開発も当時半分外注みたいな感じだったから、
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中で仕様を起こして、
こういう風に作ってくださいみたいなのをお願いするみたいなのを、
何でもやってた1年だったかなって思います。
そうですよね、懐かしいな。
僕らがちょっと研修で、
営業を経験させてもらったりはしたものも、
割とすぐデザインの業務に入らせてもらったりしたんだけど、
ユータは本当に入り口は完全に総合職として入ったと思うんだけど、
入社当時からエンジニアやりたいって気持ちはあったんだっけ?
エンジニアに一番的にやりたいですみたいな話は最初してて、
枠がなかったから当時はなかったんだけど、
この後の話も繋がるけど、
1年ぐらいはゴリゴリプログラムを書くみたいな仕事は全然なかったんですよね。
ゴリゴリ営業してたよね。
管理画面の仕様を証拠したりとか、
めちゃくちゃ作りが結構良いって感じはなかったね。
時々エラーが出るから、
この出るエラーパターンはこういうことなのかな?
見ながら外注の人と話すみたいな。
それがアシステムの…
それがエンジニアのキャリアに
チェンジするきっかけみたいなタイミングがあったりしたっけ?
1年後ぐらいにまた新しい事業が立ち上がって、
そこでエンジニアの募集とかもあって、
あと研修かな?
会社側でエンジニア採用をやっていくみたいな感じになりつつ、
研修のプログラムとか作ってたらしいんだよね。
その時に合わせて、やりたいですって言ったところを受け入れてもらって、
そこから研修込みでスタートしたみたいなのが最初だったかな。
確かに1個下の子達とかと一緒に同じようなタイミングでやってましたよね。
そこからはどういう業務になっていったんでしたっけ?
基本的にはそこからは開発業務の方がメインになっていって、
最初やったのはどうなったかな?
広告配信の仕組みを最終的に作ることはなるんだけど、
その前とかにはメディアサイトをいくつか作ったりとか、
アフィエイトサイトみたいなものも運営したりとか、
ツール系は結構作ってましたね。
広告案件を取ってくるチームとかがいたので、
その取ってくるチーム向けの管理画面を作ったり、
その人たちの営業向けのツールみたいなのをJavascriptで作ったりとか、
結構何でもやってきたかな。
ただやっぱり大きかったのは、
キャリアの後半は今回るフラクトっていう広告配信のサービスをやってるんだけど、
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その広告配信のシステム作るの自体、
2年くらいプロジェクトして長く携わらせてもらったんで、
その辺が後半メインだったかな。
かなり大規模なプロジェクトでもあったし、
アドサーバーって言うんですか?
広告配信システム?
そうそう。
業界的にはSSPって言われてるような仕組みなんだけど、
普通にそうですね、メディアさんに広告配信するための機関システムみたいなものがあったり、
それを管理する、営業さん向けの管理画面とかがあったり。
俺がやってたのは、後半アプリケーションの方も作ってたんだけど、
インフラの方とかを見させてもらったりして、
なので後半はアプリ書くよりもインフラエンジェーターとしてのキャリアが長かったかもね。
はいはいはい。
普通に当時は、クラウドとかもちょっとあったんだけど、
全然比例じゃなかったからデータセンター行って、
買ってきたサーバーの設置して、
いわゆるオンプレで動かすサーバーの設定とかしたりとか。
データセンター行ってましたよね。
行ってたね、結構行ってた。
1ヶ月に4、5回くらいは行ってたかな、
日々行く時とか。
でも当時ってやっぱり良かったね。
アプリケーション、インフラ両方軽減させてもらって、
上司室みたいなこともやってませんでした?
上司室、そうだね。
いわゆるアカウント管理とか権限管理みたいなやつも、
後半はやってたかな。
がっつりは本体のチームがやってくれてたんだけど、
自分の部署の、自分のチームのアカウント管理みたいなのはやってたかな。
結構特殊で、今まではなんかその、
PCナビ、Voyage Groupもシステム本部みたいな
ドーンとした大きい、インフラとかバックエンドとか上司室周りを
まとめてくれてる大きい部署が一つあったんだけど、
なんか俺がVoyage Groupの後半行った頃とか、
部署単位でもそういう風に切り出していきましょうみたいな。
なんかパイロットケースというか、最初のケースとして、
なんかユータがやってみないかみたいな感じで。
頼みやすいんでしょうね。
じゃあやってみますみたいな。
なんか試験的にそうだね。
部署でインフラチーム持って、
その部署でスピード感を持って開発するみたいな。
本部に依頼するんじゃなくて、
そのプロジェクトチームの中でインフラも持ってやるみたいな。
なんかスタート的な感じっすよね。
そういう感じにやっていこうかみたいな時の、
最初の当て玉としてやってたりとかあるかもね。
そういう意味では、営業もやって、運用もやって、
アプリケーション書いて、インフラやってみたいな。
いろいろ経験できたっていうのはどうなんですか?
その後起業することになるわけですけど、
それに生きてたりとかっていう部分もあったりするのかな。
そうね。
なんか最初にやったいろんな経験が生きてる部分はあるなとは思うね。
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なんでその、
やっぱりそのスタートアップの立ち上げ切って、
そのビジネスの構造とか、
内社自分たちも商談出たりとか、ビジネス側に立って、
ビジネスジャッジみたいなものをしていく必要があると思うんだけど、
そういうシーンでも結構人と話して、
落とし所探って意思決定するみたいなところが、
社会人生の最初に学べたっていうのも大きいかなと思うし、
開発においてはもちろんアプリも書くんだけど、
少ない時期のエンジニアって、
ある種なんでもやるまんみたいな。
ボードを書くし、インフラを見るし、
ウィアもするしみたいなところがあって、
それも結構全職で幅広くできたことが生きてたかなとは思うから、
特にやっぱりインフラとかやってなかったら、
プリムアプリ作るときに結構苦労したなっていう感覚はあるので、
その辺も経験できたのは非常にデカかったかなと思うね。
そこそこ大規模なインフラのバックエンドのインフラやってたから。
親父グループはいい会社ですよ。
特に新卒として入るとね。
そんな感じで社会人経験経て、
2012年にプリムアプリフリルを運営する
パブリック社を立ち上げることになるんですけど、
起業した後っていうのは何をどんな感じでやってました?
立ち上げ機とか。
立ち上げ機はですね、
基本的にはやっぱりプロトタイプ作って、
そのプロトタイプからベータ版にして、
そのベータ版に機能をどんどん追加していくみたいな時期だったと思うんだけど、
基本的には開発が中心でしたね。
もちろんなんか、翔太とか竹井とかが
ユーザーと話して要件拾ってきてくれたりとか、
課題をもっと具体化してくれたりとか、
それをもとに指導を引いてくれたりとかもあったと思うんだけど、
基本的にはもうガリッガリにコードを書いて、
とりあえずプロダクトを作ってユーザーに試してもらうみたいな時期だったと思うんで、
開発がメインだったかな。
それこそ新職を忘れて開発していた気がしますね。
そうですね、懐かしいですね。
当時は3人一緒に一軒家で住んで、
翔太くんの家族も一緒に住んでやってましたからね。
そうね、なかなか珍しいんじゃないかな。
ある種のセアハウス的な、
もう全員一緒の場所に住んで、
一緒に開発をしちゃうみたいなね。
そうですよね。
仙人モードって呼ばれてましたからね、本当に。
髭も剃らず、髪もボサボサで。
当時、久しぶりに親父の時の同期が遊びに来てくれたら、
ゆーた君と会話のスピードが合わなさすぎて、
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人と喋ってなさすぎて、会話のプロトコルが合わなくなるっていう。
あったかもね、確かに。
タケとか翔太とか話す風に、
カスタマイズされてたから、他の人と話す時に全然スピードが合わない。
共有してる前提がない人と話すのが、
時のスピードが合わないじゃん。
それはあったかもね。
本当に起きてから寝るまでずっと開発してるみたいな感じだったかなと思うんですけど、
サービスが立ち上がっていって、グロースさせていくみたいなタイミングになってくると、
それこそインフラの問題とかも出てきたりとか、
他のメンバーが入ってきたりとかで、ちょっと変わっていったりとかしたんじゃないですか?
そうですね。
クリムアプリ自体は結構スケールが早かったんで、結構環境の変化は早かったかなとは思いますね。
なので開発チームも早々に装備所だけで作って運用していくってわけにいかなかったんで、
採用も始めたし、みんなもやってたと思うんだけど、
採用活動しつつメンバー増やしていくみたいなのが、
たぶん立ち上げして2年ぐらいは開発しつつも採用もするみたいなのが続いてて、
2、3年ぐらいまではガッツリ開発もやりつつっていう感じが続いたんじゃないかな。
そうですね。
インフラの問題とかもやっぱり早々に起きたんで、
結構そういう否決というかね、スケールするためにどうするかみたいな。
当時お金もそんなめちゃくちゃあったわけじゃなかったから、
コストパフォーマンス意識しながらインフラ運用するみたいなのも当時は結構やってたんじゃないかな。
覚えてるのがアラートが来まくって、メールがパンクするみたいなのもよくあったもん。
確かに。
2、3年ぐらいはかなり激動の時代だった気がしますね。
どれぐらい大きなインスタンスを借りるのかみたいなところを見極めとかしてましたね、確かに。
ありましたね。
結構そうね、ガンガンスケールさせていってもキャッシュがつきちゃうと結局立ち行かなくなるから、
サーバーのチューニングしながらインフラもスケールしながら、結局人が足りないから採用もしながら、
でもリリースするロードマッパー決まってて開発もしながらみたいなのが結構創業から2年ぐらいまでは続いたと思いますね。
やることはどんどん増えていきますからね。
そうですね、ザ・スタートアップって感じの1、2年ぐらいだったんじゃないかな、
スケールしていってPMFを迎えたプロダクトであり会社。
その辺ぐらいまでって結構メンバーが多少増えていっても割とフラットな感じで、
マネジメントとか評価っていうのもそこまでカッチリしてなくても回っていくタイミングだったりするのかなと思うんですけど、
3年目、4年目ぐらいとかって結構そうも言ってられなくなるというか、
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ちゃんと会社っぽくしていかないといけないフェーズになっていったりとか、
ビジネスも安定的に回していかないといけないとかあったりすると思うんだけど、
そういう意味で変わっていったりした時期とかもあったりするんですかね。
そうですね、結構やっぱりチーム単位で開発するみたいな体制になっていったんで、
徐々に徐々に開発組織、エンジン集まりみたいなところだったからチームを作って、
チーム単位で開発して、KPIもチーム単位で追うみたいな感じの機能別の開発組織になっていったりして、
そのために採用をもっと強化したりとか、
僕自身もコード書く量がその時期からちょっと減っていったみたいなことはあったかな。
なので組織がチームとして整理するために自分がどういう動きをするかみたいなふうに、
ちょっとずつ仕事の割合も変わっていったような気がしますね。
マネジメントの割合が増えていって。
そうだね、ちょっとコード書いてる場合でもないなみたいな。
あとメンバーが揃ってきたらやっぱり任せれる領域もどんどん増えていくんで、
そういうところでちょっとずつ権限異常したりとかっていうふうには変わったかな。
そういう意味では非常に正しい動きというか。
そうね。
ただ、手を動かして返すみたいなところで、
このバリューを出す比率が減っていくみたいなところがあったんで、
個人的には新しいチャレンジというか、
そんなにマネジメントマネジメントしてた仕事っていうのも、
そこまでその時は経験してきたわけじゃなかったから、
探りで何かやってたっていうのは正直あったところだ。
探りみたいなところで言うと、あんまりそんなに表に出てない話としては、
ファブリック時代の法判定、管理部長も兼任してましたよね。
そうですね、いわゆるバックエンドというか、
経営、デザイン部、ローム、ホームとか、
そういうバックオフィスの業務のまとめる部署の統括みたいなのもやってましたね。
それ自体はやったことない業務ばっかりだったし、
もちろん自分が手を動かして経営とかロームとか仕事するわけじゃないんですけど、
マネジメントと採用を中心に自分が見てたんで、
その延長線上で周りのチームを見ていったみたいなところは経緯としてはあったかもしれないですね。
なかなかあれも自分キャリアとしてはかなり特殊な体験だったんですけど、
まあでも面白かったですけどね。
結構そのエンジニアでやってきたことの知識や技術が別の部署でも活かせたりとか、
はいはい、確かに。
でも採用もやってたんで、
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採用って基本的には入社した後のロームとか見設やっぱり変わってくるし、
その辺とかもやっぱり連携とかうまく取れる必要があったんで、
自分がやるでも全然よかったかなっていうのは当時思ってたかな。
ちょっとしたエンジニアの知識とかでバックエンドの業務が効率化されたりとかね、
シーンもあったりすると思うんで。
全然しますね。
ツール一つ使って業務効率化みたいなものもあれば、
運用フロー整えたりとか、
ここは何か作り込まずにこの感じいきましょうみたいな、
いわゆる開発の要件的な定義的なところからどこまで開発するかみたいなのを見てると思うんですけど、
そういう感じで運用フロー整えたりとかは結構やってきましたね。
そういう意味で言うと、エンジニアっていうバックグラウンドを持って仕事していくと、
いろんなバリューの発揮の仕方ってあるのかなと思うんですけど、
起業して、最初はゴリゴリコード書きたいっていう思考だったと思うんですけど、
成り行き上、CTOとしてやっていくことが変わっていって、
長年CTOとして仕事することが多くなってきたかなと思うんですけど、
自分的にはCTOっていう立ち位置へのこだわりとかやっていきたいなってあったりするんですか?
こだわりみたいな文脈はめちゃくちゃ大きくはないんですけど、
CTOに求められていることって、組織とか会社のフェーズ、プロダクトフェーズがあると思うんですけど、
結構変わっていくと思うんですよね。
最初は手を動かしてプロダクトを立ち上げることがマストなんで、
開発力を出すみたいなフェーズもあれば、
フリル、パブリックの時みたいにどんどんスケールしていったら、
良い組織を作ったりとか、組織をスケールするようにとかって考え方も変わっていくと思うんで、
求められている時々で技術的な領域でロールを変えていくみたいなのは結構意識してやってきたかな。
創業者だからっていうのもあるかもしれないけど、
技術的にバックグラウンドありつつ、組織とかプロダクトの課題を解決するみたいなポジションとしては、
CTOというポジションは面白いし、
翔太もビジネスも結構好きなんですよ、ホリー兄弟は。
翔太もビジネスはごっつい好きだと思うけど、
単純に物を作るだけじゃなくて、
物を作った上でビジネスとしてどう整理させるかみたいなところも結構考えるのが好きなんで、
向いてるところはあるかなと思ったりもするね。
そうですね、特定の領域にこだわりがそんなにありすぎないみたいなところで、
役割を柔軟に変えていける人ってやっぱCTOに向いてるのかなっていう意味で言うと、
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結構翔太くんはCTOは結構向いてるところはあるかもしれないですね。
そうですね。
選手の事業としてもそんな風には思いますね、確かに。
長くなってしまったので、この続きの原色でのお話は後編でお伺いしたいと思います。
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