00:12
米田哲郎さんをお招きしての3本目なんですけど、 今回はね、仏教の話。
米田さんが仏教の話、米田さんが仏教と経営について話せますよって話しだったんで、 どういうことだろうということなんですけど、
いつ頃から仏教に興味があるんですか? 仏教だけじゃなく、神道もそうなんですけど、
広く言うとね、全部の宗教に興味があって、 仏教からもなんでもないし、
宗教、信仰宗教とか、宗教の話ってタブーとされてますけど、 日本人として仏教と信道はちょっと学んでおいたほうがいいなと。
きっかけがあって、1個は自分が会社経営してた時に、 すごい辛い時期があって、
本当に予貯金がなくなる時代があって、 その時に先輩経営者から、
お前、ご先祖様にちゃんと感謝しに行ってるって言われて、 ヤバッと思ったんですよ。
そういえば、独立してから墓参りも行ってないなと思って、 お墓が兵庫県の山奥にあるんですけど、行ったんですよ。
行って、そういえばルーツも訪れてないなと思って、 自分のルーツは忍者なんですけど、
神戸忍者。
それはもう残ってるんですか?
残ってる。
すごい。
で、祖父から言われて、神戸忍者の出身ですと。
そういうのがあって、神戸にも初めて行ったんですよ、人生。
その2ヶ所で行ったのも分かって、 そしたら、僕東京戻ってきたら売り上げが終わったんですよ。
えぇー!
すごいなって思って、 先祖様への感謝は大事なんだって。
それが何回影響してるか分からないですけど、 この中では結構大事なところとしてあって、
あとは精神的にも辛い時期に、 何でこうなっちゃうのかなって考えた時に、
たまたまスティーブ・ジョブスが マインドフルネスを結構取り入れてるっていうのがあって、
マインドフルネスがブームになった時期があったじゃないですか。
ありましたね。
ブームになった時期はあんま知らなくて、
マインドフルネスって何かなって言ったら、 禅から来てると。日本の。
なんかスティーブ・ジョブスがやってるのに、 僕は禅のことを全く知らないと。
これは学んだ方がいいと思って、 で、仏教に興味を持ったんですよ。
それまで8年くらい前かっていうのもそうですね。
本当に興味がないくて、 何から勉強したらいいのかなも分からなかったんですけど、
とりあえずお寺行ってみるかと思って、
日本のその、禅っていうのがあったんですけど、 日本の仏教を全般的に学ぼうと思って、
03:03
日本の仏教って、今、宗派がいっぱいあるんですけど、 いろんな宗派があるんですけど、
密教のところから神奈川仏教も含めてですね、 双本山っていうのがあるんですよ。それぞれの宗派で。
それを回ろうと思って、1個ずつ回って行ったんです。
何個くらいあるんですか?
大きいのは8個、宗派があるんですけど、
それごとに、例えば創道集だと2つ、 双本山があったりとかしてるんですけど、
基本的には1個ですかね。
で、細かくその浄土神宗なんとか派とかまであって、 そっから本山が分かれてて、みたいになるんですけど、
とはいえメインどころは全部って、 そこのメインどころの将さんに、
仏教のことを教えてください、みたいな。
って聞いて、やってた。
特に禅宗って言われてるのは日本で3つあるんですけど、
創道集と輪体集と大牧集って教徒があって、
特に輪体集と創道集ってのは大きいんですけど、
そこは座禅っていうのを言うんですね。
さっさとそこに行って座禅を送ったりしていて、
座禅っていうのもよく分かんなくて、
そういう歴史とともに仏教を学ぶっていうんですかね。
歴史にひも付いてるって仏教っていうのは、
時代時代で、なんでこの仏教の宗派が日本に生まれたのかっていうのがあるんですよ。
皆さんご存知の通り、一番最初は天台宗教とかにできた時代があって、
そっから飛鳥時代ですかね。
そっから鎌倉仏教っていう時代があって、
浄土宗、道場神宗ができて、
あれは農民の方を中心に広まったという、
たりき本願っていわれるやつですね。
ナムアミダブツって言うと救われますよ、と。
とりあえずそれを行えれば。
ナムアミダブツって何っていうところから始まったわけですよね、勉強が。
ナムとアミダブツなんですよね。
ナムっていうのは、僕はインドとかでもあるナマステの漢字なんですけど、
慈恵するっていう、感謝するとか慈恵する。
帰るに衣、夢に衣、慈恵って言うんですけど、
アミダブツにナムするっていう意味がナムアミダブツ。
それにアミダブツ様にすがると極楽浄土で行けますよっていう仏教が鎌倉時代にあって、
そこからまた座禅、禅宗が入ってくるんですけど、
禅宗はたりき本願ではなくて、自分と向き合うことっていう、
自分で悟りを開いたって思うんですよね。
それが武士にすごい受け入れられて、
浄土神宗の考え方と禅宗の考え方はだいぶ違うんですけど、
その中でも座禅の方法も全然違って、
禅宗っていうのは禅問答って言われてるもので、
06:03
答えがよくわからないものとして考えていくって、
座禅をしながら考えていくものなんですね。
で、宗徒宗っていうのは無になる。
これがマインドフルネス的なもので意識に集中して、
無に近づいていくっていうものなんですけど、
それもそれぞれの宗派に偏ることなく、
いいところで悟りをしようということで、背景を全部知っていくっていう。
なんで文化に紐をついて宗派が成り立ったかっていうのを知ることによって、
その時代時代で苦しいこととかあったわけですよ。
戦難の世の中があって頼らなくちゃいけない時に、
神田様がいると救われるっていうところで、
浄土神宗ができたように、
時代時代でやっぱり生きるってことがすごい辛い時代があったわけですよね。
そこにやっぱり宗教仏教というものが生まれて反映したっていう、
日本人古来の考え方、そこに神道というものがあって、
文化を知る、生きるを知るっていうことを結構考えさせられたんで、
結構勉強しましたね、やっぱり仏教については。
宗教家ではないんですけど、
この仏教は特に皆さんあんまり知らない方は、
ちょっと学ぶとめちゃめちゃ生きるが楽になるっていう感じですかね。
根本的な考えは、仏教っていうのはですね、
生きることに苦があるっていう、
苦は当たり前だっていう考えの中で、
それは煩悩家で生まれてきて、
煩悩っていうのを正しい発祥土って言われてるものでやってきと、
それが極楽浄土で繋がるっていう根本的な考えもあるんですけども、
その一つ一つが生きる力になるっていう感じですかね。
経営してる中で、その一つ一つの教えが、
行動だけじゃなくて考え方に影響したっていうんですよね。
触れない力になったので、経営にはすごい役立ちましたね。
特に仏教のどういう考え方が、ご自分を楽にさせるものになったんですか?
いろいろあるんですけど、
無情とか、無情とか、
平家物語で最初にあるような諸行無常の響きがありますよね。
謝罪の花のように、
成者失水の言葉に表す、文句から始まるんですけど、
全てのものは、移りゆくもの、変わるものであると。
今流行っているものも、反映しないこともあるし、
移りゆくものっていう概念の中で、
自分に与えられたものっていうのも、
嫌なことがあったとしても、それでも変わることもできるし、
捉え方によっても違うっていうところが、学べるところでもあったりとか、
09:04
文化のところで言うと、
詫び詐びみたいな考え方って、
日本人のすごい特殊な考え方で、
仏教にもすごいひも付いてるんですけど、
そこら辺の考えですかね、
詫び詐びって、本当に日本人に大事な考えだと僕は思っていて、
ちょっと頭混乱したときに、
詫び詐びで心を落ち着かせるっていう、
トレーニングとかしてる、
トレーニングっていうか、自然にそれが今はできるようになりましたけど、
それどういうことですか、詫び詐びで心を落ち着かせるっていうのは。
やっぱり、詫びとか詐びって、
詫びし、さびれてるものに対して美しさを見るっていうか、
そういう側面を考えることが詫び詐び。
千利休がもともと詫びっていうものを体系化したっていうふうに言われてますけど、
茶道にすごいひも付いてるんですね。
豪華賢乱な時代が来たんだけれども、
詫びしいものに対しても美しいと思う。
質素なものでも美しいと思うっていうことを楽しむ。
これが茶道の本本的な千利休が作った考えで、
そういうのも華やかなものだけじゃないと。
経緯もやっぱりすごい移りゆくし、
いい時代もあれば悪い時代もある中で、
詫びの心で全てを楽しむこともできるんですよね。
詐びっていうのは、
詐び過ぎちゃうのは詐びですけど、
風化しちゃうものもあるわけですよ。
年齢が50歳に近づいてくると、
肌がゴロゴロなったりとか、
いろいろ自分の見た目も変わってくるわけですね。
でもそれも自分らしく生きようっていう
根本的な気持ちになる。
今を楽しむっていうことも気持ち的にもあるし、
今ね、いろんな日常で触れる言葉には
仏教的な意味合いとかもいっぱいあるんで、
本質を見に行くっていう感じですかね。
それはね、楽しいんですね。
私はあんまり宗教全般に対して、
特に信仰心とかはないんですけど、
ただ、仏教的なものの考え方って、
それは自分が日本人だからか、
すごく納得感はあるんですよ。
なんかすごく仏教ってロジカルだなって思って、
そうだよねっていうことを理屈として、
哲学、宗教っていうよりは、
なんかその超越的な話があるというよりは、
確かにロジックを積み上げるとこうだよねっていう、
すごい納得するものがあるんで、
そんな全然詳しくはないですけど、
12:00
仏教のものの考え方みたいなものは、
楽にするっていう気持ちもすごくよくわかりますし、
割とそう捉えれば、
認知の世界だっていう話じゃないですか。
起きてるものの全部、
自分自身の認知の中で、
基本はもう四季即絶空なんだけど、
もう自分がそれをどう捉えるか次第だし、
今あるものもあると思ってるだけで、
あるかどうかなっていうことは、
もう結構どうでもいいみたいな。
そういう感覚とか、
自分と他者を分けるものっていうものは、
分けてるっていう概念を与えてるだけで、
実際には何が分かれてるなんて、
何もないよねみたいなこととか、
すごいそういうものは、
いろんなものを楽にするし、
自分がこの認知の中にいるから苦しいんだなとか、
逆に認知を変えれば、
もっと自由になれるんだなっていうのは、
人を救うものになるなって、
本当にその通りだなって思うんですよね。
結構山に登る人とか、
山だけじゃなくて海でも何でも、
自然の中に身を置いたときに、
自分の存在の小ささっていうか、
大きな視点で見たときの小ささみたいなところを感じると、
すごい囚われてる大きな問題みたいなものが、
全然大したことじゃなかったかもしれないとか、
流せるようになる感覚とかっていうのを話す人とかも結構いる。
私はその感覚もわかるんですね。
すごい囚われたときに、
私は結構海行きたくなったりとか、
山とか自然の中に行きたくなるんですけど、
それは頭とか文字で囚われる視点を、
体ごと場所を変えることで、
ちょっと視野の狭さみたいなのを、
体感的に広げてあげるっていうか、
みたいな感覚もあるんだけど、
日本人が山とか、
お日様でも何でもいいんだけど、
やおろずの神みたいな形で感謝をしたりとか、
そういう感覚もすごくわかるんですよね。
そうですね。
神道的なものとかもね。
宗教というよりは日本人の精神みたいな、
自然との接続の中で、
自分たちの営みがあるっていう感じは、
それは本当神道的な観点からも、
すごいナチュラルに入ってくる。
神道は争わないんで、
めちゃめちゃいい概念だと思いますね。
世界中の結構、
首相陣、大統領みたいな人も、
15:02
日本の神道的なものを、
興味を持って見てる人もいますし、
キリスト教的にも宗教ではないって言ってるんですね。
神道って。
神道は祭事ですから。
なので宗教ではないですよ。
宗教って、
教典があったりするんですね。
伝える人がいるんですけど、
神道は伝える人ではないです。
神に仕えてる人、
代弁者であって、
代弁者じゃないな、神道の人っていうのは、
教えるものは別にないわけじゃないですか。
そうなんですよね。
別に教えてないですもんね。
ないですよ。
もちろん感謝するとかはあるんだけど、
教典があるわけじゃない。
聖書があるわけじゃない。
本当本当。
神道はすごい面白い、
自由でオープンですよね。
日本人が寄り所として、
日本人の精神性を作ってるし、
平和主義なところとか、
日本人ってカッチリしてるように見えるけど、
根本的なところではオーラかな、
他者を認めるというか、
そういうマインドがある民族だな、
というふうに思うんですけど、
平和主義的には、
神道的な考えが世の中に広がると、
世界に広がると、
平和になるのになって思ったりはしますけど。
それぞれの宗教って本当に良さがあって、
ある時期、
イスラム教とかの講覧とかを読みに行ったんですけど、
めちゃめちゃいいこといっぱい書いたんですよ。
全て見るわけじゃないですけど。
すごいなと思いました。
イスラム教ってやっぱり三大宗教の一つだし、
それだけ宗教信者がいるってことは、
何かあるんじゃないかなって、
何の本質が書かれてるのかなって読みに行くと、
めちゃめちゃ家族愛とか、
大変なことを分かち合うっていう文化とか、
喜びも分かち合うし、
悲しみはみんなで分かち合うと絶賛されるとか、
そういう概念があったりとか、
めちゃめちゃいいこといっぱい書いてあったんですよ。
だから御手観念で、
あの宗教ダメだっていうのは、
やっぱりあんまり良くなくてですね。
本質を見に行くと、
いいことがいっぱいあるっていうのは、
大事なことなんじゃないかなって思いますね。
祈りは特に仏教と神道は、
本当にスッと入ることがいっぱいあるんで、
見つけに行く作業をしてほしい。
どっかの宗派っていうよりかは、
お寺に行って、
お寺のこの木から何かエネルギーをもらうとか、
でも全然なくて、
こういうところって自分の心の寄り所にできるなとか、
こういうことを話すと人とコミュニケーションが上手くなるなとか、
生きるやっぱり術がいっぱい書いてあることが多いんで、
お学びになるんじゃないかなと思いますね。
それですごい楽になったんで。
18:01
なるほどね。
ストレスゼロですからね。
今ですか?
ありますよ。
ストレスもなることはありますけど、
ゼロはもちろんないんですけど、
グレないし、
すごいスッと戻れる。
確かにね。
でもすごいわかる気がする。
私もなんかこの前、
ストレスについて考えてて、
なぜなら本当に最近ストレスがないので、
それは組織に属してないとか、
いろいろな環境にもあるけれども、
でも、なぜ今この状態なのかな、
みたいなのを考えたときに、
学んで、仏教を学んで楽になったとか、
それ捉え方じゃないですか。
その仏教の教えによって、
例えば状態としては変わらなくても、
その状態の捉え方が変わることですごく楽になるっていう、
視点を自由に動かせる感じができてきていて、
その年齢とともに。
なので、すごい楽しむのって、
結構視点がワッと中に入るけど、
引いて俯瞰するのと、
俯瞰と中に入り込むのを自由にできるようになってきた感が、
年齢とともにあって、
それが楽しいなっていうふうに思うんですよね。
逆に私はわりと俯瞰的なほうが強かったので、
それはそれで安定してるんだけど、
すっごい楽しいみたいなのあんまないんですよ。
結構俯瞰だから。
まあ楽しいよ。
冷静だもんね。
そう、わりと冷静なんです。
まあ普通に楽しいけどぐらいの感じ。
それをちょっと生き生きできるようになると、
なんかね、本当に楽しくなってるか。
だけど囚われすぎないみたいな。
なるほどね。
視点と視野と視座ってあるじゃないですか。
視点は点で見てて、視野は領域を見てて、
視座は高さじゃないですか。
人がコミュニケーションがバッティングしてる時って、
どれかが合ってないんですよ。
自分は高い視座で見てるのに、
この人はここの視点で見てるみたいな。
言語は共通認識を持たせる時って、
僕はいつもはこの人の視点と視野と視座がどうなのかなっていうのを見ると、
すごい、なるほどなっていう発言になるっていう感じですかね。
これなんか合わないと、全然違う意見。
同じことを言ってるのに、
それは違うことになるよね。
確かに確かに、そうですね。
会社の中でもそうじゃないですか。
営業って視野で見てて、
開発って視野で見てて、バッティングしてます。
でも、みんな売上げあげたいと思ってますみたいな。
そこら辺のコミュニケーションのロスなくすのにも、
視点、視座みたいなものが使えるなって。
21:01
そうですよね、そうですね。
私ももう悩まなくなったっていうか、
悩む要素があんまりなくなった感じがするんですけど、
結局悩むのって、本当に執着だと思うんですね。
いろんなものに対する執着。
お金が欲しいでもいいし、出世したいでもいいし、
人と理解し合いたいもそうだと思うんだけど、
でもそういうものが、
やっぱり若い頃は、
一つ一つに何か苦しみがあって、
でも結局自分が何で苦しいのかを突き詰めていくと、
自分に執着があって、
何かしたら何かが変わるはずだと思うから、
うまくいかないことに対して、
いらだったり、苦しいとか、
渇望感があったりするんだけど、
でも何かは自分でどうにかできるものでもないというか、
そういう手放していく感覚だったりとか、
そもそもそれの正体を見つけられると、
自分の苦しみの正体を見つけられると、
見えた!みたいな感じになると、
パッと物の毛が正体を見つけると、
パッて消えるみたいな感じで、
それを何度か自分が経験していくと、
これもきっとそうに違いないって予測できると、
わりと最初から苦しみがなくなるっていうか、
自分の苦しみの解き方みたいなものが、
ある程度インストールされてくると、
悩むこと自体がほとんどなくなる。
ショートカットできちゃうっていう。
そういうのは、悩んだ理屈でこうなんだよって、
いくら多分若い時に言われても、
そうはわかんないっていうか、
わかっても理解できないっていうか、
理屈はそうかもしれないけどさって言っちゃったと思うんだけど、
でもやっぱり苦しんで苦しんで解き放たれるみたいなことを、
やっぱり経験すると、
こういうことかって体感、得得する感じがあって、
それは年齢とか経験みたいなものでしか、
担保されないものな気がするんだけど、
そういうものを感じる。
それが例えば、
そういう宗教的なものを何か読んだ時とかに、
自分が感じてたことは、
こことリンクする、こういうことなんだなっていうのと、
自分自身の経験とそこが書かれてるものがリンクした時に、
なんかものすごい腑に落ちる感じがあって、
確かにこれは普遍的なんだと、私だけじゃなくて、
あらゆる人がやっぱりこういうことを解き放たれる、
ノウハウとしてきっとしたためられてきて、
24:00
それはたぶん時代とか年代とか、
たぶん地域とかも関わらずきっとそうなんだろうなって思えると、
ちょっと穏やかな気持ちになるっていうかね。
20代で得できたらすごいよね。
難しいですよ。
でもやっぱり苦しんじゃうよ。
苦しんだ経験があるからずっと落ちてくるっていう。
今この年齢だからってことですね。
今ちょうどいい年齢なんじゃないかなって思いますよね。
仏教の中でも中道っていう中に道っていう書くのがあって、
勝ちでも負けでもない、白でも黒でもない、
極端にならないで中を進むっていう概念があるんですけど、
それって自分の物差しで考えないっていうことなんですね。
そういうのも同じことを言ってるんですけど、
仏教では教えにちゃんと書かれていて、
それを触れると自分の物としてほんとにスッと入るっていう。
昔から言われてたことなんだが、
自分がちょっとずつ気づいたことが、
昔の人が言語化してくれてるっていう。
それがね、仏教に書かれてるのは良かったと思います。
なんとなくうつうつ気づいたのが、
さっき意識できる。
そろそろ定着していきますよね。
全く自分の中にないものを
ありがたい教えで教えてもらっても、
やっぱりなんかふーんって終わっちゃうっていうか、
子供にいくら言ったってわかんないけど、
それが自分のちょっとした感覚、経験したことと繋がるから、
まさに言語化してくれてるっていう。
そのプラスアルファが、もしかしたら読むと、
自分がまだ見えてない、うっすらしか見えてないものが言語化されてる。
そういうことかって結びついてより深まるっていうのは、
宗教を勉強してみたくなるっていう気持ちは、
すごいわかる感じがするし、
最近年末に京都に行ったんですけど、
その時にも夫とお話ししてて、
宗教って勉強してみたい気持ちはあるよね、みたいな。
それぞれの宗教どんなことを本当に言ってるんだろうとか、
知ったようで知らないよね、みたいな。
もうこんだけ生きる死ぬを繰り返してきたんで、日本でも。
何か絶対あるんですよ。
そうですよね。
あとは若いうちは気づかないっていうよりかは、
この年になると周りの親世代も含めてみんな死んできてる。
亡くなってくる方が多くなる。
友達の親、自分の親とかも含めて。
そうなると死を意識すると生きるを意識しだすんで、
生き方をちゃんと見ようっていう感じであると。
でもそこに70代くらいになって、
後悔はする人がいるっていうのを本でも見てるし、
生き方、あの時どうすればよかったって。
後悔しない生き方はどうするのかなっていうのを見たときに、
結構仏教に書かれてることもあるんで。
僕は今の自分にも役立ってるし、将来30年後、
27:02
何歳から生きるかわからないですけど、
死ぬ間際に生き方っていうのを見たときに、
よかったなって思えるようにしたい。
そのためにそういう宗教観を学んでるっていう。
確かにね。
私もちょっと深くないですか?
そういう年齢なのか私も。
うちの夫も読んでた。
宗教の、仏教の本。
勉強してみたいよね。
その時はね、そうだよなっていうものいっぱいあるんですけど、
僕のおすすめはそれをみんな誰かに伝えることですからね。
自分のものになるには相当レベルが高い。
基本なんだけど、自分の言葉で言うのが難しいことって言うか。
そうですよね。
やっぱり学びきって対話して、
それぞれが学んだことを話し合うとか、
誰かに教えるとか、
そういうのがほんと大事ですよね。
それを押しつけないっていう。
そういう考えがある。
押しつけないのが仏教の学びの中で。
なるほど。
なるほどね。
確かに。
押しつけないっていうのがめちゃめちゃ大きいですよね。
若い時は押しつけがちですよね。
そうそう。
それこそでも日本の法教育とかって、
あんまり宗教とちょっと距離を置くじゃないですか。
例えば海外だと、
宗教的なものにバックグラウンドが結構強くあるところだと、
学校でも当然宗教の時間ってあると思うし、
と思うんだけど、
日本ってあんまりないじゃないですか。
それは日本人、
日本の歴史的な、
多分繊細さもあると思うんですけどね。
教育、政教分離的なものがあると思うんだけど、
でももうちょっとそういうことに触れる。
なんとなく若い時って毛嫌いしちゃうというか、
拒否感みたいな。
ようこちゃんとかカトリックの学校だったから、
そういう。
あと洗礼も受けてるので。
学校に通ってたときにした?
子供の時はカトリックだったから、
赤ちゃんの時に洗礼を受けていて、
だから幼児洗礼を受けていて、
教官日曜学校とかも行ってたよ。
小学校ぐらいまでは。
幼稚園と中高がカトリック系の学校。
それはようこちゃん的にはさ、
どれぐらいカトリックの教えっていうのはさ、
自分の人生観とか意識に入ってると思う?
根っこにはあると思うけれども、
でも中学ぐらいの時に、
すごい嫌で。
中高がカトリックの修道院の敷地内にあって、
シスターもいてっていうところで、
教えがそうだなって思うところもあれば、
30:04
特に10代の尖ってる感覚からすると、
すごい狭い感じ?
教えが狭い感じがすごくして、
嫌で、母親に嫌だから辞めたいみたいな話をして、
辞めるってどういうプロセスやったら辞めるかわからないけど、
みたいな話をしたこともあって、
別にあなたの自由だから、好きにすればいいけど、
今すぐじゃなくて、おいおい考えてもいいんじゃない?
そんな感じだった。
だから中高の時に読んだ、
遠藤修作の沈黙とか、
遠藤修作もクリスチャンなんだけれども、
すごい日本人的というか、
彼の中に入っている仏教とか神道とかアニミズム、
いろんな考え方が響くことと、
キリスト教に対する考え方の葛藤みたいなのも結構エッセンスとしてあるので、
私はそこにすごく共感をして、
それこそ大学受験の面接で、
読んだ本について一冊話せっていうのについて、
それを話した記憶がある。
だからテーマではあるのかもしれないね。
どれだけ具体的に自分の行動とか、
価値観に影響しているかっていうのを、
あまり具体では話せないけど、
でもそれ話せないぐらい、
多分土壌というか基盤にはなっているんだと思う。
すごく小さい時から触れているから。
今この年になって、
宗教を知りたいなとかっていうのは、
能動的なアクションだけど、
気がついたら洗礼を受けてたとか、
あるいは別にイスラム教の国の子たちとか、
別に生まれた時からイスラム教徒じゃないですか、
キリスト教徒じゃないですか、
そういうのを自分の意思で選んだわけではなくて、
生きる前提になっている人、
日本の中だとそういう人は、
比較的少数派かもしれないけれども、
宗教に対する捉える意識が、
ちょっと違うものというか、
たぶんあるとしたら、
逆に違和感みたいなのも合わせて感じたので、
そこで考えたことの方が大きいかもしれない。
なるほどね。
教えの影響というよりは、
私が一応カトリックだと言われているだけれど、
これは私にとってどういうものなんだということを考える。
この考えに対して納得いくいかないとか、
でも自分の感覚はこっちじゃないかとか、
照らし合わせる感じ。
その方が自分を理解するというか、
33:05
ところには影響をしているのかもしれない。
それはまさにヨコちゃんがそういう環境で育ったから、
考えるきっかけがあったけど、
そういうのない子供だったら、
18歳くらいだったら、
宗教と自分になって、
身近なものとしてはあまり考えないよね。
そうだよね。
でも今話しながら思ったけれども、
何かに感謝するみたいなところとかはあるのかもしれない。
絶対的なところに。
今はうちの実家でも全然やってないけれども、
小さい時とかは本当にそういうこと。
いただきますっていうのの延長な感じで、
食事をいただく時には感謝の言葉を言ったりとか、
お祈りしたり。
寝る前にお祈りはしたりとかっていうのは、
すごいちっちゃい時があったんだよね。
でもそれはお祈りっていうのは、
感謝する感じ。
今生きていることに対してとか、
自分がもらった恵みとか、
あと自分以外の人たちに気持ちを馳せたりとかっていう、
そういう接続っていうか感じ。
なので、それは入ってると思う。
根っこの部分に。
なるほどね。
意味もあるかもしれないね。
うちは実家中小企業を経営してまして、
父が。
だから商売で。
うちの父とか、
昔はもう宗教とか、
あんまり好きじゃないっていうか、
俺は共産党だぐらいの。
経営者らよりも共産党ってどういうこと?みたいな。
共産党っていうか、
そういう神仏とか、
あんまりお父さんは結構、
そんなものはまやかしだみたいなぐらいの感じだったんだけど、
最近とかは結構神社とか、
そういうところに寄付したりとかしたりするぐらい、
割とそこにこういう、
昔とはだいぶ捉え方が70代なんでね、
捉え方が変わってきてるんだなと思うけど、
私は結構父は宗教なんて、
みたいな感じだったから、
割と若い時は、
私ももう私は無神論者ですぐらいの、
あんまり深く考えてたわけじゃないんだけど、
宗教なんて争いの種だし、
宗教にすがるのは弱い人のすることだみたいな、
あんまり深く考えず、
若い時はそんなことを思ってたなっていう気が、
自分がどうだったかなっていう、
その若い時のことを考えるとそうだった気がする。
でもそういうところからニュートラルになっていくんですけどね、
だんだんなんか別に、
宗教に対する反発ものめり込むのも、
なんかこう、まだ自由じゃない感じがするよね。
36:02
なんかわかんないけど、
自分自身がないから。
でもなんかその不必要にけぎらいしたり、
怖がったりみたいなことを、
もちろん変なのもあるから、
そこは注意をしないといけないんだけれども、
でもすごくこの千人以上続いてきているものっていうのは、
やっぱり本質があるっていうか、
それぞれの宗教に。
だからそこはなんか学ぶ価値がものすごくある。
だってもう本当に世界最古のこう、
残っているものたちじゃないですか。
っていうのはなんか変にけぎらいせずに、
学ぶ価値がありますよね。
本質を見ても追い求めても、
まだ足りないから宗教が成り立っているんですよね。
愛、キリスト教で愛とかも、
愛っていろんな定義があって、
ずっと追っててもまだまだ足りない、足りないって言って、
宗教はたぶん続いている。
仏教もそうね。
やっぱり目白上と目指してずっとやってきた人がいて、
でも足りないと。
そこでやっぱり何らか本質があるはずで、
ちょっとずつ教科書的に言語化をしていて、
それが会話を見ると楽しいっていう。
歴史を感じながら楽しい。
必ず歴史、文化と戦争で見に行く必要がある。
確かにそうなんですよね。
それが面白い年頃になってきたんですよ。
本当ですね。
本当に。
今更中学校時代の歴史ってもっと真面目にやっておけばよかったなって思う。
そうですね。
こういう覚え方したらもっとスッと入ってきちゃったなとか。
本当に思いますよね。
本当に思う。
なんであの頃あんな覚え方しちゃったんだろうっていう。
一問一答的に覚えちゃったんだろうっていう。
参考としてね。
参考としてね。
歴史の年表を覚えるみたいな。
暗記物にしちゃったわみたいな。
物語としてね。
本当に今は覚えたらなるほどって思っちゃうもんね。
そうなんですよ。宗教はね。
宗教を多分視しないで自分の生きるのを学びとして吸収するって意識になってくれると
なんか楽になるなっていう感じですかね。
確かに確かに。
目の前に溢れてるね。
もう想定以上にお寺もあるし。
お寺っていっぱいあるんだよな。
神社もいっぱいあるし。
宗派もいっぱいあるし。
これってさっきお寺の方に話し聞いて
普通に話しかしてくださいって言ったら
皆さん話してくださるんですか?
本当にじっくり説法のように2時間くらい話してくれる人もいるし
39:03
立ち話しで話してくれる人もいっぱいいますね。
特に仏教の方は日本で大乗仏教と言われていて
みんなで極楽浄土に行こうなんですね。
一人の人だけじゃなくて
自分が学んだことを広めるっていうのが役割なので
全く応募さんの方は伝えるとかに関して言うと
抵抗がないというか不良でやってくれるんです。
よく学んでるし、やっぱり。
そうなんですね。
面白いですよ、応募さんの話って。
特に総本山みたいなところの方たちとかは
それなりの人たちだろうから面白そうですね。
さっき欲望の話もありましたけど
欲望に対しての捉え方も宗派であると違う。
法廷まで行かないけど性欲もOKって言ってることもあるし
会社からの違いかもしれないですけど
欲望に対しての考え方とかも調べてきて面白い。
そうですね。
確かに。
勉強したいこと増えるよね。
そうですね。
素敵なことだね。
生きるが豊かになるんで。
確かに。
でも欲望の捉え方も
それこそ仏教の宗派によっても違うし
宗教によっても違うし
ある肯定的に捉えるものと
それを良くないものというか
なので管理しないといけないという風に捉えるものとか
全然違うじゃないですか。
それも人によってその捉え方を
自分はこう捉えてもいいんだって変えることで
例えば楽になったりとか付き合いやすくなったりとか
っていうのはありそうですよね。
仏教に関して言うと
煩悩と言われている欲望はなるべく避けましょう。
人を助けるとかそういうところの欲求・欲望みたいなのは
どんどん押し出していきましょうっていうところなので
そういう頭の整理の仕方とかも
自分の欲望の中ではある。
面白い。
珍しい大トークでね。
初めてじゃない?
でもこういう話もしたいよね。
なかなかする機会ないじゃないですか。
しかも宗教界でない人が話す。
でもそれがいい気がします。
多少学ぶ中で間違ってるところもあるかもしれないですけど
僕の中で生きてる話を
いいですね。
面白かったです。
うちもお寺に行って話していきたいなって。
そうだね。
でも結構そういう活動をやってるとこありますよね。
あるある。
朝の撮影とかやってるとこもあるしね。
そうですよね。
意外と身近なとこでもあるかもしれない。
42:00
あるある。
じゃあ、いつかね。
ボウさんとのおゲストに呼んでもいいかもね。
ボウさん確かにちゃんと話してみたい。
では長い時間いっぱいお話を聞かせていただきました。
大変楽しかったです。
ありがとうございました。