1. Dialogue cafe
  2. #124-1 外れ値に光明を探せ⁈或..
2026-02-18 31:08

#124-1 外れ値に光明を探せ⁈或るロスジェネの半生【就職氷河期世代の泳ぎ方 ゲスト:ライフキャリア・デバッガー 木村貢大さん】

▼番組のnote:
Dialogue cafe | note

▼番組への質問・感想・メッセージ募集中!こちら

▼内容:
独身貴族、子どもができて人生激変/中学でコンピューターで飯を食う決意/附属高なのに大学進学せず/学校とか意味なくね⁈ゲーム業界で働きたい!/ゲームバブル時代の昼夜逆転生活/ザ・就職氷河期世代/リスクが取れるのは自分しかいない/事業づくりはものづくり/40歳で初めての転職活動/採用の決定スピードって大事よね

▼出演:
ゲスト
木村貢大さん(  )

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、アントレプレナーシップ推進大使、1児の母)
岡澤陽子(ブランディングコンサルタント、組織支援アドバイザー、ビジネスメンター、戦略インサイトリサーチャー、2児の母)


▼関連エピソード:
#24-3 恐れず進めよ!ITエンジニアは世界の働き方強者
#27-1 成田修造、クラウドワークス卒業後の今とこれから
#82-1 就活敗者がIT長者に⁉ミラクルサクセスストーリーは突然に
#111-1 サラリーマン27年目、突然吹いた野性の風
#123-2 世の中を動かしたい!あえて選び取る「破天荒」キャリア

サマリー

本エピソードでは、ライフキャリア・デバッガーの木村貢大さんをゲストに迎え、彼の波乱万丈な半生とキャリア形成について深掘りします。木村さんは、幼少期からコンピューターに魅了され、ゲーム業界でキャリアをスタートさせました。就職氷河期世代として、大学進学を選ばずに専門学校やアルバイトを経てゲーム業界へ飛び込み、プレイステーションのゲームバブル期には高時給で働くなど、異色の経歴を辿ります。その後、ゲーム業界から携帯キャリアの3Dシステム開発、さらには起業経験を経て、40歳で初めて本格的な転職活動を行い、クラウドワークスに入社しました。その転職活動のスピード感に魅力を感じたと言います。また、人生の大きな転機となったのは、40代前半での子供の誕生であり、それまで自由奔放だった彼の人生観や優先順位が大きく変化したことが語られます。子供中心の生活への移行や、旅行スタイルの変化など、人生のフェーズごとの変化についても触れられています。

ゲスト紹介とクラウドワークス時代の思い出
スピーカー 1
またクラウドワークスで一緒に働いてた方に来ていただいたんですけれども、木村貢さんです。
よろしくお願いします、木村貢さん。
スピーカー 2
ここで木村さんが、私のクラウドワークス時代を知っている方だったら、
え、田中さんのポッドキャストには木村さんまで来るの?っていう感じかもしれない。
どういう意味なの?
いや、もちろん一緒の時期に働いてたんですけど、
でも木村さんはプロダクトのクラウドワークス.jpの事業責任者をやってて、
宿役員やってて、
で、私はどっちかというと経営の方というか、経営企画員にいたから、
もちろん一緒に働いてるんだけど、
なんかその、具体的な仕事の重なりってそんなにないんですよね。
自分でも元エンジニアだし、今もエンジニア?
スピーカー 1
一応エンジニアになってるんですけど、
もう行動自体は趣味でしか書いてない。
仕事で受け負ってるのもいくつかあるんですけど、
メインはもう、どっちかというとビジネスサイド経営系になって、
経営系にもう10年ぐらいは実はやってますよね。
スピーカー 2
そうですよね。だからそんなにエンジニアっていうイメージは当時もそんななくて、
なんかそういう技術的なバックグラウンドが分かる、
事業屋さん、ウェブビジネスの、ウェブサービスの責任者っていう、
そういう感じだったから、
なんか多分、バックグラウンドが違うんで、
一緒に働いてても、多分クラウドワークスの中の人から見ても、
あんまり私と木村さんが一緒に何かやってるっていうイメージはみんなないんじゃないかなっていう気がするんですけど、
スピーカー 1
どっちが先に入ったんですか?
人生観を変えた子供の誕生
スピーカー 2
私と木村さんは全然古いんだけど、
結構ね、.jpって創業事業なんでね、
クラウドワークスも、クラウド送信のマッチングのやつですね、
スピーカー 2
仕事を発注する人、受注する人の。
だから何台か、もともとは成田さんがやってた時期もあるし、
創業時はもちろん吉田さんがね、社長がやってて、
成田さんが結構長いこと責任者やってて、
その後の事業責任者っていう形で、
何人かいたんだけど、木村さんがやってたっていう感じなんですよね。
スピーカー 1
それで、去年の11月ぐらいですかね、
スピーカー 2
クラウドワークスのアルムナイパーティーの、
スピーカー 1
卒業生が集まるみたいなとこで、
スピーカー 2
久々に、お、木村さんみたいな感じで話したら、
ポッドキャストも聞いていただいてるっていう話で、
そう、木村さんが出た回とかもね、聞いていただいて、
話したいと。
スピーカー 1
心が、たぶん谷さんと働いた頃と今で大きく違うのは、
子供がいるかいないか。
人生もそこで結構大きく変わって、
40、前半の頃に子供ができて、
全ての人生観が入れ替わった。
これがね、結構大きかった。
みんなの話聞いてても、
木村さんとかもそんなに早いわけじゃないというか、
僕らの世代で言うと、
40前後で子供ってまだいるんで、
木村さんも退任されたり、
優先順位が変わるわけですよ。
僕も仕事人間なんで、仕事大好き。
大好きというか、仕事してる方が安心するっていうのが、
優先順位が明らかに1段、2段下がったのが、
子供生まれてからなんで、
これは生物学的な世の物なのか、
社会学的な世の物なのか、全然わからないですけど、
全然違いますね。
スピーカー 2
木村さんって確かに、
クラブワークスで働いた時から、
めっちゃ自由人イメージがすごくあって、
この後おいおい聞いていきますけど、
アメリカ生まれ。
スピーカー 1
ハワイ生まれ。
スピーカー 2
ハワイ生まれで、スペイン大好きで、
休み取って長期のスペイン旅行に、
放浪に行ってしまうとか、
スピーカー 1
年3回ぐらい1、2週間いなかったですよね。
スピーカー 2
で、ご結婚も何回かされていてですね、
まあ自由人なんだろうなっていう、
仕事大好きみたいな感じだから、
なんかもう、お一人様感というかね、
スピーカー 1
そうですね、独身族感は強かったですね。
スピーカー 2
めっちゃ満喫されてる感じで、
だから子供がいるイメージとかって、
全然なかったから、
お子さん生まれたっていうのを、
私もフェイスブックの中で見て、
木村さん、ついにお子さん。
しかも双子。
スピーカー 1
しかもなんかめっちゃこぼんどーみたいなので、
スピーカー 2
ちょっと人生変わったんだなっていうのを
スピーカー 1
私も感じましたね。
僕の周りの周辺で、
つい最近知り合いになった人は、
めっちゃ子供優先して生きてるっていうので、
クラウドワークス以前、不動産業界以前の人は、
そもそもいることが信じられないって言って、
それこそレイアーXにいた人たちが、
別の人が、僕の知り合いの知り合いがつながって、
木村さんが子育てしてるって本当ですか?
って質問したぐらい、
イメージはないみたいですね。
面白いね。
スピーカー 2
でもそれは割合とかもあるけど、
女性男性関わらずで起こることもあるし、
より女性にってこともある気もするんだけれども、
子供がそこまで仕事も含めて、
子供を持つことでね、
スピーカー 1
変わる人と変わらない人の世の中にいるじゃないですか。
なんで木村さんそんなにインパクトがあったのか。
スピーカー 2
年齢もあるのかもしれない。
スピーカー 1
そうですね。年齢は大きいかもしれないですね。
ちょっと言い方が悪いですけど、やりたいことは一通りやったから。
スピーカー 2
一通り自分の達成感みたいなものとかもあるし、
自分の基盤があるから。
ちょっと飽きてきちゃうっていうかね、人生にね。
スピーカー 1
やること想像できるよ。
これやったらこうなるなとか思うんですけど、
それが子供にはないっていうのもある。
ただでも生まれる前から、
結構もう会社辞めるとか選択肢を持ってたんで、
すごい不思議は不思議ですよね。
だってそれこそクラウドワークスの時、テレビCMの時、
年末年始ずっと通しで会社に出て、
ずっと年末年始から全部休み取らずに、
これ終わったらまた長期の休み取って、
スペイン行こうかなって思ったらコロナになったんですけど、
ぐらい別にどこに仕事を入れてもあんま気にならなかったんですけど、
今はもうやっぱ子供のスケジュール見て、
保育園の発表会があったらちょっと休むとか、
そこは優先順位の差がすごいですね。
生まれてからはコロナもあったからなんですけど、
もう海外も行ってないし、
旅行するにも昔はもうスケジュールなんか立てないで、
飛行機だけ取って行くっていうスタイルが海外も全部そうだったんですけど、
今はどこで子供がどうなったらどうしようってことを考えないといけないから、
旅行一つも相当悩みますよね。
今まで逆に自由すぎたから。
スピーカー 2
旅のスタイルも変わるよね。
行く場所とか泊まる場所とかも大事になるしね。
掘りどころがさらにね。
お子さんの話とか教育とか子育ての話も、
これはこれで聞きたいんだけど、
まずはキャリアから行こうかなと。
就職氷河期世代のキャリアスタートとゲーム業界へ
スピーカー 2
まずね、今日これ録音始める前に、
年代同じ、割と近いですねみたいな話をしてて、
いわゆる氷河期世代じゃねって話をしてたんですよね。
木村さんのキャリアのスタートっていうのは、
大学行かなかったんですね。
スピーカー 1
付属校に入って、もっと前から行くと、
小学校中学校の時にパソコンがめちゃくちゃあって、
割と何にも買ってくれなかった父親なんですけど、
パソコンを買ってくれたんですよ。
プログラムやりたいからパソコン買って、
ゲームを作りたいからパソコン買ってくれって、
何もわかんないでお値段して買ってくれたんですよ。
小学生の時ですか?
買ってくれたのは中学なんですけど、
その前から使わせてもらったんですよ。
中学の時に自分のパソコンを手に入れて、
ずっとプログラムを書いてたんです。
中学もこれまた運が良くて、
川崎市の、当時はITとかじゃなかった、
情報処理の先進校みたいなのがあったんで、
パソコン教室があったんで、パソコン部があったんですよ。
すごい珍しく。
スピーカー 2
え、中学?
スピーカー 1
中学に。
90年代初頭に。
スピーカー 2
時代はまだワープロがあった時代っすよ。
スピーカー 1
ワープロ検定とか言われてて。
それもあって、
小学校の時に興味を持ったコンピューターを
中学の時からガリガリやって、
結局、中学卒業して高校に行くっていう話になった時に、
もうパソコンで飯を食いたいって思ったんですよ。
だいたい普通高校行く時って、
関東とかめちゃくちゃあるから、
当時は公立高校どこに入れますか?
公立主眼にするんだったら私立は?
って計算するんですけど、
僕はもう普通に行きたくないから、
コンピューターの学科を探したんですよね。
そしたら、当時は公共高校ぐらいしかないから、
行くって言ったら結局騒ぎになるわけですよ。
学校としては。
ちょっと言い方が悪いですけど、
トップの方に行ける人、自分よりもなんですけど、
当時は成績は上がるねな。
そしたら、その中で親としては大学行ってもらいたい。
親父も大学行って建築士やってるから。
親とめちゃくちゃ話し合った結果、
大学付属のコンピューターがある高校、
今はもうそこもないんですけど、
コンピューターの科は普通科しかないんですけど、
があって当時。
そこならいいって言うので、
折衝して入ったのが、
東京電気大学高等学校っていう学校だったんです。
スピーカー 2
確かに工業科の高校って、
私特に福岡の北九州出身だから、
スピーカー 1
すっごい荒れてるイメージがある。
スピーカー 2
それは大体そうよ。
スピーカー 1
時代もそういう時代だったじゃないですか。
スピーカー 2
最近多分工業高校とかっていうもの自体が、
多分減ってきてると思うんだけど、
技術がある中で、
全然位置づけも変わってきてると思うけど、
あの90年代の当時の工業高校って、
確かにね。
スピーカー 1
そう選択は一応いろんな人ができないし、
納得もさせられないだろうと思って、
この黄色い高校のリストを全部見て、
どこかに流ろうかって言って、
見つけたのが東京電気大学、
高等学の情報科学科っていうのがあって、
コンピューターサイエンスができる。
スピーカー 2
東京電気大学って結構エンジニアをいっぱい
輸出してる大学でしょ、大学として。
スピーカー 1
そこの情報処理科なんかちょっと立ち位置が変わってて、
受験勉強にも対応してるけど、
コンピューターの学科もやりますみたいな。
今はもう廃止されて、
当時暫時高校で教学になってその後廃止されたんですけど、
今は普通の高校として生きてるんですけど。
そこは内部進学で。
できます。
ほとんどみんな内部進学で、
だからあんまりすごい珍しいので言うと、
クラスの半分ぐらいは多分、
3分の2ぐらいはコンピューター系SIIやってたり、
何が資科に関わってるし、
こっからの人生で少し関わってくるんですけど、
右を曲折して起業したときのメンバーがいるんですけど、
11人ぐらい最後になったんですけど、
9人は高校の同級生です。
高校の同級生で会社をやってたっていう時代があるんですよ。
面白い。
だからその繋がりで言うと、
クラウドワークスにいた翔二さんは高校の同級生です。
スピーカー 2
そうなんだ。
確かにね。
キュウリさんが連れてきた人みたいなのがいて、
なんか古い付き合いだった。
高校から?
スピーカー 1
高校なんです。
だから15から、
今はちょっと別の会社でやってるんですけど、
クラウドワークスまではほぼ同じ仕事ですよね。
彼は大学院まで出てるんで、
その後ある会社に就職した会社を、
あの時代だからあり得る話なんですけど、
説得して自分の会社に入れてからずっと一緒だったんです。
スピーカー 2
そういうことなんですね。
スピーカー 1
ずっと同じ仕事を一緒にしてた。
スピーカー 2
高校で情報学科だった人たちは、
今はエンジニア系の方とか、
そういうビジネスをやってらっしゃる方が多いんですか?
スピーカー 1
多いですね。
宮大区になった変わり者とかいますけど、
でも大体どこかのSIRをやってるって聞きますよね。
スピーカー 2
その時代にそれをやろうって思ったっていうのは、
結構オタクですね。
スピーカー 1
オタクな学校であったことは確かですね。
ちょっと変わった感じのとこに生きてたのは事実ですね。
ゲームバブル時代の働き方とキャリアの変遷
スピーカー 1
それで結局高校出て、
それも内部進学なんで、
普通進学の時に大体どこの学科行きたいと書くんですよ。
それもあんまり適当なこと書いて、
大学行きたくないと。
スピーカー 2
なんで行きたくなかったんですか?
スピーカー 1
勉強したくなかったんですよ。
僕はとにかくプログラムだけ書いてたかったんで。
スピーカー 2
大学なんか行ってもしょうがないの?
それ以外のことをやりたくなかった。
スピーカー 1
当時氷河期が始まり始めてたから、
大学行ったからいい会社入れませんみたいな、
ちょっと神話が崩れ始めてたっていうのを立て前にプログラムをしたい。
ゲーム協会に入りたかったんで、
ゲーム協会に入るっていうので、
大学じゃねえぞと。
今の子たちに言えるのは、
大学に出たほうがいいと思いますけど。
今のハズレ打ち問題で言った当時は、
さっき田中さんも言ったように、
プロメーを見てゲーム会社に入れる時代だったんで、
それでいいかなと思って。
スピーカー 2
バイトで入ったんですか?
スピーカー 1
バイトで入りました。
スピーカー 2
卒業してから入ったんですか?
スピーカー 1
全然全然。
だから入学式寸前ぐらいの時で入ったんで、
もはやもう、
一応専門学校に入ったんですよ。
落とし所を見つけて。
専門学校行ってないです。
スピーカー 2
情報処理の?
スピーカー 1
行ってないです。
入学式早々にプログラムの仕事ができたんで、
結局目的を大切にしまったから。
で、さっき言った、
就職内定がついて、
あいつは学校に行ってるはずなのに、
行ってねえぞって話になって、
親と話して、
もう就職するって言って決めて、
そういう意味では、
うちの親は割と大らかなんで、
なんとなくOKしてくれて、
スピーカー 2
最初はアルバイトで入ったんですか?
スピーカー 1
アルバイトで。
スピーカー 2
1年ぐらい。
スピーカー 1
1年ぐらい入って、
ちょうど同じ時期に言ったと思うんですけど、
ちょうどプレイステーションのゲームバブルがあって、
出したら10万本売れる、
単価もめちゃくちゃ高かったんですよ。
アルバイトで、
こんな話、
時給3,000円、4,000円ぐらいに
エンジニアになってたんで、
ゲームかければ。
人生ちょろいなって思ったんですよ、
200時間ぐらい働いたら、
すごい勤勉返ってくるわけじゃないですか。
スピーカー 2
でも、若い人たちばっかりでやってるしね、
スピーカー 1
うるさい大人があんまりいない、
スピーカー 2
そういう環境だから、
ほんとそう思います。
スピーカー 1
その時の会社の副社長が
ゲーム授業やってたんですけど、
それも多分30そこそこ。
それこそ大学の博士課程通いながら、
副社長やってたみたいな。
スピーカー 2
どういうゲーム作ってたんですか?
スピーカー 1
セガサタンの、
いわゆる当時流行ったギャルゲーとか。
スピーカー 2
ギャルゲーとか?
スピーカー 1
そういうWindowsのゲームとか、
大手のコンシューマーソフトを
Windowsに移植したりっていうのは
結構多かったですね。
あとプレイステーション2の、
受託会社であんまりいろいろ言えないんですけど、
レースゲームとかをプレイステーション2ぐらいまで。
あとは、一応これは言えるんですけど、
ハドソンさんに1年ちょいぐらいいて、
ハドソンのゲーム作った時代もあります。
へー。
そうなんですよ。
なんか変わった。
その時代から、
今みたいにブラック企業とか概念がなかったんで。
スピーカー 2
夜中にやりたければね。
スピーカー 1
やればいいじゃんって。
スピーカー 2
そう、当時本当プログラミングなんて
夜の仕事ばっかりしてたよね。
スピーカー 2
私は別にプログラマーじゃなかったけど、
ゲーム会社でバイトしてた時は、
スピーカー 2
午後出社して、夜中まで。
で、飲みに行って、
パッシーで帰るみたいな。
スピーカー 2
学生なのにそんな生活してましたよ。
でもそんな感じでしたよね。
スピーカー 1
フレックスも突き抜けたフレックスの
突き抜けた生活主義みたいな。
多分今は成立じゃないと思うんですけど。
スピーカー 1
アウトプット出してれば別に何も言われないんで。
人によっては野球見た後に来て、
朝まで働いてる人とか。
2時、3時だいたいみんな出てくるんで。
ちょっと2、3時間仕事して、
ランチ行く感じで、
飲みに行ってその後仕事するとか。
社会としては崩壊してます。
会社としては崩壊してます。
でもちゃんと作って、
スピーカー 2
アウトプット出してれば別に。
そうそう。
私がバイトしたところは、
1個プロジェクト終わると
リフレッシュ休暇みたいなことで、
1ヶ月ぐらいお休みで、
悠々休でみんな自由に
1ヶ月ぐらい働かなくていいっていう。
私はバイトだから、
時給で働いてるから、
その間はお金じゃないけど、
社員の人はそんな感じだった。
スピーカー 1
僕もそうでしたけど、
プロジェクト終わると、
次のプロジェクト延長すると
そこに入っちゃうこともあるんですけど、
そうじゃない時は1、2週間休みもらえたんで、
旅行したりして。
お金は使うときがなくて、
円と入ってくるんで、
みんなパソコン買ったり、
いろんなことを。
でもそんな時代でしたね。
スピーカー 2
それ何年ぐらい?
最初の会社。
スピーカー 1
最初5年ぐらいですね。
その会社が途中から
ちょっと方向転換を図って、
PlayStation 2ぐらいに乗ってから
開発費がどんどん膨らんで、
ゲーム不況みたいな状態になったんですよ。
開発費が上がるけど、
ゲームってすごい綺麗になって
売上が倍になるわけじゃないから、
コースだけが上がる時代があって。
だんだん売れなくなったんですね。
そこから一回、
携帯業界に会社が転身して、
それでも実は携帯会社はうまくいって、
スピーカー 2
スマホゲーム?
スピーカー 1
スマホのSDK。
僕が好評してるのは
携帯で3Dをやってたじゃないですか。
カラー系で。
あの3Dのシステムを作ってる会社になったんですよ。
ゲーム屋さんの時に養った技術を使って、
携帯でちっちゃなメモリの上で
動く3Dエンジンを作って、
その最初に行った会社が。
すごい一世を風靡して。
携帯SDKのサービス。
そこからサービスケースね。
結局キャリアさんと一緒に
サービス考えたりするところで
ウェブとかサービスに行き始めたって感じですね。
まだ全然みんな容量が少なかった頃に
やってましたね。
リスクを取る選択と物作りへの情熱
スピーカー 1
ちょっと前後するんですけど、
携帯に移動した後ぐらいに
ちょっと自分で会社作ろうって言って、
友達と会社作ったのがあって、
それこそ今は作れない有限会社を作って、
高校の同級生たちをガリガリ集めて、
11人ぐらいの会社になって、
その会社と別の会社、
最初に行った会社の社長が作った会社に
マージして入って、
そこの会社が上場するっていうのが
一応社会人としてまともだ。
スピーカー 2
最初に会社作られた時って
まだ20代半ばですか?
スピーカー 1
そうですね、24、25の時だと思うんですけど。
あの頃って、
多分覚えてらっしゃるか分からないですけども、
多分日本の景気の先行き家なんて
今の人は想像できないレベルじゃないですか。
これもうどうなるんだろうみたいな。
スピーカー 2
確かに確かに。
スピーカー 1
2000年代前半になって。
スピーカー 2
大学生の時に山井市長権が潰れてとか、
本当どうなっていくんだろうみたいな。
金融がもうバンバンね。
潰れて就職、内定取引指定士とか。
総合商社ももう何か
いらなくなるんじゃないかとか言われたり、
すごい商社の株価とかもめっちゃ低かったんだと思うんですけど。
スピーカー 1
いやー大変な時代でしたね。
友達とかも結局別の情報系じゃない中学の同級生とかは
大学まで出ると、出て就職先にやっぱ
当時は銀行に入りたいとか商社に入りたいとか
みんなのおきなみ採用削ったから
大学も入れないで、
そしたらもう何してるか分かんないですけど、
大体もうみんな失敗していく中で。
この時期に会社やって回れば死ぬことはないんじゃないかと。
これを定名していっても生きてられるってことは。
っていうので実は作ったんですよ。
一番大きい理由は。
未来とかが当時何もないから。
スピーカー 2
すごい、
なんていうか、
まだ10代とか20歳前後ぐらいの時に
そんななんか結構自分でリスク取りにいくっていうか
流されるんじゃなくて
自分はこうしたいとかこうした方がいいんじゃないかとか
そんな主体的に自分の人生を選択していける若い子って
少ない気がするんですけど。
スピーカー 1
まあでも確かに今考えればそう思います。
ただ当時はもう本当に高校の進路から
ずっとそういう風に自分で
なんとか周りを説得して生きてたから
そういうもんだっていう風にしか思ってない。
もちろん話は聞いて判断はしますけど
結局なんかリスク取れるのは自分じゃんと思ってやってきたから。
スピーカー 2
それ選択の中で
スピーカー 1
とにかくプログラミングがしたいとか
スピーカー 2
これはやりたくないとか
やりたいとやりたくないが
結構常に明確な感じなんですか?
スピーカー 1
昔は結構そうでした。
やりたいやりたくないがめちゃくちゃあって
ただそれが年を減ることによって
もともとあったら知識がいろんなことを知りたいっていう
小学校の時に百科辞典を
右から左に読んでる子だったんで
スピーカー 1
宇宙とか恐竜とか生き物とか
それにだんだん上がってきて
それこそ自分で会社を作ったり
自分で考え始めた時から
会社の仕組みとか会計の仕組みとか
どんどん世の中に労働基準法っていうのがあるらしいぞとか
そういうのを知ってから
管理業務もめちゃくちゃ好きっていうか興味に
スピーカー 2
そうなんだ。意外だ。
スピーカー 1
そっちもずっと好きなんですよ
だからCWの時に
スピーカー 2
なんかやってた?確かに
スピーカー 1
管理の人と結構仲良いんですよ
僕ずっと実は歴代仲が良くて
それは僕の知らないことを知ってるんで
教えてもらいつつ
結局会社って関係がないと死ぬし
事業がないと死ぬんで
ここをうまく繋いでくるのが面白くなってきたんで
途中間でちょっと道が変わっていったっていうのがあるんですけど
スピーカー 2
なるほどね
でも組織もシステムだから
スピーカー 1
まさにそうなんですよ
スピーカー 2
そう考えた時に
どういうルールの中で
どう行き的に動かしていくとうまくなるのかみたいな
そういう頭で考えると近いのかも
スピーカー 1
近いですけど
だから30くらいの時に
なんで自分がビジネス系に
ビジネスのSにビジネスサイドに
行ってるのかって思った時に
結局人生の中でスタートが
ゲームを作りたい
いろいろ夢があったわけですよ
ゲームの
小説がやりたいとか
いろんな夢があって
終始一貫してるのは子供の頃から
物作りは好きだったんで
物作りをしてるのが
多分僕の原点なんですよ
なるほど
それが結局ビジネスを立ち上げる
ビジネスをグロースさせる
組織を作るってことで
僕からすると物作りの一環なので
クリエイティブな仕事なんですよ
スピーカー 2
なるほどね
スピーカー 1
それが僕の多分人生の原点です
原点でかつ今でも生きてる
原点としてのゲームとキャリアの選択
スピーカー 2
要素
一番最初に
プログラミングやりたいなって思ったのは
ゲームが作りたかった
ゲームをプレイするのが好きだったから
スピーカー 1
僕はちょうどファミコン世代で
ファミコンとともに育ってるから
ファミコンをやってて
スピーカー 2
作りたくなりますよね
スピーカー 1
親戚の家にパソコンがあって
そこにゲームがあって
当時ベーシックでできたゲームが多かった
止まるとベーシックのコードが出てきて
これはどうこういうので
動いてるんだってことを知って
これは自分にもできるんじゃなかろうか
っていう風に色々調べ始めて
当時インターネットなんてないので
本本屋さんに行って
読めない本を読んで
色々運も良かったんですよ
中学の時の塾の先生が
塾の先生って謎の人多いじゃないですか
スピーカー 2
多いですね
スピーカー 1
どうもコンピューターに詳しい
今でも何でか
あの人が
当時ベーシックで書いてたんですけど
ゲーム作るんだったら
マシン語機械語があるぞって言われて
なるほどって言って
本屋さんに機械語の本探しに行って
機械語を読んで
書いたり
マシン語機械語があるぞみたいなので
勉強してたんです
スピーカー 2
結構そういうのは
大らかな
大両親だというかお父さんだっておっしゃいましたけど
結構
好きなことはどんどんやれみたいな
割と自由にやらせてくれた
スピーカー 1
そうですね
多分人に迷惑かけなければいいって言われてたんで
その範囲ではやらせてもらってたのと
さっき言ったようにコンピューターはいいんですけど
あと本は割と買ってくれたんで
本は黙々と
スピーカー 2
でもいろんなことに興味があったんでしょうね
すごい百科事典ずっと読んでた
スピーカー 1
そうですね
むちゃくちゃやりましたね結局
興味関心を持つとそこにガーっていくので
スピーカー 2
ゲームはすっごいやり込んだんですか
スピーカー 1
今みたいに
すごいやり込み動画とか
出てはやってないですけど
やっぱりずっとやってましたよね
それこそ時代ですけど親にゲーム企画されたり
そういうのはありましたよ
スピーカー 2
そうか
スピーカー 1
すごい
スピーカー 2
でもキャリアまだ
20代30代
確かに
今もう27歳
スピーカー 1
そうですね
そこから端折っていくと
あんま定職活動もしないで
呼ばれるがままに
やってたんですよ
クラウドワークスへの転職と採用スピード
スピーカー 1
さっきおっしゃった
自分のすごいウィルがあるわけじゃなくて
面白そうだなって流れていく性質があるんで
特に
30以降は県庁で
その後
ゲームの
ソーシャルゲームのディレクタープロデューサー
みたいなことやったり
ソーシャルの
事業責任者やったり
いろいろしてクラウドワークスに
40ぐらいで初めて
定職活動して入ったのがクラウドワークス
それまでは定職活動は一切してなくて
スピーカー 2
人に誘われたりとか
スピーカー 1
会社が
ジョイントベンチャー作ってそっちに
行ったりとかそういうのが多かったんで
別にこっちに置きなよって言われたほうに
流れていって初めて
こう
自分で会社を決めたのが
クラウドワークスが最初だった
スピーカー 2
それは何で定職活動しようって思われたんですか
スピーカー 1
そのタイミング
ちょっといろいろあって
40手前ぐらいで
だんだんサラリー満職が
強くなっていくので
なんか違うなと思い始めて
自分で意思決定を
いろいろしない感がちょっと出てきたから
意思決定しようと思って
やっぱりその時って
ちょっと変な言い方ですけど
誘われたりとかどうですかとか
自分で会社作ろうとか思ったんですけど
これだと自分の範囲が広がらないなと思って
初めて定職活動を
して
入ったんです
スピーカー 2
なんでクラウドワークス
スピーカー 1
クラウドワークスは異常な決定速度だったんですよ
スピーカー 2
なんとなくわかる気がする
スピーカー 1
それこそ
ナニタさんに初めて
カジュアル面接みたいなのがあった時が
多分12月の
ほぼ末、20のどっか
そこから
社長面談をしてくれって言われて
社長面談で29とか
休みに入ったり
会社行った時に誰もいなくて
吉田さんとしかいなくて
吉田さんと話した後に
すぐ
会社始まってすぐぐらいに
当時の吉田さん全員会うって話だったんで
のむさんと会って
その日の夜に
泣いてたんです
年末年始挟んで多分1週
10日ぐらいで採用が決まって
スピーカー 2
スピードって大事ですね
スピーカー 1
そう
このスピード感だったらいいかな
と思って
どこも採用って長いじゃないですか
特に立場も立場
スピーカー 2
確かにスピード
そこに愛も感じますしね
ここまで早く
決めてくれるっていう
他にはどういう系を
その時見たんですか
スピーカー 1
スタートアップとかベンチャーが
当時はベンチャー系があって
今頑張ってるとこもあれば
なくなっちゃったとこもありますけど
そういうとこが多かった
スピーカー 2
ウェブサービスの事業を責任しちゃって
いう形で
なるほどね
そこからはね
一緒に働いていた時期が
2年半ぐらいあるんですけど
その後の話はね
うっすら聞くぐらいしか
私は知らないので
2本目で
クラウドワークス辞めた後の
木村さんの
キャリアの話を聞きつつ
そこからの人生の変化が
どう流れていくのか
みたいな話を2本目で
聞きたいなと思います
31:08

コメント

スクロール