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Dialogue cafe。この番組は、40代で組織を離れ、ワーク&ライフシフト中の田中優子と岡澤陽子の2人が、身近な出来事や社会課題まで、最近気になるあれこれを好奇心のまま語るポッドキャット。
今回は、また新たなゲストをお迎えして、楽しくお話をしたいなと思うんですけれども、今回は我々のトヨタの大先輩であり、でももう、今はもうトヨタを辞めてしまったっていう、そういう方をお呼びしておりまして、なんと陽子ちゃんは非常に縁が深く、元上司ですよね。
元上司です。採用もしていただいた。高田敦史さん。
よろしくお願いします。
高田さんがトヨタ辞めたのって、2016年。
6年。
だからもう、7年。
7月か。
ちょうど7年ぐらい。
ちょうど7年と3ヶ月ぐらいですかね。
結構経っちゃいましたね。
もう経ちましたね。
そうですよね。辞めた時が、レクサスの部長さん。
ブランドマネジメント部長。
部長で辞める人って、
いるんですか?
部長で辞める人は、でも、部長で辞める人はいるかもしれませんが、部長で辞めて、個人事業主になった人は、あんまりないので。
まあ、確かにね。
まあ、トヨタみたいな大きな会社はね、他の会社は割とあるにしてもね、なかなかほら辞めないじゃないですか。
辞めないしね。
でも、どっかの会社は行くもんね。
転職とかが多いですよね。出向転職みたいな。
そうそう。
だから、高田さんは、トヨタで何年働かれたんですか?
31年。
31年働かれて、部長にまでなったのにも関わらず、関わらずというか、そこから今、フリーランスで働いてらっしゃるっていうのが、まあ、世間一般からするとね、そこまで行ったら、勤め上げたらいいんじゃないですかとか、そういうイメージも持たれたりすると思うんですけど。
そうですね。
でも、高田さん、本を出してらっしゃって。
本を書きました。
で、私も2冊読ませていただいたんですけど、サラリーマン時代からフリーランスになられるにあたっての、まあ、どんなことやったかみたいな、読みまして、結構計画的だったんですね。
結構計画的だったんです。55歳までには会社を辞めようと、40歳ぐらいの時に決めた。
そうなんですね。40歳ぐらいの時なんですか?
うん。40歳過ぎて、まあでも、あの辺から思ってたけど。
うん。
まあ、対シンガポールの駐在を経て帰ってきたのが、えー、まあ5年後なんで、まあ40半ばぐらいには、うん、やっぱり、あ、55歳までには辞めようというふうに思ってた。
03:00
それは何が、なんかきっかけがあったんですか?
いや、もしね、55歳になっても、ね、社長になるかもしれませんから、残ってくださいって言われたら、まあ、それもそれですごいじゃない。
うん。
なかなかね、すごい。
だけど、まあ、まあ、高い確率でそういうことはないだろうから。
うん。
うん。
そうすると、そのままなんか60歳までいき、えー、雇用延長でまあ65歳まで勤めたとしてもね、よ、よりは、まあ55歳ぐらいをやめて新しい高校に行った方が、まあ楽しいだろうなって単純に思ったと。
うん。
で、そんなこと話してたら、ある人が、いや、もうその通りですと。60を勤めたらもう結構しんどいですよと、はじめ、スタートするのがね。
うんうん。
それぐらいが体力とか知力の面から考えて新しいことを始めるにはちょうどいいですよって言われた
それは今よく分かる
人の名前が突然出てこない
60過ぎたらもうこれ5年前と違うなと思うので
5年の差で
5年の差が
そうなんだ
芸能人の名前も
私も出てこないけど
俺は40後半ですけど
もうちょっと出てこない
もうちょっと出てこない
どんどん出てこない
さらにってことですね
好きな芸能人だったのになっていうのも出てこない
出てこない
ビジュアルは思い出せる
あれあれあの人みたいなね
なっちゃいますよね
そういうことで55歳までには決めようと
だから残るという選択肢もさっき言った通りね
全くなかったわけではないけども
高い確率で多分辞めることになるだろうという風に思ってて
53歳7ヶ月
あ、53
あ、53歳7ヶ月
53歳の時に辞めると決めて
会社にもう2位
54歳7ヶ月の時に辞める
すごい計画通りですよね
そうそう
だから割と計画通りなんですよ
いろんなこともあったのも事実で
それはなかなか簡単には言えないですが
だからそれを知ってる人は
すごい大変な
目にあい
それで心傷つき夢破れ辞めていったと思ってる人が結構いるんですよ
確かにね
だけどそれがもう全くなくて
そういうこともあるよなっていうぐらいだったんです本当に
こういうこともあるんだよなっていう風に思って
ちょうどいいじゃん55歳3歳だよなと思って
じゃあ辞めようかなって言って辞めたという感じでしたね
それは社長の方が辞めたんですけども
それは社長の方が辞めたんですけども
それでも何があったかもう結構辞められたるメケだったんでしょうね
それでもなんかこいつたく思ってことで
社長の方が辞めた日あとは
Ga picture 仕事ないんだけど
社長になってくれって言われるんだったら残ってもいいけどっていうくらいで
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思ってたっていうことは
そっちじゃないと権限というのが
本にも書かれてましたけど
役員になるか辞めるかみたいな
yapmışになるか辞めるかみたいな
中高生で辞めようと思ってました
本当ですか
もうやってました
そのくらいの感じだったかな
高瀬さんの年代でそういう発想される方って
すごい珍しいかなり少数派だったと思うんですけど
まあそうかな
一般的にはねサラリーマンになっちゃうとね
僕だけの問題じゃなくても
元々どこにも書いてあるんですけども
うちの親もサラリーマンだったし
うちの親も結構会社で偉くなって
毎日会社のお金でお肉にし
休みの日はゴルフ行き
サラリーマンって多いよなと思ってたんですよ
昔入るときもとりあえず大きな会社に入ってもらえないかな
僕らの運動を行わないといけないしなとか
調子良くやってたら役にくくなっちゃうんじゃないかな
ぐらいに
思ってたんですけど
思ってたの
超甘いから俺
その辺が
だけどね
だけどそんなに強い思いで
ビジネスの世界で生き残っていこうと思ってない
その程度の思いだったから
なんかある程度サラリーマンやると気がついたのは
俺本当はなんか一人でなんかやることの方が
自分はやりたかったんじゃないかなというふうには思った
それをちょっと考えたのは
本当に何をやりたかったかって言うと
漫才師になりたかったんですよ
小さい時はね
歌手とか野球選手とか
かっこいいじゃん
一人で生きてるから
なんかね
能力を
能力が
今更ちょっと野球選手もなれないし
漫才師もさ
じゃあ何がいいのかなって言うと
やっぱ一人で生きてるからね
それでなんかこう
一応マーケティングとかやってたけど
まあ研究者とかになるほどでもないから
その私程度の知識を
私のこの話術で増幅して生きていけば
結構いけるんじゃないかなと
本当に思って
よしやろうというふうに思ったと
そういうね
その漫才師になりたいぐらいの気持ちが
子供の頃とかあったけど
でも就職はサラリーマンになったわけじゃないですか
別にトヨタ自動車に行って
なんかそのあたり
ちょっとなんかね
順応って
なんかどういうふうに高田さんが
まあ何て言うか
仕事をやらなきゃいけない
それはねお二人みたいにね
09:00
順応って考えてないんですよ
それはでもね
でもそこに戻るわけじゃないですか
確かに戻ってる
戻ってる
いやだけど
なんとなく親に言われて
まあ勉強しなきゃいけないけど
なと思って
塾とか一回会話されて
とりあえず私立の中学校に入って
何かに打ち込んでたわけでもないんだけど
ずっとダラダラっこしてたんですよ
本当に
でもう現金とかなんかも
いっぱい受けたんだけど
全部大学も怒っちゃったし
俺もさすがに怒って
まあどうすんだつって
予備校まで怒っちゃって
だいたいほらもう
大したことないのにさ
一応サラリーマン
で親父みたいになろうと思ってたから
もう総計よりした方が絶対いかねえぞみたいな
お前無理だろみたいな
あったわけ
でもでも怒っちゃうよね
ほんで一浪したら
たまたま入ったの
同じ大学の
岡澤さんと同じ大学の
一橋に入ったのね
もう先生びっくりしてさ
いやだからね
あんまりあんまり考えない
ほんで普通にサラリーマンになるんだろうな
っていうことしか考えてなかったけど
仕事自体は割と結果的には
ほら宣伝部にいたり
商品企画にいたり
アジアに駐在したり
面白かったわけですね
面白かったので
あのこれ面白かったけど
なんとなく思ったのかな
あのそのこの場行っても
これ以上そんなに面白いことはないと思ったのかもしれないな
40ぐらいの時に
うんうんうん
あれ宣伝部って希望されたんですか
配属の時はね
配属の時に
いやもう会社選びもさ
面白いい加減だから
もうとにかく
ミハだからさ
もう会社ってことなんて考えてないから
三菱商事三井物産
もうそれかっこいいとこ入ることしか考えた
結構これ凝った
もうそういう就職ランキングの上のとこ
はいはい
まあなんかこれ結構
喋る喋んのうまいし
入るだろ俺は思ってたから
成績もさ
絵とか3つぐらいしかなかったし
あのもうすごいよね
すごい
どうしたら絵3つしか撮れないのかって言われたんだけどさ
そんなどうしたって言われてもですよね
言われてもしょうがないけど
まあこれはまあ体育会でもないしさ
で結果的にトヨタと銀行さんに内定もらって
で銀行もうバカだから
まあ銀行もいいかなと思って
銀行に行こうとしたのよ
内定式も出て
あそうなんですか
うん
そしたらその夜に
あの一つ上のね同じ大学の先輩が
僕が他のとこ行かないように
飲み屋に連れてかれて
1時2時まで拘束されたら
その人がさ
仕事がしんどいって泣き始めちゃった
12:00
銀行の?
銀行の人が一つ上の
はいはい
もう本当なんだよなと思っても
もう全部いい加減だからさ
自分で決めたと思ってもね
これヤバいなと思って
ちょっと先輩私どうしても
あの明日の朝は帰んなきゃいけないんで
つって家帰してもらって
トヨタはまだ一回断ってたんだけど電話したら
もうみんな泣いて逃げたから
いいよいいよ今からでも全然いいからって言われて入ったの
その時に俺はトヨタ市にそんな9割も
90何%もいると思わなかったし
で大体さ
僕はクラブの先輩が先に入ってたんで
電話かかって飯食いに来いって言われて
まあ会社訪問のついでに行ったわけで
水道橋にね
今の学生さんじゃありえないんだけど
俺あの販売店ともトヨタとかも一緒だと思ってたから
水道橋の駅降りたら目の前に
トヨタレンタリース東京ってのがあったの
当時
レンタカー置いてるとこが
その先輩レンタリース号だったんで
すいませんあのなんとかさんいますかって言って
会社訪問に来ましたって
いや多分ね学生さんね
あっちのビルだったんだけど
違う会社だと
ね
なんだ
あの高田さんが就活してた頃って
やっぱり就職活動って
売り手市場だったんですか
売り手市場だったかな
僕の少し後ぐらいがバブルになって
本当に売り手市場になって
僕らの時も
まあまあ東京
特にトヨタ自動車は当時東京の学生には
本当に人気がなかったので
だからね
トヨタ行くって言われたら
東京の大学だと
なんか愛知県の出身なのって言われたりする
そうね確かに
だから
まあそういう意味だと一生懸命トヨタも
東京の学生さんを取ろうとしてたのかなっていう感じですからね
じゃあ別にその段階では
トヨタを全然志望してたわけでも
なんでもないってことですよね
まあ車はね
男の子
普通の男の子並みに車は好きだったというぐらい
特に宣伝が好きだったわけでもなく
マーケティングの勉強なんかも全くしたことない
でまあとにかく
今のトヨタに入って
英語もできない
海外とか行けるのかなみたいな感じで
入ったんですよ
で愛知県トヨタ市に4月1日に行くわけでしょ
入社式で
その入社式の終わったあと
今でも忘れられないのが
人事部の人から
昨年の配属実績っていうのが
発表された
事務系120人ぐらいだったと思うんだけども
僕らの時代は
120、130人
東京8人から
まあでもね
私たちの時も多分それぐらいだった
10人ぐらい
100人ぐらいいる中の10人ぐらいだったね
10人ぐらいでしょ
15:01
でも採用の時には
僕たちはなんて言ったかっていうと
うちは東京と名古屋と
トヨタ市の3つしかないから
1対1対1だって言われた
それは嘘だ
そんなん普通に考えたら嘘じゃない
それも聞いて
これはいかんと思って
一生懸命
あんなの俺読んでるかどうか
知らないんだけど
研修があるでしょ
いろんな部署の人が来て
新社員の前で話をしてくれるっていう時に
で最後感想文書くじゃん
何を書いたも一番下に
宣伝部に行きたいですって書いてある
でも宣伝部行きたかったわけじゃないよ
英語できないし
海外営業って書くわけにいかない
他の英語でいっぱいいるし
なんか
あえて言うんだ宣伝部ぐらいかなと思って
宣伝部って書いてたら
見てたんだねあれも
配属の発表の日
東京に行く人は
ちょっと半日ぐらい早く
あの集合研修から
離れて出て行くんだけど
あの時の教育部っていう部があって
今は人事部かもしれないけど
高田はよかったな希望通りでって言われたから
あっそうなんですか
名前覚えてるんだね
すごいな教育部って
まず名前覚えてるのすごいなと思ったけどさ
言われたの
意思表示大事ですね
どこで誰がね
とにかくって書いてある
上達のお話はこうこうこうで
参考になりました
大変さがと
とにかく
一方みたいな
タクシーがと
なるほど
じゃあもう東京にあるっていうことが
最大の理由で
宣伝部を希望したっていうことですね
東京もそういうことですね
なるほど
今のお嫁さんとも付き合ってたのも事実
一つの理由なんだけど
学生時代から
それも一つだけど
とにかくもうぶっちゃけ
またなと
そういうノリで宣伝部に行って
なんとなくこうね
キャラクター的にはすごい
宣伝部の時は活躍したと思う
元気よかったし
あの
なんていうのかな
結構若手としては
すごい活躍したと思う
宣伝のこととか知らなかったけど
あの時の宣伝部って
もうすごい
ちゃかめちゃかの嫌な部署だったから
あの
昼も夜もね
で
結果的には7年間
で
上司が
あの
いいとこ行かしてやるから
どこ行きたいなって言われて
本社だけ行きたくないですって
たまたまそこに東京の商品企画部
っていうのがあったと
いうことなんですね
東京の商品企画部って
なんていうか
具体的な商品を企画するっていうよりも
18:01
新コンセプト
コンセプトですよね
予測とか市場調査とか
新コンセプト社を考えたり
市場調査
そういう意味だと
非常に緩やかに時間が流れて
本社の人たちは
やっぱりその
具体的な商品の計画とか
ラインナップの計画とか
当時の商品企画部って
すごい力があったから
僕がいた時は
副社長
直轄だったけど
また社長直轄でもあり
とにかく営業部がなんと言おうと
とにかく商品企画は
何のネゴもいらず
トップに物を持ってっていいっていうところだったから
一方そこの手先として
東京が
僕の聞いたところによれば
トヨタ松一郎さんが
東京の新しい流れみたいなものを
ちゃんと作る舞台を
置いとかなきゃいけないじゃないかって
僕が行く前の部署の名前は
東京トレンド室っていうのを恥ずかしいなって
ちょっと見知らしにくい感じですよね
僕がいた時はなんとか
東京なんとかっていう部屋
なんとか室で
そこの中で
当時だと
2005年か2010年の
今でいうところの
あるべき姿みたいな
フューチャーを考えて
バックキャストで
物を考えるみたいなこととか
それをベースにして
2,3年たったのに
車も新コンセプトで考えてみよう
ってことになって
東京デザイン部という
八王子に会ったんで
初めは品川に会ったから
あとは八王子行っちゃったんで
彼らと一緒になって
新しいコンセプト社を提案するみたいな
仕事をやろうっていう
NCC委員会
ニオコンセプト会議会を
立ち上げてやったと
7年宣伝部
調子よくやってて
7年商品企画部で
やってて
で
商品企画部の高梨さんっていう
おじさんがいてしてるでしょ
すごい仲良くなってて
牛とかよく食ってたら
高梨さんお前次どこ行くんだよ
って言われて
いやどこ行きゃいいんでしょうねって
お前宣伝でね
新コンセプトとかやってたら
お前そうやったら
使い物なんないよなって
だったらそう思ってますって
それでじゃあもういきなり
いろいろと動いてくれて
タイとヨタに行ったんですよ
タイで何売ってるかも知らなかった
何売ってるんですかって
あのなんか
バンみたいなやつで使ってたら
いやそれインドネシアだって言われてさ
トラックだよ
トラック売ってるんですか
商品担当ですよ
商品と宣伝担当でタイ行ったんです
そういうの聞くとすごい
大企業のサラリーマンってすごいよね
なんかすごいガチャが行われるっていうか
なんかこうものすごい
21:01
シンプルが起きて
全然知らなくても
お前あそこ行ってこいって行くわけじゃない
そんななかなか
大企業の中にいないと
そんなこと起きないっていうかね
行く場所の選択肢も
そうそうそう選択肢もないし
またやっぱりその
上の人との関係も大事だよね
もちろん意思表示も大事だけど
なんか
お前宣伝と今の商品企画
しかも新コンセプトの方だけだと
コロナ禍に
やっていけないんじゃないかって思って
やっていけないと思ったら俺も
そうなんですか
まあ割とねトヨタの中では
割とふわっとした場所ですもんね
トヨタの何たるかも
ほとんど知らない
本社というところにあんまり行ったこともなかったし
でもそうですね
それで言うと私
ふわっとしたまま
20年間いて
本社行ってないからね
本社行ってない
タイとシンガポール
だけだもんね
実業はね僕いたの
タイの経験
本にも書かれてましたけど
タイの経験強烈
会社人生31年間で
何がつらかったって
タイの初めの3ヶ月ほどつらいものは
いや
大概つらくないんだけど
何にもわかんない
英語も
何にもしゃべれないし
タイ人自体も英語あんまりしゃべれないけど
もう全くコミュニケーションができないのと
てか商品
海外営業の仕組みも
商品企画の仕組みも
何にもわかんないでしょ
営業部門
当時ファックスがまだあって
メールじゃなくて
朝着いたらもう
机の上にファックスが
こんなクルクルになって
バーンって届けられてて
それでつらいなと思って
当時のアジアムの部長が来たときに
どうだって言うから
何にもわかんないし
ファックスもいっぱい来るから
だいたい
英語もあんまり読めない上に
中身もよくわからないって言ったら
ファックス無視しとけばいいよって言った
全部うちのやつが出してんだよ
無視しとけばいいからって
どうしても急だったら電話してくるからって
じゃあそうか
無視しようと思って
無視したら確かに
急ぎは電話かかってくるようになって
日本語で話せるようになって
3ヶ月ぐらい経つと
やっぱり少し慣れてきて
英語もほら
基本は受験では勉強してたから
タイ人と話せるようになって
そんなに難しい仕組みで
商品企画も
待ってるわけじゃないってことがわかったら
もうそっからは
すっごい楽しかった
そっからは急にね
3年後に
タイトヨタを
去るときには
みんなタイトヨタを去りたくないんだけども
僕も1年間
延命してもらおうと思ってて
24:01
日本でデモしたら
基本その方向で
済んだんだけど
シンガポール行ったら
あと2年帰らなくていいよって言われたんで
そっちへ行けって言われて
シンガポールでそのまま横スライドで
シンガポールで
あと1年延命しようとしたら
当時の副社長で
電話かかってきて
バカかって言われて
アジアに何年も
アジアにいたら
ダメだとか言われて
帰ってこいって
でもそれはすごい
いい経験になってる
なんかそのね
ちょいちょいでもね
これじゃタイトヨタって使い物にならないとか
アジアに7年8年いたらダメだとかって
これって
なんなんですかね
やっぱり本丸のね
トヨタ出雲を
やっぱあるわけ
じゃないですか
あの
やっぱり先天坊なんていうのはもう
その外側ですよね
で海外営業の中でも
やっぱりねアジアっていうのは
個人プレーの世界なんで
アメリカみたいに
アメリカヨーロッパみたいに
システムが回ってないから
やっぱ独特の世界観なんですよ
で
それはなんなんでしょうね
やっぱりなんとなく会社の中には
えー
いまだに
うーん
大企業的な混流みたいな概念はあるのかな
それはやっぱり
本社で厳しく
あのー
なんていうのかな
仕事の厳しさ
組織の
バランスの厳しさ
その
ベンチャー企業とは違う
大企業的な
組織のドロドロの中から
このある種の会議を
見つけていく
みたいなところが
あるんじゃない
そこで
作られる人間関係も
そうだし
その
ドロドロの中から
体得するっていうか
体得する
進め方とか
もう価値観
文化みたいな感じですよね
なんかね
私が今お話ずっとお伺いしてて感じたのは
ここまでの
ものは
上がるための
ステップっていう感じが
高田さんご自身は
そこで
それぞれ面白みを見つけたりとか
やりがいを見つけられたんだと思うんだけど
なんとなく
移動の仕方とか
上の方のコメントを見てると
いかに
上に上がるかの
そこで
タイをなんとかするには
高田が必要だみたいな
そういう入り方じゃないじゃないですか
そういう感じじゃないじゃないですか
27:01
そういう感じじゃないじゃないですか
そういう感じじゃないじゃないですか
この仕事をやってくれるのは
あいつしかいないみたいな
そういうアサインのされ方じゃなくて
お前が上行くためには
タイで修行してこいとか
タイにずっといたらダメだ
本社帰ってこいとか
そういう感じの
キャリアで
行ったところで頑張るみたいな
なんかそういう感じが
ちょっとね今回ねこの
高田さんの回の前に
私と陽子ちゃんで
私の修論の話を
女性部長はなんで生まれないか
みたいなことをテーマに
いろいろ話したんですけど
それがテーマですごい面白いんですよ
是非是非聞いてもらえれば
その話の中に
大企業のやっぱりその
なんかやっぱり
転勤とか
移動とかっていうのは
それこそ部長ぐらいを
作るための
ステップで
別にそこで何をやるかとかっていうのは
みんな行ったところで頑張れっていうだけで
なんか本番はそこから
みたいな感じ
なんかそういう感じが
ちょっとすごい
高田さんの話と
すごい合致する
と思ったっていうか
だから
僕なんかは
自分ではそういうこと考えてなくて
本社に行きたくないから
宣伝を出して
また本社に行きたくないから
東京で探してくれって言ったら
上司が探してくれて
どうしようかなと思ってたところ
タイに行けっていうふうに高田さんが言ってくれて
言ってきたんだけど
確かに
会社の中の
論理で言うと
当然その
ある年齢から
人事的には
人は選別をされていくわけですよね
で
多分
30半ばぐらいまでに
大体どこまで行けるかぐらいの
めどがついちゃうんでしょ
で
すごい上まで行くかもしれないよなっていうやつは
そういう育て方をする
これは当然だと思うんだけど
そうじゃない人に対しても
おせっかいのように
やっぱりこいつはこっちに行かせておいた方が
より勉強になって
今ちょっとね
人事的に恵まれないけど復活するかもしれないねとか
でもそういう人って
意外と余計なおせっかいをやったりするじゃん
でもそれから良しというのが
男性社会の中にあると思うわけ
確かにそうなんですよ
そう考えてあげる
本人がどんなことをやりたいかとか
どこなら生きるかとかっていうよりは
ちょっとでも上に行くために
有利な道っていうか
このステップ通っといた方が
評価されるぞみたいな
それでナビゲーターがいて
引っ張ってくれたりとか
本人もね
ここに行ったらすごい感度が高い人は
絶対海外行って
海外行くなら
30:01
タイじゃなくてアメリカだとかね
そういう狙ってやる人もいるし
本人があんまり考えてなかったら
上がちょっとおせっかいに
引っ張り上げてくれることもあるし
でもそのルートに
乗っかっていくみたいなのが
部長ひいては役員になるためには
大企業って
すごい大事
でもそのことを
若い時は
そういう仕組みだってこと
あんまり知らずになんとなくやってるっていうか
うーん
なんかそういうのかなってちょっと
でもそうだと思いますよ
でもねそういう意味では高田さん
順調にというか
行くとこ行くとこで
なんか
ラッキーだった気がしますね
宣伝部じゃなかったら
あんなに評価してくれないと思う
本社の調達とか言ってたら
最初に
感性的には結果的にはすっごい合ってたし
これは本当に
すっごい合ってたと思う
商品企画部のあの部署っていうのも
きっとすごい合ってたんで
サラリーマンって一回
初速がついちゃうと
途中で多少つまずいても
こいつもともとは
こんなやつじゃなかったんだよねっていう
こういうのもあるんで
不思議なもので
若い頃はね
人事効果をするにしても
実力が
ある程度
把握できれば
実力で大体
上げてもらえるわけじゃないですか
だけど
もう部長に上がるかどうか
みたいなことを決めるときなんていうのは
もう
だってその前の
室長さんレベルで
そこそこみんな活躍してたら
誰でも部長ができるわけ
スキルっていう意味では
部長でそこそこやってたら
別にあの
平取ぐらいはさ
誰がなっても
極端に副社長は誰がやってもね
大体なるんですよ
社長は多いですよ
僕ある人が
言ってて
ゴルフのことはあんま詳しくないと思いますけど
ゴルフっていうのは
ティーグランドに立つと
一番前が白食い
レディースの食いがある
白食いっていう
わりと短い距離から楽しく打てるところ
その後ろにブルー
バックティーっていうのがあって
これは上級者が落ちてもらって
さらに後ろに競技用のブラックティーがあるんですよ
ある社長の人が言ってて
社長以下は白食いで仲間と仲良く
ワイワイやってるけど
これだけフルバックの
黒ピリからやってるみたいな気がする
孤独なんですって
だからそういうのがあって
誰が言いたいかっていうと
もうそっから先はね
社長は別ですよ
部長だ平取だ
常務専務なんて
ほらもう
うんうんうん
細すぎですよ
33:01
人間関係
人間関係なんですよね
それも実力のうちだと言えばね
そうかもしれないし
誰をねつけたところで
大差ないんですよ
会社としては
大差ないぐらい
仕組みが出来上がっているからね
30何万人もいたらね
そんなもんかもしれない
候補になるぐらいの
レベルまでいったら
もう大差ないですよね
そういうような仕組みで
会社動いてる
でもまあ
多くのね
多くのかどうか分からないですけど
特に高田さんの世代の方で
男性で入られた方だったら
やっぱり将来
サラリーマンの勝ち組は
役員だろうみたいな
それを目指すのが
サラリーマンはそういうもんだろう
結構私いた頃も
そういうことを割と大っぴらに
おっしゃる方
ちょっと上ぐらいの
先輩ぐらいの人でも
そういうこと言う人いたし
サラリーマン出世してなんぼだろうみたいな
だからどうやって出世するかなんだって
高田さんの周りも
多かったんですかそういう
価値観というか
価値観?
多かったんじゃないかしら
やっぱりその
やっぱり役員っていうのは
そこは一つのゴールなんじゃないかな
そうですね
そこからも力抜けちゃうんですよ
多くの人は
取締役で
最初なりたくないみたいな
そこからはよほどの根性がない
トヨタは派閥とかないけど
あとはやっぱり
自分たちの派閥勝者とか
銀行なんかだと
自分たちの
子分を上に上げるために
そういう使命感で偉くなるんだと
一人こけたら
全部こけちゃうからね
だからみんな派閥ができるしみんな応援するからね
本当ドビノのように
誰の人から見つかってね
すごいとこはね
そういうのは
ある時はね
後輩のために
俺はもう一段を偉くならないといけない
でももはや
そうなってくると
仕事って何なんだっていう感じじゃないですか
もはや
自分の出世するための道具としては
そこでいろんなバトルが行われて
ゲームとしては
ある意味
面白いのか面白くないのか分からないけど
ゲームではあるけど
本来的にはやっぱりそこで
何らかやっぱり
お客様とか世の中に対して
とか株主に対して
分からないけど
何か価値を出して
本来会社って
社員にそういう風に働いて
役員も含めて
そう働いてもらわなきゃいけない
箱のはずじゃん
動かされ方はそうかもしれないけど
お客さんのすごいのは
やっぱりその場で
マーケットを見るとか
36:01
お客様を見るとか
楽しく働くとか
いうことにものすごいエネルギーを
注いでたじゃないですか
すごい楽しかったんですよ
だから役員になっても
楽しくなさそうだってことだった
ってことでしょう
結局
仕事の方が好きだから
ああ
出席をそういう
慣れたら
慣れたりしても
もちろんね
なるような雰囲気もあったし
そうなんだ
ちょっとなったなったら
嬉しいなみたいな
あるけど
そうね
だけど
やっぱりね
でもそういうやつは
なっちゃいけないのかな
とかもちょっと思ったりとか
でもやっぱりある種の
結局はね
社会のエネルギーだったりする
結局
闘争だけに向いてちゃいけないけども
やっぱりその
なんていうのかな
仕事を
通じて
ある成果を上げていき
ちょっとした成果を
なんとか自分の
論考交渉に転化していかなきゃいけないんだけど
そういうのも一つのエネルギー
のかもしれないなと思うと
政治の世界なんかそうだよね
もうとにかくそこしか見てないわけだから
そこしか見てない
という中において
いろんなポリティカルな動きがあり
でも最終的には
そういうやつが権力を握った方が
やっぱり国は
うまくいくんじゃないかみたいなものがあるじゃない
あんまり頼りないもんなんやつが
なってもさ
家帰ろうかなと思っちゃうよね
就任解散
どうかなわかんない
わかんないですよね
でもどの目線で見るかかなと思うんですけど
高田さんの下で働いた
目線で考えると
ものすごい面白かったし
高田さんが
大企業の部長として
異質
異質だったと思うんですけど
すごく異質だったと思うんですけど
まず
明るいのね
私たち入社したときの部長とか
怖い
調査部だったし
部会とかでも
この部署はさ
一番楽しい仕事やってるから
って
いうまず
実際楽しかったんですよね
労働時間そこそこ長く
特にグループに行ったことは
長かったんですけど
でもやっぱり楽しいっていうのが
あったから
雰囲気がすごくまずい
それから高田さんが
ブランディングと
あとはレクサスに対して
高田さんが思ってることとか
マーケティングとか
書いて部員に
送るんですよ
39:01
だからそれこそ
担当者じゃなくても
アシスタントの人たちも
結構しっかり読んで
そこにインスパイアされるっていうか
自分のやってる業務が
どの方向に向いてるのか
何のための業務なのか
大きなミッション
ビジョンをきちんと見せてくれるから
そういう意味では
まとまりがあったと思うんですよね
愛もあるしまとまりもあるし
そういう
部のビジョンみたいなのを
定期的に自分の言葉で
発信
される
部長さんってなかなか
なかなかいない
もちろんブランディングをやってたっていう
部署だからっていうのはあると思うんですけど
そこはすごい
特殊だったと思います
それはやっぱりすごく
やらなきゃいけない
多少勉強してたし
あの
レクサスに対しても
担当する前から
レクサスはこうやった方がいいかな
みたいな思いはあったから
それはやっぱり
やりましたね
そうだな
だから
それはあんまりやりすぎたから
いけない
アウトグループ
そういう中で
真似っこして
暴れによかったから
確かに実際楽しいと思ったので
私マネージャーになった後に
グループの人に
このグループで仕事できるのは
会社の中でラッキー
ラッキーなことなんだよって
真似っこして言ってましたよ
いただいて
せっかくなので楽しくやろうと思って
まあ
そうあるべきだよね
これからの
マネージメントはそうあるべきじゃないかなと
そのぐらいのことは僕も思ってたし
この部署だったら
僕なりの知識で
できるかなと
いうふうに思ったのと
まあ
楽しい
仕事は楽しい方がいいと
本当に思うんだけども
もともと
レクサスの仕事っていうのは
仕事が楽しくなるための
要素が
多分他のどんな部署よりも
揃ってたような気もするので
アーケティングに興味がある
お話にもかかわらず
自分で作ったようなレストランが
オープンしちゃうんだよ
会社の金だよこれね
なかなかないじゃない
自分で作ったデザインアワードみたいなのが
ミラノサローネでさ
自分が別に書いたわけじゃないけど
企画したやつが出てきちゃったりするのは
単純に楽しい話だし
というふうに思ったかな
なるほど
結構ね
高田さんの
ここまでの
部長として活躍されるまでの
サラリーマン人生の話を聞いたんですけど
42:01
今少し話出たけど
マーケティングとかブランディングみたいな
これは今の高田さんの
お仕事にも
つながる部分なんで
そこの話を次回
宣伝とか商品企画っていう
そこにもちろんつながるお仕事があったけれども
きっかけがあって
マーケティングの
こっちのこの領域で行くぞ
みたいな
決められたところとか
そこの経験を積まれていって
そして今どんな感じでそれが役に立ってるか
みたいな話を聞きたいなと思います
わかりました