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スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から、新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
越智未空さんをお招きしての2本目なんですけれども、家族留学という体験を提供していらっしゃるNPO法人マンナの代表を務めていらっしゃいます。
前回は家族留学って何なのっていう、それを利用されている留学する方、それから受け入れる家族っていう具体的な事例、家族留学で目指すことみたいなのを伺ってきたんですけれども、
家族留学すごくとても素敵なプログラムで、私たちが当事者ぐらいの年代だったら経験してみたかったなって思う。すごくいいプログラムだなと思うんですが、
家族留学の経験に留まらず、ライフ教育と言えばいいんですかね。働くことだけじゃなくて、家庭をどういう風に持っていくかってことを全体で自分の人生を考えていくみたいな体験、経験が若い人に必要なんじゃないか。
そういうお話があって、それって学校で教えるっていうことなんですかね。それってどんなイメージを、何をすればそれができるようになるっていうふうに思いますか。
ありがとうございます。まさにキャリア教育の文脈で、こういうライフの視点も入っていくっていうのも大事だと思っていて、実はすでに高校の教科書とか中学校の教科書とか家庭科の教科書にもライフデザインの視点って入ってたりはするんですね。
でも教える教えないは家庭科の先生によったりするので、結構独人性が高かったりしていて、非常に個人の価値観も入るところなので教え方も難しいみたいなところもあって、
やってるところもあればやってないところもあるみたいなのが今の実態としてあります。
スピーカー 1
確かに個人の価値観。
スピーカー 2
すごく個別具体的な事象だったりもするので、子ども家庭長さんとしても、世代別に応じたライフデザイン教育みたいなものが大事なんじゃないか、みたいなところでいろいろ構想を立てられていらっしゃる最中ではあります。
私個人というかNPO個人ママとしては、特に家族形成に関するライフデザインの観点って、いつぐらいからがいいのかなっていうのをずっと議論をしていて、
私たちの今の結論としては、ちょっと小学生とか中学生は早いんじゃないかと思っても、育てられる身なので、
まず進学が先にあって、その先の結婚子育て、ちょっと遠い未来の子として、あんまり自分語とかしづらかったりするので、高校生、大学生くらいから入っていくのがいいんじゃないかというのを話しています。
今後、学校教育に入っていくっていうのもまさに考えてはいて、
自治体さんを通して地域内の高校とか大学で家族留学とか、ライフデザインセミナーっていうのを授業形式でさせてもらったりとかしてたりとか、
あとはもっと企業にも入っていけたらいいなっていうのも考えていて、
この企業の若手社員さんは20代くらいの世代で、まさに仕事も忙しくて、でも突然もしライフイベントがやってきた場合って、
いろんな意思決定を20代後半から30代くらいすごくしなきゃいけない時期だったりもしていて、
なのでそういった企業内の若手社員向けのライフデザイン支援サービスみたいなのも展開していけたらとは思っていて、そこもいろいろ挑戦をしています。
でも難しいですね。企業さんは結構難しくて。
確かにですね。企業にとってのメリットはみたいなところが。
スピーカー 1
それが利益に直結するのかとか、あとはコンプラの観点からどこまで企業として社員さんの結婚育ての話題に踏み込むのかみたいなところもあったりして、結構難しいって現地で。
そう考えると、高校とか大学とかの方がもっとフラットにできるような感じは。
スピーカー 1
そうですよね。
スピーカー 2
家族留学の参加者の人たちの話を聞いていると、やっぱり一番具体的に悩んでいるのは働き始めてからの人たち。
目の前にこの仕事をやっていて、この働き方があるからこそ、もし今のパートナーと子どもを持ったらやっていけるのかみたいな、一番不安が熱いそうだったりもするので、
本当はもう少しこの20代、30代にもやっていけるといいのかなという気はします。
スピーカー 1
本当にね、確かに。
でも、高校とか大学とかで1回でも経験していると、20代の前半で悩み始めた時に、他を見てみようっていう、何をしたらこの分からない不安が解消されるかみたいな選択肢が思いつくから、
そういう経験をしていないと、ずっとモヤモヤしたまんまになっちゃうというか。
スピーカー 2
本当そうですよね。まさに子ども家庭園長さんが昨年にアンケートを取っているんですよ。
確か高校とかでライフデザインについて学ぶ機会があった人となかった人の違い。
やっぱりライフデザイン教育を受けた人の方が前向きな影響が出たりしたので、やっぱり実際に受けた方が良かったんだと思う。
スピーカー 1
本当確かに前向きな影響プラス、悩んだ時に何をクリアしていけばいいのか分かるだけで、悩みの深さが違う機会がすごくするから、早期でできたらすごい気がする。
スピーカー 2
高校でのライフキャリア教育って具体的にはどういうことをやるんですか?
高校では既にやられているところもあるんですけど、例えば一個は人形児との触れ合い体験をしていて、高校の授業に赤ちゃんを連れたお父さんお母さんが来て、
そこで子どもと触れ合ってみるみたいな経験とか、お父さんお母さんからこれまでの人生ストーリーみたいなものを聞いて、
育った家庭以外の違う人生のあり方みたいなものを聞いて、選択肢を広げてもらうとか、そういったものがあったりします。
そういうのを取り入れているのって、普通の公立高校とかでやっているのか、それとも女子校とか。
女子が多い環境だとそういうのをやる学校もあるのかなとか思ったりするんですけど。
私の知っている範囲だと女子校に限ってなくて、教学で、公立のところも私立のところも。
実際さんがやっているところは公立のところとか多くありますけど、
結構キャリア教育の分配とか家庭科総合の時間とかそこら辺でやられたりします。
なるほどね。
ちょっとずつ多分今広まりつつはあって、でもライフデザインってすごく広義の意味、いろんな意味を含んでいて、
例えばお金に関することもライフデザインの一項でしたりとか、
あとは人生100年時代のミドルシニア向けのライフデザインという切り口もあったりとか、
あとは結婚子育てた家族形成の切り口もあったりしていて、
まだ修了としてしっかり確立はできていないので、本当にいろんな切り口があるので、
ライフデザイン教育を受けてきたといっても高校でFPさんによるお金の授業を受けましたみたいな人もいます。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
まだまだ、白沼計算所さんで実習事業やってるんですけど、切り口がまだまだ揃ってない。
確かにね。それはその通り。
スピーカー 1
お金の教育もめちゃめちゃ大事だと思うんだけど、
お金教育とかって結構技術的なところっていうか、知識技術的なところで、
例えば子供を持つとか、パートナーを作るとか、どんな生活スタイルをしたい、
どこに住みたいとかもいいんだけども、そういうのって正解がないし、
何を別に選ぶか本当本人次第だし、そもそも自分は何を大事にしてるんだみたいな、
結構哲学的な、人生哲学的なところにも本当はつながってくるから、
結構考えさせるのも大事なのかなと思ったりもするんですけど、
そういう考えることみたいなのも時間の中に取り入れたりするんですか?
スピーカー 2
私たちのライフデザインセミナーとかの中ではそれをすごく大事にしていて、
正解がないはず、今プランしたところで多分変わるじゃないですか。
絶対結婚しないって決めてても、
たまたまあるパートナーと出会って、この人となら家庭作ってもいいかもって思うケースもあるかもしれないし、
絶対子供欲しいって思ってても、
ご自身もしくはパートナーの自身によってできないかもしれないとかっていうところなので、
まずいろんな事例を知る、その上で自分はどうしたいかを考えてもらうっていう時間もすごく大事にしています。
なので、それこそ家族連絡に登録いただいているいろんなご家庭に、
ご自身の仕事、結婚こそっていうのを体験で話してもらったりとか、
あとは自分はどうしたいかっていうのを考えるワークをしたりとか、そんな時間を作ったりとか。
スピーカー 1
その時に自分が育った家族とかを、たとえば棚卸しするっていうか、
ちょっと客観視するみたいなこともプロセスとしてはあったりするんですか?
スピーカー 2
私たちは入れてないんですよね。
それは人によっては苦痛を伴う経験かもしれないので、
あんまり一律にやるものでもないかなと。
慎重なプロセスを踏まないといけない。
なるほどね。
低スクワットも入れてない。
スピーカー 1
与えて入れない。
スピーカー 2
そうですね。
でもやり方によってもあるかもしれない。
結構大学の授業だと一気に100人とかいたりするので、
隣の人とシェアしましょうみたいな時間を作ったりするので、
それは入れてない。
スピーカー 1
確かに。
ちょっと精細な部分を含みますよね。
スピーカー 2
個人によってはそうかもしれないので。
なるほどね。
結構難しい領域だなと思います。
確かに。
人にすごく個別具体性の高い、育った家庭環境、経済環境、地域環境、社会環境とか、
いろんな要因があって今のデザインに関する価値観とかが出来上がっているので、
正解がないからこそ何かを伝えづらかったりとか。
そうですよね。
批判も浴びやすい領域だなと思います。
批判?
批判も浴びやすい領域。
国が少子化をやりますというだけで、結婚させたいのか子供を持たせたいのかにもなりますよね。
自治体が少子化の事業としてこういったものをやりますというと、
まるで結婚させたい、子供を持たせたいと思われてしまう。
でも自治体さんともこれはかなり合意を取った上なんですけど、
あくまで個人の価値観で、
決して子供を持つことが幸せという価値観をつけたいわけじゃなくて、
家庭を持ちたいか持ちたくないかとか、
持ったら仕事はどうしていきたいかという、
意思決定を支えるような事業にしたいというところは合意を取った上でやってるんですけど。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
客観的にパッと聞くと批判を集めやすかったりとか、
家族留学というプログラムがメディアに出たりとか、
子供家庭長の初代大臣が視察をしてくれて、
その時にテレビにちょっとプチ炎上みたいなことをしたこともあって、
そういう時も、どれぐらい貧困層にアプローチしてるんですかとか、
スピーカー 2
私としてもっと社会の仕組みかみたいなところで
生きることがあるんじゃないかなと思っています。
なるほどね。
スピーカー 1
ちなみに個人的には、
家族というところまでいかなくても、
小学校とかで見たけど、生き方とかね。
哲学的なことを、
もっと小さい時から考える機会があってもいいんじゃないかなと思うんだよね。
思うよ。
なかなかそういうのを、
それこそ家庭によるっていうか、
結構家庭でそういう話をするところは考えるきっかけがあるし、
そんな話一切しなかったら、
例えば本とかもそこまで読まないとかだったりすると、
考える機会なく生きてくる人の方が多いのかもしれないし、
なったときにそこに土台がないと、
自分が何をそこの家族とかライフに対してしたいのかみたいなところに
なかなか行かないというか、
家族までいかなくていいけど、
小学校のときにやっぱり、
生きるとか人生みたいなのがあってもいい気がする。
もっとそれこそ、
春太郎の世界とかでいいんだけど、
ああいうところから考えるみたいな。
スピーカー 2
そういうのはね、先生によってはそういうのをやる先生もいるんじゃと思うけどね。
先生も教えるのも難しそうですね。
みんなの考えを。
小学生に聞かれてもよくわかんないしっていう子もいるだろうし。
スピーカー 1
たくさんすごい教え方があると思うんだけど、
それこそフランス映画だったかな、
幼稚園児に対する哲学の時間みたいなのがあって、
それをやったドキュメンタリー的な映画があって、
もちろん幼稚園児には幼稚園児なりの、小学生は小学生なりのアプローチなんだけど、
哲学って言葉にしちゃうとすごく難しい感じになっちゃうんだけど、
スピーカー 2
だけど本当に、もちろんわかりやすい形に返ってくるけど、
道徳の授業みたいなのをね、子供の参観日に、
いじめをテーマにしたやつをやってるわけですよ。
こういう構図でA君とB君がいて、A君がB君にちょっと嫌なことをしました。
友達のC君がいました。
あなたがC君の立場だったらどうしますか?みたいな。
A君にやめてって言うとか、
親に言うとか先生に言うとか、いろいろそういうこと言うんだけど、
どこかこれが答えですよ、みたいなのがある感じの授業なんだよね。
なんか穴埋めをしていくみたいな感じ。
こういう時はこうしましょう。
みんな一応手を挙げてどうしたらいいですか?とか聞いてるんだけど、
みんな正解を言おうとしてて、
そのケースは比較的単純化されたものだから、
でもじゃあなんでA君はこんなこと言っちゃったんだろうねとか、
もしこういう反応を取られたらどうするとか、
例えば自分、もうちょっとケースを変えれば、
正解がないことを考えるっていう機会になるかもしれないと思うんだけど、
でもその限られた時間の中で、そういう授業には全くなってなくて、
いじめは良くないことです、みたいに言わせる授業っていう感じが。
でもそんなの多分あらゆる小学校でやってるだろうけど、
いじめなくならないし、
自分がやってることをいじめだともあんまり自覚しなかったり、
でも学校の教育ってそうなってる。
例えばライフキャリアについて学ぶって言っても、
やっぱり子どもの何が正解なのか探して言っちゃう。
スピーカー 1
それはすごくあると思う。
日本の教育の中、たぶん私たちが受けてるときよりも
だいぶ変わってきてはいると思うけれども、
でもやっぱり正解を求めるみたいなのが、
かなりマジョリティを占めると思うんだよね、授業のスタイルとして。
で、先生たちもそのスタイルに慣れちゃってるから、
答えがない授業をするみたいなのに、
先生もできる人もいるかもしれないけど、
多くの人がまだ慣れてない感じがすごくする。
スピーカー 2
そもそも日本の社会自体が、
やっぱり正解を言わないといけないプレッシャーみたいなのは、
スピーカー 1
特にここの世代はね。
あるある。
スピーカー 2
でも他の会社とかの、
例えば多様性が大事ですみたいに言われたら、
多様性なんていらないよなんて言えないっていうか、
オフィシャルな場で。
そんなこと言ったら危険人物みたいな感じになっちゃうじゃないですか。
スピーカー 1
今はこっちを言うのが正解。
スピーカー 2
そうそうそうとかね。
なんかその空気をみんな読みまくって、
本心を話さないみたいな。
でもこれ本心を話さなきゃ、
なんかやってる意味もない話な気がするんだけど、
でも非常に繊細なテーマだから、
やっぱり自分の本心を言わない。
自分がどんな人生を送りたいかなんて、
なんなら言うべきじゃないみたいな。
個人的なことで、
それを言うのは誰かに、
そうあるべきじゃないっていうふうに言われそうとか。
スピーカー 1
その意味でも、
企業でっていうのはハードルが高いのかもしれない。
企業側のメリットっていうのも高いけど、
難しい、見えにくいけど、
参加者側の個人の思いをさらけ出して、
会社側に、いくら手紙義務があるとはいえ、
会社側にもし知られたらっていう。
スピーカー 2
そうなんだよ。
スピーカー 1
どこで言えないみたいな。
スピーカー 2
だってほら、就職活動の時にさ、
ようこちゃんも言ってたじゃん。
子供ができたら、
基本仕事はそんなにやらないつもりだったんだけど、
スピーカー 1
確かにね、就職活動って。
スピーカー 2
就職活動してる時はそんなこと絶対言わない。
言うわけないじゃんみたいな。
スピーカー 1
言ったら落とされるじゃんみたいな。
そうそうそう。
私、その会社の何年計画みたいな、
キャリアプランみたいなところにも、
それはすっごいバリバリやるみたいな感じのことで書いてるけど、
内緒は違うとか、
やっぱり求められてないだろうなっていうところで、
やっちゃうから、
やっぱり本音を出しにくい。
スピーカー 2
ね、ほんと難しい。
スピーカー 1
なぜならやっぱりそこは評価されるとか、
選抜される、評価されるみたいなところが入る世界線だから。
スピーカー 2
そうだよね。
で、どこか社会的に、
これが正しい生き方だよみたいなものと自分を照らし合わせて、
自分はこうじゃない、ここが足りない。
それ開き直る人もいるだろうけど、
足りないっていうので悩んじゃう。
私、仕事をもっと頑張らなきゃいけないのかなとか、
子供をこんな風にしててかわいそうなのかなとか、
いろいろ結婚はしてない自分はダメなのかなとか、
子供いない自分はダメなのかなとか、
いろいろ正解と照らし合わせて、
内心、こうめっちゃ傷ついてるんだけど、
みたいな人がすごいたくさんいる気がするし。
スピーカー 1
それは参加者の人の声とか聞いたりすると、
どういうふうに思いますか?
スピーカー 2
そうですね。
企業でやらせていただいたときはセミナー形式でやって、
完全に任意にしたんですよ。
必須参加ではなくてランチタイムの参加したい人だけにしたので、
たぶんもともとそういったことをオープンに話してもいいと思って、
まず前提参加していただいてるので、
あんまりネガティブなヒントばっかりはなかったんですよね。
でも本当におっしゃっていただいた通り、
どうしても正解を言わなきゃいけないとか、
会社にどこまで知られるのかとか、
いろんなハードルがあると結局は言えないし、
会社での論議もしづらいと思っていて、
じゃあこのままでいいのかってなったら、
どんどんライフイベントとか家族のことって
ブラックボックス化したままになってしまう。
どんどん自己責任の流れになってしまうので、
スピーカー 1
そこはどうやったらいいんだろうというのはずっと模索しています。
スピーカー 2
声も全然出てなくて、