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こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
今日もさゆみさんどうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
今日は7月14日ということで、7月14日はフランスにとって一番って言ってもいいくらい大切な日なんですよね。
で、日本ではパリ祭という言葉で言われてますけど、なんでパリなのかわかんないんですけど、フランス共和国の成立を祝う日ということで、一番大事なまさに祝日っていうことですよね。
まさにこのフランス革命の発端になったこととか、そういうことでの建国記念日っていう位置づけになっています。
だからフランス語ではキャトーズジュイエって言ってまさに。
みんなキャトーズジュイエって言いますよね。
キャトーズっていうのが14って意味でジュイエ、7月。そのまんまなんですけど。
そのまんまですね。
パリ祭っていうのは日本語でしか通じない。
なんでそうなっちゃったんでしょうね。
日本だけみたいです。
パリでお祝いするから?パリ祭?
みたいですね。わかんないですけど。
きっとそうですよね。
今ちょっと調べました。
パリ祭というキャトーズジュイエっていうその映画があった時に放題がパリ祭として公開されてヒットしたため、
それ以降そのままパリ祭というのが一般的になったということだそうですけど、
パリ祭のことをフランスで言っても多分誰も通じないと思いますので、キャトーズジュイエで。
このキャトーズジュイエ何をするかっていうと、見たことありますか?
私は一度近くまで行って見たことがあります。
花火とかまで。夜の花火とか。
夜の花火はエッフェル塔の近くで、軍事パレードがシャンゼリー勢でバーッと行われて、
だからあそこらへん全部ストップするんですよね。
そうですね。歩いてエッフェル塔の辺りまで行ったことがあります。
でもそれは結婚する前です、主人って。
すごい人ですからね。子供連れてはなかなか行けない。
結構みんな飲んだくれちゃったりして、瓶が飛び立ったりするから。
危ないんですよ。
逆に避難してくれって言われるから、子供付きは基本昼間まで。
夜の花火は避難したほうがいいということですよね。
このパレードが、要は軍事パレードなんですけれども、
戦車が通ったり、大統領はもちろん通るし、結構激しいというか、
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徹底的に軍関係のパレードですね。
どこから来るんだろうって感じですよね、この戦車がね。
あらゆるところからね。
あと飛行機も、アクロバットがね。
すごいんですよね。3色にフランスの国旗の色の煙を出しながら、
凱旋門の上をね、パーッと通ってくる。
そうすると3色がバーッとね、青、白、赤っていう感じでバーッと。
結構すごいですよね。
圧巻なんですよね。
結構、行かなくてもテレビで見てる人が多いみたいです。
私の家の辺りでは通るのが見えるんですよ、飛行機が。
そうです。
ちょうど凱旋門からそんなに遠くないので、行くのがすぐに見えるんですけど。
音もすごいですけど。
そう、うるさいですけどね。
でも凄い圧巻ですよね。
そうなんですよね。
わーっと思います。
この祝日は本当にフランスにとっても大事な祝日っていう感じですよね。
ご主人にちょっとご縁があるって聞いたんですけど。
そうですね、主人が軍関係の学校にいたんですね。
それで彼が大学グランゼコール時代にパレードに参加しないといけなかったんです。
それが全員だったの?学校の人。
全員じゃないです。
選ばれちゃったの?
選ばれちゃった人だった。
じゃあ彼は選ばれちゃった。
選ばれたんです。
でも女性もその当時はほとんどいなかったんですね。
彼が学生時代はもう女性はほぼゼロ。
でも今は女性も一緒に少なく、少ないんですけどやっぱりいるんですね。
選ばれた学生がパレードをします。
じゃあそれはもうとてもこう、いわゆるエリートな人たちが。
今は分かんないですけど、その当時は本当に親にとっては凄い光栄なことだったらしく。
じゃあシャンゼリゼを歩いたんですか?
そうです。全部はパレードをしたって言って。
練習とかするんですかね?
練習はなかったみたいですね。
歩けばいいんだ。
練習は。
その辺は緩いんですね。
でもああいう軍服みたいなのを着ると誰でもやっぱりかっこよく見えるんですね。
スキー現象と一緒ですか?
かっこよく見えると、私もその写真がパネルになってて、
主人の実家に貼られてて、わーっと惚れましたよ。
そうなんだ。
今はどうなんですか?
今はちょっとそれが入らない。
服がね。
服が入らないんですけども。
ちょっとだいぶ前の話ですからね。
そういうやっぱりユニフォームのかっこよさを堪能できるイベントかなと思います。
という感じですね。
ですから、もし7月14日あたりにフランスというかパリにいらっしゃる方は、
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これをちょっと見てみるのも。
大統領も車に乗ってね。
大統領にも会える。
会える。でもスーッと通り過ぎちゃうと思うんですけどね。
あと馬とかもね。
馬にもね。
ありますもんね。
だからそういう意味ではちょっとこう日本では見られない風景かなっていう感じなんで。
あと外国、各国の軍事関係の首相とかもね。
来たりしますよね。
すごく面白いイベントですね。
かなっていう感じですね。
だからちょっと軍職っていうか軍の色がちょっと濃くなっちゃうパレードなんですけど、
これはなんかもう伝統行事っていう感じなので。
そうですね。
もしいらっしゃる方がいらっしゃれば見ていただくのもいいかなと思います。
それでは本編スタートです。
今回は陽子さんのインタビュー2回目です。
実は陽子さんのインタビューは大変面白い話がたくさん聞けたということもあるので、
3回続く今回第2回目なんですけれども、
今回は前回のお茶とか生態を極めている陽子さんが、
ちっちゃい頃から若い頃、20代にかけてどんな人だったのかっていうところを伺っています。
それでは聞いてみてください。
お母様の病気がきっかけでっていうことだったとは思うんですけど、
それまでっていうのはお茶も全然興味もあんまりなかったってことですし、
体もそこまで意識することもなかったんだと思うんですけど、
それまでって体に関するお仕事とか全然知ってたわけでは?
でもないし、逆に言ったらその真逆ですよね。
もう、自分の体派?みたいな、今の生徒さんで20代頃からとか、
妊娠・出産する前からいらしてる方なんか見ると、
手を合わせたくなるような、尊敬。
全く別の世界にいらっしゃったんですね。
この歳からこんなこと知ってたら、あなたもう私の歳になったらピッカピカよ、もう本当っていう感じですよ。
私の失敗がベースになってできてるクラスですから、これって。
今の私をご覧になって入会してきてくださる患者さんとか生徒さんとかっていうのは、
先生だからできるんでしょうとかってよくおっしゃってくださるんですけど、
いやいやいや、あなた方の方がずっといいですから、みたいな。
今気づいてよかったよね、みたいな。
尊敬尊敬みたいなね。そんな感じなので。
やっぱり自分が一番でしたね。
自分が一番?
もう悪びれることなく自分が一番。
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それは誰に対して?
それはもうちっちゃい時からそんな感じだったんですか?
そんな自信満々じゃなかったですね。
ちっちゃい時はもう本当に引っ込み事案で、
母親の背中の後ろに隠れて、ちょっとチラッと見るような。
え、じゃあ自分が一番になったのは何かきっかけとかそういうタイミングってあったんですか?
自分でもよく考えるんですけど、
一番変わったのは、やっぱり自分が人前で喋るっていうきっかけを与えてくれた、
小学校時代の新任の先生が担任になって、
その先生に誘っていただいて、自分が顧問をする放送部に入部した時からだと思います。
じゃあ小学校5年生ぐらい。
それまでは自分にずっと自信がなかったし、
私の年代って一人っ子なんですよ。
一人っ子って結構珍しくて、
やっぱり兄弟がみんないるんですよね。
そこで切磋琢磨されてますからね。
どう押し出したらいいかというのを分かっているわけじゃないですか。
だからもうちっちゃい時から、やっぱり滑り台登れない反対側から登るんだったら、
ここまで頑張ればとかって言って、
お兄ちゃんとかお姉ちゃんがいたら、
うっとしいから行けるかって言ったら、
必死になってついていくじゃないですか。
そういうのなくて、そこでウェーって泣いちゃうわけですよね。
自分の思うようにも行かないし。
できないみたいな。
そしたら、またこれが自分の妹とか弟じゃなかったら、
お兄ちゃんお姉ちゃんが助けてくれるわけですよ。
そういうことですね。
だからもうしょうがないなって言って、
いつも同級生の中でも一番ダメっ子ちゃん。
休食とかも絶対残すので、遅いし食べるのが。
運ばれてましたからね、椅子ごと。
掃除の時間に入っちゃって。
まだ食べてんの?こっちで食べてみたいな。
今の子と違って、お残しは許しませんよっていう時代だったので。
最後まで食べなさいみたいな。
絶対残したらダメって言われて。
泣きながらまた泣きながら食べてたら、
悪ガキちゃんたちが椅子を持ち上げて、
泣きながら言ってる机と椅子を、
そのままみんな男の子たちが持ってきて。
運んでくれて。
それでも泣いてまだ食べられない。
キューンって言ってたら、しょうがないなって言って、
男の子たちが食べてくれて。
空にしてくれて。
そんな子だったんですよ。
じゃあみんながある意味ほっとけないっていうか、
面倒を。
だからね、幼稚園の時の先生が言ってたっていう話で、
横ちゃんの隣に悪ガキを座らせたら、
おとなしくなるから。
悪ガキくんが。
だからそうするんだよ。
だからいつも大きな悪い子に囲まれる。
なぜかというと、私に何かちょっかい出すと、
うわーって泣いて、もうどうしようもなくなるから。
12:01
だからおとなしくせざるを得ない。
こんなの前に着いたら大変だからね、みたいな。
何か悪いことするのに、私を飛び越して、
ちょっかい出すみたいな。
いつも放置されてるっていう感じ。
だから先生と一緒に隣に置きたくなる。
常に母から離れられなかったので、
ずっと、今思えば怖いんですけど、
扉の向こうから見てる母が。
それがいないと不安になるので、
こうやってお遊戯してて、
はっ!って思い出す。
チラッと見たら、
母がこうやって手を振るっていうのが、
幼稚園の年少さん時代ぐらい。
ずっとお母さんばかりついて。
大変だったと思いますよ。
近所の人、歩けない子だと思ったらしいから。
ずっと抱かれてた。
もう本当、どうしようもない。
どうしようもない。
だから別に、自分が一番って、
皆さんついてらっしゃるとか、
そういうタイプではなくて。
そういうヒロイン系のタイプではなかった。
そういうタイプではなくて、
自分のことしかできない。
精一杯っていう感じ。
もう本当にダメダメちゃうんだった。
それが放送部に入ったことによって、
どうなっていったんですか?
みんなはそういうふうに
自分のことを思ってなかったのに、
自分の中で自分はダメなんだ、
ダメなんだってずっと思ってたんだけど、
そんなことまでみんな思ってなかったんですよ。
本当に自己中ですよね。
それこそ違う意味で。
それでその先生が、
やってみないかって誘っていただいて、
それに入ったと。
文化部はそれに入った。
体操の運動系の方も、
その先生の顧問になっている陸上部に入った。
どちらかというと、
自分の意思というよりは、
先生が顧問しているか。
安心だからみたいな。
そしたら陸上部でも、
結構長距離とかも、
絶対途中でいいですよ。
こんなのできないとか、
熱が出たって休むとか、
そういうタイプだったから。
短距離でハードルの選手になったんですよ。
これがまたトントン表示で優勝しちゃって、
試とかで、
最終的なところまでいくくらいの、
すごい能力を発揮しちゃった。
私もしかして、
ハードルだったらこれいける?
そこで一つ自信ですよね。
大相撲の方は、
その頃関西でやってたし、
オールナイトニッポンとか、
そういうのが関西系の
ツーベさんとかツルッコーさんとか、
その辺がすごいやってて、
流行ってる時代だったんですよね。
その時代の放送を聞いてる、
お兄ちゃんお姉ちゃんがいる人たちが、
ものすごい好きだったわけですよ。
5年生とかでも。
小学校5年生で、
あの時間は起きてないですよね、普通。
お兄ちゃんお姉ちゃんね。
その影響を受けてる子たちが話してるから、
6年生の部長とかが知ってるわけですよ。
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だから火曜日だったんです。
火曜日の担当の人と組んだ時に、
私がナレーションをするんだけども、
DJ風にやるぞって言われて、
どういう風にやるんだろうなと思ってたら、
その時間が結構人気の。
火曜日が楽しみだったの、みんな。
すごい人前でこうやって普通に喋るって面白いんだって。
みんなが聴いてくれるってすごい面白いんだっていう頃から、
みんなから、横ちゃんの声綺麗だよねとか、
上手に話すよねとかって言ってもらえるよなって。
えっって。
いや、そんな私。って言ってたら、
全体のお遊戯会みたいなのがあるじゃないですか。
あの時の総合の劇の進行役みたいなのを、
司会進行ね。
全校生徒の中から選ばれて、
えっって本当に?っていう感じだったんですけど、
そっからなんか、
話すことによって人に影響を与えるっていうことが私できるし、
それが楽しいことなんだっていう風に思って、
すごい自信になったんですかね。
幼稚園の低学年の頃と比べたら全然。
本当に。
だから私あの担任の先生には本当に感謝。
そうですよね。
ハードルの方もね。
本当そうなんですよ。
だからなんだって。
そっから先はやっぱり学校になっていくじゃないですか。
中学とか高校とか。
そうするとやっぱり成績でね、
人と優劣ができてくる時代になると、
自分の立ち位置がそれで分かってくる時代になってくるじゃないですか。
だからかえって気が楽になったりとか、
必要以上にそれを卑下しなくていいんだとか。
まだでも自分の尺度の中で。
そうですよね。
それがずっとだったかな。
大学の頃からやっぱり喋りの仕事がしたいなと思ってたので。
で、学校もほとんど行ってない状態ですね。
でも容量だけは良かったみたいで。
1、2年の時は一生懸命行ってましたけど、
3年生ぐらいになってくると、
仕事が忙しいから代弁しといてとかね。
今なんか考えられないですけどね。
みんな真面目に練習して。
単位は取るけれども。
それで真面目に練習してる子が追試とか受けてるのに、
私はスルスルと行っちゃうみたいな。
出席してないのに。
すっごい嫌な感じで。
なんでなの?なんで陽子ちゃんが?
っていう感じですよね。
そう思っちゃいますよね。友人の立場がね。
そういう感じだったんですけど。
でも私はその頃はもう、
学校よりも外でのMCとか、
そういうバイトもやらせてもらってたので。
すっごい混ぜてましたよね。
感じ悪かったですね、きっと。
おてなから見ると。
でも20歳そこそこで、
そういうお仕事いっぱいやってたってことですもんね。
18:00
バブルって言ったら、
バブルがまだ来る前ぐらいですね。
ちょうど就職するが決まったっていうぐらいの時に、
ブラックマンデーとか、あの頃でしたから。
決まってるから別に、みたいな。
そういう感じですよね。
でもそんな感じだったんですけど、
私フランス文学科だったんですよ。
あ、そうだったんですね。
その文学部で一番今でいう偏差値が高いのは、
英文科なんですけど、
英文科は誰でも行くから単位が取りにくいだろうなと思って。
逆にね。
中田だったら珍しそうで役に立ちそうなので、
フランス文学科行こうかなと思って。
っていうようなフラチな理由で。
興味は別にあったわけではないんだ。
で、普通文に行きました。
で、行ったらもうフランス語ばっかりじゃないですか。
そういうことですよね。
フランス文学ですからね。
いやをなしにフランス語付けなので、
ちょっとフランスでも行ってみるかっていうような、
そういうノリで申し込むとスッと通ったりとかする。
友達から見ると、あーりここちゃんはみたいな。
それでまあ短期でね、ちょっと行かせてもらったりとか。
それじゃあ学生の間に。
にもあったし、社会人になってからもあったしとか。
でもそんな長い間、ガチで勉強したいという子はもう、
年間通して行くじゃないですか、留学生という形で。
そんなことしたら年取るじゃんみたいな、
なんかそういう感じですよね。
こっちの仕事なくなるからいいや、行かないから。
それがなくならない程度で。
勉強しようと思って行ってるわけじゃなくて、
フランス行きたいみたいな、そういうノリ。
それでその当時ですから、
社会人の人たちと関わっていることが多いし、
花の女子大生と言われた時代ですから。
だからテレビ局とかラジオとか、
そういうところに行ってたもんだから、
いくらでもお金使ってくれる時代だったので、
ちょうよ花よですよね。
そういうことですよね。
なんかもうね、ほんとこういう感じですよね。
もう天狗。
それでその調子でフランス行ったわけですよ。
天狗の状態で。
そしたらもうバッキバキですよね。
何がバッキバキにされたんですか?
大人扱いされないんだもん。
そういう意味で私ちょうよ花よが。
ほんとに4個はベイビーだからみたいな、
そういう感じですよ。
一気に子供にまで。
夜遊び現金みたいな。
なるほど確かに。
勉強しろよみたいなね。
そういう感じで、だからベビーシターですよね。
そういうことですよね。
僕たちは出かけるから、
陽子あとはよろしくって言って。
え?子供を置いてっちゃって。
そうそう。
私行けないんだみたいな。
え?って言って。
今でいう40代ぐらいの方とかが、
ものすごい大事にされちゃってて、
でもまたものすごい綺麗だったわけですよ。
なるほどね。
で、私と同い年ぐらいの学生の女の子たちって言ったら、
もう一生懸命勉強してるわけですよね。
21:02
地味な服着て。
地味な服着て。
それがまたかっこいいわけですよ。
で、日本に戻ると、
なんかみんなすっごい勘違いした
自分みたいな女の子がいっぱいいるわけじゃないですか。
すっごいヒールとか履いちゃって。
で、ブランドのバッグとか持って。
で、
何か思いました。
これ、大学行ってる意味ないなと思ったんですよ。
働こうって。
なんかおかしいでしょその発想。
自分も数ヶ月前とかはそっち側にいたんですよね。
でも戻るとやっぱり、
ほら、胃の中の河津で、
その中で見てることが、
当たり前にまた戻っていくし、
あんまり日本人って出る杭打たれるもんだから、
学校ではやっぱり、
ほら、私いろんな人にお世話になってるから、
あんまり飛ばせないし。
そうですよね。
で、やっぱり迎合するように元に戻っちゃった。
でもなんかその中で、
でもなぁ、やっぱり私、
何にもないんだよなぁって、
やっぱりその時に何となく思ってるわけですよ。
で、テレビ局に就職したいなと思って、
活動を始めたんですけど、
アナウンサーとかそういう方で。
地方の局の合格はいっぱいもらえたんですけど、
また感じ悪いの。
私キー局じゃないと働かないからみんな。
強気ですね。
しかも関西弁バリバリなのに、
そのノリでだんだん取っていくわけですよ。
合格を。
それでやっぱりキー局なんかは、
いっぱい東京にもいらっしゃるわけじゃないですか。
そういうご家庭の自宅から通える方を
優先的にやっていくから、
でもお呼びじゃないって感じですね。
関西弁辞めますか?就職したいですか?みたいな。
関西弁は私から取られたらみたいな。
そういうノリだったんですけど、
めでたく玉砕して、
どうしようかなって。
でもなぁ、広島とか行きたくないなとかね。
やっぱり地方は。
全然合格をいただけたところもあったんですけど。
行きたいっていうところまでは思わなかった。
親も、母親の方が、
なんで神戸より田舎に行かなくちゃいけないの?
みたいな。
さすが神戸の人。
強いですね。
でもそれもそうやんな、みたいな。
娘も思ってしまったわけね。
それで、やっぱり
と思ってた時に、
フリーランスで仕事しようかなと思ったんですけど。
フリーランスで何?ナレーションとか?
ナレーションとか。
アナウンサーとか?
アナウンサーとか仕事とか。
もちろん、
警備局とかラジオ局にも
コネクションがないわけじゃなかったので、
そこで契約社員みたいな形で
っていうのもあったんですけど、
当時はもうそんな
フリーターとかっていう言葉もなかったから、
父親は大激怒ですよね。
就職しないなんて、みたいな。
24:01
もうそんなフラチン、許さない!みたいな。
それでいろいろ父の紹介で
仕事がもう就職が決まりそうになってたんですけど、
どれもこれもつまんない仕事なんですよ。
なんか秘書とか言ったらちょっとあれですけど、
言われたことをきちんとやると。
仕事とか事務職ですよね。
それはまたフランスの時の思いが
ググッと出てくるわけですよ。
この仕事やってて私が
あの40歳のマダム達みたいになった時に
何が残るの?っていうのがすごいあったのに
絶対この仕事尽きたくないって。
だからって言うんで、
総合職しか取らないっていう
化粧品会社に入社を決めたわけなんですよ。
その時は父は激怒ですよね。
はっきり言って。
だって自分のコネクションで
誰が聞いても知っているような
会社の秘書室の
役員署みたいな。
用意してるのに
はぁ!?みたいな感じで
わざわざ決定総合職の方に行くっていう。
でもちゃんと話したんですよ。
こういうことで私将来的にもこうだと思ってるから
女の子はいいんだよみたいな時代だったので
お嫁に行ったら変わるだろうけどっていうことだったんだけど
もう決めたからみたいな。ごめんなさいって。
それで入社を決めてっていう感じだったので
本当にね、もうイケイケっていう感じだったから
勢いありますよね。確かに。
全然体とか精神レベルとか
そんなのもう未尽も考えてなかったですね。
20代前半。
でもただやっぱり
すっごい大人の女性になりたいな
あんな風にって思わせてくれたのは
その普通文化の時の
フランスに行った時の経験だと思います。
全く私は何の価値もないんだっていうのを
こんな天狗になってた女の子が
見事にへし折られちゃったわけですね。
10代後半とか20代前半っていうだけで
もう価値観がある日本と
自分の意見ちゃんと持ってない
何がしたいかもはっきりしてない
若いだけって言ったら全くアイデアされないじゃないですか。
だからやっぱり
日本の文化のことに関しても聞かれるわけですよ。
え?って感じで。どうしようみたいな。
知らない知らないみたいな。
そんな感じの中で
どっかではあったと思うんですね。
自分をちゃんと作っていかないと無理だなっていうのはね。
常に仕事をしながらも
年を取った時に生まれ続けられる仕事。
何か自分にっていうのをすごく考えながらやってましたけど
自分のことは
自分の体とか気持ちとかは全然向き合ってなかったので
27:01
もう勢いだけっていう感じですね。
その時の陽子さん感じていた大人の女性っていうのは
どういうイメージを抱いてたんですか?
でもやっぱりさっき言ったみたいに
自分をきちんと持っているということですね。
それとその当時やっぱり
社会人の方と関わることが多かったので
もうその当時に役員クラスの方って言ったら
多分もう今全然生きてる方いらっしゃらないと思いますけど
その方たちなんかに
君はいいものを持っていると思うけれど
でも何か極めてやったことはあるか?ってよく聞かれてたんですよ。
え?って言って
そんなのあるわけないじゃないですか!みたいな
そういう時代なんですけど
何でもいいから続けてやってごらんって言って
例えば毎朝新聞を隅から隅まで読むとか
そういうことでもいいんだよ。
そういう日常のことでもいいから
やってそれを続けてごらん
そしたらその中から必ず次に続けてやりたいことが出てくるから
って言われた人がいたんですよ。
もうね、それ聞いた時も
うーんって思って
でもまずは毎日続けたいことがないんですけどみたいな
そうですよね
だから今の若い女性たちで
やりたいことがないんですとか
楽しいと思うことがわからないんです
っていうのはある意味すごいわかるんですよ。
理解できる
わかるわかるって
そうだよねって言って
でもそれってきっと
自分に向き合ってないからわからないですよね
なるほどね
じゃあ向き合うことが
それをわかるための第一歩になってくる
自分を知るっていうか
そういうことをずっと言われてたのに
気がつかなかったんだけれど
でもどっかでこのままじゃ私ダメになるんだなっていうのは
それがわかってたんだ
わかってるっていう感じだったので
だから一生懸命そういうことがわかる大人の女性になりたい
やっぱり自分を持っている
何かを続けていける
年を取っても
今の自分が若いだけでチヤホヤされてるっていうのも
自覚してたわけですよ
だから綺麗だねって例えば褒めてもらったら
綺麗なだけで
ノータリンだねって言われてるように聞こえてたんですよずっと
綺麗だねって言われても
ありがとうございますとか
すごい褒めてくださってとか
そういう発想にはならなかったんですよ
その頃から
だからもうすごい
やっぱりそれもコンプレックスですよね
自分の中で何もないっていう
例えばその時に
自分が
例えばお医者さんになりたいとか
学校の先生になるんだとか
そういうことがあって
職人的な資格を取るとか
っていうことに目覚めてたら
30:00
多分なかったんでしょうけど
何もなかったですから
そのアナウンサーとかナレーションに関しても
そこまでは思ってなかったんですか?
喋りたいと思ってましたけど
こういう言い方失礼なんですけど
喋るのなんて誰でもできるじゃないと思って
いるわけですよ
だって今のテレビなんか特にそうなんですけど
もう本当にMCを
お笑いの芸人さん達がやる時代じゃないですか
アナウンサーの人じゃないとできないわけじゃないじゃないですか
でもそれでじゃあ何なんだろうなって言った時には
個人の魅力っていうか
何がその人を魅力的に見せるのかなって考えたら
やっぱり考え方とか
知性とか
言動じゃないですか
同じMCをやっても
最後の締めの一言が
えっそうよそれ言って欲しかったよ
っていうようなことが言える人だったら
息抜いていくじゃないですか
でもそれが私にはなかったから
喋れるだけじゃダメだって思ってたし
若いうちはやっぱり
今はちょっと違うのかもしれませんけど
その当時はアナウンサーの人とか見てても
若いうちの何年かはすごく使われるんだけど
やっぱり年取ってくると
強制的にラジオに回されたりとか
通販をやらされたりとかしてるのを見て
なんかそういうことをやるために
アナウンサーになりたいわけじゃないよね
なるほどね
そういうことを思い出してましたね
今回陽子さんの2回目のお話でしたけども
今のこのほがらかな陽子さんからは
ちょっと意外なくらい
コミジアンだったっていう話が
結構私は聞いてきたんですよね
特に小学生時代とかね
幼稚園とかほらお母さんがいつも
陰から幼稚園に覗いてたとか
っていう話とかね
でも私って結構他人事ではないんですけど
うちの子がそんな感じなんです
そうなんですね
まさしくそんな感じなんです
どうしましょうと思って
でもほら彼女みたいに
放送部に入ったことがきっかけでね
放送部ないですもん
演劇とか
演劇はね
人前で何かをするとか
なんかそういうきっかけがあって
人見知りから
コミジアンから抜けてくっていうところも
素晴らしい先生との出会いですよね
そうですよね
あとやっぱり彼女の大学時代の話を
伺っていて
もう本当にバブルの頃の話だなっていう感じも
思い描けますよ
そうですよね
そういうブランドものを着飾っている中で
フランスに行ってみたら
フランスの女の子は全然違ったと
33:02
40代の人がすごく大切にされて
綺麗だみたいなところのギャップ
これはやっぱり確かにバブルで
日本の感覚で慣れているのは
ちょっとびっくりしますよね
そうですね
でも私バブル時代に
フランスに来てみたかったなと思いました
来る予定にもしてたけど
キャンセルになったりとかもあったので
来れなかったんですけど
私実は卒業旅行
ギリギリバブルなんですけど
ほとんど最後の最後なので
私卒業旅行ずっとパリだったんですね
1ヶ月くらいいたんですけど
いたんですよ
もう1ヶ月ずっといたんだけれども
確かにこれ洋子さんほど
私別にホームステイって感じではなかったけれども
やっぱり大人の女性がすごく綺麗だなとは思った
あと学生さんはすごく地味だと思った
今でもそうですよね
今でも本当にその通りだし
洋子さんの時代と変わってないと思うんですけど
だから流行とかそういうのに一切
ブランドとかね
なんか左右されない感じがね
ここの街っていうか国
しますよね
だから本当に大人になって
仕事もしてお金が出てきた後に
自分で稼いでるようになってから
投資っていうかね
洋服とかにもバッグとかにも
投資していくっていう感じで
別に学生でヒール履いてる子なんて
1人もいないですよね
今でも1人もいないですよね
スニーカーかバレーシューズか
外国人になって
そういった職業に就いて
きちっとした場所に行かなきゃいけない人は
ヒールとか履いてますけど
そうでなければみんな結構
スニーカーとかね
だからそれを20代で彼女は
体感したわけですよね
彼女の言葉で
すごい印象に残ってるのは
自分は天狗になってたけど
私には何の価値もないっていう
若さだけの価値って
全然こっちでは価値ではないっていう話が
これ多分今でも全く一緒ですよね
若さであることは全然
確かに価値を置いてないですよね
ないですね
だからなんか彼女の話を聞きながら
今も同じだよなって思って
変わってないですね
これもフランスの感覚なのかな
っていう気がしました
3回目はですね
生態の話をもうちょっと詳しく聞いているので
この続きもまた来週楽しみにしていてください
この番組は毎週金曜日を目途にお届けしています
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iTunesやPodcastのアプリの
36:02
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また来週の
パリから学んだブレない自分の作り方を
どうぞお楽しみに
さゆみさんありがとうございました
ありがとうございました
秋でした