00:14
こんにちは、アキです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさやみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最近のニュースで見たんですけども、やはりこの日本の記事ですけど、
外出の自粛をすることで、やっぱりストレスがたまってる人もいるっていうのもあると思うんですけども、
ペットを飼う人が増えているって聞いたんですよね。
売り上げ的にも伸びているし、それが何のペットなのかっていう種類は出てなかったんですけど、
やっぱりみんな家のサイズによってまた違うのかもしれないんですけど、
結構増えてるっていう記事を読んだんですよね。
で、実はうちも飼い始めたんです、ペットを。
どのペットですか?
ハムスター。
かわいいじゃないですか。
私は犬とか鳥とかリスとか小さい頃はね、
ちょっとリスと似てるかもしれない。
似てる、ちょっと似てます、面白い。
だからそういう小動物と犬っていう感じだったんですけど、
ハムスターは一回も飼ったことがなくて、
元々癒しが欲しくて飼おうとかしたわけではなく、
たまたまご近所の人が、
なんと外出禁止例の直前、前日に13匹産んだんですよ。
ハムスターが?
ハムスターって13匹生まれるんですね、赤ちゃんが。
やっぱりこうやってどんどん繁殖していく動物なんですね。
その代わり、例えば生涯というか生きる年数は短いんですよ、ハムスターって。
1、2年とか?
2、3年。
ハムスターは妊娠期間が2週間。
その飼い主さんは1回メストースで飼ってたんだけど、
メストースのケージにいて、
なんかで1回飛び出しちゃったらしいんですよ、オスが。
なんかの1回で?
そう。
で、その2週間が妊娠期間なんですけど、
2週間の間にメスがどう変化してるかも気づかず。
お腹とかも大きくならないんですか?
そんなに分からなかったんです。
動きがめっちゃ鈍いとかそんなのもなく、
もともとそんなにぴょんぴょん飛び跳ねる感じじゃなかったのかもしれないですけど、
夜まで普通に一緒に遊んで寝て、朝起きたら、
03:04
ニョンニョンニョンすごい音が聞こえてきて、
なんだと思ったら13匹いたんだって。
普通に勝手に出産してるんですね。
で、おっぱい最初はあげてて、
それがまさに外出の禁止令が出る前日に生まれちゃったんですよ。
で、彼女も困り、
アパートの壁にあったりとか、
あとそういうサイトで欲しい人いませんか?みたいな感じでやって、
で、10匹嫁入り、向こう入りっていうのかな、そういう様子。
結構見つかったんだけど、
3匹まだ残っていて、
その3匹、どういうつもりかを、
そのかわいい3匹をまだ手元に残してたんだけど、
たまたま私と連絡を取る機会があった時に、
興味あります?と、まだ残ってるんですけど、
3匹残ってて、全部3匹家で飼うってことは多分できないから、
まあ、親はまだいるからね。
だから、興味あります?って来て、
で、ハンパって思ったんですよ。
でも、やっぱりそういう植物系のお店とかって空いてるんでしょ?
トゥルフォーっていうとか、空いてるみたいだし、
時間が変わってるけどね、変更されてるけど開館時間が。
でも、買い物行こうと思えば行けるし、
どう?って聞かれたら、子供たちは大喜びで、
まさかのうちの夫が反対みたいな。
そこからプレゼンテーションが始まったわけですよ。
プレゼンしなさいと、なぜ買いたいか。
そのモチベーションもね、
結局私が面倒見るっていうのじゃ困ると。
だから、自分たちで責任取って、
ちゃんと飼うっていう意思があるためにも、
ちゃんと説得しないと、
パパはうんと言わないよみたいな、
そういう話になり、
ママも手伝ってくれとか言われたんだけど、
私はミニマムでしか手伝えないって言って、
フォローはするけど、私はプレゼント手伝いはできないって言って、
そこからどっちかってお兄ちゃんなんですけど、
ネットでぶわっと調べまくって、
何が必要か、どういう生き物か、
みたいなものを全部、
今ね、Google先生で見ればすぐ調べられるので、
調べて、結局最終的には、
自分のお小遣いから買うっていうことで決着したんですよ。
すごい、じゃあ自分で出したんですね。
一応今のところ親がまだ出してますけど、
一応引き換えで、
お小遣いから出ていくよっていう話をして、
06:00
お小遣いの分が出て、
要は彼らにとっては、
ゲームのために取っておこうと思ってたお金を、
ハムスターに行くために。
その覚悟はあるか?みたいな感じですよ、まさに。
でもやっぱり買いたいって言って、
あんまり待たせてるところで、
まだ今すごい赤ちゃんなんですけど、
ハムスターって生涯が短いから、
あっという間に大人になっちゃうから、
だからせっかくだったら赤ちゃんの時期をね、
ちょうど1ヶ月くらい経ってるのかな。
だからあんまり大きくなる前に、
っていうのはあるけど、
でももちろん外出禁止が解除されてからでも全然いいですよ、
って彼女は言ってくれていて、
どうするって言って、
それでケージを注文したりとかして、
5月の前半に、
はやにやってきたという感じですよ。
ほとんどペットですね。
ペットライト初めての。
だから最初はバカンスどうするんだとか、
夫もね、いろいろ言ってたけれども、
今年夏どうせ出れないでしょ、みたいな。
そういう感じだし、
ある意味、
やっぱり自分たちが子供で一番小っちゃい存在っていう立場から、
自分たちが守らなきゃいけないっていう存在が、
家族が増えたことによって、
ちょっと期待してるし、
ちょっと責任感とか、
自主性っていうのかな、
これそろそろお水買いなきゃって、
もう買えたばっかりじゃんっていうような、
この人はパパになるとこうなるんだなっていうのを、
ちょっと垣間見れる。
ちょっと先読みできそうですね。
いいな、これ見たいな、うちの子供。
ぜひぜひ。
だからお家に行き来できるようになったら、
ぜひぜひ見に来てほしい。
やっぱりお父さんとか、取りに行った時にね、
お父さんとお母さんも見たんだけど、
やっぱりお父さんお母さんの大きさから見ると、
全然やっぱりちっちゃいし、
ほんと手のひらに乗るぐらいの大きさなので、
かわいいでしょうね。
かわいいし、
やっぱり遊んであげたり、
面倒を見てあげたりっていうのが、
結果的にはうちも癒しになってるみたいな感じ。
良かった、いいな。
うちの癒しはYouTubeのインコさんですよ。
インコ?
日本のYouTuberさんで、
うめちゃんっていう適正インコと、
ごまちゃんっていう小桜インコ、
パセリっていうやっぱり小桜インコなのかな。
今はうめいにされて、
YouTubeでいつも見せてくださるのは、
09:01
適正インコのうめちゃんのおしゃべり。
めちゃくちゃうまいんですよ。
しゃべるんだ。
しゃべる。
すごいしゃべる。
うめちゃんはポカポカ星からやってきました。
ポカポカ星人ですとかね。
うめちゃんはちっちゃいから、
いっぱいとかおしゃべっただけとか。
上手だね、日本語が。
かわいい虫さんの言ってること、
すごいしゃべるんですよ。
本当にびっくり。
私も適正インコ買ってたからよくわかるんですけど、
結構教えてましたけど、
そう簡単にはしゃべってくれなかったです。
そうですよ。
普通そっちは当たり前。
しゃべらない方が多いですね。
だからそこまであんなしゃべれる適正インコって、
なかなかいないので、
かわいい虫さんが相当つけてるっていうのと、
あとはもともと頭がいいのがすごいなと思ってて、
うちの子供たちがそれを見つけて、
あまりにもかわいいんで、
似顔絵を描きたいって言って描き始めたんです。
昨日の方は漫画にするって言って、
自分で漫画のストーリー考えて、
コマを割って、漫画を描いたんです。
それをユーチューバーさんに送りたいって言って、
ユーチューバーさんにコメントをして、
そしたらこちらのメールアドレスに送ってくださいって言われたので、
送ったんです。
なるほど。
そういう感じでコミュニケーションできたんだね。
そうなんですよ。
最近の、一番最新の、
うめちゃん、ごまちゃんの動画を見てると、
最後の方に長男さんも描いた絵を紹介してくださるコーナーがあるんですけどね、
そこに紹介してくださってて、
自分の名前も紹介されてても、
長女も長男もすごい感動してて、
大喜び。
どうぶつがらみのことで、
何かこう、あると本当に嬉しいみたいですね、と思ってね。
ましてや、飼い主さんが、
ちゃんと受け取ってくれたっていう、
そういうのもあるだろうしね。
日本とフランスでこうやってつながって、
嬉しいみたいで、
娘にもあったみたいで、
すごい嬉しかったと思ったんですよ。
でも飼い主さんも嬉しかったんだと思うんですよね。
フランスから子供が見てくれて、
絵まで送ってくれた。
漫画まで作っちゃったからね。
私もびっくりですけど、
こんなに愛情を込めて育ててるんだなぁと思って、
すごい癒しのパワー。
癒しのパワー。
だから本当に、
別れがつらいとかね、
12:00
私も犬飼ってたし、分かるけど、
昨日一昨日ぐらいにしたの子が、
夢を見て、亡くなる夢を見たとか言って、
ちょっと早いだろうと思って、
悲しくてしょうがないって、
いやちょっと早いぞみたいな、
夢で先取りしちゃったかみたいな、
だからそういう問題はあるんですけど、
でもそれに勝る喜びっていうのもあるから、
大いい思い出ができると思いますよ。
本当に逆に言うと、
この時期に家にずっといるから、
だからそういう意味では、
よくこまめにケアもできるし、
私はなるべくノータッチ。
ワンちゃんじゃないんでね、
お散歩とかがないから、
ある意味楽といえば楽っていうのはあるので、
あんまり長くは生きられない動物なんですけど、
でも我が家に女の子が初めて来たんで、
娘が来たので、
女の子だから、
妹が妹じゃないのかな彼らにとって、
女の子が来たみたいなノリはあるかもしれないですね。
アムフターの性別ってどうやって分かるんですか?
私もよく分かってないです。
私、細かくまだ調べられてないですね。
でも何か違いがあるんだと思います。
やっぱりわかりやすく。
一応哺乳類だからね。
鳥もいまいちね、
赤犬もいまいち私分かんなかったんですよね、結局。
どっちかが上に乗っちゃうと、
この子はオスだったんだ、
初めて分かるみたいな。
それで分かるんだ。
そういうレベルじゃないと思うんですよね、
多分ハムスターは。
分かりやすいと思うんですけど。
多分もっと分かりやすいんでしょうね。
鳥は確かに、私も都外で飼ってたけど、
あらかじめこの子がオスで、
この子がメスだよって聞いてたから分かったけど、
鳥同士を見て分かってたかっていうと、
確かに分かんなかったですね。
分かんないですね。
なので、とにかく娘であるのは、
女の子であるのは確かなんで。
楽しいですね。
秋香にやっと仲間ができましたね。
女の子の仲間ができたので、
楽しみたいと思います。
それでは本編スタートです。
本編です。
前回もお話ししたように、
早川さんの私に対するインタビューを
じっくりしてくださった第2回目です。
15:01
話してることもあるかもしれないんですけど、
あんまり表に出てない話もあると思うので、
私の原点が見えるインタビューかなと思いますので、
ぜひ聞いてください。
少し見えてきましたけど、
その子なんだろうな、
ある意味中学ぐらいまだ厳格な中で育って、
高校で少し開いて、
大学で語学留学っていうのはありましたけど、
オーストリアとかドイツ語圏、
それがすごくご時にとって楽しかったり、
過去とつながったって伺いましたけど、
そこからさっきのアメリカっていうのは、
語学、英語ができるようになりたかった?
そう、ほんと英語でもいきたいなと思ったから、
英語圏で、アメリカで、
ボストンだったんですけど、
いいじゃないですか。
でもね、それがアメリカに足を踏み入れた、
今のところ最後なんですよ。
本当ですか?
その後ずっとヨーロッパだもん。
そうか。
だからアメリカ、
面白かったのは、
ボストンって東海岸じゃないですか、
英語を学びに来てる人たちが、
日本からもいたんですけども、
ヨーロッパの人が多かったんですよ。
クラスも本当に、
イタリア、スペイン、フランス、ドイツ、
そういうヨーロッパの人が、
東海岸だから来てたんですよね。
そこで結構ヨーロッパの人と交流をして、
またヨーロッパに目覚める、
みたいな感じになったんですよね。
だからアメリカは逆に縁がなくなっちゃったんですよ。
なんか面白いっていうのも変ですけどね、
さっきの話でも前後行ったり来たりしますけど、
そもそもフランス別に興味なかったけど、
けど一回縁できたけどそれも切れて、
っていうのもあるし、
今の話でもどちらかというと、
最初アメリカ行ってるけど、
その後アメリカ行ってないみたいな。
全く読めないですね。
読めないし、
何が起こるかわからないですよね。
私の中で将来アメリカに住もうと思ってたわけでもない、
っていうのもあると思うんですよね。
決めてたわけではないから、
でもやっぱりヨーロッパに縁があったんだな、
っていう感じですね。
その中学で、
いい意味で今ちょっと混乱してるんですけど、
いい意味でね。
心理学は中学で学んでたと。
学んでた。
やろうと。
例えば語学のは置いといて、
将来心理学者になりたいとか、
心理学を活かした、
それこそコーチングっていう定義が当時あったかわからないけど、
何かそういうもの、
カウンセラーも含めてやろうと思ってたとか、
そこと語学も必要だ、
18:00
世界も見たいみたいな、
どのくらいまで考えてたんだろう?
カウンセラー系のは決めてたんでしょ。
私の中でもカウンセラーになると思ってた時は、
あんまり海外とはつながってなかったですね。
つながってなくて、
やっぱり大学時代、
外に出たことで海外の目が開き、
当時、
心理学をやるには、
臨床心理士の試験が、
ちょうど資格ができ始めた頃だったんですよね。
で、それもあるのかな?
とか思ったけど、
大学院に行かなきゃいけない。
あとは、
教育現場とかそういうのじゃなくて、
基本的に臨床現場しかなくて、
医学的な現場しか、
働く場所がなくて、
今みたいに、
こんな差別化されてないというか、
細かくは細分化されてなくて、
当時はね、
まだ初期のレベルですよ。
心理学をやると思ったのは、
めっちゃ重たい学問なんですね。
当たり前ですけど。
こんなに重たいのを、
ずっと一日中やってたら、
頭おかしくなっちゃうなって思って、
ゼミの先生に聞いたら、
だから心理学をやってる人は、
変人が多いんだよって言われて、
その通りだなと思って。
ちょっとね、
外の目を、
外を見たくなったんですよね。
だから就職活動は、
心理学とか、
全然そういうのと関係ない。
そうなんですね。
どこ、どういうところ受けたんですか?
その時は、
フランスの彼と付き合ってたから、
割と長かったんですか?
割と長かったんですよ。
4,5年付き合ってましたよ。
フランスに行ける会社ないかな?
とか、商社とか。
デパートのバイヤーで、
行けないかな?とか。
あんまり業種は関係なかったですね。
海外行ければいい。
できればフランス行ければいい、
みたいな。
フランス語やってないくせに。
それで結局、
フランスの出版社ですよね。
出版っていうか、
雑誌の編集の、
それはコレクションで海外とかに
行ったりしてる人たちもいたし。
それはファッション?
ファッション。
ファッション系の雑誌だったんです。
ファッション、専門誌ね。
業界誌です。
一般誌じゃなくてね。
そこが決まっちゃったから、
これは、
一回死に、
また離れたんですよ。
ですよね、今の話でいくと。
でも、
21:00
ファッションの業界誌で
コレクションって出てくるとすると、
今度フランスには仕事で行けそう
いったんですか?
行ってないです。
行ってないし、
コレクションで行くの大変なんですよ。
ほとんど、
写真撮った、
デポート、
都寺をずっと眺めて、
いい写真を選んだりするから、
ほぼこもってるんですね。
出かけられないみたいな。
特に下っ端だと、
上の人たちは、
ジャーナリストとしてコレクション、
実際に見に行けるけど、
私たちのような下っ端は、
アパートで控えて、
出来上がった写真をひたすら
チェックするみたいな。
そういう感じだから、
私はもちろん行けなかったし、
1年で辞めたっていうのもあるんですけど、
でも、そういう意味では私が、
インタビューに目覚めたのそこですよ。
取材で。
取材してるんですもんね。
早川さんと一緒ですよ。
記者時代のそういうもので。
当時はね、
私一番、編集部の中でも、
新卒で入ってるから下っ端じゃないですか。
だから、
海外レポートの、
海外特派員がいる人たちの
レポのリライトをしたりとか、
ニュースレター的なね、
簡単なとこからスタートし、
ちょっと徐々に、
担当を持たされるようになってたんですよ。
その担当が、
ファッション小物だったんですね。
私の担当が。
つまり、バッグとか靴とか、
アクセサリーとか。
だから、大きなテクスタイルとか、
ファッションビジネスとか、
そういうのは別の先輩がやってて、
小物から入ったら、みたいな感じで、
やって、
小物の取材とかをいろいろやってたわけですよ。
そこで、
目をつけたのが、
ファッション系の小物、
特にバッグとか靴とかって、
職人が多いんですよ。
その職人肌の人たちの、
話がすごく面白いから、
商品を紹介するのは、
すごくもったいない。
それだけじゃ。
ということで、
インタビューを始めたんですよ。
まさに。
だから、靴じゃなくって、
靴に至るまでの、
その人のストーリーも全部、
分かる。
それを聞こうっていうのを、
組んで、
企画書をあげて、
OKもらって、
インタビューしまくったんですよ。
職人さんも。
楽しかったんじゃないですか?
それがめっちゃ楽しかったんですよ。
本当に。
めっちゃ楽しかったけど、
1年で辞めちゃったっていうのは、
それはね、
とにかく、
編集長が不在だったんですね。
うちの。
ちょうど私が入った時に、
編集長がいなくなっちゃって、
仕事はフル、
24:00
私がペペだからしょうがないんですけど、
日中、ほぼ9時から、
5時まで取材する。
で、帰ってきてから、
記事書く。
コロナ禍まで記事書く。
当時はね、
パワープロが出た頃で、
あの、
フロッピーディスクの
時代ですよ。
まだなんかね、
ドス変換とかうまくできなくて、
PCを持って帰ってたんですよね。
毎回。
家に持ち帰って、
修練に間に合うように帰って、
修練終わった後、
家でまたさらに書いてたみたいな。
あるあるでしょ。
新卒の女の子がやってたってことですよね。
そうそう。
ハードで、
編集長もいないから、
先輩たちもみんなちょうどやめるやめるやめる
みたいな話になってて、
あなたも次の身の振り方考えてきなさい
ってこと言われ、
で、
先輩たちは、ある意味、
経験積んでるから、
同じ業界で転職できるけど、
どうしようと思って、
ちょうど、
体もちょっと、
完全に壊すってとこまで
いかなかったけど、
ちょうどいい時かなと思って、
1年でやめて、
で、アルバイトしながら、
ちょっと、
転職、
第二新卒みたいなのがギリギリ、
ギリギリ通じる
っていう時代だったので、
バブルは完全に崩壊にしてましたけど、
できるかなと思って、
ちょっと休もうと思って、
やめたんです。
その時に、
私、やっぱり心理学に戻ろうかな、
みたいな。
そこも考えた。
大学院、今から行ってもいいかなとか、
それも考えるきっかけになるから、
とりあえず、
ちょっとやめちゃおうと思って、
やめた。
で、
でもアルバイト探そう。
で、アルバイトを探して、
一番最初に
見つけたアルバイトを
一番最初に見つけたアルバイトが、
次の転職先だったんですね。
それが心理学の。
心理学の転職先って何ですか?
心理学の転職先って何ですか?
それは、
ヒューマンリソースっていうような、
ビジネス的な、
心理学って当時は、
医学的なものしか、
私は頭になかったけれども、
人をどうやって採用するかとか、
採用した人をどうやって配置して活用するか、
採用した人をどうやって配置して活用するかとか、
それってその人のパーソナリティとか価値観、
それってその人のパーソナリティとか価値観、
そういうのに基づいて、
ちゃんとテスティングするとリスクが減るよ。
ちゃんとテスティングするとリスクが減るよ。
みたいなちょっと欧米式な考え方、
それがだからイギリスの会社だったんでしょうか?
それがだからイギリスの会社だったんでしょうか?
外資系になるんでしょうか?
外資系になるん жеゃじゃ。
外資だけど、は日本法人っていう感じで、
だから出張にはイギリスに行ったって言うのはあるんですけど、
だからそこで、
27:00
だからそこで、なるほど、なるほど、と思って
仕事の場面でどうやって人を生かすかっていうのは面白いかもと思って
アルバイトだったんですけど、時給が一番良かったから当時見た中で応募して
でもすごい、そこの会社も結局その採用してるから
そういうテストを受けさせられて、結構足切りじゃないけど、面接して
合格率だったと思うんですよね。で、そこをうまく入ってアルバイトから社員になったっていう
結果的に真理に戻っているんですよ、そこで。
その真理に戻ったのは分かったんですけど、でもまだ
パリにはまだ、結構遠いですね、パリにたどり着くまで。でもイギリスに近づいたんです、そこで。
僕、最初、あきさんと出会った時、パリのイメージしかなかったけど、イギリスみたいなキーワードをちょっと聞いてたから
そこでイギリスっていう会社に入ったことで、イギリスに出張を何回かさせてもらったり
その会社が世界何カ国にもあって、世界大会みたいな。で、私はその開発をやってたので、そのようは
早川さんが入りたいっていう会社が採用する時に、どういう人を取りたいかっていうヒアリングして、そういう人のプロファイリングを作ったりとか
だから、また私は嫌いだったのに、また統計に戻っちゃったんです。
統計を避けて心理学の勉強してたのに、結局また統計に戻って
だから、なんていうのかな、今思うと自分の意図とは関係ないところに、やっぱり引き戻されるんですよね。
でもそのプロファイリングっていうと、みんなね、映画とかドラマとかなんかで、そういうイメージとかキーワードは良くけど
そのあきさんがやってたプロファイリングって、例えばどんなことなんですか?
それは、例えばその会社が作ってたのは30個の因子なんですけども
一番大事なことは、仕事での心理学とその人の本当のパーソナリティーは違うっていう話なんですよね。
別に分けてるんですよ。だから仕事での行動にしか興味がない。
だからプライベートが、変な話、どんな人でも、全然仕事のパフォーマンスを上げてくれるプロファイリングだったらいいわけで
だから、あくまでも仕事のプロファイリングにこだわってるってことと、30個の因子があって、その組み合わせなんですよね。
だから無限にプロファイリングが起きる。
最初はデータ上で見てたんですよね。こういう人がいけるとこういうタイプですっていうのをやったり、
30:05
あと人事の人に面接の仕方をセミナーやったりとかやったので、そういう中でいろんなデータベースを聞いたり
こういう人がいるんですけど、これはどうやってデータに出てきますか?みたいな話とか、
そういうセミナーをやりながら私も学び、最終的には、これがまた24歳の時に、40代、50代の管理職のカウンセリングをしたんですよ、私。
これも大きなアレで、自分の父親世代の管理職としての悲哀とか辛さっていうのを生々しく聞き、そこでプロファイリングのデータベースが繋がったんですよね、いっぱい。
100何人以上やってるから、そこで。
それって、そのままダイレクトじゃないにしても、今の秋さんのコーチングというか、そこにもやっぱり通じてる部分もやっぱりあるんですか?
絶対繋がってます。私は、多分そのデータベースが積まれているのは、そこにあると思うんですよ。
そのプロファイリングを何万件も見てきたものっていうのと、あと本人を目の前にして、このプロファイリング、この人のどういうところに出てるかっていうのが繋がったっていう、
その経験が、だから結構コーチングしてても、直感的にどういうタイプかって結構わかっちゃうっていうのは、多分そこだと思います。
秋さんの番組を聞いててもね、今日の冒頭でも少しお話が出ましたけど、秋さんその直感というか、
うのうというか、結構そういうのをご自身でももちろん大事にしてきてやってるけど、でも結構肝心な部分はその作能的にというか、
そういうものっておっしゃってたんで、今秋さんそのだから直感的にできるっておっしゃってましたけど、その幕房には例えば今の話でいくと、そういう経験とかデータとかそういうものがきちんと、ある意味作能的なものがあるってことですよね。
作能はね、完全に後から積み上げてきたものだと思います。
あ、そうなんだ。
多分、ヘリクスだったからそんなに嫌いじゃないけど、でもやっぱり直感重視で、感情重視とかそういうのでやってきた人なので、
それをどうやって客観視するかとか、やっぱり全然トレーニングできてなかったなと思うんですよ。自分の10代を振り返ると。
でもそういうところでロジックを積み上げてきたっていうのが、結構今自分がニュートラルでいられる結構大きな要素かなと思います。
いやでも本当おっしゃる通り、今ニュートラルってキーワード言いましたけど、僕的には同じ意味でそのバランスの人だなっていうのがすごく思うので、
なんかその辺の増加積み重ねがあったってこと?
だから10代はもっとはちゃめちゃでしたよ。
そこは想像つかないですね。じゃああれですか、今でも当然10代の時のお友達とたまにとか連絡取ると、今のあきさんを見るとやっぱりちょっと変わったねって感じはあるんですか?
33:00
大学生の友達はそう思わないかもしれないけど、高校はこんな感じじゃないと思います。
そこまではっきり言われたことはないんですけど、でももっともっと感情の人っていう感じはあると思いますね、情感の人っていうか。
なんかちょっとずつパリとコーチング近づいてきた気がしますが、もうちょっとでイギリスからフランスに渡りたいんですけど、TGVかわかりますけど、どうやってそこから渡ったんですか?
だからイギリスはやっぱり自分の実践をもうちょっと理論的に勉強したいと思って、イギリスの大学院に行こうと決めました。
それじゃあ帰ったらやめて?給食ね。
給食して行って、一応戻ってくるぞっていう、なんかやめてもよかったんだけど、席置いといていいよって言われたので、
どうなってるかわからなかったから、経済的に。じゃあ一応残させてもらいますって感じで行って、
そこでいろいろ目覚めたんですよね、やっぱりイギリスの生活を。初めて長期の生活だから。
どこですか?ロンドン?
ロンドン、ロンドン大学だったんで、ロンドンで勉強しかしなかったんですよ。
ある意味本当に心理学部なんてほとんどネイティブの人たちばっかりで、私と一人台湾の子がいたのがノンネイティブだけで、
あと全員も例えばジャマイカとかカナダとか、結局英語圏の人たちばっかり生きてたから、
だからもう本当に人の3倍以上の量っていうかスピードがかかるので、
やっぱり勉強するしか時間がもうなかったんですよね。
だけど、一応本社がロンドンの郊外にあったので、自分の会社のね、だから遊びに行かせて、
学生だからもちろん働けないけども、資料を見させてもらったり、ボランティアで勉強させてもらえないかみたいな感じで、
週1回とか2週間1回くらい遊びに行ってたんですよ。
自分の終始論文の相談にも載ってもらったりとか、いろいろ行ったりして、行ってる中で、
いろいろな日本との違いを感じ、やっぱりこれはおかしいというか、この生活が私が求めてた方だなっていうのに気づいた。
それは具体的に何ですか?一つだけじゃないでしょうが、いくつか大きなものを挙げるとすると。
具体的には時間の使い方ですよね。やっぱり同じ会社で、私と同じ職種ですよ。コンサルタントっていう仕事をしている人たちが、
36:04
6時に普通に帰るっていう、日本では全然考えない。だって6時って私たちにとって第2部スタートですよね。
そこからエンジンかかってくる人とかね。エンジンかかってくるから、ここから終電まで頑張るぞ、みたいな感じじゃないですか。
でも私がまず、中論のシニアコンサルタントに、その終論の相談に載ってもらうときに、
悪いけど、私6時まで仕事時間だから、6時からミーティングでもいいかって言うから、もちろんいいですよって、6時に会いに行く。
そうすると、彼女のそばを同僚がどんどん帰ってくるわけでしょ。もう明日ねって言って。
で、必ず今日は何?って言うと、今日はフィットネスとか、今日はデートだとか、今日はこれから演劇見に行くとか、
え?って思って。自分と同じ立場の、これ全く職種が違ってたら思わなかったかもしれないけど、
立場一緒ですよ。そうっすね。で、これ普通?って言ったら、もちろん普通よって言われて、
そりゃそうだろうなぁと思い、で、私ちょうど28から9になりかけ、29の時かな?だったんですよ。
だから自分の30代を考え始めてたんですね。どう生きよう、みたいな。
って時に、こういう生活がしたいと思ったんですよね。もう20代、散々頑張ったし、働いたし、
私だって、会社の人間関係以外の人間関係とか趣味とか持ちたいし、それが生活だよなと思って。
で、そこで、これはヨーロッパに
残ろうとか、一回帰らなきゃいけなかったけど、移住し直そうと決めたのが、そこですね。
じゃあ、それまでは結構ね、いろいろご自身の意図、意思があってもちょっと違う感じだったり、
時間差があったりとかだったけど、自分の中で完全にカチッとハマるというか、目覚めて自分で人生をイニシアチブ取ろうと思ったのは、
やっぱりそこが一番大きいんですね。
もう完全にイギリスに行って、イギリスの生活、いろんな人の生活を見て、
で、ヨーロッパってこうなんだっていうのを感じた時に、
なんかもっと、仕事は好きだったからね。
嫌いだったわけでは全然ないんだけど、大好きな仕事もやりすぎると好きじゃなくなっちゃうっていうのを疲れ果てちゃってね。
心身共に疲れると。それをちょっと30代はもう一回考え直したいっていうのが、
やっぱりイギリスで、タイミングが良かったと思うんですよ。
39:00
そこで、日本はちょっとしばらく離れようかなと思ったきっかけになりましたね。
なんか日本が大嫌いっていうよりも、当然大嫌いなことはないと思うんですけど、
いわゆるヨーロッパのそっちのそういうライフスタイルとかを、やっぱり自分もやってみたいっていうのが大きかった。
そうですね。海外好きだったじゃないですか。
だから、1年経って自分がどう思うかっていうのも興味があったんですけど、
やっぱり、もっと長くいたいなって思ったのは確かですね。
それってちょっと細かい話ですけど、今のね、大きなターニングポイントを聞いている方も、
描写って僕もすごい思い浮かぶんですけど、本当になんかその、今、あきさん話した中でそのエピソードが、その瞬間って感じでハマったんですか?
やっぱりなんか徐々になのか、カチッとそういう瞬間が訪れたのか?
あ、でも徐々かもね、知れないですね。やっぱり、え?え?え?の連続で、
ああ、みたいな感じ。
なるほど。
だから、一個一個の事象が、いくつかパズルで重なっていった時に、
そっか、みたいな感じですね。
オフィシャルサイトはパリプロジェクトで検索していただき、お問い合わせから質問や感想をぜひ送ってください。
オフィシャルサイトからLINEアットやメールレターで有益な情報をお届けしているので、こちらもぜひ登録してくださいね。
また次回もパリで学んだぶれない自分の作り方をお楽しみに。あきでした。