マザーマシンの夢と工作機械の歴史
はい、こんにちは、常蔵です。
Design Review FMの第6回目、始めていきたいと思います。
このDesign Review FMは、世の中の様々なもの、
主に工業製品やそれに関わる出来事について、
私の主観で勝手にデザインレビューをしていこうという番組です。
なんでこんな設計をしているんだろうとか、
こういう設計にした方がいいんじゃないかっていう話を、
無責任にしていきますので、
気軽に聞いていただければ幸いです。
って感じで毎回紹介してるんですけど、
あんまりデザインレビューっていうのをしてないですね。
前回はですね、技術士二次試験の筆記試験の振り返り
っていうところにお話しさせていただきました。
今回は、〝マザーマシンの夢日本工作機械工業史〟
っていう本があるんですけど、
それを読んでの話と、
技術士の勧めっていう、
晴山さんって技術士の方がやられているスペースです。
あ、Xですね。
Xのスペースでお話があった技術者倫理っていうところを
ちょっと絡めて話をしてみようと思います。
では本編をどうぞ。
はい、本編です。
まず前半はですね、〝マザーマシンの夢〟。
特題が日本工業機、
日本工作機械の工業史ってところですね。
この本について話をしてみようと思います。
マザーマシンっていうのはですね、母なる機械、
機械を作る機械っていうところで、
工作機械のことをマザーマシンと呼んでいます。
この機械を作る機械の120年の歴史について書かれた本が
この本なんですけれども、書かれたのがですね、
沢井実さんという方で、大学の先生のようです。
日本の工作機械の歴史なんですけれども、
この本に書かれた内容をちょっと紹介するんですが、
まずその1858年ですね、安政4年っていう時代なんですけれども、
オランダ製の工作機械16台が幕営、江戸幕府が経営している
長崎製鉄所っていうところに設置されたのが始まりです。
この工作機械っていうのはオランダからですね、
蒸気機関と一緒に来て、それによって稼働されました。
この長崎造船所とか製鉄所っていうところはですね、
兵器の生産などに必要な鉄を作るのと、
日本最初の蒸気軍艦を作った場所で、
その軍艦に必要な部品っていうのを工作機械で作ったわけですね。
この日本の工作機械の歴史の始まりから明治後期までは、
工作機械というのは輸入したもの、
イギリス、アメリカ、ドイツからですね、
輸入されたものっていうのが機能的に上位にいて、
日本製っていうのはまだまだそこまで追いつけないっていう性能でした。
明治後期まで日露戦争とかの戦時期に、
工作機械の需要が急増したんですが、
その戦争が終わった後、日露戦争後にはまた需要が下がるっていう、
今、令和の時代も変わらないその需要の波っていうのが、
この頃からあったようです。
そしてその次の第一次世界大戦時にですね、また需要が大きく増えます。
この第一次世界大戦っていうのはヨーロッパ戦争なので、
イギリス、ドイツからっていう国からの輸入っていうのはなくなって、
アメリカに依存するようになります。
この頃はですね、日本の工作機械メーカーの技術もだいぶ上がってくるので、
輸出っていうところも始まっていきます。
その輸出先っていうのはアジアとかインドだったようですね。
またその輸入が減ったので内需、日本国内向けっていうところも市場が拡大していきます。
その民間の機械製造向けっていうのが内需では一番多くて、
次に日本の海軍、陸軍向け、そして鉄道員向けっていうのが中心だったようです。
国内市場拡大っていうのは同時並行で進んだわけじゃなくて、
まず官民の兵器製造向上向けから拡大していって、
それに続く形で造船とか原動機っていう工業製品で市場が革新化していくってことですね。
これが1920年ぐらいまでの話のようです。
対戦後の1920年代っていうのはまた需要は低迷します。
1930年代は今度満州事変によって、再び軍需によって需要が拡大。
民間向けも増えているとはいえ、軍需のほうにやっぱり需要っていうのは採用されるんですね。
そして日中戦争の時期ですね、1939年には機械工業の中で最大の産業に
機械、工作機械、工業っていうのが成長していきました。
そして太平洋戦争時にはですね、航空機が重要な兵器っていうところになりまして、
その航空機を増産するために工作機械も増産するってことが突発となります。
ここで出てきたのがセンジ型工作機械っていうものなんですね。
どういうものかというと、航空機の大量生産に特化するために余計な機能をなくした、
できる限り簡単で簡潔な、単純な構造の工作機械。
ここにはですね、その材料、使う材料を節約するという目的もあったようです。
それを企業集団という各メーカーをまとめた集団を作って、
この集団はフライス版、この集団は船版を作りましょうというふうに分業してですね、
大量の工作機械を作っていったというところです。
この集団の中には、責任工場という主要部分の製作、組み立てを行う企業と、
その下にユニットとか部品製作を行う企業がぶら下がっているような構造をしていたというところです。
そして最後、戦後ですね、戦時期に向上した技術水準とかですね、
国の補助金制度だったり高度成長期によって1982年から2008年まで、
日本はですね、世界最大規模の生産額を記録するまでに、工作機械の工業というのが発展しました。
国内の強い自動車産業だったり、NCの工作機械化、NC化ですね、
あとは良いものとかベアリングメーカーの高い技術力にも支えられていたというところですね。
以上のようにですね、工作機械工業というのは、軍人によって発展してきた工業であると、
言っていいと思います。
その反面景気の波を軍人が作っていたというところもある。
軍人に頼ることによって景気の波ができていたというところです。
ここまで工作機械の歴史について話してきたんですが、
技術者倫理の話
後半はですね、技術者倫理の話をちょっとしていこうかなと思います。
9月5日にですね、Xのハッシュタグ技術士のすすめというスペースですね、
技術者倫理というテーマで3名の技術士の方がお話をしてくださいました。
その中で服部さんという方がですね、金属部門の技術士の方なんですけども、
堀越二郎のゼロ戦だったり、ジブリの風立ちぬというアニメの主人公についてですね、
堀越二郎さんの話をされていました。
戦争に使われるゼロ戦を設計するということとかですね、
航空で使われる飛行機のセンシティブな話なんですけども、そういった話をしてくださいました。
ここでですね、戦争の間の交易とは何か。
交易というのは公の利益。それは何だろうと考えさせられたんですよね。
前半で話したように、工作機械の発展というのは軍需、つまり戦争ですね。
戦争のおかげで発展したという面があるわけです。
ゼロ戦のように直接的な製品ではないんですけども、
当時の工作機械の設計者も、工作機械が戦争の道具を作るために使われていると知っていたはずです。
どういう気持ちで設計していたんだろうと想像してみるんですね。
設計者ですから、作るからには良いものを作りたいと思うはずで、高い精度、速い速度を目指すわけです。
それはイコール性能の良い兵器を作るということになるというところで、複雑なシーンだったんじゃないかなと思います。
現代の問題としての技術者倫理
そして最後になるんですけども、これは昔の話ではなくて、昔話じゃなくて、今もある問題なんじゃないかなと。
そこに目を背けないでいきたいですね。
ということで、最後は何を言いたいのかよくわからなくなってしまいましたが、
前半はですね、マザーマシンの夢、工作機械の歴史について書かれた本についてのお話。
後半はですね、技術者倫理についてちょっと絡めてお話をしてみました。
ではまたお会いしましょう。さようなら。