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スピーカー 1
自分を責めてしまうということ、あるいは、
責めてしまうことをやめられないというご相談は、
多分、ヤフー知恵袋上でもすごく多いし、
一般の悩みとしても多いテーマですよね。
スピーカー 2
そうですよね。あふれてません?
スピーカー 1
よく聞くね。普段からね。この言葉は。
スピーカー 2
私たちの誰責めのメインテーマと言っても過言ではない。
スピーカー 1
過言ではない。
この方は、責めてしまって病気にばかりなっています。
変わりたいのに変われない。
つまり、ご本人としては、やめたいし、責めるのやめたいし、
変わりたいし、もう病気になりたくないという思いを持っていらっしゃるので、
それはでもすごく良い方向性を持っていらっしゃると思いますよね。
気がついていらっしゃる。これじゃあまずいだろうなというところにね。
そうそう。これじゃあ自分がかわいそう。自分を受け入れられていない。
そして自分のどうなりたいというニーズが見えていらっしゃるので、
もうそこまで来たら、あとはもうだいぶ前向きにいける話なんですよ。
むしろ気づいていない場合の方がひょっとしたらしんどいのかなと思いますよね。
スピーカー 2
そうですよね。私もそっちの方の人なのでよくわかるんですけど、
全部自分が悪い、自分が悪い、自分が悪いっていうので、
終わらせてしまおうとしてしまう。
自分のせいにすればこの話は諦められる。
でも他に責めることにエネルギーを使いたくないという部分もあるんじゃないかなと思いますね。
スピーカー 1
そうなんですよね。だから自分を責める以外のやり方もわからないし、
かといって誰かを別に、人を責めるっていうのもそういうチョイスはしたくないっていうね。
すごいそれはとてもいいことなんだけど、
結果病気になるぐらい自分を追い込んじゃう考えでもあるので、
さじ加減を何とかしたいっていう悩みはたぶんいっぱいあると思うんですよね。
これ責めるってどういうことかなって考えてみると、
このご相談者さんの言葉を借りると、
なんでできない?なんで不安を感じる?っていう疑問形が入ってるんですが、
これをひっくり返してみると、なんでできない?をひっくり返すと、
できることしかない状態ってことになりますでしょ。
なんで不安を感じる?不安を感じるなんていけないよって自分に言ってるとしたら、
じゃあ不安を感じない人っていないじゃないですか、人間じゃないじゃないですか。
スピーカー 2
怖い怖い、AIかっていう。
スピーカー 1
そう、サイボーグみたいになっちゃうし。
理屈で言うとそういうことで、
いけなくないことを人生のどっかの段階から、
それは良くないことであるいはいけないことだっていうふうに、
なんとなく思っちゃってるまま、それを維持しちゃってるっていうことなんだと思うんだけど、
別にできないことの方が一人の人間のできないことが多いし、
不安にならない人間なんて一人もいないので、
全部ひっくり返していくといいっていうのが、
これ理屈の話ですけどね、
自分を責めてしまう時の自分に向ける辛辣な言葉をひっくり返してみると、
なんて無謀なことを私は自分に求めてるんだろうっていうのに、
ちょっと気づけるかもしれないなっていうふうにも思いますね、一つは。
スピーカー 2
ちょっとお聞きしたいんですけど、
自分を責めてしまう人って完璧主義っていう意味もあるんですか?
スピーカー 1
そうですね、結果として完全な姿ではないですか、
ひっくり返すと悩みがないとか、できないことがないとか、不安がないとかっていうことになっちゃうので、
それはすごい完璧ですよね、完璧な存在なので、
完璧主義っていうことにすら気づいてないかもしれないですけど、
結果として完璧主義的な発想になっちゃってるっていうのは多くあることかもね。
スピーカー 2
だからできないっていうことで自分を卑下しちゃうわけですね。
スピーカー 1
でもね、ある意味できそうなことについてしか自分を責めないじゃないですか、
例えば絶対できないこと、私ってバック転、2連チャンできないんだよねって、
こう自分を責める人はいないじゃないですか。
だからちょっとなんならできそうかもっていうことに対して、
あるいは人はできてるのに私はできてないみたいに比較したりなんかして、
なんで私できてないんだろうっていうふうに思うと思うんですけど、
でもバク転もそうだし、例えばすごい達筆な習字のような文字とかでもそうだし、
なんかねそこは範疇にみんな入ってないわけですよね、できないって自分を責める時も。
スピーカー 2
そうね、やっぱり自分の目の周りのことを考えて比較してると思いますね。
スピーカー 1
そうなんですよ。だからそれはそんなに嘆かなくてもいいことかもしれない。
例えばできないけどできるようになりたいなって思うことだったら、やってみるとちょっと進歩するかもしれないし、
鼻からも爆点のように鼻からどっちにしてもできなくていいやってことで悩んでるかもしれないので、
これは私はどうしたいと思ってるんだろうっていうふうに自分のニーズを振り返ると、
なんだできなくて別にいいじゃんってなるかもしれないし、
そりゃ世の中できる人はいるかもしれないけど、大谷翔平のようにみんながなれるわけでもないし。
そうね、無理だわね。みんながなっちゃったら逆に怖い世界だわ。
だからフォーカスがそっちにいってるってことだと思うんだよな。
できてないところとか、良い悪いで自分を見ると悪いところみたいに欠点とかね、そこに目が行ってるんだと思うけど、
でもそれって自分の中のありとあらゆる考えとか、ありとあらゆる行動とか、ありとあらゆるやってることの、
めっちゃほんの一部だと思うんですよね、それって。
例えばなんかできてないというとしたら、例えば職場でね仕事が、大体の人は多くの人はこれを30分ぐらいで片付ける仕事が、
例えば自分は1時間かかっちゃったとか、なんで私ってできないんだろうみたいになるとしても、
もうその30分で片付ける仕事が1時間かかっちゃうこと以外の残りの99.9%は別にそんなまずいわけでもなかったりとか。
スピーカー 2
そうですよね。だからフォーカスがそこにどんどんどんどんそこの部分だけにフォーカスされてしまうと、そこができないってことで全部を否定してることになってしまう。
スピーカー 1
そうそうそう。できない人みたいに全体が見えちゃってきて、
そういう見え方の問題ね。自分のフォーカスの当て方の問題で、実はなんでもないことが気になってるってこともあるし、
あとね、変わりたいのに変われないでしょ。この考え方を変えるっていうのは結構難しいんですよね。
考え方を変えるっていうのも、変えたいっていうのも考えじゃないですか。
考えで考えを変えるっていうのはこれはね、至難の技。
スピーカー 2
特にね、この自分を責めてしまうその考え方って、成長の早い段階でついてしまうっていう考え方だと思うんですよ。
やっぱりそれを急に変えるっていうのはなかなか難しいですよね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。ある意味ね、その本能的というか、脳がそうなってるというか、問題点を記憶するように人間の脳、前もどっかで言ったかな。
生物の脳はそういうふうにできてるので、あれしくじったなとか、あーちょっとあれまずかったなっていうことを記憶するようにできてる。
うまくいってることは記憶する必要がないからですよね。
だからね、ちっちゃい頃からなんとなくそうなってる、自分の心の働きってそれが当たり前に思っちゃうから、