2025-05-22 16:30

#49 「自責と他責」どっちがお得?傷つけ合わない関係性のヒント

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49回 Yahoo知恵袋からピックアップした質問「自責か多責か、どっちが生きる上で得か?」というテーマで話をしています。自責も他責も「正しさ」にこだわることで、ぶつかってしまい 結局どっちも損してる。 そこから抜け出す考え方について話をしています。こちらもおすすめ → #48「 自分を責めてしまう癖がやめられない~悪循環から抜け出すヒント」

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この番組は、臨床心理士の「ゆ―こさん」とキャリアコンサルタントの「ぼーちゃん」の二人が 「だれせめ」-だれも責めないコミュニケーション-を使って、お悩みやお困りごとの解決のヒントや応援メッセージをおしゃべりでお届けしていきます。
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#自分を責める #自責 #他責 #他人の責にする

サマリー

このエピソードでは、自責と他責のどちらが有利かについて探求し、コミュニケーションにおける責任の捉え方が議論されます。特に、他責派や自責派の感情や社会的な影響について考察され、正しさの概念が関係性に与える影響にも触れられます。また、正しさの相対性について議論し、心の平和を得る方法が探られます。

自責と他責の対比
みなさん、こんにちは。だれせめ相談室のお時間です。
だれせめ相談室室長で臨床心理師のゆうこさんです。
キャリアコンサルタントのおうちゃんです。
この番組は、ゆうこさんとおうちゃん、2人が
誰も責めないコミュニケーション、だれせめを使って
お悩み、お困りごとの解決のヒントや、元気になるメッセージをお届けしていきます。
今日のだれせめはですね。
自責と他責、どっちがお得というテーマでお話ししていきたいと思います。
いつものように、Yahoo!知恵袋からピックアップしました。
自責か他責か、どっちが生きる上でいいと思いますか?
個人的には、責任を誰かに押し付けているような人が得している気がするし、
世の中結局親ガチャだと思うので、他責派です。
というYahoo!知恵袋のご相談がありました。
これ結構面白いですよね。
面白いですね。どっちが得。
これズバッといくと、どっちもいろいろしんどいかなと思うんですけど。
どっちもね、どっちでもない方がいいとは思うんだけど。
そうね、バランスの問題かと思いますけどね。
そうなんですけどね。
でもこの方は、個人的には責任を誰かに押し付けているような人の方が得している気がするし、
その後の世の中は結局親ガチャだと思うので、他責派です。
親ガチャの文脈がちょっとどういう事情なのか、よくわかりませんけども。
この方は他責派ですと宣言されてますね。
でも気持ちはわかる。
正しさの影響
責められるより、責める方が気持ちが楽なのかもしれないとかね。
でもどうなんだろう。
もちろん、他責派の方って一概に全部言えないと思うんですけど、
他人を責めてるっていう自覚は少ない人の方が多いと思われるんですよね。
そうなってきますとですね、
他責派の方は、いわゆる他人に嫌われる確率の方が高くなるんではないかと。
孫徳の孫と徳にどこに観点を置くかによって、
これはどっちかに変わってくるし、あるいはどっちも孫だよって話になってくると思うんですけどね。
確かに他責派って言うけど、
他責的な言動っていうのは、
だいたい背後にあるのは、正しいことを言ってますよっていうメタメッセージが必ずあるから、
平気で相手を責めるというトーンで話せるわけだから、
正しいことを言ってるっていう意味では、本人さんの意識の中では責めてる意識はないんでしょうね。
ないですよね。ある人いらっしゃるんですかね。
中には責めてやろう、攻撃してやろう、打撃を与えてやろうみたいな。
そういうのは喧嘩とかでも、打撃を与えてやろうという意地悪な気持ちが起きることはありますよね。
自責、他責ってよくどっちがとかいう話にはなるんですけど、
根本は一緒なんですよね。自責も他責も。
そうであってはいけない、作用であってはいけない、あるいはこのようにあるべきだというべき論が背景にあるので、やっぱり正しさが背景にあるので、
自責の人は間違ってた、失敗しちゃったとかいけないこと、あるべきでないことをやっちゃったみたいな気持ちからそうなるし、
他責の人は今も言ったように、正しいことを言ってるっていうことの背景で責めるってことになるので、
ということはその前提に、世の中には正しいこと、正解、正しい回答があって、それから外れるのは外れた人は悪い、外れない人が偉いみたいな前提が見え隠れしてるんですけど、
これ自体がないんですよ本当は。これ自体がない。
世の中には正解はない。
ないです。はっきり言ってないですね。
正解らしき方向性とか、その状況状況によって、こっちの方が良かろうんじゃないかなっていう方向性はおそらくあると思うんですけど、
コミュニケーションの改善
でも、それはちょっと抽象度が高いところにあるんですよね。
例えば、自責と他責の人の関係性で言い合いみたいに、どっちが悪いとか、責められる、落ち込むみたいなワーッとなる関係性があったとしても、それはどっちもしんどいし、
どっちもに良い回答としては、責めることあるいは責められたと思うことによって、その関係性が悪化するじゃないですか。
どっちでもいいよっていう観点に行かないと、この両者は多分手が握れないというか、そこの観点に立たないと、譲るにしても、相手に譲るにしても、相手を責めなくてもいい、自分も責めなくていいっていう位置に行こうとすると、
ちょっと抽象度を上げないとね、簡単な言葉で言うと、細かい作法にこだわってたらというか、細かい点にこだわっていると、いつまで経ってもこの関係性の悪化の方に問題は移行していって、何も解決しないどころか、もうあの人とは会いたくないみたいなことになってしまうよね。
確かにあのもったいないですよね。例えばすごく友達同士で仲がいいんだけれども、その何かの方法を私はこう思うからこうする。いやいや、私はこういうふうなやり方でやってるんだからあんたが悪いでしょっていうその細かいところで喧嘩をしてしまったことで、お友達同士というその関係すらもぶっ壊してしまうのはとってもとっても残念なことですよね。
そうなんですよね。そもそもそもそもそこを望んでたのかって話ですよね。そこを望んでたわけじゃないのに、結果として論点がそっちに行っちゃうっていうのが、この責めるとか責められるっていうことの行き着くところでね、それは残念なことですよね。
まあ夫婦、ご夫婦関係もそうですよ。その人との関係がどうなりたいの。自分を責めるだったら自分との関係がね、どうありたいのどうなりたいのっていうところに立てれば、まあいいか。まあいいかとなるしかなくて本当に、そこにこだわるというか、結局こだわってるってことになっちゃうんですよね。
ちょっと引きで見ると。どうしても本当にそうじゃないといけないのって考えると、まあそんな責めて関係壊すほど責める必要がないとか、そんなに自分を痛めつけるほど自分を責めるような話でもないっていうことなんだけど。
でもこれもね、だからこれが正しいから私が間違ってるからっていうのがこのね、自責他責の背景にあるとしたら、そこをすごい意識的にそう思ってるっていうよりはもうオートマチックにそう思い込んじゃってる観点から多分責めたり自分を責めたり相手を責めたりっていうことが起きてるんだよね。
そうなんですね。それも最初に言ったように、これが正しいっていう自分が持ってるその思い込みっていうか下手すると思い込みが起点になってるじゃないですか。
で、それも最近のそのSNSとかメディアの傾向で、それをもとにして自分のその正しさの基準っていうのが設定されちゃってるというか振り回されちゃってるというか、それをもってこの話をしてる人も中には結構いるんじゃないかなって思いますね。
そうなんだよね。そうそう。なんかね、その正しい正しくないで言うと、本当にそのすごい抽象度高いところに持っていかないと、例えばその正しいからといって相手にこうずかずか土足で入ってて叱責するっていうのは正しかったらそれやっていいのかっていうと、それは正しくないじゃんってことに結果になったりとか。
だからなんか究極的にはその思いやりとか、相手がこれをどう感じるかっていう思いやりがあることの方が優先された方がいい。なんかそういうふうに考えると、倫理って言うとちょっとくさいというか言葉が硬いんだけども、なんかそのぐらいやっぱりこう、本来の目的に変えてみないとこの思い込みから逃れられないように。
なんか人間の日常生活とか、今のね現代社会っていうこともあるのかもしれないけど。だから多責の気持ちになっても、自責の気持ちになっても、ちょっとこうやっぱり話してみないとね、自分のこだわりについこう執着になっちゃってんのか、それともお互いに抱えているその共有している状況を改善しようとして前向きな気持ちで考えていることなのかって振り返ってみないとちょっとね。
そのとっさにはね、難しい。
そうなんです。
わかんないですね。難しいと思います。なんかよくあれと思って、例えば上司が部下に指導するっていう時は、部下が成長するためにって言って、こういろいろ言葉をかけたりとか指導するんだけれども、逆の立場から見ると、全部私のせいにしてって。
そういうふうに受け止めてしまうから、両方とも別に攻めてるつもりではないんだけれども、その関係性から見ると、肌から見ると、攻め合ってるみたいな形に見えちゃうっていうね。
そうなんだよね。幸せあるいは平和な関係ではない感じになっちゃうもんね。
自責と他責の視点
だからやっぱり正しさって根が深いなと思うんだよな。自分に向ける場合に、正しさを自分に向ける場合に自責になるし、誰か他人に向ける場合に多責になると思うんだけど、正しさって怖いというか危ない危険。
そうね。考えてみるとね。
有名な小説とかによく、正義ほど危ないものはないとか、正しさほど危険なものはない的な名言って結構、今思い出してないけどね、たくさんあるんだけど。
まさにそうで、それって状況変われば、そんなに正しくもないこともあるし、本当状況次第だし。
もっと言うとね、人間にとっては、あるいはこの社会、あるいはこの人間社会のこの一部の地域のこの常識の世界では、ある程度こっちが正しいとかこっちは良くないよねってあるかもしれないけど、
でも動物とか昆虫とか植物から見たら、何言ってるかそれもおかしいよみたいなこともあるから。だからなんだろうな、それは一体何にとって正しいのか。私にとって正しいのか、それとも私たちにとって正しいのかっていうところね、そこはすごい大きな違いなんだけど。
まあ結構普段生きてる上ではそこまでね、とっさには考えが回らないから、オートマチックに攻めたり攻められたりしちゃうんだよね。
そうですよね。じゃあ最初の質問に戻りますけども、ユコさんは自責と他責、どっちが得してるって思いますか?
私はね、それはどっちも損してるっていう答えが私の答えですけど、自分がどっちがマシかっていうと、私はまだ自責の方が楽かな。
私は楽。自責の方がまだ楽。だってなんとかできるじゃん。自責だと、一旦自分はちょっとあれいかんかったなとか、ダメだな、あれ自分ちょっとやっちゃったなって思うけど、仕切り直しができるけど、まあまあいいやとか、リカバリーが簡単だけど、
誰かを攻めちゃってる人生ってもうリカバリーできないじゃん、相手がいるから。そっちの方が嫌かな。そっちの方が損するかな。
巡り巡って損するような気が私もしますね。
ただ一つ、多席の人が得だなって思うのは、これ巡り巡って損したって思わなければ、人生をそのまま終えてしまえば、得で終わるのかなって気もします。
そうね。その人自身はそれで幸せのように見えるのかもしれないね。だからといって多席派を私は擁護するわけではございません。
正しさの相対性
ないけどね、そうね。どうなんだろうな。でも多席の人って、確かに巡り巡って結構しんどい人生を送ってるかなって思うね。
あれだよ、帰り痴を浴びるから。毎回帰り痴を浴びてるから。結構ね、帰り痴を浴びることで傷ついたみたいな相談もあったりとか。
言っちゃえば相手も噛みついてくるみたいな相互作用だから、やっぱり言いすぎるとあっちも何だとって激しいことを言うと激しいこと返ってくるじゃない。
キュウソ猫を噛むってやつ?
そうそう、キュウソ猫を噛むだから、それでこっちは今度被害者意識というか、やられたみたいになっちゃって辛い思いしたりとか。だからまあそうね、どっちもね。
だからこれは結構容易に本人の中では逆転もするんじゃないかね。
そうですね。さっき言ったように、キュウソ猫を噛まれて初めて多席してたっていうのがわかるってこともありますからね。
そこでわかればね、まだああそっか、あれはちょっと多席だったなってわかればいいんだけど、そこでまたなおさらね、いやでも間違ってないからって。
僕は間違ってない、私は間違ってないから、やっぱり僕は正しいとか私は正しいってなっちゃうと、まあ引き続き頑張ってねーって感じの人生になっちゃうね。
もう突き進んでいただく以外に。
そうだね、そうだね、なんかでね、どっかで。
で、正しい正しくないのフレームから外れられない苦しみっていうのは、まあ今そういうステージなんだろうなってことで、まあいつかね、それが外れた時に心の平和は来るんだけど、でもそれ来てみないとわかんないからね。
あ、そこにこだわらない生き方ってこんなに気持ちが楽なんだっていうのって、そこの地点に行かないと気づけないからね。
はい、ということで今日は、自責と他責、どっちがお得という面白いテーマでお話をしていきました。ゆう子さんありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
だれすめ相談室ではご相談のお便りを募集しております。どんな小さなお悩みでもOKです。
こういったテーマを扱ってほしいというご意見も大歓迎。
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来週も木曜日の夜18時に公衆いたします。お仕事帰り、週末に向けてあと一息という夜にお聞きいただければと思います。
では次回のだれせめ、お楽しみに。
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