00:03
みなさん、こんにちは。だれせめ相談室のお時間です。 だれせめ相談室室長で臨床心理師のゆう子さんです。ようこそお越しくださいました。
ようこそ。アシスタントでキャリアコンサルタントのぼーちゃんです。
だれせめ相談室は、職場や家庭での日常的なお困り事を、だれせめを使って解決するべく、役に立つ考えや具体的エピソードなどをおしゃべりでお届けしていく番組です。
ところで、ゆう子さん、だれせめって何ですか?
だれせめについて説明します。
だれせめとは、誰も責めないコミュニケーションの略。
何か問題が起きたとき、私たちはつい、あの人のせいで、とか、自分のせいで、などと考えてしまいがち。
でも、誰かを責めても問題は解決しないどころか、もっと悪い状況になってしまいます。
だれせめとは、そうならないためのコミュニケーションのことです。
この相談室では、だれせめの考え方や物の見方を使って、問題解決のヒントをお届けしていきます。
はい、今日のだれせめ相談室は、
お悩みのご相談がないので、また、ぼうちゃんのお悩み第2弾ということで、ゆう子さんに私のお悩みを聞いていただこうかなと思います。
はい。
私、例えば何か選択しなくちゃいけないこと、選ばなくちゃいけないことって、いろいろあるじゃないですか。
例えば、Aを選びました。
なんでBをあの時選ばなかったのか。
自分の選択間違っちゃったかなーっていうので、
週間ぐらいずっと引きずって、落ち込んでたりとかすることがあるんですね。
そこからなかなか上がり上がれないっていうことがあるんですよ。
どうしたら後悔しないようになるかなって思ってるんですけど。
なるほどね、後悔、後悔するか。
それは、あっちを選択したら今よりもっと良かったのにっていう感じなんですか?
そう、たぶん今よりもあっちの方がいい結果を生んだんじゃないかなって思っちゃうんです。
ほうほうほうほう。
それは後悔っていうことは、その取った方の選択が間違ってたんじゃないかなって後悔ってことですよね。
そう、あっちの方が今よりも良い思いをしたんじゃないかって思うわけです。
なるほど、なるほど、なるほど。
03:00
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないんだけど、何がどうなるといいんですか?
選択失敗したくないんですけど。
失敗したくないね、なるほどね。
失敗しないはでも無理よね。
失敗しないは無理なんで、めちゃめちゃできたAI的な存在では失敗しないのかもしれないけど、
人間である以上失敗しないは無理なんですけど、引きずるのがしんどいのかな?後悔するのがしんどいのかな?
なんでこんな選択をしてしまったのかなって、自分の能力の無さが嫌なんです。
なるほど、そこに行っちゃうから、そうかそうか、ということは誰せめ的に言うと、
自分の至らなさのせいでこんなになっちゃってっていう、自己嫌悪的な感じ?
そうそう、そこに必ず行き着くんですよ。
さすがネガティブ思考の坊ちゃん。
自分を責めるんですよ、最終的に。
自分を責めちゃうんだ、そうかそうか、なるほどね。
じゃあ、間違えた選択をしたのが良くなかったと、間違いは良くない?
間違いは良くないっていう前提がある?
ある、もちろん。
間違いは良くないんでしょうかって、まずちょっとね、ここでテーマとして取り上げたいんです。
で、何がいけないんだ?間違いの。
間違ってるから、良くない方に行っちゃうわけでしょ?って思うから。
そうかそうか、だから間違うべきではないと、基本的にできるだけ間違うべきでないっていう、
ある種の理想というか、考えがあるわけよね。
多分間違ってもいいじゃんっていう風に、なんかそういう、頭の中では分かってるかもしれないけど、
でも自分としては、この間違ったことを選んでしまった自分が、絶対に許せないと思ってるんですよ。
厳しい、厳しいよね自分にね。
まあいっかとか、まあでもこっちは選んだら選んだで、良いこともあるかもみたいにはならないんだ。
ならない。
そうか、じゃあ、えっと、でも選ばなかった方のメリットしか見えてないから後悔してるんだけど、
そっち選んだ時にも多分デメリットはあるよねっていう。
どっちを選んでもあっちにすりゃ良かったってなるんじゃない?
多分ね、そうなんね。
もちろんね、選ぶ時もそう思うわけど、メリットデメリットっていうのを一応考えて、
選んではいるつもりなわけですよ。
そもそもね、選ぶときにね。
でもね、選んだ後に、あっちの方がもしかしたらメリットが大きかったかもしれないなって思っちゃうわけですよ。
06:07
そうね、ハンバーグにしようかカレーにしようかと、
ハンバーグ頼んだはいいが、もう突然カンバーグ見た途端カレーが食べたくなったりするみたいなね。
そうか、それはね、そうなるとさ、後悔する、それを2週間も引っ張ると辛いと。
そういう時どうしてるの?後悔する2週間があってなる。
どうしてるの?そこから対処行動としては。
なるべく考えないようにするかな、あっち選んじゃったことについて。
それはでもなんか効果がなさそうな。効果ありますか、それで。
考えないようにする。そのうちね、忘れていければいいけどね。
2週間でも後悔し続けるっていうのこれもしんどいもんね。
そこはネガティブな人なんで、ネガティブなれしてるというか。
まあそれ、ある意味すごい今のね、ネガティブなれしてるからまあいっかみたいな。
なんかね、それはそれでちょっと今ユーモラスだったけど、
なんかね、諦めてるような諦めてないのようなどっちなんだみたいな、今の話。
そうそうそうそう。
例えば後悔しててもさ、後悔、あたし2週間この話で後悔してるわってなっても、
まあでもあたしネガティブ女だからなって思えるってのはそれいい解決だと思うけどね。
いやでもこれ本人はつらいですよもちろん。
そうですね。
なんでか自分を責めてますからやっぱりそれはね。
まあでもそれは大事なキャラかもしんないよ。
後悔してる間に全く何もできなくなるとかだってやばいけどね。
どうなんですか、後悔してる2週間っていうのはどんな風に推移していくんですか。
もちろんその後悔度は薄れていくわけですよ。
ずっとドッペンのままだと2週間以上引けるんじゃないかってことだ。
だんだん薄れていって、最終的にはあっちじゃなくてもよかったのかもしれないって。
なるほど。じゃあ一応何だろうな、自然治癒というか、
自己治癒力で2週間後にはまあおおむね、まあいいかってなってるとしたら、
それはそれでいいような気もするけど、まあでもその2週間がしんどいんだよね。
極端な話、時々また復活する時ももちろんあるわけですよ。
再認するわけよ。
1年後とかね。
ああ、1年後に思い出す。大きい話だね。
あの時みたいなね、大きな決断の時とかね。
それはどうなるといいんですか、どうなると。
後悔しないようになりたいなって。
09:01
後悔しないようになりたい。後悔しないようになりたいか。
後悔しないようになりたい、後悔してしまう、後悔の頭の中に
ああすればよかった、ああもしかしてあっちだったかもって浮かんだ時に、
いやここは後悔しないようにしようみたいに取り組んでみたことは何かあるんですか。
多分ないと思います。
まずそれをやってみないとね、それをやってみて、後悔しないようにしようと思って
後悔しない、何かハウツーを編み出して、それでうまくいかない時には
より具体的な戦略は立てられるんだけど。
後悔しないってどうしたらできるのかが難しい。
後悔してる時の辛さが、例えばもし自分だったらどうだろうな、後悔するとしたら
もうその間しんどいと思う。後悔しないようにしようっていうんじゃなくて
後悔するのも苦しいから、今選んだ方のいいところにフォーカスしようかな。
さっきの話の逆なんですね。
もしかしてっていう想像の世界に行くと、今選んでる方が100万倍マシな状況っていうのもあり得るわけじゃん。
ちょっとあのロールプレイングゲーム的に考えると、Aを選ぶかBを選ぶかっていう時に
Aを選んじゃいました。でもBを選んだ時は良かったと思うけど、でももしBを選んでたとしたって
そしたらそっからスタートしてまた道が進んでって、次のまた選択肢、次の選択肢ってなっていく時に
結局どっち行っても同じなんじゃないかね、おそらくね。後悔する気持ちが浮かんできてもバスッと切るみたいな感じかな。
もしかしてそれ良かったな、でも考えてもしょうがないからやーめたみたいな感じ。積極的に切りに行く。
ましてやね、自分を攻める文脈で行くとすごいしんどいじゃん。
だから、しんどいのは嫌だの、もう一点張りで行くかな。
こんなしんどいぐらいだったら、今選んだ方を良しとする方が気が楽みたいな、なんかそんな感じのフェーズになっていくかもしれないね。
そうか、そういう考え方だと確かにね、そこまで引っ張らずに済むかもしれないですね。
だからなんかなんだろうな、自分の至らなさでダメなことをやっちゃったみたいになると、それこそ誰攻め的に言うと自分に原因があってっていう風にはね、その思考にはまっちゃうと逃れられないじゃん。
自分はずっと自分として何を考えても自分はついてくるので。
そうじゃなくて、誰のせいとかはさておき、私のチョイスのせいなのか、その時の運のせいなのか、その時のいろんな頭に浮かんだ要因のせいなのか、何のせいかわかんないけど、選んじゃったと。
12:11
で、選んでない方のことを後悔して選んでない方のことをあっちにすればよかったって考えると、今つらいので、今つらいので、あ、もうやめようと。
つらいのをやめようと。つらいのに頑張ってるとも言えるよね、そういうね、なんか。
そうね、そうね。
やっぱりその、やっぱり私を責めてるわけよね、自分を責めて、もっとおいお前、おい私、もっとちゃんといい選択しろよって自分に叱咤激励してるみたいな感じよね。
で、その時のその選択をした自分の能力が低いからって思っちゃうから、もっと勉強しなくちゃとかね、もうちょっと情報を入れなくちゃいけないとかって思ってしまうわけです。
そういうことね、それはもう二重三重にしんどいじゃんね、なんか失敗しました、自分をなんであんな失敗したんだって嫉妬する、さらにもっとやれよ、もっと頑張れよみたいに激励するようになると、いや、そりゃしんどいもんね。
でもそうしないと、きっと次に進めないと思っちゃうんですよね。
そうか、その時はね。
バージョンをアップしなければ、また同じ悪い選択をしてしまうんじゃないかっていう、またそこは不安に絡んでたりとかするわけです。
そうか、なるほどね。
でもね、究極それをね、その論理でいくと、まさにAI的な完璧、もうどの選択肢が来ても間違わんよっていう知識というか、そういうOSというか、持ってないと無理になるから、それはでもはなから無理じゃん。
そう言われてしまうとね。
でもね、自分を責めるってことは、ある意味ちょっと理想を高く置きすぎてるっていう節もあるからね。
うーん、そうなのかな。
理想っていうほどまで意識してない、意識的にこうでやりたいとかじゃないんだけど、逆に言うとそういう構造になってるなと思うんだよね。
失敗したとか、これじゃいい、これは間違ってたとか、これじゃダメだっていうのって、ダメじゃない自分っていうのがあるからダメだとなるわけじゃん。
ダメじゃない自分っていうのは多分、あんまり具体的にはイメージしてないにしても、理想を持ってるわけじゃないのに自分をダメだと思うっていうことは、何か内在化してる可能性があるんだよね。
みんな、私も内在化っていうのは、世間でよくこうあるのが理想的だとかね、こうあるのが良いことだよみたいなのって、悪いより良い方がいいよみたいなことって、
15:03
子供の時に勉強ができた方がいいとか、親があれしなさい、これしなさいとかって、しつけとか教育の範囲でも、こうなってた方がいいよみたいなのって、それを感じながら大人になっていくわけじゃん、学習して。
それってでもそもそも自分が選んだチョイスじゃないじゃん。その価値観をそっちの方がいいぞって言われて吸収してきてるから、
自分が理想として一から積み上げたもんじゃないんだけど、そっちに行かなきゃいけないっていうか、そっから外れてると自分をちょっと責めるとか、できてないと思うみたいなことってあるじゃないですか。
それを内在化って言うんですよ。人が考えてる、自分じゃない人が考えてる、こうあるべしとか、こうあるといいっていうのを、あたかも自分の理想化のように内側に収めちゃって、自分の中の常識のラインみたいなのをそこに外から来たものを置いちゃうっていうのを内在化って言うんだけど、
よくセラピーで外在化っていうのがあるじゃん。外在化。あれはその逆をやってるわけよね。自分のここが問題だ。つまりできてないとか足りてないとか、一般的なレベルに至ってないとかね。
そういうふうに思っている問題を、別にそれはあなたの問題じゃなくて、問題は問題として、あなたのものじゃないよと。問題は問題として外に置いても別に解決できるんだよっていうのが外在化だから。でも内在化してるっていうのは意外にみんな気づいてないんだよね、自分でね。
もう世の中がそればっかりじゃないですか。むしろそうなのね。逆にね。内在化してるとすら思わないし、なんならもう常識でしょうとか前提がこうでしょうみたいなところまであるから、だからある意味逆に全然自分を責める必要なくないって話なんだよね。
そう考えればね。そうだってわからないうちに教わって、こうがいいよ、ああがいいよって子どもで言うと大人とかね、言われて、ああそうですか、そうですかって受け取ってきたものの塊に過ぎないので、別に私が選んだ価値観だと別にそんなに重要じゃないよね、みたいなものも混ざってるわけだから。
逆にそうすると自分なくなっちゃいません?ほとんどが内在化したものだとすると。
そこが、イコール自分でもないよね。
例えば、お父さんお母さんが、こうした方がいいわよ、こうした方がいいわよ、いいよって言われたものも、無条件では受け取ってないじゃん。ある程度の年齢になると、それはお父さんお母さんの時代はそうかもしれないけど、私はそうじゃないよみたいに、それは違うぞみたいなものもあるじゃん。
18:07
だから、なんとなくこういう時ってこうするもんだろう、こういう時にどう返すのが、コミュニケーションどう返すのが一般的なんだろう、みたいなのも自動的にやってるので、それを失敗した時に限って自分のせいにするのって、ちょっとなんか、ちょっとなんか攻める先が丘どちがいじゃないですか、みたいな。そうも言えるじゃん。
なんか攻めるっていう文脈なのか、これ、それ必要なのか、みたいな。
そこまで考えるようにすれば、そこまで自分を攻めて、2週間後落ち込むことはなくなるのかなって。
まあでも、そこまで普通考えないもんね。
そうね、そうなんですよ。
それは考えない。だからよ、だから考えていくと、いかようにもこの抜け出るロジックみたいなものは、多分今ここで喋った2人が喋ってきたことだけじゃなくて、いっぱい道はあると思うんだけど、
結局はやっぱりその、後悔してるとか、自分を責めてる状態、今の苦しい状況から外れればいいので、私のせいで、私の無力のせいでって思ってる時には、いや、そんなこともないっていう、自分の中でこう、いや、そうだ、いや、そうでもないっていう風にね、会話を、内的な会話をするとか、そっから外れればいいわけ。
そうよ。しかもね、それはそれでね、なんかその、後悔しがちだっていうことを、別に悪いことと思う必要も実はなくて、後悔してる自分、つらいけど、でも後悔するしがちなくせに、メリットもあるからね、なんか慎重にちゃんとこう考えてるとか、真摯に生きてるとか、適当な選択はしてないとか、っていうこととも言えるので、だから後悔することイコール悪いことってわけでもないわけよね。
まあそういうふうにね、考えるようにできれば、まあ少しは癒されるかなって思ってるところです。
いつの間にか内在化しちゃって、いつの間にか自分の中に溜まっているその前提みたいなものが、それこそ価値観と言葉がもうピタッとくっついちゃってて、それ以外の解釈の余地がなくなっていると、あのしんどい、しんどくなるのね。
まあそれをね、この筋膜リリースをしましょうっていうふうに言うんですけど。筋膜リリース?筋膜リリース。言葉と価値観のピタッとくっついてると、もうその言葉を聞いただけで痛いってなっちゃうから、そこを筋膜リリースでマッサージをして筋と膜を離して、言葉と価値観を離して、もうそれぞれ自由にすると痛みが少ないっていうね。筋膜リリース説。
ちょっと取ってつけたようにしゃべっちゃいましたけど。筋膜リリースね。なかなかでもね、価値観と言葉って、やっぱり固まっちゃってるところって多いでしょうね、きっとね。多分ね。この言葉にはこの価値観とかね、私はこう思ってるっていうのは各自それぞれ持ってるものはたくさんあるんじゃないかなと思うんですよね。
21:18
なんか後悔もしちゃった時にはちょっとね、後悔ってそんなに悪いんだっけ、そもそもみたいにさ。なんかその筋膜リリース的にその剥がしてみるっていうのをひとまずやってみたらどうでしょうか。
そうですね。後悔と筋膜リリースが今結びついた状況。
何の話をしてんだよと。
今日はぼーちゃんのお悩み相談第2弾、後悔と筋膜リリースで終わりました。ゆう子さんありがとうございます。
ありがとうございました。
はい、最後までお聞きいただきありがとうございます。
この番組はスポッティファイ、アップルポッドキャスト、アマゾンミュージック、そしてYouTubeでも聞くことができます。
だれせめ相談室ではお困りごとを大募集しています。
応募方法は概要欄にあります。
ラジオネームでどんな小さなオーナーネームでもOKです。
お待ちしております。
では次回もだれせめ、お楽しみに。