お母さんの方にそれをすると、すぐ拗ねます。
正直話ができないレベルに拗ねられるのでとありますけど、
なんかね、このお母さんも可愛らしいなっていう気がするんですよね、私ね、雰囲気的にね。
なんか立場が逆転してる。
そうそう、この娘さんがしっかりと、このお母さんのちょっと残念な気持ちなのかな、
なんかちょっと寂しいさみたいなのが滲んでるんだけど、
それをうまく口を聞いてあげることですでに受け止めてあげてる、そんなお嬢さんがちょっとイメージできますよね。
なんかね、誰責め的にも誰も責めないっていう見方を私たちはずっとしてきてるし、
その見方、そのものの見方を皆さんにもずっと紹介してきてるんですけど、
例えばこういう相談を聞くと、ついついお母さんをなんとか、
この愚痴を言わないようにしなきゃいけないんじゃないかとか、
愚痴を言うお母さんの行動はまずいっていう風にね、
つい一般的にはそういうふうに思われるような、このご登校からすると、
このお母さん最悪よね、みたいなね、そんな感じになりそうなもんですよね。
そうですね、お母さんをどうやったら抑え込むかっていうところに、なんか視点がね、いっちゃいそうな。
普通に考えたらもうね、そうだし、このお嬢さんの年頃の、
例えば同級生とかね、お友達に相談すると、
無視しちゃえばいいんじゃないの?とかね、
そんなもうめんどくさいから、なんか部屋に入っちゃいいんじゃないの?みたいに、
お母さんをなんとか対処しようみたいになるかなと思うんですけど、
でも、だれせめの私たちから見ると、このお母さんはちょっと寂しそうに見えるとかね、そんな感じがします。
そうですね、この行動が一見ちょっとバラバラなんだけれど、
でも背景にあるものは統一されているような、そんな感じはしますよね。
そうなんですよね。
これがね、お父さんもそんなにお母さんに好きなことを制限されたりとかしているようですけど、
怒る様子もなく、娘さんもお父さんも、こういうお母さんのお母さんを言ってきても、
静かに受け止めている感じがあって、
お母さんからすると、それもまた一層ね、こう寂しさというか、
つい、さらに言っちゃうみたいな悪兆感になっているような感じですかね。
そして、これがですね、最後に相談内容としては、こういう家庭状況って結構普通だったりしますか?
はい、回答ですね。
父親に言えばいいでしょう。母親にもっと愛を与えてくださいと。
父親が母親に愛を与えないから、母親があなたに愛を与えられない。
スーッとシンプルな4行の答えなんですけどね。
なんと鮮やかかつ優しい声も優しい回答だなって私は思ったんですけど、
もちろん誰も責めてないですよね。この回答者さんもね。
お父さんに、お母さんに愛を与えてあげようっていうね、提案されてますけど、
すごいですよね。誰責め的じゃないですか。かなり。
誰が悪い、これが悪いって誰も一言も言ってなくて、逆に与えてあげてくださいっていう。
素晴らしい。
この回答を受けてですね、この相談者さんはすごく負に落ちたということで、
反省しましたとか、そういえばということでね。
父が愛情をくれないと何度も母が言っていたことを思い出しましたっていうことで、
もう解決ということで、回答を締め切られているっていう。
もうなんか私は陣とくるものを感じる。
この一連のご相談と回答と、この相談者さんの最後の一言だったんですけどね。
これは本当にパッと見つけたときに、本当に誰責め的な私たちのものの見方と
ピタッと合うような感じがして、合ってるような感じがして、なんかこう嬉しく思いましたね。
こういう流れで納得をしてもらうこともあるんだなっていうのって、
実際に目の前に事例としてあったのがちょっと嬉しかったですね。
そうは言っても、お母さんに対してやり返したいみたいな回答も、もしかしたら回答じゃないな、
この相談者さんの、いやそんなことじゃなくて、もっと私の母への怒りを聞いてくださいよみたいな、
そういうエスカレーションも一般にはよくあることかなと思うんですけど、
誰も責めずに、お父さんがお母さんに愛を与えるっていうことを、娘さんがそうだと思いますっていうふうに納得っていう、
なんといい形でね、ちょっと本当にほっこりするような、そんな相談でした。
こういうこの相談の、ご相談のこの流れのように、やっぱりね、誰が悪い、
あれのせいでこうなった、この人のせいでこうなった、あの人のせいでこうなってるみたいなものの見方じゃない方が、
やっぱり人間って心がほっと温かくなって、この場だったら、お三方ですね、この家族3人、もしかしたら兄弟いるかもしれないですけど、