2024-11-07 17:26

#23 トーク4 自己肯定感って上げる必要はない。上げる努力をするよりおすすめな方法

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23回 今回もゆーこさんとぼーちゃんのフリートーク テーマは「自己肯定感」。自己肯定感は上げなくてはいけないものなの? ゆーこさん「実は高くても低くてもどちらでもよいもの。上げようとノウハウ本を読むより、自分が好きなこと、夢中になれることをやることおすすめ」

こちらもおすすめ →#48 「 自分を責めてしまう癖がやめられない~悪循環から抜け出すヒント」

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この番組は、臨床心理士の「ゆ―こさん」とキャリアコンサルタントの「ぼーちゃん」の二人が 「だれせめ」を使って、お悩みやお困りごとの解決のヒントや応援メッセージをおしゃべりでお届けしていきます。 


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みなさん、こんにちは。だれせめ相談室のお時間です。
だれせめ相談室室長で臨床心理師のゆうこさんです。
ようこそ。
こんにちは。アシスタントで、キャリアコンサルタントのおうちゃんです。
この番組は、ゆうこさんとおうちゃん2人が、
誰も責めないコミュニケーション、だれせめを使って、
お悩み、お困りごとの解決のヒントや、元気になるメッセージをお届けしていきます。
だれせめ相談室、今日はフリートークです。
今日のお題は、自己肯定感について、ゆうこさんとお話をしたいと思います。
最近、自己肯定感を上げるためにとか、
自己肯定感をこうしたらアップするみたいな、そういう本やYouTubeをよく見かけるんですよね。
ありますね。
どうなんでしょうね。
自己肯定感って、やっぱり上げた方が、私なんかいいかなと思っちゃうんですけど、
皆さんそう思ってらっしゃるんですかね。
なんか高い方がいいっていうね、空気はすごく浸透してきてるなと思うんですけど、
でもこれ心理学的にはというのか、臨床心理学的にはというのか、
別にね、高くても低くてもそんなことはどっちでもいいっていうのが、
私の考えでもあるし、実際臨床的にはそういうこと、そういう扱いになってるんですよね。
なんか、自己肯定感は高い方がいいとか、上げた方がいいってなっちゃうと、
上げるように上がるように頑張ろうってなっちゃうじゃないですか。
でもそれは、そもそもの自己肯定感の定義からすると、とんでもないパラドクスに陥るっていうことになってて、
自己肯定感ってそもそも、別に何かがすごいからとか、何かができるからとか、優れてるから素晴らしい自己肯定じゃなくて、
別にそんなことあってもなくても、私はこれでいいとか、自分は自分でこのままでいい。
あるがままの自分で、これでいいのだって思える、それを本来は自己肯定感って言うんですけど、
それは上げなきゃいけないとか、高い方がいいっていう方に行っちゃうと、結果として今のままじゃダメっていうことになっちゃうので、
自己矛盾が発生するよねと。
誰せめてきに言うと、私なんかね、自己肯定感低いと思ってるわけですよ。
低い自分ってすっげーダメなやつって思っちゃうことも多いわけですよね。
だからこそ上げなきゃいけないって思ってしまうんだけど、そこはじゃあ低くてもいいってこと?
そうそうそうそう。低くてもいいし、別に低かろうが高かろうが、そこはいいんですよ。
それよりも、私自己肯定感超低いけど、でも私は私だもん、これでいいんだもんとか、
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私は結構自己肯定感高いですよ、だから私はこれでいいんだっていう、これでいいのだっていうところにポイントがあるので、
高くても低くてもそれは別にご自由にって感じなんですよね。
その観点でそんなに聞かないですよね。
なかなかそうなんですよ。ここがね、誤解されて広まってる概念の一つかなと思うんですけど、
高いほどいいみたいにね、高くしよう、頑張って高くしたら元気になれる、幸せになれるみたいな、
そういう文脈でね語られていることが多いんですけど、いや全然どっちでもいいっていうのが実際だと思うんですよね。
例えばね、自己肯定感とかと関係すると思うけども、すごくキラキラしてる人がいるじゃないですか。
芸能人にしても今インフルエンサーとかってね、推しとか今あるじゃないですか。
それはやっぱりその人に近づくことによって、自分もそのキラキラをもらってキラキラしたいって思っていたりとかすることの方が多いのかなって思うんですけど、
それは自分がキラキラしてないからっていう意味もあるのかなと思うんですけど。
そうそう、なんかキラキラしてないけど、キラキラしてる人のそばに行くと、自分もキラキラできるんじゃないかとかね、
キラキラの中にいることでキラキラしてるかもとかってね、そういうふうに思うのは自然なことなんですけど、
でもどこなんだろうな、私がカウンセリングとかいろいろ人の話を聞いて思うのは、
キラキラ、十分キラキラしてるのに、気づいてないことっていうのがすごいびっくりするぐらい気づいてなくて、ご本人は。
だから、なんかキラキラ、私は全然こんなダメで、僕はこんなダメダメでとかおっしゃるんだけど、いや私から見たらめっちゃキラキラ素敵なんだけどっていうのを、
言っても通じなさそうな感じぐらい、自分のキラキラが見えてなくて、でも人のキラキラはね、例えば上司とか周りのすごい素敵な人とかは、
キラキラして見えてるようで、その人があの人に比べたらもう全然なんですよねみたいな、あんな風になれたらもっと、みたいにね、そういうふうに思ってらっしゃるんですけど、
そこに近づく人もいれば、帰って距離を置く人もいますけど、だから自分のキラキラに気づいてないぞっていうのはよく見かける現象ですよね。
なんかそれわかりますね。なんか言われても、そんなことあるわけないじゃないって自分で言われても否定しちゃうんですよね。
そうね、そこで、そうですよ、そうですか、そうなんですか、みたいになってくると、じゃあ自分これでいいのだ、これでいいのだに行くので、
そこでね、受け止めれる人はある種、別に何か自分の何か特筆すべき何か持ってなくても、これでいいのだから、自己肯定感があるんだってことになるんですけど、
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そんなキラキラ、私のキラキラなんて全然全然大したことないですよっていうふうに思っちゃうと、そうするとやっぱり自分の頭の中の他人のキラキラ、
芸能人とかインフルエンサーとか自分の周りの素敵な人のキラキラはすごくキラキラ素敵で、比較すると自分は全然ダメだみたいな、
その差が縮まらないままいくと、不幸な思いをするっていうかね、自分のキラキラに気づけないと。
例えて言うとね、自分はキラキラしてないけど、その相手方は一等星、一等星だと思ってて、私から見るとどっちもみんな一等星なんだけど、
その人から見ると自分は光ってない、でも一等星の人が芸能界とかインフルエンサーとか友達とか一等星がいて、
なのでそこに近づこうとするんだけど、でも私から見ると一等星に一等星が近づくと光が相殺しあって、むしろあなたのキラキラが半減しちゃいますよっていう感じがしてね。
近づかなくても十分キラキラ一等星なんだけどなっていうのはね、それはよく思います。
結局その自分キラキラしてないもんっていうところで自己肯定感を自分低いって思っちゃうっていうのはありますよね。
自分の光って見えないじゃないですか、自分の素敵なところとかって、日本って謙遜の文化もあるし、かつ自分で自分を見るってことはできないので、
どうしても見えているものより自分自身の方を少なく見積もるっていうか、下げて見るっていうのは感覚的には当然なんだけど、
あまりにも、あと一つは有名な人のキラキラはキラキラなんだけど、無名な人のキラキラはキラキラじゃないみたいなことを、
長年の教育とか、社会システムとかあるいはテレビとか映画とかみたいなので、思い込まされてるみたいなね、そういう節もあるかなと。
確かにね、そうですよね。例えば地上の星とかね、プロジェクトXとかでようやくそうやって影の縦役者みたいな方々にスポットライトを浴びせてやってるけど、
その地上の星って別にそういう人たちだけじゃなくて、各々個人が地上の星であるべきなのに、なんかそういうふうなスポットライトの当て方をされなければ、みんな星じゃないよっていう、逆に否定されてるような気持ちになっちゃうんですよね。
だから、ニュースになるような素晴らしい人としてニュースになるような人っていうのは、そもそもスポットライトが当たってるからキラキラしてるだけで、じゃあ何でもない個人としての私に何かのきっかけで、ささやかなことでスポットライトが当たったら、それは誰かから見たら、あの人キラキラして見えるってなるはずじゃないですか。
そういう意味では、誰がどこにスポットライトを当てるかっていうだけの話で、みんなそもそもなんかキラキラするものは絶対持ってるし、持ってるとその人らしさ自体がキラキラの根源なので。
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もしかしたら自分にもキラキラしてる部分があるかもしれないって思えるかもしれないですね。
意外にさ、自分にとっては大したことないことでも、他人から見たらすごいことってまあまああるので、言ってみれば他人の芝青いってやつだと思うんですけど。
そうなんですよね。例えば子育てしてたとして、すごい子育てでもう大変大変っていう人がいらっしゃったとすると、例えばね、独身の女子から見ると、子供さん育ててて、旦那もいて、仕事もしてて、すごいマルチで活躍してる、すごいこの人ってキラキラしてるなって思ったりとか、立場的に見ればそう思う人もいると思うんですよね。
大変ってなってる子育てママからすると、独身で綺麗にこうして、優雅に一人でおいしいお茶飲みにカフェとか行ってる、SNSとか見ると、私の人生何なんだろうみたいにね、そのキラキラしたおしゃれなカフェとかホテルのロビーとかでお茶を飲んでる彼女がめちゃめちゃキラキラと見えるっていうことになるわけで。
そうですよね。
相対的なもんなんでしょうね、きっとね。
比べるからそうなっちゃう?
そうそう、比べるから私から見ると、自分よりあっちの方がキラキラしてるっていうふうに思いがちなんでしょうね、人間っていうのはね、自分のキラキラ見えないからね。
自分が何かできてることとかやってることとかは、もう自分では慣れてるから、日常化してるし当たり前化してるから、そんな何かそこが素敵、え、そんなの、え?みたいなハトマメレッポーみたいになっちゃうけど、でも考えてみたらそんなもんじゃないですかね、キラキラの正体って思うんですよね。
で、でも言うても、キラキラしたいっていうのも、特に若い頃とか、若い頃じゃなくても、まあ、枯れたくはないっていうね思いも、それも自然なものなので、え、で、まあちょっとあの人がキラキラしてるように私もキラキラしたいなと思うのもそれも自然なので、その場合は、まあ自分のキラキラしてるところ素直にこう、
あ、キラキラしてるっていうかなんだろうな、それは人に見られてキラキラしてるっていうよりは、自分の自分で自分の気に入ってるところ、まあ割と私性格悪くないかもとか、まあまあこういういいとこあるかもみたいなところを、あんまり自分にはその謙虚になりすぎずに、私の好きなところはここですみたいなのがね、言えるようになるぐらいのことと、あとはね、意外にその好かれるとか素敵と思われるより逆に、
自分がすごい好きなこととか没頭できることとか楽しいこととか、それやってればもうなんか世界がバラ色になるような、些細なことでいいんですけどね、趣味でもいいし、なんかそういうのが没頭してる時間とか、そのガーッと興味関心に楽しくてワクワクする世界を持ってる方が結果、人から見てもキラキラして見えるし、自分でもその没頭してるときは楽しいので、
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なんか好きなことを見つけてね、やってみるってのが一番近道だったりするんですよね。
あーそうか、まあ一つぐらいはありますよね。
そうそう、たぶんね、ほんとささやかなことでいいので、たぶん、そうすると自己肯定感、私って高いんだっけ低いんだっけみたいなことを考えなくて済むじゃん、ただ楽しいとか、ただ私ってこういういいとこあるよとかだったら、自己肯定感なんていう概念はもうどうでもよくなるっていうかね。
そうね、自己肯定感というよりも好きなこと夢中でやってる私っていう、そう楽しいものだから。
だから、たぶんその今巷で流行ってる自己肯定感上げた方がいいとか上げましょう、こうやったら上がりますよみたいなね、本とかセミナーとか、そういうのにお金を払って努力をするよりは、もう全然その自分の好きなことに没頭した方がお金もかからず、かつ自分一人で今すぐにでもできることなので、
ぜひ誰攻めをね聞いてる皆さんにはぜひそっちやってほしいなって思います。そうですよね、あともう一つ思ったのは、そのキラキラしてる人いるじゃないですか、その彼らがね、どうやってやるとキラキラに見えてるとかって、彼らは彼らなりに努力してるはずですから、
そうそうそうそう、それをね、ちょっとビジネス的に分析してみよう。そうそうそうそう、キラキラしてる人、特にそれを職業的にキラキラして見せてる人っていうのは、まあまあ職業ね、芸能人さんとかインフルエンサーとかになると職業なので、そのキラキラしてるっていうよりはキラキラ見せるプロ、あるいは本人がプロじゃなくても周りにキラキラ見せるプロがいるので、
何が流行りものなのかとかどうやったら素敵なのかとか知り尽くしている人たちの中で作り上げた世界なので、それを素敵だなと思うと、なんかそこに近づいて私もキラキラかなとしたいなとかよりも、あるいは憧れて、わー私なんか全然だけどあの人はやっぱり素敵だなっていうふうに差を感じて落ち込むんじゃなくて、
どうして私はこの人のことをこんなにキラキラしていると思っているのか、感じているのか、素敵だなと思っているのか、そこをなんか自分なりにこの人のどこに私は惹かれているのかっていうのをちゃんとこうちょっと検証してみて、でそれをやっちゃえばいいな自分で。
だから全部じゃなくてその惹かれている部分のところを自分なりにやってみるっていうのが一つ目ですよね。
メイクなのかファッションの雰囲気なのか髪型なのかね、髪型変えるだけでもね結構私もちょっとあんな感じかなみたいになったり、やってみればポイントですねなのでね。
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そうですよね。
まあね見てるだけだったら変わらない。
実際にやってみる。
そうやって楽しむってことかな。
いいですよね。
だからそれもさっき言った好きなことに没頭するっていうことにかぶってくるから、だから素敵だなとかあの人キラキラしてるなって思うのは、私この人のどこにキラキラ憧れてるんだろうっていうのを全部自分でできる範囲でね、できる範囲でやってみればいいっていうね。
やってる感は少なくとも楽しいし、バクバクするしね。
そうやって考えてくると、あ、私こういうところが好きなんだとかね、私こういう風にしてる人が好きなんだ、それは自分のことが分かるじゃないですか。
そうですね。
自己理解とか自己需要とかにねつながっていくので、そうするとこれでいいのだに近づいていくわけじゃん。
あげようあげようって努力するよりは自分のことを好きになって好きなことをやるっていうことでやっていったらどうかなと。
そうですね、じゃあ今回のダレスみは自己肯定感という言葉にも振り回されずに自分の好きなことをやってみよう。
それによって自然にそういう良い方向に行くんじゃないかと。
そうなんですよ。急がば回れというのがなんかね、あげようあげようと思うより、意外に正解はというか、欲しい結果は別のやり方にありましたみたいな話になっちゃいましたけど、そんな感じでございます。
はい、ありがとうございました。
最後までお聞きいただきありがとうございます。
ダレセメ相談室ではお困りごとを大募集しています。
応募方法は概要欄にあります。
ラジオネームでどんな小さなオーナーネームでもOKです。
お待ちしております。
では次回のダレセメお楽しみに。
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