2024-07-26 26:07

第155夜 『中国、 路地裏の貸し台所の温かいスープ。』

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放送回:中国 がん専門病院 路地裏の貸し台所(2024年6月21日)

サマリー

中国のがん専門病院の近くにある路地裏の貸し台所で、入院患者や付き添いの方々が自分で料理をする姿が描かれ、その場所が機能していることや料理を通じた人間関係が強調されています。中国のダイナミックさと残酷さを反映する中、唯一のがん専門病院で変わったシステムが生まれ、患者の自由な生活スタイルが可能となっています。路地裏の貸し台所で温かいスープを食べる人々の人間模様が描かれ、その人々の関係性や人生の転機を垣間見ることができます。この回は、映画化するレベルの魅力と物語が詰まっており、一番印象的な料理は生卵と挽肉を使ったスープです。

貸し台所の場所と機能
真夜中、コンビニの駐車場で。
このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、
某、公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、
番組についての感想や愛を語ります。
今回は、中国がん専門病院、路地裏の貸し台所ということで、
ドキュメント72時間、たまにね、海外ロケというか、
海外のどこかに密着という回をやるんですが、
今回は、それの中国ということで、
中国の江西省というところの、近くにね、
がん専門の大きな病院があるようなところの、
近くに貸し台所という形で、なかなか日本にはないですが、
病院の入院患者の人とか、その付き添いの方とか、
そういう方のために、自分で作った方が安上がりという意味も含めて、
コンロを貸しているような場所があるという、
そんな場所があるんだというところなんですけれども、
そこにね、通ってくる人々に話を聞いた3日間になっております。
では、山口さんいかがだったでしょうか。
まず、場所が72時間のためにあるかのような場所ですよね。
あるかのようなね。
まずね。
どんな場所だよって感じですからね。
さっき、自分も説明しましたけど、なんだよ、貸し台所で。
まずその、貸し台所、路地裏の貸し台所で、
まあまあ、それはあるかもしれないと思うけれども、
それがなんか、がん専門病院があって、
その入院患者の入院食を作るための貸し台所って、
なんだよ、それって感じじゃないですか。
本当にニワトリ卵みたいな話で、
もともと貸し台所をやっててというよりは、
なんかね、ここがんの病院近いじゃんみたいな感じで、
お客さんに貸したのが始まりで、みたいなところがあるっていうところなんですけど、
それで20年続くっていうのがやっぱ、
すげえな中国だなって思いますよね。
すごいですよね。
だから、出てくる料理、出てくる料理、みんなパワー系なんですよね。
料理と人間関係
なんかスッポンとかさ、精力がつくようなものがみんなそうなんですよ。
そうですよ。
日本人が思い描く入院食っていうののレベルを全然超えてて、
こんな油と塩分肩で本当に入院患者食えるのかみたいな感じなんですけど、
そうなんですよね。
美味しそうに食いますよね。
本当ですよね。
絶対なんかそんなスッポンのスープ飲ませときゃ大丈夫ならそんなことあるみたいな感じじゃないですか。
魚もね、これを食べると活力がつくのよとか、
普段の内臓で血を取ろうとかね、なんかも。
なんかやっぱ、大陸の感じしますよね。
大らかでしたよね、その辺り。
その力強さとでも相まって、結構今回の回ってわりと知りやすな回じゃないですか。
そういうところどころのツッコミどころみたいのはあるんですけど、
人はやっぱこうね、がんで、そもそもステージいくつとかで、
まず手術後だったりとかこれから手術しますっていう人で、
しかも日本ほど保健制度とかも含めてうまく回ってはいないから、
ちゃんと家族がそういうのをサポートしないといけなくて、
全然料理できない女の子とかが慣れないながらにやるわけじゃないですか。
なんか映画みたいですよね、そういうところはね。
いや本当、映画みたいっていうのは本当そうでしたね。
ヤマゲさんの言うとおり、今回知りやす回というか、
なんか全てのニッチかつその意外性をついた挙句というか、
その100週ぐらい回って王道パンチになってるっていうかね。
本当に中国のそのがんの専門病院ということで、
当然ね、日本に限らずいろんなところでがんっていう病気で苦しむ人々とか、
それによって生活が一変してしまうっていうところの、
その人の生きしみっていうところを見せつつ、
でもそれを支えるための、
みんな寄り添い合って生きているっていう部分で、
菓子台所でご飯を作っていくっていう、
ご飯を食べることは生きることだみたいなところもよく話も出てくるし、
やっぱそのご飯を作ったり食べたりする姿っていうのも、
結構72時間の中では王道だったりするじゃないですか。
だからそこの絵的な部分もね、
親子の姿と関係性
中華料理みんななんか本当に鉄鍋振るってみたいなところが、
所狭しと見れるっていうところも72時間らしいっていうところもあって、
よくそんな場所を見つけてきたなというか、
その現地コーディネーターに何をオーダーしたらこれが出てくるなんていう回ですよね。
いやすごいっすよね。
しかも立地もいいし、名前もいいじゃないですか。
だって何でしたっけ、愛心厨房で思いやりの台所っていう意味で、
それもいいし、近くに市場があるからそれで買ってきて作れるみたいな、
舞台セットみたいな話ですよね本当に。
天使とお上さんがいい味出してるんですよ。
いい味出してるんですよ。今回ね、直接のインタビューはそんなないですけどね。
特にね、お上さんは結構日中働きづめで、
みんなが料理してる横で後片付けしたりとか、
そういうので忙しく動いてるんですけど、
ところどころ元気になったら奥さん連れてきてねとか、
あなたたち付き合っちゃいなさいよみたいな感じとか、
ちょこちょこ客と店の店主っていう関係性なんですけど、
そこで生まれるコミュニケーションみたいなのがすごいよく取られていて、
結局最終的には今はもう通ってない妻を亡くした元お客さんという男性が現れるじゃないですか。
久々に来たからみたいな感じで、
そういうなんかもうここの場所が必要のようで当然やってるんですよね。
当然そのがん専門病院の近くでこうやって料理しないともう生きていけないからっていうところあるんですけど、
そこをそのリズムっていうところとかその日々っていうところを懐かしく思ってお客さんが帰ってきたりするっていうのは、
やっぱりこの店主およびおかみさんの人柄とかもあるだろうしっていうのはあるんだろうなと思いましたけど。
めっちゃ親戚のおばさんぐらいの距離感で接してきてたじゃないですか。
店員の人が。
それもなんかすごいいいですよね。
なんか病院の特有のなんか閉塞感っていうかそういうのがあんまないじゃない感じするじゃないですか。
本当にその食堂のおばちゃんっていうか本当に路地裏の飲食店のおばちゃんぐらいの感じで接してくれるというか、
なんかそれがこう帰っていいような気もするんですよね。
いやーほんとそうだな。
詐欺込んじゃうからやっぱり病院だと。
いや本当にそうですね。
今思うと当然病院の外は外。
そもそも外なんですけど。
本当に青空の下ですけど。
そういう病院特にね入院してる患者さんとかそれにつきっきりで付き添う家族とかって本当に詐欺込むって言いましたけど、
それぐらい病院の中で社会になっていくっていうところの中で半端外に出たような場所なんですよね。
あそこの場所っていうのが。
当然その全く違う外の全然別の場所っていうわけではないし、
当然そのこの病院のためにとかその入院患者のためにみたいなところがあるんだけど、
でもちょっと一歩出て外というかね。
だから入院しててどうなのっていう話もしつつ、
でもなんかこう料理してご飯食べてまた来てねみたいな話になったりとかっていうところで、
すごくそういう場所としても機能してるのかなっていうのがありましたね。
なんか本当に実際入院してる患者さんとかも結構来てたじゃないですか。
なんかそれもなんか日本から考えるといいかわかんないですよね。
ありえないですね。
なんか患者が自分の料理作るために病院出てなんか調理してその辺で食べてるってどういうことやねんって感じじゃないですか。
いや本当にねあの見た目上ね衛生面的にはマジで大丈夫かっていう絵面なんですけどね。
でもなんかハツラツとしてましたよね。
いや本当ですよね。
なんかだってその3日目とかに出てくる車椅子に乗ってるお母さんと娘って出てくるじゃないですか。
あれはやばかったな。
でその車椅子乗ってる方が入院してるお母さんなんですけど、
娘は結局料理ができないからお母さんが来て、
でそれで一緒に教えてあげてみたい。
でそれで作ってで食べるみたいなのって、
なんか本当なんて言うんでしょうね。
別にいいって言うあれでもないんですけど、
なんとも言えないなんか情感みたいのすごいありますよね。
あのシーンとかね。
あれはやっぱりあの厨房の場所でだけ本来の親子の姿に戻るんですよ。
いやそうですよね。
やっぱり15歳の娘、手伝いたいって思いはあるけど、
何も作れないからちょっと貸しなさいみたいな感じでお母さんがこう手矢よく作っていくんだけど、
結局そこを一歩出るとお母さんは逆に車椅子に乗らないと病院まで帰れないっていう状態の中で、
それを推しながら帰っていく娘っていう、
別に立場が逆転してるっていうか、
本当に関係性っていうのがここの思いやりの台所でだけ、
在宅医療と入院の間
昔の関係性に戻ってっていうところが垣間見えるっていうのはあそこは良かったっすね。
なんかすごいこう日本だとその衛生的にもありえない話なんですけど、
日本で言うとこう在宅医療と入院の間ぐらいの感じになってるなと思うんですよね。
今本田さんが言ってみたいな関係って結局日本で入院しちゃうと、
入院患者とそれにお見舞いに来た人っていう関係性になっちゃうじゃないですか。
やっぱ入院患者は当然ですけれども安静にしなきゃいけないしみたいなことがある中で、
だからそういうのが嫌だから自分の好きにしたいっていうのがあるから、
やっぱ在宅医療とかを望む人が一定数いるみたいな話じゃないですか。
でも今回のこの話って入院はしてるんだけど料理は作りに来れるみたいな、
ちょっと変わったシステムだからその間というか隙間というか、
どっちも取るみたいなことが起きてるんじゃないかなと思うんですよね。
それがもちろん中国のダイナミックさでもあり残酷さでもあるなっていうところですよね。
だから今回この地方の唯一のなのか先進的なのかすごいがん専門の大きい病院なわけじゃないですか。
それって結局やっぱり日本みたいな狭い国土の中で在宅医療ができる希望感じゃないんだと思うんですよね。
がんにかかってしまった人たちはここで入院するしか自分の家からは通えない距離にこの病院が実際あるだろうし、
もしかしたらがんにかかってしまって入院というか通うっていうことになったら仕事はもうすぐになくなってしまうというか、
今回も農民工っていう形で農業をして暮らしている人たちって結構多く出てましたけど、
そういう方々も日本だと昔の言い方で言ういわゆる小作人みたいな感じで、
たぶん労働して賃金もらってっていう農民の方みたいな感じになってるので、
病気になった瞬間に職を失ったりということもあり得る中で、
もうここに行くしかない、とりあえず生活を立て直すには行くしかないみたいな状態になってるんだろうなっていう。
だからいかに在宅医療みたいなことができるっていうのが、
日本のコンパクトでありそこにいろいろな交通も含めて張り巡らせてることのすごさというかね、
そこがやっぱり全然違うところで、もう明日から一気に仕事も何もかもなくしてここに入院するしかない、
その金も区分できるかどうかわからない、みたいな状態はやっぱり、
中国のものすごいダイナミックさと残酷さを一気にこの回でも見れたなーっていう感じなんです。
人生の展開
なんかでもこういうダイナミックさとか残酷さってどう思います?
なんか僕はわりと、今こう日本ってわりとコンプラも含めて息苦しいって言われるじゃないですか、
最近本当ここ1、2年ぐらいなんですけど、やたら香港の映画とか中国の映画とか、
僕やたら急に好きになった、突然。
なんでだろうと思ったら、90年代とか80年代とか日本っぽいっていうか、
その感じがあるから多分突然好きになったというか、
なったんですよね。僕はどっちかというとこういう世界観の方がいいなと思うわけですよ。
もちろんそれは衛生的にだって、そもそも変な話ですよ、コロナが始まったのが中国で、
衛生だロックダウンだって言ってたのに、こんなかしらいどころみたいな存在してることがまず日本だってありえないじゃないですか。
そもそもね。
コロナがどうなってたのって話ですよね。
みたいな、多分関係ないんだと思うんですよ。そういうとこなんだけどとはいえ、
そういうあるような雑さみたいなことも含めてちょっと憧れる僕がいるわけですよ。
そういうのが本田さん的にはどうなのかなと思って。
そういう雑さだったりとかあったかさとかっていうのもすごいわかるし、
山口さんが言ったみたいに90年代っぽさみたいな。
自分たちがギリギリ覚えてるような本当に昔の光景みたいなのがあって、
そこにあったか人情みたいなのもあるし、みたいなところはすごいあるなと思ったんですけど、
ギャップがすごいなと思ったのは、やっぱりこれ冒頭で始まるときのここは高清省南省ですみたいな街の上空映像の都会差からのギャップすごかったし、
すごかったじゃないですか、なんかよくわかんない歴史的な建物とそこを囲む高層ビルたちみたいな。
ところで大きいがんの専門病院があってみたいなところのいきなりなんか路地裏で90年代みたいな、
やっぱり本当にサイバーパンクみたいな時代、世界じゃないですか。
だしやっぱり今回思ったのは、がんの専門病院っていう形で、
なんて言ったらいいのかな、言い方難しいですけど、がんって本当に昔だったら、かかったら死ぬしかないみたいな時ってあったじゃないですか。
でも今その人類の医療っていうのが進化し向上し、ステージとかにはゆるとはいえとか、どれくらい先進医療を受けれるとかあるとはいえ、
なんか絶対に助からない病気でもなくなってきてるじゃないですか。
人類的にね、ここの中国かどうかっていうところは別として。
で、ある程度インターネットというかそういう情報化社会みたいなところもあって、こういうふうに、
だって私と妻は字が読めないからねっていう入院患者さんいたでしょ。
本当にそういう90年代みたいなところの景色がある中で、とはいえ全てを投げ打ってでも、とりあえず生きようとすればこの病院に行けるみたいな選択肢があるわけですよ。
本当の90年代、本当のサイバーパンクな世界だったら、そういうのを知らずがんにかかって死んでいくみたいなところがある中で、
ものすごい借金するかもしれないし、ものすごくいろんな計画が飛んだするかもしれないけど、
とりあえず生きてりゃ儲けもんだみたいな感じで、ここのがんの専門病院に入ることができるというか、その選択肢があるみたいなところって、
ある意味選択肢がないより残酷だなと思う。
なるほどね。
見えてくる景色とかは本当に山口さんが言った通り、まあだけどこれがいいんだよなってすごい思ったんですけど、
とはいえ彼らの生活の中で、それこそ結構みんなスマホをいじりながら写真見せてくれたりとかあったじゃないですか。
ああいう中でいろんな世界が可視化されている中で、自分は全てを投げ打ってここの病院に通わなきゃいけないとか、
途中出てきますけど、20歳の元料理人の若い彼は、お父さんが入院してっていうところで、
とりあえずお兄ちゃんが稼いで、次男のお前やめて帰ってこいみたいな世界なわけです。
はい。
っていう中で、たぶんスマホを開けばいろんな世界はあるし、でも自分はここでお父さんをつきっきりで看病するんだっていうので、
本当に一人だけ山岡志郎みたいな手際で料理作って、豚足がまだ上がんないんだよねみたいな感じで。
一人だけの手際プロがね。
っていうのは、なんかすごいギャップだなっていうのはあって。
でもそういう彼にも、同じ病室の縁で出会った16歳の女の子と、ちょっといい仲というか兄弟のような仲になったりみたいな。
なんかそういうまた浅野良的世界観があって、なんか眩しいなっていうところもあったりっていう。
だから簡単に良いも悪いも言えない、なんかすごい世界がやっぱり今回は映し出されていて、考えがいろんなところに巡りましたけどね。
本当に冒頭映画みたいな話しましたけど、特に今本野さんの話にもあった16歳の女の子と元料理人の彼ですよね。
いいっすよ。
いいっすよね、それぞれ別に出てくるじゃないですか。
結構確かあれですよね、料理人の方が最初に出てきて、その料理店辞めたんですよみたいな。
で、その後普通にインタビューの流れで16歳の女の子が出てくるんですよね。
で、なんかおじいちゃんが入院してて、それをおばあちゃんが看病してて、それをおじいちゃんの看病をしなきゃいけないから進学も諦めて学校に行ってないですみたいな。
すごいじゃないですか。
そうですごい慣れない手つきで、中華料理とかわかんない僕らから絶対に違うだろっていう料理をしてるわけじゃないですか。
どう考えても違うだろっていう料理をしてるわけですよ。
そこにね、彼が来るんですよね。
シュッと。
違う違うとか言って。
違う違うっつって。
で、聞いてみたら病室が一緒でいいみたいなね。
そこでね、ちょうどいいタイミングでおばさんがやってきて結婚してていいじゃんみたいなね。
岡井さんがちゃちゃ入院に来るっていうね。
でね、あの女の子が4つも年上なのよって。
あれもねいいんだよなあの会社。
一連の流れがね。
映画です映画。
朝ドラだったな僕の中では。
これはもうね、いい話なんですよね。
このシーンでやっぱ人の人生が展開されてるなっていうのがすごいわかってくるんですよね。
本当にあのシーンで、しかもこれその2人の入院してるお父さんとおじいちゃんが入院してる病室までついていくじゃないですか。
そこのシーンもね、それぞれで映されていいですよね。いい感じですよね。
あれも良かったな。
路地裏の貸し台所での人々の人間模様
映画だったな本当に。
いやー、だって元料理人の次男の子とお父さんが本当にそんな大きくもないテーブルで2人でご飯を食べてるっていうね、
あのシーンのなんか哀愁というか、なんというかですけど。
女の子の方はおばあちゃんと食べてて、おばあちゃんがなんか彼が上手く連れてきてくれたのねみたいな感じで、
2人の関係性をいい具合に分かってみたいな感じで見守るみたいな一言があったりとかね。
いやー、なんか本当にこう72時間って割とぶつ切りじゃないですか、インタビュー連続で。
もちろん常連が多いところだと常連さん来てやり取りがあってみたいなのがあるんですけど、
割と今回ちゃんと25分とかの中で起承転がさっきりするくらい人間模様っていうか、出てくる人の人生が転がった瞬間を見たって感じですよね。
確かに。
なんかここの場所が分かってきたなっていうタイミングで元お客がやってきたりするんですよね。
いやそうなんですよ。最高ですよね。
いきなり来たらお前誰だよってなるけど、なるほどなこういう場所なんだってすごいしみじみしてきたところに、
もうすでに妻を亡くしてしまったっていう元お客さんがやってきて、なんだかんだ言ってここが自分の生きた証だったんだよなみたいなところを感じるっていうのが、
しかも夜ぐらいに挟まれるっていうのもあるし、確かにほんと一個一個がこういうパターンあるかこういうパターンあるかっていうのがあって、
うまく繋がってましたよね最後まで。
挽肉と生卵のスープ
いやなんかちょっとオムニバス形式でなんとか映画化しないですかねこれ。
いや確かに映画化するレベルだし、ドキュメンタリー作品として一個かなり完結してる。
かなりクオリティ高い、いつもの72時間的なものっていうよりは本当にフィクション化のような魅力と物語が詰まった回だなっていうのはすごい思いましたね。
でまたみんな作る料理がうまそうなのよ。
そうですね、美味しそうですよね。
なんかすごいみんな通り一遍等のもの作ってるのかと思いきや、本当にいろんなパターンで趣向化してやってるし、
僕ね一番なんだこれって思ったのは最後らへんかな、生の挽肉と生卵を入れたお椀に熱湯をかけて無理やりスープを作るという。
絶対ダメだろあの料理。
あれはなんだろう、絶対ダメそうなのにうまそうっていうか、ちょっとやってみようかなって謎に思う。
あれ、ああいうのよく思いつきますねっていう。
すごいですよね。やっぱ本当にこうね、民族学じゃないけどその家にしか伝わらない何かですよね。
なんかね、そういうのも見れるしっていうので、いやーなんかこれはちょっと今年ベスト10には確実に入るだろうなっていう。
まあ入るでしょうね、はい。
それぐらいの書いて、しかもね最初のなんか、まあはいはい中国とかでたまに海外でやるやつねみたいな、
思ってたところから中身のその深さとか重さとかがギャップも結構あったし、
またね、今この現代で日本からこれを見るっていうことの意味を本当にね、さっきの山口さんも言ってましたけど、
どっちがいいんだというかね、話とか含めて考えさせられるいい回だったよなーって感じですね。
いやー本当そうですね。
いやーなんかまたこれは時期を見てもう一回見直すとまたなんか違った思いだったりとか、
やっぱ置かれてるね、その人が見る人が置かれてる立場によっても多分違ったふうに見えると思う回なんで、
それはまたちょっと定期的に振り返りも含めて見ていきたいなと思いますね。
はい。
そんな感じですかね。
はい。
今回は以上となります。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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