海辺の銭湯のドキュメント
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
奥能登、銭湯、海辺の銭湯、という回について話していきます。舞台は、奥能登の銭湯ということで、いろんな豪雨だったりとか地震だったりとか、いろんな災害になりながらも、踏ん張り続ける海辺の銭湯に密着した3日間になっております。ということで、本田さんいかがでしょうか。
はい。もうこの回がね、なんかこうドキュメント72時間という番組はやっぱり、こういうことのために存在してるんだよなって思うぐらい、まあこの企画持ってきたなあっていう感じですかね。やっぱり当然ね、この震災があって、まあこの1年間それだけじゃなくて本当にいろんな災害があってっていうところで、
まあ当然そのテレビとかでもいろんなところで報道されたりとか、まあインターネットとかでも発信とかってよくあったりはするんですけど、その中でやっぱり今この1年経って人々の生活ってどうなってんだっていうことをしっかり残す。
そして今の人たちに見せていくっていうところの中で、72時間としてね、この海辺の銭湯っていうところをこう選んでくるやっぱりチョイスっていうのもやっぱり一番素晴らしいし、なんかそこで描かれるのがね、やっぱりまあ単純にその本当に復興の印としてのその一風呂浴びて温かくほっと一息ついて身を清めてっていうのもわかるし、
そこで描かれるね、当然そのコミュニティじゃないですけど、まあやっぱり記載された方々もいれば、ボランティアの方もいれば、あの解体屋とかでね、仕事で来てくれる人たちもいればっていうところの触れ合いがここで行われてるんだっていうところを本当に見せてくれていて、まあこのバランス感覚でやっぱりよくやってくれたなっていうのがまず感想ですよね。
やっぱなんかね、こういうまあ今回ストレート回じゃないですかかなり、震災のシリーズというか震災の関係のところでいくつか密着しているものってまあ72時間って、特に311の時ですよね東日本大震災のものはやってたりしますけど、わりとそれもまあそういうところの食堂だったりとかお花屋さんだったりとか、
ストレートな時期にストレートなタイミングでは入っていかないっていう、ちょっとまあずらしてまあ72時間らしいというかですね、そういうアプローチが多かった中で、結構すずってまあ今回の地震の中でも被害がかなり大きくて、木造でかなり昔の建物が多かったっていうこともあるんですけど、ほとんどの建物がまあ東海内下半東海みたいな形、半海になってしまっているっていうところに、なんかストレートに密着して、
なんだけど、ちょっとこうなんですかね、ドキュメンタリーみたいな、もちろんドキュメンタリーなんですけど、真剣さっていうよりもちょっとその人々が緩んだ感じも含めて出ているっていうのがあまりにも72時間っぽいなと思って、いやこれはいい回だなと思いますよね。
なんかストレートっていうのがやっぱりまだストレートでやるべきなんですよね、だしやっぱり311の時よりもやっぱり復興に苦労している部分はあるし、正直報道とかの着目っていうのもどっちかというと一家制だなーってやっぱり思ってた中で、
ちゃんとストレートで見せなきゃっていうところのそのなんか心意気をすごい感じたというか、これがねもう少しまだ時間も経って復興してきてであれば、さっき山口さんが言ってたような、どこかの食品店だったりとか花屋さんとかっていうことはあったりすると思うんですけど、
いやこれまだストレートで見ていかなきゃいけないんだよっていうすごいもうメッセージはやっぱ感じましたよね今回。
なんか今回このこれ1月10日から撮影を開始してるんですけど、これたまたまなんですけど、これ僕1週間前ぐらい、4日前とか5日前ぐらいかに僕行ってたんですよ、野党に。
そう行ってて、仕事の関係で行ってたんですけど、まあそういういろんな場所、すずには直接は行ってないんですけど、見ながらやっぱり今本田さんが話したみたいにかなりなんて言うんでしょうね。
まあ1年経ったとは家みたいな感じというか、全然信号傾いてるし、いろんなものもそのままだし、今今回の野党の地震からでもないんですけど、テントみたいのがあるんですよね、建築家の方が作られて、
家の中が結局もう屋根がなくなっちゃったりとか、雪で重しで屋根がないちゃったりっていう人のために庭で暮らせる用の仮設テントみたいなものの、それを無料で配ってる人がいるんですよ、建築家の人で。
そういうちょっと近未来的なポットみたいな感じなんですけど、それが至る所にあるんですよね、やっぱりってことは自分の家は目の前にあるんだけど、やっぱり庭でテントで暮らさなきゃいけないっていう人がそれだけいるんだなっていうこととかを、僕は本当この取材の4日前とかに現地見て思っている中で、
今回描かれたみたいな、それってすごい辛いことじゃないですか、今話したことって、重いことだし、暗くなりることだし、実際にここからも別のドキュメンタリーですけど、金沢の方に引っ越しますとか、村ごと移転しますみたいなことって全然いろんな議論とかでもある話なんですけど、
それでもここに残ってとかいう姿もそうだし、逆にここに最後に出てきた神奈川から通い続けるみたいな女性とかもいたじゃないですか、たまたま地震のタイミングに旅行できて被災して、バイトするようになってみたいな、そういうのとか、あと解体屋の人がここに住民拒否して引っ越すんだみたいなことを言ったりとか、
そういう次に向けてというか、当たり前なんですけど時間って流れてて、そこの次のステップがすごく見える形として今回の中で描かれていたっていうのはすごく魅力というか、やっぱり72時間でしかできないような幸せの拾い方だなっていうのは思いましたね。
銭湯の重要性と人々の絆
この銭湯が、今の時代って逆で、だから僕は何年前か7,8年くらい前の鈴に行き、このお風呂に入るみたいなのを体験してるんですよね。
だから逆に言うと、あの時の素晴らしい鈴の景色とか、本当に伝統的な建物、家屋というか、そういうのが連ねてっていう、あのいい雰囲気から本当に一変してることにやっぱりショックがすごく自分自身はあったし、でもあの時なんかすごいオールドタイプな銭湯だなみたいなところが、
実はそのオールドタイプな銭湯だからこそ、この震災後2週間後からすぐに救出できることができたっていうところにやっぱりグッときて、地下水を汲み上げて、それを薪で火で炊いて温めてるんで、ガスもいらなければ水道もいらないということによって逆に言うと、
この災害の中で力強さを出していき、そして今はその薪っていうのが解体した、その家々の柱を薪代わりにして焼いてやってるっていう、これはもうグッときますよね。
これはすごい話ですよね、やっぱ解体した灰材でお湯を温めていって、それがみんなのこういう息抜きの場所っていうか、そういう場所に次の一歩になってるって、本当にすごい話だなと思いますよね、これね。
本当に今の状況が全部入ってて、本当にまず一番最初の最初は、いゆだなの音から始まってね、あの、そういう場所でありながら、そうやっていわゆるあえてベタな温泉のイメージで、ちっちゃい子が鼻風でせんと走り抜けていくみたいな、
すごくほのぼのとしたものから、まあでもそこは被災した場所でっていうのも始まり、結構もう序盤もあっきやかんとして皆さん喋ってるけど、本当になんか家がなくなったとか、家なき子だわみたいなこと言ってたじゃないですか。
そうですね。 そういうせつなものでありながら、ただそれをこのせんとの場所でコミュニケーション取り合ったりとか、あの正直このここで再会してお互いの安否が初めてわかるみたいなのもあって言ってたじゃないですか。
それはあの人って大丈夫かななんとなく思ってた人がようやくここで再会できたみたいな、なんかそういう場所にもなっているし、それだけじゃないっていうのが今のその何ですか、あの鈴というかそのノートの状況ですよね。
ボランティアで来てくれてる人もいるし、その解体屋さんとかで仕事で復興のために一つ一つ前に進めてくれてる人もいるし、なんかそれぞれが別々になってるんじゃなくて、この先頭で緩くコミュニケーションが今取られているっていうところを切り取るっていう、よく見つけてきたなっていうか、よくここを3日間取ってくれたよなって思いますよね。
なんか今回そのいろんな72時間って答える方々、職業とか出るじゃないですか、サラリーマンとか公務員とか出たりするんですけど、今回はやっぱりそれも思ったのはほとんどかなり多くの人が元なんですよね。
元学農家とか元農家とか元漁師とか、みんなやっぱりこの1年で地震とか何かそういった災害によって、もう職をなくしたというか定年の年では畳もうかみたいなことも含めてやっている方っていうのがすごい多くて、
それもなんというか、背景の物語とかを想像させられちゃうんですよね、イヤオウがイヤオウなしに。それも結構不安って思うし、でもなんかそういう人たちがすごく辛そうにその話を語るっていうだけじゃなくて、結局お風呂に入ってふーみたいな、はーみたいなとかそういう感じ。
楽しそうに話してるとか、それが挟まるのがすごくいいというか、これ別に変な言い方っていうか言い方的にあれですけど、別にずっと悲しんでる人もないじゃないですか、それは別に悲しむ人は悲しめばいいともちろん思いますし、それはその人の感情をとろすればいいと思うんですけど、別にそうやってリラックスしてもいいし、
むしろそういうのが多分リアルなわけだし現実なわけなんだから、そういうちゃんとハケ口になってるっていうか、そこを発露できる場所になってるっていうのがすごいいいなと思うし、今回の中でそういったいろいろ元なんとかみたいな人がいる中で、僕がすごい良かったなと思ったのはフルアで絵を描いて美大に行った甲さんですよね、やっぱ彼ですよね。
今回の戦闘ってリビングっていうか畳みたいなところがちょっとお茶のほうみたいなところがあって、そこでみんなくつろいでるんですよね、そこで黙々と画版広げて描いてる子がいて、何だと思ったらずっと絵の練習を、もともと友達の家でやってたんだけど、そこがなくなっちゃったからここでやるようになってって言って、京都から美大行くんですよね。
それを、じゃあ今何やってるのって聞くと、今回の当たり前の風景だから写真とかは残してないんだけど、昔の鈴の風景をアニメにしたいって言って、今イラストを描いてるわけですよ。これがもうアニメ化じゃないですか、映画みたいじゃないですか、あまりにも映画みたいだし、絶対にいいアニメを描いてくれって思うじゃないですか。
これこそがルックバックみたいな。
本当に全く同じことを思ったんですよ、これがルックバック、僕のメモにも書いてますよ、これがルックバック。
そうそう、僕も思いましたし。
あの子あれですよね、別の人とかのインタビューしてるときも後ろで結構黙々とやってますもんね。
ずっと黙々と、それもいいんですよね、別にコミュニケーションが取りたくてとか、ちょっとサボりたくてやってるっていう、本当に作業場としてやってるって感じがいいんですよね。
彼のアトリエなの?
そうそう。
それがいいですよね、すごいね。
いや、これはなんか、そういうこともあるかっていうのは、本当に僕もいくつもあって、本当に元漁師の方が黙々と働いてとかもあるんですけど、そこも含めてそこの銭湯の雇用として、元何かで被災した方とかが仕事としてやってる部分もあるんですけど、
それもやってること自体がやっぱり、なんかこの町のためにやらないとっていう思いを発露する場所になってるじゃないですか。
だから、黙々と作業する漁師のおじさんとか、お気を洗ったりとか、靴箱のところを磨いたりっていうのが一個一個カットで挟まれていくんですけど、それがなんかいろんな思いがあるけど、でもまずはっていう一つ一つ前に進んでるようなところもあったし、
あとはなんかあそこのその休憩所のところも、要は避難所とか仮設住宅っていうのが狭いから、こんなに広い空間ってないんだよっていうのを言ってる人もいて、わーやっぱなるほど、そういうこともあるのかっていうですね。
なんかその途中ね、娘と仮設住宅で同居してると、お父さんがテレビの声が全然聞こえないから音量を上げまくってるけど、隔ててるのはカーテン一枚で意外と不安が起こってるみたいな、本当に仮設住宅のそういうリアルさっていうところの中がある中で、
この銭湯に来ればもう本当に晴れ晴れというか広々とというか、それぞれの別にパーソナルスペースではないけど、まあ何をしてもいい場として与えられててみたいな。で、そんな場所に野党のお祭りの切子っていうね、ものの模型が置いてあって、なんかおもむろにお父さんがそれの説明をしだすみたいな。
楽しそうにその祭り、野党のあの辺の人たちは祭り好きっていうのがあって、で、この切子祭りも場所によってはまだ去年の復興からできてなくて、祭りができてない場所もあるというところで、お父さん楽しげな切子への思いは、いつかまた再会するといいよなっていうところで終わってとか。
なんかこう一個一個に全部詰まってるんですよね。で、僕らが一つ一つ気づけない日常の大事さみたいなのが一個一個ギュッて詰まってきてて、いや何とも言えない回でしたね本当にそれで。
いや本当そうですね。で、なんかそういうその地元の人となおかつこうめちゃめちゃ今回そのNHKなのにっていうぐらいの量にレズミ入った人出てくるじゃないですか。
反射じゃないですよ自分で言うぐらいの人出てくるじゃないですか。
自分で言うレベルでね。
銭湯と地域コミュニティのつながり
そうそう。なんかそういうその外から来た解体屋の兄ちゃんたちもすごいいい味出してるんですよね今回ね。
いいっすよねあの人たち。
いやあれがいいっすねやっぱそういうそのね昔やんちゃしててみたいな色んな言ってますけど、なんかそういう人ってこうそれこそこのこういう72時間でヤンキンターンとかじゃないけど、いい意味で素直っていうかまっすぐじゃないですか。
だから本当にこの場所が気に入ったらもうずっとこの場所行くし、もうなんか好きすぎてだってなんていうんですか約束のネバーランドを寄付したみたいに言ってましたよね漫画をね。
先頭にね。
そうそう先頭に寄付したとか、なんかその行動すべてがまっすぐだし、そのねそういう果てにはこうすず市民になったっていう人もいたりとかするし、すごくそのなんかかつてやんちゃをしていた解体屋のお兄ちゃんたちみたいなのも相まってすごいいいこうなんかなんて言うんでしょうね、絵というかコミュニティっていうとあれなんかちょっとなんか軽い表現になっちゃって嫌ですけど、そういう輪ができてる感じがしますよね。
僕ねあの解体屋のお兄ちゃんのやつでよかったのはね、レギュレーションとかは全然わかんないですけど、冒頭であのすず市民だと無料で入れるんだって言うんですか。
はいはい。
なんだけど、あの解体屋のお兄ちゃん住民票を通してすず市民になったって言ってるんですけど、毎回入浴料払ってるんですよ。
いやそうなんですね。
わかるんですよ、レギュレーションは被災した人はとかなのかもしんないけど、でも絶対彼の中でその多分そのすず市民だけど、自分はここでその正直仕事があるというかね、いう立場なんだっていうのを多分すごく思ってると思うんですよ。
アフターの気持ちだよね。
だからその入浴料は払うべきなのかどうなのかとか置いといて普通に毎日払うわけですよね。
なんかあそこに僕かなり一番グッときましたね、解体屋のお兄ちゃん。
なんかそれが地元の人だけでみんなでやってる、地元からなんか長く愛される銭湯なんですっていうだけじゃなくて、解体屋のお兄ちゃんとか神奈川に来た女性とかいろんな外から来た人も含めてああいう場ができてるっていうのがすごいいいなと思うし、今回って非日常が日常に切り替わる瞬間の場面を捉えてる回だと思ってるんですよね。
震災という非日常がだんだんとどうしても日常になっていく、慣れてしまうっていうことですね。
良くも悪くも慣れてしまうっていうことになってくる中で、そこのちょうど切り替えだと思うんですよ。
まさに解体屋のお兄ちゃんは仕事で来ていた場所が住民票を写してそれが日常になるっていうのも一個もちろん重なってますし、もともと仕事をした人が亡くなって元ってなっていたとこもある、もう1年間経ってそこの生活に慣れてきてしまったっていうのももちろんあるし、その中切り替えっていうところをすごく上手く表しているんだけど、最終的にそこにみんなの繋がりがちゃんとあるし、外も中も。
今回で描かれているところですけどね、外も中も関係なくそういう輪ができていて、みんなですごく簡単な言葉で言うと助け合いみたいなことがわかりやすく描かれていた。
それが何て言うか、温情だけじゃないっていうか、ちゃんとこうなんて言うんでしょうね。
そりゃそうだよなっていう感じですよね。
みんなで鍋を囲んでとかっていうところもあるし、元漁師のおじさんが漁師の方から分けてもらったエビを渡すしとかね、ああいうのも含めて。
そりゃそうだよなって思うし、それが本当にそれでいいじゃんというか、こんなに別に何もすべてキレイ話するわけでもないけど、やっぱりそれは助け合うよな、当たり前だよなっていうのも思うし、
途中で出てくる当領とかね、小学6年生とは思えないレベルの大工仕事をしに来るボランティアの男の子がいるみたいな、ああいう話もすごくそれがすごいことなんだけどもちろん、
なんだけどそれが当たり前で、彼の立場だったらそうやって動くなみたいなことが一個一個分かるっていうところがあって、でもそれ自分にできるかどうかみたいなところも本当に分かんなくなってくるし、いろんなものを受け取るサンジェントとして。
そうですね、やっぱり助け合いっていう気持ちが中心にあるわけじゃないっていうところ、もちろん結果としては助け合いになってるんだけど、お裾分けに近い感じっていうか、自分ができることのキャパの中で本当は自分は10にできて、でも自分は10は必要なんだけど10にできる、じゃあそこを8にするから4を人にあげるみたいな感じな気がして、
これって助け合い、誰かのことをやってあげるってよりもお裾分けに近い気持ちだと思ってるんですよね、それなんかパワーが、自分は例えば力仕事ができるから、それをじゃあちょっとお裾分けしようとか、できないことを無理して助け合ってるってよりは、そういうお裾分けみたいなことが見えたのがすごい良かったのかなっていうのは今本田さんの話聞いてて思いますね。
震災後の生活の変化
まあ事故犠牲じゃないですよね、だからその自分も必死に前を生きていくし、でもそれは一人では成り立たないよねっていうことがみんなわかってるみたいな、まあそれがやっぱり良くも悪くもそういう震災というその大きなやっぱり大きなショックな出来事だからこそ成り立つっていうのはあると思うんですけど。
いやそうなんですよね、それがまあ今回のこの地震だったりとか豪雨だったりとかそういうもので見えてきたっていうのはもちろんあるんですけどね。
その状況が別に見えたから良かったっていうわけではもちろんないし、それは東日本もそうだしコロナもそうだけどそういういろんなところで言われてる場面ではあるけど、起きてしまったことに対しての現状としてこういうことになってるっていうのはすごい前向きっていうのもあれなんだけど、
これからどうなるかはわかんないけど、まずこの千頭自体はとりあえずいい場所だと思うし、そこにやっぱり帰ってきたくなる場所だと思うし、地域を象徴する場所なんだろうなっていうのは、それはなんか検索して出てくるとかそういうことじゃなくて記憶に残り続けるような場所だし、その人の人生をちょっとでも動かしたような場所とか記憶の片隅に残り続ける場所なんだろうなっていうのはすごい思いましたかね。
だからそれが戻ってくるんですけどっていうものを今この72時間でやるっていうところの何ですかね、やる意味というか、心意気というか、絶対その72時間じゃなくてこれは報道だろうとか別のドキュメンタリーだろうっていう声が多分あると思うんですよ。
だけどそれでも今72時間でやるんだっていうところのちょっと心意気も最後に言っておきたいなっていうのは思いましたね。
だいたいその、これは72時間っぽくないって言ってるのは僕らなんですけどね。
原理主義的な感じですかね。
だいたい僕らなんですけど、今回のこの回は確かに一見するとドキュメンタリーでやればいいじゃんみたいなことには思われるけど、でもそうじゃないと思いますね。
いや本当にそうじゃない。
72時間じゃなきゃできないと思います。
できないっていうふうに思いました。
はい。
本当にいいものを見せていただいてありがとうございましたって感じだね。
はい。
では今回は以上となります。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。