ごちゃまぜ長屋の概要
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、神戸、令和のごちゃまぜ長屋で、という回について話していきます。
舞台は、神戸市の長田区にある長屋が、ちょっと変わった共同住宅が舞台になっております。
住んでいるのは、介護や看護が必要な人たちなんですけれども、1階にあるリビングが開放されていて、そういう人たちだけではなくて、いろいろな町の住民たちがやってくるような、ちょっとした交流の場になっているというのは、今回の舞台になっております。
ということで、本田さんいかがでしょうか。
この回はね、情報量が多すぎて、何から手をつければいいか分からないというところがあるんですけど、さっき山口さんが説明してくれたように、介護とか必要な人たちが住んでいるということで、結構高齢の方々とかが寄り添って暮らしているというところが一番メインのところだと思うんですけど、
車椅子に乗りながら、タバコをプカーって吹かすの、かっこよくないですか。
食後のタバコが一番うまいみたいなね。
結構いろんな人いていて、それだけじゃなくて、女性の方で猫飼ってんだよねみたいな感じでスパーって言ってたりとか、そういうケアとかそういうのから、高齢者とかね、そういうイメージから出てくる、ちょっとうんっていうのではなくて、結構みんなファンキーなのが一番面白くて、だからこそ一人一人の挙動みたいなのがかっこよく見えてくるんですよね。
だからそこが、別に誰も何も諦めてないというか、今が楽しいし、ここが楽しいし、自分にはやりたいことがあるんですみたいなところをいろんな人が言ってるから、みんな肌ツヤがいいというか、そういうのは感じましたね。
ちゃんと今回こういう1階にリビングっていう場所があって、小学生とかが宿題やりに来たりするんですよね。だから住んでいるこういうサービス付き高齢者住宅って言って、左行住ってよく言ったりするような分類の業態なんですけど、そういうところにいる人って、もっと社会から隔絶される感じになってくるんですよ、普通一般的には。
で、例えば今回の72時間って別の回で言うと、僕もよく言ってる海が見える老人ホームですよね。
そうですね。
ああいう、エデンですよ。エデンのそのというですね。
エデンですね。
あれは本当に、あそこの施設として大規模っていうのもあるんですけど、みんな基本的にこういう介護が必要な人たちってわけではないんですけど、いわゆる老人ホームとして、独立してそこの中で生活コミュニティが生まれていくっていう感じなんですよ。
だから海が見える老人ホームは、割とこうみんな、第4、第5の青春みたいな感じになってるわけじゃないですか、あれって。
もうヘブン行ってるんですよね。
そうそうそう。なんか次の何かこう新しい人生が始まってるみたいな、社会とは隔絶された何か違うそのヘブン的な世界観があるわけじゃないですか。
今回のごちゃ混ぜ長屋は、やっぱ社会と接続しながらもどう年をとって重ねていくかみたいな、なんか過ごし方っていうのはすごい描かれてたなっていうのは思いましたね。
多分そこなんですよね。さっきタバコをうまそうに吸うっていうのも、なんかそれは単純に健康に悪いからどうですっていうことだけではなくて、なんかね多分良くも悪くも個人の選択になってるんですよ。
っていうのはそのタバコを吸うが吸まないが、まあみなさんそれはちょっと健康のためにやめないよとかね、お医者さんにどうとかっていうことはあるだろうけど、なんかそれでも関係ねえみたいなところって、なんか社会と接続されてるからこそ出てくる選択だと思うんですよね。
たぶん別に比べるわけじゃないですけど、確かにエデンの喫煙所は存在するのかみたいな問題で、そこは結構みんな好き勝手に、本当にごちゃ混ぜって言ってたからこそ、それぞれの個人がある程度正直そこは自己責任みたいなものも伴いながらも自由に選択があるっていうところの中で、
とはいえ完全に突き放されて、一人でアパートで孤独死するみたいなことではない形で淡泊されてるっていうからこそできる自由であり、それを本当に上手そうな顔してタバコ吸う姿みたいなのがかっこよく見えてくるっていうのがあるかなと思ったんですよね。
建築と社会的役割
あとね、今回の建築っぽい話をすると、1階のリビングっていうのがもちろん交流の場としてすごい機能してるっていうのはあるんですけど、僕はなんかそうじゃないと思ってて、今回のこのごちゃ混ぜながらの特徴って、小田さんが最初に言った喫煙スペースとか田中のおっちゃんが酎杯を飲んでいるガレージみたいな一角出てくるじゃないですかたまに。
田中のおっちゃんっていきなり言ってもわかんないですけど。
田中のおっちゃんって知らないですか皆さん。
よく知らないですか。
田中のおっちゃんマジで初日から3日目までずっと出てくるのマジ面白いですね。
田中のおっちゃんは酎杯を飲むのが好きな人で、子供たちからよく迷子になる人として知られている田中のおっちゃんですよね。
かよいできてるんですね。自立のために。欠陥性認知症というのを患っておられるので、30分前のことも忘れちゃうみたいな。あれ何してたんだっけみたいになりがち。
ただここの場所のことはちゃんとご飯食べて酎杯を飲む場所っていうふうな認識をしてるっていう。犬じゃないんだからさみたいな認識してるんで、酎杯飲んでよし今日も生き抜いたぞみたいな顔をしてくるのがまたそれもそれでかっこいいですけどね。
田中のおっちゃんとか、欠陥状みたいなね。ちょっとしたスペースみたいなの出てくるじゃないですか。おそらく入口の脇にあると思われる。
ああいう半分町に開いたような場所があるから、よりリビングに入りやすいと思うんですよ。単にリビングがドンってあるだけじゃなくて、そこからちょっとはみ出てる場所がある。
よく建築とか町作りとか場作りが好きな人が言う、あれだって言うと縁側みたいな空間とかってよく言うんですけど、セミパブリックとかね言うんですけど、そういうエリアが、しかもそういうエリアがなんていうか、ただ縁側であって特に機能がないとかじゃなくて、普通に喫煙所になってて、そこに喫煙所とか酒を飲む場所みたいな超大人のゾーンなんだけど。
大人ゾーンですよね。
そこが大人ゾーンがなぜかセミパブリックに存在し、そこがあるから子どもたちとかも立ち寄るときに、大人ゾーンなんだけどふらっとそこを通り過ぎてリビングに入っていくとか、あと他の大人たちも入りやすいとかっていうのはすごい、あそこが結構重要な役割を今回の施設だと果たしてるんじゃないかなっていうのは思いましたね。
本当にオープンな場所っていうのの設計って難しいですよね。今回のほんとごちゃ混ぜ長屋みたいな名前になってて、そのうちの一つとして、夜に近所の人とかも自由に使っていいみたいな場所になってて、
主にお母さんとかが子ども連れてみんな寄り合って、お母さんたちはお母さんの席で世間話して、子どもたちは子どもたちでちょっと遊んでてみたいな感じでいていいみたいなことになってて、そこでいろいろな交流が入居者の方とか、本当にそういう人とのクロスがあってっていうのが生まれているから、ごちゃ混ぜってことだと思うんですけど。
そういうよくわからない他者みたいなのが多分来るからこそ入居してる人たちには張り合いが出るっていうことに繋がってるんだと思うんですよね、確実に。こういう時ってどこでもだいたいそうだと思うんですけど、人間ってなぜか仲間自由化したがるじゃないですか。
例えばそういう食堂みたいなリビングみたいな場所があっても、絶対この席にしか座らないおっちゃんとかわかります?
オープンな場所だって言ってんのに、人って占有したがるじゃないですか。それで仕方のないことだと思うんですよね、人間として。僕も気持ちがわかるし、毎回この場所に座ろうとか、毎回違うことがあることって、それはそれでストレスだから。
そうですね、僕らが稲作を選んだ時点でそういうもう人類としてそういう道を歩んでるわけですからね。
リスクを下げられますからね、やっぱり。本当に普通にしてたら定住するんですよ。だから同じような多分そういう左行住みたいなところでも、絶対まるまるさんはいつもここに座るみたいなのがなんとなく無言のうちにあって、それが守られている状況ってあると思うんですけど。
今回の長屋みたいな形で、子供が急に座ってるとか、田中のおっちゃんが忘れてるから間違えてここに座ってるとかわかんないですけど、本当に全然知らない人もいたしっていうのがあるからこそ、無理やりにでも非日常じゃないですけど、定住を許されないみたいなところが多少あると思っていて。
それによって正直やっぱりボケないというか。本当は定住したい気持ちがあるけど、そうやって明日どうなるかわからないというリスクによって逆に人間って生き生きするんだなっていうのは、今回も見てて思ったんですよね。
もちろんいつも麻雀をするとかあると思うんですよ、ルーティンは。なんだけれども、そこにいつ非日常が入ってくるかわからないっていうのは、いいことなんだろうなとは思いましたね。
建築話じゃないですけど、養老庭明磐天地ってあるじゃないですか。すごいカラフルな家みたいなのがあるんですけど。
人間の認識を誤解させて頭を見たりとか。
家の中にめっちゃ坂あったりするんですよ。基本的にどこの家の中を見ても、基本的に6色以上かな確かが目に入るようになってるんですよ。それが健康にいいみたいな。本当か嘘かわかんないですけど。
健康にいい。
目にいいんですよ。ボケないみたいな。養老庭明磐天地だから長生きするための住宅として作られていて、それはやたら段差があったりとか、なぜか床がずっと傾いていたりとか、体に対して負荷がかかるような設計になってるんですよね。
そこで生きていくことが今本田さんが話したみたいにちょっと違和感というか鍛えなきゃいけないみたいなことになって、長生きにつながるみたいな話と一緒で、別に今回はそんな派手な家とかそういうわけではないですけど、そういう人とコミュニケーションするとか、
あとやっぱり今回で大きく根底にあるっていうのはやっぱり共助というか、お互いを助けるみたいなことをするからこそボケないとか、要はなんかやってあげなきゃいけないみたいなこと、決して仕事ではないんだけれども、その技術的な仕事的な体験みたいなことがあることによってボケにくくなるっていう使命感によってですね、っていうのがなんかあるのかもなっていうのは思いましたよね。
ちょっとそういう雑魚論的な何かをしてあげて、それをもらったらまたどこかに何かを返していくっていうのが円環構造にしかもそれがなってる場所っていうのはすごい思いますよね。
本当にね、結構これ毎回言ってるんですけど、よくスティーブ・ジョブズに習って、服これって決めてるみたいな人いるじゃないですか。スティーブ・ジョブズほど常に選択に迫られていて、クリエイティブになるためにすごいストイックにやっているための服を選ばないならわかるんですけど、
あなたが日常の中で一個その服を選ばないっていう選択や非日常をリデュースしたところで、別にあなたのクリエイティビティは高まらないし、なんならここでいう非日常を奪われてどんどんボケますよっていうふうに思ってしまうっていうのがあって、そういう意味では圧倒的な他者みたいなのが生まれてるから、
やっぱりここの場所っていうのは、そういうふうにみんなが生き生きとしてるんだろうなと思うんですけど、たぶんここの3日間では見えなかった摩擦みたいなのも絶対あると思うんですよね。
まあ絶対ありますよね。
入居者の温かい物語
だからそこも含めてあるっていうところがあるから、この回だけを見て素晴らしい天国みたいな場所だっていうことではなくて、やっぱりそういうこんなこともあんのとか、もうすぐ100歳なのに毎回机を朝吹かされてる梅代さんとか。
梅代さんとかすごい話ですけどね、テーブル拭いてる100歳ってどういうことなんだよみたいな。
そう、こう元気にシャカシャカ毎朝テーブル拭いて、車椅子に座ってる人にこの人に仕込まれたんやみたいなことを言われて、梅代さんもまだまだ若くて動けるからそんなことやってんのかなと思いきや、もうすぐ100歳みたいな。
いや全然、全然ベテランやんけみたいな。でも梅代さん多分なんかわかんないけど、いやテーブル拭けよみたいなことを多分言われ、え、何?って思ったけど、結局それがさっき言った山口さんの雑魚論的な、何かをしてあげてお互い強情の形で助けていく。
だから私もこれでいられるんだわと、多分自分の中で最終的には納得しているというか、っていう感じがそのあの一連の朝テーブル拭く動作にも含まれてるなあっていうのはめっちゃ思ったんですよね。
いや本当ですよね、なんか全般的に今回まあね、小枝作品みたいな空気感が流れてるわけじゃないですか。
そうですね、言えて妙な言い方しますね。
小枝監督のね、なんか作品の一つかのような舞台設定だし、甘んびき家族とかね、あとなんだ有名なところで言うと小枝監督は誰も知らないとかそういうのですけど、そういうなんか何て言うんだろうな、やっぱ優しい世界の中にある人の気持ちみたいなことをすごく表してる回ですよね。
今回の今まで話してきたみたいな入居者というか今回入居している方々だけじゃなくて、スタッフの人とかあとは小学生とかも遊びに来るじゃないですか。
そういうのもあるからこそ、単に介護されし合いみたいな円館だけじゃなくて、外部から本当にただ猫が好きな子供が猫を飼っているその方のところに行くみたいなね、とかあったりとか。
なんかそういう、あと何、なんか突然キッサテン、隣のキッサテンにいるしげこさんがこう店で読み終えた新聞を配りに来るとか。
しげこさんもファンキーなんだよな。
そうそう、すごいなんか本当にそのコレイザ作品というか、映画っぽいというか。
映画っぽいですね、確かに出てきそう。
そう、いろんな人がいる、まさにこの中でも言われてましたけど、本当家族的な疑似家族的な感じのコミュニティがすごい広がってる場所なんだろうなと思いますよね。
しげこさんもね、もともとご主人が入居されててみたいな。で、それの縁もあってっていうところもあって、そのご主人もう亡くなっちゃったんだけど、それでもその後もこの長屋にこういろいろ関係性を持つっていうところが、やっぱりしげこさんもそこに対していろいろこう、自分もこの後入ろうと思ってるみたいな話もされてたんで、やっぱりその場所に愛着が湧いていったんだろうなと思うし。
なんかそれがあるからこそやって、それぞれの教授の姿っていうのが繋がっていくっていう感じはすごいしてて。いいんですよね、しげこさん亡くなったそのご主人の写真とかが出てくるんですよね。
だからそこにいろいろあって、あーって気づいたらなんかこれいいなと思ったのは、写真をA4の印刷紙に印刷してたじゃないですか。
いいっすね。
あれいいっすよね。要は普通に写真のあれで現像すると、もちろん高いしっていうのもあるけど、あれの印刷でやると結構デカデカと引き伸ばせるじゃないですか、A4のサイズ。
だから入居者の人たち含めて取り回しがいいんですよね。見やすくて。そう思うと確かに壁に結構貼ってるんですよ、A4印刷写真。
あーなるほどねと、いろいろ撮った日常の風景がそこに飾られていくし、それこそしげこさんのご主人みたいに亡くなった後もそこにいた証としてい続けるっていうのは、これも結構一個の証だよなっていう。
極論その家があって、家を持ってて家に住んでて、でもその人が亡くなったら、わかんないですけどもしかしたら子供とかが引き継ぐかもしれないけど、それも通り壊されたりとか、写真とかもアルバムの中とか家族の中だけで記憶って引き継がれていくじゃないですか。
でも、たとえA4ペラ印刷だとしても、壁に貼ったりとかあそこの家に置いてあるって亡くなった後も、それもいいなというか、こういう形もある、人の思い出に残れてこういう形もあるんだなってそう思いましたね。
なんか働いてる人もそうだし、特にさっきの喫茶店の隣の喫茶店の人もしげこさんもそうですけど、地元の人が出入りしてるっていうのも良かったですね。スタッフも含めて。ママ友みたいな感じで本当来たりとかしてたじゃないですか。夜のスナックみたいな。
地域とのつながり
ビールサーバーでビールついてましたね。
そうそうそう。そういうのもなんかすごい緩いってか本当に何でもありな場所になってんだなっていうのはやっぱ思いましたよね。
全体的な雰囲気とかって考えるとやっぱり関西とかっていう場所とかもあるのかもしれないですけどね。
なんかねこれは僕の半分試験も入ってるし違う話あると思うんですけど、今回のこの長屋ができたのってやっぱ震災みたいなことが神戸ですね。震災みたいな話がやっぱり大きくてそれをきっかけにこの家を立ち上げてる。今回別に描かれてないですけどね。らしいんですよね。
神戸の震災みたいなことを起きた後っていうのは結構こういう街の中での共助が大切とか助け合いが重要みたいなのがすごい叫ばれた話で、そういう施設ってなんとなく神戸も含めてあの周辺って多いんですよすごく。
東北とかもそうですね。
東北はちょっとだけ違って結局ああいう原発事故があったりするからもちろん共助みたいなことはあるんだけど、そもそもそのエリアに住むのをやめようとか。東北は絆なんですよ。微妙に違う話で。
絆。
絆って言われるじゃないですか。あの時期すごい叫ばれてたんですけど。
あの時期よく言われましたけど。具体的にはどういう。
絆っていうのはもうインターネットとかSNSとかそういうのが広がってる時代の話ある程度ね。LINEとかもそれから広がり始めるわけじゃないですか311がきっかけで。だからつながりを持とうみたいなその場所に依拠しないことも含めてとにかくつながりを持っていこうみたいなことが311の話なんだけど。
神戸の阪神淡路の時っていうのはそういうネット環境そこまでまだないから基本的にはもう街の中で助け合おうみたいなことがやっぱり強く人々の心とか気持ちにもたぶん残っていて結構そういう現体験を通してみんなこういう人とつながりをその街の中で作るとか本当に地元で就職して地元の人たちを助け合ってみたいなのが結構なんとなく説としても多い気がするんですよね僕は個人的にですけど。
今いる要は目の前の人の中で助け合おうっていう機運の方がやっぱりそのネットがない分やっぱり一番そこが早いし大事だったっていうことですよね。
今回の施設もすごい別にすごいそれがね直接もちろん今回施設が出来上がったそのきっかけとなることっていうのはそういうのがもちろんあったと思うんですけどなんかそれが本編で別に明確に語られていたわけではないけれども働いてる人がすごい地元とか隣の喫茶店の人が遊びに来るとか小学生もふらっと来るみたいな小学生も来るってことはそれを親が許容してるっていうこと。
親とか学校とかそういう人たちが許容してるってことなんで地域の人たち含めてそういうコミュニティの場としてうまく機能してるっていうのはそういうこともあったからなんじゃないかなみたいなのはちょっと思いますけどね。
田中のおっちゃんの存在
なるほど。あそこで働いてた若いスタッフの方とかあとは近所のお母さんぐらいの方とか阪神淡路の時は逆に子供とかだったりしますよね。
子供時代のあの記憶でやっぱり教授とかって大事だよねっていうのがやっぱりあるからこそそこをしっかりそこにあんまり疑問なくというか普通に日常としてああいうふうに声かけとかやれるっていうのはあるのかもしれないですね。
おむすびでやってた。朝ドラマおむすびで。
おむすびでやってました?
幼少期にそういう震災の記憶を受けたやっぱ主人公が職を通じて人を助けるっていうことになりますからね。じゃああれおむすびだったんだ。
おむすびだったかもしれないですね。そうかもしれないですけどね。
ちょっと話が戻ってきちゃうんですけど。今回の回やっぱ田中のおっちゃん向きには語れないじゃないですか。
田中のおっちゃん話ですね。
田中のおっちゃん話をちょっとフルフルでしておきたいんですけど。
いいですよ。
本当に3日間マジでいるんですよね。見切れるところとかにも写ってて。
常にいますよね。
裏主人公なんじゃないかって僕は勝手に思ってるんですけど今回の。本当に最初中輩買ってきたんやって飲んで。
生き返ったって言ってるんですけど、本当に生き返った感じになってるんですよ。
でもその生き返ったっていうのが大げさだなとかじゃなくて、彼にとってはそれが本当に生き返った状態なんだっていうのがだんだんわかってくるじゃないですか。
ポーション飲んでる感じですよね。
さっき言ってた認知症みたいなのもあって。
すごい自分の中で30分前のことも忘れるっていう。
自分で考えたら本当にともなく嫌になるというか怖くなることを。
たぶん中輩を飲むあの一口でマジでリセットしてるじゃないですか。
これ今日僕ここで中輩飲めたみたいな。
っていうのがすごく後からわかる仕掛けというかね。
初日のなんでもない中輩を嬉しそうに飲む田中のおっちゃんみたいなのが後からわかってくるっていうのもあり。
途中で軽やかなタップダンスみたいなの踊ってなかったですか。
なんかあれリンボーダンスみたいなやつをしてる間に挟まるやつですよね。
田中のおっちゃんが本当に愛されているのがよくわかるシーンで。
別のところでみんなでワイワイやってるところに田中のおっちゃんもどうぞみたいな感じで入り込んだようになったんですけど。
そういういつもいる田中のおっちゃんみたいになっていて本当に愛されてるなと思ったシーン。
やっぱ最後ですよね。最後っていうかあれですよね。途中警察に連れられてくるんですよね。迷っちゃった。
やっぱり結局ふっと考え込んでて、はっと気づいたらどこに、ここどこみたいな形で。
なんでかいつもよりいつもはいかないような遠くの海辺まで出ていっちゃって。
警察の人にたぶんここここでとかって言って、わかんなくなってって言ってここかなっていうので戻ってこれたみたいな。
その後のなんでこんなことになったんやってめっちゃ呆然実質とするおっちゃんの顔。
あれ込みでうわーっていう本当に彼にとっては本当になんでこんなことになってしまったんだっていう焦りみたいなものとか。
そういう本当に一個一個の挙動が新鮮すぎて。
なんて言えばいいのかな。僕はこれを忘れてはいけないってすごく思ったんですよね。おっちゃんを。
このおっちゃんのように一日一瞬一瞬を大事にって言うと普通っぽくなっちゃうんですけど。
おっちゃんがいないとやっぱり成り立たない回だなって思うぐらいにはこの回を象徴してる人だったなと思うんですよ。
いいっすよねあのおっちゃんは。
そういうこうなんて言うんですかね。認知症で迷子になって。
よく言われる言葉ではいかいしてみたいなことになりますけど。
でもなんかそれがこう暗くならないっていうか。
そうですよね。
温かいコミュニケーション
全体的にハッピーな感じがありますよね。全体を通してもそうだしこの田中のおっちゃんの対する周りの人の反応もそうですけどね。
そうですね。
接し方も含めて。
それも大きいですよね。周りの人が全然大丈夫警察行けたんだからいいじゃんみたいな。
それだけでも全然いいでしょみたいなことを周り声かけてくれてっていう本当にそれ込みなんですよね今回はね。
なんかこう周りの受け止め方っていうかね。
っていうことがやっぱあるからこそどんどんどういう状況であろうと今が全然一番いいでしょっていう雰囲気がいろんな人から出てくるなと思いますよね。
なんかみんな明るくて元気ですよね。
本当そうっすね。羨ましいんですよねやっぱだから。
そう。
疲れた現代人からするとやっぱり。
すごいね。それはあるなと思いますよね。
他方ではそういう孤独死だっていう話がある中でで言うとやっぱ最初に女子会みたいなおばさまたちの会合も開かれてる時に言ってましたけどね。
喋る相手がいる方がいいとかね。
そうやって喋ってる方の後ろでは旦那さんが麻雀してるっていうね。
いいっすよねまあね。
いいなと思いますけどね。
本当にいろんなパターンがねそういう風にもう夫婦で住んでもあったしなんか近くに家族も住んでるけど通いで来てるとか。
いましたよね。
自転車で来てるとかなんか孫を見に妻だけ神奈川の方に行ってるから自分一人なんだよっていう人はなんか逆にこの夜近所に来てる子供たちを見ながら孫と同じぐらいだなって思っていつもより長居しちゃうってあれ良かったですよね。
あれ良かったっすね。
じゅうべえさんかな。
そうそうじゅうべえさん。
なんかね本当に一人一人のねキャラがめっちゃ濃いですよね。
キャラ濃いっすねやっぱりね。
今回あともう一個だけ最後言うとその肩書がいらない場所みたいな話が途中ねそのゲイバーのママさんが言うねもともと住んでてみたいな今もう出ちゃったんだけどまたたまにここに来るんですよねみたいな人が言ってましたけどその
72時間って会社員50何歳とかじゃないですか基本。
今回で言うとそれが全部名前だったんですよね清子さんとかピンキーちゃんとか。
それもなんか小っちゃいメッセージですけどでもなんかやっぱ重要なことで基本こうもともと何屋さんであるかみたいなこととか職業とかそういうのじゃなくてやっぱここではそういう名前で田中のおっちゃんとか田中のおっちゃんの匿名性はすごいんですけど。
田中のおっちゃんだけ苗字ですけどね。
ですけどでももう田中のおっちゃんっていうことかも相性として始まれてるみたいななんかそういうことも含めて肩書じゃなくてちゃんと個人としていられるっていうのがすごくこの場所の特性としてもわかりやすいなと思いますよね。
個性の尊重
しすごい個性になってると思いますね。
名前はねもう本当にやっぱりかなり意図してね。
出してたなと思いますね本当にね。
一人一人個人とかになるんですよね。
これで意外と村とかでもそうなんですよ。
結構その地方の村とかだとその集落に住んでいる8割ぐらいが苗字田中だったりして。
田中区別つかない。
結果的にファーストネームで呼び合うっていう。
それこそなんかすごい年の差離れててもすごい年上のおっさんになんかジューベさんみたいな言ってるっていうなんかこう面白い状況があるんですけど。
それに近いというかよりねその集団として個人が尊重されてるというかうまくやるという多分なんかその教授みたいなものをちょっと一応前提にしつつその上で個人を尊重するっていう感じだとは思うんですけどね。
いやーこれ盛り盛りの回でしたね72時間の人は。
いろいろしゃべっちゃいましたね。
ということで今回は以上となります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。