日常の始まり
はい、またまた今週も始まります。
よろしくお願いします。今週も、みなさん元気にしてますか?
してると、目が痛いですね。暑い日々ですけれども、相変わらず。
夏の終わる気配がありません。
ね、9月入っても、まだまだ暑い日が続いている。
まあ、いったんね、夏休みも終わって、学生の人たちはもう学校にね、行き始めている頃なんじゃないかなと思いますけど。
せいらは、こっから年末にかけて、どういうふうな動きになっていく予定ですか?
相変わらず、淡々と仕事するのみって感じ?
あと1ヶ月半ぐらいしたら、やっと一つ肩がつきそうな仕事があるんだけど、
同時に新しい仕事も、案件が入ってきたりしてくる部分もありつつ、
ちょっと長期で海外行く予定もあるし、みたいな感じですかね。
順調だね。
いいね、いいね。
海外行くっていうのは、リラックスできる旅行みたいな感じ?じゃなくて?
秘密ですね。
はい、じゃあ触れないでおきます。
秘密です、これに関しては。
はい、秘密なのであれば、じゃあもう触れないでおきます。
はい、あのね、これはちょっといろいろまたお話しますわ、ゆっくり。
お願いします。
まだちょっと話せない。
はい、わかりました。
バカになることの意義
今日の話に入りましょう、じゃあ。
そうですね、本日のトピックスなんですけど、ちょっと悩みに悩んでというとこなんだが、
我々が結構共通してある1つの課題があると思っていて、
人生的スタンスの部分で言うと、我々ほんと頭でっかちだし、すごく自分のことを冷静に考えることができちゃってるがゆえに、
1つの弊害があるんですよね。
はい、ありますね。
その弊害がバカになれないっていうね。
はい、そうなんです。
バカになれない、なりきれないところが。
で、これつまりはどういうことを言ってるかというと、
自分の感情をむき出しにして、後先考えずに行動するっていうことが、機会が減っちゃってると思ってて、
すごくいいことなんだよ、大人になって冷静さを持って進んでくって。
ただ、それだけだとつまんないんですよ、マジで。
はい、そうなんです。
で、うちらやっぱつまんないのは嫌なんで、
いろいろこの身につけちゃった技能みたいなところって、やっぱ自分たちがそうしないと生きてこれなかったっていう証でもあるんですよね。
うん、そうね。
そう、で、それは素晴らしいことだと思うんだけど、ただ、自分の可能性をもうちょっと広げたいというか、新しい自分に出会いたいというか、
ってなったらやっぱバカになるって結構なんか、ある意味一周回ってやっぱ楽しそうかもみたいな。
そう、そうなんだよね。
そう思ってるので、それもあって今回はちょっとバカになるみたいなことについて、意見を交わしませんかっていうところですね。
どう思いますかっていう。
ちょっとね、いろいろこのエピソードを撮る前に、せいらと話してて、
いや、こういう話があって、こういう話があって、エピソードのネタにどうみたいなのをお互いに出し合って、出し合った結果、
この話に落ち着いたんですけど、バカになるか、一旦バカになるってどんなことをイメージしているのかシェアする?
理想なバカは、せいらの。
あたしの理想のバカは、やっぱりあれなのかな、結果がわかって、こうしたらこうなるってわかってたとしても、
わかんないふりして飛び込んでみたりとかする感じかな、その無鉄砲さというか、いちいち吟味しないで飛び込める精神的な軽さとか、そこかなって思ってて、
ある意味で、あたしはそれがちゃんと使いこなせる人って、もう一瞬待てばかりではないのよ。
まあ、そうね。
例をあげるんだとしたら、やっぱり本当に優秀な芸人さんみたいな感じかな。
みんなに笑われるってこともわかってるんだけど、でもその人たちは笑わせるのが目的っていうか、でもそこを感じさせないぐらい素直にみんなも笑っちゃうし、
でもそれを一番動かしとして、進んで自らそれをやりに行くみたいな感じ。
すごいやっぱ頭切れると思うし、そういう振る舞いができるってすごいなって思うんだけど、
やっぱりなんかちゃんと見られたい欲とか出てきちゃったり、本当はしちゃうけど人間って。
そうだね。
でもなんか動かしをできる、やっぱピエロになれるっていうか、そういうところがなんか私はすごいなーって思ってて、
だんだんだんだん自分がその、なんだろうね、経験もだし知ってることとかが蓄積される喜びもあったりとかするんだけど、
その本当に一つの弊害って、動かしになることを恐れてる自分とか、
変にちゃんとあろうみたいな部分が強すぎたりすると、やっぱつまんないんだよね、なんか。
そうなんだよ、そこなんだよな、結局つまんないってなっちゃう。
味がない、そう味がないの、そんなの誰だってちゃんとしようと思えばできるしみたいなとこなんだけど、
あえてバカやるってすごい、なんかある意味で贅沢というか、楽しいよねって思うから、
そういう局面を自分になんか与えていく行為も必要なんかなーみたいなのは個人的にはすごい思うっていうか。
非言語的な表現
うんうんうん、そうね。
逆にどう、ジョーカーは?
そうね、もう大棟セイラーの言ってるのと一緒なんだけど、
そこの部分が、何かをやるに対して、やる前とかも、これをやったらこういう結果になるだろうっていうのは予測できちゃうし、
てかまあ予測してしまう癖で、けど結構周りにそういうやってみて、
偶発的に起こる出来事すべて楽しいと捉えて突き進んでいくみたいな友達が多くて、
そういうの見てるとなんかすごく羨ましいなっていう、自分もなんか20前後の時は結構そのタイプだったはずなんだけど、
仕事自分で取ってきてみたいな、ちょっと経営者みたいな側面の動き方をするようになってから、
どんどんどんどん物事を合理的に捉えたりとか、生産性のある方向で話を進めようと思って、
話とか物事を進めようと思って動いたりとかするようになってて、今つまらなさを自分に感じてる。
だからそういう人たち周りにいるから余計に比較すると、そういう自分が浮き彫りになって、
ああもうないなみたいな。
彼らのやってる動き方を取り入れたら、もっとより良い自分になれるんじゃないかみたいなのはあって、
そのバカやってる人たちにどうやってバカやってんのって聞いても、
いや感情の向くままに動いてるだけの回答しか返ってこないから。
でもまさにそれなんだと思う。思ったことしか行動、それは多分ちゃんと行動に繋げる時間も早いし考えてないから。
だから俺らがやるべきことは本当に感情のままに動くっていうことを何回も繰り返していくしかないんじゃないかなっていうのは思うんだけど。
あとはなんか人の目線とかそういうのも気にしなくていいのかなって思う。
バカな人たちってそういうところすら考えてないあんまり。
だからそこなのかなって気がする。たぶんうちらそこも賢くあろうとしちゃってるから、
人の見られ方とかすごい気にするし、いろんな方向からの目線とか。
そこなんじゃないっていう気はする。それが本当につまらなさを増やす部分だよねって。
痛いね。本当にその通りだと思う。こうやったらこういうふうに見られるみたいな。
それが良い悪いかをちょっと置いといて、それで二の足を踏んでるなっていうのはあるよね。
あと俺に関してはなんか異様に生産性を求めるからとか、物事を早く進めるにはこのルートは無駄かなとか。
やる前から無駄か無駄じゃないかをジャッジしちゃうから、そこも変えていかなきゃなって思うポイントなんだよね。
それはすごく生きていく上でハックになる部分だから考えすぎ注意な気もするけれども、そういうふうに思うんだね。
全部なくすっていう意味ではなくて、もうちょっと緩めるギアを。
予測不可能みたいなところをすごい楽しんでたりするよね、彼らは彼らで。そこが楽しみというか。
どうなるか分かんないけどやっちゃうみたいなところ。
それってすごいエネルギー強い気がしてて、意図的にやってる人たちとはまたちょっと違う発見とかもあるだろうし、
うまくそこは使いこなせるのがいいのかなって思うんだけど、それ分かっちゃってる時点でなんかもうバカではないのかもしれない。
そうなんだよね。
バカになりたいっていうよりかは、その捉え方というか思考の柔軟性みたいなところを持ち合わせてもいたいよねっていうとこ、
その無鉄砲さとかそういう部分も備わらせておきたいなみたいな。
そうだね、選択の一つとして無鉄砲に始める自分を置いておくっていう余白が欲しいのかもしれないね。
全部を効率的にしようとかそういうのも求める局面が違うと、それってたぶん邪魔になったりする部分もあるから、
そこだけに縛られたくないなみたいな感じだし、それを遊べるような時間だったり、事柄も作っておきたいなみたいなのがある。
やるしかないんだよね、結局ね、たぶん。
せいら、最近絵描きたいって思い立っていろいろセット買って絵描き始めたんでしょ?
それも一個のプロセスの感じじゃない?
そうそう、それ言おうと思ってた、今。
本当?ごめん、先に俺が言っちゃった。
いや、大丈夫です。
私は自分のついやってしまう行動とかって、そうやって思考巡らしたりとか、何でだろうって思ったりとかすることで、
好奇心がそういう意味では旺盛なんだけど、それって必要以上に求められてもいないのに考えちゃったりとか、
あとは言葉に落としちゃったりとかしちゃってるなって気づいた時に、
なるべくそれを言葉にしなくていい時もあるから、それを違う方法でどうやってアウトプットできるかなってなった時に、
絵とかって非言語的だから、すごい逆の行為、考えるって伝えることとは全く逆の行為だから、
それをしたいかもって思ったんだよね。
で、絵描くのが一番感覚的というか、ダンスとかもそうかもね。
でもダンスはもともとやってたから、割と得意だしできちゃうのよ。
どちらかというと、自分がやったことないことって何だろうって思ったら、絵描くことなんだよね。
だからなんかそれを始めたいなーって素直に思って、
で、今時間があったりとかする時、絵描いたりするのに挑戦してみてるっていうとこ、
言葉にしないっていうのがゴール。
その話を聞いて、セイラが自分から絵を描く、
俺からするとびっくりだった。ずっと自分は絵が下手だからとかって言ってた人だから、
それを自分でキャッチしに行ってるって話を聞いた時に、
おーすごいなーって思ったけど、変化が見えて面白かった。
うまく描くとかそういうのが目的とかでも全然なくて、
単純に非言語的な自分の感覚の部分をどうやって絵で表現していこうかみたいなとこを今始めたっていうのがあるよね。
ありがたいことにそのタイミングで友達の結婚式にまた呼ばれて行って、
その引き出物のギフトあるじゃん。
カタログで選べるみたいなこと?
そう、それで絵のセットみたいなのがあったからそれにしたんだよね。
へー、いいねいいね。
そうしたら付属品で塗り絵とかもついてきてて、結構塗り絵も面白いなと思ってやってたりする。
確かにね、色で遊ぶっていうのもまた面白さの一つだしね、絵のアートの。
すごい感じてる、それ。
なんか、俺は絵ももちろん描くけど、絵はもう描くの、それこそ俺は当たり前になってるから、
で、自分が出すぎちゃうから、絵になると。
だから気持ちが落ちてるときに絵描くとすごい選ぶ色がダークトーンになるし、
自分の感情がそのまま出るから、それでいいんだけど、ただ俺は絵はちょっと違うから、
写真撮ってみたりとかはしてるかも、最近。
あー、いいね。
そのアウトプットの仕方をやっぱ自分が普段撮らない方の手法でやってみるっていいかもだよね。
そう。
ただ、非言語な作品を作ることはずっと昔からやってるからレアな感じはしないけど、
やっぱセイラがやり始めたっていうのは俺の中では結構、おーって勝手にね。
セイラ自身がどう今やってみて感じてるかわかんないけど、
言語化するのを主にさ、やるような仕事だったりとかするじゃん。
それを求められる仕事じゃん、セイラは。
だから、そういう人がそういう絵を描くとか、言葉を使わないものに触れたらどういう風に感情が動くのかが気になるんだけど、
ちょっと本筋とそれるんだけど、ちょっとやってみた初感みたいなの聞きたいんだけど、ある?
色と感情の表現
大きな変化はまだないけど、気づいた点は、
意外とその色とかを選んだりとかするとかっていう行為も、
さっき言ってた感情の部分って確かにすごい出るなーって思ってて。
で、意外とやっぱり色で表現できることって結構いっぱいあるんだなーって思って、
あえてこう見せたいみたいな、そういうバランスみたいなところとかも、
今の自分の感情的にはこっちの色でいっちゃおうかな。
なんならこの一色で割とここは描き終えたいなーとか、なんかそういうのが結構感覚的にスッと選んでるっていうのはあるかも。
考えて組み立てていくみたいなこともできるんだけど、なんとなくそこをあんまり当てにせず、
もう本当に感覚的な部分で色ピックして、で塗ってこうみたいなとことか。
あんまり私も絵が自分が思ったことを表現しづらいから、絵っていう手法って苦手だと思ってるんだよね、自分的に。
なるほどね。
自分が思った情景とかをそのまんまそれを絵として表現できないから、から多分苦手意識がすごくあるんだけど、
それも多分練習重ねたりとかすると、練習っていうのもなんかちょっと変なんだけど、
なんかそういう感度が高まってくれば、よりセンサーが搭載されて思ったことをパッと絵で表現できたりする部分もあるのかもしれないんだけど、
一旦今それするのもすごいひと苦労だから、全然思ったふうにならないなーみたいな、そのもの自体もそんなに私って観察してなかったのかもなーみたいな。
車描いてくださいとか言われて車描こうと思っても、全然自分が思っている車の形って全然変だなーみたいな。
意外とね、描いてみたらイメージと違うものが出てくるとかあるからね、その車っていうのを描けておいてもね。
だからそれ、そういうのが自分が思ったように全然いかないっていうところで、多分それを楽しむべきなんだと思うんだけど、
こんなふうに私は見えてるのねーみたいなところが結構あって、絵得意な人で多分その解像度がすごい高いっていうか、
思ったようにすぐパッと描けるみたいなところだと思うけど、自分はそれがないから、やれるようになったらいいなーとは思うけど、
でもどちらかというと感覚的にエロいを選んで、その色遊びみたいなところを楽しむ方がいいんじゃないみたいなふうにジョーカーが言ってくれたのを頼りに、
今日は思いっきり色で遊ぼうみたいな感じかなっていう。
描くことの楽しみ
いいね、いいね、すごい楽しそうで、何より。
絵描くって難しいようで簡単だし、簡単なようで難しいし、奥が深いし、
対象物があってそれを描きましょうとかだと、すごくその対象物を観察するじゃんね。
だから植物描けって言われたら、植物によって葉脈の生え方が違ったりとか、そもそも葉の形が違ったりとか幹の形が違ったりとか、
絵描くのも楽しいんだけど、そういう観察して、こういうものだったんだっていう、そのものを再定義するというか再認識していくみたいなさ、時間もプラスされるから、
でもそれを楽しいと思う認識する人もいれば、描いてる作業とか、セイラみたいに色をたくさん選んで使ってみてっていうのを楽しむ人もいればで、
なんかこの楽しいと思うポイントが人にと違うからさ、から今そのセイラがどこに楽しさを見出してるのかが聞けてなんかすごい勉強になります。
俺とまた違うから。
なんか新しい感覚だなって感じ。
上手くできてる感覚は全然ないけど、でもなんかこうそういうふうに選んでる時間って結構嫌いじゃないなーみたいなところが結構あるから、
なんかすごくメディティティブな時間として、私は絵を描く時間を今置いてたりするから、ちょっとその思考が止まってる状態?
すごいその時間が好きだなーって感じ。
やりたいことを感覚的にやってみるの、第一歩が、第一歩というかその一歩が絵っていうのがまたいいね。
そうね、結構新しい発見って感じ。
絵なんて特にバカになれるくない?好きなようにだって描けるし。
いやーそうかも、すごい遊べるかもね。
今それこそさ、セイラは絵を勉強してきてるわけじゃないからさ、何もないわけじゃん、そのストックがどう描いたらいいかみたいな。
だからこそ今すごくバカになって絵を描けるから、一番自分が心地いい描き方を見つけれるから、一番今いい時期よ。
そうかもね、自分の今までやってきた手法じゃない方法で表現しようとしてるから一番バカな時期かもね。
俺はもう絵描くとね、デッサンとかやってたから光源ここで、じゃあ影こうやって落ちてとか、肌の色を作るってなった時に見えた色をそのまま一色で使うんじゃなくて他の色も混ぜてできるしなとか、ある意味考えて描くから、
だから俺は写真を選んでるんだけどね、全くわかんないから、写真の技術とか構図とかも感覚、なんかここの構図かっこいいなとかで撮ってみたいな。
だから俺のバカになれるフィールドは今は写真、セイラは絵っていう。
まだそのフィールドって言えるほどではないけど。
いやいやいや、全然十分。
始まったって感じ。
なんか自分の感覚に従ってる感はすごくあって、前までだったらそれをやってることによって何か副産物的にいいものがあるんじゃないかとかっていう気持ちで取り組むこととかが多かったけど、
それが全くなくて、本当に単純に感覚の部分っていうか本能の部分っていうのかな、やった方がいい気がするからやるみたいな感じで絵は始まったっていうか、
その方法として絵が一番いいかもと思って、あえて自分の苦手だと思ってることをやってみるみたいな風になってる。
いいね、こっからどんどんどんどん作品が増えていってどうなっていくのか。
あとちょっと時間が何ヶ月か、年末とかでもいいから、どうなったか教えてまた。
そうね、作品と言えるほど作品を作るのかどうかちょっとわかんないけど。
作品って大きく言い過ぎたね、描いたやつね。
バカになりたい創作活動
描き続けてみてどういう風に。
描き続けてみる、とりあえず。
思うがままに。
ちょっと楽しんでみます、そこを遊んでみます。
もし公開できるな、これならっていうものができたら、お互いにインスタに、CPHのインスタにアップするとか、ちょっと試してみよう。
そうしよう。
いつになるかわかんないけど。
できたら嬉しいですね。そういう時が来たら嬉しいですね。
期待しないでください。
はい、のんびりいきましょう。
はい、お願いします。
まあ、そうね、そんな感じでちょっと我々の課題的にバカになりたいなというものがあって。
いろいろ考えた結果、非言語のものを作るというところに落ち着いてるって感じでいったん、今回のまとめとしては。
そこかなーって気がする。
そのいろいろ対象が増えていってくれたらいいなーって思ってる。
今は絵だけど、絵がちょっとブーム的な感じだけど、もしかしたら次は違うかもしれないから、それ何なんだろうなーみたいな感じ?
そうね、絵もたまたま自然に湧いて出たものだから、たぶんきっとまた何かが湧いて出るだろうから。
またそれが生まれたらシェアしてね。聞きたい。
ぜひぜひシェアさせてください。
ということで、本日はこのくらいにしてまた来週にしましょうかね。
はい、ありがとうございました。
ありがとうございました。みんなここまで聞いてくれてありがとうございます。
ではまた来週、バイバイ。