比較からの解放
スピーカー 1
なんか今、どうやったら人と比べるところから解放されるかっていう話をしてて、
で、玄徳さんが物差しをいっぱい持つことじゃないかみたいな。
スピーカー 2
まあネタですけどね。
いやでも、それが何だろう、具体的に?というか、突き詰めるとどういうことなのかめっちゃ気になります。
自分は、要は何だろうな、自分自身も比較を支開するっていう話なんですけど、自分を保つために。
もう大体のことで負けてる相手がいるとするじゃないですか、もう相手の方が勉強もできるし、
相手もそれもこれもみたいな感じで、それがね、多くの場合はその人に社会的に光が当たってるわけですよ。
良いとされてることができてるから目立ってるし、っていう感じなわけですけど、
でも、その場所さえ探せば、いやここは俺絶対この人に勝ってるなっていうところを見つけることは可能だと思うんですよ。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
だからそこは最終的なものがあると思うんですよ。
自分に光が当たる形でその人に勝ちたいとか思うのであればまた別だけども、やっぱり結局事故の完全否定を避けるっていう、
自分の完全上位互換が存在するっていうのは自分の完全否定じゃないですか。
そういう風に自分で自分を認識するというのは。
でもそれをやらないようにするっていう意味では、自分がその人に対するところで一つでも勝てる部分、どんなにしょうもなくてもというか、勝てる部分を見出せればいいのであって、
それを別に誰に言うでもなく、自分の中で思うようにはしてましたね。
多様性と障害の理解
スピーカー 2
だから自分はそれで言うとハンドフルートっていうのをやるので、それで大体の人間に勝てるんですよ。
スピーカー 1
分野が新規だという。
スピーカー 2
だからハンドフルートの買い買いの人だけ個別にゴンゴンゴンって感じでやると、それで自分のメンタルそこそこ守れたかなってなりますね。
もちろん他の人みんなそれで素直にいけるかっていうのはあると思いますけど、結構そこね、一つ二つのことで自分は全部負けてるとか全部ダメだっていうのに思考として陥りやすいので、意外と効果はあると思いますよね。
スピーカー 1
なるほどね。それは確かにそうだなと思いつつ、私が何だろうな、完全に勝ってる負けてるっていう価値観から解放されたいって思うときがあるんですよ。
上上下じゃない。
土俵が違うみたいな、そもそもみんな違うみたいな、前提に立ちたいな、立てる、そういう感覚を持ちたいなって思うときがあって。
ちょっと前に職場の総会みたいな、みんなで話し合うみたいなのがあったんですけど、障害のない社会とは何かみたいなのをグループワークするみたいなのがあって、
そのときにすごいいいなと思ったのが、先輩が言ってたのが、みんな違ってみんないいねってなることみたいなことを言ってて、それはまあそうだなと思ったんですけど、
でもなんかその、何だろうな、例えばその人はマレー系の人たちがいるところに留学に出たらしいんですけど、マレー系の人たちは同じテーブルでそれぞれ宗教の違うものを食べるみたいな。
なんかそれが当たり前とされてるみたいな。だからこう、違うものを食べてるとかが言われない。でもみんな違って、その人種も信じるものもなんか食べるものもなんか全部違うっていう同票に立ってるみたいな。
なんかそもそもバックグラウンドが違う。だからなんかそれ、なんかそもそも違うっていうことの前提に立ってるみたいな話をしてて、そうなんだよなと思って。
なんか比べるってことは、そもそもそれ以外の条件が同じってみんなしてるってことじゃないですか。何だろう、なんかずるいとかもそうじゃないですか。
なんかそれ以外の条件がこう同じ。で、そこだけできてる、私はできてない、ずるいってなるじゃないですか。でもそもそも違うじゃないですか、全部が。その実感をなんかいまいち持てないんですよね。
みんな比べるし、で、なんか一律の括りの中でそれをしたらずるいからダメとか、なんかそれは人にどう思われるかわからないからダメとか、なんかどうなのかな、私わかんないですけど、狭い国の中だからなのかわかんないですけど、
その条件が同じとみなされて、で、ちっちゃいところで比べられるみたいなものから開放されたいみたいな気持ちがあるんですよ。
スピーカー 2
うーん、なるほどね。
できる、できないの次元から開放される。まあ確かにできる、できないことができるようになるのは大事ですよね、自分が。
そこはね、言いたいことはなんとなくわかりますね。
ただね、まあね、やっぱりその、現実考えるとやっぱ厳しいなとは個人的には思うので、
っていうのも、やっぱりそういう、なんていうかな、比較できるような形で横並びに複数の人を置いてスタートするっていうことで社会が回ってるっていう側面は少なからずあると思っていて、
そこの前提をばらしちゃうっていうことを根本的にやってしまうと、やっぱり社会がね、だんだん回らなくなりかねないと思うんですよね。
スピーカー 1
さっきの、なんていうかな、宗教が違うとかっていう話とかっていうのも、逆にね、そこまで違ったらね、いけるんですよ。
スピーカー 2
あとは、要は、手帳があるなしっていう意味での障害者の方と、健常者というか障害者ではない方っていう線引きであるとか、
特に今問題になっているのは、そこの間に近くにあるところの部分が、しんどいわけですよね。
逆にそういう、手帳を持っている人っていう風になると、実は一気に制度上以外の部分で生活が楽になっていく部分がある。
強みと弱みの活用
スピーカー 2
そういうのは実態としてあると思っていて、ただそれを全ての人にそういう形で区切ってしまうっていうのをやってしまうと、
スピーカー 1
結局今度は、結果として区切りがなくなってしまうはずなんですよね。
スピーカー 2
だから、結局持っちゃうんですよ。
っていうこともいろいろ考えると、そういうね、比較ができてしまうようなベースっていうのをなくすっていうのは、
人間社会の形上結構難しくて、その中でいかにまず自衛するかっていうのもあるし、
自衛の方法をいかに伝えられるのかっていうのもあるし、
その中で、やっぱり教育の部分かもしれないですね、そういう部分とかっていうのがどうできるかっていうね、
それこそやっぱり、比較といえば資本主義みたいな感じがよくあるんですけど、
そういう中で教育自体がね、そういうふうに強調されがちなところがあると思うので、
そこはね、やっぱりなんとか教育でカバーしたいはずのところですよね。
スピーカー 1
確かに。区切りがなくなるっていうのだったら、
それこそはけんたくさんの言うフィールドを変えるみたいな感じで、
いろんな人がいろんな区切りを変えれるといいですよね。
この場ではそういう区切りで生きてるけど、違う場では違う区切りで生きてるみたいなことが変えれるといいかなみたいな話ですよね。
スピーカー 2
もっと言うと、ちょっとビジネスっぽい言葉使っちゃうけど、強み弱みって誰でもあるじゃないですか。
その比較っていうのも強み弱みとは関わりがあるじゃないですか。
強み弱みっていうのは他の人よりもできることが強みであって、
他の人を一般、平均点よりもできないかなとか、
そういうふうに感じる部分が弱みであるっていう言い方はある程度できて、
そういうふうに考えたときに、
社会の理想の形って、いろんな人が自分の強みを活かして、
弱みを使わずに生きていけるってことを考えたら、
そういう意味での比較は多分あったほうがよくて、
あっちゃいけないのは、自分はこの人のとか他の人の完全介護官だっていうふうに自分を認識して、
自分を貶めてしまうとか、あるいは人にやってしまう。
お前はダメ人間だみたいなことですね。
そういうのをやってしまうのが良くない。
スピーカー 1
はいはいはい。確かになぁ。
なんかあれですよね。その先輩も言ってたなと思って。
自分の得意なことを活かしてみたいな。
開いて言うとそういうことですよね。と思ったんですけど。
確かになぁ。なんかそれを活かせる。
でも結構私、個人的な話で言うと、
得意なことを活かすっていうのめっちゃ苦手なんですよね。
私にはキャッチーな特技もないし、
得意なことはないっていう実感で生きてるんですよ。昔から。
スピーカー 2
でもやっぱり対応力というか、
その場に合わせる力が非常に高いっていうのはあると思いますよ。
多分この話をすると、いまいちピンとこうへんなとか、
そうかもしれないけど、自分がそんなに頑張ってやってるわけじゃないんだよな、
みたいな感じになると思うんですけど、
多分それが得意なことだと思うんですよ。
確かにね。頑張ってやってないことが自然とやってて、
人よりもできるっていうこと。
だから意外と得意なことの発見って難しくて、
スピーカー 1
逆に好きなことの発見ってそんなに難しくないんですよ。
どうなんだろうね。私結構そこが弱いのかもしれないですね。
得意、好きの弱さ。
スピーカー 2
でもそれといったら話すことって好きなんじゃないですか?
スピーカー 1
喋ることは好きなんですけど、
好きな場とそうでもない場がある。
だからこう、すごい疲れてるのにひたすら気を使って
喋り続けてる時とかもあるので、
好きと言えば好きだし、しんどいこともあるっていう感じではあるんですけど。
スピーカー 2
全然好きなことの話になっちゃうけど、
全然それで話すこと好きじゃないかもなってするよりかは、
私は一対一で、このポッドキャストの場でもいいけど、
決まる人と喋ることが好きですって言った方が多分よくて、
確かに自分の言い方も悪くて、話すこと好きですかっていう言い方は
あまりにもいろんなものを含みすぎるのは良くないってあるけど、
なんかそういう風に、基本的にそういうもんじゃないですか。
全般が好きっていう人はあまり多くなくて、極端な話で
スピーカー 1
テニスの中でもテニスのサーブだけ好きみたいな人もいるかもしれないですね。
スピーカー 2
でも別にそれはいいわけですよね。
それをテニスが好きと言ってもいいわけだし、
テニスのサーブのところが特に好きでって言ってもいいわけだし。
確かに確かに。
スピーカー 1
なんかそこの縛りの不自由さかもしれないですね。
私は結構なんか、え、でも現代の若者そういうとこありますよ。
なんか好きっていうことに対しての抵抗みたいな。
スピーカー 2
それはもう好きもそうだし得意もそうだと思います。
スピーカー 1
はいはいはい。そうですよね。確かに。
スピーカー 2
好きって言っていい、得意って言っていい、
あとはできるって言っていいのレベルがやっぱハードルが上がってしまっている。
それはもうSNSが多分あると思います。
できる人、好きな人、得意な人の手本みたいな人がいっぱいSNS見て、
そういう人がたくさん人の注目を集めるわけなんで、
やっぱそれに対してっていう、そこでは比較が起きてしまうっていうのはね。
確かに。
ありますけど。
スピーカー 1
なんかふと思い出したのが、知り合いに聞いた話で、
その人が大学の授業で先生が言ってた話なのでまた劇のまた劇なんですけど、
なんか自分の得意とか苦手とかをでっかい話で、
例えばこの人と話すのが得意ですとか、機会を何とかするのが得意ですとか、
でっかい話とか1位を取るとかじゃなくて、
なんかちっちゃいことをできるって思えた方が格段にいきやすくなるみたいな、
何とか詳細忘れたんですけど、
自己認識の重要性
スピーカー 1
だからこう自分は人より元気に挨拶ができますっていうことを思えるというか、
それを認めることが一番大事なんじゃないかみたいな言ってて、
なんかそれすごいいいなと思って覚えてるんですけど、
めっちゃいいと思います。
なんか他の人と比べてっていうか、そういう条件ではあったかじゃなくて、
もう今自分ができてること。
それはめちゃくちゃ大事だと思います。
スピーカー 2
それはまた比較される中で自分を保つ方法の一つとしてとても大事だと思います。
だからさっき自分が人に勝てる部分を探すみたいなとか、
そういうのも一つだし、それとセットにしてそういう考え方を持って、
自分には少なくともこれができるみたいなのを持てると、
ちょっといきやすくなるっていうのはあると思うし、
自分もそれはやっちゃうと思います。
スピーカー 1
確かにね。
誰に認めてもらうとか言う必要はないってことですよね。
スピーカー 2
だって自分で自分を認められることが一番大事なんで。
スピーカー 1
難しいですよね。
作ることの楽しさ
スピーカー 2
でもどうですか?
それこそ今までポッドキャストを十何回くらいやってるじゃないですか。
そういうのも含まれるじゃないですか。
そうですね。
それは事実としてヤギリンさんがどんなに嫌がっても変えられる事実。
スピーカー 1
嫌がっても。
スピーカー 2
でも本当にやっぱり自分のことになるとバイアスがかかるっていう人ってたぶんいっぱいいて。
スピーカー 1
まあそうです。
スピーカー 2
旗から見たらできてるじゃんって感じのことが
自分の中ではできないできないって言ってる人に対して
このやり方ってとても有効なんですよ。
いくらヤギリンさんが
私はもうポッドキャストなんてできないって言っても
スピーカー 1
それは否定されるわけですよ。
確かにね。
嫌ってるからね。
スピーカー 2
だからこれにはとても大事なことで
だから自分は何かを作ってみるとかっていうのを結構お勧めするんですよ。
スピーカー 1
確かに確かに。
何かをこう
まあ多分喋るとかは好きなんですけど
何だろうな。
なんかめっちゃちっちゃい話なんですけど
例えば
なんか
何だろうな。
作る
手で物を作るとか
あとあの
色を塗るとか絵を描くとか
割とこう下手なんですけど
なんかそれを
でも作るのとか好きなんですよ。
可愛いのを作りたいなという気持ちもあるんですけど
何かそれができないと
できないって思ってイライラしてくるんですよ。
何だろうな。
何かこう色んな
私結構できないことが多いんですよ。
スピーカー 2
割と何だろうな。
それは
何だろう
それは裏返して言うと
自分のやりたいと思うことに
自分のやりたいと思うことと
やりたいと思うクオリティに
自分の現状が追いついてない状態って
スピーカー 1
それもあるんですけど
割とこう
とっつきとかが悪い
あと不器用なんですよ。手先が。
スピーカー 2
そういうことだよね。
やりたいことに対して
自分が不器用っていう状態だから
もしかしたらパッとできる人もいるかもしれないけど
自分はできないっていう感じ
スピーカー 1
そうですね。
でもなんかその経験は昔からあって
何か
何だろう置いてかれるとか
何だろうちっちゃい時から
お弁当を
遠足の時みんなでブルーシートひいて食べてて
私が食べるの遅すぎて
先生がブルーシート片付けられないみたいなのが
しょっちゅうだし
あと
それこそ小学校でも体育とかついていけない
できなくて残されるとかもずっとだし
あと家庭科とかも
ミシンを壊して呼び出されるとか
すごいやってたし
何だろうな
普通にしてるつもりなのに
不器用で目立つみたいな方が多くて
嫌なんですよ
成長過程の楽しみ
スピーカー 1
中学のスキー合宿に行って
スキー初心者の中で
初心者の中でダントツで下手みたいな
転んだら起き上がれないみたいな
先生たち3人がかりで起こされるみたいな
リフトから降りれず
先生に背中を押されて転がされる
怖いでしょ
まず不器用なんですよ
結構ペットボトルのフタとか開けられないとか
何だろうな
放送剥がせないとかが多くて
友達とかにやってもらうとか
そういうのができないと
置いてかれることって多いんですよ
小学校とかで
私小学校1年生の時とか
名札付けれなくて泣いてましたもんね
名札張りの時
そうです
あんな小一でできる人いるんですかと思ってたんですけど
私はできなくて
スピーカー 2
安全ピンって別に安全じゃなくて
安全じゃないですよね
スピーカー 1
めっちゃ危ないですよね
できなくて泣いてたんですけど
でも誰も助けてくれないし
助けてくれても
不器用やなぁみたいな感じで
助けてくれたりとか
それは良くないですよ
それで自分は人よりできない
みたいな思い込みがあるんですよね
人よりできないというか
とっつきが悪いんですよ何事も
逆に妹とかは
人からパッて話を聞いたりとか
例えば踊りを見せられてパッと踊るとか
何だろうな
見て学ぶことが上手なんですよ
スピーカー 2
すごい
スピーカー 1
で容量を掴みやすいみたいな
逆に妹はそれで悩んでるんですよ
そっから伸びないみたいな
最初は君筋いいねみたいな感じで
目立って褒められるけど
そっから器用貧乏みたいな
伸びないでそれ以上にならない
でそれ以上好きなこともない
っていうので悩んでるんですけど
私は結構とっつきが悪い
で妹はすぐ何でもできる
習い事でもすぐ妹に抜かれるし
何でもできないみたいなのがあって
何だろうな
何に繋げようと思ったっけ
具体例を出してるうちに
繋げようと思ってくださったんですけど
スピーカー 2
また思い出したいんですけど
でも本当にね
いろいろあれじゃないですか
できないことの中で
これはできないと
さすがにまずいでしょっていう
やらなきゃいけないこと
生活上で必要なこととか
そうですね
スピーカー 1
だから一人暮らしとかで
結構誰にも邪魔されないで
最後までできない嬉しくて
スピーカー 2
これがめちゃくちゃ大事だと思います
できないことで
自分がやりたくないことは
もうやらなくていいじゃないですか
基本的にはね
できなかったことで
ちょっとやってみたいなとか
やってみたいけど
不器用だから難しいなとか思ってることは
それはそれでやっぱり
今は自分のペースでやれるわけなので
それはやったりし
そこで大事なのは
いかに自分の認知のハードルを下げるかですよね
だからそのハードルをとにかく下げ切る
絵を描くんだったら
世の中に存在する
SNSを見たら現れるような絵というものから
自分の絵っていうものを
スピーカー 1
それを比較しちゃいけないわけじゃないですか
スピーカー 2
比較したら絶対できないから
いかにそこに関しては切り離すっていうのは
大事ですよね
そのものとして
スピーカー 1
その学びはあるんですよ
大人になったから
自分のできないことにとらわれなくていい
自分のできないことを
自分のペースでできるようにしていける
みたいな学びはすごいあって
一人暮らしとかで
すごい一人で邪魔されてできるの嬉しいと思ってたんですけど
でも時々やりたいと思ったこと
この間とか塗り絵買ってきたんですけど
塗り絵してたら
私の塗り絵のセンスがなさすぎて投げてきて
私も何やってもできない
何をやってもできないので
作りたい
全部そうなんですよ
ダイソーとかで
手芸のやつとか買ってくるとか
編み物買ってくるとかでも
全部最初のページで投げ出すんですよ
できないんですよ
私に分かるように描いてないから
スピーカー 2
それはね
その感じでやると
できないですよ多分ね
要はそれで数を重ねれば
塗り絵に関しても
今やぎみつさんが思い描いてる
これくらいできるように
スピーカー 1
なりたいってイメージがあるじゃないですか
スピーカー 2
そこに近づくために
すごく根気強く
時間かけてやればできるかもしれないですけど
気持ちがもうまず
社会人やってる上では
スピーカー 1
ついてこないじゃないですか
そこまでの熱意もない
スピーカー 2
ただただやってみたかったんですよ
スピーカー 1
あまりにできないと
昔の何をやってもできない
みたいな感覚が蘇ってきて
嫌になってくるんですよ
スピーカー 2
また投げ出して嫌になるんですよ
あとは単純に
スピーカー 1
それはまず本気度確認するものです
スピーカー 2
本気度っていうよりかは
自分が求めてるのは
作品を自分が作れるっていうことだと思うんですよ
そこだと思うんですけど
そこに対して
自分が間に
たくさんの細かな成長を積み重ねないと
スピーカー 1
そこに行けないじゃないですか
スピーカー 2
その間の成長を楽しめそうかなっていう
想定は多分いると思ってて
スピーカー 1
楽しめなさそう
スピーカー 2
そうそう
レベル10が目標だとした時に
絶対レベル0だとしたら
0から1、0から2っていうのを経由するじゃないですか
その時に1回1回
ちょっとずつ喜べそうかなって思うこと
スピーカー 1
それね
私結構何事もあんま思えないですね
だから大学の時か
初心者で吹奏楽部に入ったんですけど
なんだろうな
分かんなくてできるようになる喜びみたいなのが
いまいち分かんない
多分それを好きな人たちばっかりだと思うんですよ
だから色々聞いてみたんですよ
分かんなくて
練習をあんなに1日何時間もやるとか
本番前とか週5なんで
週5でやるとか
それだけなんだろうな
みんなは中学高校からやってた人ばっかりだったので
ある程度できるじゃないですか自由になるから
結構楽しかったのかなと思ってたので
私はできるようになるまでがしんどい
そこまでいけないみたいな話を友達とかにしてたんですよね
友達はいろんな子がいましたね
吹くこと自体が楽しいとか
あと吹いてる
上手くなるために練習してるっていう実感がないみたいな
ただただ毎日吹いてて
楽しいから吹いてるうちになんとなく上手くなってたとか
そういうことを言ってる人たちがいっぱいいて
わかんねえやと思ってやめたんですけど
スピーカー 2
この話聞きましたけど
自己表現と趣味の楽しみ
スピーカー 2
大学までやってる人っていうのは
そういう結構
スピーカー 1
ちょっと先天的チックな
スピーカー 2
初めた時から楽器そのものが好きとか
音楽そのものが好きっていう人が多そうだな
スピーカー 1
そうなんですよね
その時にやってて楽しい
集中できる
作業自体が楽しい
なんとなく上手くなっていく
みたいな感覚
私にあんま合ってないかもしれないと思って
でもそれが羨ましくもあるんですよ
それが一番好きなことなんだろうな
っていう気はしてて
いいなって思いつつ
あんまり
そういう
熱中の仕方はできない
って思うんですけど
スピーカー 2
それで言うと自分はやっぱり
趣味のことだと余計ですけど
一人ではなかなか厳しいなっていうのはあって
一人で頑張ったのって読書習慣ぐらいじゃないかな
本読むのだけはね
先生も何もないから
スピーカー 1
確かに
本読むことはしてるけど
でも昔ほど
好きに本読んだりはしてないですね
昔のほうが
スピーカー 2
暇つぶしの本を読んでた
自分は社会人になってから
ピアノ、鍵盤をちょっとやったんですけど
その時は
やっぱり
先生の年間
そういう
教室じゃないけど
学習に行って
それはよかったんですけどね
それのおかげで2年続いて
結局自分も
同じように最初にレベル10をイメージ
そんなにしてなかったのかなっていうのが
自分の良くなかったところなんですけど
でもやってみたくて
自分は中学生の頃は
昔は絶対ピアノとかできないって思ってて
それこそ人と比べちゃうから
それを始めることによって
絶対続かないと思ってたっていうのを
それをちょっと乗り越えたかったっていうのが
スピーカー 1
イメージとしてあったんですよね
スピーカー 2
自分のペースで自分の
理想の形にやってみたかったことでやってみる
スピーカー 1
分かりますよ
スピーカー 2
自分のペース大事
だから学習で
行ってましたし
もちろんペースとしては全然遅いですけど
ゆっくりゆっくり本当に
初心者の指の練習みたいなのを
それも別にね
いつも毎日できるわけじゃないから
それなりにそこそこやって
一応ピアノを練習して弾けるやつは
動画撮りましたよ
動画あげましたよ
そういうのをやって
こうできるんだなっていう
そこの感覚まではできましたけど
それは一人では絶対無理だっただろうな
と思いますね
とりあえずこれをやりましょうって線を引いてくれるし
スピーカー 1
できてるできてないの判定をしてくれるわけじゃないですか
確かに確かに
スピーカー 2
それはすごく大きい
だから要はレベル1レベル2っていうのを
やっぱりもっと分かりやすく可視化して
こっちに提示してくれるわけなので
スピーカー 1
それを一人でやってたら考えられないじゃないですか
スピーカー 2
ただその
もう楽譜をいっぱい読んでとか
とりあえずやってみようみたいなのを
とりあえずアタックする感じになるから
スピーカー 1
続かないっていうのはあるんですね
本当になんかやろうと思った時も
なんだろうなちょっとできないと
昔のできない感じが蘇ってくるから
他者の支援の必要性
スピーカー 1
私は何もできない終わりってなっちゃう
話をでかくして全部投げ捨てちゃうから
だから何にもできないんですよね
なんか続かない
スピーカー 2
なんか気持ち的に
もう少しそこが前向きにというか
なんだろうね
今の生活を見て
ここに時間が取れそうみたいなとか
なんか当たりをつけられたりとかして
それでその上で先生ついてもらって
こういう感じで管理してもらえたら
いけるかなみたいなのがついたらいいですよね
スピーカー 1
確かにね
でもなんか多分
可視化してくれる人の存在と
あとはなんかその
なんだろうな
スピーカー 2
なんか表現に対するハードルの上がり具合みたいな
スピーカー 1
なんかどうだろう
肩に沿ってできると達成感があるっていうのは
わかるんですけど
そのある意味
なんかそういう風に
なんだっけ
私が好きな作家さんというか
なんだろうな
私が大学院の時インタビューしてた人がいるんですけど
その人がよく対談してる人で
言ってたのが
なんだったっけ
なんか表現
自己表現って普通に喋ることも歩くことも
なんならなんか
声出すことも表情も全部自己表現なのに
なんか表現っていう形が学校とかで決められてて
この美術の時間とか書道の時間とか
なんかそういうものに閉じ込められて
自己表現ができないって言ってる人はいっぱいいるみたいな
なんか話をしてて
いやそうなんだよなと思って
なんか私はもうその手のことが全部苦手だった人だから
だからなんか余計に
何もできないみたいな
気持ちが強いんですけど
スピーカー 2
なんかそれはそうなんだよなと思って
それで言えば
このラジオっていうかポッドキャストは
なぎりんさんの自己表現ですよね
もちろん僕の自己表現もあるかもしれないですね
スピーカー 1
そうですね
スピーカー 2
確かにな
これを1年後とか
今から第1回をこの後余りんさんが引き返してるんですけど
聞いてみてどう思うかとかっていうのは
面白いかもしれないですよね
スピーカー 1
確かに確かに
スピーカー 2
そういうふうに自己表現を捉え直して
ある種ハードルを下げる形で考えると
そういうふうに自分をモチベートしていくっていうやり方もあるだろうし
自分がやりたいのはこの表現なんだっていうのが
決まっているのであれば
そういうふうに言ったような形で
人の力を借りながら
自分でもちょっとずつ当たりをつけるというか
やっていくっていうのは大事かなとは思います
スピーカー 1
確かに確かに
スピーカー 2
なるほど
スピーカー 1
一旦納得しました?
落ちきるまでにはちょっと時間かかりそう
ずっとぐるぐるしてる話題ではあるので
一旦考えます