省の応募ってやっぱりすごい、それ自体に結構カロリーかかるし、
攻撃家は常に時間との戦いだっていうのは、倉田氏ラジオでは散々言ってることなんで、
日々の仕事と応募のカロリーっていうのは、なかなか両立しにくいんですけど、
これはもう、ここまで思いを形にしていただいたんだったら、
応募の情報をまとめたりとか、そういうのは僕が頑張ったらちょっといかんなみたいな、
勝手な、野島さんの靴のあれを伝えたいみたいな、そういうので、
結構応募できそうな省をちょっと探したりとかして、
いくつかあって、ちょっとこの省はやめときましょうかみたいなやりとりがあって、
僕もなんとなく、物が物だけに、
韓国の省に日本から出品できたらいいなって思ってたんですよね。
前回のエピソードで十分説明してもらってた通りの内容だからね。
そういうとこで、県デザインアワードっていうのがあったので、
ちょうどそのエントリー期間でちょっとチャレンジできそうだったので、
応募書類とコンセプトをまとめて、
野島さんにこういう感じだと思うんですけど、というご確認をいただいて提出したところ、
私、写真撮ったよ。また乗っかってくるから。
やっぱり、野島さんすでにいい物撮りの写真を持ってらしたんですけど、
せっかくなんで、アイデンティティ的なところではそうなんですけど、機能面で和装にも韓服にも、
韓服ってのは韓国の服ですね。韓国にいますけど、
似合うっていうのをビジュアル的に実証したかったので、
どっちものを合わせたコーディネートを僕でしてみて、
詳細をちょっと撮ってもらったっていうのがあります。
実際いけてたんですか?
実際に撮ってみてもわかるし、それも何かどっかに見せ、いつか。
K-デザインアワードのところに上がってると思います。
実際、自分で私は和風のバックグラウンドで撮ってはいるんだけど、
全くわかんないね。と思って撮ってて思いました。
どっちでも。
だからそういう言語を越えた感じの説得力のある、できたんだなっていうのは改めて。
だってこれ着て、これ履いて、和服着て、韓国の建物前で撮ったとしても、
しっくり着そうだし、韓服着ても。
だから今度はバックグラウンド、韓国のバックグラウンドがいいなと思って撮っているときは思った。
そのぐらい。
これでも、もしかしたらね、洋風の服にも合っちゃうから、かなりオールマイティだと思う。
大勢メディアであれですよね。多分。
あ、そっか。アワードの受賞のページに動画があって、そこに写真があるかなって。
みたいなところで、どっちにもハマる。
竹が実妙にいいんだよ。
韓国のこのズボンのさ、こういう膨らんだところにシュッとなっているパターニング、パジっていうズボンが、
ちょっとボンタンにまではいかないか。
いかないけど、膨らんでシュッとなってるから、
そう、だからちょうどね、この度の高さとそれがいい具合に繋がってきれいに見えて。
引っかかったらいいなっていうね、
アイドルって誰でもそう。
アワードのことね。
あんまり期待してへこむ自分が嫌じゃないですか。
落ちるとへこむタイプ?
落ちるとへこむタイプだね、それなりには。
ちょっとやっぱり審査期間あったんで、
というのも後で知ったんだけど、ものすごいシビアな審査員がそれぞれ、
審査にエネルギーかけているので結構長さの審査期間だったんですけど、1、2ヶ月とか。
それで、そういえばそろそろ発表だっけと思ってみたら、
ファイナリストっていうのは残っていたので、
ちょっと期待が高まるんじゃないですか。
一応そういう段階があったんで、いきなり早い受賞ですじゃなくて、
ファイナリストに残ってますっていうのが最初に発表されててっていうところの段階だった。
それだけでも、ファイナリストに残ったって言えるだけでも、
誰かしらが多少は良いと思ったので、
良い成果かなと思ったんですが、実際にはウィナーっていうところまでね。
受賞。
あまりにも、僕の感覚から言ったら、
あっさりウィナーになってしまったので、最初実感がわからなかった。
そんな簡単なことあるわけないだろう。
これね、簡単じゃないよ。
ゲイデザインアワードは簡単じゃないですよ。
受賞式行ってわかったことなんですよね。
私も関係ないんじゃないんだけど、
自分がオーダーしたわけでもないし、
応募のテキスト書いたわけでもないし、
写真撮っただけだけど、見たいなと思って、
受賞式にくっついて行かせてもらったんだけど、
英語と韓国語でやってるからね、
ちょっと通訳しようと思って、
すごい真剣に通訳するときはかなり真剣に聞くわけですよ。
私、珍しく。
その時に、一問一句ちゃんと聞いてると、
メモってないか、数字間違えるとあれなんですけど、
かなりのシビアさがまず出ているのが、
審査員自体がまずは評価されちゃうんですよ。
審査のレベルっていうの。
審査員自体が評価されるの。
ちゃんとそれが評価軸があって、
審査員のこのなんか、
説明はそこまで詳しくしてなかったけど、
それがポイント性になってて、
ポイントで、ある一定の平均値まで行かない人も、
来年は審査員として残れませんっていうことを言ってた。最初に。
で、その中でのプレッシャーというのを我々も持っていて、
その中で選ばせてもらった、何十カ国だったっけ?
あ、忘れた。何十カ国の何千ものを。
何百だったかな。
あ、そっか、2000円くらいだけど、各賞は何百だったんだよね。
各プロダクトだったり、
ロゴ、タイプグラフィック、コミュニケーション。
で、合計2000円くらいあったの。
の中に、数百くらいの応募があるのを、
そのシビアさを持ってやらなきゃいけないってことを、
まずご理解くださいっていうのが、
最初のアワードの表彰式に至る前に説明があって、
そんなアワードって私は聞いたことがないですよ。
審査員が評価されるっていうのはビジブルに。
なんかこう、K-POPもそうだけど、
とにかく質を上げたい、なんかよくも悪くも韓国の変質的な、
質を上げるためのここまでの執着みたいな、
しおにを感じました。
コメントっていうことではサイトには載ってないんですけど、
ちょっと実際に行って、
書いてあった?
ポジティブコメントっていうところであって、
ポジティブコメントをしたっていうだけでコメント自体が載ってるというよりは。
なんかソウルに実際って何か言われたこととかあったりしますか?
なんかね、結構わちゃわちゃしてたんで、
あんまりこれについての公表っていうのはないんですけど。
日本人の審査員の方が来て、声かけて来てくれて、
こういうものが賞を取れて嬉しいですっていう。
でもあれだよね、僕らが壇上に上がるときにチョッパリだみたいな。
そうそう、言ってた。
周りからチラホラ。
言ってた、チョッパリって言ってた。
ちょっと話題になったかもわからんっていう。
僕らのテーブルの横が審査員軍団のテーブルだったんですけど、
なんかちょっとそういうのを見に来て。
チョッパリだっていうのは、あの靴みたいな感じ?
そう、ちょうど野島さんも履かれてたんですよ、靴を。
そうですね、食べ方の。
食べ方の。なのでそれを見てチョッパリって言ってた。
なるほど。
パンチョッパリとは言ってない。
チョッパリだって、チョッパリを履いているっていう風に言ってた。
私、写真撮るためにすぐ横のステージの前にすぐ横にいたから、結構聞こえてきて。
それはどっちかっていうと複雑な思いが。
そうだね、ある意味。
向こうは悪気なく言ってるんだよね。
多分だけど、これをチョッパリっていう風に普段言ってないんだろうけど、
タイトルでなるほどチョッパリねっていうのを、彼らの頭でチョッパリって言ったんだと思う。
普段言わない。
週の前の前の日ぐらいに、サムソンアート&デザイン学校のサディっていうところで、
ちょっと韓国の学生にこの話をしたんですけど。
サムソンのデザイン学校です。
26年くらいかな。結構長い。会社がやってる割には長い学校。
サディ、アート&デザインインスチュート。
チョッパリとパンチョッパリの話したら、今の若い子たちは結構キョトンって感じ。
キョトンとしてた。
そういう言い方とかは旧世代感はすごい感じだったんですけど。
そうそう。
っていうのがあって、今お話のついでじゃあれなんですけど、
前回の倉田氏ラジオに出ていただいた時の野島さんとこの賞を受けたことで、
僕もちょっといろいろ思うところがあって。
やっぱりその、一、京都の、生駆使って名乗られてるんですが、
工芸家の一人っていう、僕は理解してたりとかするんですけど、
そういう方がやっぱり、クラフトアワードとか、
アートによったりとかする工芸もあると思うんですけど、
アートの賞でもなくて、デザインの賞を取るっていうことは、
どういう意味だろうっていう風に考えたりとか、僕個人的にしてて。
それで、野島さんが職人っていう言葉をすごく嫌ってたお話を思い出したんですよね。
で、いろいろ、どっちかというと野島さんにお伺いしたいところなんですけど、
生駆使っていう風に名乗られてる部分と、デザインの賞を取ったっていうところの、
何か、無理くり関連付けることもないんですけど、
何か思うとこあったら聞いてみたいなと、ちょっと思ってました。
そうですね。
デザインの学校というかね、そういう体系的勉強をしたことがあるわけではないし、
物作りの作り手としての学校みたいなところにも行っていないので、
始めたのも24ぐらいなので、スタートも遅いし、そういう学校にも出てない、学校にも行ってないから、
どういう風に、最短距離じゃないですけど、物作りのコツもそうだし、デザインというものを考えるときに、
どういう風にするのが、よく見えるのかっていうのがいいですかね。
それはすごい考えて、スタートはしましたよね。
知らないからこそ、そういうの知りませんでしたって言えてしまう軽さはあると思うんですが、
知らないからこそ無茶なこともできるし、知らないからこそ、
効果的にエッセンスを抜き出すというか、そういったことをしないと、体系的にずっと勉強していた人にかなりっこないと思っていたんだよね。
だからより効率的に、効果的に、具体的なものとして表現するにはどうするかっていうのは、常に考えてやっているので、
そういう意味でデザインの方でこういう風にショーをいただけるっていうのは、素直に嬉しいですよね。
さっき、さっきっていうじゃなくて前エピソードだったかな。
大学でもしも自分がもう一回、もう一回じゃないか、大学行って何か研究をするっていう。
間の雑談でした。
ごめんなさい、てことはさっきでいいんだ。
するんだったらっていう話がまさにそれを表しているなって思うのが、
多分なんですけど、これデザインでもあるけれど、文化史というかアーケーオロジーって何て言うんだ。
文化人類学なんですよ。
人の足っていうのはそんなにそろそろコロコロコロコロ変わらないけど、ちょっとずつ多分サイズとかね、形は変わっていても、
やっぱりどういうシーンでどういう人が何のために吐くのかっていう、
なのでスタッフとかが、会社として規模が大きくなるとか、人が増えるとかになって、
多少手が空いたらそういったこともやりたいなぁと思ってるという感じですね。
あとは、そもそもものづくりって、スポーツとかと一緒で物理現象なんですね。
身体を使った物理現象をどううまく使って結果として形にするかということなので、
科学的な物理のいろんな新しい発見と、
量子力学的な感覚としてわからないんだけど、なぜか起こっているということがあるじゃないですか。
そこら辺は自分では調べないというか、自分で研究をしないけど、
早く研究している方はどんどん新しいものを発見してくださいって思っていて、
完全に大基本なんで、新しいものが出ると、えーってなりながらそれを読み合わせるみたいな。
それ私やりたくて、自然化工芸の中で、物理っていうのはまさに靴をやってらっしゃるから物理って思われるんだなって思ったんですよ。
私、最近陶芸をかじってたりとかしてて、
うみくんの金属の加工を横目で見てて、
完全に物質っていうものの物理とか化学的なものだったり、自然化学だったりとかがミックスされている。
完全にサイエンスを物質化して、それを日常に使える形にして人の手に渡っているっていうのが工芸。
私が思っている工芸なんです、最近の。
だから本当にそこにまさに物理っていうものは、人間の靴を作ってもらった時に思ったんです。
測り方で、回転する場所とかを基点にして測っているなと思って。
回転って足のどこ?
足のなんだろう、こういう、なんていうのかな。
関節。
腹腸するところですよね。
腹腸するところですよね。
これなんていうんですか、ごめんなさい、音声メディアなのに。
ここの内側は?
内側もくるぶしです。
内くるぶし、外くるぶしとか、甲からここ、つま先の部分とかが掛かっていて、
それって力点的な、三次元的に計測をするんだなと思って。
普通、靴買う時って、簡単に買う時は、足の縦の長さと、よくて横?
Eとか幅とか、よくて甲の高さなんだけど、野島さんそういう力点を見ているから、物理的だなと思って。
だから、さっきおっしゃっていたのは、私は納得しました。
野島さん、造理を履いた時の感覚を詳細に言っていましたよね。
剣道をやっている方の、ちょっと。
あるよ、ここに。持ってきているけど。
せり上がっていて、それがちょうど踏み込んだ時の反発を感じるみたいなところが、剣道をやっていた人なのかな、みたいな。
擦り足をやるじゃないですか。まず剣道って言ったら、最初擦り足から、私たったの1年半しかやっていないんですけど、中学校の時に。
まず擦り足ばっかりやらされたんですけど、できないです、すぐに。引っかかっちゃう。転びやすくなる。
ちょっとなんか、なんだろうな、親指のこの、なんて言うんですか、こことか言っている。
親指の付け根のここ。
膨らんでいるところだよね。
付け根の部分が、やっぱり力が入らないと踏み込めないし、
まず擦り足から踏み込むときに、こう、なんか、なんて言ったらいいんだろう。
こういう風に、こう来て、こう立ち上がってやっています。
技法的に。
そうそう、こうだ。
技法が増えちゃってますね。
立ち上がって。
立ち上がって、忘れちゃって、中学の時。
擦り足をこうやるんだけど、
あんま曲げたりとかしたりしない。
そうですね、擦り足。
足の角度は決まっていて、
必ず右が前、左が後ろ。
前後でここに拳一つ分ぐらいの間に空間があると。
左足はちょっとかかとが浮いていて、
右足はかかとに紙一枚分入っているぐらいの浮き方。
力をかかっていないけどっていうような感覚です。
そうしないと摩擦係数が高くなっちゃって、
革ベロベロになっちゃうし、スピードも出せないし、
かといって全部浮かしちゃっていると、
踏み込みができない。
踏み込んだ後もすぐに戻れないっていうスタートで。
だからなんかね、こう、足が。
マイクからだんだん遠くなってきた。
そうなります。
つま先がちょっと上がっているって感じが、
なんか、剣道しててトントントントンって前後に動いているときの、
足は平坦に置くもんじゃないんだよっていうのをなんとなく思い出して、
すごいこの通り、つま先が上がっているだけじゃなくて、
なんかこう、船に乗っている感じ。
なんていうんだろう。
ペタンとしているんじゃなくて、
少しスイングする感じを歩いてて思うんですよ。
普通の靴だと多分クッションがかかとに多めになってて、
そのかかとから踏んで、なんかこう蹴るみたいなのが、
なんか履きやすい靴っていう条件だってなんかみんな思っているだろうし、
スニーカーなんかかかとの方が断然厚底でかかとが上がっているんだけど、
キクワさんの場合はつま先の方が上がってて、
歩いたときに後ろにこう蹴る、蹴りやすい。
だから本来歩き方は多分だけど、
二通りあっていく人のくせで、
ももを上げて歩いて着地して蹴るって人と、
えっと、また立ち上がっていいですか。
でもせめです。
こう来て、ごめんなさい、こうやめる。
ももを上げて着地してこうやる人と、
えっとね、ももをあんまり上げないで、
後ろのこの右足が着地します。
左足だけで蹴るっていう歩き方。
こういうと、分かります?
ちょっとうまく説明できない。
お願いします。
二種類あると思うんですよ。
いろんな方の足を見てきた。
歩き方の癖が二種類ぐらいあるんじゃないかと思ってる。
どうでしょうか。
より良い動き、より良い効果的な何かっていうのを
共通認識としてこうしましょうというふうにできているものだとは思います。
これでも本当は是非審査員の方にも、
サイズ合わないけど履いてみて欲しいかなと。
今の靴の構造の話とかになっていってましたけど、
経営デザインアワードっていう工業製品とか、
いわゆるイノベーティブって言われるようなものが
ずらっと並んでいる中にこれがあることの意味が、
審査員の具体的なコメントが読めないと何とも言えないんですけど、
社会課題を解決するっていう話でもないし、
なかったとしたら、
今2023年にこの靴に賞を与えるっていうことに、
どういう意味を持たせたんだろうなっていうのはすごい、
審査員視点で見ると、
これは社会問題を解決はしないけど定義してるんですよ。
こういう文化があって、
会話がやっぱりされてこなかったものに対して光を当てているっていう意味では、
問題までは言わないけど、
ただコミュニケーション問題ではありますよね。
やっぱり話しづらいこととか、
越えづらかったこと、歴史っていうのは問題だから、
それに問題定義をしているっていうのは、
審査員の中でもすごく重要、評価軸としてはすごく重要だから、
やっぱり見えなかったものを可視化しているっていうところが、
それが具現化して形になっているっていうところ。
今回はたまたまというか、
ウミさんの個人のルーツみたいなことが、
それが国際的な問題みたいなものも、
個人的なことは政治的なことみたいなところが、
割と前傾化しやすい。
国際称であることは意味があったかもしれないですよね。
もう一点あるんですよ。
問題定義だけじゃなくて、
ただ見て本当に美しいっていうのは、
それはまずそうですよね。
2つって結構難しいんですよ。
だからまず個人的なストーリー、
かつ社会歴史的な問題、難しい問題に焦点を当てて、
これも既に難しい話ですよね。
個人的なやつと社会的な話を同時にできるっていうのは、
なかなかないお題だし、無理矢理できないから。
そこに対してまたデザインっていうのは、
デザインってみんな問題解決するって言うけど、
私は問題クリアにするっていうのが、
デザインのプロセスの中で重要だなと思っていて、
これはそういった社会的個人的な物語と課題をクリアにして、
かつそれを美っていう美しさで消化させてるっていう点では、
デザイン性がすごく高いっていう風に見たんじゃないかと。
応募書類書くのもすごい迷ったんだけど、
今本当に塩さんが言ったような、
個人の話から社会的な意味とかまでブリッジさせるのは、
ある種飛躍しないといけない。
個人的な話はある程度一般化した話にしないといけないんで、
その辺は書きすぎても嫌らしいし、
ある程度考えていただく余白をどうやって…
でもやっぱり慶和像に載ってるコンセプト文とかも読んでも、
個人的なところからスタートしてるっていうところは、
そこのコンセプトを残してるわけじゃないですか。
やっぱりすごいコンクラで言ってきてることだよなって思って、
個人の背景にあるものからものに向き合うみたいなことって。
リアリティですからね。
ここまでの2エピソードを聞くと、
例えばこのパンチョッパリを、
とにかくデザイン的にめちゃくちゃかっこいい。
めっちゃ欲しいです。
海さんの話を聞いた上で、
僕が入っていいのかな?みたいなことを思ってしまわなくもない。
そういう複雑なルーツみたいなものを持ってない。
ですけど、さっきエピソードで複雑な話をしてるときに、
野島さんは早速オーダーを受けて、
納品されてるものがあるんじゃないかって。
だからツイートとかインスタに写真をアップした時点で、
これは欲しいっていう方がすぐにいらっしゃる。
見た目でってことでしょ。
でもそれでいいんですよね。
それがポジティブ。
そういうところに、ただ問題で重いものを変えてとかではなくて、
転換させて消化させたっていうところが、
やっぱりうまいなって思う。
これミュウチンだから恥ずかしいんだけど言ってて、
審査員頭スイッチ入れるとそういうふうに思えるし、
オーダーされたやつとかの色とかも見てたら、
全然違うものになってる。
やっぱりその方がね。
タビーは白で、この靴は白で、
チプシンは藁だからやっぱり茶色っていうのは、
今我々の目の前に置いてあるウミ君がオーダーした靴だけど、
中が他の色になったりすると全然違うものに見えるし、
意味も全然変わるんだよね。
そうですね、変わりますよね。
やっぱり色って意味があるもんだから、
すごくイメージが受け取るイメージ?
雰囲気とか意味性すらも変わっちゃうなと思って、
それで逆にある意味、
これが当たり前になればいいなと思ってる。
わざわざパンチョッパリって言うんじゃなくて、
普通にかっこいい靴みたいに当たり前になるっていう未来が、
本来はこの在日コリアン的な視点からしたらさ、
当たり前になってほしいわけじゃない?
そうですよね。
要は同じテーマでも、
例えばアートワークにする人とかもいると思うんですよね。
それはそれで、僕もどっちかというと、
アートもかたしつこんでる自覚があるとして、
アートワークにした場合に、
ちょっと語弊があるかもしれないけど、
美しくある必要はないんですよね。