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  2. S1 ep11 青年はいかにして金属..
2022-05-10 36:27

S1 ep11 青年はいかにして金属工芸を志したか ゲスト:金属工芸家・須藤拓(前編)

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Cra出しRADIO初のゲスト回でお招きするのは、京都で金属工芸を営む須藤拓(すどうひらく)さん。ConCraのコンセプトに作り手からのクリティカルな視点を持ち込んだ、ConCra立ち上げメンバーの一人でもある須藤さんに聞く金属工芸の世界。前後編でお送りする初回は、須藤さんがなぜ金属工芸の道を志すに至ったのかに迫ります。京都の任天堂旧本社をリノベーションしたホテル「丸福樓」から初のリアル収録。

今回の話題:
金属工芸と一言でいっても細かく分業化されている/古美術品の修繕/使うために直すことと文化財として現状を保つことは別のアプローチ/修復・修繕・復元/江戸時代の品を当時に近い技術で直す/作り手の癖がモノに出る/茶道具修繕の仕事を多くやっているが、お茶の世界で金属工芸は決してメジャーではない/小学生の頃は大工になりたかった/木を使ってモノを作ることに憧れ/楽器職人もカッコいい/プロのための道具を作るプロに憧れた/ドイツにはマイスター制度というものがあるらしい/テレビでたまたま観た象嵌に衝撃/日本の工芸のことを知らなかったことにショックを受ける/工芸の学校に入学/木工よりなり手の少ない金属工芸を専攻する/木工は生活の一部に入っていけるが、金属の日用品は工業が担っているため、金属工芸は日常生活に入っていくことができない/金属工芸に何ができるのかを探るためにパリを目指す/フランスに行って再度日本の工芸技術の高さを思い知る

美術工房 空心(須藤拓工房サイト)
https://kushin.jp/

須藤さんがConCraで行った事例|父から譲り受けた時計に自分を刻む
https://concra.jp/stories/detail2

丸福樓  
https://marufukuro.com

ConCraプロジェクトの詳しいコンセプトは公式サイトへ。
https://concra.jp

そしてここに掲げているコンセプトのもと、実際にモノを作っていこう人が集まるオンラインコミュニティであり実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)が2022年3月1日にオープンしました! 興味のある方はぜひお気軽に参加してください。
https://basic.motion-gallery.net/community/concra/

#concra(twitter)で感想、質問、リクエストなどお待ちしています!

パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:01
クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを様々な工芸技術で生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが、分かりたいけど勉強しにくい工芸について、見たり調べたり、作り手のお話を聞いて、時に脱線しながら、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
塩です。
海です。
はい。
で、実は。
毎回のこの頭のイントロでですね、作り手のお話を聞いてっていうことで言ってますけど、
クラ出しRADIO初のゲスト回ということで、
今日はゲストをお招きして、あっという間に、まずあれですね、初のリアル収録。
どこにいるかは言っていいんですか?
はい。
ニンテンドー創業家の山内家の方がこの度オープンした丸袋というホテルの一室から収録をお送りしています。
そうですね。山内さんが住まわれてたという住居等のお部屋なので、ここで生活して働かれてたんだなっていうお部屋になってます。
というところから、京都から今回はお送りしてるんですが、
というわけでゲスト回ということで早速ゲストのご紹介をしたいと思います。
はい。
須藤平久さんです。
金属工芸の須藤と申します。よろしくお願いします。
お願いします。
早速金属工芸っていう話なんですけど、
須藤さんって自己紹介するときって金属工芸家って言うんですか?
そうですね。金属工芸という言い方をいつもしてます。
なるほどですね。
元々は結構分業が進んでた業界なんですけど、
自己完結がしにくいものを作っているので、
例えば、木だったら箱とかを作る刺し物っていう技術の人と、
例えば仏像を彫る人っていうのは直接的には同じ仕事で関わらなくても終わっていくんですけど、
金属工芸の場合は、例えば蝶金の仕事にしている人っていうのは何かには彫らないといけない。
何かっていうのは自分では作らない人が元々多かったので、
粗次という言い方はちょっと失礼ですね。
物を作る人と過食をする人とかっていうのが元々は関わって仕事をしていたんですけど、
なかなか単体では成り立たなくなって、
僕自身が何かの専門家にはなれなかった方なんで、
03:03
来た仕事をやっている間に何でもやらないといけなくなったという。
金属工芸があまり当てはまらないので、金属工芸という言い方。
じゃあ蝶金だけをやっている人は蝶金師ですみたいな感じですか?
そうですね。掘り石とか蝶金をやられている方でも今でもおられるのはおられるんですけど、
やっぱり仏具の蝶金とかの方は結構まだおられるんですけど、
ただ単純に美術工芸的な蝶金をやっておられるっていうのは、
なかなかそれだけではお仕事が成り立たないので、かなり少ないですよね。
例えば、金属工芸という風に言うと一般の方とかは、
じゃあ刀とか叩いている人ですか?という風に思ったりもすると思うんですよね。
僕はたまたま知っているからあれなんですけど、
もう全然違う世界だと思うんで、鉄を叩くっていうのと、
刀で想像したらあれですけど、刀身を作るっていうのと、
例えば唾だったりそのあたりの持っているところの下食というところは、
須藤さんが言っているところは文業でやられていたと思うので、
それでいうと下食側のあれに近いという言い方でいいですか?
まさにそういうことです。
普段は刀の仕事ってそんなにあるわけではないと思うんですけど、
どういうことをやっているんですか?
一番多いのは小美術品の修理だったりとか、
欠損しているものを作り直したりだったりとか、
あとは各漆だったり木工だったり、
その他の作家さんが自分で考えた金具を付けたいという時とかに、
オーダーで金具を作らせてもらったりというのを仕事にしているんですけど、
小美術ってどのくらい前のもの?
古くても江戸時代とか、
それより前になると手を付けたらあかんようなもの?
いやいや、そうではないですけど、かなり貴重なものなので、
文化財として守って、
僕は個人のコレクターの方が所有されたり、
もしくはターゲットにしている業者さんからのお仕事なので、
それより前、例えば平安時代とかになってくると、
博物館が思っていたりとかして、そこの当然、もっと学芸員的な、
もしくは専属の修復の方がおられるので、
ちょっとそこが難しいところで、
使えるように直すことと、
例えば割れてしまった陶器、もしくは何かが起こって、
金属が腐った状態になっているものとかを腐っていくのを止めるって、
06:02
現状を保とうとすることっていうのは全然違うアプローチなので、
実際に使いたい人が使えなくなっているものを、
ただ単純にコーキングみたいなものを埋めておくのでは嫌なので、
きっちり直してほしいけど、
文化財的に使えなくてもいいから、
とにかく新しく何かを手を加えずに、
現状を保っておくっていう仕事は別の概念で仕事をしている。
個人的には結構聞いていたんですけど、
修復と修繕っていうのの意味合いが違うっていうようなことを。
そうですね。
それとは別で復元っていうのがあって、
復元っていうのは全く同じものを作ることも、
見た目上同じものを作ることもありますし、
もしくは先日テレビでやったんですけど、
全く別の素材、樹脂だったりを使って、
見た目上はわからなくする。
ただ後で簡単に外せて、
薬品で溶かしてしまったりとかして、
オリジナルにいつでも戻せる状態で、
わからない状態を作るという方もおられるんです。
僕の仕事はそういうのではなくて、
言うと当時にかなり近い技術で、
近い状態に戻すという。
だから欠損してるところは、
ある程度想像で埋めないといけない。
そうですね。
あるってことでしょうね。
そうすると多分どういう技術が流行ってて、
どういう風にやったんだろうっていうことも
聞きながら、勉強しながらやっていくってことなんですかね。
結局、よく似たものをみなさん作っておられるんですよね。
本当にすごい数の、今まで歴史上には職人がいたので。
僕も今まで1500点くらい直してきたんですけど、
やっぱり癖があったりとか好みがあったりとかっていうのは、
どうしても出るものなんで。
それは昔作った職人の。
そうですね。
特に名前が残っている人っていうのは、
やっぱりある程度は作家性がある。
ちょっとこれ語弊があるかもしれないですけど、
筆跡鑑定とかやられる方って、
ぱっと見一緒に、僕らが見て一緒に見えても、
やっぱり違うことを言い当てていけたりとかできると思うんですけど、
そういう部分っていうのがどこなのかっていうのが、
一般の人には少し情報があるので、
おそらくこういうことを考えて作ったんじゃないかなというような。
あとはもうちょっと言うと、
例えば取っ手の部分は、
つまみって僕ら読んでるんですけど、
取っ手の部分とかっていうのは、ある程度量産をするので、
一個一個その作品に合わせて作るっていうこともあるんですけど、
これもかなり作品全体でバランスを取るためには、
09:03
わざわざそうするだけであって、
そうでないものっていうのは、
ある程度に決まった形で作っていくので、
言うと仕事がちょうどなくて、
手が空いてる時に職人には何かさせないといけないので、
自分が雇用してる職人に何かさせるのに、
決まった方のこの秒を作っとけとか、
つまみを作っとけっていうことをしていって、
あのつまみとこれ取り付けとけとかっていうのができるので、
資料的に見ていけると、
ある程度は同じ形のものが使われているので、
それを参考にして作っていくと。
面白いですね。
今、全く初めて聞いている方の想像を、
もう少しディテールを思い描いてもらうために、
お尋ねするんですけど、
今の取手とかっていう話は、
それは急須とかそういうやつ?
そうですね、一番多いのは鉄瓶だったりとか、
銀の湯沸かしだったりとか、
お茶道具ですよね。
その名前の通り道具なので、
使えるという、使うという前提でも作られているので、
そういう取手のことだからといって、
持ち手ですよねっていうのとか、
ある程度用途に即した形。
使うときの所作が前提になっているので、
皆さんがイメージされるいわゆるやかんだったりとか、
急須だったりとか、
まさにそういうものが金属でできている。
一番やっぱり金属が使われている分野としては、
やっぱり茶道具っていうのは、
火にかけるとかそういう意味でやっぱり多い?
そうですね。
茶道具の中で金属工芸が関わる部分ってかなり少ないので、
お茶をやられている方は、
一体どこに金属なんてありましたっけ?
確かに、陶器か。
茶窯とかそういうのは単純に当然イメージされる。
茶窯はだいたい鋳鉄で作られているので、
僕は鋳鉄はやらないので。
鋳鉄って?
芋のです。
溶かした金属を型に流し込んで作っていくんですけど、
そういうのはイメージされるんですけど、
細かくお話ししていくと、
そうやったかもなというぐらいのお茶の中でも、
やっぱりかなりマニアックな側。
工芸の中でもかなりマニアックなんですよ。
そうなんだ。
やっぱり工芸やっているというと、
当然、さっき岡田さんがおっしゃったように、
陶芸、木工、漆、その他有名な、
皆さんがイメージされる滝だったりとか、
いわゆる日本の伝統工芸的なものがいっぱいあると思うんですけど、
金属工芸というのはかなりマニアックなもので、
12:02
一体どういう仕事をしている人間なのかというのは、
他の分野の工芸をやっている人間もあまり理解できていなかった。
それで、第1回のゲストを金属工芸で言うのかなと。
そもそもいきなり須藤さんの仕事の深いところというか、
まず金属工芸とかみたいなところから始めましたけど、
なんで第1回のゲストが須藤さんなのかというところを、
皆さんにお伝えしようがないといけないんですけど、
一番、エピソード1からずっと話していますが、
僕らコンクラというプロジェクトを立ち上げて、
それの宣伝のためにやっているというか、
プロモーションという意味で。
スタートした番組なので、それが核になっているわけですけど、
須藤さんはそのコンクラのメンバーの立ち上げメンバーの一人であるということなので、
ある意味、身内的な感覚でお付き合いをさせてもらっているんですけど。
実際の作り手の目線というところを僕らも参考にして、
サービスみたいなものを考えている大事な存在でもあるんですけど。
そうですね。
すでに4回目かな、には須藤さんのお名前は登場しました。
ありがとうございます。
僕らの本当にいろいろベースのコンセプトを考えていく中で、
すごく貴重なご意見というかアイデアを出している。
作り手がどういうことを考えているとか感じているというのを、
生の声として聞かせてもらっているという感じなんですけど。
今、本題に戻っていいですかね。
戻ってください。
今日ちょっとみんな本調子で。
金属がマニアックというお話があった中で、
次に疑問と言ったら変ですけど聞きたいのは、
どうして金属の世界に行ったのかという。
もともとは木工をやりたかったんですよ。
初めて聞きましたね。
本当の一番最初は大工さんにやりたかったんで。
友達のおじいさんが福井で大工をやられている一般の住宅の大工さんですけど、
小学校4年の時に雪遊びに連れて行ってもらった時に、
おじいさんの家に泊まらせてもらったんですけど、
その時に俺が作った家を連れて行ってもらって、
都会だったらあまりないでしょうけど田舎のことなんで、
今、孫と孫の友達が来ているから家を見せちゃってくれという感じで、
家に入って行って、どうぞどうぞという感じで。
初めてそういうものを作るのを仕事にされている方というのが出会ったので、
今思えば10歳なんで、まだ職業というのがあまりどういうことなのか分かっていない年齢なんで、
15:08
単純な、労働の中でも単純な仕事なんですよね。
料理人だったりとか、そういう何かを作る、制作される方というのは、
子供でも分かりやすい仕事なので、すごいかっこよかったんですよね。
何をしている人なんかあっという間に分かったので、
大工になりたいとその時に思って、大工になりたいという話をなるだけいろんな人に話してたんですけど、
どうやら大人たちの話を聞くと、大工の中にもいろんな種類がいて、
宮大工というお寺とか神社とかそういうのを作る人がいるらしい。
それがどうやら大工の中では一番難しいらしい。
宮大工になりたいと。
中学校に入って、父親がクラシック好きなので、楽器を作る仕事の話を聞いて、
そういうのもかっこよかった。
とにかく気をベースにして何かを作る仕事はすごい憧れたので、楽器の話を聞くと、
だんだん職人のための職人というか、プロのために何かを提供する人間というのに憧れていったんですけど、
中学校を卒業したら、今みたいにネットで調べられないので、
大人たちからの情報は貴重だったんですけど、
マイスターというのがどうやらドイツにはいて、
社会的地位とかということも分かってなかったですけど、
どうやらそういうきっちりした制度があって、
言うとすごい人たちはマイスターをやっているという、
今思えば乱暴な説明ですけど、
高校に行かずにドイツに行ってマイスターになりたいと思ったんですけど、
とにかく反対されて、
まずドイツ語が喋れなかったので、
準備をいつするんだ、準備をしている間の肩書きは何もないのか、
それは父親に説得されて納得しましたけど、
前の担任だったりとか母親だったりとかというのは、
とにかく感情に訴えるような、
泣き落としじゃないですけど、
父親だけは別に行きたかったら行っていいけど、
準備をちゃんとしないといけない。
準備する間は肩書きはあった方がいいから、
高校に一回行きなさい、入るのは今しか入れないから、
辞めるのはいつでも辞めるから入っておきなさい、
ドイツ語を勉強するなりして、
いつでも準備ができたら行きたいじゃないか。
18:03
高校とかに入ったら部活とかやって、
友達もできて、恋人もできて、楽しむじゃないですか。
ドイツ語を勉強しませんでしたし。
高校の時に造眼とか、
いわゆる金属の工芸をテレビで見るようになって、
ちょっと衝撃を受けたんですね。
すごいというよりは、
日本の工芸のことをこんなに知らないのかっていうのが、
海外の工芸には憧れてるわけじゃないですか、
ドイツに生きて。
日本の工芸のことは全く知らなかったので、
これはまずいなとはすごい思ったんです。
たまたまテレビでやってたみたいな。
たまたまやってたんですけど、
今みたいに工芸もだいぶ日の目見てますけど、
昔その頃っていうのは本当に、
工芸っていうと全然自分たちの生活は別の世界の話だったので、
今みたいに頻繁には出てこなかったんですよね。
本当に偶然見つけて、
じゃあその時に造芸をやりたいと思ったかというと、
別にそうでもなくて、やっぱり僕はやりたかったんですよ。
京都の山の方にある工芸の学校があるんですけど、
そこに入学して、
当時はまだ80歳くらいのベテランの職人さんがいて、
先生と世間話しかできないような学校というか、
学校法人でもなかったので、
弟子入りみたいなもんですよ。
入って最初に濃麺を作る期間があるんですけど、
濃麺を作る期間があって、
その間にいろんな川を回って、
自分が何をするか選びなさいと。
その時に金属工芸の川に行ったんですけど、
丁寧だったんですよ、先生の説明が。
僕の中でも先ほど言ったような挿し物という箱を作ったりするのをやりたかったんですけど、
その先生はあまりちゃんと説明してくれなかったんですよ。
見たら分かるから見ていきなさいと。
見るのは好きにしたらいいというぐらいだったので。
金属工芸は全く何も分かってなかったんですけど、
高校の先生に一度指輪作りを教えてもらったことがあって。
高校の先生、普通の高校なんですけど。
今は全然連絡もしてないんですけど、
高一の時の美術の先生は絵をさせる先生で、絵だけだったんですよ、ほとんど。
高校の美術ってこんなんなんだと。
中学の美術大好きだったんですけど、環境の仕事でもするかなと。
大人に近づくにつれ美術って面白くなくなっていくんだと思ってたんです。
高2から新しく先生が変わって、新卒の先生だったので、すごい真面目にというか。
21:01
とにかく満遍なく真面目に手帳とかも勝手に高校生なんで、
みんなで勝手に先生が置いている手帳とか見て、
言うセリフとかもちゃんと書いてるんですよ。
真面目すぎるというか。
高校生にまで響いたんですよ。
ひた向きさというか、職業に対する向き合い方が。
でも時代背景とかをたどると、多分津野さんが造眼のテレビを見た頃って、
多分ですけど、Windowsとかがようやく出始めてて、
家庭に1台パソコンがなかった時代なんですよね。
僕らの今生きてる時代のメモっていうのとプライバシーっていうのが結構だいぶ違うっていうのもありつつ、
インターネットも当然パソコン通信とか、
小塚がやってるような時代だったところもあると思うんで。
もう言うセリフを言い忘れたときは、言うのを忘れたときもメモしてるみたいな。
だからすごい好感を持って見てたんですよ。
津野先生と出会わなかったら工芸の道には進まなかったと思うので。
めっちゃおもろいな。
津野先生に教えてあげたい。
今こうなっております。
おかげさまでありがとうございます。
頑張れるし、その結果今どれくらいもこんなの作ってますから。
高校の時の先生で新卒の先生とは別に年齢的にもそこまで離れてないんですよね。
そうですね。
なのでそういう出会いもあって、金属も触ったことないわけじゃなかったので、
金属がちょっと面白そうだなと。
木工をやる友達は結構いたので、
もうすでにその頃には友達も何人かいて、
ほぼみんな木工だったんですよ。
最悪本当にやりたかったらこいつらに教えてもらったらいいかって気持ちもあって、
金属に行く人はすごく少なかったので、
じゃあ金属に行ってみようかなと。
うっかりですよね、本当にね。
僕なんか誰もやり手がいないっていうので、バンドでベースをやった方の。
そういうことですね。
やり手がいなそうだな。
ギターとか誰がやれるんだろうなって。
やっぱり一見華やかなんですよ、金属って。
特に指輪とかそういうアクセサリーとか、
今はもうそんなのしなくなりましたけど、
当時はやっぱりそういう自分が作ったものとか身につけたりとか、
かっこいいなみたいな、そういうのもあって。
そういう、なんていうんですかね、きらびやかで、
しかも彼女とかできたらプレゼントとかしたらモテるわけじゃないですか。
24:00
モテたい、目立ちたい、稼ぎたいみたいな、いわゆるそういう。
そういう意味ではボーカル志望みたいな。
それが入ったらクッソ地味なんで。
やっぱり地味な世界なんでね。
木工とかずっと羨ましかったんですよね。
10年くらいまで。
特に生活の一部に入っていけないので。
金属の生活になっているものは工業がになっているので。
必要としてないですよね、金属工芸というのが。
日常に対して。
工業がそうですね。
装飾とかそういうものにまだ残るか残らないかっていう。
それは本当に20代最後の方に木工の職人さんに話をした時に、
自分たちの作っているものは生活の一部ではあるけど、
生活に埋もれていくんだという話をされていて、
金属のものはいつだってずっと特別扱い、
宝石というか宝飾品もそうだけど、それ以外のものでもきっちり箱に入れて、
それ用の場所を作ってもらって、大事に扱ってもらうっていうのは、
それはこっちから見たらそっちの方が羨ましいよというのが。
そんな大変なものですね。
そうなんですよね。
確かにそうかというね。
もともと最初は金属で生活用品を作りたかったんですけど、
なかなか敵わないというか、先ほど岩田さんもおっしゃってましたけど、
工業の役割なんで。
と言いつつも京都におられるからっていう。
でも京都出身ではないんですよね。
そうかそういう話も。
僕は大阪の人間で、結果的には京都に行くことになった。
別に京都に憧れてたわけでもなんでもないですし。
学校で京都に来て。
学校は南端っていうかなり。
京都市じゃないですよね。
山の方で、卒業した後はヨーロッパに行ったりした時期もあって。
そこで子供の時の夢が叶うんですか?
フランスに行ったんですけど。
違う。
その頃はね、
今で言うとこじらせてるっていう言い方があって。
ビジネスだったりとか仕事というよりは、
工芸を通して何をやっていくかを見つけていかないといけないという気持ちは強かったので。
歴代の有名な芸術家たちが目指したパリっていう街は、
27:00
一体どんな刺激があるんだろうと思って。
一度行ってみたいという気持ちがすごく強くて。
ヨーロッパ職人機構みたいな機構文を書いておられる方の本を読んで、
そこに出てきた単金の職人さんがパリにいるっていうので、
そこに弟子入りしようかなと思って行ったんですけど。
そこで日本の工芸の技術が改めて高かったんだっていうのを思い知って。
日本ではそこそこの工房に学生の子が出入りさせてもらったので、
ヨーロッパに行って、向こうで外国人が来て見せてくれって言われたって、
そんな受け入れてくれないわけじゃないですか。
特に金属って非金属を大体使ってるので、
場所もあまり公開してないんですよ。
向こうの一流じゃないという言い方があっているかわからないですけど、
オープンでやってるところっていうのは個人でやっておられるところが多いので、
そこを見て、また高1の時の西洋かぐれだったんかなと思うような感覚が、
日本のことまだあんまりわかってなかったかなという。
雑談の衝撃再び。
勉強するなら日本だなという。
売るのはヨーロッパかもしれない。
ヨーロッパか西洋かもしれないけど、
もう一度帰って勉強しないといけないというので、
帰ってきて京都の高校にレシートさせてもらったんですけど。
期間的にはパリにはどのくらい行ったんですか。
パリにはね、今はちょっとどうなったかわからないですけど、
当時は3ヶ月しか入れなかったので、
ビザなしで行って、裏技とか聞くんですけど、
イギリスに入国するときにはスタンプが要るとか言って、
そのスタンプさえ押してもらえば一旦出たことになるから、
またパリにも入れるよとか言って。
でもそういう問題じゃないじゃないですか。
そのレシートのところにレシートさせてもらって、
ビザを出してもらって滞在したかったんですけど、
そこの工場はもう閉じてたんですよ。
飛行群みたいなもんっていうのは、
取材から出版まですごい時間がかかるもんなんで、
もうとっくの前に、そうなんですよ。
これめっちゃいい話聞いてますけど、
インターネット時代じゃない時の気になっている場所の尋ね方ですよね。
そうだね。
ネタするとだけども、須藤さん日本にいない可能性だったわけじゃん。
そこに弟子してた。
そうですね。
その気候群を書いておられる方はもうお会いしたことはないんですけど、
30:00
直接その方に手紙を出して、
この人の連絡先を教えてほしいっていうので、
その短期の職人さんの住所を聞いたんですけど、
電話番号も住所も何もわからない。
地図だけが送ってきたんですよ。
それもすごい。
そうなんですよね。
君はまだ若いんだから、とりあえず行ってみなさいという趣旨のことが書いてある。
背中を押してあげて、とりあえず行けと。
お会いしたことはないんですけど、
使う字体の略字の、あれってかなりご高齢の方なんだろうなという。
だからそれはそうだなと思いました。
今特にそうでしょうけど、
とにかくギリギリまで自分が動きたくないと知っている。
自分自身で動きたくない。
先に準備しておきたいという、
若者特有のはしょりたい感じを、
世界中自分なしで取材してきた人に、
そういうふうに言われたのは結構恥ずかしかったんですよね。
確かにその通りだなという。
で、もう行ってこようと思って。
ただもうそれで行きましたけど、
もう何のあてもないので。
あてなさすぎ。
シャルルドール空港から出たときに、
どうしていいかも分からない。
ポツンというか、
パリまでどうやって行っていいかも分かってなかったので。
それ何年のときですか?
それね、2000年かな。
2000年か。
そのときに知り合ってたらめちゃ鉄だったけど。
そう、だから多分今思えばね、
白宅ですよね。白宅に乗って。
パリの一応予約してたホテルまで行ったんですけど、
予約がちゃんと取れてなくて。
ファックスで送ったんかな。
Eメールで送ったんかな。
Eメールで送ってファックスで来たんかな。
そのファックスを持って行ってたんですけど、
もうその内容は確かに分かるけど、
最後の確認の手続きを取ってない。
仮容さえしかしてなかったから、
お前の部屋はないんだという。
喧嘩しましたけど。
そういうときにフランス語が出てくるんですね。
ちょっとだけしか勉強してなかったんですけど。
半年だけ勉強していたらフランス語が出てくるんですよ。
どうしてくれるんだという。
じゃあ今日俺はどこで泊まるんだという。
もう宿町見せられて。
そう言っても部屋がなくて、
こんなところでこんなことをしてる場合じゃないんじゃないかという。
確かになという。
近所に回って行ったら、
優しい宿の人が、
この辺はお祭りがあるからホテルが取れないよと言って。
33:02
シャンゼイジに行ったら、
観光局がやってるホテルとか紹介してくれるところがあるから、
そこにちょっと手すりを払ったら紹介してくれよというのを教えてくれて。
今思えばなんでそんなにフランス語が理解できたかあまりよく分からないですけど。
意識なく。
だからそれで行って、
また損なんですよね。
寂しかったですよね。
すげえな。
当時フランスを目指した須藤青年は、
金属工芸の学校で学んだ技術で、
表現をしたいと思ってたという感じなんですか?
何か自分の。
工芸が何をしない、何をする仕事というか、
アーティストではなかったので目指したいものは、
そうではなかったんですね。
最初から。
先ほど生活の一部のものを、ほとんど工業だという話をしましたけど、
工芸が足るものを自分の生活に必要な金属工芸品は、
金属製品は自分で作るべきだと思って、それもやろうとしたんですけど、
結局カットライトができるんですけど、
ドアとかサッシとかが出てきた時点で無理なんですよ。
自分たちの生活を支えている金属のものはほとんど工業で、
工業の金属がなければ自分たちの生活は成り立たない。
すごい前近代的なものになってしまうというのも、
学生の時に分かってしまったので、
何を一体したらいいのかというのが分かってなかったんです。
そういうのも見つけたいというか、
それが日本にはなくて、ヨーロッパにもあるかないか分からなかったんですけど、
とりあえず日本にないことは分かっていたので、
やっぱりヒントがあるんじゃないかと。
なるほど。
30分経ちましたね。
まだ交換な感じなんですね。
そうですね。
出職になるまでの道のりが面白いですけど。
でもなりたい人がどこから手をつけていくか分からないという状況だから、
学校に入るか、こうやって経験者に聞くしかない。
今のフランス編を終えて、日本の工房に入ってというところで、
今度は日本の工房に入って、
今度は日本の伝統工芸の中の金属工芸にどっぷり入っていくということですね。
後半は伝統工芸周りの中で、
どういう世界を見てきたかみたいなところでお聞きしていきましょうか。
では次回のエピソードに続きます。
36:01
また感想は、ハッシュタグコンクラでつぶやいてください。
フォローしてください。
コンクラコレクティブのメンバーも募集中です。
それではまた次回お会いしましょう。ありがとうございました。
36:27

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