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2022-05-17 37:37

S1 ep12 金属工芸はいかにして生活に息づくか ゲスト:金属工芸家・須藤拓(後編)

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金属工芸家・須藤拓(すどうひらく)さんを迎えての第二回。パリに出向き、日本の工芸を外の視点から眺めて気付きを得た後、日本に戻った須藤さんが何を見て何を考えてきたか。工芸の未来を考える対話。京都の任天堂旧本社をリノベーションしたホテル「丸福樓」からリアル収録。

今回の話題:
恩師の工房に弟子入り/アーティストと職人の違いは?/工芸は製造業なので何年も前の作品と同じものをオーダーされても応えられる/アーティストは今現在の自分の表現を優先する/職人は作家性よりも再現性を優先する/自分が出来ないことは思い浮かべることもできない/創造性を解放するための技術習得/モノが持っている力/モノ自体の力があるものが時代を超えて残る/経年変化=味を価値にできるかどうか/作ってすぐが一番価値が高く、時間によって価値が目減りするなら消費物になってしまう/履いていた人の生き様が残るヴィンテージデニム/現代の生活様式の変化が工芸品の使われるシーンを失わせているという言い訳/何かを残すために何かを変える必然性/経年変化=錆び、錆びを良いものと捉えられるか/自分が何を残したいかを見出し、それ以外は捨てる覚悟を持つこと/生活用品を全部百均で揃えたっていい/それによって浮いた時間とお金をどう豊かに使えるかが大事

美術工房 空心(須藤拓工房サイト)
https://kushin.jp/

須藤さんがConCraで行った事例|父から譲り受けた時計に自分を刻む
https://concra.jp/stories/detail2

丸福樓
https://marufukuro.com

ConCraプロジェクトの詳しいコンセプトは公式サイトへ。
https://concra.jp

そしてここに掲げているコンセプトのもと、実際にモノを作っていこう人が集まるオンラインコミュニティであり実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)が2022年3月1日にオープンしました!
興味のある方はぜひお気軽に参加してください。
https://basic.motion-gallery.net/community/concra/

#concra(twitter)で感想、質問、リクエストなどお待ちしています!

パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

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クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な工芸技術で生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが、分かりたいけど勉強しにくい工芸について、見たり調べたり、作り手のお話を聞いて、時に脱線しながら、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
志穂です。
ウミです。こんにちは。
そして、前回から引き続き、この方、一緒にお話しています。
はい、須藤です。よろしくお願いします。
前半は、須藤さんが金属工芸の道を目指すまでの青年期までのお話をお聞きして、金属工芸を勉強されて、フランスに行かれて、
そこから今度、フランスで改めて日本の工芸の技術の高さというところを思い知って、日本に戻ってというところまでですね、前回お話をお聞きしたのが。
それから、どんな世界に須藤さんが入っていって、今の金属工芸家としての道を歩まれたのか。
金属工芸、学校の時の恩師の工房に行かせていただいて、帰国してご挨拶があった時に、息子さんがプラプラしてるんだったら来るか、みたいな、ちょっと軽い言い方だったんですけど、勝手に家決めて、京都で家決めてきましたって言ったら、ちょっと待ってくれと。
そういう話ちゃうかと。実家からたまに遊びに来いみたいな話だと思うけど。
当時は工房内にお茶室があるようなところだったんで、お茶を飲んでいただきながら、うちで何をしたいんだという話になって、技術は当然ですけど、
まず、どういうお客さんというか、どういうターゲットに仕事をやってるのかっていうのを知りたいというのと、どういう規模感でビジネスをやってるかっていうのを知りたかったので、どのぐらいの飽きないなのかっていうのを知りたいですという話をして、出資入りさせてもらったんですよね。
結構ぶっ飛んでるじゃないですか。いきなり家を決めて突撃みたいな感じで。
ちょうど大阪の出身で、その頃まで大阪にいたんですけど、両親が奈良の方に家を買って、ちょっと引っ越してそっちでツインを住みたりしたいという感じで、自分の何も友達も何もいないようなところに引っ越して、
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大阪と比べると奈良って田舎という言い方はちょっとあれですけど、やっぱり私益も少なかったんでね。閉塞感というか、もうこのままではいかんなという気持ちも強かったんですよ。
どんな話でも乗らないとという気持ちもあったんで、自分がまさにパリで日本の方が技術的に高かったんだなと思ってた工房の一つだったので、そこに潜り込めるかもと思ったら、まず自分で外に出てやりたかったっていう、実家から出てきていきたかったっていうこともあるんで、それがうまくマッチしたというかね。
そこに突撃戦以外の選択肢はない感じですよね。
そうですね。小美術というか茶道具とかを作っているところだったんですけど、そういうのはその当時は全然やりたいわけじゃなくて、もっといわゆる自分が生きてきたような生活の中でその人たちが欲しくなるようなものというのはどういうものがあるのかなというのは常に考えていたので、そこで働きたいわけではなかったんですよね。
単純に技術が欲しかったのと、どういう感覚で物を作っているかというのを知りたかったというかね。
そこはずっと一貫して生活に使われる道具を作りたいというところは、宗さんの中にずっとあった?
自分たちがそれを買うために頑張って貯金するみたいなものってやっぱりあるじゃないですか。
服だったりバッグだったりとかっていうその中の一つにどうやったら入れてもらえるかなという気持ちがあったので、頑張らないと買えないものしか作れないことは分かっていたんですよね。
そうですね。工業製品との住み分けで。
その中で頑張ってでも欲しいものを工芸で作るためにはどうしたらいいかなということはすごい考えてたんですよ。
それとは別の話として、いわゆるきっちり作るというところを一回学んでおかないといけないという話が別の話としてあったので、活かしていただいたという。
なるほど。
ちなみに何年くらいそこで修業を?
1年半ですね。1年半ってじゃあもう何も言うなというぐらいの期間なんですよ。
じゃあもう勉強してましたとか、あそこで勉強しましたとかって言うなって言われるレベルの期間なんですよ。
ただ単純に逃げただけだろうという。ケツ割ったやつが何言ってんだというような期間なので。
その後、ちょっと話が逸れますけど、母校で教員とかしているときにベテランの他の先生たちに、お前どこかで電子技術してたんかと言って、どこどこですという話。
どれぐらいおったんやと言って、1年半ですと言ったらもうやっぱりね、じゃあ何もやってないじゃないかというような世界なんで、当たり前ですけどね。
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工芸っぽい感じ?
工芸に限らず普通の会社でも1年半だとほとんど。
何年ぐらいだったら堂々と修行してましたって言えるんですか?
10年とは言わないですけど、5年とかはやっぱりかかるんじゃないかなと思います。
電子技術をしたらその師匠の感覚に従うというかちょっとあれですね、すごい依存するようになっていくので、
何が美しいかとか何がいいかとかっていうのを自分で判断しなくなっていくんですね。
判断しちゃうともうそれ弟子じゃないんで、そんな奴来てほしくないじゃないですか。
それが結構まず一つハードルだったんです、自分の中で。
その先生の作風に憧れて何とか学びたいっていう理由で言ってるわけじゃないので、やっぱり不純なんですね。
動機がそもそも弟子したいって言ってるわけじゃなくて、ラッキーぐらいの感じで乗っかっただけなんで、
やっぱり自分の持っているイメージとどんどんズレが出てきてしまって。
だから美式と技術が結構先生は一緒の輪っかの中に入ってるんですけど、多分須藤さんはかみ上げてたわけですよね。
ここの技術は多分勉強して、でも美しいと思っているものは多分僕的にはこうじゃないかな、
僕的にはこういう風なものを掘っていきたいなっていうところが多分あったんじゃないかなと。
あと作家性の学びに行ったっていうわけじゃないから、技術を習得するために現場で入りたかったっていうのが理由だから。
私はアーティストなんですけど、職人とアーティストの違いってなんだろうってやっぱり考えていて、
アーティストっていうのは作品もちろんありきだけど生き方も見られてたりとか、
どういう作品をいつどういう風に作って変わってたかとかすごい読み解きされる立場ではあるんですけど、
職人さんって技術どんどんすごくなっていくじゃないですか、習得してて。
どういう差ってどこにあるかなって職人さんの視点だと、アーティストと職人の差って何にありと思いますか?
僕みたいにオーダーで作っている人間っていうのは、やっぱりコミュニケーションなんですよね。
コミュニケーションでいかに顧客とかオーダーしてくださっている人から情報を引き出すかっていうのが大事なんですけど、
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そこの部分がまず伸びていかないといけないっていうのと、アーティストっていうのはそうではないイメージですけどね。
オーダーされて何かを作るっていうのは、基本、バジェットと場所とかリソースとか、期間このぐらいでオーダーは来るけど、
例えばこの前の前回作った作品の全く同じの作ってとか、そういうの来たらすごい腹立つ。
まさにショウさんがおっしゃったような、何年も前に作ったものをもう一度作ってくれって言って作れるって、
これ製造業だからなんですよね。これを作らないのがアーティストなんですよね。
今自分がやろうとしていることとか、自分が今やっているテーマとか作風とかっていうのを追っかけないといけないので、
今はこういうことをやっているので、これをぜひ買ってくださいと言うべきだし、
これを言われてそれをまた受けるのが職人なんですよね。
それが別に自分で考えて作ったものであったとしても、やっぱり作るのか作らないのかで、
それが職人さんというのはほぼ作りますよね。いいとか悪いとかではなくて、そういう仕事だということ。
あとは本当にクライアントからの指示を理解して作る場合っていうのは、なるだけ自己表現をしないように。
相手の表現を助けるつもりで、特に漆の作家さんの金具を作るとかではなく、
その作家さんが目指す世界観があるので、そこに合わせていけないといけない。
だからコラボレートして二人で作品を作る場合は自分も当然主張していいですけど、
そうでない場合っていうのは、やっぱり作品の邪魔をしてはいけないので、
なんで作家性を出さないというか、再現ですよね。
再現性を優先するというか、イメージの再現性を優先して形にしていくというのが、
第4回でしたっけね、僕のお話にさせていただいた時に、結局その時に技術力がないと制約を受けるので、
こうしてほしいんだという話ができないと、やっぱり再現ができないんですよね。
表現ででも自分ができる範囲にすればいいので、再現をしていこうと思う。
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修理の仕事はまさにそうですけど、再現をしていこうと思うと、技術がないとどこかで行き詰まるんですよ。
その時にそういうのがだいぶ分かってきた時に、自分の作品を作る時にも技術力のなさを言い訳というか、
ものを作る人はおそらくみんなそうだと思うんですけど、自分ができないことって思い浮かべれないんですよね。
勝手に選択肢が消しちゃうんですよね。そうならないように、どんなことでも思いつけるように、
こう、開放してあげないと。それができるのはデザイナーだったりとか芸術家、アーティストですね、
の方たちの方が何だったら外注して作ってもいいし、だからもう自分ができるかできないかなんて全く考えずに
形をおそらく考えてるんだなというのは、お付き合いする中ですごい感じるんですけど、
自分で作る人間というのはそれをやっぱり無意識に制約をしてしまっているので、
なんで、開放するために技術を磨かないといけない。ただそのためだけに弟子入りしている。
でも、美意識は共有しない。そこの辺のジレンマはある。
多分須藤さんが普段使っている江戸時代のものとかって、日本で言うと産業革命の前なので、
今その頃の工芸家って言ってますけど、工芸って言葉自体がない頃じゃないですか。
今須藤さんがおっしゃってた中で再現性っていう話があって、前回のエピソードで、
その中でも名がある人は残っているっていうところの差ってなんだったんだろうなってちょっと思うんですけどね。
後藤なんとかさんとか。
そうですね。無名でもいいものって残っていってるので、名前があるかないかという話というよりは、
残っていくものっていうものは、
そうですね。
あれですよね。今で言うと会社名が残っているようなことなのかなっていう気もしなくもないですけどね。
どこどこ一家が作っている。
これはちょっとやや急にホワッとした概念的な話なんですけど、
もの自体が持っている力ってあると思うんですよね。
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特に今みたいにデジタルの時代だったら、現物を見た時の驚きってやっぱりあると思うんですよ。
例えば、全く僕は宝石とかに興味ないんですけど、たまにちょっとエンゲージングとか作らせてもらう時があって、
そういう時に完成したものを見ると、欲しいのが分かってくるんですよ。
物が持つ力っていうのはやっぱりあって、これは欲しい。欲しい気持ちが分かる。
これを大事に扱ってしまう気持ちも分かる。
それだけそれが簡単に買える人であったとしても、こういった雑な扱いはしないだろうなっていうものってあると思うんですけど、
そういう扱いを受けるまでに至ったものがやはり残っていくので、
もの自体の力があるものが優先的に残っていくんだろうっていうのをまだ信じてやってるというかね。
自分自身の力があるって、例えば、宝石みたいなこと言うと全く磨かれていない、宝石じゃなくてもいいですよ。
例えば拾ってきた石みたいなものに、万人河ということではなくて、自分がすごく拾ってきた石に愛着があるみたいなものと、
人間が技術を凝らした跡が見えるからというよりも、そのオーラが伝わってこれが欲しいって思わせるものって、
多分違う気がするんですけど、多分その須藤さんが目指すところって、
人間の念が込められたからこそ、他の人が見た時に発される、これはものとして他にないって感じさせるものができるっていう。
だからもの自体がまずよくできてた時点で大事にされていく時間が始まるんですけど、
やっぱり経年劣化という、経年変化ですよね。
もの自体に変化が起こっていって、いわゆるこれは味って呼んでるんですけど、味が積み重なっていくと、
さっき岩田さんがおっしゃったその自然物とかにある、いわゆる技術力ではないけど大事にしておきたい美しさというか、
それが重なってくる感じです。
だから今、さっき海さんがおっしゃったゴトオケという刀剣金具のものをじゃあやれないのかって言ったら、やれるんですよね。
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環境が全然違うので、顕微鏡とか使ってリライティングしてやっていけるのでできるんですよ。
何が違うのかというと、積み重ねてきたものが違うので、味が浅いんですよ。
とにかくどれだけ技術力があったとしても、時間という自然の要素もないと、物として独特のオーラが発されないみたいなところがある。
そうですね。と、信じてやってます。
素人さんが作ったものでも、やっぱり出来上がったその瞬間よりは、そこからもっと時間を経過したものの方がいいものになっていくだろうという。
っていうものを作らないと、いわゆる消費物になってしまうので、
生まれた時が一番価値があって、ゆっくり消費していって、消費しきったら捨てるよねっていう、いわゆる今の大量消費社会の中には入っていけないアイテムなのに、
そういう性質しか持ってないアイテムだと、もう残っていけないんですよね。
なので、そこを意識しておかないといけない。
物の物質の特性もそうだし、なんとなく自然科学への向き合いも含んでいるという感じがしますよね。
出た人たちはどういうふうな手入れをしていたかとかもやっぱり出てくるから、それも物語の人たちになっていく。
ちょっと聞いていて、ヴィンテージデニム。
デニムって5年3年履いてやっと価値が上がっていくっていうのがすごい不思議だったんだけど、
やっぱりその人の生き様がデニムのスレとか色とか洗濯とかどうしてあったかとかわかるから、
そこに価値を見出してみんなお金高くても3万5万とか買ってるっていうのを見て、
すごいちょっと逆行してるじゃないですか、他のものとは。
面白い。
あとその自然科学の話じゃないんですけど、
須藤さんにもうちょっと聞きたかったのが、
自然の魔法というよりは人間の魔法の歴史みたいなことを聞きたくて、
人間の工芸というよりはどっちかというと美術ですけど、
例えば人間と同じものを作るという彫刻の世界とかだと、
結構エジプトとかギリシャの時代にも彫刻の人間の魔法は完成していて、
ルネスタンプスとかの15世紀くらいの平面で人間を描き切るということがほぼ完成されていて、
じゃあ次はどう人間っぽさとかを人間の力で再現するのかというところで、
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機械を作り出すというところが人間の魔法のすごく近代的な部分だと思ってるんですけど、
ロボットとか?
そうそう、ロボットの祖先のオートマタとかっていうところは多分、
僕はちょっと須藤さんから話を聞いてたので、
どっちかというとそういう視点でも工芸の歴史というのは勉強中なんですけど、
最近の興味事みたいなところとか、
須藤さんが今まさにやろうとしていることについても聞きたいなと思ってたんですよね。
これってコンクラのサイトにも書いてある時計の話も絡めてした方がいいのかな?
あれって岩田さん載ってましたっけ?
載ってます。
あれはそうですね、ムーブメントそのままにそれ以外のものを全部工芸の技術で仕立て直しているというものですけど。
ヨーロッパにちょっと戻るんですけど、
パリにいた時に日本の古美術のバイヤーのホームパーティーに行ったことがあって、
石造りのアパートでソファーで当然靴で生活して、
中で日本の古美術品、美術工芸品が飾ってて、空間は日本だったんですよね。
生活スタイルはヨーロッパ、日本の洋質とかっていうレベルじゃなくて本当にヨーロッパ、古いヨーロッパのスタイルで生活している中で、
日本っぽくなるんだと思って衝撃的だったんですよ。
日本の伝統工芸の人たちは和室がなくなっていく、床の間がなくなっていくことが自分たちの仕事が傾いていく、なくなっていくことの理由にしてたんですけど。
それはめっちゃ聞きますよ、僕も。
でもそうじゃなかったんですよ。
全く生活スタイルと空間の演出とは全く関係がないんだって思い知らされたんです。
センスさえあれば丁寧に暮らすことを覚悟さえしてくれればやっぱりできるんだと。
今日こちらのホテルでお話しさせてもらってますけど、まさにそうなんですよね。
前回ちょっと1回目は説明してたけど、今日また収録日。
京都の丸袋からお送りしてる。
2022年4月1日にオープンした山内家っていうニンテンドーの作った型お家が、お家と住居とオフィスっていうのが残っていて、
この京都五条というエリアでホテルとして生まれ変わったっていうのが。
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そこの山内さんが住まわれていた住居とのお部屋で収録させていただいているので、
山内さんも聞いてニヤニヤして天国で帰っているのかななんてちょっと想像してました。
カルタカラコンピューターの会社さんで。
なんていうんですかね、例えばトイレは旧和式がいいのかとか、お風呂はそうがいいのかとかっていうのって、
それは当然個人個人の判断にあるんですけど、でもどこかを残すためにどこかを変えていかないと、
残っていかないことはもう分かってると思うんですよね。
それは中空間に限らず、例えば服だったりとか、着物じゃないといけないんだって言い続けてても、
やっぱりそれは残っていかないので、
なのでどこを捨ててどこを残すかの話はやっぱりもうしないといけない、
もうとっくの昔にしておかないといけなかったはずが、工芸はそこは遅れてると思うんですよね。
自分自身の反省を込めていますけど、やっぱりそれがなかなか進んでないと。
それをやっぱりしていかないと、残っていかなくなってしまうので、
何かを残す、何を残すのかすらまだ決められてないので、
僕自身は、先ほどちょっとお話しましたけど、経年変化、金属の持つ経年変化っていうものを残したい。
そこに付加価値があるっていうのは、やはり大量消費、
1万円のものを10個買うのと、10万円のものを1つ買うのは一緒じゃないんだっていうのを、
一般の方はそうよね、1万円のものを10個買った方がずっと新しいものを使えるものねって思うかもしれないですけど、
10万円のものを10年使う方が実はすごい価値があるのだというのをどう理解してもらうかっていうのを、
それ以外は捨てる覚悟を持たないといけないと思ってるんですよね。
だから素材は残さないといけない。
ステンレスとか例えば、今ねチタンとかそういう色んな便利な素材が出てますけど、
もともと僕たちの持っている採用環境っていうのはそういうものに向かないのもあるんですけど、
やっぱり錆びていかないんですよね。
工業のもので錆びをとにかく嫌うので、錆びていってるんですよ、経年変化っていうのは。
それがいいと思うかどうかの話なんですけど、
それを僕はいいと思っているので、いいと思う人たちに手に取ってもらいたいんですけど、
でもそれが作っているものはコウロだったら、コウロってじゃあいつ使うの?という話。
例えばコウロをやられているとか、お茶をやられているとかなったらそうかもしれないですけど、
それって本当にすごい少ない話になってしまうので、そういうことではなくて、
じゃあそれを使って何を作っていくのかっていうのを、
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僕は完全に個人的に腕時計とかが好きなんで、時計とかに組み入れたりとかして、
自分が持っている技術なのかデザインなのか素材なのか何でもいいんですけど、
自分が残したいものを決めて、それ以外はそれを残すために変えていく覚悟を持ってほしいというか、
そういうのを活動として自分がやっていきたいと思っているんですよね。
時計だったらやっぱり自分だけ使っているんじゃなくて、
自分の例えば息子や娘に譲ったりとか、親子からどんどん継承していくものでいいなと思って、
ジュエリー持って結構サイズとかが決まっちゃってて、
指輪とかもらっても変えなきゃいけなかったりとか、すごくスタイルを決めちゃうんで、
ジュエリーだとなかなかもらっても困るぞって言うんだけど、
時計とかだったら毎日使うし、一応サイズも変えやすいしっていう意味では成長されやすい。
あれですよね、須藤さんがこんくらいのサイトに載っている時計の文字盤とか尺度とかだから、
100年誰かがやった時に文字盤のテイストというか感じもきっと変わってくるかもしれないですね。
尺度というのは銅と金の合金で錆びると黒くなるので、錆びるまで前は普通の銅の色なんですけど、
わざと錆びさせて青黒を色にしていくようなものなんですけど、
だから発色なんですね、錆びなんでね。着色だと剥がれちゃうので。
だから色を載せるのではなくて、金属の錆びを見ているという。
ということも踏まえて面白いですね。
だから時計とかで言うと、スイスの時計職人とかは、いわゆる産業革命以前は、
作り手が工芸家というか職人みたいな扱いだったと思うんですよね。
今は別にクォーツとか、時計とか持たずにスマホとかを取り出せば時間が分かるという中で、
そういう職人たちは何を捨てて何を残すというふうに気合を入れたんだろうというのは、
ちょっと気になる話ではありますよね。
やっぱりデジタルの勢いが思っていたよりすごいですね。
思っていたよりすごいですね。
2000年当時というか、父親がそういうのがすごい好きだったので、子供の時からずっとあったんですよ、パクソコンが。
ドス部位が。
ドス部位だったのかな、ちょっと覚えてないですけど、確かドス部位ですよね。
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そこからiMacの初代が出て、衝撃的だったんですけど、やっぱりコンピューターがインテリアになったんで、
そのあれがずっと経って、ここまでその当時はただインテリアとして飾っているだけの人が僕の周りに多かったんですけど、
全然何をするかも決めていなくて、iMacある家どうよということで。
家具デコレーションみたいな。
それがだんだん良くなってきて、いよいよ前提になりましたよね、ここ数年ね。
画面見ないで生活するとかって意識しないとしなくなってきちゃうよね。
その中で、時計とかっていうのは時間を見る以外は何の役にも立たないものなんですけど、腕時計って。
時間って一日の間に何秒見るのかって言ったら、一回見るのって1秒もかからないはずなんで、数秒なんで。
数秒だけしか使わないものなんですよ。
それ以外は何なんだって言ったらファッションアイテムなんで、ただただファッションアイテムだったんですけど。
実用性を伴うファッションアイテムだったのが、今はもう全然違う身を持ったスマートウォッチとかそうですけど、
だからつまり情報をそこから得るってなると、これ情報にどれだけ価値があるかっていう話になってくるので、
ただの時間っていう情報だけだと何の価値もないとは言わないですけど、今の時代ほとんど価値がなかったはずだ。
すごい重要になったアップローチとかっていうのは、やはり全然別のものになって、デジタルっていうのは進んで、
全然別のものになってきてる中で、アナログっていうのは一体何をやっていかないといけないのか。
でもなんかそれは割と時代の流れとしては、情報がどんどん軽くなっていくというか、どんどんスライドしていく中で、
いかにガジェットのマテリアルを人間が親しみやすいものにするかみたいなのって、多分しほさんも関わってるところだと思うんですけど、
それこそこの2個前のエピソードで、緑色のiPhoneが出たのがどんだけすごい話かみたいなのがありましたけど、
それって多分、人間は物と付き合っていくっていうことをやっぱりしっかり考えないといけないっていうことが、
AppleとかGoogleとかみたいなところも考えてるっていうことですよね。
もちろん取り返しつかないことになるから環境負荷ももちろんだけど、
私がいつも思うのは、デジタルウォッチとかって見た目みんな同じだし、携帯も同じだし、
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いいとこ、自分オリジナルってできたとしても、中のインターフェースを変えたりとか、
あとはベルトとかカバーぐらいしか選択肢ないじゃないですか。
昔の普通の時計って本当にいろんな装飾だったりとか、形だったりとかもすごいバラエティー飛んでて、
それこそ装飾品として身につけてたけど、今のデジタルウォッチを装飾品につけるとかってあんまりピンとこないなって思ってて、
装飾品を身につけるっていうこともだんだんそうすると減ってきちゃうのかっていうのが疑問というか。
なので、もう100均でいいよねと言われちゃうと、もうそうですねって。
そうですねって言っちゃうんですか。
教育のパワーバーって言ってましたよね。
それを僕が常々言ってる大事なことは、それでいいんですよね。ファストファッションでいいんですよ。
その浮いた分で何をするのかの話なんです。
もうそれでお金を浮かせて、これに使うんですっていうのがあるならどうぞそうしてほしいという。
で、何をしてるのかの話、ファッション的にも、もう装飾品もつけないです、装飾もしないです。
で、自分はこれをやるんですっていうやつが大体周り職人ってそうなんで、
そうやって残したお金で道具を買って材料を買って、おそらく売れないであろう作品を残そうとしていってる人たちなんで、
それは全然尊いことだと思ってるんですよね。
ただただお金と時間を残していくことに取り憑かれてる人が増えてきてるなと思ってて、
その残した時間とお金を何に使おうと思ってるかは決めてほしいんですよ。
で、その中の選択肢に工芸品が生活の中にあるんだっていうのを選んでくれる人も増えていくのであれば、
ファストファッションとかそういう百均だったりとかっていうので節約していくっていうのは大歓迎なんですよ。
なるほど。
だからその残った時間とお金を文化的な方に最終的に旅行かもしれないですし、
それは家族と過ごす時間なのか何に使われるのかみんなわからないですけど、
それって実はすごい文化的な方にしか使えないと思っているので、
最終的にそこに行き着くなら僕らとしてはチャンスだと思っているので、
なのでどうぞどうでもいいところは百均でも何でも使ってください。
だからあれですよね。
コンクラのアイディアでそういう須藤さんの話とかがすごく反映されているのって、
やっぱり多分コンクラでやろうとしていることって結構お金がかかる話。
個人が負担するお金って結構お金がかかるけど、
それによって生まれるものとかそのプロセスの体験であったりとかっていうことが、
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そうやって貯めたお金を使うだけの価値があるもののはずだって僕たちは思っている。
そこの能動性を引き出したいっていう。
そうですね。
お時間がもう。
ちょっとでもコンクラを初期から一緒にやってきた須藤さんなんで、
今回初めてゲスト会でお呼びしましたけど、
ヘビーリスナーでも。
ちょっとこれから配信される回を聞いていただいて、
これは俺もちょっと一言言いたいみたいなね。
時にはまたご登場いただいて。
ありがとうございます。
また4人で配信っていうのもやっていけたらなと思います。
はい、というわけで初めてのゲスト会2回にわたってお送りしましたけども、
ありがとうございました。
ありがとうございました。
じゃあ、倉田志ラジオはまだまだ続きますので、
感想はハッシュタグコンクラでつぶやいてください。
あとフォローしてください。
はい、番組フォローお願いします。
ちょっとずつね、リスナー増えてるっぽいので。
ありがとうございます。
ぜひぜひ毎週聞いていただきたいなと思います。
そしてコンクラコレクティブもよろしくお願いします。
はい、というわけで京都丸袋からリアル収録でお送りした倉田志ラジオ、
今回はここまでということでありがとうございました。
ありがとうございました。
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