そこの山内さんが住まわれていた住居とのお部屋で収録させていただいているので、
山内さんも聞いてニヤニヤして天国で帰っているのかななんてちょっと想像してました。
カルタカラコンピューターの会社さんで。
なんていうんですかね、例えばトイレは旧和式がいいのかとか、お風呂はそうがいいのかとかっていうのって、
それは当然個人個人の判断にあるんですけど、でもどこかを残すためにどこかを変えていかないと、
残っていかないことはもう分かってると思うんですよね。
それは中空間に限らず、例えば服だったりとか、着物じゃないといけないんだって言い続けてても、
やっぱりそれは残っていかないので、
なのでどこを捨ててどこを残すかの話はやっぱりもうしないといけない、
もうとっくの昔にしておかないといけなかったはずが、工芸はそこは遅れてると思うんですよね。
自分自身の反省を込めていますけど、やっぱりそれがなかなか進んでないと。
それをやっぱりしていかないと、残っていかなくなってしまうので、
何かを残す、何を残すのかすらまだ決められてないので、
僕自身は、先ほどちょっとお話しましたけど、経年変化、金属の持つ経年変化っていうものを残したい。
そこに付加価値があるっていうのは、やはり大量消費、
1万円のものを10個買うのと、10万円のものを1つ買うのは一緒じゃないんだっていうのを、
一般の方はそうよね、1万円のものを10個買った方がずっと新しいものを使えるものねって思うかもしれないですけど、
10万円のものを10年使う方が実はすごい価値があるのだというのをどう理解してもらうかっていうのを、
それ以外は捨てる覚悟を持たないといけないと思ってるんですよね。
だから素材は残さないといけない。
ステンレスとか例えば、今ねチタンとかそういう色んな便利な素材が出てますけど、
もともと僕たちの持っている採用環境っていうのはそういうものに向かないのもあるんですけど、
やっぱり錆びていかないんですよね。
工業のもので錆びをとにかく嫌うので、錆びていってるんですよ、経年変化っていうのは。
それがいいと思うかどうかの話なんですけど、
それを僕はいいと思っているので、いいと思う人たちに手に取ってもらいたいんですけど、
でもそれが作っているものはコウロだったら、コウロってじゃあいつ使うの?という話。
例えばコウロをやられているとか、お茶をやられているとかなったらそうかもしれないですけど、
それって本当にすごい少ない話になってしまうので、そういうことではなくて、
じゃあそれを使って何を作っていくのかっていうのを、
僕は完全に個人的に腕時計とかが好きなんで、時計とかに組み入れたりとかして、
自分が持っている技術なのかデザインなのか素材なのか何でもいいんですけど、
自分が残したいものを決めて、それ以外はそれを残すために変えていく覚悟を持ってほしいというか、
そういうのを活動として自分がやっていきたいと思っているんですよね。
時計だったらやっぱり自分だけ使っているんじゃなくて、
自分の例えば息子や娘に譲ったりとか、親子からどんどん継承していくものでいいなと思って、
ジュエリー持って結構サイズとかが決まっちゃってて、
指輪とかもらっても変えなきゃいけなかったりとか、すごくスタイルを決めちゃうんで、
ジュエリーだとなかなかもらっても困るぞって言うんだけど、
時計とかだったら毎日使うし、一応サイズも変えやすいしっていう意味では成長されやすい。
あれですよね、須藤さんがこんくらいのサイトに載っている時計の文字盤とか尺度とかだから、
100年誰かがやった時に文字盤のテイストというか感じもきっと変わってくるかもしれないですね。
尺度というのは銅と金の合金で錆びると黒くなるので、錆びるまで前は普通の銅の色なんですけど、
わざと錆びさせて青黒を色にしていくようなものなんですけど、
だから発色なんですね、錆びなんでね。着色だと剥がれちゃうので。
だから色を載せるのではなくて、金属の錆びを見ているという。
ということも踏まえて面白いですね。
だから時計とかで言うと、スイスの時計職人とかは、いわゆる産業革命以前は、
作り手が工芸家というか職人みたいな扱いだったと思うんですよね。
今は別にクォーツとか、時計とか持たずにスマホとかを取り出せば時間が分かるという中で、
そういう職人たちは何を捨てて何を残すというふうに気合を入れたんだろうというのは、
ちょっと気になる話ではありますよね。
やっぱりデジタルの勢いが思っていたよりすごいですね。
思っていたよりすごいですね。
2000年当時というか、父親がそういうのがすごい好きだったので、子供の時からずっとあったんですよ、パクソコンが。
ドス部位が。
ドス部位だったのかな、ちょっと覚えてないですけど、確かドス部位ですよね。
いいとこ、自分オリジナルってできたとしても、中のインターフェースを変えたりとか、
あとはベルトとかカバーぐらいしか選択肢ないじゃないですか。
昔の普通の時計って本当にいろんな装飾だったりとか、形だったりとかもすごいバラエティー飛んでて、
それこそ装飾品として身につけてたけど、今のデジタルウォッチを装飾品につけるとかってあんまりピンとこないなって思ってて、
装飾品を身につけるっていうこともだんだんそうすると減ってきちゃうのかっていうのが疑問というか。
なので、もう100均でいいよねと言われちゃうと、もうそうですねって。
そうですねって言っちゃうんですか。
教育のパワーバーって言ってましたよね。
それを僕が常々言ってる大事なことは、それでいいんですよね。ファストファッションでいいんですよ。
その浮いた分で何をするのかの話なんです。
もうそれでお金を浮かせて、これに使うんですっていうのがあるならどうぞそうしてほしいという。
で、何をしてるのかの話、ファッション的にも、もう装飾品もつけないです、装飾もしないです。
で、自分はこれをやるんですっていうやつが大体周り職人ってそうなんで、
そうやって残したお金で道具を買って材料を買って、おそらく売れないであろう作品を残そうとしていってる人たちなんで、
それは全然尊いことだと思ってるんですよね。
ただただお金と時間を残していくことに取り憑かれてる人が増えてきてるなと思ってて、
その残した時間とお金を何に使おうと思ってるかは決めてほしいんですよ。
で、その中の選択肢に工芸品が生活の中にあるんだっていうのを選んでくれる人も増えていくのであれば、
ファストファッションとかそういう百均だったりとかっていうので節約していくっていうのは大歓迎なんですよ。
なるほど。
だからその残った時間とお金を文化的な方に最終的に旅行かもしれないですし、
それは家族と過ごす時間なのか何に使われるのかみんなわからないですけど、
それって実はすごい文化的な方にしか使えないと思っているので、
最終的にそこに行き着くなら僕らとしてはチャンスだと思っているので、
なのでどうぞどうでもいいところは百均でも何でも使ってください。
だからあれですよね。
コンクラのアイディアでそういう須藤さんの話とかがすごく反映されているのって、
やっぱり多分コンクラでやろうとしていることって結構お金がかかる話。
個人が負担するお金って結構お金がかかるけど、
それによって生まれるものとかそのプロセスの体験であったりとかっていうことが、