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2024-05-08 21:43

#3 無指向型の子どもたち(後編)

何にも関心が持てず、親や支援員がお手上げになってしまう無指向型。配慮すべき点は何なのか、どのような介入が良いのかを考えていきます。 ※前編の続きになります。
1.前編のまとめ 2.大人の先入観と子どもの無気力感 3.自分という枠にとらわれない考え方
話し手:中沢草太(Flourishing代表)
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サマリー

無指向型の子どもたち(後編)では、無指向型の子どもたちの状態やネガティブな期待、学習性無力感、ゴーレム効果について詳しく説明されています。無指向型の子どもたちの悩みや苦しみに寄り添い、正論や答えを押し付けずにネガティブケイパビリティを養うことの重要性が語られています。

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こんにちは、ことなりラジオにようこそ。Flourishingの中澤 聡太です。
このポッドキャストは、教育や子育てなど子どもに関わる機会がある人に向けて、今までとは違った視点で子どもと向き合うきっかけを作り、
一人一人のことなりを楽しみ、時に慈しんでもらいたい、そんな番組です。 今回は、無指向型の子どもたち後編ということで、前編の続きになります。
まず、前編の内容を簡単におさらいして、その上で私たちは何に気をつければいいか、どんな要素が重要になるかを、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
無指向型の子どもたちの状態
前回のまとめ。まず最初に前編でお話しした、無指向型とは何かを簡単におさらいしましょう。
無指向型とは何にも関心が持てず、好奇心が枯れてしまっている状態のことで、パーソナリティや障害ではなく、環境要因や社会的要因が背景にあることを前編でお話ししました。
学校教育や勉強につまずいてしまう挫折段階。 その挫折から回復しようとアニメやゲームに触れるも、大量のコンテンツと膨大な時間で飽きてしまう飽和段階。
SNSやYouTubeを受け身で消費して、サジェストによって世界がどんどん小さくなる無指向段階という3つの段階があります。
無指向段階まで来ると何を提案しても反応が薄く、矢印がどこにも向いていない状態になって、親御さんや支援者の方がお手上げになってしまう。
それが無指向型になります。 まだ前編を聞いていない方は、ぜひそちらを先にお聞きください。
次に子供が無指向型に陥っている、当てはまっている点が多い場合。 私たちは何に気を付ければいいのかを考えていきましょう。
大人の先入観と子供の無気力感。 私たちは子供と接するときに、よくも悪くも無意識のうちに子供を評価しています。
あの子は運動神経がいいな、この子は引っ込み事案だな、など、誰しも子供を理解する上でそうした判断は避けられません。
学校の先生など多数の子供を相手にする立場であれば、そうしたざっくりとした子供の傾向を抑えておくのは大切です。
それを自覚した上であくまで自分の見立てであり、一つの判断材料だとできればいいのですが、無意識に下した評価、
つまりバイアスの場合は、気づかないうちに子供と接するときの態度に出てしまいます。
分かりやすく言えば、大人が無意識のうちにできることできない子に分けてしまい、できる子には期待を寄せて、できない子には期待しない
先入観が出来上がって、それが関わり方や態度に出てしまうわけです。
単なる個人的な先入観で話が終わればまだいいのですが、子供の成長や発達にも影響を与えることが分かっています。
これを心理学の言葉で教師期待効果と言います。 心理学者のローゼンタールとジェイコブソンが提唱したものです。
教師の態度が生徒の成績にどのように影響を与えるのか調べたところ、教師ができる子と評価した子供に対しては期待の言葉をかけて熱心なサポートとポジティブな評価が観察され、
その結果子供の成績がより伸びていました。 反対にできない子と評価した子供にはそのような関わりやサポートが少なく、成績が伸びないどころか、自己高力感や自信を失うことにながると報告されました。
ポジティブな期待を寄せることで成績が伸びる現象をピグマリオン効果、反対にネガティブな期待が成績や自尊感情の低下を招く現象をゴーレム効果
と分けて呼ぶこともあります。 今回は特にネガティブな影響であるゴーレム効果に焦点を当てていきます。
ここで重要なのはこうした行動が多くの場合、大人が無意識のうちに行っているという点です。 この番組を聞いている皆さんが子供の頃を思い出していただくと、周囲の大人や学校の先生が人によって明らかに態度を変えている姿が
記憶にある方も多いでしょう。 中にはそうした大人の態度によって自分の自尊感情を傷つけられた、経験をされた方もいるかもしれません。
極端な言い方をすれば、できない子という先入観は関わり方や態度を通して、お前はダメな子だというメッセージを伝えることになります。
このような大人の先入観は子供の自信と活力を失わせ、時に無気力状態にして無思考型に陥りやすくします。
ここでもう一つ、学習性無力感という言葉を紹介します。 これは心理学者のセリグマンが提唱したものです。
彼は人間や動物が環境からの刺激にどのように反応するか調べていて、 学習性無力感の犬として有名な実験は少しショッキングな方法で行われました。
その実験では犬に避けることができない電気ショックを受ける環境を用意して、 最初は何をしても電気ショックを避けることが不可能な状況にしました。
その後低い策を超えれば電気ショックを避けられる環境に移すと、逃げようとせずその場にうずくまり、電気ショックを受け続けるようになります。
最初の避けられない電気ショックを経験していない犬は、低い策の環境であればすぐに策を飛び越えて逃げます。
何をしても自分の力では回避できないストレスに長期間晒されることで、自発的な行動を起こそうとしなくなる現象を無力感を学習する、という意味で学習性無力感と呼びます。
この現象は人間にも当てはまり、鬱病などの心理療法、職場環境の改善、教育アプローチなど幅広く応用されています。
無思考型に陥る子どもは、多かれ少なかれ学習性無力感の傾向があり、自分は何をしてもダメなんだ、何もやる気になれない、といった無気力感を抱いていることが多いです。
私が今まで関わったケースだと、挫折段階、飽和段階、無思考段階と進むにつれて、学習性無力感がどんどん強まっていきます。
そのため、こちらから提案しても反応が薄かったり、それならと本人の自主性に任せても何もできなかったりするのです。
そして学習性無力感の背景には、ネガティブな期待であるゴーレム効果が潜んでいることがあります。
先ほどお話しした通り、ゴーレム効果はネガティブな評価、潜入感によって子どもの自己高力感や自尊感情を低下させてしまいます。
周りからできない子と見られ続けていると、子ども自身も自分に対するポジティブな期待を失ってしまうのです。
意欲や主体性が低下していき、無力感だけが残っていきます。
評価とは相対的なものなので、学校や支援の場で他のできる子と比べてしまう、自分が子どもの頃と比較してしまう、など何かしらの暗黙的な基準を持っています。
その基準によって、自分の教え方で勉強がわからないとき、アニメやゲームばかりしているとき、何にも関心を示さないときに、私たちは無意識のうちに、できない子だなぁ、ダメな子だと思ってしまうことがあります。
まず重要なことは、学習性無力感もゴーレム効果も本人や周囲の大人が望んでそうなったわけではないということです。
どちらも時間をかけて環境や関係性などが複雑に絡み合って形成されるものです。
それは裏を返せばスイッチをオンオフするような魔法の解決策がないということも意味します。
まず私たちが取り組むべきことは、子どもに向けられた評価に関するバイアス、ネガティブな先入観を自覚することです。
冒頭で述べた通り、誰しもがよくも悪くも先入観を持っています。
私も授業で子どもと関わるときに、この子は○○が苦手、今の状態は○○が原因かなと見立てを立てることはありますが、それを評価にしないように気をつけています。
評価にしてしまうと、この子は○○ができないからなぁと決めつけて、無意識のうちに授業態度や方針に影響してしまいます。
それで授業が行き詰まってお手上げになってしまった経験もあります。
意識的になり自覚することでブレーキをかけつつ、それならどうしたらいいのかを考えることに投げられます。
補足としてポジティブな期待を寄せるフィグマリオン効果についてですが、実際に態度や言葉を変えれば子どもが伸びることはあります。
ただ、今までの関係性、子どものパーソナリティなど、それぞれのケースによって適切な塩梅が変わるため、安易に取り入れるのはお勧めしません。
とってつけたような態度や言葉は嘘っぽくなってしまい、子どもは想像以上に大人の嘘に敏感なので簡単に見抜かれてしまいます。
それよりもまずはネガティブな先入観を自覚し、少しでも子どもが無力感を抱かなくていい環境を作ることが大切です。
ここまでの内容は子どもの内面と保護者や教育者の態度、気をつけるべき点をお話ししてきましたが、
大人の態度とアウトオブザボックス
次は私が教育現場で介入する際にどのようなことを行っているか、意識しているかをお話ししていきたいと思います。
自分という枠にとらわれない考え方 私は不登校の子どもを対象にしたオンライン家庭教師のメタバジクを運営しています。
個別授業などで内容はその子に合わせて柔軟に変えていき、一緒にゲームをすることもあれば、進路や恋愛の相談にのったり、動画編集やゲーム作りに挑戦することもあります。
授業で子どもたちと関わる中で自分たちの役割は何かを常に意識しています。
教育や子育ての考え方は様々ありますが、私は自分たちの役割を子どもが次の世代に適応できる強さと柔軟さ、
困難に直面した時の回復力を身につけられるようサポートすることだと考えています。
今の子どもたちが大人になる頃には間違いなく私たちの想像できないような社会で生きていくことになります。
その意味で私は子どもたちのことを未来の国の住人と呼ぶことがあります。
未来で確実なことはどんな社会になるか不確定なことだけです。
だから枠にとらわれない柔軟さと構造性を身につけ、変化に適応できる強さと回復力が必要だと考えています。
もちろんこうすればこうなるという絶対的な正解やメソッドは存在しないですし、
不登校の子どもたちはそれぞれの状況や葛藤があるため、寄り添いながら試行錯誤する手探りの日々です。
その中で一つの鍵となるのがアウトオブザボックスという考え方です。
直訳は箱の外に出てとなりますが、実際の意味は従来の枠にとらわれないことを指します。
メタバジクの授業でもこのアウトオブザボックスは常に心がけていて、教える内容だけでなくその子自身の外側に出る、枠にとらわれないという意味も含んでいます。
普段なら触れることのない選択肢に触れて興味関心を広げていき、新しい世界を知る。
外側に出ることは探求と想像、成功と失敗とがごちゃごちゃに入り乱れていて、うまくいくことばかりではなく当然失敗することもあります。
そのプロセスで未知の状況にどう対応するか、制限をなくしたらどうなるか、失敗をどう捉えるか、
立ち直るにはどうするかなどを一緒に考えていきます。 それがゲームであるか、小説であるか、AIであるか、はたまたたけびであるかは重要ではありません。
メタバジクではそのすべてを使いますが、それらは単なる手段にすぎません。 そうした経験を通して自分の可能性に気づいたり、自分の常識の言葉を知ったりすることが次世代に適応する力を養います。
特に無思考型に陥っている子どもはアウトオブザボックスが欠かせません。 これまでの話を踏まえると、それができたら苦労しないでしょうと感じる方もいるかもしれません。
お察しの通り簡単ではなく、あれこれ模索しながら進めているのは事実です。 ただ何にも関心を持たず、
惰性でyoutubeやゲームに触れて成長も変化もない日々ではダメだ、というのは子ども自身が意識しているのも事実になります。
どこかのタイミングで殻を破って一歩踏み出さないといけない。 でも自信もないし自分にできることなんてない。
これが無思考型の子どもが心の奥底で呟いている声です。 気をつけないといけないのは大人がそれを分かっていても、今のままじゃダメだって分かってるでしょ。
せめて何か取り組まないと、などの正論をぶつけてはいけません。 ダイエットに苦戦している人に食事制限して運動すればいいだけでしょ、
子どもの悩みとネガティブケイパビリティ
と言うようなもので、それを難しくさせている状況や葛藤など、個人の背景と感情を無視して正論をぶつけるのは時に人を傷つけます。
私は無思考型の傾向がある子どもには複数の選択肢を提示しながら、とにかく2人で話し合います。
第1回の番組、「勉強から学びの時代へ」でもお話ししましたが、 学びは教える側と学ぶ側の両方で繰り合うものです。
仮に大人としてこの選択肢がいいだろう、こうすればいいのに、と判断しても、子どもが自分で選択して決定するまで話し合いながら見守ります。
一番大切なのは子どもの答えやアクションを急かさず、辛抱強く待つことです。 子どもが悩んで整理をつけている間、こちらも流行る気持ちを抑えて答えを押し付けず、悩みや苦しみに付き合います。
それはモヤモヤして気持ちの良いことではないですし、それ相応の忍耐力が求められます。 しかし子どもが法師との関係に安心感と安全があると感じてもらい、
子ども自身が無力感や無思考型から抜け出すにはとても重要なプロセスです。 正論や答えをこちらから押し付けて、子どもが自分で考えて決定する機会を奪ってしまうと、
安心感も安全もない不安定な関係になってしまいます。 こうしたモヤモヤを抱えたまま、解決やわかりやすい結論を急がない能力をネガティブケイパビリティと呼びます。
ネガティブケイパビリティがあると、未知の状況や複雑な問題に出会ったとき、 結論を急いで失敗したり、情報に劣らされたりすることを防いでくれます。
現代のように社会の変化が激しく、情報が入り乱れている時代では、 子どもが安定感を持って成長するために、親御さんや教育者がこの能力を養う必要性が高まっていると考えています。
ネガティブケイパビリティについては、また別の機会に詳しくお話ししたいと思います。 ここまで聞いてくださった中で、もしかしたらアウトオブザボックスが大切なのはわかったけど、
基礎学力の方が大事でしょう、と思う方がいるかもしれません。
何事も基礎は大切なので、科目学習がカバーするような教養は私個人として重要だと思っています。
しかし、受験のための学力や英語とプログラミングなど目先の社会で求められるスキルが、 未来の国でも同じように求められるかは疑問です。
大事なのは誰かが言っていることが正しいとか正しくないとかではなく、 あなたがどう考えるか、そしてどのように子供と関わるかです。
教養に関して言えば、何歳になっても学び直すことができますし、学ぶ順番だって自由です。
私が通っていた高校は少し特殊で、同級生に20代の方も60代の方もいて、一緒に授業を受けていました。
私個人で言えば数学が苦手で、小学生の算数で見失っていましたが、高校生の時に微分析文が面白いと感じたり、
大学生の時に三平方の定理が美しいと感じて勉強し直したりしました。 今はベイズの定理がとても面白いと思って少しずつ勉強しています。
繰り返しになりますが、学校で教えること、今の大人が知っていること、持っているスキルが果たして未来でどれほど重要なのでしょうか。
私は確信が持てないのでわからないと答えます。 だからこそ人類の誕生から現在に至るまでの進化について学んだり、
何百年も前の哲学者が書いた本を読んだり、最新のテクノロジーには積極的に触れたり、いろいろな国に行ったりします。
どんどん自分の外側にある新しい体験をしようと、最近では聞いたこともなかったシュートボクシングという格闘技を始めました。
最初はジャブもろくに打てませんでしたが、少しずつ発見と学びを繰り返して上達するのがとても楽しいです。
自分自身が積極的に枠の外に出て、学び続け、自分なりの考えを作っては壊して、また作るのを繰り返す。
子供は可能性に満ちていて、自然と学び続けて変わり続ける存在なので、私も彼らと肩を並べられるよう必死です。
子供を未来の国の住人と呼ぶ話をしましたが、私よりも未来に生きている点では教わることが多く、その背中から学ばせてもらうことはとても多いです。
少し横道に逸れてしまったので話をまとめると、子供が次世代に適応できる力を身につけられるように、
従来の枠にとらわれないアウトオブザボックスを大切にしていて、時には子供と一緒に悩んで辛抱強く待ちつつ、教える側も枠の外に出て学ぶことを忘れない。
それでも授業が全てうまくいくわけではありませんし、本当に日々試行錯誤しながら子供たちと一緒に学びを作りあっています。
親御さんと協力して子供をサポートすることもありますし、助けていただくことも多いです。
ありがとうございます。
最後にそんな皆さんと一緒に考えを深めるための問いを残したいと思います。
自分が無意識のうちに抱いているネガティブな先入観に気づくためにはどうすればいいでしょうか。
今のあなたを形作っているのは、学校生活で学んだことか、学校外や社会人になってから学んだことのどちらが中心でしょうか。
教養とは一体何を意味するでしょうか。
教養と学力の違いは何でしょうか。
子供は勉強すべき、野菜を食べるべき、などこうあるべきという考えはあなた自身の価値観でしょうか。
もしそうなら、それを他人にも当てはめられるのでしょうか。
ぜひ考えてみてください。
私も自分なりの答えを出すために日々学んでいる最中です。
学びをこうした形で発信していくので、また皆さんも一緒に考えてくださると嬉しいです。
番組に対する感想や話してほしいテーマなどありましたら、ぜひ概要欄のリンクから教えてください。
それではまたお会いしましょう。
21:43

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