2024-01-23 24:32

#111 【育児】親の言う事を良く聞く子供は教育上良くない。褒める事の弊害とは?

教育とは親元を離れて、社会生活を送れるようにすること。
つまり「子供の自立」が目的。

なので、教育方針は「子供自身が、親に依存せず自分で考えて行動すること」を促し、陰から支えてあげる。

だから、親の言う通りにしか動かない子供はダメな子供。

何故なら、そもそも自分で考えて行動ができていないし、親に行動動機を委託しているから、親依存になり、いつまでも「自立」ができない。

当然親の話を聞かない過ぎるのも問題。

人の話を全く聞かないのは人間関係に問題がある。

つまり、親の言うことをほどほどに聞かない子供こそ、教育上最適な子供の状況であると思います。
【親は辛いけど頑張ろう…】

#育児 #教育 #アドラー心理学
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いつもこの放送を聞いていただきありがとうございます。バトー最大の大上野かくうです。
このチャンネルは、ネガティブ思考の私がポジティブになれた考え方や面白いと思ったものをバトーの情動もかさまに関連することをテーマに配信しています。
さて今日は、育児とは何か改めて考える。育児の目的は?ということでお話ししていきたいと思います。
私の周りでは、昨日、今日にかけて、育児の話とか、例えば子供のお小遣いはどうするとか、育児関連の収録が多かったので、私も育児に関してお話ししていきたいなと思いました。
育児に関してはですね、前にもちょこちょこ話したことあるんですけど、私の中での育児方針だとか、そういうのに考えるにあたって一番初めに考えたことは、まず育児とは何かということを考えたんですよね。
具体的な活動方法については、単純に食事を与えるとか、遊んであげるとか、勉強させるとか、いろいろ教育とかしつけとかですね、具体的な方法というかやり方というか、そういうのを思い浮かべる方多いと思うんですけど、
その行動は何のためにやっているの?ってなった時にですね、ちゃんと目的を見据えて一つ一つ行動を考えていけないと思うんですよ。
私の目的は一言で言うと自立ですね。自立、自分で立つ。
なので、子どもが日本に住むか海外に住むかわからないですけど、一人でですね、生きていけるように。
一人というのは少なくとも親の援助とか助言とかそういうのが何もない状態で一人で考えて行動して、経済的にもちゃんと自分が暮らしていけるように稼いでいける。
そして精神面でも、いろんな荒波というか、人間関係とかいろいろありますけど、そういうのもですね、ある程度は越えていけるようなですね、意味での自立、これを達成するのが教育であり育児だと思っているんですよね。
そのためにですね、どうするかというと、よくですね、親が子どものレールを引くとかいう話あってあると思うんですけど、そうじゃなくて、子どもがですね、自分でレールを敷いてそこを歩いていける。
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それが目的となります。
なのでですね、今は私の娘は4歳なので、当然ですね、レールの引き方もわからなければ、レールを引いた後も進み方がわからないという状況なので、代わりに敷くじゃなくて、その補助をしてあげていきたいなと思っております。
つまりですね、日本の法律とか、人間の慣習的なところ、マナーとか道徳だとか、そういうのはですね、教えていかないといけないんですけど、
で、それに教えるにあたってですね、やっぱり子どもっていうのは感覚というか本能に素直ですよね。自分がやりたいと思ったらやりたいと。
本能を抑えるのが私は理性だと思っているので、まだ理性がそこまで発達していないのかなと。
自分のやりたい欲求は去っておいて、周りの状況とか環境だとか、今他の人はどういう状況なのかを考慮して考えた上で行動する。
このことがですね、まだできない。そう、まだ育ってないからできないんですよね。
だからそういうのを補佐してあげる、助言してあげるのが一番大事だと思うんですよ。
結局ですね、何が言いたいかというと、まずは大切なことは叱らないことであると思っているんですよね。
皆さんですね、叱るって大事だよって、教育にとって大事だよって言う方非常に多いと思うんですけど、
例えばですね、何か注意して、じゃあテーブルの上に上がらないでって注意してですよ。
それ一回でやめますか。一時的にやめますよね。でも気づいたらまたテーブルの上に乗ったりしますよね。
で、叱らなければもうテーブルの上に乗って遊ぶのが日常的になると。
で、また叱ってもまた乗ると。その繰り返し。
しまいにはその叱る側の親がいないときだけ乗るとかですね、やるわけなんですよ。
じゃあそのなんで叱っているのに何回も同じことをやるかっていうと、叱るっていう行為は、要は怒っている感情なんですよね。
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親が怒った。じゃあ親が怒ったからその行動をやめるんですよ。
じゃあそのやった行動がどう悪いのか、なんで悪いのかは全く分かっていない状態なんですよね。
で、自分はテーブルに乗って遊びたいんだからテーブルに乗るわけなんです。
で、その親が怒らなければ、じゃあこの人の前ではいいんだとか、じゃああの人の前だけでやらなければいいんだとか、そういう感覚になってくるわけなんですよ。
で、これ繰り返し何回も叱ればやらなくなるかというと、そうじゃなくてですね、最終的にはですね、叱られることを承諾した上でやってしまうわけなんですよ。
要は、投資とかの感覚でいうと折り込みみたいなことを言い方するんですけど、怒られてもいいんでやりたいとか、あえて怒らせるためにやるとか、そういう感覚も生まれてくるわけなんですよね。
そこまで行く子供は、かまってほしいとか、うまく伝えられないけどかまってほしいとか、なんか欲求があるんでしょうけど、そういう欲求にも使われたりする叱った内容がですね、
だから全然ですね、叱ると教育っていうのは全然向いてない行動なわけなんですよ。
怒ることもですね、大切。怒らないと調子乗るとかいろいろ言いますけど、怒って調子に乗らせないという行動は、子供に親の顔色をうかがって行動しろっていう指示を与えているようなもんなんですよね。
親が怖いからやらない。親がこれはこの行動しても怖くないからやる。これですね、子供の正しい判断、自立とか考えた時に適正かどうかどう思いますか?というお話ですね。
結局、やる行動、行為ではなく、物事の善悪を親が起こるか起こらないかで判断しているわけなんですよ。
これはですね、親が正しければ、子供も結果的に正しい行動は正しい、悪い行動は悪いってなるからいいんじゃないかっていう考え方もあるとは思うんですけど、
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そうじゃなくてですね、ここで大事なのは、自分の行動を人の行動によって、人の評価によって決めているということがとても注目すべきところなんです。
じゃあその、何かな、今から、じゃあ、まあ例えばですよ、折り紙しようっていう時に、親が怒るか怒らないか、あ、怒らないからやっていい。怒るってことは今やってはいけないことだって。他人に判断を委託しているわけなんですよ。
そういう子供がですね、出来上がってしまうんですよね。怒ることによって育てられた人っていうのは。
日本人の多くも、やっぱ叱るとか怒るとか叩くとか、そういう文化で育った方多いので、そういう教育をしている方多いと思うんですけど、結局その弊害で、他人基準、物事の考え方を他人に依存している人が多いと思いませんか。
自分で考えて決めて責任を持ってどんどんやっていくっていう人が、やっぱちょっと少ないと思うんですよね。海外の人、アメリカ人とかですね、結構そういう強い意思を持って責任を持って行動するっていう人多い気がするんですよ。自分が知っている人ではですね。
日本人はどちらかというと、人の行動を見て自分の行動が正しいかどうか判断する。つまり、学校とかでも違うことをしていたらあなた違うよとか、一人だけ違うことをしていたら違うとか。
多数決というか、多数派が正しいみたいな考え方、そういう考え方になるのが、その叱ることによって育児をやることの弊害だと私は思っているんですよね。
叱るっていうのは、緊急な時は第一です。子供が赤信号飛び出したら、それは叱らないといけない。直ちにやらないといけない。とか、ゆとりもって行動すればいいんですけど、やっぱ時間がない時って日常的にあると思うので、そういう時に一時的に子供の行動を抑制してちょっと時間に間に合わせるとか。
そういうのはですね、どうしてもちょっと怒ったりとか、説得に応じれば一番いいんですけど、それでも応じない場合っていうのは必要なことになってくるのかなとも思います。
ただですね、日常的に怒って子供の動きを操る、悪く言ったらもう操る、抑制するとか、まあそういう言い方になると思うんですけど、そういった行動はですね、やっぱりできるだけ控えていかないといけないことだと私は思っています。
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なので、ここで言いたいのは、だからこそ褒めることも本当はあんまり良くない。子供を褒めて何かをさせるっていうのもすごく良くないことになってくるんですよね。
なぜかというと、褒めれば子供もテンションが上がったりして、行動して、スポーツ野球がちょっとうまくできて褒めて伸ばすとか、どんどん野球やりなさいとか、すごいねーとか褒めるっていうことはとても良いことはたくさんあるんですけど、ずっと褒められるかっていうところなんですよね。
じゃあその野球やってて褒められる。だから子供は野球やるとして、ずっと褒められる成果が上がるかっていうと、やっぱりそうじゃないんですよね。良い時もあれば悪い時もある。
じゃあその悪い時にへこむんですよね。子供は褒められないから。褒められると思ってやった結果褒められない。というのはですね、子供にとても大きなマイナスの影響を与えます。
で、うまくいけば、まあ右頂点になると。だから心の安定というのが本来大事なはずなのに、良い時はすごく上に上がる。悪い時はすごく下がる。これですね、褒めて伸ばすやり方の弊害でもあるんですよ。心の上げ幅が非常に大きくなるんです。
まあその、それで人は織り込んだり、まあ良い時もあれば悪い時もあるよってこう、それはさも当たり前のように言って人を励まして自分を震わせている方というかいると思うんですけど、
結局褒められても褒められなくても、やらないといけないことはやらないといけない。やってはいけないことはやってはいけない。っていうのをですね、自分で判断できるようにするためには、やっぱりですね、褒めるっていう行為は控えた方がいいんですよね。
先ほども言った通り、やっぱりその自分の行動が正しいかどうか、必要かどうかっていうのを他人に委託しているんです。
じゃあその他人に委託する。今ですね、子供がまだ成人になってないから、親の手元にいるから、親の基準で動いてくれる。それはすごく親にとってはいい子供なんですよ。
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でも子供というか一人の人間としてそれがいいか悪いかで言うと、やっぱり良くないんですよね。じゃあその今私たちは自立を目指して育児をしているわけで、自立して親の手元を離れた時に褒められたり怒られたりして育ってきた子供が誰基準で行動を判断すればいいのってなるわけなんですよ。
で、そこで一番良くないのが、やっぱ好きな人ができて、その好きな人がちょっと良くない人、悪い人だった場合ですね、その悪い人のことを信用してしまって、その悪い人が褒めればやる、怒ればやらないということになってくるわけなんですよ。
そこで人に依存していく、どんどん依存していく形になるんですよ。
じゃあその人がですね、すごく良い人であったとしてもですね、やっぱ一人の人の考え方に依存するということは、とても個性が失われるわけでもあり、視野がすごく狭くなる、盲目になってしまうというわけなんですよね。
なんかあの少し前に大きな事件として、とある方に洗脳されて自分の子供にご飯を与えずに殺してしまったという悲しい犯罪というか事件があったんですけど、極論言えばですね、そうなる可能性もあるわけなんですよ。
依存した人、信用した人がすべて正しいと。で、ちっちゃい頃からですね、そういう信頼した人に考えを委託するというか、自分の行動をその人に、人の評価によって変えてきた人だからですね、そういうのを鵜呑みにしてしまって行動してしまうと。
そういう子供ができてしまう可能性があるわけなんですよね。
なのでどうしていくかというと、先ほども何回も言ってますけど、基本的には褒めないし怒らない。そして何をやるかというと、物事の客観的なお話を子供に伝えると。
で、やってはいけないことを子供がやったときは、何でこの行動がダメなのか、どういう風になってどう悪い影響が生まれるのかっていうのをですね、しっかりと説明した上でやらないように促す。
促すことしか正直できないんです。4歳になっても、やっぱ言葉ってですね、まだまだ全然わからないので、薄っぺらい一言、例えばバカという言葉もですね、なんかその相手、その言葉を聞いた相手がどうなるかとか、まず考えることもなく、
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ただですね、バカと言って笑う人がいる。だからバカという言葉は人が笑ってくれることなんだとか、バカと言えば人が怒ったり、なんかですね、感情を変えるけど自分にですね、言わないでとかなんかこう、なんだろう、自分に興味を示してくれる言葉みたいな感じですね、覚えること、覚えてることが多いんですよ。
だからその、なんか結構下ネタというか、うんことかおしっことか、まあそういうの言葉、子供は好きなんですよね。それはなんで好きかというと、大人が他の言葉よりもやっぱ花瓶に反応するから、もうそういうの言っちゃダメよとか、なんかですね、反応するんですよね。
で、子供ってですね、やっぱ構ってほしいとか、何かしらこう反応をもらえることって、やっぱ嬉しいので、やっぱそういう言葉を比較的に言いがちなんですよね。で、それで笑ってくれたり反応してくれることが多いので、何回も何回も言うということになるので、なるんですよね。
まあその、そこで、まあですね、あの、やっぱ娘も女性となるわけで、あんまりですね、そういうのを連発するのもですね、まあいかがかなという、まあ世間一般的な感覚があるので、まあそこはですね、言ってはいけないよとかではなくて、
まあちょっとあんまり、大げさに言うのは恥ずかしいというか、なんか汚いというか、なんか気持ち悪いなって思ってしまう人がいると。なので、できるだけ使わないようにしようとか、まあそういったことをですね、どんどん伝えていくしかないかなと。
そこで言っちゃいけないって起こるとですね、やっぱなんか一時的に親の前だけで使わないで、友達とか、まあ裏ではですね、あの、いっぱい使うと。当たり前のように使うと。で、下品な言葉の大人になってしまうという可能性もあるのでですね。
まあその下品な言葉の大人になるっていうのがいいか悪いかっていうのは、まあその子供次第ですけど、まあその場をわきまえて言ってもいい場と言ってはいけない場っていうのがあるっていうのはですね、子供に教えて、子供が認識できるようなきっかけを与えてですね、やっぱやっていくこと、それが大事だと思いますし。
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やっぱりそれがですね、育児の本質である自立ではないかなと。まあ最終的にはですね、子供に判断させる。で、その考えるベースとなるものをですね、教えていく、まあ上限していくということで、そのベースをつくのはあくまでその子供ということでですね、私は育児をやっていきたいなと思っております。
はい。いかがでしょうか。まあ育児の考え方ってですね、いっぱいあると思いますし、やっぱ褒めて伸ばすにもメリットっていうのはどうしてもあるので、全然やっぱ褒めた方がいいよって思う方いると思うんですけど、私はですね、あんまり褒めすぎるとですね、他人の考え方に依存した子供になるのではないかということでですね、
できるだけ褒めないように、そして怒らない。怒るはですね、本当無益です。教育上無益です。全然効果ないです。本当怒ってやめる。本当一時的なので、か、子供が萎縮してやらなくなる。
最終的には親の顔をずっと伺うような子供になってしまうので、何もいいことはないですね。まあ親にとっては都合のいい子供になるとは思うんですよ。親の言うことを聞く子供ってもすごく都合がいいからですね。
でもそれは教育上正しいのかっていうと、やっぱり正しくないですね。親を失った時とか親がいなくなった時、子供がどうするかというと、他の人に依存してしまうと。
その依存というのは、一人の人に依存してしまうということはあまり良い結果を生まないことが多い。なので、まずはその教育の段階からですね、人に依存するような考え方を持たない子供に育てていく。そのために親は大変だけどもやっていかないといけない。
要は親の言うことを聞いてほしいけど、親の言うことをほどほどにしか聞かない子供に育てようという考え方ですよね。
子供自身の考え方、個性とかを伸ばすとか、そういうことなんですよね。親の言うことをあんまり聞かない。それが個性が伸ばされているというか、子供自身考えて行動しているというか。
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良い大人に育てるためには、そういうことが必要なのかなと思っております。
それではちょっと長くなりましたので、これで今回の配信を終わろうと思います。バニバニブーニンお疲れ様です。
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