好きな作品のリスト化
はい。混じりました。
はい。なんかね、今、なんか、自分の好きな作品とかの話をしてたんですけど、作品とか、ドラマ、漫画、なんだろう、まあ他にもいろいろ。小説とか。
うんうんうん、そう。で、なんかさっき玄徳さんが言ってたのが、なんか自分が好きな条件?自分が好きな感じの物語とか。
いや、もう単純に作品名でいいと思うんだけど。
作品名か。
そう、そう。自分のね。
メモを解いた方がいいっていう感じで。
そうそうそうそう。
この間、自分のパートナーに、なんかアニメ興味あるんだけど、おすすめのアニメ何?って言われたときに、結構困って。
あー、それどういうふうにですか?多すぎるのか?
いやー、意外となんかね、あのー、おすすめのアニメ何?って言われて、パッて自分の好きなアニメが、ずらーってやっぱ出てこないのよ。
うーん、うんうんうん。
意外と。で、まあ、結局その自分の好きなアニメだけ言えばいいわけじゃなくて、相手がどんなのが好きそうかとか、どんなのが見たいのかみたいな、そういうのもあるじゃないですか。
うんうんうん。
そういうのも含めてなんだけど、じゃあそういう条件が出てきたときに、それに当てはまるやつどんなの見てたっけ?こんなの見てたっけ?みたいなやつが、なんか全然、こう、自分の中から思い出せなくて。
うーん。
そのときも結構あのー、要は、あのDアニメストアって、そのアニメのやつがずらーって揃ってるサブスクのサイトみたいなのがあって、なんかそういうところを見てると思い出すんだけど。
はいはいはいはい。
なんか逆にそういうのがないと思い出せないっていうのがあって。
はいはいはいはい。
やっぱりなんか、普段から。
そういうのがあるかもしれない。
そう、普段から、なんか読んだものとか、見たものとか、まあそういうちょっとこう、ものの中でも、まあできればね、多く。
少なくとも良かったものに関しては、簡単にそういうね、メモとして残しておいてとか、まあそういうなんか、いろいろ自分の中で読んだことを読みっぱなしにするんじゃなくて、書き残しとこうとか、
なんかそういうメモを取るみたいな活動って、自分はここ5年ぐらいちまちまやろうとして挫折を繰り返してる感じなんですけど。
挫折してるんですね。
でもなんかそれの話にも多分つながるなと思いつつ。
はいはいはい。
だからなんかそういうね、作品名バーってちょっとリストにしておくだけでも、結構多分助かることがあるだろうなって思ったりとかして。
それは確かになんか記録につける意味というか意図はみんななんか違うかなと思うんですけど。
感想をツイートする意味
確かになんか人に勧めやすいっていうのもあるし、なんか私はなんか結構、まあどうだろう他の人と比べられないからわかんないですけど、
なんか興味が狭いんですよね。
なんかこれ、なんかうーんって思いながら見進めるとかあんまできなくて。
あーなるほどなるほど。
なんか好きなもの、なんか結構狭くて、これは面白いと思うっていうのが狭いので、
なんか人に勧められて、まあさっきも話したんですけど、人に勧められて、うーんどうだろう、私にはあんま変わってないかなみたいな思ったときに、
なんかじゃあ自分はどういうのが好きなんやって思ったときに全然わからないんですよね。
で、なんか探せないし、なんか伝えられないし、みたいなのが結構あるので、
なんか自分ってどういうのが好きなんやろうっていう、なんかある意味自己理解的な。
なんかそういう話のような気がする。
なんか人に勧められたものが、なんかうまくはまらないのって、やっぱりその基準値が、その勧めてくれた人の熱量になってしまうっていう。
そこにギャップが生まれるから。
なんかな気がしてて。
で、なんかやっぱりその人に何が良かったのっていう風に聞くと、
まあその人の感覚で良かったところとかポイントを話してくれたりするわけじゃないですか。
なんかそれがね、やっぱりオタク的な目線からすると、この女の子が可愛いの説明だったら、
じゃあ俺それ見るわとか、なりやすい気がするんだけど。
なるほどね。その子の推しポイントを一緒にズイズイしてみるというか。
そうそうそうそう。
それは結局そのオタク同士の女の子の趣味が合うかどうかだけじゃないですか。
なんかそこの感じで、お勧めされたら見るみたいなのがしやすいような気がするけど。
例えばなんか、難しいけど、この小説は作者の描写の力が他とは違ってみたいなとか、
すごく現代的な問題に鋭く切り込んでいてみたいな、そういう感じで言われちゃうと、
やっぱり読む時にそれを念頭に置いて読んでしまうのが嫌だみたいな感じに、
ちょっと嫌ってことじゃないんだけど、ちょっとなんかフラットに読みたいけど、
フラットに読むのが難しくなるみたいな、なんかそういう難しさがある気がしてる。
確かに。フラットに読むのも難しいし、なんかそれって自分と思想の違いが現れがちじゃないですか。
そっか、これはここを重視してるのか、みたいな。でもそれなんかもやもやするな、みたいなのがあったら余計になんかもやもやするから。
もっと言うと、そこで、例えば自分が現代的な問題、現代社会の問題に切り込んだような作品がすごいいいと思うっていう傾向があったとしても、
それを聞いた上で読んでると、なんか読むってことを思うと、そこになんか、なんだろう、その本を読むことによる意外性とか気づきみたいなのがあるのかな、
多分あるんだけど、なんかないような気が他の人の話し入れちゃうことによって起きてしまうような気がする。
確かにな。なんかあれですよね、それは自分で気づくからいいのであって。
高木さんの中に、また現代のね、こういう問題が描かれてるってのもあるんやなーって思ったらいいけど、そもそもそれはネタバレに近いですよね。
まあそうかもね。だからやっぱり一番いいのは、もうお互いその本があって、課題読書があって、それを読んだものをゼミ形式で話し合うのが一番いいんだろうね。
なるほどね。なんか、でもその人が何を魅力的に思ってるのかっていう話は好きですよ。なんだろう、例えば推しの話をしてるとか、この本のこういうところがよかったよみたいな。
でもなんか実際に自分が読んで面白いと思うかどうかは別だから、その子のその話だけ聞いてたらいい。
確かに。それはそうかね。
なんかそれを体験するのは、それはまたちょっと別かな。その話を聞いてすごく惹かれたりすると思うんですけど、そこからなんかあれかな。でもその話を聞くのは面白いなと思うので。
確かに。
話を若干戻してしまうけど、たぶん本当、自己分析的な話で、さっき言ってた自分が好きなアニメだったらアニメの一覧面って並べるとか、そうしたら、とりあえずタイトルだけ並んでれば、タイトル見れば内容はなんとなく思い出せる並びができるわけじゃないですか。
それを見たときに、このタイトルとこのタイトルみたいなのを2つセットにしたときに、自分にとってすごい気づきがある。
自分これとこれが実は好きなんだ、意外と中身を思い出したら反対なんだけどな、みたいなこととか、そういうもののきっかけになるような気もしてて、結構キャリアっぽいというか、自己分析的なとか、そういう気づきになるかもな、みたいな意味も含めて、そういうメモ書きを作ったらいいかなって、作りたいなって自分的には思ってる。
確かに、何らかの軸があるんですよね、自分が好きってことは。
一応正反対に言えても、ある程度、話が思ったより重い系とか、分かんないけど、何らかの軸があるんだろうなと思うんですけど、その軸が分からないから、探せないし、分からないっていうことが結構あって。
別に少なくとも、そういう趣味に関して言えば、軸って一本ではないじゃないですか。
まあまあまあ、一本ではないけど、何本かしかあって構成されてるんだろうなっていう感じ。
そこに結構複雑さがあるから、この作品が好きな中にどういう軸が直接的に繋がってるのかっていうよりかは、多分いろんな軸があって、そこがいろいろ絡み合ってる中にポンって一つ作品があってっていう、そういう繋がりのような気がするんで。
確かに。
メモったことないですね。
メモったことないし、それはジャンルに限らずですよね。本もそうだし、本とか大量すぎてメモれないけど、アニメ、漫画、まあ人によるのかな、アニメとか大量すぎてメモれないよって人もいるのか。
アニメとか漫画でそういう感想メモ作る人ってあんま多くないような気がする。やってるんだったらブログやってる人。
そのアニメをリア対して見たら感想書いてブログにあげちゃうみたいなね。
その感覚に今近いのはやっぱりツイッターだと思う。
はいはいはい、確かに確かに。
やっぱり小説読んで面白かったのはツイートをしてたじゃないですか。
はいはいはい、ツイートしてたかな。
してない?
してたことないです。
ドラマとかでもないですか?
ドラマで感想をしたことない。
あ、そうなんだ。
いやでもなんか私そもそも感想文って書くの苦手なんですよ。
感想を書いた瞬間にすごいチンプになるのが嫌で、書かないですね。
本とかでたまにいいと思ったら書くけど、感想というよりかはそれによって自分に引きつけて、
例えばノートとかで引きつけてそこから発生した思考みたいなのを書くことはあるんですけど、
本の感想っていうジャンル自体を書かない。
いやでもそれでいうとやっぱツイッターって一番よくできた感想文を書かずに感想を言うためのツールだと思って。
まあね、え、でもその産業、もうそのツイッター140字で耐えられなくなるんです、自分の感想に。
なんかうわまとまってる感じになったみたいな。で、なんか書こうと思ってはやめた気がします。
この間千葉雅也さんっていう哲学者の人が書いた小説でデッドラインっていう本があって、それを読んだんですけど、
自己理解と作品について
自分はツイッターのアカウントじゃないんですけど、自分の手元にツイッターみたいな感じでメモを入れれるみたいな感じの仕組みを持ってて、
自分だけでそうやって入れるんですけど、自分デッドライン読み終わって一番最初に書いたのは、
多分普通に面白かったって書いたと思うけどな。
まあ何よりですよ。
そうそうそうそう。
千葉雅也、デッドライン、面白かった。読んでいる途中は感想なんかなくて、読み終わった瞬間に面白いという感想が確定するような感覚っていうふうになりました。
いいな、いい文章ですね。
なるほどね。
感覚に近いんだな。
補足すると急に終わる感じなんですよ。
確かに物語的にも山はあってってなるんだけど、エピローグ的な説がエピローグとも書いてなくて、
場面の切り替わりの中で本当にちょっとだけの最後の場面が出てきてすぐに終わるっていう形だったんで、
結構そこに驚きを感じながら読み終えて、これで終わりなんだって思って思い返してみると、面白かったなっていう。
別に全然面白かったの中身を全く書いてないじゃないですか、掘り下げてないじゃないですか。
面白かったに至るまでのプロセスしか言ってないわけで、でも別にそれで良くねっていう感想は面白かったで良くねって思ったんですけどね。
めっちゃいいと思います。
なんか読んだ時に湧いてきた自分の感覚みたいなのを書き残してるみたいな感じですよね。
なんかツイッターってそういうのに向いてるし、てかそもそも自分ってめちゃくちゃ今っていうか、
5年社会人になってからだけど千葉雅也さんの影響めちゃくちゃ受けてて、千葉雅也さん自身がツイッターっていうのをすごい大事にしてる哲学者なんですね。
もともとにちゃんとかのインターネット掲示板にすごい入り浸ったっていうのが高校とかなのかな。
だからすごいたかんな時期にそういうものに触れていて、でツイッターっていうのもすごくその3分的に思ったことが書けるっていう。
そういう性質をすごい大事にしてて、ツイッター哲学っていうので本を書いてるぐらい。
めっちゃ面白そう。
自分まだ読めてないんですけど、そういうような人なので、どんどんその場で思ったことを短文で丸をつけて入れていく。
それをちょっとつらなりにして自分の考えみたいなのを深めて書いていくみたいなのが、すごい自分も取り入れたいなっていうのでやってるんで。
ツイッターでの自由な感想
その後にいっぱいデッドラインのことは自分は書いてるんですけど、一番最初のツイートはそんな感じだったっていう。
なるほど。
でもそのツイッターの考え方に関してはすごい同意できるなと思って。
私も頭の中でパッて浮かんだけど、どこにも言う当てのないこととかをツイッターに書くことが多くて。
それもほぼ知り合いがいないやつ。
知り合いがいたりとかすると、どう見えてるかな、どういうふうに思われるかなが結構大きいので。
それを通すと自分の思ってることが死ぬので。
だから自分がパッと頭の中に浮かんだけど、これはどこに書いておいたらいいかわからないけど残しておきたいことをツイッターに結構書いて、
思いついたらリプでつなげていくんですよね。
単文の時もあれば長文の時もあるし、それがまとまったりとか、この点が単文が線になっていった時にノートを書いたりすることが多い。
多分それで書いてる人は結構多いと思う。
めっちゃ同意です、ツイッターの位置づけについて。
そうそうそう。そうなんですよ。
なるほどね。
読書感想文の窮屈さ
でも、玄徳さんの面白かった感覚の話を聞いて、学校の読書感想文みたいなのにめっちゃ読されてるんやな、みたいなのを思いましたね。
こういうこの場面に対してどう思った、最終的に結論をつけなきゃいけないみたいな、どういうふうに指導されたのかあんま覚えてないですけど、
本の内容を正しく理解して書いてないことは言ってはいけないのかな、みたいな。
場面に対しての感想みたいな窮屈な感想文にどうしてもなるのが嫌で書かない。
なるほどね。
いや、自分は確かに学校の読書感想文は多分正しい認識だと思うんだけど、他の人よりも結構戦略的にっていうか、読み増したアピールをする文章っていう。
はいはいはいはい。あーね、そうですね。
多分自分の中で大事なのはそこっていうふうに思われてるっていう理解をしてたんだよね。
本をちゃんと読んだことが大事って思ってるって学校の人も思ってるって勝手な信頼があって。
報告書みたいな感じですね。
そうそうそうそう。
だからもう最悪引用すれば文字数稼げるなみたいな感じのこととか思ってたと思うし、
それをやっぱりやるとちょっと格好悪いなみたいな感じが当時は自分の中であったから、
なんかちょっとやっぱり言い方変えてみたいなのが余裕があればできるようにしたかったけど、
なんか変に難しい本買ったりとかして読んだりとかしたらできにしみたいなとか。
まあでも結局のところ読んだっていうのが伝われば、
なんかやり直しとかは、別に読書館そういうのってやり直しはさせられへん。
書きなり辛さを負うことはあっても。
だから書きゃいいんだよみたいな感じでやってたから、
多分周りから見れば多分得意な方に見えたのかもしんないなと思うね。
確かにね。
いやでもそのね、読んだことを証明すればいいんやろっていうのに気づいてた小学生は賢いから。
でもそれはほんまにそうなんですよね。
なんか報告書だからあれは。
だからなんか自分の感覚を読んだんか読んでへんのかわからん自分の感覚を原稿用紙1枚に書いたところで、
なんか微妙だから。
私そこまで心動かされた本を感想文に書くこともないし。
感想を書こうと思ったら難しくなっちゃうっていう。
感想を書こうとするから面白かったじゃダメだってなっちゃうわけだけど、
自分って別に面白かったでいいって多分心のどっかで思ってるんだと思う。
その読んだことが伝わればいいから。
あとはもうなんか自分の話しちゃうみたいな。
わかります。
なんか私もツイッターとかで書くときは本当に誰にも見られてないので、
本の内容で本にそんなこと書いてなかったやんけみたいな思われることもないから、
その本の授業だけを引用してそこから自分の話したりとかもするし、
ノート書くときとかもこの本にこういうこと書いてあったって書くけど、
でもなんかその、ほんまにそういうニュアンスで書いてあったんかみたいなのは、
確かめられたら困るから、日本元付けないみたいな。
でも多分それはね、読書感想文でやっていいことだと思いますけどね、個人的には。
ね。だってあれ、本を引き合いに自分語りしていいんですよね。
そうそうそうそう。多分いいと思うけどね。
なんかもう、だいたい半分ぐらい書いて、あ、しんどいなーって思ったあとさ、
残り3割とかさ、原稿読んでるのに自分の話して書いて、
逆にさ、我々が先生やってたとしてさ、小学5年生とかの子が読書感想文書きましたって、
自分が読んだ本につながるような自分の経験とか、
自分の話とつながっててみたいな、そういうこと書いてあったら、
あ、なんかいいこと書いてるなーって普通に思うと思うし。
確かになんかこう、読んで自然に自分のことを喋りたくなるって、
なんかいい本なんだろうなーというか、いい読み方。
それはそうだね。そうそうそう。
うーん、なんかねー、確かに。
あのー、なんかそこまで、うん、そこまでいい、
なんかすごいよかったっていう本を読書感想文に書いてなかったとは思います。
あの、小学校の頃は課題図書とかを読まされ、
なんか趣味で他の本もいなかった。選べなかったかなー。
でもなんか読書感想文に書くのは課題図書やって思い込んでた可能性がありますね。
あ、そういうことか。なんかあったよね。課題図書の中から選んでみたいなとか。
そうそうそうそう。
あったなー、思い出したわ。
課題図書だったら母が買ってくれたりとかして、
で、なんか別に自分の趣味の本は図書館で借りたりとかして別に読んでたんですけど、
なんかなんだろうな、ある意味こう大衆的すぎて感想文を書くに至らないんじゃないかなみたいな感じのイメージだったから。
だから読書感想文とか、
なんかこないだ実家に帰った時に部屋の整理してて、
小4の時の学校の日記帳を見つけたんですけど、
そこに読書感想文を貼ってあって、
なんかアンネのデンキ読んでた。
え?
アンネの日記を読んで感想文書いとった。
え、アンネの日記ってなんだっけ?
あのあれですね、ユダヤ人の。
え、そうやんね。
そうそうそうそう。
アッシュビッチじゃないの?
あ、そうそうそうそう。
隠れ家に住んでて、そっから収容されてて。
嘘でしょ。嘘でしょ。
小4の読書感想文。小4です。10歳。
小4?
うん。
すげえな。
で、読んで、
え、でもほんとにもうバカみたいに薄いことしか書いてなかった。
安くない?
なんか、うーん、部屋に隠れてるのを見て、なんか危ないと思いました。
次の場面でなんとか逃げ出したのを見てよかったと思いましたみたいな。
本当になんか、読んだのはわかる、読んだのはわかるよっていう。
ただ、嘘すぎやろ、内容っていうのしか書いてなくて。
でもなんか、その他の日記、自分、その読書感想文が間に挟まってて、
その他にも毎日の日記を書いて、先生に提出するって仕組みだったんですよ。
その他の日記は、なんかちゃんと書いてるんですよ。
だし、なんか自分が心動いたんだなってこともわかるけど、読書感想文だったらめっちゃ死んでたんですよ、文章が。
それは、それはチョイスの間違いでしょ。
あーね、いやでもなんか、電気課題図書が鉄板だと思ってたんですよね。
いやー、まあそうだけど、あんねの日記は無理でしょ。
時代背景から、そもそも学校で習ってない。
間違いない、間違いない、多分。
第二次世界大戦って。
学校の、なんだろう、でも学校が求める感想文って、なんかそういうところがある気がしてて、
なんか私だから道徳とか総合とかの感想文が苦手なのはそれがあって、
はい。
なんだろうな、なんかこっちに持っていきたい、なんかなんだろうな、戦争のビデオを見て絶対に最後は戦争はいけないと思いましたって書かないといけないみたいな。
はいはいはいはい、あります。
うーん、なんかこの、なんだろうな、こっちに持っていきたいっていう学校の意図がめっちゃ嫌で、
教育の変化と感想文の工夫
なんかそれに気づいた瞬間、でもだからって言ってそこに反抗するまでのなんかガッとないんですけど、
はいはいはいはい。
ガッとおいではないんですけど、でもなんか、だからそこに合わせにいこうと思って文章が死ぬみたいなのがよくあった気がして、
すごいなんか嫌でしたね、あの道徳総合学習の感想文。
いやそれはね、自分も結構嫌なんだと思う。
うーん。
結構、うん、だから結構心を無にして、なんか、みたいな、あの、ポドキャスト上では伝わんないけど、
要はもうなんかやけくそで、あの、なんだろうな、思ってないことでも書いたれみたいなぐらいの、
はいはいはい。
逆にだからそこで、思ってないことを書いてるっていうぐらいの気持ちで、それでいいやっていうので書いてたのが良かったと思う。
あの、そこでなんか、こう書かないといけないんだみたいなんで、内面化するような風に言っちゃうと、
その道徳の授業としては正しいのかもしれないけど、
まあ、あんまり一個人のね、いろいろ思考を深めるとか、考えるっていうことを思うと、あんま良くないのかなって気がするからね。
はいはいはい。なるほどね。思想、なんか内面化せずに、思ってないけど書いたれっていうのをちゃんと自覚してる時点で、
そうそうそうそう。
しっかりしてるというか。
そういうのって、結構クラスのちょっと悪い子っていうか、やんちゃな子とかが、
あの宿題やったとか、読書感想文やったとか、全然思ってないけど、先生に褒められそうなこと書いてよかったわ、みたいなこと言って、
うわーとか思いながら見てたりとかするけど、
やっぱりなんか心の中に、そういうやんちゃな子の要素をやっぱり持っておいた方がいいんだろうなっていうのはね、やっぱ思いますよね。
それは多分もう子供でも大人でも一緒だよね。
確かにね。なんか私、もうちょっと学校の、どうなんだろう、学校がどういう風に先導してたか覚えてないですけど、
なんかもうちょっと多様な感想がね、あっていいだろうと思うんですけど、
なんか、あの、そこにしか求めてない感じなんなんだって思ってたんですけど、結論ありきの話。
なんか今はね、小学生とかだと難しいと思うけど、なんかそのアクティブラーニング的なもの、もう最近あんまり聞かないけど、今どうなんかな、
なんかそういう時に、どういう対応先生がしているかだったりとか、なんかそういう試み自体はね、あるのかもしれないなと思ったりとかするけど、
そういう仕組みなんですか?
いや、知らない。知らないけど、あんまり分かってないけどね。
アクティブラーニングって、なんか多様な感想みたいなのなのかな?
なんか、ただ単にこう、なんだろうな、なんか感想ありきとかの教育に関しては変わってないかなと思ってた。
なんか勉強のやり方の話なのかなってめっちゃ思ってます。
ちょっと私もあんまり詳しくないですけど。
まあちょっと自分は勝手にそのアクティブラーニングを、そういうなんか自発的な発言みたいなとか、そういうのをベースにっていうか、そういうのを取り入れていくっていう、
まあ受け身型の教育じゃないっていうね。
でもなんか自発的な感想をいっぱい言えたとしても、それをなんか潰す環境があったら意味なくないですか?
そうそう。だからそれをまさに言って、そういうのがやった時の先生の対応だったりとかっていうのがどうなってるかだよねっていう。
確かにな。確かに。
なんかね、感想文とかもね、もうちょっとこう、やり方が、なんかどういうやり方があったら結論ありきにならないかちょっとわかんないんですけど。
今やってみても面白いんじゃないですか?読書感想文。
自分が?今?
読書感想文からの解放
いいよ。ちょっと我々の友達集めてやってみても、いついつまでに原稿用紙何枚みたいな。
原稿用紙か。
ほらちょうど今、夏休みシーズンじゃないですか。
大学生目線で見たら、もう1ヶ月、2ヶ月ぐらいか?1ヶ月強か。
大学生まだ終わってない。今7月26なんで、ギリまだテスト期間かも。
小学生はもう夏休みですね。小中学生は。
で、大学って9月末から始まってたよな。
9月末の夏休みなので、多分8月1日ぐらいまで試験あった気がします。
そうだよね。だから2ヶ月弱か。
じゃあ2ヶ月弱で、大学生でもないけど。
大学生は夏休みの宿題ないんやけどね。
読書感想文をね。大学生の夏休み期間で。
自分全然ありやけどな。自分デッドラインで書くけどな。
普通にデッドライン読んで、全然最初、そもそもね、池袋の純工堂か。
で、千葉雅也展があったんですよ。千葉雅也さんの著作とか、千葉雅也さんの専書の本のスペースがあって、
それやってるのは知ってて、それを見に行ったんだよな。
それを見に行こうって言って、それでせっかく行ったしと思って、文庫のやつでデッドラインを買ったんだけど、
全然それだけとりあえず買っとけぐらいの気持ちだったんやけど、何気なしに読んで、読み終わってたら、
とりあえずちょっとその次の3部作みたいな感じで、3作今出てるんですけど、
それのやつもとりあえず買うかっていうぐらいには良かったんで。
そうなの。結構いいんですね。
良かったですよ。
玄徳さんのデッドラインの話聞いてて、小説読みたくなったっていうのもあるし、
あとなんかここでね、おすすめの本紹介するのも楽しそうですね。
なんか普通にあれだよね、2人が今まですでに読んだ本でもいいし、読んだことない本でも、
1冊両方読んでみて、それをベースにして喋ってみるみたいなとか、
確かに確かに。
大学のゼミみたいなのをそのままやるとか、
ゼミの形式って言ったら同じ本を両方読んでもいいし、
お互いにその1冊1冊おすすめの本を持ってきて、
しっかり読んでる方とサラッと内容を知ってる方とみたいなんで、
ちょっと聞き手話してみたいな感じで喋るみたいな。
選べないから3冊ぐらいがいいな、3冊持ってきてちょっと喋るみたいなやりたい。
いいですよ、任せますよ、具体的なやり方は。
なるほど確かに、ゼミやりましたね、ゼミはそんな感じでしたね。
本読んで感想まとめてみたいな。
自分はね、あんまりあれだよな、
3回生の時のゼミがそうやったのか、
3回生の時に半年とかでもゼミが別れるみたいな感じだったから、
半年間だけすごいガッツリ本読むゼミにいて、
その時に創造の社会学やったっけな、みたいな感じの本があって、
それを読んだけどめちゃくちゃ難しいって思いながら読んだ記憶があるね。
創造の社会学。
ちょっと難かった、いい本なんだけどね。
でもなかなか難い本ってあれですよね、
ゼミじゃないと読まないってのもあるし、
他の人と先生が解説してくれるから読めるみたいなところもある。
にしても結構難かったな。
しかも大学院の時は、大学院の時も多分やってたんですけど、
大学院の時ゼミというか授業自体が臨時が多かったので。
それは素晴らしいよね。
めちゃ楽しかったですよ。
自分で卒論の時にそういうのはなかったから、
だからやっぱり修士で大学院で設定しっかり、
基本的に人文学系でベーシックと言われるようなゼミを学習やってるのって羨ましいなと思ったりするね。
しかも社会福祉だったんですけど、
そもそも学部生、私と同じで下から上がってきた学部生がもう2人しかいなくて、
他全員社会人の方で、
大きいもの5人かしかいなかったんですけど、
もう本当にずっと施設で働いてたおばちゃんとか、結構経験豊富な方々がいるから、
パワフルでものすごい賢い方々がたくさん喋ってるのをただ聞けるっていう、
未熟すぎて何も喋ることがないけど、すごい勉強になるみたいな時間が結構あったら、
めっちゃ楽しかったです。
そりゃそうだよな、めっちゃいい経験だよな。
なかなかないですよね。
そこまでは行かずとも。
普通に楽しく紹介をし合いましたよ。
そういう形だと、ポッドキャスト聞いてる人も感想を言いやすいこともあるかもしれないね。
確かに。
確かにね、何か読んだことあるとか、
言ったようなの持ってるとかね、何かいろいろ話も広がりそうだから。
普通にあれですよね、これ読んで欲しいとか欲しいですよね。
これ読んで感想欲しいみたいなね。
それだったらリクエストに答えられるかはさておき、
結構いろいろ思ってくれることがある人いそうだなと。
確かに面白そう、それも募集してます。
ぜひ、いいんじゃないでしょうか。
っていう、この先の展望を語ったところで今回はこの辺にしておきますか。
ゼミでの経験
そうですね、YouTubeの話はこの辺で。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございます。