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他人のことって意外とよく見えてるんですよね。 あの人はこういう人だなぁ、とか
あの人はこういう時にこうなるんだなぁ、とか なのに自分のことはなんでこんなにわからないんだろう?
と思うことがよくあります。 なつなのこのままでいいのかラジオ
みなさまこんにちは、なつなです。 今日のテーマは、自分のことが一番わからない気がする話、です。
テーマを聞いて、ああわかるかもって思っていただいた方は、ぜひ最後まで聞いていってください。
これを話そうと思ったのは、最近のとあるセッションがきっかけでした。
お仕事でコーチングのお仕事をさせていただいているんですが、 一緒にお話ししている方から
お話ししていて、全然知らなかった自分が 見えてきたんですとか、新しい自分と出会えましたとか
そういうふうにおっしゃっていただけることがとっても普段から多いんですよね。 その言葉を聞くたびに、とっても嬉しい気持ちになりますし、
自分のことを考える時間だったりとか、 余裕を取り戻せているような感覚にもなります。
それが、自分自身もコーチングを受ける前は自分について一番知らないなぁと思っていた感覚もあったので、
ああこれ私も同じだったなぁと思ったりして聞いています。 特にコーチングをしていると、一緒にお話しする方のことは
特によく見えるんですよね。 この人はこういう価値観を持っているんだなぁとか、
一番大切にしていることはこういうことなのかなぁとか、 こういう時にこんな動きをされるんだなぁとか、
こういう風に雰囲気がちょっと変わるんだなぁとか、 なんかそういったことが
特にセッションを重ねていって、 継続してお話しさせていただいている方ほど
よく見えてきます。 ただそれが自分のことになるとどうかというと、
これはなかなか難しいような気がします。
私自身コーチングを続けてきて、ずいぶんわかってきたような、 そんな感覚はあるんですが、
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それでもまだまだきっと自分の知らない自分がいるんだろうなぁという予感もしたりします。
なんでこう他人はよく見えていて、自分についてなると急にわからなくなってしまうんでしょうか。
これって、近すぎて見えないっていうことなんでしょうね。
木を隠すなら森の中という言葉でもある通り、
中にいるとやっぱり見えないというか、 大勢の中、たくさんの中に隠してしまうと、
その一本一本が見えなくなるような。 それって一つ一つが見えないっていうこともありますし、
自分自身がこうなかなか俯瞰してみるっていうことは難しいので、 森の全体像もわからなかったりとか、
隣の芝は青く見えるという言葉もありますけど、 他の人のことってこう、
見てるんですよね、よく。 ここがこうなったなぁとか、
こういう風になってるなぁとか、 この人はこれがあっていいなぁとか、
そういうことってすごく見えやすいよなぁと思います。 でもこれって、
自分に対しての自己理解が足りないとか、 自分を知る努力が足りないとか、
そういった話ではないような気もします。 自然と見えにくい構造になっているというか、
なかなか意識して、 それを続けていかないと、
見えるようにはなっていかないんじゃないかなと思います。 ちょっとここで聞いてみたくなったんですけど、
皆さんは自分のことがわかっているという感覚って どのくらいあるんでしょうか?
もしかしたらあんまり考えたことがない方も 多いんじゃないかなぁと思うんですけど、
例えば100点満点だったら、
自分は何点ぐらい自分のことを知っているのかなぁ なんて考えてみるのも
面白いかもしれません。 私は
そうですね、なんか正直言うと50点あるかないか ぐらいなんじゃないかなと思います。
自分自身でコーチングを受けたりとか、 提供したりとか、
そういうふうなことをするようになっても、 かなりこれでわかってきたなぁと思うけど、
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まだやっぱり50点ぐらいなんじゃないかな。
でも今はそういうふうに言えるんですけど、 当時というかコーチングを始める前の段階は、
もっと自分のことを知っていると思っていました。 多分80点ぐらいは知ってる
ぐらいの感覚だったんじゃないかな。
でも蓋を開けてみると、 自分がどう感じていて、
どこでどんな感情が起こって、 何が嫌で、
どんなことを する時に一番
楽しいとか、そういう 特に感情的な部分とかですかね。
そういったものが全然わからないなぁというのも、 すごく感じてきたような。
それを知るところまでが、 知るところにも全然たどり着いてなかったような。
そんな感じだったなぁと思います。
なんか特に好きなものとか嫌いなものとか、 そういうのもないなぁみたいな。
特に自分自身に動きがそんなにないなぁなんて思っていました。
ここからちょっともう少し考えてみたいんですが、 一緒にお話ししていた方から、
自分が何をしたいのかわからないんですよねって、 おっしゃっていただいたタイミングがあって、
いろんな角度からお話を聞いたりとか、 その方のお話を聞き続けているうちに、
なんとなく、 最近自分に今どう感じてるなぁとか、
自分がどういう気持ちになっているなぁとかって、 自分に対して問いを立てたりとか、
感じていることってありますか?って 聞いてみたんですよね。
そうしたらその方をハッとした表情で、
ないですねって言われて、
あんまり感じたこともないし、 ましてや自分で自分に問いを立てたりとか、
聞いてみたりとか、なんかそういったことは全然ないです。
というふうに言われたのがすごく印象的でした。
考えるっていうことと、聞き続ける、聞いていくっていうことって、
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ちょっと違うニュアンスを含んでいるような気がします。
考えるって言うと、 頭の中で答えを探す作業のような。
ちょっとあるものを並べたり、比較したり、整理したりして、
これが正解だなーっていう着地点を見つけるような、
そんなものが考えるだと思うんですけど、 じゃあ聞くって言うと、
ちょっとそれとはまた違うニュアンスを感じますよね。 自分の中に問いを投げて、
その時に答えが返ってくるかどうか。
これがすぐ返ってくる時もあるかもしれないし、 その時はすぐ返ってこないかもしれない。
何か答えを作り出そうとするわけじゃなくて、 自然と返ってくるのを待つ、
みたいなものが聞くっていうことなんじゃないかなと思います。
考えるはもうちょっとロジカルだったりとか、 能動的なもので、
聞くっていうことはもうちょっと受動的な感じがするような気がします。
これは会社員だった時は全然できてなかったなぁと思っていて、
やりたいことは何かとか、自分の好きなことは何かとか、 自分が向いていることは何かとか、
そういったことを自分自身に聞くのではなく、 答えを出そうと考えていたような気がします。
例えば自己分析ツールを試したりとか、 本を読んだりとか、ノートに書き出したりとか、
すごく一生懸命やっていたなぁなんて思うんですけど、
それは自分に聞いてみるっていうよりかは、 自分自身で答えを出すための考える作業だったなと思います。
どこかに答えが必ずあって、それを見つけなければいけない。
そしてそれが唯一の正解、みたいな気持ちで考えていたんですけど、
その時自分に今どういう風に感じてるんだろうとか、
それを考えた時にどう感じてるんだろうとか、
そういった聞き方をするようなことは ほとんどなかったなぁと思い出しました。
感情を確認したりとか、自分の中に答えがそもそもあるかないかとか、
すぐ出てくるかどうかとか、
そういったことの前に正しい答え、正解を出そうとしていたなぁと思います。
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これは自分自身が納得できるとか、
あと聞いてくださった相手の方がより満足するような答えを出さなければいけない、
っていうような、そんな風に考えていたなぁって思います。
だからどれだけ考えても、
なんか特に自分がしっくりくるような答えってあんまり出せてなくって、
その時に相手の方だったりとか聞いてくださった方が、
なんとなく納得しそうな、これが答えだったらいいなぁっていうような、
そんなものを表面上で出していたので、
なんとなく手応えがなかったりとか、
そこで自分はこれが好きなんだとか、
自分はこれが得意なんだとか思ったとしても、
同じことでずっと悩んでしまったりとか、
本当にそうだったのかなぁとか、
なんとなくしっくりきてなくて、
自分自身が納得していないような感じが出ちゃったんじゃないかなと思います。
提供していくようになって、
学び続けていて、
少しずつ変わってきたのは、
この聞くという行為自体を、
自分にも向けられるようになったっていうのはとても大きいなと思います。
今自分は本当はどう感じているのか、
これは本当にやりたいことだったのかとか、
何がしんどかったとか、
なぜ今こう思ったのとか、
何が私をこうさせるんだろうかとか、
こういう問いをすぐ答えを出そうと思って、
考えさせるのではなく、
ただ自分にちょっと問いをかけてみて、
しばらく置いてみたりとか、
なんでだろうなーって思ってみたりとか、
そうすると、もしかしたらすぐにこうだなって思うことばかりではないかもしれないんですけど、
少し時間を置いておくと不思議なもので、
ふとした瞬間に、
あの時のこれこう思ってたなーとか、
あの時はこうかもしれないと思ってたけど、
改めてなんとなく今こう浮かんできたなーとか、
なんかそういったことが浮かんでくるようなこともありました。
もしかしたらそれは言葉にならないような感覚として出てくるかもしれません。
でもそれが自分の声の一つなんじゃないかなと思います。
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自分のことが一番わからないという感覚は、
おそらく多くの方が持っているんじゃないかなと思っていて、
でもそれって自分に向き合って聞こなかったとか、
そういうことではなくて、
ロジカルに考えることと、
問いを投げる、聞くということを混同していただけなんじゃないかなと思います。
今はロジカルに考えたりとか、
こうすることに重きを置かれることも多いんじゃないかなという風に、
感覚として持っていて、
そうじゃなくて、自分に対して問いを立てるとか、
聞いてみるっていうことは慣れてないんじゃないかなと思います。
一生懸命考えたりとか、ロジカルシンキングだったりとか、
そういったことを身につけてきた方は多いけど、
自分自身がどう感じているかとか、
どういう感覚なのかっていうことを聞いたことはなかった。
その2つの間には思っているよりもずっと大きな差があるんじゃないかなと感じています。
答えは、自分が考えて過去の知識だったりとか、
今ネットで見えるような知識みたいに、
自分の外にあるんじゃなくて、
自分の中から自然と浮かび上がってくるような、
そんなものなんじゃないかなと思っています。
でもそれが浮かび上がってくるには、
ある程度時間が必要かもしれないし、慣れが必要かもしれない。
そんな時間を私たちはあまりにも持っていないんじゃないかなと思いました。
あなたは最後に自分に今どう感じていると聞いたのはいつでしたか?
特にここで答えは出なくてもいいし、
うまく言語化できなくてもいいと思います。
ただ少しだけ思考を止めて、
自分の中のことに耳を固めているような時間を作ってみてもらえるのも、
いい時間になるんじゃないかなと思います。
今日も聞いてくださってありがとうございました。
夏菜のこのままでいいのか?ラジオ、お相手は夏菜でした。
また来週日曜日の夜20時にお会いしましょう。
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ではまた。