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小田嶋三詠の心の起業学。
ポッドキャスト、心の起業学は、発信力プロデューサーの小田嶋三詠が、個性、才能の生かし方や転職の作り方、自分らしい成功を実現していくためのヒントを、リスナーの皆様からのご質問に直接お答えする形でお伝えしていく番組です。
はい、今週も始まりました。小田嶋三詠の心の起業学第97回スタートさせていただきます。ナビゲーターのトーマス・J・トーマスです。よろしくお願いいたします。今週も三詠さんどうぞよろしくお願いします。
はい、小田嶋三詠です。よろしくお願いします。
ありがとうございます。というわけで、今日の収録の日の朝なんですけど、インスタグラムをちょっと見てたら三詠さんがライブしてるのが見えて。
そう、見ていただいてありがとうございます。
やってますね、頻繁に。
やってます。9月は毎朝30日間、ライブをしますって言って。
できたんですか。
やりました。おかげさまで。
毎日。
毎日やりきった。しかもそれもいいんだけど、何がいいって、見てる人が極端に少ないんですよ、私の場合。
でも、ああいうライブ配信って難しいと思うんですよね。僕も何回かやったことありますけど、大してやっぱり増えないじゃないですか、その生で見てくれてる。
そう、もうそんなに別に視聴者さんがついてるわけでもないから、本当にこういつも一桁。それでも毎朝やったって偉くない?
めちゃくちゃ偉い。
そこにモチベーションは置いてないので、いろいろこうこれやることによって、ベネフィット、自分にとってのこういう良いことがあるっていうのをいっぱい書き出してやりました。
なので、一桁、毎日一桁でも30日やった人間として、褒めてください。
どんなプロフィールですか、それ。
いやいやいやいや。
面白い。それって今からでもアレなんですか?
アーカイブ残しておりますので、結構アーカイブで見てますよって言ってくれる方がいて、ありがたいなと思っております。
現代人忙しいですから、ライブでその時間に見ようなんてなかなか難しいですよ。
そう、押しですら眠かったら今日はいいかなって思っちゃう時もあるのに、11時とかがやられると夜の、もう寝ようかなみたいな。
まあね、翌日早かったりするもんね。
アーカイブ残ってたら嬉しいみたいな。
ですから、本当に皆さんの時間を何に使うかっていうね、そこの戦いが起きてるって言われてますからね。
そうですそうです。
ぜひアーカイブで皆さん見てみてください。
お願いします。
みなさんのインスタグラムフォローしてね、見ていただけたら嬉しいですね。
はい、お願いします。
はい、というわけで今日はテーマですね。テーマでお話ししていただこうと思います。
今日のテーマはこちらです。
ジャーナリングの重要性
ジャーナリングで人生が変わる3つの理由ということで。
ジャーナリング?って何ですか?
ジャーナリング、馴染みのない方もいると思うんですけれども。
心の赴くままに、ノートでなり、紙なりにペンを走らせるっていう、ある意味自動書記みたいな。
自分の中にあるものを何でもとにかく出す。
こういうテーマで書きますって決めてもいいし、決めなくてもただ紙に向かって出てくるものを書くっていうものなんで。
そうですね、書く瞑想っていうふうに言う方もいるんですよね。
それを例えば毎朝起きて5分の習慣にしてる方とかもいらっしゃるし。
そんな感じで、結構女性の方が多いのかな、書いたりするの好きな人が多いから。
やってますだったりとか、ジャーナリングのやり方なんていうのを紹介してるサイトとか。
専用のペンとノートとか、ちょっとわかんないですけど。
売ってたりとか、そういうちっちゃい市場があるわけなんですよね。
ジャーナリングっていうものなので、結局どうやってもいいと思うんですけれども。
やっぱり自分の思考を書き出したり、気持ちを書き出したりするっていうことで、すごく気持ちが整うと思うので。
だからそれやっていくと、それは人生変わるだろうなっていうふうに思うんですよね。
自分の声を聞く
なるほどね。
一つ目の理由としては、やっぱりその内面にあるもやもやしてるものを書き出して言語化して見える化できることによって、
一つすっきりするっていうのはありましたね。整理できる。
なんかもやもやしてるなみたいなのを書き出していくことで原因がわかってくるというか。
もやもやってもやもやのままだからもやもやするので、それが例えば何かに起こっているとかね、何かが引っかかっている。
何かと何かっていうのを言葉で書くことによって、もやもやではなくなるわけですよね。
もやもやだったものが何か形が生まれるので、なのでそういうのを見える化、出して見える化することで整理ができる。
それはすっきりするっていうのはありますよね。
あとは二つ目としては、そうやって常に自分に向き合う、自分の声を聞くっていうことが習慣になるので、
本当の自分の気持ちに気づきやすくなる。これがめちゃめちゃ大事だと思ってて、
やっぱり私たちって日頃本音じゃないことを言ったり、本音じゃないことを思ったりするっていうのが、
結構当たり前になっちゃってるぐらい気づかないうちに、
例えば何か仕事のことで誰かに依頼をされました。
嫌なんだけど、ちょっとなんかえ?っていう気持ちがあるんだけど、
でもこういう状況だし、相手はこうだから頼んでるんだよな、じゃあやらなきゃなっていう方がやらなきゃなとか協力しなきゃとか、
そっちの思考がバーンって瞬間的に走るじゃないですか。
その時の原始的なちょっと嫌かもっていうのは置き去りにしちゃって。
そっか、確かにそういう時もやもやするわ。
そう、でなんか引っかかったままやって、でも納得いってないくてやったから、
自分でも何なんだろうみたいな感じがあったりとかする。
それはちゃんと自分の、それは嫌かもっていう声を自分でちゃんと受け止めていないからなんですよね。
その嫌かもって分かった上で、上でただ状況はこうだから、
じゃあやろうとか、あるいは歩み寄る策としてそのお互いが納得できる第三の方法を考えようとかっていうことをすればいいんだけれども、
やっぱその最初の私はどう思ってるのかっていうところを飛ばしてしまう癖が、
これ本当に自分で思った以上にあるんですよね。
としても実際そのあって、あることがあった時に、
ちょっとどうしようっていうことがあって、人に相談してたんですよね。
それで、こういうことがあって、こうしなきゃいけないと思ってるんですけど、なんかもうやるんですっていうことを言ってたら、
じゃあ小田島さんとしてはどうしたいんですかって言われて、こうしてあげたほうがいいと思うんですよ。
自分の成長にもなるし、私の成長にもなるんで、やろうと思ってます、受けようと思ってますって言ったら、
成長するってことは分かったんですけど、小田島さんはどうしたいんですかって言われて、
2回目に聞かれても、やっぱりでもこういう状況だからやろうと思ってますみたいなことを言ってて、
そういう状況だからやろうと思ってるんですね。
で、小田島さんとしては本音はどうしたいんですかって言われて、
結構嫌で。
3回言われてやっと出てきて、
その人が本音をまず聞こうよっていうところから離れないで聞いてくれたから、
そうだねそうすべきだねとかっていう立ち位置じゃなくて、
あなたどうしたいのっていうところから離れないで聞いてくれたから、
私は、なんかそんなこと言われること自体、実はその方が言ってくること自体、
こうこうこうこう思って、みたいなことがバーって出てきて、
そこからなので、それが出てきたからなので、ちゃんと建設的な方向に向かって、
じゃあ自分の気持ちはそれで、それを伝えるのか伝えないのかとか、
っていうところに目線が切り替わったので、
これは3だから人が言って聞いてくれたっていうケースですけども、
これを自分でやる。
気づけるようになるためにジャーナリング。
本当はどうしたいのっていう。
自分でこうしますとか、私こう思ってますっていうのが、
それ本音じゃないことが多いので、
気づかないうちに自分に嘘ついてるんですね。
そう、そうなの。
やんなきゃっていう方が先に来ちゃって、
受けなきゃとか、責任取らなきゃ、果たさなきゃ、みたいな。
ありますよね。
私なんかたぶんそこにいちいち向き合ってたら、
日常が進まないみたいなこともあるっていう気持ちもあると思うんですけども、
ただそれはじゃあ一旦飲み込むとしても、
自分で一旦気づいておくっていうことが大切なので、
その気持ちがあるな、やだなとか、
っていう気持ちがあるなっていうのは自分は知ってるってことがまず大切だと思うので、
それを書き出すことによって、やっぱり自分を受け止めてあげられる。
なるほどね。
自分大切にできるっていうことになるので。
一つ目のとつながりがありますね。
もやもやしたものを書き出して、書き出していく中で、
自分の本当の気持ちに気づくことができて、みたいなことなんだ。
新しいアイデアの創出
で、その結果三つ目なんですけれども、
そうやって自分の中に出すから、なるものを出すから、
自分の中にスペースが生まれるので、
新しいものが生まれる、生まれやすくなる。
アイデアとかクリエイティブなものが生まれるスペースが出てくる。
やっぱりギチギチに詰まっているときって、いいアイデアなんか浮かばないじゃないですか。
確かに確かに。
私も目の前のことをこなすので精一杯だったりとか、
どうしても想像的になれなくて、
凝り固まってしまったりとか、
現実の延長からでしか考えられないけれども、
自分の中が一旦クリアになるので、
新しい発想とか生まれやすいし、
インスピレーションとかも湧いてきやすいし、
直感の声を気づきやすい。
ひらめきみたいなものを見逃さないというか、
っていう風になれるので、
なので、それを繰り返していくと、
やっぱり人生がどんどん素直になっていくと思うんですよね。
なるほどね。
めっちゃいいじゃないですか、ジャーナリング。
そう。
私、ジャーナリングっていうもの自体は、
あるよねって感じで思ってたんですけれども、
でも、自分そういえばやってきたんだなって思ったのが、
私、ずっと日記を書いていたんですけれども、
すごい日記。
本当に子供の時から書いてて、
小学校の時は書いてなかったんだけど、
保育園に時に一回書いてて、
また中学校から自主的に書き始めて、
今もずっと本当に書いてるんですけど。
小学校からずっと書き続けてるんですか?
小学校はやってないけど、また中学から書き始めて。
ずっと書き続けてるんですか?
そうなんですよ。
すごいっすね。
で、私日記を書いてて、
で、日記とジャーナリングってどう違うのかなみたいなのをちょっと調べてみたら、
日記っていうのは、
自分の出来事とか感情を記録することが目的で、
どっちかっていうと過去を記録するっていうもの。
で、ジャーナリングっていうのは、
この出来事があったからこうとか決まっていないので、
今その瞬間であったりとか、
じゃあどうするっていう風に向きやすいっていう目がいきやすいってことで、
どっちかっていうと現在から未来思考ですよみたいな説明をしているところもあって、
でもじゃあそれは私ずっと日記の中でやってたなと思って、
こういうことあったなっていうのを書くし、
そっから本当はどうだったのかみたいなところ掘り下げもしたりとか、
じゃあこうしようみたいなところとかまでたどり着くのが自分の日記の役割なので、
やってたんだと思ったら、
そんなに大きな違いはないというか、
ジャーナリングってもともと自由なものだから、
どういうやり方でやってもいいななって。
でもさ日記、今これ話して思いましたけど、
ジャーナリングの魅力
今はもう私パソコンで書いてるんですけど、
後でそのデータどうするんだ問題とかあります?
ノートとかも本当に家にクローゼットの中にあって、
大学時代のやつとか高校時代のやつとか、どうするんですかね。
読み返すこととかあります?
たまにあるんですけど、目的がないとやらないです。
結構な膨大な量ですもんね。
今と全然ありようが違うので、重たくなっちゃうんですよね。
その時の漢字を思い出したりとか。
すごいな、日記続けられる人ってすごい。
続けられるっていうよりは書かないと逆にもう苦しいっていう感じ。
出したいっていう感じで。
おもしろ。
そうなんですよね。
だから今も日記タイムは毎日じゃないんですけど、日記に関しては。
日記は俺もっとメモ書きとかいっぱいしてるので、日記は日記で書いてて。
今のパソコンに入ってるやつは結構時々読み返して、
この時も同じこと言ってるみたいな。
繰り返すんですよね。
同じこと言ってんじゃんみたいな。
日記よりでもジャーナリングって言われた方がやりやすい気がする。
日記だとちょっとプレッシャーだもん、毎日書かなきゃ。
確かなんか記さなければみたいな。
ジャーナリングで自由に書いていいよって言われたらできそうな気がするな。
そうですね、たぶんそれが本来の目的なのでいいんでしょうね。
なるほどね。
自分の中をすっきり整えて、目標を達成するためにみたいな感じで使ってもいいと思うし。
僕ね、日記とかって誰か見るんじゃないかみたいな、
なんか変なあれか考えちゃって、いいこと書いちゃって、
なんかうまくいかないみたいになっちゃうんですよね。
それやったことが実際にあって。
ありますよ、日記。3年手帳文で流行った時あるじゃないですか。
ああいう時とかちょっと買って、やってみようって思ったけど、やっぱり三日坊主ですよね。
日記においても誰かの目を気にしてしまうと、それはなかなか。
でも誰かに見られたら嫌じゃないですか、家族とか。
見られないようにしてます。
でも私、何年か前に実家に帰った時に、
なんか母からこれとか言って渡されたのが、高校の時の日記の1年分くらいだったんですよ。
見た?と思ったんですけど、
なんかもう、えー、ありがとうみたいな感じで今の親に持って帰ってきたんですけど、
それはもしかして読んだのか、でも読んでないと思う。
でも私も母の日記読んだことあるんですよ。
母の、なんか育児日記みたいなのがあって。
私を育児した時の育児日記っていうのが、ほんと何十年も前の。
あって、読んだことがあるんですけど。
そうやって読まれるんですよ、いつかだから。
やだー。
いや、それは確かに嫌だな。
でもまあ読んだ側はね、大して何も思わないし、
あ、そんな頃もあったんだみたいな、プラスに多分捉えてくれるんでしょうけど、
見られた側は嫌ですね。
でも確かに私のそういえば祖母もずっと日記書いてて、
すごい家計なんですね。
家計ですね。
でも昔の人だから祖母は、物がないっていう時代に染み付いてる人なので、
ノートとか買うのもちょっと多分やだっていう感じがあって、
で今買えるなら買えるのに、売ってるのに。
昔の裏の広告の裏の白い紙を、おばあちゃんだからそれを長綿にして、
すごい。
でそこに書いてたんですよ、ほんと毎日。
でもそれが、昔の人だから達筆すぎて一文字も私たち読めなくて。
それいい作戦ですね。
ほんとに。
達筆になる。
ほんとに読めないんですよ、日本語なのに。
いろいろいいことがありそう、達筆になってるのにきっかけがいいんだ。
そうですね。
そういうことですね。
総書体で。
日記文化と心理的障壁
おばあちゃんやりますね。
はい、いやほんとあれを読みたかったんですけど、ほんとにわかんないっていうね。
いやでも人の言い聞いてでも読みたくなる。
そんな感じでぜひね、ジャーナリングというか。
ジャーナリングはやっても始めやすいと思うので、ぜひやってみよう。
紙一枚、裏紙それこそね、コピー用紙の子孫児とか紙の裏。
私いつもそれやってるんで、裏紙に書くっていう、箇条書きで輪々書くっていう。
そうですね、箇条書きとかなんかほんとにランダムに返せたらなんか別に取っとかなくてもいいかなって思いますし。
そうそうそう、どんどん捨てていく。
それならなんかやりやすそうな気がしますね。
これで人生が変わるなら、でもほんと変わりそうですね。
変わります。
ジャーナリング、ぜひ皆さんもチャレンジしてみてください。
そしてやってみた感想だったりとか、今日の話を聞いてこんなこと思いましたよだったりとか、または全然全く関係ないご相談でもいいんですけども、
番組に対しての相談や質問、ファンレターお待ちしておりますので、
ぜひ概要欄にある三枝さんに通じるLINE公式アカウントに友達登録をピッとしていただきまして、
西田俊樹の追悼
メッセージを送る形で、どしどし、恥ずかしがらなくていいですからね、どしどし送ってきてください。
お待ちしております。
では番組の最後にサブカル紹介のコーナーです。
今日はちょっと一部予定を変更して。
一部予定を変更してなんでしょうか。
収録した日の前日にですよ、不法があったんですよ、西田俊樹さんの。
でもあんな名優いないじゃないですかと思って、ほんと悲しくなっちゃって。
ということで、一つ紹介しようと思ったんですけど、なんせ作品多すぎる。
西田さんのね。
ほんと全てが代表作って言っていいぐらいの方なんですよね。
その中でも、たまたま今日これって、これが私の中での西田俊樹THE BESTだけじゃなくて、今日浮かんでるのがっていう事なんですけど、
西田俊樹さんって、長瀬智也さん、今もうジャニーズ辞められた方といっぱいドラマで共演していて、
くどかんの脚本のやつとか、何シリーズも出てるんですけど、
それの中の最後に、今どころ最後に長瀬智也さんと共演したっていう、
俺の家の話っていうドラマがあったんですね。
それは親子の役で、またその2人が、長瀬さんがプロレスラー、中年プロレスラーの役で、
西田俊樹がお父さんの能だったと思うんですけど、人間国宝みたいな感じの能の一家の党首っていうか、
の役で地方が始まって、みたいなそういうドタバタコメディーみたいないつもの感じだったんですけど、
それが2人の共演の最後だと思うんですけど、
っていうことを改めて思い出していて、あの役も良かったなと思って。
もしかしたら配信とかでやってるかもしれないので。
調べてみたら、ネットフリックスとかで見れそうですね。
見れるか。あ、そうですね。ネットフリックスいろんなドラマをやってるので、
良かったらネットフリックス入ってる方は、本当に西田俊樹さんって、あんな人いないですよね。
本当ですね。
おかしみとか、人間味とか、でも凄みも出したりとか、
彼がいるだけで、ドラマがパーって色づくっていうか、深みが出るっていうか、
素敵な方だったのでね、またいろんな作品見返したいなと思ってます。
なるほど、そうですね。本当に寂しいですけれども、西田さんのご冥福もお祈りしながら、
俺の家の話ぜひ皆様、視聴してみてください。
お願いします。
ありがとうございます。
というわけで、小田島美恵の心の企業学第97回、この辺で締めさせていただきます。
皆さん、今週もありがとうございました。
ありがとうございました。
以上、日夜稽古がお送りいたしました。