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2025-09-27 17:21

#978 雑談HR「ゴッホ展に行ってきたよ」

2025.9.27配信。

こんばんわ♪ちょぼ先生です。

今日は、ゴッホ展(大阪市立美術館)についてお話しました。

それではまた。


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サマリー

ゴッホ展に関するエピソードでは、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯や彼の作品に対する評価の変遷が語られています。また、彼の家族がどのようにゴッホの夢を支え、作品を広めたかについても詳しく述べられています。このポッドキャストのエピソードでは、ゴッホの展覧会に行った体験が語られ、家族の努力によって彼の名声が広まり、作品がどのように受け継がれているかが強調されています。

ゴッホ展の訪問
はいみなさん、こんばんは、こんにちは。元公立高校理科教諭のちょぼ先生です。
雑談HRということで、私の感じたこと、思ったこと、経験したこと、体験したことを、ただ雑談のように話す企画となっております。
今日のトークテーマはこちらです。
ゴッホ展に行ってきたよっていうね、お話をしたいと思います。皆さんゴッホ知ってますか?あまりにもね、有名な画家だと思うんですけども、
ファン・フィンセント・ファン・ゴッホね。フィンセント・ファン・ゴッホですね。オランダの方です。オランダ出身の方ですけども、
これですね、大阪一律美術館で7月5日からですね、8月31日まで、1ヶ月ちょっとですね、大阪で行われてましたゴッホ展に行ってきてですね、
ちょっとね、日は経ったんですけども、いまだにね、いやーゴッホ展良かったなーみたいな思い返す日がですね、
多くてですね、ぜひね、皆さんにもね、シェアしたいなというふうに思って、この配信しているわけなんですけども、今現在ですね、東京都美術館でゴッホ展がやっております。
これがね、大阪、東京、福岡、名古屋ですかね。全国で4箇所あるんですかね。今東京でやっております。9月12日から12月21日ということで、今ね、絶賛東京でやってると。
2月からですね、名古屋の方でね、やるみたいなんですけども、このゴッホ展に行ってきたんですよ。何でね、このゴッホ展に行ってきたかというとですね、私ね、結構ね、ゴッホ好きなんですよ。
何かっていうと、中学校の時の美術の時間に1人ね、画家の人をスポットライト当てて、それをね、調べ学習して、みんなの前でもプレゼンしたりとか、資料にまとめたりとかしてする、そういった授業があったんですね。レポートがあったわけなんですね。
これね、何か知らんけど、ゴッホをね、私ね、チョイスして、ゴッホについて調べたのが始まりなんですよ。ゴッホの絵ってね、独特な色使いと、これどうやって描いてんのみたいな、なんていうの、この点描みたいな感じで、詳しいことはよくわかりませんが、美術のね、わからないけど、本当にね、他の画家ではあんまり見たことないような描き方というか、
それがね、非常にね、心惹かれる。ひまわりとかね、アルルの羽橋とかですね、種まく人とかですね、あとオリーブ畑とか、結構好きだったんですよ。それで調べ学習をして、何かしらこうね、絵を見た時に、やっぱゴッホの絵が一番自分の中で一番好きな感じの色使いというかね、ゴッホ好きだったんですよ。
この中学生の時に調べたんで、調べてゴッホというものを知り、ゴッホの絵というものを生で見たことなかったから正直、もうこれはね、もう何年かに一度やし、こんなチャンスはないということで、行ってきたわけなんですよ。
行ってきたら、行ってきたでね、ああ、ゴッホってそういう感じなんやみたいな。言葉だけじゃ伝わらんから、ぜひ言ってほしいんですけど、そういうことね、というふうに思ったんですよ。
その調べ学習をしているときにですね、これ有名な話なんでね、皆さんご存知かもしれませんけど、ゴッホって生きている間に自分の絵を打ったのって、本当に数点ぐらい、1点とか2点とかそれぐらいなんですよ。
家族の支え
それぐらいね、生きている時は評価されてなくて、亡くなってから非常に高く評価されて、今ではもうほんまにめちゃくちゃ有名じゃないですか、ゴッホってね。
これね、なんで亡くなってから有名になったのかっていうのが、このゴッホ展行くとわかるんですよ。
ああ、すごいな、これはみたいなね。
このゴッホ展のサブタイトルがですね、家族が繋いだ画家の夢っていうサブタイトルがついてるんですよ。
なんなのかと思ってたんですけど、これね、ゴッホってね、生涯短いです。
37歳の時に自分で自分の胸を打ってね、オリーブ畑でね、麦畑か、麦畑で自分の胸を打って、自殺しちゃうんですけども、そっからですよ。
これね、家族が繋いだ画家の夢でしょ。
これね、ゴッホの弟、そしてゴッホの弟の奥さん、妻ですね。
ギリーの妹になっておりますよね。
それね、ゴッホの弟の子供、要は甥っ子ですよ。
この3人がですね、めちゃくちゃ尽力したおかげ、結果でゴッホというものは、ファンゴッホはですね、世界中に認められたんですよ。
これがね、涙ながらですよ。めっちゃ感動するんですよ。
いや、そこまで後押しするんや、みたいなね、ことなんですよ。
ゴッホってね、画賞で絵を売買する会社に勤めたんですよ。
勤めてて、その同じ会社に弟も勤めるんですね。
弟の名前がテオドロスファンゴッホ。愛称テオなんですけど、このテオも同じ会社に勤めるんですよ。
で、お兄ちゃんは絵うまいから、才能あるよと。
これね、画家になったらええやん、みたいな。後押しするから。
もう画家になっちゃえなよ、みたいな。
ジャニーさん的なノリでファンゴッホにね、フィンセントにね、勧めるわけなんですよ。
じゃあ、画家になるかな、みたいな感じで、20代後半で画家を目指すわけなんですよ。
ちょっと遅咲きですよね。
そこから10年間、オランダとかパリに移ったりとか、アルルルに行ったりとかですね、またオランダに戻ったりとか、
いろんなことを旅というか、いろんな絵の勉強をしながらですね、画家としての一人前になっていくわけなんですよ。
でもね、生きてる間はね、全然評価されないんですよ。
でもね、画家になると絵の具のお金もいるしね、
あと住まいね、パリに行ったりとか、パリに移り住んだりとかするわけですよ。
それの家賃とかも、全部弟のテオが苦面してるわけなんですよ。
さらにね、テオの奥さん、ギリの妹にあたりますよね、フィンセントにとってみればね。
これがね、ヨハンナ・ファンゴッホ・ボンゲルって言うんですけど、愛称ヨウさんなんですけど、この妻も非常に協力的で、非常に支援してるんですよ。
このヨハンナさんはですね、オランダで民宿を営みながら、フィンセント・ファンゴッホの同志をしてるということでね、
弟と弟の奥さんが非常に手厚い支援をしてるわけなんですよ。
さらにね、フィンセント・ファンゴッホはめっちゃ手紙書いてるんですよ。
手紙をね、こういう絵を描けるようになった、この絵はこういう特徴で描いたんだよ、みたいなね、ひまわりとかね、有名な絵がありますよね。
こういうことに注目しながら描いたんだっていう手紙をね、弟に送るわけなんですよ。
で、テオドロス・ファンゴッホはね、その手紙全部残してんの。もう凄ない。
手紙なんてね、兄貴から手紙来たらね、捨てるでしょ、そんなもの。
全部、全部残してるんですよ。
だからその手紙の実物も展示してありますし、手紙も全部残しちゃうんです。
でね、フィンセントはね、絵を描きながらゴーギャンとかですね、いろんな有名な画家との絵も交換してるんですよ。
でもね、画家との間では割と評価されてたわけなんですよ。
その当時有名な画家と自分の絵を交換できてるってことは、それだけに評価されてたわけなんですよ。
でね、フランスに渡って独特な色彩も獲得し、非常にね、画家として超一流になってきたんだけども、
でも生前ね、全然絵が売れない。悩むっていうことで、うつ病になっちゃってね。
遺産と影響
非常に辛い日々をしか過ごしてないんですよ、フィンセントはね。
最終的に十分で銃で撃って自殺しちゃうんだけれども、非常にテオにね、弟に見取られながら亡くなっていくんだけれども、
その描いた絵全部、手紙もそうですよね。
全部弟がね、持ってたんですよ。
持ってて、で、お兄さんはもう才能があるから、もう亡くなっちゃったけど、
いや、これは世界に認められるべきだっていうことで、亡くなってからもどんどんフィンセントの絵をですね、売り込んでいくんですけども、
これドラマですよ。
なんと、弟のテオドロスファンゴッホ、フィンセントファンゴッホが自殺してしまった1990年。
そっから半年後に弟は亡くなってるんですよ。
えーでしょ。もうね、えー、半年後に亡くなっちゃったんだよ。
その時にね、愕然としましたよ。
えー、あそこまでお兄ちゃんを支援してきた絵、亡くなった後もどんどん絵を売り込んだりとか、展覧会開いたりしてるんだけども、
半年後に亡くなっちゃってるんですよ。病気でね。
で、で、でね、その亡くなる、えーと、少し前ですよね、半年前に子供も生まれてるんです。
それがね、老いっ子なんですよ。それがね、フィンセントフィレムファンゴッホ。
要は老いっ子ですよ。フィンセントかとってみればね。
だから、赤ちゃん生まれたその半年後に亡くなってるんですよね。
一応ね、フィンセントは赤ちゃん生まれて、オランダに戻ってね、老いっ子も抱いてます。
はい。それで、生まれたこともおめでとうって言ってるんですけど、
それの半年後にお兄ちゃんが亡くなり、さらに一歳足らずで、テオドロスファンゴッホも亡くなってるんですよ。
で、こっからがすごいですよ。こっからがすごい。
フィンセントファンゴッホの絵は全部弟に預けてます。
それから全部遺産相続で、ヨハンナファンゴッホボンゲル。
要はギリの妹。要は弟の妻が全部、フィンセントの絵の所有権を持っております。
で、その半分は子供。要はフィンセントフィレムファンゴッホ老いっ子ですね。
持ってるんだけども、まだ一歳だから、雑用権がないので、
ゴッホの家族の影響
とりあえず全部成人になるまでは、ヨハンナさんが全部所有権を持ってるんでしょ。
私やったらね、もう全部売っちゃいますよ。そんなものは。
自分のお金欲しいし、もっと先立たれてるし、
第一次世界大戦とか、世界もちょっと怪しい時代ですよ。
お金欲しい。下宿いとらんでるけども、そんなに大金持ちになれないじゃないですか。
子育てもせなあかんし、下宿もするってことで、大変お金欲しい。
ゴッホの絵全部売っちゃってますよ。私やったらね。
でも売ってないんですよ。全然。
弟、お兄さんが、音楽のように、音楽を聴くように、人を癒せるような私は画家になりたいっていうことを整然言ってるんですよ。
それに同じく、弟もそのお兄ちゃんの夢を叶えたい。でもなくなっちゃった。
でも私やったら売っちゃってるけど、妻が展覧会開いたりとか、フィンセントの絵は素晴らしいよっていうことで、
どんどんどんどんアピールして売り込んでいくわけなんですよ。
知ってください。この画家すごいでしょってことをやっていくわけなんですよ。
すごないですか。血繋がってないんやで。
弟のお兄さんの絵を、世界中に彼は認められるべきだっていうことで動き回るわけなんですよ。すごないですか。
非常に上手くて。家計簿とかも全部残ってるんですよ。洋さんのね。
展覧会開くんだけども、非売品と売るやつを上手く分けてて、
非売品の横にこの絵は売ってますよみたいな感じで、小出し小出しに売っていくわけなんですよ。
売っていってアピールしていって、どんどんどんどんゴッホっていうのは素晴らしいよっていうことを売り込んでいって、
もうセルフプロデュースがめちゃくちゃ上手いんですよ。
全部が全部売ってないんだけども、もちろん生活のために売るんだけども、売り方も非常に上手で、
展覧会しながら、この絵は売れますよっていうことをやってきながら、大切なものっていうのは、
自分のコレクションに残しといたまんま、うまくフィンセントのことを売り込んでいくわけなんですよ。
これね、亡くなる前年にですね、1970年代ですね、あの有名なひまわりをですね、ロンドン美術館に売るんですね。
ロンドン美術館が買うということはですよ、あのロンドン美術館がゴッホの絵買ったでってなると、
ゴッホってめっちゃ有名なんやねっていうことが世界中に知れ渡るじゃないですか。
このひまわり売る時もですね、ひまわりたくさん描いてるんですけど、一番有名な資料集とか出てくるひまわりはロンドン美術館にあるんだけども、
痛みを伴った名製だみたいな感じで、本当は売りたくなかったんだけども、名製とかね、
リリーの兄の夢を叶えるためには、この痛みのある売却だということでね、非常に後悔してるらしいんですけども、
それだけね、非常にね、尽力したんですね。
それでヨウさん亡くなるんですけども、今度は御一子、要はですね、テオとヨウさんの子供ですね。
要はフィンセントから見たら御一子がその夢を繋いで、最終的にオランダにファンゴッホ美術館を開館したんですよ。
すごいじゃないですか。亡くなってから、周りの家族がフィンセントに対してですね、熱い思いで家族が繋いだ夢ですよね。
これでファンゴッホ美術館をオランダに建てて、一番有名、オランダで一番有名、さらに世界でも有名と言っても過言ではないです。
それだけの御一子というのはすごいよということをですね、家族が繋いでったわけなんですよ。
このフィレムの方はですね、御一子の方は非常に長生きで、ファンゴッホ美術館のコレクションが多く残っている。
手紙も全部残っている。確かに名声を得るためにですね、いろんな美術館に絵画を売ってはいるんだけども、
絵画の8割9割はまだ所有権を持っているし、永久に保存、永久に所有権を持っております。
それを対応したりとかして、なのでその多くのコレクションの中からこれは貸し出してもいいよということで、今ね、日本にやってきているわけなんですけども、
本当にね、家族のこの熱い支援、本当素晴らしいなというふうに思いましたね。
ゴッホの作品と感動
絵画も絵画でね、アルルの羽橋とかですね、ひまわりはロンドン美術館にあるし、超有名なやつはさすがになかったですけども、
よく調べ学習で見た種まく人とかですね、オリーブ畑とかね、ほんまにあるんやっていうことと、本当に見れてめちゃくちゃ感動しましたねということと、
そのサブストーリーというか、そういうことがあったんや、弟、奥さん、さらにその老いっ子、それがですね、尽力した結果なんて、
もう本当にね、音楽を奏でるように、絵で皆さんを感動させたいという夢がですね、この家族何世代ですか?
それでパトンを繋いでね、夢叶ってるやん、フィンセントと思ってね、もう天国でね、もう喜んでるんじゃないかなというふうに思いますね。
ということで、今東京でやっております。ちょっと遠い方はですね、東海地区に住む方はですね、2月に名古屋にもやってきますから、
ぜひですね、見てくださいということで、今日はこの辺にしたいと思います。それではまた。さよなら。バイバイ。
17:21

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