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2025-03-06 27:50

ボクは感情じゃなく「投影」ができなかったみたい

まさかこの「ごんぎつね」の話が、リアルの国語教育の話に発展するなんて!
その経緯がわかる全7回の放送を、実際の国語教師のうーたんさんの放送も含めてリンクはっておきます。
※古い放送から順番に番号をつけています。

▼⑦うーたんさんの放送▼
Chikaraさんの放送から『論理国語』『文学国語』について🏫
https://stand.fm/episodes/67d02a76cabe790295f027a5

▼⑥
一旦まとめ(みやけんさんとのコラボにて)▼
【💪チャーケン🌋のMCH超会議LIVEアーカイブ】2025/3/11 https://stand.fm/episodes/67cfc437d113d25b08746296

▼⑤
論理国語と文学国語と「感情の3原則」
https://stand.fm/episodes/67ceb21c8c68e2c485d4eca8

▼④
ボクの「切なさ」探しの終着  (... からの追伸)
https://stand.fm/episodes/67c959927737394b0dbc18da

▼③
2種類の「読解力」 - 国語を分ける提案理由
https://stand.fm/episodes/67c956083e006a527a49153d

▼②
ボクは感情じゃなく「投影」ができなかったみたい
https://stand.fm/episodes/67c8e438ff7ed6f9bdde15e3

▼①
ごんぎつね 〜 「読解力」と「倫理観と道徳力」 https://stand.fm/episodes/67c6b3217d688e576576713c

###########

皆さんは、物語の読み方は、どのタイプですか?
① スカンク兵十「憑依型」
② リブラ兵十、ギン兵十「投影型」
③ Chikara 「俯瞰型」

▼YouTube 朗読『ごんぎつね』▼
窪田等 朗読『ごんぎつね』作・新美南吉 https://youtu.be/MPoNMUG1-N4?si=4_4uDC97AIfcw6Vf


▼リブラ先生▼
ごんぎつねの読み方に見る投影の違い 〜スカンクさん篇〜
https://stand.fm/episodes/67c84ef9ecf0725e3e3aba38

▼ぎんさん▼
#434 もし俺がごんだったら...。
https://stand.fm/episodes/67c84ea5ecf0725e3e3aba30

▼精神のPライン▼
あなたがごんぎつねを○ろしてしまったとしたら泣きますか?
https://stand.fm/episodes/67c71fe4ecf0725e3e3aa697


▼▼ 過去の俺流ロボのトリセツ回はこちら▼▼
 #俺流ロボのトリセツ
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サマリー

このエピソードでは、ゴンギツネの物語を通して「投影」の概念について語られています。話者は、自己の感情と他者の感情をどのように結びつけて理解するかについての発見を共有します。自分の感情に対する理解や他者への投影の難しさについても語られます。特に、物語に登場するゴンの気持ちへの共感が、自己投影の不足によって感じられなかったことが説明され、最後には感情理解の個人差についての考えが述べられます。また、ミラーニューロンの不足を感じる著者が、自分自身の感情を理解することと他者の感情を投影することの違いについて考察します。リブラ先生の見解を通して、その距離感が情緒理解に与える影響が探求されます。

ゴンギツネの話題
Chikaraチャージ レイディオ💪
おはようございます、Chikaraです。
今日もスタイフを撮らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
今日は、またかと思われるかもしれませんが、
一つ、ものすごい大きな発見がボクの中であったので、
それをちょっと説明したいというか、お話したいと思いました。
よろしくお願いします。
どこから出てきたかというと、またあの、あれです。
界隈で大騒ぎになっているというか、ものすごい話題になっておりますが、
ゴンギツネの話。
今回、ゴンギツネの話に派生して、
ボクの中で、何個くらいかな、2つ、3つ、4つくらいとか、
いろいろ新たな発見があったんです。
ただ、今日はその中で、ものすごい衝撃を受けた話をボクの中で見つけたので、
ちょっとそれを話したいと思います。
何の話かというと、ボクがわからなかったのは、切なさじゃなかった。
ボクがわからなかったのは、ボクは投影ができていなかったんだ。
ということがわかりましたという話になります。
物語の読み方
もう結論はこれなんですけど、投影って何の話かってね、
それはちょっとね、リブラ先生の方がちゃんと詳しくお話できると思うんだけど、
イメージは、皆さんなんか物語を読んだとき、ストーリーがあるものね。
だから今回で言うとゴンギツネになるんだけども、
ゴンギツネを読んだときって皆さんどういう風に読みましたか?という話なんです。
これ面白かったんですよ。コメント欄でいろんな方がコメントされていて、
Pラインではね、リブラ先生とスカンクさんがやっているPラインですよ。
あれだと、スカンクさんはどういう風に読みました?っていうね。
リブラ先生はどういう風に読みましたよっていう話を2人してる中で、
最初はあれですよ、どういう風に感じましたかか2人も言っていて、
僕もねそれを最初は思っていたんだけど、
どうやら僕が分かってきたのは、人によって物語の読み方が違うということが分かってきて、
結果から言うとそれを投影という言い方をするらしいんだけど、
要はその物語の登場人物に自分を投影させていくというか、
リブラ先生が放送で確か言ってたでしょ、ミラーニューロンとかで、
人は自分ごとのように感じれる能力があって、そんな感じでしょ。
だからその登場人物が何かをしていました。
例えば、腕を切られたというと自分が痛いように感じるとか、
例えばそういうこともそうでしょうけど、
その一連の話でゴンギツネの中で言うと、
ヒョウジュウという男の人が銃で撃ってしまうと。
銃で撃つ瞬間まではヒョウジュウは、
あのいたずら狐め、懲らしめてやれ、ダーンって撃つっていうそこの感情があって、
ただその後に最後に、あ、お前が悪いやつじゃなかったんだ、
お前が栗を届けてくれていた本人だったんだ、お前だったのか、
っていうヒョウジュウの感情に変わっていくっていうね。
そういう話で、そこにリブラ先生は自分を投影させて読むんだよ、
だからその感情の動きも手に取るようにわかるし、
そこにこの物語の切なさをしっかり感じれるっていうような、
そういう文脈でおっしゃっていたんです。
もう一個ね、スカンクさんが、またこれは特殊なケースなんだけども、
僕の思ったことを理解してもらうのに必要だと思うのでちょっと話すと、
スカンクさんの読み方はそれとはまた違くて、
どうやらですよ。
どうやらスカンクさんは、
その時のスカンクさんは、
ただし、リブラ先生のやり方だと、
そうは言ってもヒョウジュウはヒョウジュウなので、
ヒョウジュウなりのその時代の背景と、
ヒョウジュウなりにずっと過ごしてきた生活があって、歴史があって、
その中に自分がもしいたとしたらみたいな感じ方をするっていう。
これが投影っていうことで。
イージーさんのコメント
だからあくまでも、主人公は自分じゃなくて、ヒョウジュウなわけですよ。
要はリブラヒョウジュウというかね。
自分ごとのようには感じるけど、自分自身ではない。
ヒョウジュウはヒョウジュウのその時代を生きている人だっていうのが前提なんだけど、
スカンクさんのやってることはどうやら、
ヒョウジュウとヒョウジュウが一緒に生きている。
ヒョウジュウとヒョウジュウが一緒に生きている。
ヒョウジュウを自分に入れ替えてしまってるというか、
僕は思ったのは憑依するみたいな感じが強いと思うんだけど、
だから自分の意識と自分の今のこの令和を生きている自分の歴史と感覚とか、
すべてそのまんま自分自体がヒョウジュウになったとしたらっていうね。
ヒョウジュウにそのまんまの自分の今の意識と感覚をすべて持ち合わせたまんまのヒョウジュウになったとしたら、
ヒョウジュウにそのまんまの自分の今の意識と感覚をすべて持ち合わせたまんま、
憑依したみたいな感じで読むみたいなんです。
だからそうすると、ヒョウジュウがどんな時代に生きていようと関係なくて、
そこにいるのは令和の今を生きている自分しかないと。
そんな感じで読むらしいんですよ。本当にそうみたい。
そうすると、その観点でいうと、ヒョウジュウの心の動きは全然関係ないし、
その背景も関係ないし、ヒョウジュウの性格がものすごいおっとりかもしれないけど関係ないし、
だってそこは自分なんだからっていう感じですよね。
その観点でいくと、全然ゴン狐を殺そうとなんだろうと、
いや普通に害獣駆除みたいなもんじゃないですか、みたいな感じだったわけですよ。
でもこれも一個の読み方だと思うんです。
だから憑依するのか、ちょっとそこまでじゃない、投影する感じなのかっていうのかな。
これ2種類あるでしょ。
僕のことを思ったんですよ。僕がどういう読み方をしたのかっていうのは、
理解最初できなかったのは、
リブラ先生が言っていたのが、擬人化という言葉をよく使ってたんですよ、そのコメント欄で。
宮剣さんも擬人化って言ってたんですよ。
だからゴンが擬人化されてるでしょ。だから獣じゃないように見えるでしょって言うんですよ。
人と同じようなもんでしょっていう感じの言い方で擬人化って言ってたんだけど、
僕それがよくわからなくて。
だってゴン狐はゴン狐じゃないですか。
喋ってる狐。キャラクターという意味での狐ですよねっていう感じなんですよ。
だから僕にとってはね、ミッキーマウスはミッキーマウスでしょって。
だから人じゃないしミッキーマウスという、そういう存在だというふうに
僕はそのまま捉えてるなと思ってたんです。
だから僕にとってはゴン狐は外獣駆除的な本当の生きてる狐とは思わないけれども、
人とも思わずただ単にゴン狐というキャラクターに見えてるわけですよ。
で、兵獣も兵獣で、僕にとっては兵獣というキャラクターなわけで、
僕がもし兵獣の立場であったらみたいなこととか、
僕がもしゴン狐であったらみたいなとか、
そういう状況だったと想像してみてくださいっていう立場でやってみたら、
全然想像ができなかったんですよ。
わかりますかね。
これなんで気づいたかというとね、
イージーさんがリブラ先生のほうの放送欄にコメント書いてくれてたんです。
普通にイージーさんご本人としてこのストーリーを読むと、
銀さんが放送であげていたような読み方ができますと。
同じように感じますよと。
兵獣は兵獣でかわいそうだし、
ゴンはゴンで、でも自分の罪が解消されてよかった安心したみたいな、
そういうふうに思うっていう感じの銀さんのコメントを言ってたんだけど、
イージーさんも人間イージーとして読めば普通にそういう読み方もできるんだけど、
そう感じるって言ったかな。
それは東映の読み方なんだけど。
スカンクイージーとしてスカンクスタイル型として読んだら、
ひょうい型みたいにして読んだとしたら、
実際僕もイージーさんもスカンクさんと同じように、
外獣局上としてゴンをバーンと打って、
肉食べれてラッキーぐらいに思ったりするよねっていう、
どっちもわかるって言い方をイージーさんがコメント書いてたときに、
僕は驚いたんです。
それってどういうことなんだろうと。
自分を置き換えたり、自分を近づける東映の読み方もできれば、
自分が標準に入れ替わってひょういしたようにも読めて、
そのときの感じ方が違うっていうことを実感できてるってことじゃないですか。
僕ね、それを本気で、冗談じゃなく本気で、
どっちもできないと思ったんですよ。
僕は素直に今回のゴン狐は、
僕が標準だったらどうかなっていう想像がまず一個できなくて、
想像しようとしてもものすごい労力がいる。
俺流人宇宙で、第三の世界と第二の世界を自分で考え出したときぐらいに
頭をたぶん使わないと、
僕は自分が標準だったとしたらどう感じるかなっていうのを、
そのぐらい没頭して集中して時間を使わないと、
ゴンの気持ちへの共感
僕はできないと本当に思ったんです。
単純に僕はゴンの気持ちに共感して切ないなと思ったんですよ。
普通にYouTubeで朗読があったからそれを聞いたら、
いやゴン、ゴン辛いなーと。
いやーきついなーと。
自分が戒心して、実はお詫びとしてやっていたことが
理解されずに殺されちゃって辛いなーゴンっていう風にしか思わなくて。
それってでも僕はさっき言ったように、ゴンを擬人化してるわけじゃなく、
ゴンに僕を投影してるかもしれないけど、
ゴンというキャラクター自体が、
分かったのは、僕が普通に僕だったとしたらで感じれるものを
たまたまゴンというキャラクターがやってくれたから、
僕がそれを自分ごとのようにあったかも感じれたというだけで、
もしゴンが僕が理解できるようなことをやってなかったら、
僕はゴンに共感できなかったと思ったんですよ。
言ってること分かりますかね。
なんでそれをちょっと思ったかっていうと、
もう一個YouTubeでゴン狐の、
実は本当の本当の原作にはこういう言葉があったんですよっていうのを、
絵本じゃなくて文章のほうで読んでる朗読もあったんで、それも聞いたらですね、
こういう記載が実は追加されてたんですよ。
一番最後にゴンが死んだときに撃たれて、
標準に対して一言言った言葉が実はあったっていうね。
その言葉が紹介されていたのは、
よかったって言ったっていう。よかった。
そしてその後に青い煙が立ち上ったみたいなね。
だからよかったっていう、ゴンが最後に言ったっていう一言が入ってるって言っていて、
もうちょっと前のところに、
一つね、絵本にはなかった記載があって、
実はゴン狐のゴンが栗とかを持って行ったときにね、
標準が村の知り合いに、
最近栗とかがたくさん来るんだよねって言ったときに、
その友達知り合いが、
それはお前神様がくれてるものなんじゃないかっていう話を会話してて、
あー神様かなーみたいなことを言っている会話を、
ゴンが実は聞いていたと。
その描写のゴンの気持ちとしては、
え、神様じゃなくて僕なのになっていうゴンの一言も入れた上で、
最後によかったっていう言葉が入ってるのが、
絵本じゃない原作のほうの話だそうなんです。
僕はそれは後から聞いたときに、
それなら僕全然ゴンに共感しないと思ったんですよ。
要は、自分がやってんだよって。
最初はごめんなさいの気持ちで栗を渡してたんだけど、
途中でそれを渡してきたのは自分じゃない、ゴンじゃないって。
ゴンだと気づいてもらえてなかったと。
それは僕なのにっていう気持ちが逆に出ちゃったから、
その以降はお詫びのためにやってんじゃなくて、
僕がやってるんだを知ってほしいっていう献辞欲が出ちゃってると、
僕はそこの文章をそう読んだんです。
だからこそ最後に殺されようとなんだろうと、
僕だったとわかってくれたこと自体が、
ありがとう、よかったって思った。
だから僕の自分だとわかってくれるのに
欲求を満たせてよかったって言って終わったっていうね。
僕にはそう読めたので、
いや、それだと全く僕は共感しないだろう。
ゴンつらいのじゃないじゃんって。
なんだよそれっていうふうに僕は思ったんです。
それをもう一回言うと、
僕の気持ちに近い動きを勝手にしてくれてたときは、
僕は共感できてたのに、
僕の気持ちにない感情の動きで、
その物語が展開しちゃった途端に、
僕は標準にも気持ち共感できなくなって、
ゴンにも共感できなくなったんですよ。
感情の投影の難しさ
だからなんていうんだろうな。
要はこれって何かというと、
ちょっと長くなっちゃったな。
何かというと、僕は、もう一回ですよ。
僕には切なさを感じれる感情を僕自身は持っていて、
嬉しさ、楽しさ、悲しさ、全部喜び、
全ての感情を僕は持ってるんだけど、
僕が何をできてなかったのか、
何が欠落してるのかもしれないと思ったのは、
僕は誰かの物語や他人の人のストーリーに
僕を投影すること自体が弱いんだと思ったんです。
だから想像ができないんですよ。
もし僕がその人だったらとかっていうことが想像できない。
他人さんがやってることだなって思ってしまうんですよ。
多少はあるとは思うんだけども、
完全にゼロとは思わないけども、
かなり多分僕はそれ弱いんだと思ったんですよ。
そうするとね、僕よくわかったことがあって、
僕、1年間茶盛りのテレフォンショッキングっていうね、
対談形式のコラボを毎週1週間やってたときに、
僕、言われていたことがあったんですよ。
なんだっけな。リブラ先生にも言われたかな。
他には結構、その方の辛いと思ってる内容を聞かせていただくこともあったりして。
聞こえ方はあれかもしれないけど、
よくそういうお話を聞いてて、
そっちに引っ張られないように保ててますねみたいな感じの会話だった気がして。
他にもね、オフ会で会ったときにも一回言われたことがあったんです。
悪い意味じゃなくて、それは僕のいい面だと思いますっていう話をしてくれたんだけど、
要はね、わかったんですよ。
僕は人の感情が読めないでしょ。
もう読めないでいいと思うんだけど、読めない代わりに、
僕は逆に自分をそちら側に投影させることができないわけですよ。
投影できないの。
やろうとしても努力をして想像ができるかもちょっとはっていう感じで、
自分ごとには全然感じれないんですよ、たぶん。
だからこそ憑依もできないし投影もできない。
だからこそ僕は、誰かの辛いお話を聞いて、
僕としては本気で、ああそれは大変でしたねって。
これは僕は嘘はなく、本気で僕の感情で、
いやきついですねとか、大変でしたねそれはって、
僕としての感情は言っているんだけど、
自分ごとにならないから僕はその辛さに引っ張られすぎないっていうか、
常に自分に戻ってこれてるというか、
逆に言うと自分の土俵があるとしたら、
僕はそこからその相手方の土俵にダイブしてないというか、
常に自分は自分の立ち位置からしか見れてないんだなと思ったんですよ。
なんか伝わりますかね。
だから良い悪いじゃないんだけど、
そう思いましたっていうことでしたね。
だから僕が分かんないできないのは、感情がわからないんじゃなくて、
僕自身は感情があるんだけれども、
誰かの感情に僕が入り込めない、投影できない、
自分だったらどうなるかを想像できない。
もしくは想像するのがものすごく時間がかかるから、
もしかしたらみんなが普通に自然にパッと自分ごとのように感じれることを、
自分ごとに僕は感じてないので、距離を受けてるような気がしました。
これは良い意味でも悪い意味でもあると思うんだけど、
だからこそ僕は寄り添いが下手なのかもしれないけど、
その代わり僕は距離を保って聞くことができるというか、
感情理解の個人差
なんかそんな気がしました。
どうですかみなさん。
だからもう一回だけど、ゴンギツネを読んでるときに、
みなさんは自分をその登場人物に投影してますか。
投影して入り込んで読んでます?
それともスカンク型の脅威して。
もうストーリーの背景関係ない。
自分だったらどうか。
今の自分がそこに入り込んで、
自分としてどう見えるかっていう読み方をしているスカンク脅威型か、
少し距離はあるけれども、かなり近いところに自分が入っていく投影型。
リブラ型投影型なのか。
もしくは僕みたいに全く距離がある中で、
2つの登場人物を遠くから見ている感じの力型か、
どれですかねっていう。
もしかしたら他にも見方あるかもしれないけど。
いや僕はそれを感じましたね。
いやすごいな、これはと。
ゼレンスキーとトランプの話を、
ウクライナの歴史を深掘りGPTとしていって、
一気に2日3日でそこの理解を深めていくぐらいよりも時間かけたり集中しないと、
僕は標準が僕だったらどうかとか、
標準の心の動きがもしかしたらこういうことなんじゃないかとか、
想像したりとかが無理と思いました。
ちょっと考えるのが億劫というか。
だからそれって要は感情として理解できない。
自然に湧き上がってこないから感じれないから、
想像したこともないようなことを想像しないといけないみたいな感じですよ。
だって僕じゃないんだもん。標準もゴンギツネも。
っていう感じですね。
だから僕じゃないことを想像できないと。
感情と投影の理解
で、一個その投影についてリブラ先生がコメントなんで、
僕の娘がね、もし手術台に立っていて、寝ていて手術をすると。
で、麻酔をするから、もう娘が痛みを感じてないのはわかってる前提で、
その娘が手術台で手術されて、お腹切られたり腕切られたりとかわかんないけど、
されてる姿を見たら、いや痛いなーって思いませんかって。
コメント欄に書いていただいたときに、
それですら結構時間を置かないと、集中しないと想像ができなかったんですね。
でも多分ですけど、僕としては麻酔が効いてるっていう前提で、
娘が泣き叫んだりしていない前提であれば、
娘がそこの手術台で目の前で麻酔された状態でお腹を切られていても、
僕は多分ね、自分のお腹が切られているような感覚とかは出ないですね。
出ないと思う、本当に。
だからこそ、いや痛い痛い、やめて痛い痛いっていうふうにも思わないと思いましたね。
僕が多分思うのは、目の前でお腹を刺されている娘が、
痛いー助けてーわーって叫んでるとしたら、
うわーやめてくれっていうふうに思うと思うんです。
でもそれでも自分の痛みというよりは、見てられないというか、
別の感情が出るっていう気がして。
だから本当に僕は、ミラーニューロンが足りないんじゃないかと。
本気で思いました。
でもだからこそもう一回だけど、いい面があって、
誰かのきつい話とかに僕が引っ張られすぎないと。
だから、何だっけな。
たぶんリブラ先生も精神科の先生として患者さんと接するときは、
その距離を保つっていうことを、
たぶんスキルとしてやられてるのか、もともとそうなのかわからないけど、
まあそうされてるって確かコメント欄で前にやったときにおっしゃってたけど、
僕はたぶんそれがデフォルトなんだと思います。
普段の状況が。
うん、そんな気がしましたね。
そう考えると辻褄が合うんですよ。
僕が他の人の感情が読めないという。
自分の感情はわかるけど、他の人の感情がわからなかったり、
何か物語を読んで、その感情の動きが文字としては理解できるけど、
自分の感覚として感情が湧き上がってくることがないっていうのは、これだと思いました。
距離感の重要性
だから僕にミラーニューロンがないんじゃないかと。
たぶんそういうことな気がします。
僕とスカンクさんは似たようなロボみたいな感じで発覚しましたけど、
スカンクさんのケースは全然僕とは違うタイプのロボですよね。
全てを自分を憑依させていけるっていう。
それもまたすごい能力だと思うから、たぶんそれを活かせる分野があると思うんですよ。
僕もそうだけど。
でもそういうふうに思いました。
ちょっと長くなったけど、これを踏まえて、
みなさん本気でもう一回、バカらしいと思わずゴンギツネちょっと読んでみてください。
僕が見つけた絵本じゃない朗読のYouTubeを概要欄に貼っておくので、
それを読みながら、聞きながら、
自分はスカンク型の憑依型なのか、
自分をそのまま投影させる読み方をするのか、
リブラ先生とか他の方も多いと思うけど、投影させていく感じ。
距離感はちょっとあるけれども、近すぎず遠すぎずみたいな。
自分ごとのようには感じるけど、憑依ではないという読み方をする投影型なのか、
僕、だから俯瞰型っていうのかな。
遠くからその状況を見ている感覚というか、俯瞰型っていうのかな。
それ三つあるとしたらみなさんどれなのか、
それとも四つ目の何か別なのか、ちょっと見ていただけると嬉しいです。
いいですね。
話しながら、だから憑依型、投影型、俯瞰型。
物事や他人の感情を感じるときに、
みなさんはどのサイドを取られていますか。
ということで今日は長くなりましたけど、びっくりしました。
そういうことなんだと思いましたね。
僕はもう一回、感情が読めてないわけじゃない。
僕は投影できないだけなんだということがわかったということで、
今日のお話を終わりにしたいと思います。
またみなさん感じたことをぜひコメント欄でコメントいただけるとものすごく嬉しいです。
ということで今日は以上になります。
いきます。
力チャージ!
今日も力あふれる一日を。
27:50

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