英語の主語の重要性
おはようございます。英語の歴史を研究しています、慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる話題は、methinks ー 主語が出てこない英文、という話題です。
現代の英語では、主語が出てこない文というのはないということになっているんですね。
英語はとにかく、主語がなければいけない。それがダミーであれですね、つまり形式的であれ何であれ、とにかく形状、意味上とか論理上は別です。
そうではなく、形状、例えばダミーでもいいから、it を置かなければいけないとかですね、主語っぽいものを統合的に置かなければいけないという、そういう非常に規則の強い言語なんですね。
つまり、本来的には意味的にですね、主語っぽくないのにもかかわらず、形状どうしても主語を置かなければいけないという理由で、例えば、it rains という公文があるわけですよ。
雨が降っていると。日本語の場合、雨がというふうに言うわけですよね。
例えば、rain is falling と言えないこともないんですが、非常に不自然です。
英語の場合、it rains とか、it's raining というふうに言うわけですが、じゃあこのitは何なのかと言われると、これ答えに急するんですね。
これ何か意味があるのかと。
本当に形式的、形状を添えているんだと解釈するのが一番しっくりくるというのが、この it's raining の it なわけですよね。
英語はこういう性質がすごく強くてですね、つまりどうしても主語を立てられないはず。
理屈で言えば、意味的に言えば主語は立てられないはずなのに、形状を立てなければいけないから、じゃあダミーの it を立てておこうかというのが、it's raining とか、it rains ということなんですね。
つまり、こうしてまでも、とにかく形状主語を立てなければいけないよという言語になっているのが、現代の英語なんです。
古英語と中英語の主語
ですが、これは歴史的に、つまり古い英語では必ずしもそうではなかったんですね。
形状の主語が必要だというのが、今の英語で it とか強引に立てるわけなんですが、それは別にないならないでいいよというふうに済ませていたのが、古英語であり、中英語であり、
ギリギリ近代語級くらいまであったかないかということなんですけれども、あまりないですかね。
古英語、そして中英語ぐらいの特徴だったんですね。
ただ、先ほど例に挙げた it rains とか it's raining みたいな文では、やはり古英語でも中英語でもダミーの it というのはちゃんと添えられていたんです。
なので、ダミーの it であるとか形式的な it という発想自体はもう古くからあります。
ただ、別の公文では、ご英語中英語ではやはり it も出ない、つまり主語っぽいものが形状一切出ないという文はザラにあったんです。
つまり文を文法的に分析していっても、どこまでいっても主語っぽいものが出てこないという文ですね。
これがあったんです。
現代語だとこれは気持ち悪いということになって、英文じゃないというふうに切って捨てられるわけなんですけれども、
古英語、中英語あたりではザラです。
主語がどこまでいっても出てこない文というのがあったんですね。
そしてその代表格という言い方をしてもいいと思うんですけれども、
私にとってこう思われるほにゃららというような文があってですね、
これ今だったら I think that ほにゃららであるとか、
It seems to me that ほにゃららというふうになりますよね。
両方の文において I think の場合は思いっきり I というちゃんとした主語がありますよね。
It seems to me that という時もですね、ダミーではありますけれども it。
これ何を意味するのかよくわからない it というのが形状立っている。
つまり現代英語的な主語はとにかくダミーでも何でもいいから立てなければいけませんよという規則にのっとった表現があるわけですよね。
ですがこの同じ意味、つまり私はこう思うであるとか私にはこう思われる、ほぼ同義ですけれども、
こういった表現でですね、古英語とか特に中英語ではですね、実はこんな表現があったんです。
現代英語への変化
Me thinks という表現です。
これ me っていうのは me ですよ。私にっていう意味の me ですね。
愛ではなくて me っていうのがポイントです。
これ決して主格ではありませんので主語にはなり得ませんね。
そして thinks という。
これ考えるのは think ですよ。
あれに三単元の s みたいなものをつけて thinks。
これが一語に綴られるんです。
つまりスペースなく me thinks ってこれ一語です。
これでですね、どこまでいってもこれ、主語が今のところ出てきてないわけですが、
この後に that 節が続くんですよ。
Me thinks that…っていう風に。
意味は…のことが私には思われるとか私は思うという。
つまり I think that とか It seems to me that ぐらいの意味になるんですけれども、
構文としては、形としてはあくまで me thinks that…ということであるので、
愛に相当する主格の代名詞もこなければ、
it に相当するダミーの代名詞すら出てこないというような文ですね。
つまりあくまで me であり、そして thinks という動詞があって、
その後はその構文といいますかね、思う内容ですよね。
それが that で続くということなので、
どこまでいっても主語が出てこない文っていうのがあり得たんですね。
これを一般的に否認証動詞、あるいはそういう動詞を使った構文ということで、
否認証構文という風に呼んでるんですね。
ところが、こういった構文は近代英語期以降ですね、
そしてもちろん現代英語でもですが、完全に廃れてしまいました。
もう近代、現代ではとにかくダミーであれ何であれ、
とにかく主語っぽいものは立てなければいけませんよというルールに、
一気に変わったからなんですね。
なので主語がない文っていうのは絶対許されないという言語になったわけなんで、
その後英語、中英語の否認証構文というものは一気に廃れたわけです。
ところがあまりによく使われた、特に中英語期にですね、
よく使われた先ほどの me thinks っていうのは、
この形である意味生きた化石として現代に生き残っています。
me thinks これ、辞書を引くとですね、出てくると思うんです。
私はこう思うとか、私にとってこう思われるっていうような、
先ほど述べたような意味ですね。
確かにこれは一般的に使われるような表現ではないといえどですね、
文学作品であるとかちょっと古いものを読むとですね、これは非常によく出てきます。
最近よく出てくるのといえばですね、現代語ですらよく出てくる文脈がありまして、
それはスターウォーズです。
これはスターウォーズのファンは知っていると思うんですが、
このジェダイマスターであるヨーダ。
このヨーダの口癖なんですね。
普通だったら I think というところ、あるいは It seems to me というところですね。
この古めかしい言い方を使って me thinks なんて言うわけですよ。
例えば Nay, on the contrary, it is but the beginning, me thinks.
とかですね。
Heaven alone knows, but the lady doth protest too much, me thinks.
最後に me thinks と加えるわけですよね、文の最後に。
と思うけどね、ということなんですが、これが古風で、
文体的には非常に普通でないと言いますかね、特殊な感じがするので、
これがジェダイマスターのヨーダの口から出るとワクワクしてしまうわけですよね。
こういう効果のために使われているということなんです。
このヨーダの口から出る以外に、じゃあ普通に使われているのかというとですね、
やっぱり普通には使われていません。
ただ、現代のコーパスで調べてもですね、そこそこヒットするんです。
ただ、文脈を眺めるとですね、すべて技巧的と言いますか、
やはりちょっと古風を装ったりですね、少しジョーク的な感じ、色彩ですね、
これを伴うものが多いと言えど、一応辞書にも載っているという意味では古風で、
あまり使われないとしてもですね、現役は現役ということができると思うんですね。
実際上はですね、フレーズとしてMe thinks thatという形で、
もう文法分析、統合分析などせずにですね、これでI think thatの意味、
あるいはIt seems to me thatの意味なんだというふうに捉えられているわけですが、
あえて文法分析すれば、これは主語がどこまで行っても出ない、
唯一に近い文ということができるわけですね。
この公文お見知りおきよう。では、また。