英語の歴史的転換点
おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる話題は、英語の世界化はビール愛から始まった、という驚きの話題です。
今回は歴史上の、実は非常に地味な話題なんですけれども、このようなタイトルにすると少し面白く聞こえるかなということで、こんなタイトルをつけてみました。
私自身、非常にビールは大好きなわけなので、こんなタイトルにしたんですけれども、何のことかと言いますと、時は1422年、まさに今から600年前の話なんですけれども、
この事件、出来事がなかったら、英語の世界化、現代世界における世界英語としての英語という、この英語の立場というのはなかったかもしれない、というのはちょっと盛りすぎなところはあるんですけれども、
現代の英語の覇権に連なる一連の事件の一つとして、1422年のある出来事に注目したいと思います。これ単体では非常に地味な話です。
では、この1422年、今から600年前の出来事なんですが、この年に何が起こったかと言いますと、ロンドンの醸造組合、ビール業者の組合の言葉が、言葉がと言いますと議事録であるとか経理文書ということです。
これが英語化した年なんです。それまで英語じゃなかったのかというと、そうなんですね。ラテン語だったんです。この議事録とか経理文書、商業的な組合ですよね。これも議事録とか経理文書というのはやはり公的な性格を持ちますので、それまではずっとラテン語で書いていたんですね。
その書き手であったり、ロンドン醸造組合の人々がみんなイングランド人で、そして英語を母語とするということなんですけれども、それにもかかわらず書き言葉としては、つまり議事録や経理文書といった公的な会社の記録ですよね。
これについてはラテン語で書くのが当たり前という時代がずっと中英語期続いていた。それをそろそろ母語である英語へ、土着語である、バナキュラーな言語である英語へと切り替えるのが自然だろうということで、この1422年、記念すべき年ですが、これから英語で書こうということに決定したわけです。
この決定した文書自体はラテン語で記録されているんですね。従来に習って。ところがこれ以降、議事録、経理文書は英語で書くよということになったわけです。
当たり前のような気がしますが、それ以前は当たり前じゃなかった。
それが英語になったというところにポイントがあって、1422年、ロンドン醸造組合の英語化という事件といいますか出来事が起こったわけですね。
これ以降、他の組合であるとか、いろんな用途に英語が公式な文章として書かれる時にも、ラテン語、あるいはフランス語ではなくて英語が書かれるという端緒が開かれたというのが、このビール業者の英語化、1422年ということで、象徴的な年ということなんですね。
少し想像しにくいかもしれませんが、日本でも正式な文章はずっと漢文で書くということがずっと行われていた。書き手もみんな日本生まれの日本人で、そして母語は日本語。
だけれども、正式な公式な文章は漢文で書かなければいけないという、いわゆる律令国家としての平安時代からのずっと長い流れがあって、ある種惰性で漢文で書いていた。
ところがある時から明治時代になってから、そういう文章もちゃんと母語である日本語で書くという、今となっていた当たり前のことなんですが、
変わった当時というのは、なかなか大事件だったわけですよ。
同じことがイングランドでも起こっていて、これまでラテン語で書いていた文章をロンドン象徴組合は、1422年に英語で書くぞと宣言した。
今から振り返れば当たり前のことのように見えますが、当時はなかなかの事件だったということなんですね。
百年戦争と英語の台頭
じゃあなぜこの年に、このぐらいの時代、1422年という年に、こういう転換が起こったのかということになります。
もちろんこれはたまたまではありません。
当時の事情、政治的背景、経済的背景であるとか、歴史的に説明のできるある背景があったということなんですね。
それは何かと言いますと、一つは当時英仏百年戦争といって、イングランドとフランスが100年以上断続的ではありますが、戦争をしていた時代であると。
1337年から1453年、これが百年戦争なんですが、その後半の時代にあたりますね。
つまりイングランドとフランスが完全に敵国として分かれていた、お互いに敵対国と認識していた時代です。
この敵対関係は、当時のイングランド人にも言語上のインパクトを与えました。
どういうことかというと、それ以前の歴史ですね。
英語史では、フランス語が地位の高い言語になっていた。それに対して英語は低いということだったんですが、その地位が高いと見ているフランス語が、ある意味敵国の言語になったということで、単にフランス語を持ち上げているばかりではいられないということになるわけですね。
敵の言語を持ち上げるわけにはいかないということで、相対的に英語の地位を少し押し上げることによって、フランス語に対抗しようという意識が非常に強く働くわけですね。
国民の間でというよりも、とりわけ政治家の間でですね。
これ厄介なのは政治家というか、いわゆる王は、もともとフランス系の地を引いているので、フランス語が某だったり、フランス語が非常に達者だったりするんですね。
だけれども、自分はイングランドという英語を話す人々の頂点に立つ王であるということで、この辺の意識がですね、敵大国なんだけど、自分はフランス語には非常に親しみがある。
だけれども、そんなことばかりも言っていられない。国民が敵国、フランスと戦っているわけですからね。
ということで、英語そのものの地位も押し上げなければいけないという意識になってきますね。英語を上に上に押そうということになります。
こんな雰囲気が時代の雰囲気としてあったということが一つです。
もう一つは、このランカスター朝なんですけどね。この百年戦争の特に後半の時期を担当した王朝ですね。
ランカスター王家というのは、国策として英語を押そうと考えるわけですね。
ヘンリー4世、そしてその次のヘンリー5世。この辺り、百年戦争でも勝利を収めてですね、アジャンクールの戦いの中でフランスに対してどんどんプレッシャーを仕掛けるということなんで、国語がどんどん発用していく。
この勢いに乗って英語もなるべくどんどん国内で使っていこうと。これまでフランス語とかラテン語という外国語によって公式な文章を書くという時代だったんですが、
ここに来て国語発用の目的でですね、英語をどんどん使っていこうという政治的思惑があったわけですよね。
このような流れに押されて、このロンドン醸造組合もこの上からの直接のプレッシャーではないんですけれども、
庶民的な飲み物としてのビール
この時代の変化、雰囲気を読み取って、ラテン語から英語へとシフトしたわけです。
この会計上の報告であるとか議事録っていうのを英語で記すようになったということですね。
これを皮切りに1422年のビール業者の英語使用ということですね。皮切りにどんどんと英語が公的な場でもですね、そして商業上でも使われるようになってきたという、ある意味、象徴の都市が1422年のビール会社による英語使用ということなんですね。
ビールというのは、現代でもですね、イングランドでもそして日本でも非常に庶民的な飲み物ですね。
ワインとかウイスキーとはやはり違う、非常に庶民的な飲み物ということですね、アルコールだということです。
その意味では、上からというよりも下からの英語化ということを象徴する出来事なんではないかと思っています。
その600年後が今です。ではまた。