形容詞と副詞の関係
英語に関する素朴な疑問。なぜ形容詞friendlyには、副詞語尾のはずのlyがついているのですか。
これは最近学生から寄せられた素朴な疑問です。 形容詞friendlyには、確かにlyがついていまして、私たちの理解では、lyという語尾は典型的に副詞の語尾である。
nice, nicely, quick, quickly, terrible, terribly のように、形容詞にlyをつけると自動的に副詞になる。
非常に多く例があるわけです。 しかし、このようなfriendという名詞に直接lyがついてfriendlyとなると、副詞というよりは形容詞になる。
こういう例があるわけです。これは一体どういうわけか。lyは副詞語尾ではなかったんだろうかという質問です。
実は他にも、friendlyのようなタイプの名詞にlyをつけることによって、形容詞、副詞ではなく形容詞を作るという例がいくつかあります。
例えば、scholarly, womanly, fatherly, beastly のような単語です。
決して多くはないかもしれませんがあります。他には時間を表す表現で、例えばdayに対してdaily, hourly, weekly, yearly というのも同様ですね。
これらも名詞にlyがつくことで、形容詞をつけると。実際には副詞として使われるこのdailyなどもあるわけなんですけれども、
通常は形容詞なわけです。さあ、これはどういうわけなんでしょうか。まずこのlyという語尾の語源を探ってみましょう。
小英語では、この対応する設備字はreachという形だったんですね。reachです。
このreachというのは単体詞として、単語として存在しまして、これは形とか体という意味だったんですね。reachです。
これは実は語源的にはlike、好きな方ではなくて、何々のような、何々のようにというあのlikeと同じ語源です。
これはもともと何々のようなという意味は何々の体をした、何々の形をしたというのが原理です。
そこから何々のようなとか何々に似たという意味がlikeに出てくるわけなんですが、これと同語源のreachという設備字がありました。
したがってこれは名詞について、その名詞の形をした、名詞に似たという形容詞の意味が生じたということなんですね。
実際、reachとlikeというのは語源が一緒だと言いましたが、likeを語尾に付した形容詞というのも現在でもあります。
例えば、childlikeであるとかbusinesslikeのようなlikeですね。これ形容詞になります。
これと同じ語源ですので、結局reachというものも大元は形容詞を作る語尾だったんです。副詞ではないということです。
形容詞語尾としてのreachというのがまずあったということですね。
そのreach、これ形容詞語尾だったわけなんですが、実は小英語ではこのreachという形容詞にさらに語尾にeを付けることによって、
本当にちっちゃな語尾ですね。eに相当するeという音を付けることによって、副詞になりました。
reachという形容詞を作る設備字にeという語尾をさらに付け加えてreachとすることで、これ副詞になったんです。
reachが形容詞、そしてreachが副詞を作る語尾ということで、非常に微妙な違いですよね。
実際この微妙な違い、区別できるかできないかわからないくらいの微妙な違いですが、このeが後に音変化の結果ですね、消えていっちゃうんです。
そうするとこれ両方ともreachになっちゃいますね。さらにちの音も消えてリになりました。それが現代のリの設備字なわけですが、
つまりこの現代のリというのは、reachの現代版でもあり、reachの現代版でもある。
つまり形容詞語尾でもあり、副詞語尾でもあるというような状況が、もうすでに中英語の時代に生じました。リですね。
したがってリは別に副詞限定の設備字でもなければ、形容詞限定でもない、両方を表せたというのが原則なんですね。
最も古くからある有意識と正しい形容詞語尾としてのリーツに由来するリですね。これが残っているのがフレンドリーであり、スカラーリーであり、ウォーマンリーのようなリ、形容詞の語尾としてのリなわけです。
それが中英語以降に、どうも形容詞語尾でもあり副詞語尾でもあるといったのですが、中英語以降はどうも副詞語尾として意識されることが強くなっていたんですね。
つまり現代と同じような発想にだんだんなっていきます。これはいくつか理由があると思いますが、副詞を作る作り方というのがそれほど多く中英語には用意されていなかったということ。
それから多くの形容詞がこの時代にできた、あるいは釈用語としてフランス語をやらています。その形容詞に対応する副詞を作るのにリをつけるというのが非常に数が多くなったので、むしろ本来的には形容詞語尾だったわけなんですけれども、副詞語尾なんだというふうに認識されることが多くなって、現代に至るということです。
このような事情で、設備時リというのはもともと形容詞語尾だった。あるいは形容詞語尾でもあり副詞語尾でもあったというような状況があるということですね。ある意味では古い状態、つまり形容詞語尾としての役割を残しているのが問題のフレンドリーという単語だということになります。
この問題につきましては、ヘログの40番の記事、そして1032番の記事をご覧ください。