矢冨弘先生との出会い
おはようございます。英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオ、通称heldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。 新年度の始まりのこの時期、皆さんの英語史の学び始めを応援するために、英語史スタートアップ企画を実施中です。
このチャンネルでも、同企画に沿って、普段とはちょっと異なる風味の放送で、英語史の魅力をお伝えていきます。
本日はですね、矢泉博先生との対談。グラス号大学話を一つと題しまして、熊本学園大学の矢泉先生にお越しいただいています。
矢泉先生、おはようございます。
本日はよろしくお願いいたします。
タイトルにもある通り、私と矢泉先生の関係はですね、いくつかの関係があるんですが、まず、そもそもですね、われらが出会ったと言いますかね、
最初に会ったと言うのは、いつぐらいか記憶にありますか?私は曖昧なんですけども。
はいはい、私はつい最近まで大学院生だったわけなんですけれども、大学院生の私が修士をやっているときですね、
京都で修士課程をやっているときに、すでに本田先生は英語史の界隈ではもちろん有名人ですので、私は存じ上げていたんですけれども、
私がM2ですね、修士の終わりの方で、英語史研究会というところで発表させてもらいました。
それを神戸で発表があったんですけれども、そのときに先生が来られていたという形で、そのとき初めて懇親会でしっかりお話をさせていただいたという記憶があります。
おぼろげに覚えているのが、その後直にグラスゴー大学に留学されたんですよね。
そのときに私もグラスゴー大学で留学して学位を取ったんですけれども、経験から何かお話をしたり、いいところだよみたいな話をしたかなというような、おぼろげな記憶があります。
もちろん修士課程を終わった後に博士を取得しようとは思っていたんですけれども、いろんな可能性があって、日本に残るのか、そして海外に行くのか、で海外に行くとしたらどこに行こうかというようなことを考えていたわけですね。
1年前ぐらいにですね、大阪でMMECLという国際学会があって、結構海外の有名な研究者の方々も参加されていてですね。
そのときに実はジェレミー・スミス先生も、我々のということになると思いますけれども、来られていてですね、ちょうどお話ししたんですね。
彼、水が出せなくてですね、食堂みたいなところでいたんですけれども、日本式の水の出し方がちょっとわからなかったので、ちょっと手伝ってあげたらすごく喜ばれて、いくつもニコニコして、すごい人として素晴らしいなと。
そうなんですよ。ちょっと話がいろいろと、時間的には前後しますけれども、私はだいぶ前になりますね、2002年から5年にフランス語大学に留学していまして、今お話に出たジェレミー・スミス先生についておりまして、
だいぶ10数年後かと思うんですが、ヤドミ先生も同じ先生についているということで、ある種同じ師匠を抱えた兄弟弟子的な関係にあるということなんですが、そのあたりなんですね、スタートは我々の。
ちょっと調べてみたらですね、ちょうど4年前の2018年の4月7日だったんですけれども、研究会があったんですね。大阪の雪南大学であって、その時に京橋まで戻って、夜飲んだんですよね。朝まで飲んだっていう、他に2、3人いたと思うんですけれども、それすごく強烈に覚えていて、その時だから留学中だったんですよね。
確か発表するために日本に帰って、そういうことなんですね。これもやっぱり重要だなということで。そうですね。懇親会というよりは、さらに後の二次会、三次会まで行ったと思うんですけどね。
その後、もちろんその時も戻り、そして博士号を取られて、日本に帰国し、現在熊本学園大学で、まさにご専門を教えられているということで、ご専門そのものはですね、博士課程での博士論文ですね。
博士論文は、language, identity and community, sociolinguistic analysis of language practice of early modern English preachersということからわかるとおり、時期的には、いわゆる初期近代と呼ばれている時代の説教の言葉ですかね。
研究の影響と共有
これを社会言語学的な観点から迫ったということで、その他の討論文等も背読していますと、全体として関心が社会言語学的な英語史というか、その辺にあるかなと思うんですけれども、この辺の関心というのはどういうふうに芽生えたと言いますか、今も含めてどういう意識で研究されているんでしょうか。
先行していたんですけど、もともと翻訳家になるつもりだったんです。
そうだったんですか。
いろいろと語に限らず、新書とかを読んでいるときにもたまってですね、
学校とかは結構、いわゆる優等生とかではなくて、ちょっとおちゃらけてたような学生でもあったので、
それから大学生にプローチができるんだと。
これも面白いぞということで、英語史を深く学びたいので大学に行こうというのが始まりになりました。
これは2年でした。
バリバリの社会言語学派、英語史で論文を書いてしまうということなわけですね。
それに言うと文献学、フィロロジーというものにすごく惹かれていたので、私のベースにはそれはすごいあると思っているんですね。
グラスゴーでもフィロロジーという教授の肩書きがあるくらいですね。
そうですね。グラスゴーという意味で繋がりが我々あるんですが、時間は離れていますけれども、
同じジェレミー・スミス先生について、私も彼が書いた本を読んで感銘を受けて、
絶対この人と勉強したい、この人のもとでということでグラスゴー大学を決めたわけなんですけれども、
本当に人格者と言いますかね。私も大好きな先生と言いますかね。
そのおかげで英語史も大好きになったという、ますます好きになったということですが、
ヤドミンさんにとってもどうでしょうかね。
グラスゴーのお父さん的な。
グラスゴーのお父さん。確かにあってますね。
もちろん研究者として尊敬していますし、研究者として関わってもらったんですけれども、
同時にメンター的な関わりがあったという。
まさに同じです。その辺りを共有できたということで、僕もとても嬉しいですね。
これはグラスゴー話とかジェレミー・スミス先生話では尽きないと思いますので、
また機会を変えるなり、第2弾、第3弾やっていきたいと思いますので、
ぜひ今後ともよろしくお願いいたします。
ではありがとうございました。
ありがとうございました。