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2025-03-14 06:41

hellog-radio #9. なぜ He is to blame. なの?

#英語史 #英語学習 #英語教育 #不定詞 #受動態
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サマリー

エピソードでは、英語の表現「He is to blame.」が「He is to be blamed.」ではなくなる理由について考察されています。この表現に関して、名詞的機能や歴史的な言語の変化が影響を与えていることが説明されています。

He is to blameの考察
今回の素朴な疑問は、なぜ He is to blame. は He is to be blamed. とならないのですか? という質問です。
これについては、すでにヘログの3611番で論じていますが、ここではラジオ版ということで、音声でこの問題についてお伝えしたいと思います。
確かに、責められるべきは彼であって、彼は責められるべきだ、彼は悪いという意味ですので、これは受け身でないといけないはずですね。
He is blamed. という関係のはずです。 ですから、He is to be blamed. となるのが妥当ではないかという疑問ですね。
確かに、そういうことだとは思うんです。英語は、対、受動体、能動体という区別に非常に神経質なはずですよね。
ですが、寛容的にはフレーズとして、He is to blame. というのがわかり通っていると。これはなぜなんだろうということですね。
一言で言いますと、確かにこれは不定詞なんですが、もともとは名詞的な意味合いを帯びているんですね。
言ってみれば、He is for blame. のように、前置詞と名詞ブレイムで表されるような、非難に値する、非難にされるべき存在だというような、名詞で考えるとわかると思うんですね。
というのは、名詞ブレイムを使うと、動詞ブレイムの場合と違って、対、受動体、能動体という区別について少し曖昧になるからなんですね。
彼が非難されるのか、するのか、彼が誰かを叱責するのか、あるいは彼を誰か他の人が叱責するのかという、いわゆるこの関係のことを対というふうに言語学では読んでいるわけですね。
動詞はこの対というのを非常に重要なものとして見ます。
彼が非難されるのか、それとも彼が他の人を非難するのか、これはとても重要な区別だからです。
しかし非難という名詞になると、この対が途端に緩くなります。
例えば別の例で、his murderと言いましょう。
彼の殺人と訳せます。
しかしこれは、彼が殺人を犯したという意味での彼の殺人なのか、あるいは誰かが彼を殺害した、つまり死んだのは彼で彼が殺害されたという意味でのhis murderなのかというのは文脈次第ということになりますね。
動詞で言えば、he murdered someone とか someone murdered him みたいに、どっちがどちらを殺したのかということが明らかになるわけですが、
his murderというふうに名詞化した瞬間にですね、文脈を頼らない限り、彼が殺したのか、彼を殺したのか、
別の言い方をすれば、彼が殺されたのか、彼が殺したのかということが曖昧になるというのが、この動詞から名詞に移るときにこのような曖昧さが生じてくるわけです。
歴史的に言いますと、不定詞というのは、もともとto-たす動詞の原型ということなんですが、これはですね、もともと名詞化する働きが強いので、名詞なんですね、このto-たす動詞の原型。
今でも名詞用法というのがありますが、基本は動詞を名詞化するのが、ある意味不定詞の役割だった。
とすると、to-blameという言い方は、これは避難するということでもあり、することでもあり、避難されることでもある。
どちらにも、つまり文脈次第で変化するということになりますね。
ところが、歴史の過程でこれがですね、もともとはつまり名詞的な性格を持っていた不定詞なんですが、どうも動詞的な機能をどんどん帯びてきたと。
to-blameのblameが、そもそも動詞であるということでですね、全体が動詞的な機能を帯びてきた。
そうすると、主語のhe is to blameの主語であるheとの関連というのが、動詞として意識されてきたので、blameはblameではなくてbe blamedという受動性なんではないかという発想に、現代語的にはそういう発想になってくるわけですよね。
ですが、フレーズです。昔からあるフレーズというのは、そのままの形で固定されやすいということで、対に対して中立であった時代の名残として、to-blame、he is to blameという時には、彼が避難するのではなく彼が避難されるものだということになるわけです。
動名詞の性格
つまり、昔の名詞的な機能を残していた時代の不定詞用法の名残だということですね。
実は不定詞だけではなく、動名詞も同じような経緯をたどっています。
もともとは動名詞という名詞なんですね。動詞を名詞化したものが動名詞だったんですが、徐々に動詞の性格を帯びてくるということになって、
例えば、the house is building。これ普通に考えれば変なわけですね。家は意思を持っていないので、動作できないので、何かを建てるということはできないはずだと。
もちろんこの場合、the house is buildingというのは建てられているところだと、建設中だという意味なわけですよね。
こんなところにも、he is to blameと似たような状況があります。
同じように、this machine needs repairing。この機械は修理する必要がある。この機械は修理される側だろうと。
突っ込みたいのが、現代英語ですが、これは古くの名残でrepairingという表現に、直すことではなく直されること。
つまり、対が中立された、どっちの意味にも状況によってなり得るということなわけですね。
これが、he is to blameの理由ということになります。
関連して、3604番、それから3605番の記事もご覧ください。
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