00:01
おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる素朴な疑問は、help の後に来るのは原形不定詞かto 不定詞か、という話題です。
help という動詞は、助ける、手伝うという動詞なんですけれども、この後に助けられる人が来て、さらにその後に動詞が続く。つまり、人が何をするのを助ける、手伝ってあげるというような構文がありますね。
この時に、その人の後に来る動詞なんですけれども、これが不定詞になるわけですが、果たしてこれが原形不定詞、いわゆる原形になるのか、それともto付きの不定詞になるのかということで揺れを示します。
例文をあげてみたいと思いますが、
なんていう時ですね。
彼は私が階段を登るのを手伝ってくれた。
例えば、肘とか肩で支えてくれたというような場合ですね。
こういう場合には比較的、toを付けないということが一般的のようなんですね。
ということです。
ただ、絶対ですね、to不定詞がダメというわけでもなくて、
というのもあり得ると思うんですね。
一方で、この助けられる人、先ほどの例ではmeという一語なんですが、ここが何らかの形で長くなってしまう時には、その次に動詞が来る時に、それをmarkするという意味でtoが補われるということも多いようですね。
例えば、he helped the little boys at the back of the hall to carry the chairs out.
ホールの後ろにいる幼い少年たちが椅子を運び出すのを手伝ってやったということなんですけれども、このthe little boys at the back of the hallというのがちょっと長い目的語ですよね。
なので、その後に動詞が来る時には、toがあった方が分かりやすいということがありますね。
ただ、こうした意味上のちょっとした違いであるとか、それから文法上の目的語が長いであるとか、そうした文法上の都合というのは確かにあるんですけれども、結局はどちらでもいいというか、どちらもOKというのが実情としてあってですね。
例えば、he helped to change tires.
彼はタイヤの交換を手伝ったという時に、he helped to change tiresでもOKですし、he helped to change tiresでもOKというふうに揺れが見られるということですね。
03:03
これは英語学の研究なんかですと、どういう時に現形不定詞が出やすいか、あるいはto不定詞が出やすいかということを意味的、文法的、その他諸々のパラメーターから考慮して、ある程度の傾向をつかむというような研究はいろいろとあるんですけれども、なかなかがっちり決めるということは難しい。
こういう場合には絶対にこうなるとか、ああいう場合には絶対に逆の方になるとか、こういったピッチリした規則というのはなかなかない。
ランダムではないというのは確かなんですけれども、それにしてもですね、きっちりしたルールが現在あるわけではないというのも事実のようなんですね。
では、この揺れを示すという現象を歴史的に見るとどう見えてくるかということですね。英語詞を振り返ってみたいと思います。
歴史的に見ますと、やはり古い時代からこのto不定詞か現形不定詞かという揺れはですね、見られるんです。昔から見られるんです。
一般的にはto不定詞を使う方が一般的だった、普通だったという事実はあるんですけれども、早くはですね、中英語記から実際には現形不定詞の使用を示す例が現れるんですね。
近代語記ではこのtoが省略されて、現形不定詞になるという例が増えてくるんですけれども、やはりこの揺れというのは昔からあった、中英語記ぐらいからあったということが分かるんです。
全体として見ますと、to不定詞の使用の方が普通なわけなんですけれども、現形不定詞の使用というのも中英語からあったし、近代語でもですね、揺れの分布というのはそれぞれ時代によって変わって、現代まで続いているわけなんですけれども、揺れ自体はですね、もともとはto不定詞の使用というのが普通だったという事実はあるようです。
この現象を歴史的に考えるにあたっては、helpという動詞だけ見ててもダメなんですね。
他に、ひどい意味での使役、何にさせるであるとか、何を強制するというような、いわゆるmakeみたいな例ですね。
これを見ますと、やはり同じように揺れてるんですね。
to不定詞を取る場合もあれば、現形不定詞を取る場合もあるという風に、両方あったという事なんですね。
現代では、例えばmake、使役のmakeですと、基本的には現形不定詞を使うわけですよね。
例えば、she made me laughというような文です。
06:00
ところが、これ皆さん文法で勉強しているかと思うんですけれども、受け身になるとtoが復活するという現象がありますね。
これは能動体ではtoがないんだけれども、受動体になるとtoが復活するという風に見えるわけなんですが、
歴史的に言うと、この現象は別にtoがなかったものが受け身で復活するという事ではなくて、歴史的には両方あったんです。
つまり、能動体でも受動体でもtoがあったりなかったりした、2つのオプションが常にあったという事なんですね。
それが近代語くらいまでそうだったんですけれども、後に標準化した際に、英語が標準的な英語使いというのを定める事になった際に、
能動体ではtoがない方を使うと。一方、受動体ではtoがある方を選ぶという風に、
元々は両方オプションあったものが、たまたま体によってどっちか1つに決める際に違う方を選んでしまったという事なんですね。
その結果、今チグハグになっていて、あたかも受動体になるとtoが復活するという風に見えてくるんですけれども、
別に復活しているわけではなくて、元々toがあったバージョンとないバージョンがあって、
能動体ではないバージョンがなぜか標準化の際に選ばれた。
そして受動体の時にはtoがある方が選ばれたという、そのなれの果てが今このような分布で、
受動体だとtoが復活しているように見えるという、それだけの事なんですね。
このmakeの場合は綺麗に決着がついて今に至っているんですけれども、
helpの方は完全に決着がついていないで、いまだに能動体ではtoがあったりなかったりというこの揺れが見られる。
これが今日の話題なわけですけれどもね。
一方、受け身の方は基本的にI was helped to climb the stairsみたいにtoがmakeと同じように現れるんじゃないですかね。
これも復活というわけではないんですが、だいたい受動体の時にはtoが現れるというのは、
makeと同じ並行的な歴史をどうも辿ったようなんですね。
要するに、近代英語記の最初ぐらいまでに遡ると、両方あったということなんですね。
今ではどっちか、to不定詞か原型不定詞かというふうにどっちかに決まっているというところが、
当時は両方あったという、これがhelpとかmakeだけではなくて、一般にこういうことがあったんです。
例えば、現代、ought to、すべきだという、shouldに近い意味の二語で表す法常動詞に近いものがありますね。
それがtoがなく動詞が続くというような例が、例えばシェイクスピアあたりにありますね。
09:07
You ought not walkなんていう言い方ですね。
それからbe want to、するのに慣れている、する習慣があるというのも、
今ではbe want to、to不定詞を使うかと思うんですが、当時の英語ですね。
これもオセロからの例ですが、
You are want to be civilではなくて、You are want be civilのように原型不定詞が使われているという、そういう例があるんですね。
他に、今だったらI command her to come to meというところを、シェイクスピアではI command her come to meのように言っていたりするんですね。
当時の英語では、toがあったりなかったり、揺れていたということ、これが現代にまで響いてきている、それがhelpなわけですね。