00:02
おはようございます。英語の歴史を研究しています、慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を癒やしなっていただければと思います。
今回取り上げる素朴な疑問は、「人称って何?」というものです。
英文法を勉強していますと、「人称」という用語が出てきますね。
これ1人称、これiですね。複数形はweということになります。
それから2人称っていうのがあって、これはyou、あなた、あなた方ってことですよね。
それ以外の、he、she、it、それから複数形のtheyですね。
これで受けられるようなものは、3人称というふうに言われます。
このように英語には1人称、2人称、3人称、3つの人称が区別されるんだという言い方をするんですね。
実際今述べたように、大名詞ですね。人称大名詞がそれぞれ違うものを使うということはわかりますし、
さらにこういったものが主語に立った場合に、動詞ですね。
特に現在形の場合に、3人称の場合にはsが付くよという、3単元のsの規則がありますよね。
つまり英文法全体に、この人称の区別というのが必要ということになりますね。
関わってくるので、区別しておく必要があるということなんですね。
ただ、そもそも人称って何なのか、何のためにあるのかという根本的なところをご尋ねると、
なかなか答えが返ってこないんですね。英文法ではそれがあるんだと。
3人称、3つの人称が区別されてるんだというふうに与えられたものであって、
これに対する説明というか、何でなんだろうということは、普通答えられないですね。
今回もこの問題を解決するというよりは、背景について考えてみるということで、
終わりそうではあるんですけれども、この人称というものについて、
少し深掘りして考えてみたいと思うんですね。
英文法であるとか、英語じゃなくても、他の言語を勉強していると、
さまざまな用語が出てきますよね。この人称というのもそうなんですが、
他に例えば、代名詞に関係することでありましたら、単数複数という区別をしたりしますよね。
数というものがあります。それから、三端現でいきますと、現は現在ですよね。
現在とくれば、過去があったり未来があったりという、いわゆる時勢というのがありますね。
これは動詞が関係する区分なわけですが、時勢というのがあったりしますね。
03:01
それから同じ動詞でいうと、能動体受動体の体というのがありますね。
それから直接法、仮定法という区別があって、これ法というのがありますね。
今挙げたような、人称、数、時勢、体、法、他にもあると思うんですね。
例えば性、ジェンダーなんかもそうですね。三人称、単数の代名詞の中では、
he、she、itという風に性別に分けるという意味で、この性というのもありますね。
このような文法用語ですね。これは言語学では、範疇とかカテゴリーという言い方をするんですね。
この人称というのもその範疇、カテゴリーの一つで、英語のみならずですね、様々な言語に存在します。
実際、英語が属するインオー語族ですね。インドヨーロッパ語族では、この人称というカテゴリーはしっかりとあるわけですね。
英語もそれを引き継いでいるということになります。
この範疇というのはですね、言語にとってどういうものかというと、世界の切り分け方、そして切り分けた結果をどう言語表現の中に埋め込むかというような、
ある意味そのやり方、方式のことだと思っているんですね。
言語ごとにこれ異なっていますので、例えば数というカテゴリーが事実上ない言語であるとか、あるいは時勢という範疇が事実上ないような言語とか、色々あり得るんですよ。
たまたま英語であるとかインドヨーロッパ語族ですね、ではこの人称というのがかなり際立った範疇としてですね、言語の中に存在感を持って現れるということなんですね。
日本語ではそこまで強くないんですけれども、ある種のインドヨーロッパ語的な物の見方と言いますかね、世界の切り分け方みたいなものと対応しているということなんですね。
なので少しこれ考え方が分かりにくい、日本語にも人称という発想はもちろんないわけではないんですけれども、比較的希薄ですので、英語であるとか他のヨーロッパ系の言語なんかをですね、
勉強している時に出てくるこの人称というのは捉えがたいということなんですね。
さてこの人称についてですが、英語の用語で言うとこれただのpersonなんですね。だからfirst person, second person, third personという言い方します。
人称なんてこう難しく訳しているんですけれども、実のところこれ人でしかないということですね。
もっと言うとこれ人ですらないんですね。このpersonという言い方をしなくても全然いいんだと思うんですけれども、
単純化してみますと、英語の世界あるいは引用語の世界ですね。これでは真羅番称を3つの区分でですね、極切るということです。
06:09
まず第一のものは俺ですね。そして第二のものは話しかけているお前。そして第三のものはそれ以外の一切合切という、ある意味非常に偏った分類、世界の見方です。
世界の真羅番称を3つに分けるという時に、俺、お前、その他の全てという、かなり大雑把な切り分け方だと思うんですね。
それでもこれはこれでですね、なかなか便利で、というのは会話するとき、話ですね、言語を使って何かを行うとき、まず主体になるのが自分である。
Iですね。そして大体話し相手というのがいて、それがあなた、Youね。
で、それ以外のものを指しながら言及しながら話をしていくということなんで、それ以外は全て第三の区分に放り投げておく。
基本的にこの世界観ですね、言語観なんですね。俺、お前、それ以外という切り方です。
英語であるとか引用語では、この三区分というのがとても大事でですね、代名詞に異なる単語が割り当てられているということは述べた通りですし、
さらにはですね、これが主語に至つときに、動詞の語尾も変えてくださいよ、言語の仕組みの中に埋め込まれているということですね。
それぐらい浸透していると、この考え方。俺、お前、その他の一切合切っていう考え方です。
そしてこの区分につけた名前が認証、personというわけですね。別にpersonじゃなくても良かったのかもしれません。
他の言い方だって良くて、とにかく俺、お前、その他のものというような、この三区分にラベルを貼りたかったわけですね。
その時に、personという用語を使ったという、ただそれだけのことといえば、それだけのことなんですね。
では、日本語では希薄だけど、あるにはあるという言い方をしたんですが、例えばですね、近いのは、
こそわどってありますが、こそあっていうのが、それぞれ、近象、中象、遠象ですか、というふうに近い、中間、遠いということになっているんですが、
これ、心理的に言えば近いものって私自身ですよね。だから、中間的にそこが近い、だけど自分ではないというところにあなたがいて、
それ以外の一切合切があで表される。これ、それ、あれという時の表現ですね。
ここ、そこ、あそこというような、こそわどの、こそあにそれぞれ対応しているというふうに、パラレルに考えると少し分かりやすくなるのではないかと思います。
09:02
この一人称というのは自分のことですから、分かっているわけですよ。自分が何者か。
あなた、二人称も目の前にいるわけなんで、いろいろ情報があります。だいたい分かっているということになっている。
ところが、三人称に関しては、その他の一切合切ですから、すぐそばにあるものでも、あるいはもう見えないくらい遠くにあるものでも、あるいは物ですらなく観念とか中傷的な概念でも、
とにかく一切合切が三人称なわけで、これは一つの代名詞で処理するというと、なかなか難しくて、もうちょっと情報が欲しいということで、
生き物であるか生き物でないかとか、さらに生き物であるなら男か女かぐらいの区別が欲しいということで、
三人称の単数代名詞では英語でも、he、she、itという区別があるということですね。