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おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
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教育の本質について
本日の話題は、才能を引き出すためのエデュケーション 教育の本来の意味は、です。
今週のVoicyのハッシュタグ企画ですね。 その一つ目がですね、才能を伸ばすにはというお題ですので、こちらに乗っかる形でですね、今回このエデュケーション教育という語の語源について考えたいと思います。
ハッシュタグ企画、才能を伸ばすにはというお題なんですけれども、これ才能を伸ばすってなかなか難しいことですね。 まずあの才能を見つけてあげるということですよね。
で、その見つけたものを引き出し、そして伸ばしていくということなんですね。 私自身が大学の教員ということで教育職に就いているんですね。
家に帰れば子どもたちがいますので、子どもたちを教育するという立場にもありまして、この才能を伸ばすということについては、いろいろと考えたりトライしたりというふうに試行錯誤をするべき立場なんだと思うんですけれども、必ずしも得意ではないかもしれないという気がしてるんですね。
先に述べたように、なかなか難しい。まず見出す、その後で引き出す工夫をする、引き出した後に伸ばすという、これ連携を取らないといけないんですけれども、例えばその子でありその生徒、学生を見ていて、いいところがあるなと思って才能、能力を見出すという段階なんですけれども、
これからしてまず難しいですね。いいところがあるなというのはわかっても、それが社会の中でと言いますか、今後の人生の中でどのようにはまっていくかということですね。これを考えたりすると、結局その子の中身ですね、才能というものを見ているだけでわからなくて、世の中全体の中を見て判断するということがあるんですが、これとても難しい。
すべて知っていなければですね、才能をフィットさせる方法というのを手ほどきしたり、上限したりしてあげられないということにもなりますよね。どうやってそもそも才能っていうのを見つけてあげればいいんだろうか。それからそれを引き出して伸ばしてあげるんだろうかっていうのは、これなかなか難しいことだと思うんですね。
もちろん諦めたわけではなくてですね、ただ私のこの才能を伸ばすとか引き出すというような発想なんですけれども、すでにその子の中にあるものを文字通りに見つけて引き出して伸ばすというような、それは前提に才能を引き出すってそういうことだというふうに、これまで喋ってきましたけれども。
あまりそういうふうに考えてないんですね。その子の育て方であるとか、才能の引き出し方という言い方をしますけれども、どちらかというとですね、引き出してあげるというよりは、後でこれ述べますけれども、このエデュケーションですね、まさに教育の本質であるとか本来の意味に立ち返った考え方、それにどちらかというと賛同しているところがありまして。
これについて、このチャンネルのいわば本文であります英語の語源、これを考えた後にですね、再びこの大きな問題に戻っていきたいと思います。本日の話題が才能ということですね。まずこの才能という日本語に対応する英単語は何か。いくつかあると思うんですね。
YA辞典引きますと、一般的なのがタレントという単語ですよね。それから、ギフトなんていう表現もありますね。まずこのギフトから見ていきたいと思うんですが、これギフトっていうのは、ギブのある種名詞形と言ってもいいもので、与えられたものっていうことですね。つまり、天から与えられた才能というぐらいの意味で、The Given Talentぐらいの意味で、与えられたものっていう言い方をするわけですね。
例えば、She has a gift for musicみたいな文ですね。あるいは、She is a gifted musicianのように使うわけですよね。もう一つの、より普通に用いる方法の才能を表す英単語は、Talentっていうことですね。
A man of talentであるとか、He's got a lot of talentのように使いますね。それから、動詞としても、You're linguistically talentedのような使い方ですね。
このTalentという単語なんですが、これは語源的には比較的有名な単語なんですね。よく知られているんですが、これは元々、タラントという、古代ギリシャ、ローマなどの重さの単位、それから通貨、お金の単位の中で最高のものということで、タラントという単位で呼ばれていたんですね。
単なるお金の単位ということなんですが、これがなぜ才能という意味になるかというと、きっかけは聖書にあります。新約聖書、マタイ伝ですね。25章の14から30節。この中で、タラントの教えという、非常によく知られている偶話があります。
主人が3人の下辺、それぞれに能力に応じて、5タラント、2タラント、1タラントというお金をあげたんですね。それをどういうふうに使うかということで、5タラントと2タラントをもらった者は、お金を育てた、商売によって育てて増やしたんですね。
一方、1タラントだけもらった者は、穴を掘って隠しておいたということで、全く増えなかったというようなところで、能力、才能によってあげるタラントの数、量を変えたという、この偶話ですね。
これが元になっているっていうことなんですね。英語では、古英語からこのタラントという通科の単位としてはすでに使われていたんですけれども、そこから転じて、この偶話に基づいた、一種の広い意味でのメトニミと言っていいと思うんですけれども、才能そのものを表す用法が出たんですね。
これが1430年ぐらいと言われています。少し遅い時期になってから、この才能という今につながるタラントの意味が現れた。
聖書に基づいて、新たな単語であるとか、句であるとか、語法が芽生えたりするっていうのは、非常によくあるケースですね。そのような例の一つが、このタラントの語彙変化、意味変化ということになります。
教育の語源とその意義
さて、今回の話は、タレントを引き出すであるとか、伸ばすというようなことなんですが、英語でもですね、draw out a talentのような言い方があるんですね。才能を引き出すということで、まさに日本語と同じです。
そして、引き出すという言い方をするとですね、語源の観点から必ず浮かんでくる一つの単語があるんですね。これは教育を意味するeducationという単語です。動詞形はeducate、教育するということですよね。
この単語は本来はラテン語で、英語に入ってきたのは近代近いですね。1500年前後ということで、比較的遅くになって入ってきた。英語の歴史全体から見るとですね、比較的最近に入ってきた単語ということになります。
大元はラテン語で、educareという動詞だったんですね。この成り立ちはと言いますと、aというのが瀬戸字で英語で言うところのout ofぐらいに相当します。何々からっていうことですね。そしてeducareの部分。
これ語根はdo callという単語で、これはlead、導くぐらいの意味なんですね。これはproduceとかproductionといったようなdo productionという単語のもとでですね、英語にもたくさん入ってきてますね。
その一つがaという瀬戸字を付したeducare、これが元になってeducateであるとかeducationという単語が英語に入ってきたということなんですね。つまり英語風に言えばlead out。まさに引き出すと訳していいような、そんな意味なんですね。
つまり教育っていうのは、才能を眠っている才能、能力を引き出してあげることなんだと。というふうに理解できそうなんですが、そしてこの語源説がですね、一般的には広がっているんです。教育っていうのはまさに子どもたちから眠っている才能をですね、中に眠っている才能を引き出してあげる、lead outしてあげるんだということで、すっと入ってくるような語源なんですね。
ところがこれはおそらく続説なんですね。educare、このラテン語のlead outに相当する動詞の本来の意味はですね、もっとですね、聞いてしまうとしらけるような感じなんですが、卵から雛を返す。
卵の中にいるものを引き出すということで、卵を返して雛にするという、かなり物理的、生物学的と言いますかね、意味であって、その才能を引き出すといったような、ある意味高尚な、そのような意味は最初は持っていなかったんだろうと。
引き出すという意味合いに引っ掛けて、高生の人々が教育の意味をですね、解釈するために、新たな続説的な語源を作り出して広めたのではないかと。一人ともそれを受け入れた。非常に分かりやすいですからね。
ということなんではないかと思うんですね。ですので、もともとはあまり味気もないんですけれども、卵を雛から返す、リードアウトくらいの意味だったということなんですね。さて、今回のお題そのものに戻りたいと思うんですね。
才能を引き出すためのエデュケーション教育の本来の意味はと言いますと、語源の観点からすると、卵から雛を返す、外に出してあげるということですね。これ実は教育エデュケーションの、やはりこれ原理であるだけではなくて、本質的な意味なんではないかと思うんですね。
子供であるとか生徒、教育するときに、普通は中に眠っている才能を見つけて引き出してあげて、そして伸ばしてあげるという発想だと思うんですね。ですが、私はあまりそういう教育論と言いますか、才能を引き出すという発想はあまりなくてですね、ある意味でこのエデュケーションの原理に近い、むしろそちらの方に近いというような考え方を持っているんですね。
どういうことかというと、中に眠っている才能を引き出すというよりも、その子なり生徒、人ですね、その人を外に連れ出すということなんじゃないかと思うんですね。外の世界に。
学ぶというのは、狭い世界であるとか、狭い視野に閉じこもっていたものがですね、例えば本などを通じて読むことを通じて、外にこんな広い世界があるんだということを示してあげることなんではないかと。
家にしかいなかった子をですね、外に連れ出してあげる。あるいは旅行で世界に連れ出してあげるというような、むしろそちらの方のエデュカールですね、引き出すという原理ですよね。
才能を引き出すのではなくて、人をまさに閉じこもった家の中から引っ張り出して外の世界を見せてあげる。広い世界があるんだよということを示してあげる。
そんなふうに私自身はエデュケーション、教育というものを見ているだと思います。
結果としてその広い世界を見た子どもが自分自身の才能、個性、能力というものを高めていくというような、そんな才能観というんですかね、教育観みたいなものを私は持っています。
エデュケーションの続説ではなくて、本来の語源というところから解き起こして話してみました。
講座と書籍の紹介
エンディングです。本日も最後まで放送を聞いていただきありがとうございました。
ご意見、ご感想、ご質問などがありましたら、Voicyのコメント機能、あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています。専用フォームを通じてお寄せください。
実は今回、Voicyを始めてちょうど1年が経ちまして、2年目に入るんですね。366回ということになります。
リスナーの皆さんの反響などもありまして、非常に楽しく私も話して収録することができました。
今後も続けていきたいと思いますので、どうぞ毎朝聞いてくださればと思います。
最後に2点ほど講座の紹介と金管書の紹介をさせていただきます。
1つ目は講座の紹介なんですけれども、来る6月11日土曜日の午後3時半から6時45分ですね。
これが初回となるんですけれども、朝日カルチャーセンター新宿教室にて、英語の歴史と世界英語、世界英語入門と題するシリーズ講座が始まります。
全4回のシリーズとなる予定でして、今をときめく世界英語ワールドイングリッシュというものをテーマにですね、英語史の観点からお話ししていく予定です。
すでにこのVoicyでもこのワールドイングリッシュシリーズについてはいくつかお話をしていますし、356回の放送でもですね、取り上げました。
こちらまだまだ受け付けておりますので、ご関心の方はですね、リンクを貼っておきますので、そちらを参照していただければと思います。
もう1つは私自身が編著者の1人として関わっています本が出ました。
高田博之、田中牧郎、堀田隆一編著。
言語の標準化を考える。日中英読仏対象言語史の試みと題する本で、大週刊書店から出たばかりです。
英語の標準化であるとか、その反対の脱標準化ですね。
したがってワールドイングリッシュシリーズみたいな話も密接に関わってくるような話題で、論考を執筆しています。
したがって講座とですね、この金鑑賞とは関連しているということで、併せて紹介させていただきました。
こちらも数日前になりますが、このボイシーでも2回取り上げています。
361回および363回ということで、そちらも併せてお聞きいただければと思います。
詳細な情報はチャプターに貼り付けたリンクよりご覧ください。
それではまた。