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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしいでしょうか。志賀です。
今回はお便りをいただいたので、それに対する返答ということで、またやっていきたいと思います。
こちらね、マシュマロでお便りいただいたんですけど、
なんかね、Radiotalkのアプリでも、ウェブの方でも多分お便り送れるようになっていると思うので、どっちでもいいんですけど、
マシュマロも一応受け付けているので、好きな方でお便りいただけたらと思います。
で、今回はこちら特命の方です。読み上げます。
なぜ言語は時とともに変化するのですか。戦前の日本語と現在の日本語とは幾分異なります。
またアメリカ英語の場合でもアメリカ独立時と現在では異なります。
幼稚な質問ですみませんが、お答えいただけると嬉しいです。というお便りです。
はい、ありがとうございます。
これね、幼稚だなんてとんでもないですね、これは。
非常に良い質問だと思います。
なんかすごい池上明さんみたいになっちゃいましたけど、
いや本当にね、深い質問だと思うし、ある意味で言語学が目指す、答えるべき質問の一つであると思いますね。
というのは、言語が変化しないんだったら、言語学ってもっと単純でつまらないものだったと思うので、
そういう意味では言語学者を悩ませたり楽しませたりしている一つの要因ですね、この言語変化っていうのは。
過去のトークでですね、言語変化の話自体はよくやってるんですよ。
この方も多分それを聞いてくださってるんじゃないかと思います。
いちいち振り返りませんけど、興味がある方はちょっと見直していただけたらと思います。
その時々で、なんでこういう変化が起こったのかっていう話は、ちょっとどうなんですかね。
してるのかな。してることもあるし、してないこともあるかもしれません。
で、なんで言語が変化するかっていうと、いろんな要因がございますけど、
一番わかりやすいのは言語接触という要因ですね。
例えば、わかりやすい例で言うと、日本語っていうのは非常に、皆さんご存知のようにですね、中国語にかなり影響を受けてますから、
例えば、昔の日本語って、濁音と流音、流音っていうのはラリルレロっていう音ですけど、
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そういうのは語頭、単語の始めに出てくることはなかったんですけど、
漢語が大量に入ってくるその過程で、そういう音節構造って言うんですけど、
語頭に濁音とか流音が出てくるっていうパターンも日本語に出てきたっていうことですね。
これは一つ言語変化の要因となっているわけです。
他にも英語とかだと、1066年にノルマンコンクエストっていうのがあって、英語にフランス語系の言葉がバーッと入ってきてですね、
それが一つ英語の語彙がガラッと変わったというか、量が増えたって言ってもいいかもしれませんけど、
これも言語変化の一つの要因となっています。
もっと一般化するとこれは釈養語っていうことになりますね。
日本語の場合外来語とか言いますけど。
ただ、こういうのは考えてもつまらないですよね。
皆さん容易に想像できることですから、ここでは一旦言語接触っていうのは置いておいて、
また別の要因についてここではお話ししたいと思います。
一つはですね、本当にね、ざっくり言うと、人間が怠惰だからっていうことですね。
まあ岡山の方の方言だと、大義からっていうことになるんですよ。
例えば僕が好きな話で、過去のトークでよくお話ししているのは、
日本語のハヒフヘホって音は昔パピプペポだったっていう話をしているんですよね。
そのパピプペポっていうのが、唇を使うのがめんどくさくなって、
ちょっと唇が緩まってですね、ファフィフフェポっていう音になったと。
それがさらに唇を使うことも放棄して、現代ではハヒフヘホになっているっていうことなんですよね。
これは誤答の場合ですけど、誤答以外だとワイウエオっていう音に落ち着いているわけなんですが、
いずれにせよですね、唇を使うっていうことを放棄して、そういう発音に至っているっていうこういう言語変化はですね、
大義からっていうことですね。めんどくさがりだから。
唇いちいち使うのがめんどくさいからそういう音になったと。
こういう音変化はですね、日本語以外にもよく観察されるんですよ。
かなり一般的な変化です。
つまり破裂音っていう、どっかしらで閉鎖を作るような音が摩擦音になるっていうのはよくあるんですよ。
パがファになったり、タがサになったり、カっていうのがハになったりっていうね。
こういうのはいろんな言語で見られます。
これは一応にタイダだからと言ってもいいし、よく言えば効率化のためとも言えます。
効率よく発音するためにそういう風になっているということですね。
言語の変化の音の方はかなりタイダだからということで説明できると思います。
ヤバイっていうのがヤベェになるっていうのも、よく僕過去のトークでお話ししているんですけど、
これも母音の連続っていうのが長母音に変わっているっていうのは効率よく発音するためっていう風に説明できます。
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あとは英語で最後のイーっていう文字を読まないっていうことがよくありますよね。
likeっていうのはリケって書いてlikeですけど、あれはもともと最後のイーも読んでたんですよね。
ちゃんとエーっていう風に発音してたんですけど、
それが曖昧母音ってご存知ですかね。
シュワッとか言ったりするんですけど、あっていうちょっと曖昧な母音で発音されるようになって、
最終的に完全に削除されるっていう音変化がありました。
なのでこれもエーっていう発音があっていう曖昧母音になって最終的に消えるっていうのもタイダだからというか、
効率化を目指した結果とこういうことになっています。
このタイダっていうのとベッコで、ベッコなのかなこれ。
ベッコの言語変化を引き起こす要因として類推っていうのもあるんですよね。
この類推っていうのも過去のトークでちょいちょい話してはいると思うんですよ。
類推っていうのは言語学以外の分野でも使われているんですけど、
これは似たパターンがあったらそっちに習っちゃうっていうことなんですけど、
例えばこれ分かりやすいかどうか分かんないんですけど、
死ぬっていう動詞は古典だと那変動詞っていうのだったんですよね。
覚えてらっしゃるかどうか分かんないですけど。
これは変格活用なので不規則なんですよ。
どういう点で不規則だったかっていうと、
連体形で死ぬるっていう形で出てくるんですよね。
終始形は死ぬるなんですよ当然。
ただ余談動詞の場合は例えば格っていうのは終始形も連体形も同じ格っていう形だったんですよね。
そういうパターンに習って死ぬるだったのが連体形でも死ぬっていう形になって、
現代では死ぬはその格と同じ活用パターンになっているってことなんですよね。
なのでこれは死ぬっていう動詞が累積によって余談動詞、現代では誤談動詞になっているということです。
主にこの2つが言語変化の要因じゃないかと思います。
怠惰であるっていうこととあとは累積っていうことですね。
累積とよく似たので異分析っていうのもあるんですよね。
例えば今よくツイッターとかで見られるのはやむを得ないっていうのを、
これ過去のトークでもお話しているんですけど、
愛うえをのをで書くっていうのがよく見られるんですよね。
当然その想定される正しい形は和音の方のをで書くんですけど、
今やむを得ないっていう区切るところが変わっちゃっているってことですね。
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これは異なる分析と書いて異分析と言われます。
だからね、すごい大胆に一般化すると言語変化の要因は、
怠惰だから、効率化と言ってもいいですけど、
怠惰だからっていうのと勘違いによるってことですね。
勘違いで他のパターンに倣うか、あるいは区切るところを間違えるかってことなので、
だから言語変化を引き起こしているのは、
当然話している和舎ですけど、その和舎の非常に人間らしい部分、
怠惰であったり効率化を目指したり、勘違いだったり、他の真似っこしたりっていう非常に人間らしい部分が、
言語変化を引き起こしていると言えると思います。
さあお答えになっているでしょうか。
もちろんこういう人間らしい部分に加えて、言語接触とかもっといろんな要因があるんですけど、
とりあえずは今回はこういうことで終わりにしたいと思います。
もしわかりづらいところがあったらまた質問くださったらありがたいです。
ではまた次回お会いいたしましょう。ごきげんよう。