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おはようございます。英語の歴史を研究しています。 慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、 辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、 英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、 新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる話題は、 前置詞ならぬ後置詞の存在、ということです。
現在の英語では、前置詞というのが非常にたくさんあって、 しかも非常に頻度が高いものが多いです。
大体、文の中で1文の中で1回か2回ぐらい現れるというぐらい、 前置詞を攻略しない限り、英語の後文を組み立てられないといっても、
過言ではないほど種類が豊富ですし、 一つ一つの頻度が高いということになります。
この前置詞という名前なんですけれども、 当然何かの前に置かれるからっていうことですね。
in, on, with、何でもいいんですけれども、 前置が来たらその後に必ず名詞句が来るわけですよね。
なので、その前に来るっていうことで前置。 逆に言えば、その後に必ず何かが来るという前提なわけです。
英語でもこれはpreposition。 まさに前に置くということなんですね。
一方で、よく考えるとこの前置詞というのはですね、 例えばin the roomという時、日本語では部屋にというふうに訳すわけですよね。
つまり日本語の場合、女子って呼ばれますけれども、 むしろ逆でですね、部屋にというふうに、
後ろにこのにという前置に相当する部分が来るわけですね。 なので、ある意味ではこれ後置詞と、後ろに回る後置詞と言っていい類なものが女子なわけです。
英語のこの前置詞と日本語の女子、 あるいは後置詞っていうのは、全く逆の関係、 語順的には逆の関係にあるっていうことになりますよね。
つまり日本語に前置詞がないのと同じように、 英語には後置詞なんてものはない。
英語では基本的に前置詞なんだと。 in, on, at、こういうのがあって、それに名詞句が付くというのが基本だということが、
我々英語を勉強していると擦り込まれるわけですね。 日本語と全く逆なんだっていうことです。
ところがですね、歴史的に言いますと、英語にも後置詞、 いわゆる日本語の女子に相当するような使い方ですね、これが存在してきましたし、
実際にはですね、小英語なんかだとかなり普通です。 例えば、she came to meっていうふうに言いますね。
これ、現代英語だとto meというふうにまさに前置詞の使い方です。 toがあって、その後にmeという名詞句が来るっていうことなんですが、
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小英語での典型的な語順はですね、to meもないわけではないんですが、実は she came me toみたいに言います。
つまり日本語の私にというのと同じ語順なんですね。 小英語の文法用語ではこれ後置詞というふうに呼んでいます。
toが使われるっていうのは一緒なんですが、to meみたいなものもあるんですよ。 その場合には前置詞と言って、だからme toとなったらこれ後置詞と呼ぶと。
つまりあくまで同じ単語なんだけれども、両方の用法で使えるっていうことなんですね。
このような後置詞のshe came me toみたいな言い方ですね。 これは小英語の次の時代の中英語ぐらいまでも見られます。
その後に近代語にかけてこれはどんどん減っていって、 基本的には前置詞プラス名詞句っていう現代の語順のみがOKとなって、
古い後置詞を使うですね。 me toみたいな言い方。これはなくなって今に至るっていうことなんですが、
昔からこれが当たり前の語順だったわけではないっていうことです。 小英語でも中英語でも後置詞的な使い方ですね。
日本語の助詞みたいな使い方っていうのはザラにあったっていうことです。 基本的にはなくなったんですけれども、フレーズであるとか一部やはり過去の言い方、
つまり後置詞を使った言い方が残存している。 現代にまである意味化石化して残っているものっていうのも決して少なくないんですね。
例えば、世界中っていうのに普通、 all over the world って言いますよね。
all は強めです。で、over the world っていうことで、 over が前置詞で、the world が前置詞の目的語っていうふうに、 前置詞足す名詞句ってなってますね。
ところが、同じ意味で all the world over っていう言い方があるんですね。
これよく考えるととっても変で、 all the world over っていうことですね。
で、all the world でも世界中って意味を実質表していて、 で、over で、これ後ろに何も来ないわけですから単独で使われてるっていうことになるから、
これは副詞っていうふうに、おそらく現代の文法であるとか理論的にはとられるんだと思いますね。
つまり all the world っていっても、これだけで、 そもそも副詞の役割をして世界中。
それに、じゅうって意味を強めるために、 副詞的に over がついてるというふうに、
普通分析されるんじゃないかと思うんですが、 分析の仕方はいろいろあると思います。
ただ歴史的に見るとですね、 all of the world と all the world over っていうのは、
全く同じ言い方で、さっきの she came to me の代わりに she came me too と言っても ok だったという、
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例の同じ単語が全知識として使われているのか、 公知識として使われているのかっていうだけの問題なんですね。
つまりそれ、順番がひっくり返ったところで、 別に意味は変わらないっていうことなんです。
なので all over the world っていうのと all the world over っていう2つの言い方がひっくり返ったような言い方があるわけなんですが、
これはまあ、今日時的に現代の文法の観点から分析しようとすると、 どうやればいいのかなと悩ましいところなんですが、
歴史的に見ればですね、 全知識も公知識も両方あった時代のある意味名残り。
これはまあ1つのフレーズ、セットフレーズですので、 そのまま分析されずに、フレーズとしてずっと受け継がれてきた。
だからまあ今も両方あるんだっていうことに過ぎないですね。
こういうのは意外と残っています。 例えば1年中っていうのも all the year round って言いますよね。
all the year around っていうふうに around が最後に来ていまして、これはあの最後に来てるんで、これ全知識とは呼びにくいので、
しょうがないから副詞というふうに大抵の知識の中では捉えていると思うんですけれども、
これはまあaroundが後ろに回っただけであってですね、 統合的には別に前に来ても良い類のもので、
いわば後知識的に使われているんだっていうふうに、 歴史的にはそういうふうに説明できるわけですね。
で近代英語あたりだとですね、まだこの後知識的な使い方っていうのがちょろちょろと出てはきますね。
例えばですね、within my heart っていうところ、 my heart within と言ってみたりですね。
本来であれば through December っていうところを December through と言ってみたり、
ちょっと詩的な響きはあるかもしれませんが、こういう言い方ってのがあるんですね。
他には例えば fields among なんて言い方、これもテニソンの詩なんかに出てきますが、これは among fields のことですね。
ではこのようにですね、小英語や中英語では後知識という使い方もあったにもかかわらず、
なぜ前知識の使い方だけに限定されたのかというのは、これ語順の関わる非常に大きな英語史上の問題なんですね。
これは例えば SVO これ今決まった語順で、勝手に OVS とかですね、他の語順にすることはいけないわけですが、
小英語ではそれも可能だったんですね。
いろいろと自由な語順が可能だった。前後させることが比較的自由だったわけなんですが、
中英語以降の時代にですね、だんだんと固定化するようになりました。
いわゆる語分形みたいなものっていうのの型が固まってきたのがですね、中英語以降なんですが、それと気を一にしていますね。
前知識とその目的語の関係もですね、目的語、前知識、後知識というべきですかね、こういう語順も両方可能だったにもかかわらず、
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今は決め打ちで前知識、そしてその後に目的語ということが決まってしまった。
ただフレーズに関してはその限りではなく、というか、小英語、中英語時代の名残がですね、フレーズというのは普通分析されないので、そのまま化石化されたものですね。
現代にグッとそのまま連なっているのが冒頭から述べているような、All the world over とか、All the year round というような例と考えれば良いことになります。
前知識といえど、かつては後知識として使われることもかなり多かったということですね。
それではまた。