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おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 このチャンネル英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも
辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に英語史の観点からお答えしていきます。 新しい英語の見方を養っていただければと思います。
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母語と母国語の定義
今回取り上げる話題は、母語と母国語は違います。 という話題です。
これはですね、多くの人がこの違いに気づいていないと思うんですけれども、 実は非常に重要なポイントなんですね。
英語もそうですけれども、日本語もそうです。 言葉について議論したりですね、話をしたりするときに、この2つの違いというのをですね、しっかり抑えておいた方が良いんですね。
この違いは微妙といえば微妙なんですけれども、実はかなり重要なポイントをついておりまして、 この母語と母国語、これ日本語の用語なわけですけれども、
例えばこれ英語に言い直すとですね、母語っていうのはマイマザータンのように言ったりできるんですが、 母国語っていうのはズバッと、実は役がないんですね。
日本語に特有の区別と言ってもいいのかもしれませんけれども、 もっと言えば日本語独自の発想方法で言葉を見ている、そんな用語遣いっていうことなんですね。
さあどういうことかと言いますと、 この放送を聞いている大半の人はですね、いわゆる日本人だと思うんですね。
そして日本語を第一言語として普段日常的に話しているという人かと思います。 もちろんバイリンガルの人もいるかもしれませんし、あるいは日本人以外の方も聞いているかもしれませんが、大半ということですね。
このように大半のこれを聞いているリスナーの皆さんは、日本人で日本生まれ育ちということが多いと思うんですね。
そして日本語を常用しているという状況かと思います。 そうしますとこういう人のですね、母語というと母なる言葉ということですが、これ日本語になるわけです。
そして同時に母国語も日本語になるんです。 ですので結果としてですね、典型的な日本人は日本語が母語であり、かつ母国語でもあるので、この母語か母国語かというような、ここに区別を差し挟むですね、余地がないと言いますか、何が違うのということで、ほとんど気にしない違いなんです。
だからこそ、この2つの用語の区別というのがつきにくいということになっているわけなんですが、実は言葉を見る発想という点からすると、実は点と地ほど違う、180度向きが違うんですね。
社会的政治的側面
さあどういうことでしょうか。まず母語から行きます。これは自分が初めて身につけた、一番常用する、普通に使う言語のことですね。
それで生まれ育った言語というところのもので、典型的に親ですね。お母さんって言葉が多いかもしれませんが、お父さんかもしれませんし、さらに親ではなく一般にですね、子供の頃世話をしてくれるというケアテイカーですね、から習うわけなんですけれども、気づいたらその言葉をしゃべれるようになっているというものが母語ということで、これを聞いているリスナーの多くの皆さんも日本人。
日本で生まれ育ち、そして典型的には親御さんから日本語をですね、習い受けて気づいたら日本語をしゃべれるようになっていたということですので、皆さんの母語は日本語ということになります。
これは極めて生物学的なと言うと言い過ぎなんですけれども、そのケアテイカーとの関係ですね。赤ちゃんの頃のケアテイカーとの関係という非常に緊密な、親密な関係。
そして養ってもらえないと赤ちゃんは生きてきませんので、その意味では生物学的な含意のあるですね、まあ親と子、典型的には親と子の関係という中で育まれていく、あるいは習得されていく言語ということになりますね。
一方母国語という用語には国という言葉が入っているんですね。つまり母国の国語、これを省略して母国語と言っているんですね。つまり親と子という直接的な個人の関係ではなくてですね、国が間に挟まっているんです。
つまり多くの皆さんの国籍、生まれ落ちたときにあるいは両親が日本人ということで、まあ中は自動的に赤ちゃんのときに国籍はですね、日本ということになり、つまり日本人ということになりますね。日本の国籍を持っています。そして生まれた後にそのまま育っていけば母国は当然のことながら日本ということになります。
一方この日本という国は国語として、まあいわば法律には謳っていませんけれども、いわば公用語として、国語として日本語というものを使っています。なので皆さんの母国語は日本語だということになるわけです。
皆さんと日本語の間には国が挟まっているんですね。この挟まっている国ということを意識する場合には母国語という言い方をしますね。皆さんは日本という国に生まれ落ち、そしてその日本という国の公用語は日本語であり、であるからこそ皆さんの母国語は日本語という形です。
これは国が間に挟まっていますので極めて社会的政治的な用語ということになります。ここまでのところをまとめますと母語というのは生物学的な用語というに近いですね。
反生物学的ですかね。自分の世話をしてくれる、養育してくれる典型的には親ですが、から学ぶ自分にとって第一の言語ということで、ここに国家のようなものは介在しません。あるのは親と子みたいな非常に親密な関係ということですね。
一方母国語は間に国が挟まります。国家という社会的政治的機構が挟まります。ここを経由して日本語のことを言う場合には母国語というわけですね。これが大抵の場合日本人、日本に生まれ育ったら一致します。つまり母語も日本語であり母国語も日本語である。
個人における違いの例
ですので、ほとんどこの違いが感じられないので、私の母国語は日本語ですみたいな言い方になるわけですね。この2つの用語を比べますと圧倒的に普段使いって言いますかね。よく使われている母国語なんですけれども、母語と言うべき時にもですね、このあまりに頻度が高く日常的なために母国語と代わりに使ってしまうということがあります。
一方母語というのは何か専門的な響きがあるからなんでしょうかね。普通は言わないんじゃないかと思うんですね。多くの人は。ところが言語学であるとか、世界の言語の中での日本語とか英語っていうそういう話をするときには、これはきっちり分けておかないといけないんですね。というのは母語と母国語が異なるというような個人はいくらでもいるからです。
例えばこんな例を考えてみたいと思うんですね。両親は喫水の日本人、日本語を話す人。だけれども事情があってアメリカに移住するんだと。そして自分はその両親のもとに生まれた子供だっていうことですね。
アメリカで生まれ育って両親から日本語を習うわけなんですが、当然アメリカで生活をするために英語というのも早い段階から習得するわけですね。事実上完全なバイリンガル、流暢なバイリンガルになったとします。
この場合、母語は最初に習得した言語、親から習った言語ということで日本語ということになりますが、この子の国籍、いわゆる少なくとも母国と感じている国はどこかというと、生まれ育ってずっとアメリカなわけですから、これアメリカになるわけですよ。
そしてアメリカの公用語、これも必ずしも法律で謳っているわけではありませんが、事実上英語がアメリカの国の代表的な言語ということですので、国を挟むことによってこの子の母国語は英語という言い方が成り立つんですね。
つまり母語は日本語だけれども母国語は英語であるというようなことです。そしてこの世界にはこのように母語と母国語が異なる個人というのはいくらでもいるわけですね。そこでこの2つは分けなければいけない。
ですのである人にあなた普段何語をしゃべる人ですかという場合には、あなたの母国語は何ですかというのは正確ではない。母国語を聞きたいわけじゃないからです。そうではなく、あなたがまず第一に習得した最も自然に使える言語は何ですかという意味で聞くシチュエーションの方が圧倒的に多いと思うんですね。
その場合あなたの母語は何ですかということになります。母語と母国語、この違いは言語を語る上でとっても重要な区別だということを覚えておいてもらえればと思います。それではまた。